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STILL ALIVE

2001 ニューヨーク同時多発テロによる海外渡航自粛
2002 SARS(重症急性呼吸器症候群)による渡航規制
2003 鳥インフルエンザによる東南アジアへの渡航規制
2004 スマトラ島沖地震による津波被害
次は何が起きるのか?

ここ、数年、観光で生きているタイ・プーケットは、毎年のように、数々の苦難が襲っているが、立ち直っている。
しかし、今年、2005年は、すでに津波被害からの復旧が終わったにも関わらず「日本人観光客だけがプーケットに来ない」という現象が発生。それは、タイ・プーケットで、現地のタイの人たちと共に暮らし続けている日本人たちを直撃。それでも、力強く、楽しく、生きている。そこには、今の日本社会が失った大切なものが生きていた。

ブログ名同名のドキュメンタリー映像の製作に関する話題。
風評観光被害の他に、地球温暖化の問題、コミュニティの再生、人間の回復、地域の再生、貧困問題などを取り上げてゆきます。
ツナミクラフトの「さをり織り」の情報。
エコロジーシアター「天の浮舟」情報も。


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大盛況プーケット日本人祭り [2005年06月25日(Sat)]
津波から半年を前にして、プーケットタウンのホテルにて、プーケット日本人祭りが行われた。
このイベントは、プーケットでの日本とタイの交流とともに、津波の影響で減ってしまったお客さんを呼び寄せようと企画されたものだ。
2月に一度行われ、今回は、2回目となるのだが、お客さんが前回の倍以上が押し寄せるという大盛況だった。
もちろん、津波で被災した、カオラックの子供たちや、タイの日本大使やプーケットの県知事などの招待客もいたのだが。バンコクの日本人関係者だけでなく、東京の江戸川区、神津島などからも、この会に出席した。
そして、なによりもたくさん来たのが、地元の人だ。
今回は、スポンサーから提供された、航空券、デジカメ、家電製品からバイクまで、超・豪華な景品目当てということもあったのだろうか。地元の人がバンバン来ている。
この豪華商品を見て、改めて、バンコクとそれ以外のタイの地域の経済格差を感じまた。ほとんど、現地人化している、日本人からすれば。日本人ということで、タイ人より給料が高いにしても、高嶺の花のようで、この賞品を目当てに、やってきた日本人も多かったようだ。そのため、日本人会に入っていない、日本人会の数倍いるかもしれない日本も、けっこうやってきていたようです。
いろんな店の出店や、関係する会社の模擬店なども出展して、とにかく、食べる、食べるという感じ。寿司から、金魚すくい、カキ氷店まで、いろいろ。
ちなみに、金魚すくいといっても、実際は、津波後に大量繁殖したグッピーだった。昨日の夜は、某所で金魚すくいのために、そのグッピーをすくうのに、必死になって作業をしてました。
また、写真撮影ブースも大人気で、富士山と桜の写った、幅5メートルぐらいの、大きなシートの前で、着物や法被を着て撮影するというもの。地元のプロのタイ人のカメラマンか撮影し、そのデータを、バイクで店に持っていて、そこで、出力をして、再び、バイクで持ってくるというしくみだ。
かなり、大判で出力されるので、出来上がりに満足しているようだった。
今回は、富士フイルムのサービスのアピールのために行われたのだが。背景に、富士とサクラが同時に写っている写真を使えたのは、サクラカラーがコニカカラーになり、さらに、コニカミノルタになってしまい。サクラのイメージがなくなってしまったから、出来たことかもしれない。
さて、舞台の上は、剣道や空手の演舞から、地元の日本語補習校の子供たちによるロックソーラン、観光施設から出前でやってきたタイの伝統的舞踊、神津太鼓、津軽三味線など、とにかく、にぎやかだ。
日本語補習校の子供たち、カオラックの子供たち、地元の子供たち全てにいえることだが、日本の子供より、とにかく元気なのだ。
舞台の上で、剣道の演舞をやっているとき、舞台の下では、子供たちがチャンバラごっこでにご執心。バコバコ叩きまくっていました。
こんな姿って、今の日本では、なかなか見れないですよね。
とにかく、誰とでも遊んでいる。
とはいいつつも、プーケットを襲っている、日本人観光客が来ないという、風評被害は、このイベントが終わったら、それを機に、プーケットから撤退しなければという事態にまで陥るまで、迫ってきている。
もし、プーケットから撤退したとなれば、この子供たちは、離れ離れになってしまう。
今回の日本人の祭りは、すべて、手作りで行われ、企画を進めていく中で、様々
な協力者が現れ、結果として、予想を超える2000人も動員するほど、大盛況となった。これは、住民のパワーの力強さを正直にあらわしているものだと感じた。
しかし、イベントで、モチベーションを結集しただけに、そのモチベーションを失った後が、少し心配だ。
とにかく、お客さんが戻ってくれば、この下がったモチベーションも、下がらずに済むのだが・・・


