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STILL ALIVE

2001 ニューヨーク同時多発テロによる海外渡航自粛
2002 SARS(重症急性呼吸器症候群)による渡航規制
2003 鳥インフルエンザによる東南アジアへの渡航規制
2004 スマトラ島沖地震による津波被害
次は何が起きるのか?

ここ、数年、観光で生きているタイ・プーケットは、毎年のように、数々の苦難が襲っているが、立ち直っている。
しかし、今年、2005年は、すでに津波被害からの復旧が終わったにも関わらず「日本人観光客だけがプーケットに来ない」という現象が発生。それは、タイ・プーケットで、現地のタイの人たちと共に暮らし続けている日本人たちを直撃。それでも、力強く、楽しく、生きている。そこには、今の日本社会が失った大切なものが生きていた。

ブログ名同名のドキュメンタリー映像の製作に関する話題。
風評観光被害の他に、地球温暖化の問題、コミュニティの再生、人間の回復、地域の再生、貧困問題などを取り上げてゆきます。
ツナミクラフトの「さをり織り」の情報。
エコロジーシアター「天の浮舟」情報も。


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NHKは意識していたのかな? [2012年01月01日(Sun)]
ゆく年くる年を見ていると、2011年の締めに近いロケ地が奈良の東大寺の大仏殿だった。
この大仏は奈良時代、述べ200万人を超える人を使って国家プロジェクトとして作られたものでした。
しかし、奈良時代は74年で幕を閉じ遷都してしまいます。
なぜ、奈良時代の平城京が巨大プロジェクトを成し遂げた一方ですぐに遷都してしまったのでしょうか。
それは、公害の問題が発生し、都に人が住めなくなったからだという説があります。

その原因は、大仏の金メッキだと考えられています。
今の大仏ははがれてしまっていますが、奈良の大仏は金メッキで金ぴかだったそうです。権威の象徴でもあったのでしょうね。
当時の金メッキの技術は、水銀と金を使ってメッキをしたそうです。
しかし、大仏を金メッキするために人体に有毒な水銀が大量に空気中に拡散し人体に入ったそうなのです。水銀中毒となり、奇病が平城京に蔓延した。
当時は「たたり」だと言われ、後の平安時代に陰陽師なんかが活躍する土壌をつくることに。
わかっている人はわかっていたようで、今から1000年以上前にすでに防毒マスクがあり、使われていたそうです。

この大仏という巨大プロジェクトによる公害と、2011年に起きた「あの」出来事とよく似ているんです。それをわかっていて放送をしていたとしたらNHKはすごいです。

さて、その「あの」出来事とは。
福島第一原発の事故です。
原発は巨大な国家プロジェクト。そして、今回の東日本大震災により大量の放射性物質をばらまいてしまいました。
放射性物質は日本の都「東京」にも降り注ぎ。多くの人が疫学的に原発事故が原因だと証明できない病で健康を害する可能性が出てきています。
これって、奈良の大仏の水銀公害とよく似ているんです。
原発は核兵器を作れる技術があるという事を誇示する事が大きな目的。原発は大仏と同じく権威を示す道具であったりします。

NHKがこのことを知った上で、2011年の象徴として東大寺の大仏を取り上げたとしたら、ものすごい強烈なメッセージだと思います。
国家的な巨大プロジェクトに潜むワナがあり、そのワナにより国家が維持できなくなる事がある。いま、その状態である。

奈良時代は74年で遷都してしまいました。
チェルノブイリ原発事故を起こしたソ連も同じく70年そこそこで崩壊しました。
今の日本の体制は1940年あたりに完成したと言われています。
ってことは、日本も現体制の終わりが近づいているのかもしれませんね。
こんな街になりたかったのだろうか? [2011年04月26日(Tue)]
打ち合わせのため神戸の新長田に行く。
バラソースを買いに移動するついでに鉄人28号を見る。
50代の会社員風の男性たちが携帯電話で必死に写真を撮っていましたが、他の層は見向きもしてません。



鉄人28号のバックには復興住宅が立ち並ぶ。


東北ではこれから復興に向けて都市計画が進められるわけですが。
役所というのは前例に弱い傾向があり。決して内容が良くなくても、前例を踏襲する傾向がある。
同時に、早く復興させようと、まちづくりのプロセスを飛ばしてしまう場合がある。
その結果、住民たちの思いもよらない街が出来上がってしまう事がある。

この街に住む人は、このような街になりたかったのでしょうか?

とにかく、ビルの街にガオー・・・って感じになってます。


ちなみに、隣の街のまちおこしは「三国志」だそうです。



こちらの方が作品が少し新しいおかげで、少しはヒットする層が広いようです。
こだまでしょうか [2011年04月25日(Mon)]
アースデイ関門が開催された下関は、東日本大震災の影響で、大量にテレビで流れた公共広告機構のCMで取り上げられ一般にも有名になった金子みすゞが住んでいた町です。

そんなことで、町のいたるところに・・・・








バックパッカーは何を求めて来たのだろうか・・・・・
白楽のまち [2010年11月09日(Tue)]
先週書こうと思っていた記事ですが・・・。神奈川大学の最寄り駅、東横線の白楽駅付近のまちってけっこういいんですよね。
なんというか、人が住んでるってまちなんです。

まず、改札から出たらすぐ店がある。
よく駅前に大きな広場をつくるところがあるのですが、そういう駅前って活気がない所が多い。
駅を出た瞬間に、広々としていると、そのまちで買い物をしようと思わなくなるんですよね。
そそくさと、バスやタクシーなどの交通機関に乗って移動したくなるので、そのまちをちょっと覗いてみようという気が無くなります。
その点、白楽は改札を出たらいきなり店があるので、なんかわくわくします。

