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2001 ニューヨーク同時多発テロによる海外渡航自粛
2002 SARS(重症急性呼吸器症候群)による渡航規制
2003 鳥インフルエンザによる東南アジアへの渡航規制
2004 スマトラ島沖地震による津波被害
次は何が起きるのか?

ここ、数年、観光で生きているタイ・プーケットは、毎年のように、数々の苦難が襲っているが、立ち直っている。
しかし、今年、2005年は、すでに津波被害からの復旧が終わったにも関わらず「日本人観光客だけがプーケットに来ない」という現象が発生。それは、タイ・プーケットで、現地のタイの人たちと共に暮らし続けている日本人たちを直撃。それでも、力強く、楽しく、生きている。そこには、今の日本社会が失った大切なものが生きていた。

ブログ名同名のドキュメンタリー映像の製作に関する話題。
風評観光被害の他に、地球温暖化の問題、コミュニティの再生、人間の回復、地域の再生、貧困問題などを取り上げてゆきます。
ツナミクラフトの「さをり織り」の情報。
エコロジーシアター「天の浮舟」情報も。


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7年前の津波の経験は日本に活かされたのか? [2011年12月26日(Mon)]
7年前の今日、インド洋大津波が発生した。
20万人以上の方が命を落とし、生活を流された。



7年後の今日、東日本大震災で甚大な被害を受けた日本の首都の東京で売られている主な新聞には、インド洋大津波のことが一言も書かれていない。
途上国で起きた自然災害だからということで、日本は甘く見ていたのではないか。
あまり好きではない、最近の日本語で表現すると「上から目線」だったのではないかという気がしてならない。

原発事故も含め対応を見ている限り、海外の災害を真摯に受け止めてどれだけ対応できたのか疑問に残る。
専門家など個人単位では真摯に受け止めていた方がいっぱいいたと思うのですが、話を纏め上げていく過程で、教訓を活かされないカタチになっていった。そんなことがどうしても目に付く。
とにかく、チェルノブイリでの経験、インド洋大津波の経験が、活かされていないように思う。
その背景には、日本は優秀だと信じ込んでいた。いや、いまだに日本が優秀だと信じ込み、実際の現場に耳を貸さなかったからではないかと思う。

震災以降、いままでの日本の驕りに悩んでいる方もいる。

震災以降に岩手県沿岸部に暮らしだしたある防災の専門家は、いままで散々、インドネシアやタイなどスマトラ島沖地震によるインド洋大津波の被災国の政府関係や専門家の方に、三陸の海岸の巨大な防波堤などを案内して「鉄壁」だということを紹介してきたそうな。
しかし、自然の力にはなすすべがなかった。
震災直後に被災地を回って愕然としたという。
同時に、いままで案内したスマトラ島沖地震の津波被災国の方、被災した地域の方に申し訳ないという気持ちでいっぱいになったという。
今は甚大な被害を受けた町で、唯一海外に紹介しなかったある町で被災者と寄り添った生活をしているという。
震災前まで、防災の専門家として地域の方に接していたが、この結果を見て顔向けできないという気持ちと同時に、至らなかった分を少しでも被災者たちのために何か出来ないかという二つの気持ちがそうさせたのでしょう。

とはいえ、この専門家のような方もたくさんいらっしゃるとは思うのですが、今の復興策なり原発事故の対策を見ている限り、いまだに驕り高ぶっている方もいっぱいいるように思う。
残念な話だ。

いまからでも遅くないので、インド洋大津波の被災者たちがどのように生活を取り戻して行ったかに耳を傾けてみてはいかかでしょうか。
これは、専門家だけでなく、普通の日本人もそうだと思う。

今年の8月末から9月にかけて、地球環境財団さんの支援をうけて、学者や専門家と共に、対の津波被災地に行きました。
そして、来年の2月には一般向けのツアーも実施します。

私はタイがフィールドなのでタイのツアーになってしまいますが、私のフィールドだけでなくインドネシア、スリランカなど様々な被災地に行き、現地の声や何をやったのかに耳を傾けることが一手、二手先を読んだ、場当たり的ではない復興につながると思います。

慰霊祭があったという報道もいいけど、それから先につながる経験が共有されることが大切だと思います。
ここに表示する意味がある [2011年04月25日(Mon)]
新幹線「さくら」号に乗り神戸へ。

三宮駅についてふと見上げると・・・



そごう神戸店の窓に「こころはひとつ、がんばろう日本」と掲出されている。

災害などが起きると「こころはひとつ」とか「がんばろう」とか、そういうスローガンが山のように掲出されるのですが。私はそれが嫌いです。

理由は、被災者って一言でまとめられてしまうけど。被害状況は一人一人違うわけです。被災地だってそうです。
だから、物理的に「ひとつになる」なんてことは出来ないのです。
物理的に違うのですから、こころの方も、どうやっても一つになれない。
これは仕方がないのです。

まあ、出来ないから、スローガンを掲出して、呼びかけている所もあるのでしょう。

そして「がんばろう」は、被災してしまうと、0からのスタート、マイナスからのスタートになるわけです。自分は大丈夫でも、他の人やものが大丈夫でないので、環境的な要因で、マイナススタートになってしまう。
だから、がんばろうと言われなくても、がんばらなくてはいけない状態となるわけです。

そんな状態で、いくら、がんばっても、被災地以外の人たちに比べて、被災地は成果が出にくいわけです。

成果が出にくいからって、さらにがんぱってしまって、いったいどれだけの人が倒れたのでしょうか。

だから「がんばろう」なんて、気軽に書いてほしくないのです。

スーパーのレジ袋に「がんばろや」「がんばろや」と書かれていて、うんざりしました。
見るだけで疲れます。


しかし、同じ事を掲出するにしても、誰が言うかによって、感じ方が違います。
説得力が違うと言ってもいいかも。

それが、そごう三宮店のこの場所での「こころはひとつ、がんばろう日本」です。

そごう三宮店は、阪神大震災の時、建物の一部が崩れ落ちました。
その後、店は再開するわけですが。
崩落した部分は、崩落した記憶を残しながらも、美しく仕上げたデザインになっています。

その崩落した名残が残っている部分に「こころはひとつ、がんばろう日本」と書かれているのです。

涙が出ました。

そうなんです、自分たちが災害に遭い、そして復活した。
その当事者が、自らの古傷を見せながら「今は大変だけど、あなたたちも出来るぞ」って、メッセージがビンビンと伝わって来たんです。

距離は離れていても、災害に遭った当事者として「こころがひとつ」になれるんです。

表向きは、わかりづらいのですが、神戸には所々に16年前の傷が癒えていない所があるのです。だから、東日本大震災の被災地に向けて「がんばろう日本」って言えるんです。

そこに意味がある。

神戸に馴染みの少ない、東北地方の方には解りにくいかもしれませんが。

神戸に関わっている人には、その意味がわかる。
だから「こころがひとつ」になれる。


先ほども書きましたが、東北地方の方には解りにくいかもしれませんが、背景が解れば、きっと、そごう神戸店の心意気を理解していただけるでしょう。
ひどい、ひどすぎる。40万円バイト。さいたまアリーナの避難民に原発作業のリクルーティング [2011年03月29日(Tue)]
「日当40万円出すから」 原発作業員 確保に躍起
2011年3月29日 06時58分