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ピピ島にアジアの美女が集合中!? [2005年06月24日(Fri)]
津波から半年を前にして、ピピ島に行くことにした。
そんなことで、プーケットからピピ島への日帰りツアーを申し込んだ。このツアーの行程は、朝の7時半に、ホテルに車が迎えに来て、そのまま、プーケットタウンの港に連れて行ってくれる。それから、そのまま、船に、一時間半揺られ、ピピ・ドン島に付く。船内の飲み物は無料サービス。そして、午後の帰りの便まで
に、昼食もついていたりする。
今回は、さらに、オプションで、スピードボートなどに乗って、映画の撮影に使われた、ピピ・レイ島を見に行くことにした。
プーケットの港に車が着くまで、ガイドさんといろいろお話をした。
このガイドさんは、津波の当日、ピピ島でガイドをしていたそうだ。
彼は、スマトラ島沖で地震があったことについては朝のニュースで知っていたが、まさか津波がやってくるとは思っていなかったそうだ。彼は、これから乗る船と同じスケジュールで、ピピ島に向かったそうだ。そして、我々と同じスケジュールでピピ島に着き、少し、落ち着いた頃に、津波に遭ったそうだ。
彼は、お客さんを、山に逃がした後、街に戻ったため、津波に流された。流されたものが体にあたって、体中が傷だらけになりながらも、どうにか、助かったそうだ。
彼は、その日から、また、ガイドの仕事を続け。日本から来た、報道関係のガイドなどをも務めたそうだ。
しかし、日本語が出来る、ガイドの宿命で、報道陣が去った後、日本人観光客が
減ってしまったため、仕事が減ってしまい、今日が、久しぶりのピピ島だそうだ。
彼は、今回、次に来るお客さんのための資料とするために、カメラ持参だった。
船に乗り込もうとしていると、なにやら、撮影機材を別の船に持ち込んでいる。
どうも、映画かドラマのロケくさい感じだ。
私たちは、別の船に乗り、ピピ島に向かう。
船は、日本人こそ、いないが、韓国人のツアーのお客さんがたくさんいた。
ピピ・ドン島についた。今回がはじめてのピピ島なので、半年前に津波があったという、最初の印象がなかった。
津波の傷跡を初めて感じたのは、看板だけ残っているセブンイレブンで、店内は、流されてしまったりしているので、何も無く。そのスペースを利用して、屋根つきの食堂になっていた。
港で、スピードボートに乗り換え、ピピ・レイ島に向かう。
雨季にもかかわらず、海があまり荒れていなかったため、快適にぶっ飛ばす。さすが、船とすれ違った後は、波が大きく、フリーフォール体験をすることになる。
映画「ザ・ビーチ」に使われたところなど、名所を回ったが、津波の後、汚れた砂が流されたりしたおかげもあり、自然の美しさが増しているようだった。
さて、ピピ・ドン島に戻り、街を歩く。流されてしまったホテルも多いが、残っているホテルは、1階2階は、まだ、改装中であっても、3階だけで、営業しているという所もい。
日本なら、部分開業という発想は、あまりないが。平気で、部分開業してしまう感覚には感心してしまった。
また、津波を機に、街の問題点を解決しようという動きも見受けられる。
いままでは、密集していて、バイクが来ると、人が歩けない程細い路地があったのだが、一部露店を減らすなどをして、道路を拡幅し、歩きやすい街になった。
病院も、いま、まさに、改装中なのだが、建物を大きなものにする。
そして、いままで、違法建築だらけだった、ホテルなどの建築物は、海から30メートル下がった位置に、建てられるということだそうだ。
しかし、まだまだ、更地のところも多い。道路が見分けられないため、ココナッツを並べ、道路の表示をしている。たまに、ココナッツから、芽が出ているのがおかしい。
津波の被害が多かったほうの浜に行くと、なにやら、イベントをやっている。ここは、Hi Phi-Phiというボランティア団体が主催する、津波被害のイベントだった。なにやら、女性たちを囲んで報道関係がよってたかってしていると思ったら。
なんと、2005年のミス香港が、勢ぞろいで、ピピ島の応援に来ていたのだ。
それにしても、このボランティア団体は、白人だらけだ。ボランティアの世界で、英語閥というのがあるらしいのだが、ここでも、白人の特に英語圏が幅をきかしているようだった。これは、ボランティア団体の閉鎖性でもあり。いろんなNPO/NGOが、現地で協力し合って、活動が出来ない原因を作っているようにも感じた。
そんなことで、あっという間に、帰りの船の時間となった。
船に乗り、寒いぐらいにエアコンの効いた船室をさけ、デッキで涼んでいたら、韓国人女性のグループがデッキに上がってきた。
そのうち一人が、船の揺れに、バランスを崩して、私にぶつかった。そんなことで、彼女と話すきっかけが出きた。しかも、彼女は日本語がペラペラで、劇団四季のオーディションも受けたことがあるという方だった。
じつは、この韓国人の女性グループは、ミュージカル女優たちだったのだ。今回は、公演明けで、バカンスを楽しみに来たという。
いま、韓国では、プーケット観光ツアーが、日本円にして4万円程度と、とてもリーズナブルなのだそうだ。なるほど、韓国人、特に女性が、プーケットにたくさんきているわけだ。
別の人に聞いたのだが、津波からしばらくして、韓国の祈祷師のような人が来て、お払いのようなことをしたことも、韓国人の観光客を本格的に呼び戻したのだそうだ。
そんなことで、船上で、一時間ぐらい、韓国の女優さんとお話をしていました。