駅ビルが無い。まあ、ビルを建てるほどの駅ではないのですが・・・
駅からすぐに店があるというのは、駅ビルというのは似て非なるもの。
モダンな建築物であるビルに整然と並べられた店は、わくわく感に欠ける。
また、大手のチェーン店などが入っていると、どの駅に来たのかわかんなくなるという無個性なムードを漂わせ。まちを探検したくする気を萎えさせます。

幅2.5メートルの道を挟んだ昔ながらの商店街がある。
裏に4メートル以上の道路が走っているから成立しているようなもんですが。
店の中に居ながら、向かいの店と世間話できるぐらいの道路幅は、店と店との間のコミュニケーションを生み出し、販売に必要なコミュニケーションスキルの向上に繋がる。また、通行している人に対してもメッセージを発信しやすい。
お店の中が見えちゃうし、いろんなものが聞こえちゃうので、お客さんも発見が多い。
バーカウンターだけの店の会話も通行人にまる聞こえ。まちの噂の発信源に。

とはいえ、まあ、こういう狭い路地の商店街が一度ダメになると、一気にまちが暗くなってしまうという欠点もありますが、ちゃんと機能していれば、相乗効果抜群。



だから、活性化しようと努力しています。

そして、徒歩で行ける大学など学校がある。



大学や高校が徒歩圏内にあると、まちを若者が歩きます。
その若者が、おもしろいと思える店が出来る事で、商店街に新陳代謝のチャンスが現れます。

ちなみに、スクールバスで行くような学校の近くの駅前はいまひとつです。

大学生に舞台と言うか、チャンスを提供するおおらかさも、まちに若者の関心を向かせます。
大学祭の横断幕をつけてあげるだけで、大学生が駅前の街への愛着が増します。

とはいえ、学生は卒業していってしまうのですが、ほんの少しだけでも、地域に残ってくれれば御の字です。

そんなことで、白楽のようなまちって、すっごく貴重かも。
そして、まちやひとが元気になるヒントがいっぱいあるように思います。
デング熱流行、地球温暖化もだけど都市化が問題かも [2010年09月16日(Thu)]
今年は中国や東南アジアでデング熱が流行っているそうです。
以前、ある国際保険学の先生より、同じ蚊が媒介する伝染病だが、デング熱はマラリアに対し都市化が進んでいるところの方が流行しやすいとおっしゃっていました。
デング熱増加の背景には、自然破壊や都市化の影響が大きいように思えてなりません。

<デング熱>大流行の兆し 東南アジアで死者数拡大
(毎日新聞 - 09月16日 11:23)

200人近くのデング熱の患者が診察を待つサンラサロ公立病院の待合室=マニラ首都圏マニラ市で、矢野純一撮影
 【マニラ矢野純一】
東南アジアでデング熱が大流行の兆しを見せている。フィリピン、ラオスではすでに感染者数、死者数とも昨年1年間の数を超えた。大流行の原因は明らかではなく、旅先で感染する日本人感染者も増えている。

 世界保健機関(WHO)西太平洋事務局によると、8月下旬時点で、フィリピンでは感染者6万2503人、死者数465人で最も拡大している。次いで、マレーシアが感染者3万1529人、死者数101人。マレーシア、シンガポールもすでに、昨年1年間の感染者数に迫っている。

 また、感染地域から日本に帰国した旅行者が国内で発症するケースも増え、国立感染症研究所によると、8月末時点で、感染者は126人。昨年の感染者数92人をすでに超えた。

 フィリピンでは、都市部の貧困地域での発生が目立つ。保健省は国内290地区を指定して警戒するよう指示する一方、週末も病院を開き、デング熱専門の窓口を開設するよう要請している。マニラ首都圏のサンラサロ公立病院では、連日200人以上の患者が順番待ちをしている。待合室にいた50歳代の男性は熱で目を真っ赤にしながら、「2時間以上も待っている。いつになれば、診てもらえるのか」と、弱々しい声で話した。

 フィリピン熱帯医学研究所(モンテンルパ市)で、感染症の共同研究を行っている東北大大学院の斎藤麻理子助教(微生物学)は感染者数の急増について、「蚊など節足動物を媒介とする感染症は、気候など環境の要因を受けやすく、地球温暖化が流行の一因とする研究もあるが、現段階では断定はできない」と説明している。

 【ことば】デング熱

 ネッタイシマカやヒトスジシマカを媒介とし、感染後、3日から1週間で発症。高熱が続き全身がだるくなる。血小板が減少し、消化管から出血する場合もある。適切な治療を行えば致死率は数%以下といわれる。デングウイルスの型は4種。ひとつの型に感染すると免疫ができるが、他の型には再感染する。再感染の場合、重症化しやすいといわれる。



デング熱が流行、市を挙げて“蚊を撲滅”へ―広東省東莞市
(Record China - 09月16日 11:26)

15日、広東省東莞市でデング熱の感染が急増していることを受け、市を挙げてウイルスを媒介している蚊の撲滅運動が開始された。
2010年9月15日、四川新聞網によると、広東省東莞市でデング熱の感染が急増している。これを受け、ウイルスを媒介する蚊の撲滅運動が市を挙げて行われる。

東莞市衛生局の公表したところによれば、7月13日に同市のある市民が東南アジアへの観光から帰国し、22日に発症したのが最初に確認された症例。その後9月13日までに確認されたデング熱感染例は11例に上る。うち6例はすでに完治したが、5例は現在も入院中。いずれも軽症で、重体患者は出ていないという。

9月11日、広東省の衛生庁と愛国衛生運動委員会、疾病予防センターが東莞市へ専門家を派遣。東莞市政府は14日に緊急会議を開き、デング熱の感染が蚊を媒介としていることから、15日から27日まで全市を挙げて蚊の撲滅運動を行うことを決定した。

