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STILL ALIVE

2001 ニューヨーク同時多発テロによる海外渡航自粛
2002 SARS(重症急性呼吸器症候群)による渡航規制
2003 鳥インフルエンザによる東南アジアへの渡航規制
2004 スマトラ島沖地震による津波被害
次は何が起きるのか?

ここ、数年、観光で生きているタイ・プーケットは、毎年のように、数々の苦難が襲っているが、立ち直っている。
しかし、今年、2005年は、すでに津波被害からの復旧が終わったにも関わらず「日本人観光客だけがプーケットに来ない」という現象が発生。それは、タイ・プーケットで、現地のタイの人たちと共に暮らし続けている日本人たちを直撃。それでも、力強く、楽しく、生きている。そこには、今の日本社会が失った大切なものが生きていた。

ブログ名同名のドキュメンタリー映像の製作に関する話題。
風評観光被害の他に、地球温暖化の問題、コミュニティの再生、人間の回復、地域の再生、貧困問題などを取り上げてゆきます。
ツナミクラフトの「さをり織り」の情報。
エコロジーシアター「天の浮舟」情報も。


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砂澤ビッキが通った店 [2010年06月29日(Tue)]
旭川の中心部は1000軒ぐらいの飲食店があるといわれています。
歩行者天国の平和通り買物公園からちょっとずれたところにある古い木造の長屋の店につれていってもらった。
薄いガラス戸を開けて入ると六畳にも満たない部屋に、斜めに配置された5.6人も座れればいいようなカウンターがあり。その向こうにどこかきりっとした女将さんがいた。
この建物は戦後すぐに、満州から引き上げてきた人のために作られた長屋だそうで、いろんなビルが建ってもここが気に入って店を続けているそうです。



年老いた女将さんがひとりで切り盛りする小さなこの店に魅せられていろんな感性の強い人がくるのだそうですが、その一人にアイヌ人の木彫作家である砂澤ビッキがいたという。
1989年に亡くなったのだそうですが、毎日のようにこの魅せに通っていたそうで、あれだけ酒を飲めば命が短くなるよというぐらい酒を浴びていたという。
北海道のお土産というと熊の木彫が代表的ですが。ビッキさんはかたくなに熊を彫らなかったのだそうです。
波瀾万丈な人生を送りつつも、木と向き合っていたビッキさんがなぜ熊を彫らなかったのかの真相はわかりませんが、表現者としての誇りの現れのひとつなのかもしれません。
アイヌ人ということで、計り知れない差別を受けていたこともあったとかその立場にならないとわからないことがあったのだそうですが、ビッキさんがとにかく一生懸命生きていたということを女将さんは感じていたそうです。



ごく普通というか、粗末ともいえるこの店に魅せらてしまう。
なんなんでしょうね。
店っておもしろい。
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コメント
くろ さん グッドな情報ありがとうございます。
Posted by:まいける東山  at 2011年10月31日(Mon) 21:49
初めまして、砂沢ビッキさんの作品の一つである、いころ亭を経営しています。
縁があり10月より経営を引き継ぎました。
ビッキさんが30歳のころの物で、1961年ビッキ工房のサインも有ります。
旭川市3条6丁目松木ビル2階に有ります。
よろしかったら一度ご来店下さい。
Posted by:くろ  at 2011年10月30日(Sun) 14:48
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