映画『靖国』は日本映画なのか?
[2008年04月03日(Thu)]
中国の映画監督のドキュメンタリー映画『靖国YASUKUNI』という映画がある。
国会議員が公開前に試写会を開くように要請したそれが検閲に当たるのではないかということから騒ぎが始まり、複数の東京の映画館が上映を中止したということで話題になっている。
この映画『靖国YASUKUNI』は、毎年8月15日になると、そこは奇妙な祝祭的空間に変貌する谷内巣に神社の様子を10年間記録を取り続けたものをベースに、日本人でさえ知らない靖国神社のご神体は日本刀である「靖国刀」の鋳造を黙々と再現してみせる現役最後の刀匠の映像を象徴的に構成しながら、映画は「靖国刀」がもたらした意味を次第に明らかにしていくというもので。
日本芸術文化振興基金と韓国釜山国際映画祭アジアドキュメンタリーネットワーク基金の助成作品に選ばれ、 日本、中国、韓国の3カ国の協力により、真のアジア友好を目指す合作映画として製作された。
今回の国会議員による検閲疑惑は、「日本芸術文化振興基金」による750万円にわたる助成金が妥当であるかということを、元弁護士の国会議員の稲田氏が指摘したことから始まっている。ちなみに、稲田氏は、この映画にも登場しているそうである。
稲田朋美議員は「映画『靖国』の試写は事前検閲ではない」ということで記者会見を開いたそうですが。(JanJanに記事が載っています)
稲田議員は、「映画『靖国』をめぐる問題点」について、試写は「事前検閲」ではないことを強調した上で、あくまで問題にしているのは、助成金の支払いが妥当であったか否かであるとし、その要件だった「日本映画といえるか」「宗教的、政治的宣伝の有無」の2点について自らの見解を述べたそうで。「妥当ではなかったと考えている」との結論を示した。
「宗教的、政治的宣伝の有無」については、見ていないのでなんても言えないのですが、(興味ある4/2(水)ニュースさかさメガネの録音はこちら)
「日本芸術文化振興基金」は、その1、音楽 舞踊 演劇 伝統芸能 美術 多分野共同等。その2、映画の製作活動:劇映画・記録映画・アニメーション映画長編、短編。その3、地域の文化振興等の活動などに対して支援をする助成金制度で。
映画に対しては、日本映画の振興ということを目的としており。
日本芸術文化振興基金は、日本映画とは,日本国民,日本に永住を許可された者又は日本の法令により設立された法人により製作された映画とします。ただし,外国の製作者との共同製作の映画については,独立行政法人日本芸術文化振興会(以下「振興会」という。)が著作権の帰属等について総合的に検討して,日本映画として認めたものとする。と定めている。
それに対して、稲田議員は、この映画を作った会社は中国中央テレビの日本での総代理として設立された会社であり、共同制作会社の2社も中国の会社で、製作総指揮者、監督、プロデューサーすべてが外国人であることから、日本映画であると言い切ることに大きな疑問を持っている、としたそうです。
ここが妥当でないと指摘するのはいいが。
「これって、別に映画を試写しなくてもわかることなんじゃないの。」
という素朴な疑問が残る。
また、グローバル社会だとか、多文化共生社会の状況から考えると、外資が入っていて外国人監督やプロデューサーであっても、日本の法令によって設立された会社の作品であれば、日本映画と考えることができるのではないかと思う。
日本って、意外に外資に対して寛容で、外為法では、資本に対する外資は、特定の業種以外は規制がないんです。
放送業、通信業は外資規制の対象だが、映画の製作は入っていない。
日本の事業所には、日本の法制度が適用されるわけですし、助成する団体が要件を満たしていると判断すれば、公的助成金がもらえるわけで、経営者の国籍や資本の出所は関係しない。
たとえ話ですが・・・
インド人が日本に来て料理店を作って、インド人を雇っても日本の事業所だし。規模が大きくなり、インドの資本で、日本で法人を作れば、日本の会社になる。
タイみたいに、外国人労働者1人に対してタイ人8人とかを雇わないといけないという法律はないわけですので。インド人だけの日本の事業所も成り立つ。
そのうえ、事業所として、要件を整えて、公的助成金を得ようと思えば可能なわけです。
ただし、その一方で、日本人の一部は、インド料理店の進出に快く思っていないのが現実です。
映画『靖国』においては、先ほどのインド料理店の例と同じく、かなりの部分に中国が絡んでいる。それだけに、日本の作品とは言いたくない気持ちが出来るのはわかります。しかし、その心情で日本のモノではないということを押し通す事がまん延すると、グローバル社会において日本は取り残される可能性を持っている。
グローバル化することが良いかどうかは別にして、もうグローバル化に巻き込まれてしまっていますから。その状況を認めて、新しい文化を作っていくことで、日本のコンテンツ産業が発展していくのではないでしょうか。
