「法的にちゃんとやってください」の解釈
[2010年07月15日(Thu)]
紛争って、言葉の解釈から起こることが多い。
同じ言葉でも立場が違えばとらえ方が違ってくる。そのために無意味と思える訴訟が起きているようです。
監督官庁の役人に「法的にちゃんとやってください」と言われたもんだから、本当は法に則って手続きを済ませばいいのに、法的に訴えちゃったという事が起きたのだそうです。
共同体としての生活の中では、自分たちで決まりをつくり実践していくことになるわけですが。昭和33年には自活できるようになって以来エコビレッジ的な生活を続けていて、いきなり監督官庁に「法的なこと」と言われ、びびってしまって過剰反応してしまったんでしょうね。
小さなコミュニティでは客観的に判断できずに突っ走ってしまう傾向があり、しかも高齢化していることも思い込みから脱することが難い。しかも生真面目。今回の訴訟に至った、不運な要因ってところでしょうか。
また、訴える前に一言相談してほしかったと職員の方は言ってますが、それは難しいことだと思います。一度、思い込んでしまったら、そういう発想わかないと思います。
役所というか、お店なんかもそうですが、職員たちにとっては日常のことなのですが、利用者にとっては非日常で、一生に一回しか縁のないことも多々あるわけです。だからこそ、話せないこと、相談できないことがある。
しかも監督官庁ということでは、下手な話をすると困ったことになるのではというようなことで相談に行くのに抵抗感を感じるのが人情だと思います。
この記事ではわかりませんが、職員の方が、ちゃんとコミュニケーションを取れるようにしていたのかが気になるところです。
さて、昔、勤めていた会社で「情報発信者が責任を持ちなさい」という社内キャンペーンがあったのですが。これは、指示をきちんと伝える事で、トラブルを減らすことに使われていたのですが。
この数年、実は、もっと奥が深いのではと思うようになってきました。
だから、指示をきちんと伝えるだけでなく、指示以前に言葉の定義が共有されているのか、その言葉が相手にとってどのように受け止められるのか、などを考慮していくことが、情報発信者の責任の一つなのかと思うようになりました。
情報の発信の仕方で、無益な紛争は減らせると思います。
<新しき村>寄付金3500万円返還めぐり無用の訴訟
(毎日新聞 - 07月14日 02:53)
武者小路実篤の「この道より我を生かす道なしこの道を歩く」の言葉が記された門柱がある「新しき村」の入り口=埼玉県毛呂山町で2010年7月9日、大谷津統一撮影
作家の武者小路実篤が創設した生活共同体「新しき村」(埼玉県毛呂山町)で、住民の親睦(しんぼく)団体「新しき村村友会」が、村を運営する財団法人「新しき村」に寄付した約3534万円の返還を求め、さいたま地裁川越支部に提訴したことが分かった。寄付金の使い道に注文を付けた県教育委員会が「法的にちゃんとやってください」などと舌足らずな“指導”をしたため。財団が返還を議決すれば済んだのだが、返してほしい会と返すつもりの財団の間で無用の訴訟を招いた形だ。
5月22日付の訴状などによると寄付金は、村友会(寺島洋会長、65年設立)の住民が毎月4000〜1万円を積み立てたお金で、経理担当者が亡くなったことから06〜07年に財団(石川清明理事長)へ寄付。高齢者の生活費や子どもの進学費用などに充てていた。しかし08年10月、財団を所管する県教委から「公益目的の事業だけに使用しなければならない」と指導を受けた。
元・現村民や支援者らがメンバーの財団は09年11月、寄付金の返還方法を県教委に相談。「法的にちゃんとやってください」などと説明され、それを伝え聞いた会は提訴した。県教委の担当者は「財団が評議会で議決を得れば返還は可能という意味だった。提訴前にもう一度相談してほしかった」と釈明する。
寺島会長は提訴について「気持ちよくはないが、県も仕事がいっぱいあって大変だったんだと思う。双方納得してお金を戻したい」。元村民でもある石川理事長は「自分たちの蓄えを使えなくなるとは」と県教委の指導に戸惑ったといい、訴訟について「会とのしこりはない。県を責めるつもりもない」と話す。【大谷津統一】
◇新しき村◇
白樺派の作家・武者小路実篤(1885〜1976)が「人間らしく生きる」との理想を実現しようと1918(大正7)年に宮崎県木城町に設立。ダム工事のため住民の大半は39(昭和14)年、毛呂山町へ移った。住民は一緒に農作業や食事の準備をし、余暇は自由に過ごす。最盛期の約4分の1の17人が今も共同生活している。