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なんだろう この差は [2005年06月14日(Tue)]
帰国して。あらためて、八重洲地下街で行われているアジアビーチのキャンペーン会場に行ってみた。
3月に行われた、プーケットにマスコミ関係者を大量に連れて行くキャンペーンの時に撮した写真の写真展は、企画の都合上、別の場所に移されていたが、展示されていた。
写真展の事はさておき。ブースにいた旅行代理店から出向してきているおねーさんに、声をかけてみる。もちろん、美しい女性であるからではあるが、ツアーのパンフレットの前というポジション柄、問い合わせを受けているということもあり、どこのビーチが人気があるかを聞くのに最適かと思い声を掛ける。
まず、プーケットから帰ってきたばかりだという事を告げ。プーケットお土産のTシャツを見せてあげる。
無茶苦茶ウケてる。
とりあえず、ツカミOKだ。
次に、プーケットの現状を伝える。
プーケットは、もともと雨期ということでお客さんが少ない時期だけど、そこそこお客さんはいるし、お客さん歓迎モードだということ。バトンビーチは、写真展と同様に、津波があったことを感じることが出来ないということ。日本人の観光客が少なく、中国人、韓国人の観光客はいても、日本人観光客はバックパッカーのみしか出会えなかったということ。現地の観光で食っている日本人たちは、日本人観光客が戻ってくる事を願っていて。ここで、PRをしてくれていることに、期待を寄せているという旨のお話しをした。
次に、いま、お客さんの問い合わせが多い所。伸びている所を聞いてみた。
すると、意外な解答がきた。
いま「モルジブが人気なんです」と。
値段は、かなり高くなるし、プーケットと同じく、津波で被害を被ったモルジブに人気が出てきたというのだ。
モルジブは、震源地からかなり遠く。スリランカより、さらに遠くのインド洋の上にあるにもかかわらず。かなりの高さまで海水に浸かったり、洋上のコテージや桟橋が使えなくなった所も多かった。
それにもかかわらず。お客さんが伸びているというのが不思議だ。
もちろん、お客さんが行くことで、復興することはいいことなのだが。
同じ、津波の被害があったリゾート地で、こういう差が発生するというのは、なんとも、不思議だ。
地図上から見て、震源地から遠いからだろうか。津波の映像が報道されなかったからだろうか。最近、雑誌で特集を組んでいるからであろうか。完全な島国なので、その島だけを見てしまうと、どの場所にある国か、わからなくなるからであろうか。洋上コテージなど、別世界を感じさせるイメージがあるからだろうか。
いろんな要因があるのだろうが。
モルジブは、観光しか外貨を稼げる産業がないから、早い立ち直りは歓迎すべきことなのだが。
プーケットをはじめとするアジアビーチが、津波以来、客足が落ちているのに対し。モルジブに人気が集まるのは不思議だ。
人の持つイメージというものは、とても不思議。