 危機的な状況が続く福島第一原発。その復旧作業は放射能、時間との闘いで、作業員の確保が急務となっている。東京電力の要請を受けた協力会社は、各地にいる作業員たちを呼び寄せようと躍起になっている。中には法外な高給を提示された作業員もいる。

 「日当四十万円出すから来ないか」。福島県いわき市からさいたまスーパーアリーナ(さいたま市中央区)に避難している作業員藤田竜太さん(27)の携帯電話に、旧知の原発のメンテナンス業者から誘いが入った。

 現場は福島第一原発。高給である以上、それだけ高い危険が待ち構えていることはすぐに分かった。電線の敷設作業をしている友人からは「おれ、もう被ばくしているかも」と聞かされた。

 長男はまだ三つと幼く、妻(26)には新しい命が宿った。ためらいなく断った。藤田さんは、「五十代以上の人は高給につられて原発に戻っているらしい。でも、おれはまだ若いし、放射能は怖い。もう原発の仕事はしたくない」と語った。

 一方、協力会社の男性社員(41)は、勤務先から「人が足りないから戻ってくれないか」と第一原発での作業を要請され、四月以降に福島に戻る。

 男性は計測器を使ってそこが作業できる場所かどうかを調べるのが主な仕事。原発の現状からすると、まさにそこが最前線ともいえる。「特別な報酬があるわけではないが、危険な作業が待っているだろう。断ったら、恐らく会社にはいられない」と半ば強制だと受け止めている。

 同県田村市の男性(58)によると、第一原発で働く知人の父に、「五十歳以上の人で原子炉近くに入ってもらえる人を探している。手当は普通より多く払うからお願いできないか」という電話がかかってきたという。

 東京電力は現場の労務環境について、「放射線量が高いので、一人当たりの作業時間に限りがあるため、人員の交代が頻繁に行われている」と説明。また、「協力会社にお願いしながら人員を確保している。作業費は協定に基づいて協力会社に支給しているが、個々の金額についてはコメントできない」としている。 (社会部・堀祐太郎)

(東京新聞)


事態はかなり深刻としか思えない。

福島県に住む友人が和歌山県の新聞に避難民として掲載 [2011年03月29日(Tue)]
一年前まで四谷で家をシェアしてた友人が新聞に掲載されました。なんと、和歌山の新聞です。放射能の恐怖からお年寄りと共に、和歌山に疎開した。

原発反対訴える 福島からの避難者 紀伊民報

 福島第1原発の事故を受け、福島県から和歌山県田辺市本宮町に避難している住民らが26日、原発反対に関する記者会見を本宮行政局で開いた。主催した自営業安達誠一郎さん(37)=福島県郡山市=は、避難時からの経過を述べ「このような事故を二度と起こしてほしくない。すべての原発を止めてほしい」と不安な胸の内を訴えた。

 安達さんは東京都出身。恋人の本田陽子さん(27)の暮らす郡山市に1年前に移住したところ11日、東日本大震災が発生。原発事故が起こった。

 安達さんらの住む郡山市西田町は福島第1原発から50〜60キロ圏内に位置している。本田さんの祖母ハルエさん(90)を連れ3人で、奈良県十津川村の知人を頼って17日、避難してきた。現在は本宮町内の貸家に滞在している。

 記者会見は、福島県で反原発運動をする団体「ハイロアクション」が企画。25日には全国各地へ避難したメンバーが各避難先で一斉に開いた。

 安達さんは「地震自体の災害はそれほどでもなかったが、放射能への恐怖心から逃げざるを得なかった」と心境を語り、原発事故への対応や廃炉を訴える声明を読み上げた。

 陽子さんも「自動車で南下しながらもパニック状態だった」と語り、被災地の現状を訴える被災者たちのメールを紹介。「多くの人が故郷を追われたことを思うと、同じ県民として本当につらい」と声を詰まらせた。

 ほかにも安達さんの知人で関東から本宮町に避難してきている2家族も同席し、収入や生活の基盤づくりへの協力を訴えた。

 安達さんは「まさか本当に原発事故が起こるとは思わず、平和な中で反原発を訴えていきたかったのが本音。不安を取り除いてもらい、郡山に戻りたい」と語った。

 紀南地方で原発反対に賛同する有志も集まり、地元で実施した署名活動などを報告した。

【原発反対への意見を述べる安達誠一郎さん(右)ら=26日、和歌山県田辺市本宮町の本宮行政局で】

(2011年03月26日更新)


東日本大震災:福島第1原発事故 反原発団体が緊急声明発表−−田辺 /和歌山 毎日新聞

◇「避難区域拡大を」
 東日本大震災で被災した東京電力福島第1原発の放射性物質の拡散を受け、田辺市本宮町に自主避難した反原発団体「ハイロアクション福島原発40年実行委員会」のメンバーらが26日、本宮行政局で緊急声明を発表した。

 声明は、子どもと妊婦の避難▽避難区域の拡大▽避難できない住民の生活支援、放射能から身を守るための情報・物資の提供▽福島原発10基の廃炉▽全国の原発などの停止など−−の5項目。

 福島県郡山市で被災した同委の安達誠一郎さん(37)は「地震の被害は少なかったが、原発の恐怖から逃げざるを得なかった。1カ所の原発だけで被害は計り知れない」と話した。安達さんは婚約者の本田陽子さん(27)、本田さんの祖母ハルエさん(89)と13日に同市を離れ、17日に同町に着いたという。【吉野茂毅】


ハイロアクション http://hairoaction.com/
なんか不公平な気がする [2011年03月25日(Fri)]
水を持って、ある0歳児から預かっている保育所に行ってきた。
実家から鬼のように水が送られてきたんです。
ちょっとお恥ずかしい話なんですが。
孫かわいさってのでしょうか、放射能だから命が掛っているってことでしょうか。
東京都水道局の金町浄水場で、放射性物質が見つかったとの一報を聞いて、買えるだけの水を買って宅配便で送ってくれたのだ。
届いた時はびっくりした。

放射性物質の入った水は、乳児が一番危ないとのことなので、半分を0歳児から預かっている保育園に持っていくことにした。
なぜ、保育園かと言うと。仕事が終わって店に行っても既に売り切れという状況の中で。0歳から子どもを預けている親御さんは水を買う事が出来ないからです。
東京都は、保管しておいた水道水のペットボトルを乳児一人当たり3本配布するといってますが、いつ配られるかわからないし。ペットボトルが500mlだとすると、元気な赤ちゃんなら1日から2日で3本分を飲み干してしまう。
だから、いち早く持っていくことにした。


六甲のおいしい水を積む自転車

水は1家族1本なり2本までと言われるご時世なので。
記念撮影のあとは、水にカバーをかける。
約30分で練馬区にある保育園に到着。
無事に水を渡す。

保育園を出て気がついたのだけど。
この保育園は、太陽光パネルを使っている。



よく、鎌仲ひとみ監督が言ってるけど、クリーンな電気を選ぶってことがある。スウェーデンなどでは実施されているらしい。
この施設では、試験的かもしれないけど、火力や原子力を使わない、クリーンな電気を選択して使っている。
しかし、いま、原子力発電所が事故を起こして、放射性物質が大気中に排出され、子どもたちが飲む水に混入してしまった。
いますぐに影響はないとテレビでは言っているが。もしかすると、将来、影響が出るかもわからない状況に、施設を利用しているこどもたちが置かれてしまったわけです。