デング熱は蚊を介してデングウィルスが感染することによって引き起こされる。突然の発熱や、激しい筋肉痛・関節痛などが主な症状。(翻訳・編集/岡田)
バンコクの新しい交通機関に乗る [2010年08月24日(Tue)]
23日にエアポートリンクが開業しましたが、それ以外にもバンコクでは新しい交通システムが次々出来ています。

その一つがこれBRTです。



電車の駅みたいなところに、バスが走っています。



バスの前輪の前にガイドレール用の案内装置がついています。



道路の真ん中に専用の専用道路(ガイドレールが駅の近くのみなので、専用軌道と言うのもおこがましい)があり、そこを走っているのでバンコク名物の渋滞知らず。



こちらは終点の様子です。

半自動運転の名古屋のガイドウェイバス「ゆとりーとライン」にも似ていますが、プラットホームの位置が高いのが特徴。一般道へ直通運転は出来ませんが、ホームとバスとの隙間が少なく車いすも簡単に乗れるバリアフリーになっています。

一部の駅ではホームドア方式になっていて、エアコンが効いたところでバスを待てます。

さて、このBRTに乗ろうとすると、専用のバス停に行く必要があるわけですが、普通のバスト違って改札口とプラットフォームがあるんです。
試乗期間中なので無料で乗れちゃいました。



現在はサートンから、ナラティワット通りを抜け、チャオプラヤー川沿いを走るルートのみですが、バンコク中に広げる計画なのだそうです。

バスは、中国製でたぶん天然ガスを使っていると思われるディーゼルエンジンで走っています。専用の高架道路もありませんが、低コストで渋滞しらずになることを考えればこれもアリかと思いました。


BRT http://www.bangkokbrt.com/
タイフェスもエコ [2010年05月12日(Wed)]
今週末の5/15.16に代々木公園で開催されるタイフェスティバル。
例年、アースデイ東京の3倍のお客さんが来るわけですが。それだけに、エコの取り組みが進化してきています。

ホームページにも、環境配慮への呼びかけが掲載されています。



楽しくタイ料理が戴ける人気イベントを持続可能にするために、タイフェスでもエコバッグをどうぞ。

わたしは、マーヤーゴータミ財団ブースにて、さをり織りを販売しております。
ぜひお越しください。
カオラックにマクドナルドが・・・ [2009年12月01日(Tue)]
津波の被災地域は、2.3か月間が空くと、景色が一変していて驚くことがある。

今回の驚きその1 マクドナルドができた。



しかも、24時間営業。(汗)

カオラックも観光地として世界に認められたということなのでしょうが。
地道に頑張って復興してきた方が、大資本に駆逐されないかちょいと心配。
駆逐されないように頑張ってほしいと思った。


驚きその2 バンニアンの発展

とにかく店が増えています。



危険区域なんのその、店が建ちまくりです。

自称ネパール人のミャンマー人、パタヤで働いていたおねーちゃんなどが、北部からの出稼ぎ者などが、流入してきています。
この地域が伸び盛りなんでしょうね。



驚きその3 むむむむむ

常宿のご主人と話していたら、最近日本人経営のダイビングショップができたそうな。
で、向かい側を見てみると、なんと、日本人経営のダイビングショップのカオラック地区の2店舗目があるじゃないですか。

うっひゃー。
分離している街 [2009年07月27日(Mon)]
本日より船橋でのTSUNAMIクラフト展が始まりました。
そんなことで、JR船橋駅の北口に出たところ、不思議な光景を見たのです。
駅を降りた人が、一斉にエスカレーターに乗って登って行くのです。



船橋駅の北側に行きなれないために、よくわからず地上を歩いた後、歩道橋の上に昇ると全く風景が違うのに驚きました。
地上は、車だらけで、歩道は一部を除いて細いく、薄汚い店が多いのですが、歩道橋の上は、屋外に椅子やテーブルの並んでいるカフェがあり。まるで別世界です。

かなり前に故岡並木さんのエッセイに書かれていたのですが、駅前で商売できる範囲は、改札口から400メートルまでなのだそうです。ただし、様々な障害があると、その距離が短くなってしまいます。
エスカレーターがあるとはいえ、いちど歩道橋に上らなくてはならないため、歩道橋から直接入れる店舗は別にして、歩道橋から降りなくてはいけない店舗はかなり苦戦を強いらているのではないでしょうか。
それが、歩道橋の上下の違いの原因のひとつではないかと感じました。



また、JRの高架下には、SHAPO~というショッピングモールがあり、始発から終電まで通れる解放通路になっています。

船橋が東京のベッドタウンとして急速に発展し、多くの人が住むようになったことと、車や自転車の増加で、人と車を分離した結果、人が駅前の地上から追い出された形になってしまったのでしょうか。なにか、いびつな感じがします。



こちらは、高架下の側道です。自転車が歩道に侵入しないように、障害が設けられています。
夕立のときに撮影したので、写真には写っていませんが、この障害のおかげで、人が通りにくく、車道を歩く人も・・・
しかも、車道にはバイクや自転車が放置されていて、歩こうとすると、道路の真ん中になります。
そして、車いすは当然歩道を通行できません。

そんなことで、表側は、なにか殺伐としたものを感じるのですが。
一歩裏道に入ると、昔ながらの建物の「編み物教室」があったり、いわゆる「荒物屋」があったりと、懐かしい感じがします。