イメージの問題だとすれば、やはり、なんか、ドラマや映画などで、取り上げられるなどいないと、客足は戻らないのだろうかなど、いろんな事を考えてしまう。
韓国でのプーケット人気は、ドラマが起爆剤だったという説もある。

おねーさんと、話していて気が付いたのですが。
インドネシアとバリが別の国というイメージを持っている人が多いのと同様。タイとプーケットは、別の国というか、区別して考えるという概念があるみたいです。


後日談ですが・・・
モルジブについては、会場の問い合わせレベルでは人気があったようですが、契約には結びつきにくく、苦戦した模様です。

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津波がプーケットの自然にもたらしたもの [2005年06月11日(Sat)]
いまから5ヶ月前に、津波に襲われ、その後、実際にはなかった感染症の噂で、日本人観光客が激減し。6/10の金曜日の夜のバトンビーチの繁華街も、お客さんがいつ来ても大丈夫という感じで、にぎやかで、お客さんも少しずつ戻ってきて、人混みで疲れてしまうことなく、楽しめる街になっているにもかかわらず。日本人観光客の姿が見あたらない状態になっていた。
お客さんは、白人中心で、韓国人、中国人、アラブ諸国からの観光客が戻ってきているようで、あとは、日本人だけだという感じだ。
さて、そんなことで、出会う日本人は、現地で働いている人ばかりなのだが、そこからは、自然の力強さを感じさせる事をよく耳にした。


「裏返ったテーブル珊瑚から、新しい芽が!!」

津波直後、ボランティアダイバーたちが、ダイビングポイントの調査をしたのだが、90%のダイビングポイントが大丈夫だと確認され。修復が必要なダイビングポイントは、ボランティアダイバーたちと珊瑚の研究機関などと連動して、調査及び修復が行われた。
しかし、人間の力は弱くでは、ひっくり返ったテーブル珊瑚を元に戻すのに時間が掛かる。
そうしている間に、裏返ったテーブル珊瑚の裏側から、小指の先ぐらいの新しい珊瑚の芽が出てきたそうです。つまり、ひっくり返っても死んではいなかったのです。
テーブル珊瑚たちは、波の力などで、壊れるひっくり返っても新しい芽を出すことで、自らの生息する範囲を広げていたのです。
新しい芽がでたものをいまさら、戻すわけにもいかないということで、修復作業から調査研究に切り替わることになった。
珊瑚の生態に関しては、わからないことが、まだまだ多いのだが、津波があったからこそ、自然の強さを感じる事になった。


「カロンビーチに鳴き砂が戻った」

津波の被害が大きかったというカロンビーチに行く。
カロンビーチの街は、いま復興作業というより、新たなる観光開発に燃えているという感じだ。装飾も新しくなり、ホテルもリノベーションをして、11月頃からのハイシーズンに向けて、最新のサービスを提供できるよう、着々と準備が進んでいる。
海岸に出てみる。津波による塩害にあっているはずなのだが、植物が元気で、全く津波が着たとは言われても解らないぐらいに美しい。
そして、砂浜に降りる。
この砂浜は、珊瑚の破片で出来ているため、白く美しい砂浜だ。
そして、砂を踏みしめると「キュッ、キュッ」と、砂が鳴くのだ。
日本では、環境汚染の影響で、砂が鳴く、鳴き砂の海岸が激減している。
このカロンビーチも観光客が出すゴミなどの影響で、鳴き砂がみられなくなっていたそうだ。
しかし、津波が去った後、鳴き砂が戻ってきたそうだ。