昨日、スイスでも、福島原発事故由来の放射性物質が見つかったと報道された。
いくら、クリーンな電気を選択しても、原発が事故を起こすと、放射能を浴びることになる。
これって、なんか、とっても不公平な気がした。
ペットボトルの水を買わないでほしい [2011年03月12日(Sat)]
震度5弱の大きく長時間にわたった揺れ、未曾有の大災害が起き報道され、多くの人が帰宅困難となった東京。しかし、交通機関と一部の停電の残った地域以外は普通に生活に近い状態です。多くの人が不安になっているのは仕方がありません。だから、ついつい、カップラーメン、パン、使い捨てカイロ、カレー、米、トイレットペーハー、そしてペットボトルの水と、いろんなものを買い込みたくなる気持ちもわからないでもない。



でも、できるならば買い占めてもらいたくないものがあります。
それは、ペットボトルの水です。

私が阪神大震災に遭ったとき、水を入れる容器が無いことで困りました。
湯沸かしポットに入れても2リットル、バケツにいれても8リットルなので、段ボール箱にビニール袋を入れてバケツの代わりを作りました。
翌日、水が無くて給水車を待つと最低4時間待ちになるということで、それならばと、その日に開通した電車に乗って水道の通っている大阪に行きました。
しかし、どこの店に行っても、ペットボトルの水も大きなペットボトルの清涼飲料水もありませんでした。なぜ、ペットボトルが欲しかったかと言うと、電車で水を持って帰りたかったからです。
しかし、すでに大阪の人に買い占められてしまっていたのです。
はたはた困って、天満の市場の近くの行きつけのファミリーマートに行ったところ。おやじさんの配慮で使い古しのペットボトル何本かに水を詰めて分けてもらいました。
それをバッグにつめて、徐行運転をしている阪神電車に乗って帰宅しました。
おっちゃん、そしてバイトのおねーちゃんありがとう。

とはいえ、この事について、大阪の人には悪いのですが、今でも恨んでいます。
それと同じことが、いま東京で起こっている。とても残念でなりません。
東京の水道は耐震化工事がほぼ終わっているため、このぐらいの地震では断水しない。ジャブジャブ水が出てきます。
それなのに買い占める。

あるスーパーでレジ付近で観察すると、実際は買い占めている人といっても、一人で2リットルを2本とか3本なのですが、レジに並んでいる3.4人に一人がその割合で買っていて。いつの間にか、あっという間に売り切れてしまうという感じです。
この調子なら、自動車で買いに行くようなディスカウント店なら、6本単位で売れているんでしょうね。
これらの量は、一人当たりは、大した事がないとも言える。だから、それぞれの人は買い占めているという意識がないのかもしれません。
災害の発生によって、単に買うタイミングが集中したため在庫が急減しているだけとも言えるかもしれません。

おそらく、これから、東北地方から、原発の放射能漏れの避難勧告の件も含め、着の身着のまま、命からがら逃げてくる人が来るかもしれません。しかし、その避難してきた人が、持ち歩ける水。飲用や調理用など、いろいろな用途に使える水が確保しにくいというのは、困った事態だと思います。

余震が続き、不安なのはわかりますが、冷静に考えるとそんなに困っていないのに、本当に困っている人の分まで買い占めてしまうのはどうなんでしょう。

世の中、何が起きるか解らないと言うのは、世の中の常なのですが。常に最悪の事が起きるとは限らないと言うのも世の中の常です。
冷静になって、今、自分たちに何が必要かと、本当に困った人が現れた時どうするかを考えて購入してほしいと思います。

とはいえ、既に売り切れた店もあるという話もあります。
既に買い込んだ人は、困っていそうな人を見かけたら声をかけて、相手の要望を聞き、自分の判断で、自分なりの方法で分け与えて欲しいと思います。

ファミマのおやじさん今も感謝してます。
1.17 2011 2 [2011年01月17日(Mon)]


さをり織り×シンサイミライノハナ ワークショップ


コトハナの西川さんの指導のもと、来場者とさをり織りの体験織りをした方々と、シンサイミライノハナにメッセージを書きました。

年齢、障がいのあるなし、などいろんな立場の人が、震災についてメッセージを書きました。


さをり織りの体験織り。
「ちちんぷいぷい」という番組で取り上げられたこともあり、さをり織りのワークショップは満員御礼。
さをり織りをファッションに取り込んだファッションデザイナーmiracoさんをきっかけに、さをり織りを知った方も参加。
エシカルファッションとして、さをり織りの広がりを感じました。



黄色い花とカラフルなさをり織りとのコントラストが見事。


いま出来たばかりの花を、会場内に飾ります。
タイの津波被災地で織られたさをり織りと、シンサイミライノハナとの共演も。
1.17 2011 1 [2011年01月17日(Mon)]
シンサイミライノハナとさをり織りのコラボレーション

1月16日と1月17日に撮影。


レジの上の黄色い花 「心意気に感動!」
ほんまに、お買い上げありがとうございます。


近所の人と仲良く。


いつまでも、神戸市が安心して暮らせますように。


一人一人大切だと思った。


水の大切さ。
長田の靴工場から出た、革の端切れと共に
震災障害者と震災遺児 [2011年01月14日(Fri)]
備忘録的に・・・ですが。事故、災害の怖さって、突然、普通の生活が一転してしまう事です。ある日、いきなり障害者になってしまったり、遺児になってしまったりするわけです。
てなことで、震災障害者と震災遺児についてのクリップ。

「専門的心のケア必要」 震災遺児アンケート

 兵庫県と神戸市が、阪神・淡路大震災で親を亡くした「震災遺児」に生活実態などを初めてアンケートしたところ、「専門家による心のケアや癒やしが必要だった」と答えた遺児は46%に上り、うち44%が実際に治療や相談を受けていたことが分かった。

 アンケートは、震災当時、0〜19歳だった人が対象。県と神戸市が把握している県内外の419人のうち70人から回答を得た。

 遺児になって困ったことは、「震災のことをあれこれ聞かれるのがいやだった」が41%と最も多く、「親に相談したいことがあったのにできなかった」も27%あった。

 一方、遺児の保護者を対象に養育で困ったことを聞いたところ、約6割が「精神的につらかった」と答えた。

 県などは今後、遺児や保護者21人に聞き取りを行う。

(安藤文暁)

【特集】阪神・淡路大震災

(2010/12/28) 神戸新聞


専門家による心のケアが必要だと感じている人の半数以上が、実際に治療や相談を受けていなかったという事実にびっくり。

遺児になって困ったこととして「震災の事についてあれこれ聞かれるのがいやだった」が4割。わたしも津波被災地を訪ねて気をつけていることは、津波の事をあれこれ聞き過ぎないことです。
仕事上聞かなければならない時は、フォローのできる体制をとります。または、相手が話したくなるまで待ちます。


震災障害者 見舞金支給の拡大を 国などに要請書

 災害で負傷し、後遺症が出た障害者らへの支援で、研究者6人が12日、災害弔慰金法に基づく見舞金支給の対象者を拡大することなどを求め、国や県、神戸市などに要請書を送った。

 震災障害者を支援する神戸大の岩崎信彦名誉教授を代表に、同じく神戸大の塩崎賢明教授ら災害関係の研究に取り組む6人が連名で要請した。

 災害弔慰金法は、災害で重度の障害が残った負傷者に最大250万円の見舞金支給を定めている。しかし、両足の機能喪失など最重度の障害に限定しており、阪神・淡路大震災での受給者は64人にとどまった。