同じ言葉でも立場が違えばとらえ方が違ってくる。そのために無意味と思える訴訟が起きているようです。
監督官庁の役人に「法的にちゃんとやってください」と言われたもんだから、本当は法に則って手続きを済ませばいいのに、法的に訴えちゃったという事が起きたのだそうです。
共同体としての生活の中では、自分たちで決まりをつくり実践していくことになるわけですが。昭和33年には自活できるようになって以来エコビレッジ的な生活を続けていて、いきなり監督官庁に「法的なこと」と言われ、びびってしまって過剰反応してしまったんでしょうね。
小さなコミュニティでは客観的に判断できずに突っ走ってしまう傾向があり、しかも高齢化していることも思い込みから脱することが難い。しかも生真面目。今回の訴訟に至った、不運な要因ってところでしょうか。
また、訴える前に一言相談してほしかったと職員の方は言ってますが、それは難しいことだと思います。一度、思い込んでしまったら、そういう発想わかないと思います。
役所というか、お店なんかもそうですが、職員たちにとっては日常のことなのですが、利用者にとっては非日常で、一生に一回しか縁のないことも多々あるわけです。だからこそ、話せないこと、相談できないことがある。
しかも監督官庁ということでは、下手な話をすると困ったことになるのではというようなことで相談に行くのに抵抗感を感じるのが人情だと思います。
この記事ではわかりませんが、職員の方が、ちゃんとコミュニケーションを取れるようにしていたのかが気になるところです。
さて、昔、勤めていた会社で「情報発信者が責任を持ちなさい」という社内キャンペーンがあったのですが。これは、指示をきちんと伝える事で、トラブルを減らすことに使われていたのですが。
この数年、実は、もっと奥が深いのではと思うようになってきました。
だから、指示をきちんと伝えるだけでなく、指示以前に言葉の定義が共有されているのか、その言葉が相手にとってどのように受け止められるのか、などを考慮していくことが、情報発信者の責任の一つなのかと思うようになりました。
情報の発信の仕方で、無益な紛争は減らせると思います。
<新しき村>寄付金3500万円返還めぐり無用の訴訟
(毎日新聞 - 07月14日 02:53)
武者小路実篤の「この道より我を生かす道なしこの道を歩く」の言葉が記された門柱がある「新しき村」の入り口=埼玉県毛呂山町で2010年7月9日、大谷津統一撮影
作家の武者小路実篤が創設した生活共同体「新しき村」(埼玉県毛呂山町)で、住民の親睦(しんぼく)団体「新しき村村友会」が、村を運営する財団法人「新しき村」に寄付した約3534万円の返還を求め、さいたま地裁川越支部に提訴したことが分かった。寄付金の使い道に注文を付けた県教育委員会が「法的にちゃんとやってください」などと舌足らずな“指導”をしたため。財団が返還を議決すれば済んだのだが、返してほしい会と返すつもりの財団の間で無用の訴訟を招いた形だ。
5月22日付の訴状などによると寄付金は、村友会(寺島洋会長、65年設立)の住民が毎月4000〜1万円を積み立てたお金で、経理担当者が亡くなったことから06〜07年に財団(石川清明理事長)へ寄付。高齢者の生活費や子どもの進学費用などに充てていた。しかし08年10月、財団を所管する県教委から「公益目的の事業だけに使用しなければならない」と指導を受けた。
元・現村民や支援者らがメンバーの財団は09年11月、寄付金の返還方法を県教委に相談。「法的にちゃんとやってください」などと説明され、それを伝え聞いた会は提訴した。県教委の担当者は「財団が評議会で議決を得れば返還は可能という意味だった。提訴前にもう一度相談してほしかった」と釈明する。
寺島会長は提訴について「気持ちよくはないが、県も仕事がいっぱいあって大変だったんだと思う。双方納得してお金を戻したい」。元村民でもある石川理事長は「自分たちの蓄えを使えなくなるとは」と県教委の指導に戸惑ったといい、訴訟について「会とのしこりはない。県を責めるつもりもない」と話す。【大谷津統一】
◇新しき村◇
白樺派の作家・武者小路実篤(1885〜1976)が「人間らしく生きる」との理想を実現しようと1918(大正7)年に宮崎県木城町に設立。ダム工事のため住民の大半は39(昭和14)年、毛呂山町へ移った。住民は一緒に農作業や食事の準備をし、余暇は自由に過ごす。最盛期の約4分の1の17人が今も共同生活している。