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STILL ALIVE

2001 ニューヨーク同時多発テロによる海外渡航自粛
2002 SARS(重症急性呼吸器症候群)による渡航規制
2003 鳥インフルエンザによる東南アジアへの渡航規制
2004 スマトラ島沖地震による津波被害
次は何が起きるのか?

ここ、数年、観光で生きているタイ・プーケットは、毎年のように、数々の苦難が襲っているが、立ち直っている。
しかし、今年、2005年は、すでに津波被害からの復旧が終わったにも関わらず「日本人観光客だけがプーケットに来ない」という現象が発生。それは、タイ・プーケットで、現地のタイの人たちと共に暮らし続けている日本人たちを直撃。それでも、力強く、楽しく、生きている。そこには、今の日本社会が失った大切なものが生きていた。

ブログ名同名のドキュメンタリー映像の製作に関する話題。
風評観光被害の他に、地球温暖化の問題、コミュニティの再生、人間の回復、地域の再生、貧困問題などを取り上げてゆきます。
ツナミクラフトの「さをり織り」の情報。
エコロジーシアター「天の浮舟」情報も。


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分離している街 [2009年07月27日(Mon)]
本日より船橋でのTSUNAMIクラフト展が始まりました。
そんなことで、JR船橋駅の北口に出たところ、不思議な光景を見たのです。
駅を降りた人が、一斉にエスカレーターに乗って登って行くのです。



船橋駅の北側に行きなれないために、よくわからず地上を歩いた後、歩道橋の上に昇ると全く風景が違うのに驚きました。
地上は、車だらけで、歩道は一部を除いて細いく、薄汚い店が多いのですが、歩道橋の上は、屋外に椅子やテーブルの並んでいるカフェがあり。まるで別世界です。

かなり前に故岡並木さんのエッセイに書かれていたのですが、駅前で商売できる範囲は、改札口から400メートルまでなのだそうです。ただし、様々な障害があると、その距離が短くなってしまいます。
エスカレーターがあるとはいえ、いちど歩道橋に上らなくてはならないため、歩道橋から直接入れる店舗は別にして、歩道橋から降りなくてはいけない店舗はかなり苦戦を強いらているのではないでしょうか。
それが、歩道橋の上下の違いの原因のひとつではないかと感じました。



また、JRの高架下には、SHAPO~というショッピングモールがあり、始発から終電まで通れる解放通路になっています。

船橋が東京のベッドタウンとして急速に発展し、多くの人が住むようになったことと、車や自転車の増加で、人と車を分離した結果、人が駅前の地上から追い出された形になってしまったのでしょうか。なにか、いびつな感じがします。



こちらは、高架下の側道です。自転車が歩道に侵入しないように、障害が設けられています。
夕立のときに撮影したので、写真には写っていませんが、この障害のおかげで、人が通りにくく、車道を歩く人も・・・
しかも、車道にはバイクや自転車が放置されていて、歩こうとすると、道路の真ん中になります。
そして、車いすは当然歩道を通行できません。

そんなことで、表側は、なにか殺伐としたものを感じるのですが。
一歩裏道に入ると、昔ながらの建物の「編み物教室」があったり、いわゆる「荒物屋」があったりと、懐かしい感じがします。

どのようなプロセスでこうなったのかわかりませんが、近郊の人がそこに踏み込まれないような街の構造になっているような気がしました。

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