 このため要請書は、見舞金の支給要件を緩和する法改正を提言。障害者の生活を考え、金額を弔慰金と同額の500万円に引き上げるほか、阪神・淡路の被災者にもさかのぼって適用するよう求めた。

 震災障害者をめぐっては、県と神戸市が昨年から阪神・淡路について実態調査を始め、328人(うち121人が死亡)に上ることが判明。負傷が原因で約3割が仕事を失ったことなども分かった。県は国に、支給要件の見直しなどを求めていく方針を示している。

 国も2011年度政府予算案に、支援の在り方を検討する費用約740万円を計上した。

(井関 徹)

【特集】阪神・淡路大震災

(2011/01/13) 神戸新聞


負傷が原因で3割が職を失っています。

16年で、328人のうち121人が死亡。死亡率高いですよね。

両足でないと支給できないって、なんやねん。


震災障害者支援に740万 政府予算案兵庫県関連

 24日に閣議決定した2011年度政府予算案で、兵庫県関係は阪神電鉄甲子園駅(西宮市)の大規模改修への補助金のほか、阪神・淡路大震災で課題となっている震災障害者への支援について検討する費用などが盛り込まれた。

 甲子園球場の玄関口に当たる阪神甲子園駅(西宮市)の大規模改修は、都市部の鉄道交通を円滑にする国土交通省の事業の一環。全国計4カ所で14億3000万円が計上された。個別の予算額は未定。

 甲子園駅の改修は11年度から始まる。ホームや構内通路、改札口などを広げ、タイガース戦や高校野球開催時の混雑を緩和する。改札口近くには車寄せや広場もつくる。

 改修の総事業費は54億円で、国や地元自治体、阪神電鉄などが費用を分担。16年度中の完成を目指し、11年度は現地の調査や設計、準備工事などを予定している。

 また、阪神・淡路大震災で身体や精神に障害が残った「震災障害者」への支援が課題になっている現状を受け、内閣府関係予算では支援の在り方を検討する費用として約740万円が計上された。

 概算要求の1200万円から減額されたが、国が震災障害者対策を検討するのは初めて。阪神・淡路などの事例を収集するほか、医師や被災者支援団体の関係者らの意見を聞く場を設け、支援策を探る。障害者だけでなく、災害で親を失った遺児ら、公的支援が不十分だった被災者への支援策を総合的に検討する。

 阪神・淡路の震災障害者は兵庫県が今年から調査を始め、身体障害者については神戸市調査分と合わせて328人(うち117人が死亡)と発表している。

(磯辺康子、高見雄樹)

 【特集】阪神・淡路大震災

(2010/12/25) 神戸新聞


740万円で何ができるのか・・・。
ハコにお金掛けるけど、一方で・・・って感じ。

語り部10年、障害者となっても 西宮の長岡さん

手作りの資料で、震災の体験を語り続ける長岡照子さん=神戸市中央区脇浜海岸通1、人と防災未来センター

 阪神・淡路大震災で弟を亡くし、自らも足に障害が残った西宮市の長岡照子さん(84)が、人と防災未来センター(神戸市中央区)で語り部活動を続けている。悲しみを振り切るようにボランティアに打ち込んできたが、昨年、震災で障害が残った人たちが集まる場に初めて参加。同じような境遇に心が癒やされた。支え、支えられた16年。センターを訪れる子どもたちには「つらくてもきっといいことがある。だから生き抜いてほしい」と訴える。

 長岡さんは震災時、西宮市枝川町の自宅で家具の下敷きになって左足を痛めた。明石市に住んでいた弟=当時(67)=は倒れてきた書棚で頭を打ち、意識が戻らぬまま、1カ月後に亡くなった。

 弟は大平洋戦争末期、通信兵として従軍していた静岡県の飛行場で爆撃に遭い、片腕を失った。それでも終戦後、建築士として事務所を開いた努力家だった。

 震災の前年に夫が急死したばかり。ショックはあまりに大きかったが、幸い自宅は無事で、「できるだけ人と話しなさい」との医師の助言もあり、仮設住宅でボランティア活動を始めた。かまぼこの板で作った表札を贈ると、入居者に喜ばれた。

 「被災者とボランティア。両方の立場から体験を伝えたい」と2002年春、センター開館と同時に語り部に登録した。

 一方で長年、痛めた左足をかばって歩くうち、右足に激痛が走るようになった。昨年1月に右ひざを手術。障害者手帳を持ち、神戸市内で開かれている「震災障害者の集い」に顔を出した。

 「初参加のとき、ぼろぼろ涙が出た。ボランティアさんに『ここは泣いていいとこですよ』と言われて…」。走り続け、やっと癒やされる場を見つけた気がした。

 センターでの語り部は今年で10年目になり、月の半分以上は通う。「わずか10秒で多くの命が奪われました」「多くの支援をいただき、ありがとうございました」。伝えたいのは、あのときの悔しさと感謝の気持ち、命の尊さ。足は痛むけれど、今年の1月17日もフロアに立ち、来館者を出迎える。

(岸本達也)

 【特集】阪神・淡路大震災

(2011/01/07) 神戸新聞


当時、ご近所さんやったんですね。
寝室にたまたま家具があまりなく、助かったんですが・・・

派手な建物倒壊や火災がなかったので、なかなかピックアップされない地域での被災。
そこでも、震災障害者がいるという事実は知ってほしい。
戦争って周到に準備されている [2010年11月25日(Thu)]
北朝鮮と韓国との間でなにやら起きていますが、北朝鮮とアメリカの動きがどこか変に感じます。
そう感じるのはミャンマーとタイの動きからです。
数日前、ある事情通から、あくまでも私の予想ですが・・・という話を聞いた。
それは、約3週間前にミャンマーのカイン州で起きたミャンマー軍とカレン族との紛争に北朝鮮の武器が使用されたのでは?という内容でした。
あくまでも状況を観察していて感じることとして・・・という話です。
去年の12月に、タイのドンムアン空港で北朝鮮からパキスタンに向かう荷物から35トンの武器が見つかったということがあったのですが。しかも、処理費用として米国から金が出ていたそうな。それが、不思議なことに消えてしまったんですよね。
その一方で、「戦場に架ける橋」で有名なカンチャナブリ県の国境近くの町、サンクラブリに向かう道路が、ただでさえ状態が良かったのに、さらに10センチほどアスファルトがかさ上げされたのだそうです。戦車が走っても大丈夫なぐらいに・・・・。
しかも、ここ数年、サンクラブリの街周辺には、白人が経営にからんでいる難民を受けいける施設が次々と出来たり。ホテルが新しくでき。ミャンマーで何かが起きて、ビルマ人難民が来ても大丈夫なようになって来ているそうな。
また、ある人権がらみの集会が行われた時、メインの会場ではないところに、仏教系カレン族の幹部人が集められ、そこにスーツにサングラスの白人2名がお金を渡すということが目撃されたという話も聞きました。
その後、整備された道路に、普段通らない、なにも書かれていない巨大なタンクローリーが何台も往復したそうです。通常タンクローリーには、会社の名前や内容物と積載重量が書かれているのですが、そういうものはなく、なにか異様だったとのこと。
そして、今月頭のカレン族とミャンマー軍との小競り合い。今までは、キリスト教系のカレン族が戦闘に関わっていたのですが、今回は武器を持っていなかったはずの仏教系カレン族が武器を手にして戦闘に加わっていたのだそうな。そそ、あの山路さんの拘束されたあの騒ぎ。
で、つい10日がばかり前の11/15に、タイで拘束されていたロシア人の武器商人と言われるボウトを米国に司法取引で引き渡した。
つまり、彼が北朝鮮から運んだ武器が無事に使われたから契約成立ということで、アメリカに引き取られたのではないのかということになる。
しかも、アメリカ製の武器が使われないから、アメリカのせいにはならない。で、本番になればアメリカの武器産業が大手を振って武器を持ち込む。ってか。相当なやり手。一件落着。
日本では武器輸出三原則を緩和しようとしてますが、このような手口で、想定していた納品先でない所に武器が流れるってこともある。だから日本に有利なところだけにという変な口実をつけて緩和するのは意味がない。