こちらで、音が聞けます。

自然の力は、すごい。



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日本人観光客のいないプーケット [2005年06月10日(Fri)]
バンコクで、ワールドカップ予選のサポーターの様子を追っかけた後。プーケットに行ってみることにした。
昨年末の津波で、多くの死者が出たわけですが、そのプーケットが、今どうなっているのかを見に行ったのだ。
バンコクからの空路で移動したのだが、早朝の便だったため、お客が少ない。荷物も、あっというまに、出てきたので、地震の後、お客さんが激減したのかも・・・なんて、勝手に想像する。
空港の出口には、ホテルからの出迎えが来ていた。
運転手が、ここで、待っていろと言うので、待っていると、なんと、ボルボがやってきた。このボルボでホテルまで送ってくれるというのだ。
プーケット島は、道がきれいに整備されていて、ボルボの中は快適である。
それにしても、車窓から見える風景は、報道されていたような津波が本当にあったのかと思うぐらい、ごく普通なのだ。
確かに、潰れている家などがあるのだが、これは、タイなら、どこでもある風景という感じである。
40分ぐらい走っただろうか、プーケットのビーチの中で、一番にぎやかな、バトンビーチの少し北にあるホテルに着く。
ここは、夕日が美しいのがウリのホテルのようだ。
ホテルの真ん中には、滝のあるプールがあり、そのプールを望む部屋と、海を望む部屋とがある。
私たちは、少し値段の安い、プールの見える部屋に泊まることにした。この部屋で1部屋一日1500バーツ(4500円程度)だ。
さっそく、海の見えるレストランで昼食を食べる。
昨日までの、バンコクと違って、水がすごく美しい。
生まれも育ちも、甲子園。しかも、浜の近くで育ったので、波の音を聞くと落ち着く。今の季節のプーケットは、雨期で、少し波が高い時期ということもあり、遊泳禁止ではあるが。この波は、サーフィンにはもってこいで、何人かがサーフィンを楽しんでいる姿が見える。
プールの方に目を移すと、白人の老夫婦が何組かと、若い韓国人のグループ、そして、イスラム教徒の家族ずれが、プールの周りにいる。
そのうち、イスラム教徒の家族ずれが、プールに入り出した。もちろん、お母さんもプールに入る。驚いたのは、女性は、肌を見せてはいけないという習わしのため、母親は、長袖のジャージを着たまま、プールに入り、子供たちと遊んでいた。
なるほど、こういう手もあったか。
さて、夕方になり、ビーチの方に行ってみることにした。
ホテルから、バトンビーチの中心地までは、シャトルバスが運行されている。
定刻になると、バスは満席になる。
私たちの向かいには、先ほどのイスラム教徒の家族と一緒になった。どうも、彼らはUAEから、プーケットに観光に来ているとのこと。どの子供も、目がくりくりっと大きくて、とてもかわいい。
まずは、このプーケットの中心地のバー街を歩くことにする。
日本人観光客が少ないという事前情報を聞いていたので、私たちが日本人だとわかるように、バンコクの競技場の前の商店街で、140バーツで買った、日本代表のレプリカユニフォームを着て歩き、日本人がすれ違うと反応でわかるような仕掛けをしている。
ちなみに、このユニフォームは、背番号は「20」しかも、去年バージョンなので、背中に「玉田」と書かれている。
まだ、時間が早いせいか、バー街は、お客さんが少ない。ニューハーフのおねーさんたちが、しきりに、バーに入るように促すが、この場は、もっと、いろんな所をみたいので、振り切る。
南北に通る道に出て、南の方に歩いていく。
途中で、うしろから「玉田だ」という声が聞こえる。バックパッカー風の男性二人組がいた。実は、彼らが、アポイントを入れた以外で、出会ったはじめての日本人観光客だった。
タイの一町村一品運動である「OTOP(One Tambon One Product)」の店があるというので、行ってみることにする。
Tambonとは、タイに7600個以上ある小さな地方自治体で、市というより、町や村に近いものだ。
とはいえ、実際は、お土産屋街だった。お土産屋さんは、日本人だと解ると、カタコトの日本語で話しかけてくる。しかも、サッカーの日本代表のユニフォームを着ているということで「ナカタ」「イナモト」という具合に、知っている選手の名前を言って、気を引こうとする。