国会議員が公開前に試写会を開くように要請したそれが検閲に当たるのではないかということから騒ぎが始まり、複数の東京の映画館が上映を中止したということで話題になっている。
この映画『靖国YASUKUNI』は、毎年8月15日になると、そこは奇妙な祝祭的空間に変貌する谷内巣に神社の様子を10年間記録を取り続けたものをベースに、日本人でさえ知らない靖国神社のご神体は日本刀である「靖国刀」の鋳造を黙々と再現してみせる現役最後の刀匠の映像を象徴的に構成しながら、映画は「靖国刀」がもたらした意味を次第に明らかにしていくというもので。
日本芸術文化振興基金と韓国釜山国際映画祭アジアドキュメンタリーネットワーク基金の助成作品に選ばれ、 日本、中国、韓国の3カ国の協力により、真のアジア友好を目指す合作映画として製作された。
今回の国会議員による検閲疑惑は、「日本芸術文化振興基金」による750万円にわたる助成金が妥当であるかということを、元弁護士の国会議員の稲田氏が指摘したことから始まっている。ちなみに、稲田氏は、この映画にも登場しているそうである。
稲田朋美議員は「映画『靖国』の試写は事前検閲ではない」ということで記者会見を開いたそうですが。(JanJanに記事が載っています)
稲田議員は、「映画『靖国』をめぐる問題点」について、試写は「事前検閲」ではないことを強調した上で、あくまで問題にしているのは、助成金の支払いが妥当であったか否かであるとし、その要件だった「日本映画といえるか」「宗教的、政治的宣伝の有無」の2点について自らの見解を述べたそうで。「妥当ではなかったと考えている」との結論を示した。
「宗教的、政治的宣伝の有無」については、見ていないのでなんても言えないのですが、(興味ある4/2(水)ニュースさかさメガネの録音はこちら)
「日本芸術文化振興基金」は、その1、音楽 舞踊 演劇 伝統芸能 美術 多分野共同等。その2、映画の製作活動:劇映画・記録映画・アニメーション映画長編、短編。その3、地域の文化振興等の活動などに対して支援をする助成金制度で。
映画に対しては、日本映画の振興ということを目的としており。
日本芸術文化振興基金は、日本映画とは,日本国民,日本に永住を許可された者又は日本の法令により設立された法人により製作された映画とします。ただし,外国の製作者との共同製作の映画については,独立行政法人日本芸術文化振興会(以下「振興会」という。)が著作権の帰属等について総合的に検討して,日本映画として認めたものとする。と定めている。
それに対して、稲田議員は、この映画を作った会社は中国中央テレビの日本での総代理として設立された会社であり、共同制作会社の2社も中国の会社で、製作総指揮者、監督、プロデューサーすべてが外国人であることから、日本映画であると言い切ることに大きな疑問を持っている、としたそうです。
ここが妥当でないと指摘するのはいいが。
「これって、別に映画を試写しなくてもわかることなんじゃないの。」
という素朴な疑問が残る。
また、グローバル社会だとか、多文化共生社会の状況から考えると、外資が入っていて外国人監督やプロデューサーであっても、日本の法令によって設立された会社の作品であれば、日本映画と考えることができるのではないかと思う。
日本って、意外に外資に対して寛容で、外為法では、資本に対する外資は、特定の業種以外は規制がないんです。
放送業、通信業は外資規制の対象だが、映画の製作は入っていない。
日本の事業所には、日本の法制度が適用されるわけですし、助成する団体が要件を満たしていると判断すれば、公的助成金がもらえるわけで、経営者の国籍や資本の出所は関係しない。
たとえ話ですが・・・
インド人が日本に来て料理店を作って、インド人を雇っても日本の事業所だし。規模が大きくなり、インドの資本で、日本で法人を作れば、日本の会社になる。
タイみたいに、外国人労働者1人に対してタイ人8人とかを雇わないといけないという法律はないわけですので。インド人だけの日本の事業所も成り立つ。
そのうえ、事業所として、要件を整えて、公的助成金を得ようと思えば可能なわけです。
ただし、その一方で、日本人の一部は、インド料理店の進出に快く思っていないのが現実です。
映画『靖国』においては、先ほどのインド料理店の例と同じく、かなりの部分に中国が絡んでいる。それだけに、日本の作品とは言いたくない気持ちが出来るのはわかります。しかし、その心情で日本のモノではないということを押し通す事がまん延すると、グローバル社会において日本は取り残される可能性を持っている。
グローバル化することが良いかどうかは別にして、もうグローバル化に巻き込まれてしまっていますから。その状況を認めて、新しい文化を作っていくことで、日本のコンテンツ産業が発展していくのではないでしょうか。