さて、話は38度線に戻って。今回は、いや、今回も軍事演習中に騒ぎが起こっています。しかも米韓合同演習。
狙う側としては、演習中に本物の戦闘が行われると、指揮系統が混乱するため、狙い目ではあるのですが。やっぱ変ですよね。
現地に行けば周到に準備された何かがあるのかもしれませんね。
北朝鮮が時々アメリカのシナリオに乗ることで、お金をもらうと共に、国の威厳を保っているなら、今回の件は日本の思いやりを増大させるためのヤラセ・・・。沖縄の知事選もあるしね。

どこがとは、言い切れないけど、平和でないことで暮らしている人、莫大に稼ぐ人、本人の意図とは違うかもしれないけど、お金で平和を売ってしまう人がいるんですよね。
水害の被災地、タイと奄美との違い [2010年10月22日(Fri)]
今、奄美とタイで大きな水害が起きています。
まずはお見舞い申し上げます。
さて、奄美とタイでは、情報面で明暗が分かれているそうです。
奄美の方では、アメダスから通信が途絶えたり、携帯電話もあまり機能していないそうです。

タイでは、Dr.キャップがtwitterで洪水の被害状況を伝え、的確な支援が実現しているのだそうです。

奄美の方は高齢化が進み、情報機器が使えないとか、離島と言う、地形の問題もある。
一方でタイでは洪水は日常茶飯事、停電も当たり前、4月には大規模なデモがあって危機管理が出来ていたということがある。

日本では、twitterで募金の呼びかけなどが始まっているそうだ。しかし、これは、あくまでもドナー側の声である。

だが、支援者はあくまでも支援をする立場。

災害の主役は被災者である。

2年前、岩手・宮城内陸地震で孤立した耕英地区のくりこま高原自然学校では、携帯電話のメール機能を利用したブログ投稿などで支援の輪が広がったという事が起きた。

被災者から、被災地の情報をいかに簡便に外部に発信できる仕組みと、Dr.キャップのように的確に情報を整理して発信できる人材や仕組みを育てるなど、機転が利く人を育てる教育が必要だと感じています。



October 22, 201009:04
Dr.キャップがtwitterで洪水の被害状況を伝え、的確な支援が実現
http://am6.jp/dhJkmP
豪雨による洪水被害が続くナコンラチャシマー県で、県内最大の病院でありながら浸水により機能不全となっているマハラット・ナコンラチャシマー病院のナッタクン・ヤムプラサート医師(通称:Dr.キャップ)が、自身のツイッターアカウントを通じて病院の被害状況を示す写真を掲載したことで、当局による対応 がスムーズに行われていたことが分かりました。Dr.キャップは、「私たちが直面している状況を知ってもらうために、私は、#Thaifloodというタグを付けて、ツイッターに写真を公開しました。」と話しています。


10.53 น. การขนย้ายเวชภัณฑ์เป็นไปอย่างทุลักทุเล #thaiflood | Plixikwout via

日曜日(18日)午後、同病院では床上浸水が発生し、1階の病室にいた患者らは上の階に移らざるをえませんでした。その後も水かさは増え続け、夜半過ぎに最高レベルに達しています。

「アップした写真を、私のフォロワーたちがリツイート(RT)してくれて、どんどんと拡大していきました。ほんの数分で、あっという間に拡散したんです。」と、Dr.キャップは、初めて写真をアップした時の状況を説明しました。

Dr.キャップは、ツイッターを通じて写真をアップしたほか、断水と停電により確保が難しくなっている飲料水や食料、懐中電灯などの支援を求めるメッセージを送りました。その結果、大量の物資が病院に届けられたのです。

しかし、新たな問題が発生しました。病院には、食事のための食器類などが不足していたのです。そこで、Dr.キャップが、「皿とスプーンが欲しい。」とメッセージを送ったところ、「何百枚ものプラスチックの皿とスプーン」が届いたということです。

また、Dr.キャップは、自身の働く病院以外にも、周辺の病院でも困難な状況が発生していることなどをツイッターで伝えるなど、現地からの生の情報を発信し続けています。.
タイ政府、間違った津波情報で住民避難させ謝罪 [2010年09月15日(Wed)]
タイの津波被災地で、津波避難訓練の30分後に、誤報の津波警報を流し、住民が避難をするという事が起こったとのこと。
タイ政府の素晴らしいところは、個人ではなく、システムの問題だと発言したことです。
医療事故など、事故が起こったとき、真っ先に当事者に対し、容疑がかかり非難が集中したりするわけですが。実際には、いろんな要因があり、たまたま最後の引き金を引いてしまった個人に対し責任が集中し、組織としては保身というか責任を回避するような行動が起こることをがあります。
それが、システムに問題があっても、個人に責任を負わして、システムの問題が解決できず、また同様の事故なりが繰り返されるという事に繋がります。
スケープゴートが作られ、ガス抜きで終わり、システムの根本の問題が解決しない。
こういうことって、今の日本の組織(官・学・産いずれも)によくありますよね。
そんな日本の現状からすると「誤報はシステム上の問題で、人員によるミスではない」とのタイの副首相の発言が、すがすがしく感じられる。


タイ政府、間違った津波情報で住民避難させ謝罪
 [バンコク 14日 ロイター] 
タイ政府は14日、津波情報を間違って流したことで、同国南西部パンガー県の住民を無駄に避難させたとして謝罪した。パンガー県は、2004年12月に発生したスマトラ島沖地震での津波で被害を受けた地域。

 同県では13日、津波が来るとの情報を受けて数百人の住民が避難していた。誤報が流れる30分前には、2004年に被災した村で避難訓練が行われたばかりだったという。

 2004年に発生した津波ではタイだけでも5398人が死亡、約3000人が行方不明となるなど多くの犠牲者が出ていた。タイ政府は津波警報システム強化に努めているが、被災した6つの県では、過去の避難訓練での警報の音量が低いなどと住民の間では苦情が出ていた。

 13日の誤報を受けて、住民は警報センターの職員を解雇するよう要求していたが、ステープ・トゥアックスバン副首相は「誤報はシステム上の問題で、人員によるミスではない」と強調している。
Google Mapに残る津波のすさまじさ [2010年08月10日(Tue)]
最近のカメラにはGSPがついているので取材先の記録用に利用しているのですが。データの管理をするために先日行ったプラートーン島の航空写真を見て愕然とした。日時はわからないが写真は津波後復興住宅が作られる最中のものようです。
どろんこ遊びや浜辺で遊んだことのある人はイメージできるかと思いますが。水が流れた後の砂の形や、波が打ち寄せた後の砂の模様、または鍋の時のアクがつくる文様が島の半分以上にわたって出来ているんですよね。普通砂遊びとかで観察するときは、たかが20-50センチとかそんなぐらいの大きさなんですが、それが5キロとか10キロとかそういうスケールで起こっている。
そして、先日訪れた、いまは植物に埋もれた旧部落の破壊された学校などの施設の基礎部分も確認でき、新しい復興住宅街の造成も始まっているのが航空写真で確認出来る。(地上の現在の様子の記事)