しかし、背中には「タマダ」と書かれている。
呼ばれる割合は「ナカタ」9割「イナモト」1割という感じで、圧倒的に、「ナカタ」の知名度が高い。「イナモト」も、「ナカタ」と声を掛けた次に出てくるので、かなり知名度が高いと言っていい。「タカハラ」もあった。しかし「ナカムラ」は、知名度が低いようで、結局一度も呼ばれることもなかった。
そんなことで、しきりに「ナカタ」「ナカタ」というタイ人に、「ノー・ナカタ」と返していると、そのうち背中に書かれた「タマダ」という名前も覚えたらしく、「タマダ グレート、プレイヤー」なんて、声を掛けてきた人もいた。玉田選手は、日本代表に選ばれる選手であり、素晴らしい選手に間違いはないが。このタイ人の客引きは、玉田選手が、どんなプレーをして、どのような成績を残しているか、知らないで声を掛けてるに違いない。
そんなことで、今度は、屋台街に差し掛かったところ、「日本2−0 ワールドカップ」という声を掛けてきた、サッカーシャツを着た客引きがいた。そして次に「このユニフォームは、いつの日本代表のユニフォームだ」と聞いてきた。
彼は、かなり、日本のサッカー通らしく、今は、高原選手が背番号20という事を知っていて、聞いてきているのだ。
玉田選手は、今は28番で、去年のアジアカップの優勝時には、背番号20を付けていた。このアジアカップでは、背番号20を付けた玉田も出場している。おそらく、アジアカップの優勝チームのFWだからこそ、バンコクのスポーツショップ街で、背番号20の玉田のレプリカユニフォームが作られたのだろう。
彼は、背番号20と、北朝鮮対日本戦の0-2とを、掛けて、声を掛けてきたということなのだが、彼とのサッカー談義も盛り上がったことで、その店で、食事をすることにした。
外国人目当てということか、メインは、新鮮な魚介類をウリにしているものの。タイのいろんな地方の料理も食べられるようになっている。ラオスに近い、タイ東北部のイーサン料理と、海鮮料理を同時に食べられるのは、無茶苦茶ではあるが、これほど、贅沢なことはない。
さて、なぜ、プーケットで、タイのいろんな地域の料理が食べられるのかというのには観光目当て以外の理由が考えられる。
実は、プーケットの観光労働者の多くは、タイの地方から出稼ぎによって支えられているとのことだ。タイ人がプライドが高いということの現れでもあるが、プーケットの地元のタイ人は、今でこそ違うが、観光でメシを食うことをバカにしていたそうで、そのため、経営者は、他のタイの地域に、労働力を求めたという。
そんなことで、結果として、タイの全国の料理を作る能力が、プーケットに結集したということが考えられる。
地方から集まってきている証として、北部の少数民族も、プーケットが市場になるという事を知っていて、土産物売りの売り子が、北部の民族衣装を着て、いろんな民芸品を売りに来ていることでわかる。
タイと一言で言っても、日本より国土は広いし、いろんな地方があって、それぞれが、いろんな文化を持っている。しかし、観光客など、外国人は、それぞれの地方の文化も一緒にして、捉えてしまう事が多い。だからこそ、タイの地方の文化をモザイク状に組み合わせて、タイという国のイメージとして捉えがちとなる。
そのような無茶苦茶なタイのイメージから発生するニーズに対応できる能力を、地方出身者に支えられた、プーケットという観光地が持っているというのが、とても面白い。
さて、晩ご飯を食べて、再び、バー街に行ってみる。
夕方のバー街とは違い、人がいっぱいで、活気がある。
お客さんの中心は、白人である。国籍は、イギリス、北欧、ドイツ、オーストラリアが多いそうだ。そのなかに、少しながら、韓国人と中国人客が混じっているという感じだ。
津波の前のプーケットの観光客の中で、日本人観光客が5番目に多かったということなのだが、日本人観光客には、一人も出会わない。
日本人の話す、日本語が聞こえたと思って、声を掛けると、プーケットで働いている人たちだったりするのだ。
プーケットには、現地の日本人会に入会するなどして、把握しているだけで、260名の日本人が住んでいるという。彼らは、日本人観光客だけで、食っているわけではないが、日本から来る観光客で食っている割合が大きい。