どのようなプロセスでこうなったのかわかりませんが、近郊の人がそこに踏み込まれないような街の構造になっているような気がしました。

燕の巣がいっぱい [2009年07月22日(Wed)]
明石からフェリーで岩屋に渡りました。

フェリーを降りると、さびれた商店街があります。



商店街の中には昔ながらの荒物屋があったり、露店の魚屋さんが目の前で魚をさばいてくれるという、タイムスリップした世界も残っていたりします。

その中で一番元気なのが燕です。

こんなにビュンビュン飛んでいるのは、日本国内では久しぶりに見ました。

で、軒先を見ると、



燕の巣がいっぱいあります。

これだけ燕の巣があるということは、燕の巣の材料がたくさんあるということです。
粘土質の土や植物がいっぱいあるということです。

逆からの視点で見ると、都市がいかにコンクリートとアスファルトで覆われ、土も砂利や砂、はたまた土など、燕の巣の材料となる粘土質の土を排除してしまっているということかもしれません。



岩屋には、漁船を直す工場があります。



波が高くなく、浅いところをいける船の形が、瀬戸内ならではという感じがします。


それと、燕の巣のほかに岩屋でたくさんみかけたものというと。



トヨタBbのオープンデッキタイプです。最低2.3台はありました。

ワル顔の若者向けの車ですが、魚を運ぶのに便利なのと、狭い道が多いので車体の見切りのいいボディが、漁村にウケたのでしょう。

マーケティングがしっかりしているトヨタですが、設計者は、こういう需要には気付かなかったんでしょうね。
うぉんたな と フェリーのピンチ [2009年07月22日(Wed)]
久々に明石に行ってきました。

明石は、タイとタコと明石焼きと呼ばれる、出汁につけて食べるタコ入り玉子焼きが有名です。

明石はなぜタコやタイで有名かかいうと、大阪湾と播磨灘との間で、淡路島と本州との距離が3.6キロと狭いため、海流が速くなり、水深20-30メートルという大阪湾に対し、水深100メートルを超える深さになっていて、そこにタコやタイという深海が好きな生物が生息している。

そこで獲れる魚介類を販売する市場が「魚の棚(うぉんたな)」がちょっとした観光名所になっている。店員さんもなかなか言葉巧みなので、そのやりとりだけでも楽しめる。



ここの市場では、昼網と呼ばれる、午前11時からの競市の鮮魚があり、午後から行っても新鮮な魚介類が手に入る。

そんな活気のある魚の棚に対して、いまひとつ元気がないのが「タコフェリー」。
キャンペーンをいろいろやっているのですが、それが余計に、タコフェリーがピンチなのかを象徴している。



タコフェリーは、もともとは、兵庫県が始めたのですが、このフェリー自体が国道28号線ということもあり、日本道路公団が運営していたりして、国道フェリーとか言われていた時期があります。その後、日本道路公団に近い公団が明石海峡大橋をつくることでライバル?になり、いろんな民間会社を経て、今は第三セクターが運営しています。

狭い明石港の中でターンをしたり、急流で危険な明石海峡を運航するなど、かなりの熟練技術をもっている。



カーフェリーということで、トラックも何台か積まれています。
しかし、今は、深夜時間帯の便が無くなったので、



旅客輸送では、450円ということでたこフェリーより70円高いのですが、本州と淡路を13分で渡り、しかも淡路側はバスターミナルとなっている淡路ジェノバラインが便利なのだが。

ただでさえ、明石海峡大橋で利用者が減っているのに、今は、ETC割引のおかげもあり、かなり寂しくなっているような感じがしました。

この寂しさは、魚の棚以外の明石の商店街にも影響を与えていて、空き店舗などが多く、少しさびれた感じがした。

高速道路は便利だが、海という自然と出会える船がピンチというのは、少しさみしい気がするたけでなく。いろんなもののありがたさを実感できなくさせているのではないかという気もします。



大阪市が財政破綻するかも [2009年07月17日(Fri)]
大阪市が、このままでいくと2015年に財政破綻をするとの発表をしたそうです。

さて、大阪市が財政破綻をしたらどうなるでしょう。

おそらく、住民や企業に対し、大阪の街がどれだけ好きかが、試されるときになるでしょう。

まず発生するのは、お金持ちや大企業が早々に大阪から撤退する。

その土地が不利になるのであれば、お金をもっていれば、さっさと移動してしまう。
得するところに住むかに、お金持ちになったわけですから、場所に拘って、損してまでそこに住み続けることはない。

これは、タイの津波の被災地でも、夕張でもお金をたくさんもらっていた公務員がさっさと退職するなどで起こっていることです。

また、古くは関東大震災の時、谷崎潤一郎などの文化人たちが東京から関西に流れたのも、同様の現象です。

考えようによっては、大阪をどないかしようという人が残るとも言えますが、同時に移動出来る力のない人がそこに取り残され、その人たちがかつで赤字を作ってきた人の分の借金を背負うという事になるでしょう。

タイの津波の被災地では、撤退するお金がなかった人が、その土地で頑張って、成果を出したという話がいくつかあります。そして、そんな話は、多くの人が好んでします。

しかし、実際に再建というか復興してくると、大資本が入ってきて、美味しいところをとっていってしまうという事が起こります。

まあ、これが資本力の現実というか、資本主義というものなのかもしれませんが、心情的には、困ったときにそこで頑張った人に、ちゃんと成果がいくようにしてあげたいところです。


大阪では「好きやねん。大阪」なんてのが番組とかCMとかで流れたりするのですが。
財政破綻したとき、始めて、その人やその企業が本気で「好きやねん。大阪」と言っていたかどうかが試されるように思います。


大阪市、2015年度にも「破産」見通し
(読売新聞 - 07月16日 20:42)

 大阪市は16日、今後10年間の市の収支見通しを発表し、新たな収支改善を行わなければ、2015年度にも自治体の破産にあたる「財政再生団体」に転落する、との試算を明らかにした。

 市内企業の業績悪化による法人市民税の落ち込みなどが理由で、このままでは、12年度以降、年210億〜610億円の財源不足が発生。15年度には累積赤字が1860億円に達し、実質赤字比率が財政再生基準の20%を超えるという。