Google Map より キャプチャー


インターネットではツイッターなど情報が消費されていくのを前提としたサービスが受けててるが、その一方で、サーバーに過去が残っていく。そして、時には思いがけない過去に驚きを感じることになる。
それぞれの1.17 [2010年01月19日(Tue)]
15年経ってしまいました。

今年は15周年で、しかも週末ということで、どこもかしこも、追悼イベントです。
皇太子夫妻が公務で来るということで、交通規制が引かれたりしていました。

テレビも、ローカル番組を中心に、震災の特集だらけ。
ですが、復興住宅の高齢化の問題と15年前のことを取り上げるものがあまりにも多い。
復興住宅は、高齢者を優先して入居してもらったので、最初から高齢化の問題が予想されたのに、いまだに解決されていない。高齢者ばかり集めたため、若い世代がおらず、世代交代ができないのも、ちょっと考えればわかるはず。
まあ、高齢者の多い、木造住宅の密集地域が大きな災害を受けたから仕方がない面があるにせよ、お年寄りを敬いたい気持ちが優先したのも当然ですが、いまだに問題を引きずっていることが、なんでできへんのやと思ってしまう。

報道を聞いてあきれたのは、震災障害者の対策が、なんと震災から15年以上経った来年度から始まるそうな。
・・・・・・

いまだに、更地や基礎のまま放置している家もあるのですが、見た目の建物ばかり作って、いま生きている人のことを置き去りにしているように感じてならない。そして、毎年1月17日になると、亡くなった方のことばかり報じる。
ご遺族のお気持ちもあるのですが。ご遺族の暮らしはどうなの?って思ってしまう。そっちが心配。

ドキュメンタリー「STILL ALIVE 2005年プーケットで何が起きたのか」の中で、プーケット在住の方が言うのですが。
「悲惨な状態の人を"いじくる"のが、今の日本のマスコミにありますよね。いじくるなら、いじくるのでいいんですけど、ケツ持っていただきたい。」

悲しいのも、悲惨なのも、仕方がない。いまだに復興できずにいるのも事実です。
でも、前を向いて歩こうとしているのに、過去の・・・しかも、無くなってしまった、取り返しのつかないことを、無理やり掘り起こしてまで、過去に縛り付けて悲惨さを訴えるのは考えものです。
そのため、前を向いていこうとしている人の、成果が報じられる時間やスペースを大きく割くのはごめんです。

まあ、そんなメディアや、そういう報道を楽しみにしている方たちへの不満もあるのですが。

そんな中で、東京の製作ながらがんばってくれた番組がありました。
さをり織りを紹介してくれた「地球アゴラ」です。

難を言えば、ドナー側の立場の方が多かったのが唯一残念だったのですが。
いろんなえらい目にあったけど、それが、世の中の役に立つのであれば、浮かばれる。
そんな番組でした。




今回は、STILL ALIVEを、神戸で上映したのですが。
会場からこんな声が・・・・

「豚インフルエンザの件で、神戸から発病した方が出たけど。過剰な報道のおかげで、大阪なんかに行ったら、神戸の人ということで、病気がうつるんちゃうかということで、差別的な対応を受けた」

今では、新型インフルエンザと言われていますが。
実際は、毒性は季節型インフルエンザより弱く。特効薬といわれるタミフルは、世界の7割を日本で消費している。

地味でも、見る人は見る。
だからこそ、フォローする報道を続けてほしいし。
ちゃんとフォローした報道を、見た人が良かったよとか評価してほしい。
そうすれば、こういう報道は、ウケるんだ。スポンサーもよろこぶで。
ってことになる。


津波避難施設が続々完成 [2009年12月05日(Sat)]
今回、津波被災地を回ってみて防災面で目だったことの一つは、平坦地の避難施設の充実です。



Leam Pakarangという岬の近くの避難施設
TSUNAMIの英文表記もみえる


この岬は、海流のいたずらでできた砂嘴による岬のため低い土地が広がっています。
津波が来たら何キロも逃げないといけないので、このような施設が必要となっています。

そんなことで登ってみました。



絶景です。

近くに漁村があるので、船が停まっています。
遠浅なので、歩いて船まで移動です。




ちなみに、普段の目線ではこのように見えます。
ハマヒルガオがいっぱいさいています


津波避難施設の思わぬ効用は、大きな日影ができたということです。
子供たちが日影で遊んでいます。
この地域は外国人観光客が多いので、子供たちは、知っている限りの外国語で話しかけようとします。



これと同じ施設は、コーカオ島でも建設が進んでいました。
こちらは、島の真ん中に近かったのですが、前回の津波では島のほとんどが津波で覆われたこともあるのではないでしょうか。
高さ5メートルの恐怖 [2009年07月21日(Tue)]
山口県をおそった豪雨による鉄砲水ですが、防府市では高さ5メートルに達したとか。
タイの津波被災地で一番多くの死者行方不明者を出したナムケム村の津波の高さが高さ5メートルと言われており、地上での高さは2.6メートルだったと言われているわけですが、その村だけでも千人を超える死者行方不明者が出ました。
土石流は津波に比べれば範囲は狭いわけですが、2.6メートルでもかなりひどいのですから5メートルは相当なパワーだと思われます。しかも、水だけでなく石なども流れてきますからね。
津波にしろ土石流にしろ、流されてきた車が凶器になるようです。

まだまだ、豪雨が続くようですし。すでに降った雨量が尋常じゃないので、再び土砂災害がおきないことを祈ります。



<豪雨>「高さ5mの鉄砲水」、家屋次々に浸水…山口・防府
(毎日新聞 - 07月21日 21:03)

土石流が流れ込み、行方不明者らの捜索活動が続く特別養護老人ホーム「ライフケア高砂」=山口県防府市で2009年7月21日午後5時56分、本社ヘリから貝塚太一撮影
 流れ出た土砂が老人ホームに襲いかかり、車をのみ込んだ。21日、山口県防府市の山間部を見舞った梅雨末期の豪雨災害。国道を襲った土石流は午前と正午ごろの2回あり、国道を約2キロにわたって土砂で埋めた。住民は「信号機(高さ約5メートル)ほどの鉄砲水が襲ってきた」と恐怖に声を震わせ、近くの中学校体育館などの避難所で不安な夜を過ごした。【脇山隆俊、丹下友紀子、中尾祐児】

 死者・行方不明者が相次いだ防府市真尾の特別養護老人ホーム「ライフケア高砂」から1キロ離れた場所に住む久保田稔さん(62)は午後0時50分ごろ、テレビを見ていた。突然「ゴオー」という音が響きはじめ、北と東西の3方向から「ドーン、ドーン」とすさまじい音を立てながら、土砂や岩、木が押し寄せてきたという。乗用車と軽自動車が目の前を流れ、「家の前は川のようだった」。そのうち、土砂などが家に押し寄せ、居間のサッシが久保田さんに直撃し、両足にケガをした。