それにも関わらず、雨期というシーズンオフとはいえ、日本人観光客が全くと言って、いないというのは、現地に住んでいる、日本人に大きな経済的なダメージを与えているに違いない。
プーケットで働いている日本人には、タイ人と結婚し、子供を授かっている人も多いという。自分の身ひとりなら、プーケットで食えないなら、日本に戻るなど、他の地域で食えばいいのかもしれないけれど。
家族で、地域と密着して生活をしている状態と、制度上、タイ人の配偶者を日本につれて来にくい状況や、プーケットに出てきているタイ人も、経済的に故郷に帰るもわけにも行かないなど、様々な状況があり。ここで、暮らしていかないといけない条件が揃っている。
それにもかかわらず、観光地として、全く問題がないにもかかわらず、プーケットだけでなく、津波と関係ない、多くのアジアのビーチから、日本人観光客が消え、海外で暮らしている多くの日本人の生活をむしばんでいる。
復興した観光地の風評被害 [2005年06月03日(Fri)]
去年の末に起きた、スマトラ島沖地震による津波の被害は甚大なものでした。
半年経った今も、未だに、全く復興の目処が立っていない所もあります。その一方で、この半年で、どうにか、復興してきた所も多く存在します。
来週、タイにサッカーの無観客試合の様子を見に行くのですが、そのついでにというわけでもないのですが。復興した観光地の風評被害を視察しに行くことにした。
そこで、まず、下調べとして、タイ国政府観光庁にいった。
津波による観光客は、タイ全体としては、減っていないが、ピピ島は、かなり酷くて、観光どころではない所が多いそうだが、プーケット付近は、現時点で90%復興しているにもかかわらず観光客が減っているそうだ。減ったお客さんは、どうも、タイ国内の別の地域に行っているのではないかと思われるというお話しでした。
次に、タイ国際航空に、国内線の運行状況を調べるとともに、現地の状況を聞きに行くことにした。受付のおねーさんによると、プーケットには、やはり、日本からの観光客は減っているとのこと。お客さんが減っているからと言って、プーケットまでの直行便を無くすと、さらにお客さんが減ってしまう事が予想されるので。どうも、踏ん張って、直行便を飛ばしているらしい。
今、八重洲地下街で、「元気!プーケット!」タイ・プーケット現状報告写真展 2005年6月1日(水)〜6月16日(木) を行っている。
この写真展は、3月2日〜6日、タイ国政府観光庁、並びにタイ国際航空はマスメディアを対象にプーケット復興視察ツアーを行い、そこに参加した、プロの写真家と同行記者が撮った写真を展示するというものだ。
ここでは、この写真展以外にも、同じく津波に遭ったスリランカやモルジブのPRも行われている。たとえば、スリランカ航空は、スリランカとモルジブへの直行便を設定したりと、日本からの利便性をアピールしていた。
この写真展で、一人でも多く、津波以前に近い状態まで、お客さんが戻ってくればいいんだけど・・・。
とはいえ、以前書いた通り、怖いのは、大きな復興事業が落ち着いた、災害から、2−5年後あたりだ。今のところ、復興特需もあるのだが、それがなくなったとたんに、経済的にも、体力的にも、辛くなっていたことが、表面化してくる。
それは、一度、行かなくなったお客さんは、なかなか戻ってこないとうことだ。
これは、観光だけではない。
自立させることが目的で行われる、支援活動は、プロジェクトが終われば、撤退するのが原則である。
しかし、実際は、支援が終わってからが、自分たちで行う、復興の本番なのだ。
それを拒むものの一つが、現実を見て、冷静に判断していない事によって、起こる風評被害なのだ。
その風評被害はどのぐらいなのか、現場で見てみたい。6/10-11という強行スケジュールだが、まずは、体感してみたいと思う。



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ドキュメンタリー映画「STILL ALIVE 2005年プーケットに何が起きたのか」
まいける東山監督作品 ドキュメンタリー映画「STILL ALIVE 2005年プーケットに何が起きたのか」