 市は、職員給与の平均5%カットなど今後2年間で総額約650億円の歳出削減策に着手している。平松邦夫市長は「現行の改革を確実に達成するのは当然として、歳出の精査や歳入確保策の検討に早急に取り組む」としている。

 財政再生団体になると、地方自治体財政健全化法に基づき、財政再生計画の策定が義務づけられ、国の管理下で財政再建を行うことになる。


東京も大阪のことやと思っていたら、大変なことになりまっせ。
既に、知○の老害が出てきていますが、これからは400万人とかそういう規模の高齢者を抱えるわけで。急激な施設整備に無茶苦茶なコストがかかり。それが財政を蝕む可能性があります。
また、貧富の差が大きくなっているといいますが、生活保護者増えます。実際、新宿区は生活保護者の率が高いそうです。東京の高い家賃が貧しい人を直撃し、高い家賃が払ったがために、引っ越しするお金がなく、移動出来なくなったり、ホームレスの増加が予想されます。
そして、都営地下鉄の莫大な借金。
大江戸線が出来る前に、営団と合併しおけばよかったのに・・・
東京メトロは新線計画が終了して、あとは稼ぐだけの世界になってます。だから、これからの合併話は難航するでしょう。
横浜は不良オヤシたちが熱い [2009年05月27日(Wed)]
赤レンガ倉庫でひらかれた「デジタルアーカイブシンポジウム&市民メディア展」に行ってきました。

「みんなでつくる横濱写真アルバム」についての説明などがあり、横浜の市民活動は中高年がやたら元気だということと、神戸文化圏に住んでいた人として、この20年ほど横浜の文化が迷走していると感じていたのかがわかりました。

その原因は、アメリカにより接収されていた横浜にある米軍基地の存在です。米軍とともに、文化がもたらされていたのです。

米軍が日本に来て、その兵隊たちが車に乗り街に繰り出します。
横浜に住む若いハマっ子たちは、他の地域より早くジャズやバー、自動車文化など、本物のアメリカ文化の味を知ります。
矢沢永吉が、成り上がるために、広島から横浜に出てきたのは、そこに本物の文化があったからです。
その本物の文化を堪能したハマっ子は、甘いも辛いも知っているわけです。だからこそ、市民活動という文化的な活動が出来るのです。

もちろん、負の面もあったのでしょう。
横浜から横須賀にかけてを舞台にした絵本にもその面影があります。



「ダットさん」という1960年代後半の国産車が活躍する絵本があります。
この本の中で、ヨタハチちゃんという、国産車が悪いアメリカ車に捕らわれてしまうというものです。
「車」は「女性」を表すことがあるのですが。
ヨタハチちゃんを女の子としたら、米軍兵によってさらわれた女の子を、友達の女の子が協力して助けに行くというお話しになってしまいます。

まあ、横浜を舞台にした「赤い靴」という童謡も、異人さんに連れられて行ってしまうわけですが、そういうこともあったのでしょう。

横浜の都市化と共に、米軍施設の返還が行われたのですが、現在でも残っていますが、いまでは一見その面影はありません。

市街地区域は、比較的早く返還が行われたようですか、1968年の「米軍施設・区域調整計画を日米合意」あたりから返還が本格化しました。

日本が、敗戦の焼け野原から復興して、しかも米軍もベトナム戦争の敗戦色が出てこない「ダットさん」で活躍する車が作られた1960年代後半あたりが、もしかすると横浜カルチャーのピークかもしれません。

そして、1970年代後半の暴走族文化の象徴としての「横浜銀蝿」から、営団地下鉄半蔵門線の開通後、1983年の東急田園都市線沿線の横浜を舞台にしたテレビドラマ「金曜日の妻たちへ」の間に、横浜の米軍基地文化から東京のベッドタウン文化に、横浜のカルチャーが大きくシフトします。

まあ、「横浜銀蝿」で、すでに横浜が実態から遊離し記号化、バーチャル化していたとも言えます。

横浜のアイデンティティの一つが失われると同時に、東京の拡大の波がやってきたわけです。

ついでですが、1986年の「あぶない刑事」では、キャロルの親衛隊や暴走族のイメージからすっかりコミカル路線になった舘ひろしが象徴的です。


東京のベッドタウン化から、四半世紀たち「金曜日の妻たちへ」の舞台となった街のいくつかは、高齢化が進み、限界集落に向かいつつあるのですが、東急田園都市線沿線はいまだに、横浜都民の住み処として、新たな住民を増やしています。
これは、横浜ブランドの強さもあるでしょう。

ですが、神戸近辺で育った人から見ると、横浜は失ったアイデンティティを、1980年代の神戸をモデルに、埋め立て、山間部の開発、ポートピアなどの博覧会の開催など、規模を拡大して実施しているように見えてなりません。

その一方で、甘いも辛いも知っている世代のハマっ子が、定年を迎え、やりたいことをまた本格的にやり始めたように思います。(実はずっと続けていたが、ちょっと静かにしていた)

そんなことで、甘いも辛いも知っている世代のハマっ子(不良オヤジたち)の活動が面白いです。

「みんなでつくる横濱写真アルバム」は、そのパワーのごく一部です。
そして、そこに記録されている、歴史の教科書に載らないだろうと思われることが、その街の歴史であり、アイデンティティとなる。

Y150開国博が開催されていますが、甘いも辛いも知っている本物がわかる世代のハマっ子がつくる市民展示も是非注目してください。



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道はまっすぐで広くない方がいい [2009年01月09日(Fri)]
長田に行ったあと、久しぶりに北野あたりに行ってみた。
NHKの朝の連続ドラマ小説「風見鶏」で、一躍有名になり、神戸はファッションの街と言われたことと相まって、ファッション雑誌などにこのエリアのお店が幾度となく紹介された地域だ。