 また近くに住む国村シノブさん(66)は「滝のような雨と雷に震えるしかなかった」と、その時を振り返った。真尾地区では真尾川上流の山が崩れて樹木が濁流とともに流れ出し、ホーム以外にも家屋の浸水が相次いだ。近くの山で2カ所が崩れ、茶色い濁流とともに杉などの大木数本や砂利が道路を流れていった。国村さんが老人ホームの近くにいくと、屋上に避難したお年寄りたちをヘリコプターにつり上げて救出していた。さらに、救急車が近寄れないため、レスキュー隊員が濁流につかりながらお年寄りを担架で1人ずつ運び出していたという。

 ホームの下流約500メートルに住む主婦、国村正子さん(50)は「あっという間に家の周りが海みたいになった」と当時の様子を語る。午前中、いったんは小康状態になった雨が正午前後に再び降り始めると、1時間もたたないうちに自宅前の川があふれ、外に逃げる間もなく、ヘドロまじりの濁流が家屋に迫ってくるのをただ窓越しに見ているしかなかったという。

 ◇土石流2度

 土石流があった国道は山口市と防府市を結ぶ幹線道路。市境にある佐波(さば)山トンネルを防府市側に抜けた道沿いに佐波川の支流が流れる。

 現場近くに住む20代の夫婦によると、21日午前10時半ごろ、支流がはんらんし、直径約1メートルの石を含む土石流が国道に流れ込んだ。その後、雨が小康状態になったため、市消防署員や住民が土砂の撤去作業を開始した。

 しかし、正午すぎ、「どぶのようなにおいがした」と異変に気づいた直後、外から「うわーっ」という消防署員の悲鳴が聞こえたという。すぐに窓から国道に目を向けると、車両用の信号機(高さ約5メートル)の高さほどの鉄砲水が一気に国道を駆け下った。

 また、国道から脇の市道に土砂が流れるのを防ぐため、近所の人と土のう積み作業をしていた無職の男性(60)は「突然、高さ3メートルぐらいの木片や岩石の塊が、自分たちの横を通り過ぎていった」と恐怖を振り返った。
一年前の5月2日は何があったのでしょう [2009年05月01日(Fri)]
一年前の5月2日は何があったのでしょう。

それは、ミャンマーにサイクロン「ナルギス」が上陸した日です。

そのあと、四川で大地震があったりして、ついつい忘れてしまっているのではないでしょうか。


そんなことで、ミャンマーのサイクロン被害のその後をしるイベントがあります。


5/2(土) ミャンマーサイクロン被害1周年、ミャンマー被災地最新レポート 
  ふろむ・あーす & カフェ・オハナ
  スライドトーク: 地球市民ACTかながわ 事務局長 伊吾田善行
  19:30〜21:00 
  参加費:無料(カンパ制)





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パチンコ屋が災害時一時避難所に・・・ [2009年01月27日(Tue)]
1月31日に横浜市の日吉にある協生館藤原洋記念ホールにおいて「社会貢献フォーラム 災害と社会貢献 〜その時に備えるために〜」が行われます。



元日本代表サッカー選手の北沢豪氏など、著名人がパネリストとして参加する中で個性的なパネリストも参加します。
それは、東横グループという遊戯施設つまりパチンコ屋さん事例も発表されるようです。それは、災害時に店舗や駐車場を開放できるようにするしくみを作ったり、非常食を景品とすることで、常に景品がうごきつつも、非常食や水を備蓄する仕組みをつくり実施しているというものです。
遊戯施設は、ネガティブなイメージがあり。すばらしい取り組みをしていても、メディアに載りにくい傾向があるだけに、貴重な機会だと思います。

【参考サイト】東横グループ http://www.toyoko.jp/


社会貢献フォーラム 災害と社会貢献〜その時に備えるために〜

災害と社会貢献〜その時に備えるために〜
戦後60年を経て日本は目覚ましい経済発展をとげましたが、残念ながら日本人の心の中に「他者のために何かをする」、「弱いものをみんなで支援する」といった精神が薄らいでしまっているのではないでしょうか。そうした中で「社会貢献」ということは、これからの日本の社会作りの大切なカギを握る活動になるといえます。

名称 社会貢献フォーラム

災害と社会貢献〜その時に備えるために〜

日時 平成21年1月31日(土)
開場−13:00
開演−13:30(終演予定/15:40)
会場 協生館藤原洋記念ホール
(慶応義塾大学日吉キャンパス内)

主催 全日本社会貢献団体機構
神奈川新聞社・全国地方新聞社連合会

後援 国土交通省景品河川事務所・神奈川県・横浜市安全管理局・NHK横浜放送局・
tvk・共同通信社・全日本遊技事業協同組合連合会・神奈川県遊技場協同組合

【講 演】

村山貢司 むらやまこうじ
天気予報士

(財)気象業務支援センター専任主任技師。
1949年東京生まれ。’72年東京教育大学卒。
同年財団法人日本気象協会入社。
’75年からウェザーキャスターとしてテレビ・
ラジオに出演。’80年よりNHKニュース7を
はじめ、NHKの主要なニュース番組のキャスターを歴任。’03年、財団法人気象業務支援センターに入社。
’06年まで、NHKニュースおはよう日本や
NHK週間ニュースの気象キャスターを担当。
現在は気象と健康、地方環境に関する業務に携わる。

【フォーラム】

北澤 豪 きたざわつよし
元サッカー日本代表

中学時代は読売サッカークラブ・ジュニア
ユース所属。修徳高校卒業後、本田技研
工業入社。海外へのサッカー留学・日本代表初選出を経て、読売クラブ(現東京ヴェルディ
1969)へ。日本代表として多数の国際試合で活躍。’03年現役引退。また、社会貢献活動にも積極的に取り組み、サッカーを通じて
世界の子ども達を支援できる環境作りを目指す。日本サッカー協会国際委員、JICAオフィ
シャルサポーターとしてサッカーの発展・普及に向けての活動を行っている。


金子 郁容 かねこいくよう
慶應義塾大学教授

1948年東京生まれ。
慶應義塾大学工学部卒。一橋大学商学部教授等を経て94年より現職。’99年から’02年まで、慶應義塾幼稚舎長兼務。’07年より研究科委員長。専門は、情報組織論、ネットワーク論、コミュニティ論。ボランタリーな組織原理とコミュニティ・ソリューションの可能性を探る。地域コミュニティが作り運営する学校『コミュニティ・スクール』を提案し、各地でスクールの運営支援をしている。


渡辺 渉 
神奈川新聞社 報道部記者

1974年、横浜市生まれ。
中央大学経済学部卒業。
’96年神奈川新聞入社。報道部、三浦支局、
小田原支局などを経て現在は県警担当。
2004年の新潟県中越地震、’07年の同県
中越沖地震を取材。


飯島 隆史 
株式会社東横商事代表取締役社長

1960年,横浜市戸塚区生まれ。
駒沢大学経営学部卒業。
’92年(株)東横商事代表取締役に就任。
2008年神奈川県遊技場協同組合副理事長
就任。
健全な地域社会づくりを目指し、飲料水や
非常食、防災用品などの備蓄事業を全店舗にて継続している。


宮崎 緑 
千葉商科大学教授

慶應義塾大学大学院修了。
NHK「ニュースセンター9時」初の女性キャスターに就任したジャーナリストとしての経験をいかし、専門の国際政治学および政策情報学に実学としての体系を導入。
千葉商科大学政策情報学部助教授を経て
現職。神奈川県教育委員。