異人館街と呼ばれる地区は、眺めの良い傾斜地にあり、旧居留地からは、トアロードという道で繋がっていて、トアロードの終点に神戸外国人倶楽部という会員制の建物があり、今でこそ観光地化が進んだが、その近辺に外国人がたくさん住んでいた。
今でも、シナゴーグや、ムスリム協会などがあり、多文化が同居し異国情緒が楽しめる。

その北野の町を久しぶりに歩いてみて、異人館というより、細くてグネグネとまっすぐでない道が残っていることが、この街の魅力だと気がついた。
だから、散策したくなる。

それと、同時に、異人館ブームによる開発で、整備された道や、まっすぐな建物が、街の魅力をスポイルしているように感じる。









↑4枚目の写真は、車が侵入しにくいようにわざと蛇行させて開発した道
電柱が無粋なのが日本の風景の個性でもある





≪おまけ≫ 工事の足場



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長田の町 [2009年01月09日(Fri)]
あるものを手に入れたくて、神戸の長田区にやってきた。
長田区は、14年前の阪神大震災のとき、下町の住宅密集地や商店街や町工場のある地区ず大規模な火災により焼失した地域です。

JR新長田駅の駅前は、復興住宅ということで、高層マンションと商業施設がそびえたっていて、その下に仮設店舗そのままと思われる店舗がいまだに残っている。



失ったものは、取り戻すこともできないし。
都市計画をする人が良かれと思って作った街かもしれないが、たくさん人が住んでいるはずなのに、なとんなく活気がない街となっているのが、残念でならない。

そんな長田の町ですが、焼け残った商店街があり、そこに、目的の店がある。

この商店街も、震災の後は人通りが減ってしまい、かなり寂しくなったという。
数年絵にこの商店街を訪ねたとき、車椅子で押された老人がヘルパーさんに押されて買い物に来ていたのですが。お店の人が丁寧に接客して、その老人がその商品を受け取った後、人通りが少なくいので、車椅子でも買い物がしやすいと言っていたのがなんとも皮肉だと感じた。


ちょっとした壁面アート
街を楽しくしようとする心意気を感じる


六間筋という大きなアーケード街にその店がある。



この店は、知る人ぞ知る神戸の「地ソース」の店だ。



「お好み焼きソース"辛口"」は、甘ったるい"おたふくソース"とは、全く違う概念のお好み焼きソースです。

お好み焼きというのは、大阪や広島のものというイメージがあるのですが、神戸にも独特のスタイルのお好み焼きが存在しています。
特に下町の長田区周辺で進化したもので「スジコン」とか「スジお好み焼き」と呼ばれる、豚のスジ肉とネギを使ったものです。それに合うソースが「お好み焼きソース"辛口"」です。

オリバーソースが「どろソース」を販売しているので「どろソース」という名前は聞いたことがあるでしょうが、その仲間のようです。
どうも、もともとはウスターソースを作る際必ず発生する副生成物で、ウスターソースを熟成するときに沈殿した澱の部分で出来ていて、香辛料が多く含まれるため辛口になります。
豚のスジにしても、どろソースにしても、副生成物であり、それをおいしく頂くというのが、大衆文化であり、B級グルメの本質でもあるかと思います。

ちなみに、このソース、お好み焼き以外にも、コロッケなど揚げ物にかけたり、カレーや野菜いための隠し味にも使えます。

震災で失ったものが大きいだけに、このような文化が残っているのを見るとほっとします。




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生活困窮者への支援の権限はどこにあるのか [2008年12月25日(Thu)]
役所を理解するのに重要なのは、権限がどこにあって、どのようなものに対し、どのぐらいあるのかということです。
しかし、それが複雑になると、誰も解らなくなり、機能不全や、たらい回しが発生します。
これが典型的な例です。

<失業>廃モーテルの部屋無料提供に市「待った」愛知・岡崎
(毎日新聞 - 12月24日 15:11)

 愛知県岡崎市山綱町にある廃業したモーテルの所有者の女性(41)が、失業して住む場所を失ったブラジル人にモーテルの部屋を住居として無料で提供したところ、市建築指導課が「都市計画法違反にあたる」と指摘していたことが23日分かった。モーテルには県内外から在日ブラジル人の5家族計19人が移り住んでおり、女性は「市の指摘に従えば、寒空の下に彼らを放り出すことになる」と困惑している。

 市によると、モーテルがある地域は1970年11月に、開発を制限する市街化調整区域に指定された。住宅として使うには用途変更の許可が必要だが、所有者側から申請はない。ただ、申請があっても都市計画法上の用途変更の要件に適合せず、許可するのは難しいという。

 モーテルは3年前に廃業した。外国人労働者たちの窮状を知った所有者の女性は今月に入って部屋の提供を始めた。食料や家具は近隣のブラジル人や日本人が持ち寄り、入居した家族に提供している。一方、廃モーテルに人が出入りしていることを不安に感じる住民もいるため、所有者側は28日に地元の集会所で、住民らを対象に現状と経緯を説明するという。

 妻と子供2人の4人で入居したブラジル人男性のウォルテル・ビトレッティ・アモロゾさん(22)は9月末に愛知県東郷町の自動車部品工場を解雇され、貯金がつきて今月16日にモーテルに移った。現在は日雇いのアルバイトをしており「ブラジルへの渡航費がたまるまではここにいたい」と話している。

 岡崎市建築指導課は「法令上は入居できないと所有者に伝えた。ただ生活困窮者への支援という側面もあり、国には特例を認める措置も検討してほしい」と話す。国土交通省都市計画課は「法令上、許可は難しいが、弾力的な運用も可能だ。個別の事案は、許可権者の市が総合的に判断してほしい」と話している。【中村かさね、秋山信一】


とはいえ、この記事がたらい回し的な結論のようになった原因はというと、取材のツッコミが足りないこともあると思います。
失業者が家を失うことで、路上生活となった場合、それに対応する部署への取材が必要なのではないかと思う。

岡崎市建築指導課と国土交通省都市計画課は、建物のハードや、法律に基づく用途についての話しか出来ないわけで、この問題の原因は「解雇により家を失った人がいる」という生活困窮者の支援という厚生面の問題です。
「解雇により家を失った人がいる」という問題について対応するための部署に取材をして始めて、議会など立法が動かないといけないなどの話になる。

「解雇により家を失った人がいる」という問題について、権限を持つ人が誰だかわからないようになっていたり、権限を持つ人が自分の仕事だと気が付かなかったり、必要な権限がなかったりするから、結果として困った人が放置されてしまい、見かねた人が手をさしのべたら、たまたま、それが違法だったという話で。
その違法の部分だけでその法律に関する人だけを取材して記事にするから、問題の根底に届かず「役所はたらい回しにするだけ」というイメージだけを読者に植え付ける。
紙面の都合で言い足りないのかも知れないのですが。
このままでは、役人のモチベーションを下げるだけで、いい結果に繋がりにくいような気が・・・。

この記事を書くのなら、引き続き、生活困窮者への支援についての権限のある部署への取材をお願いします。



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ジブリ作品のモデルになったからって騒ぐのはちょっと待った! [2008年12月21日(Sun)]
今年の大ヒット映画というと「崖の上のポニョ」ということですが。そのモデルとなった瀬戸内の街が埋め立てられるということで話題になっています。
鞆の浦と同様に、昭和の終わりの頃、和歌山市内の万葉集でも呼ばれた景観をもつ和歌浦が埋め立てられるという事があったので、私は優秀な景観が埋め立てによって破壊されるのは反対という立場なのですが。宮崎駿さんの作品のモデルになったからということで、待ったがかかっているという事に違和感を感じています。
言い方をかえると、宮崎駿さんの作品のモデルにならなかったら、優秀な景観のところをいつの間にか埋め立ててしまったってことになってしまうという状況が、悲しいモノがある。
それと、宮崎駿さんの作品のモデルになったということで、盲目的に活動している人もいるんじゃないかという疑念も持っています。
埼玉県の所沢に「トトロの森」と呼ばれているところがあるのですが、一部は墓地にななる予定地の所があったそうです。その予定されていた墓地は、自然と調和し夏にホタルが見れる墓地という新しいコンセプトの環境に配慮した計画だったそうですが、開発の過程で整地したところで計画がストップしたそうです。アニメのヒット作のモデルにならなかったら、何も気にせずに開発にGOサインを出していたということも問題ですが。開発を計画している人が、環境に配慮した開発をしていたとしても、アニメのモデルだから壊して欲しくない、どんな計画かも精査せずに単に従来の墓地のイメージだけで計画に異を唱えた人が多かったのではないかという気がしてなりません。
もちろん、私も景観を保持してほしいと願っていますが、有名な作品のモデルになったということのみで計画をストップさせるというのは、地域の当事者のことを軽視してしまう危険性をはらんでいると思います。
何度も書きますが、鞆の浦の埋め立てには反対ですが、「崖の上のポニョ」のモデルだからということで埋め立て反対というのには違和感を感じざるをえません。
同じ万葉集で詠まれた景勝地である、和歌浦がどうなったのか、街は本当に活性化したのか、街の価値は上がったのか、リゾート博ってどういう経済効果があったのかを見て、きっちりと判断して欲しい。
何十年前の計画をそのまま踏襲して実施に移し、20年前に同様の事例で失敗したことをまた繰り返す愚を犯さないことを願います。


ポニョの“舞台”で景観論争、埋め立て判断に国迷う
(読売新聞 - 12月21日 10:08)

埋め立て・架橋事業が計画されている鞆の浦(右が鞆港、広島県福山市で)=読売機から

 万葉集に詠まれた景勝地で、アニメ映画「崖(がけ)の上のポニョ」の舞台としても注目されている広島県福山市・鞆(とも)の浦の埋め立て・架橋事業を巡り、埋め立て免許を認可するかどうかの国の判断がなかなか出ない。

 通常、県の申請から認可までの期間は2か月程度だが、景観論争の高まりもあって審査は進まず、半年が過ぎ、越年しそうだ。

 ◆交通混雑緩和◆

 「潮待ちの港」として栄えた鞆の浦は、常夜灯、階段状の船着き場「雁木(がんぎ)」、船番所など近世の港湾遺構を伝え、町並みも江戸時代の雰囲気を残す。一方で、狭い道は車のすれ違いが難しいほどだ。

 事業は、港を横切る橋のバイパス効果で交通混雑を緩和し、埋め立て地に観光客用の駐車場を設けようと、県が1983年に策定。港に生活排水を流す「排水権」を持つ一部の住民らが反対したため、2003年に凍結されたものの、翌年、推進を掲げた羽田皓市長が当選し、再び動きだした。

 公有水面埋立法では、排水権者全員の同意が埋め立ての前提となるが、「埋め立ての利益が損失を著しく超える」場合も可能。市は全員同意をあきらめて、地元の利益を根拠に手続きを進め、県が今年6月23日、国に認可申請をした。

 ◆差し止め求め、住民訴訟も◆

 こうした動きに対し、事業に反対する住民らは「歴史的な景観が台無しになる」と訴えて、認可しないよう国に要望。また、免許の事前差し止めを求める住民訴訟も起こしており、同県出身の映画監督の大林宣彦さんらが支援している。住民訴訟の原告団長、大井幹雄さん(68)は「山側にトンネルを掘れば、橋は必要ない。貴重な景観を守るため、国は慎重に判断してもらいたい」と話す。