応募方法 ※郵送・FAX・インターネットでお申し込みください。

●郵便の場合
はがきに郵便番号・住所・名前・電話番号・参加人数を記入して下記へお申し込み下さい。
〒150-0047 東京都渋谷区神山町5-5 NRビル5F
「社会貢献フォーラム」事務局宛
●FAXの場合
郵便番号・住所・氏名・電話番号・参加人数を記入して
03−5790−0308へお送りください。
●インターネットの場合
こちらの応募フォームからお申し込みください。

お問い合わせ 「社会貢献フォーラム」事務局 
TEL:03−3466−7909

受付時間:月〜金(祝日を除く) 午前10時〜午後6時

主催:全日本社会貢献団体機構 http://www.ajosc.org/
後援:神奈川新聞社 http://www.kanaloco.jp/top/index.html






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鯰絵に見る庶民の感情 [2008年11月26日(Wed)]
いま東京消防博物館にて「鯰絵」の展示が行われています。
「鯰絵」とは、江戸時代末期に襲った安政の大地震の直後に出回った鯰の絵が描かれた瓦版です。
当時は地震の原因が鯰で、鹿島大明神が要石で鯰を押さえつけて地震を押さえ込んでいたと考えられていました。

余談ですが、最近、千葉県北部付近の地下に大きなプレートがあるという報道がありましたが、鹿島神宮の位置からすると、鹿島大明神を祀ることで地震を押さえつけているというのは妙にリアルな感じがします。

さて、その鯰絵ですが、その内容は、地震で恩恵を受けた人の姿を描いたものが多いのです。
鹿島大明神が生け捕りにした地震鯰を、蒲焼き屋で蒲焼きにしてもらおうとしているところを、地震で恩恵を受けた、大工、鳶、左官そして、かわら版の絵師などが引き留めるというものや。大鯰に対して、地震で儲けた材木問屋、鳶、商人などが餅や小判をわたしながら、今後の希望を話していたりという風に。
地震で被害を受けた庶民が、地震に乗じて儲けている人たちへの気持ちを代弁するものであるとともに、政治批判や風刺という内容になっていました。
そんなことで、地震後2ヶ月で、幕府の処罰の対象となったそうです。

災害復旧は必要なことですし、そこで正当に報酬をもらうのは当然のことですが、誰かが不幸をきっかけに儲かっている事が透けて見える事が、被災者にとって愉快な話ではないことがあるということが、この「鯰絵」から見えてきます。

その庶民の感情が高まると、政治がうまくいかなくなるという判断が、鯰絵の禁止に繋がったのだと思います。

最近、兵庫県知事が、関東大震災はチャンスだというような発言をして問題になりましたが。
災害が商売のチャンスになる人がいて、しかも、政治と連動しやすい商売のひとだったりするわけで。被災者の感情を考えない発言だと言うよりも、本当のことだからこそ発言についてクレームをつけたのではないかという気がします。そこには、災害関連産業について、庶民にあまり勘づいて欲しくない政治の力がかかったのではという気がします。おかげで、政治家からのクレームが多かった。
それは、それで、政治的な混乱が起きたらデメリットもあるからわかるのですが、被災者の感情を考慮したふりをして、クレームをつけたような空気を感じたのが私にとっては不愉快でした。

それだけに、鯰絵に妙に共感がもてるのよね。



兵庫県知事チャンス発言、官房長官「残念だ」
 
河村建夫官房長官は12日午前の記者会見で、兵庫県の井戸敏三知事が11日に関東大震災は関西にとってチャンスだと発言したことについて「兵庫県は阪神大震災で大変苦労した痛みを十分ご存じのはずだ。全国が心配して協力したのに、その県の知事なので残念だ」と批判した。

 井戸知事は自らの発言について「(災害時に)第二首都機能を関西で引き受けるべきだとの思いだった」と釈明している。(11月12日 12:38 日本経済新聞)



この記事を読んで、全国が心配して協力したことは事実ですが、いつまでも恩着せがましく言われたくないと感じました。



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都賀川と呼ぶからピント来ない [2008年07月28日(Mon)]
神戸市灘区を流れる、都賀川が急に増水したため4人が亡くなった。
しかも、若い女性と幼い命を奪った。

私は、いまから15年ほど前、神戸市灘区の出版社で働いていて、その寮が大石川の近くにあった。そのため、都賀川というより、大石川と呼ぶ方に慣れている。
大石川というのは、今回の事故があった都賀川の下流域の別称なのですが。
都賀川というより、大石川と言った方が、災害が起きにくかったのではないかという気がしてなりません。

神戸市の東灘区、灘区など、六甲山の南側は、急な傾斜地で、危ない川が多い地域です。
都賀川から東に2キロぐらいいったところに「石屋川」という川が流れています。
この「石屋川」は、「石が矢のように流れてくる」ので「石屋川」と言うと子供の頃に教わりました。
今回の都賀川の急な増水と、全く似た状況です。

今回の事故で注目したいのは「大石」という地名です。
都賀川の下流域を、「大石川」と呼び、阪神電鉄の駅名となっている「大石」という地名があるわけですが。
「大石」という地名の多くは、大きな石があったということから、名付けられています。
とかも川の名前として「大石川」と名付けられていたということはは、上流から大きな石が流れてきていたという事を表していて。普段は水量が少ない川ですが、時には大きな石が流れてくるだけの激しい水量になる事を意味していたと思います。

この急流は、酒蔵の精米工場の動力源としての水車を動かし、人力では出来ない精米を実現したことが、灘を酒所にしたそうで。大石川の脇には「沢の鶴」の酒蔵がある。

いまでこそ、神戸では、阪神大震災の前の年の兵庫区の水害ぐらいしか、大きな水害が起きていませんが、かつては、大きな水害が幾度と無く襲っていたそうです。
そのため、人々は、堤防を築くのですが、すぐに川底に土砂が埋まり、また堤防を嵩上げするということを繰り返したために、天井川と呼ばれる、川の堤が高くなり、水面がまわりの家より高くなるという事になりました。

JR神戸線は、芦屋川と住吉川の下をトンネルでくぐっているのですが、それは、都賀川と平行して流れる、芦屋川と住吉川が天井川だからです。ちなみに、石屋川も天井川で、かつては、国鉄が下をトンネルでくぐっていました。
その一方に、阪神電鉄は、堤の高い天井川の上か堤に駅を置くことで、下り坂を利用して加速し、上り坂を利用して減速するようにしていて。100年以上前の古い性能の電車を効率よく運行するために利用していました。

都賀川の様子がテレビで流されていて気が付いた人もいると思いますが。
都賀川の両岸は、コンクリートの平らな場所があります。
これは、増水したときのために、氾濫原を広くとっています。

このような努力のおかげで、神戸ではここ最近は水害が少なくなっているわけですが。
それだけに、川の恐ろしさが、伝わらなかったのが、今回の事故の原因だと思います。
せめて「大石川」と言っていれば、カンのいい人ならこの川は危ないと意識すると思います。

お亡くなりになった方のご冥福をお祈りします。




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ドキュメンタリー映画「STILL ALIVE 2005年プーケットに何が起きたのか」
まいける東山監督作品 ドキュメンタリー映画「STILL ALIVE 2005年プーケットに何が起きたのか」