 免許の審査にあたる国土交通省中国地方整備局は、排水権者全員の同意なしで埋め立てが認可された前例がないことから、「事業による利益と損失の比較が難しく、審査に慎重を期している」とし、県に埋め立ての利益について異例の補足質問をしている。

 今月初め、同整備局長が事業推進を求める福山市議らに「国には反対派の声が多く届いている」と話したことが伝わり、藤田雄山県知事は「判断材料が偏らないよう、国交相に会って説明したい」と発言。同市の羽田市長も市議会で「認可のハードルが、だんだん高くなっているようだ」と国への不満を隠さない。





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ストリートビューは、自らの街を見直すいいチャンス [2008年12月20日(Sat)]
グーグルのストリートビューがここんところ何かと話題になっています。
とても便利な反面、プライバシー侵害ではという意見も出ています。
そして、極端な人たちは、サービス中止を求め出しました。

私は、この際だから、サービス中止を求めるより、この際、街の景観について考えてみるべきだと考えています。
あるまちづくりの専門家の方が言っていたのですが、ドイツでは景観というか、道から見える風景は「公共物」という概念でまちづくりに取り組んでいると言っていました。
その考え方から考えると、ストリートビューに写っているというものが、プライバシーを侵害しているというのは、根底から話が違ってくる。

まず、ストリートビューに写ってまずいことをしている事が問題であって、ストリートビューによってプライバシーが侵害されたのは、道から見えるところにプライバシーを暴露しているからにすぎない。

たまたま、通行した人が写っているとか、そういう問題もあるかもしれないが、ストリートビューの調査車両が複数回走ることで、偶然、そこで起こったことを削除することが可能ではないかと思われます。というか、グーグルさんも頑張って、そこまでやってほしい。

そこまでやった上で、写っているものに問題があるのなら、道路から見えるところにプライバシーを暴露した人の責任となるわけですが。決して突き放すわけにはいかないので、プライバシーを侵害された人に対し、グーグルは善処する必要はあるが、一部の人のために、公共性のあるサービスを止めるのは、公共サービスとして良くないと思います。

それより、もっと生産的に、グーグルのストリートビューに掲載されて恥ずかしくないよう、自らの家を整備したり、まちづくりをした方がよっぽどいいと思う。
ストリートビューは、自らの街を見直すいいチャンスだと思う。

さらに、ストリートビューで見られて困るようなセキュリティ状態も改善するべきです。
たとえば、犯罪を起こしたくないようなまちづくりをすれば、それだけでも防犯になります。

中止するより、ストリートビューでどんどん見て欲しい街にすることの方が生産的だと思う。


<グーグル>「ストリートビュー」中止を…大学教授ら要望書
(毎日新聞 - 12月19日 20:41)

 住宅や通行人らを撮影した画像をインターネット上で公開している米ネット検索大手「グーグル」の地図閲覧サービス「ストリートビュー」は、市民のプライバシーを著しく侵害しているとして、大学教授らが19日、同社にサービス事業の中止や画像削除を求める要請書を送った。

 田島泰彦・上智大教授やジャーナリストの斎藤貴男さんら13人。他にも142人、2団体が賛同しているという。要請書は「(画像をネットに掲載することにより)プライバシー情報が容易に、かつ広範、大量、永久的に流布され、深刻な権利侵害をもたらす」などと訴えている。【大場弘行】





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コンビニで地元のお茶 [2008年07月31日(Thu)]
ここんところ、産地の偽装とか流行っていますが。
産地の偽装の原因は、地域ブランドブームが大きな要因といえる。

お茶の世界はもろで、京都のブランドほしさに、近畿圏だけでなく静岡からお茶を宇治までもっていって、宇治茶の名を語ったりするようです。
そういうお茶を、東京の人が好んでコンビニや駅売店で買って飲んでみたりします。

これって輸送費の無駄ですよね。

と思っていたら、近くのローソンに、狭山茶のペットボトルがでてました。
東京近郊の茶畑のお茶なので、地元のお茶と言っていいでしょう。

地産地消と考えると、密かなエコ商品かも。

久々の夕張 [2008年06月13日(Fri)]
札幌で開かれるフェアトレードフェスタの前に夕張に立ち寄りました。
前回は雪で一面真っ白だったのですが、今度は緑でいっぱいです。



清水沢学園にも立ち寄りました。
レラは相変わらずハッピーな雰囲気で、新作もいろいろ出来ています。



月形での夜勤が開けて夕張に戻ってきた石田さんと合流して鹿鳴館へ。
鹿鳴館に入ると、懐かしいにおいがする。
震災で全壊となった祖父の家と同じにおいがする。
祖父の家は、大正時代に、阪神電鉄や大阪ガスや建設会社がリゾート地として甲子園を開発した時に作られ、和洋折衷で洋間があった。
鹿鳴館に入るとこの洋間のにおいがした。

造りとしては、繊細な装飾というより、素材を活かしたり、モダンな造りをしようという意図が感じられた。

鹿鳴館の近くの教会に行く。



アメリカの建築物もそうなんですが、開拓者の建物の特徴の一つは、木造建築です。
西洋建築は、石やレンガで作られることが多いのですが、開拓した土地は、早く都市機能をそろえる必要があるため、木造で本来石やレンガでつくる建物を、その様式にもとづいて造ってしまう。
この教会は、まさにそうみたいです。

開拓者たちが、この土地に、根ざそうと、都市の機能を整備しようと作った先人たちの思いが、木造の洋館に残っている。

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ドキュメンタリー映画「STILL ALIVE 2005年プーケットに何が起きたのか」
まいける東山監督作品 ドキュメンタリー映画「STILL ALIVE 2005年プーケットに何が起きたのか」