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STILL ALIVE

2001 ニューヨーク同時多発テロによる海外渡航自粛
2002 SARS(重症急性呼吸器症候群)による渡航規制
2003 鳥インフルエンザによる東南アジアへの渡航規制
2004 スマトラ島沖地震による津波被害
次は何が起きるのか?

ここ、数年、観光で生きているタイ・プーケットは、毎年のように、数々の苦難が襲っているが、立ち直っている。
しかし、今年、2005年は、すでに津波被害からの復旧が終わったにも関わらず「日本人観光客だけがプーケットに来ない」という現象が発生。それは、タイ・プーケットで、現地のタイの人たちと共に暮らし続けている日本人たちを直撃。それでも、力強く、楽しく、生きている。そこには、今の日本社会が失った大切なものが生きていた。

ブログ名同名のドキュメンタリー映像の製作に関する話題。
風評観光被害の他に、地球温暖化の問題、コミュニティの再生、人間の回復、地域の再生、貧困問題などを取り上げてゆきます。
ツナミクラフトの「さをり織り」の情報。
エコロジーシアター「天の浮舟」情報も。


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ウタパオ国際空港とパタヤの発展 [2008年12月03日(Wed)]
この一週間ほどPADによる空港占拠でタイの政情が混沌としています。
信用出来る筋からの情報では、26日に戦車が動いていたそうですが(何故か報道されていない)、続報が入っていないので戦車はどこへいったのやらとなっていて、混乱を低減するためにいろんなことが押さえ込まれたようで、あれでも最悪の事態は避けられたようです。
おかげで今月、タイに取材に行く予定も組めない状態です。

それにしても、今回の騒動での観光のダメージは大きく。タイのGDPの6-7パーセントが観光ということなので経済への影響も大きく。来年一年間で、人口が7000万人のうち、観光産業だけで失業者が100万人出るという予想も出ています。
これは、タイの観光産業史において、大きな事件となることは確実です。

さて、タイの観光産業というのは、1960年代から急速に発展し出します。
その原動力は航空産業の発展です。

ます、現在のタイ航空が国際便事業を始めたということです。それまでは、タイ国内の航空会社だったのですが。今から50年前に、スカンジナビア航空との合弁事業で国際便を飛ばしました。そのことが国際観光の急速な発展のスタートでした。
現在も、プーケットには、太陽を求めて、多くの北欧系の観光客がたくさん来ています。

もうひとつは、ベトナム戦争です。
タイは、1941年12月8日、真珠湾攻撃と同じ日に日本軍に侵攻されたのですが。タイ政府は早々に日本と停戦し、ビルマに侵攻したい日本軍のタイ国内通行を認めます。
当時、大東亜共栄圏ということで、多くのアジアの国を、実質的に日本の植民地としようとしたわけですが。タイは日本軍を通過させることで、国の独立性を維持しました。
その後、日本が敗戦し、タイは本来なら日本に協力した国ということで、連合軍側からすると敗戦国側になるのですが。
そこは、アメージングタイランドということで、うまいことやって敗戦国扱いから抜け出します。
抜け出せた理由は、ソ連、中国などの共産主義国・社会主義勢力がインドシナ半島に入ってきたことです。それに乗じて、インドシナの国々は敗戦した日本から独立したわけですが、旧宗主国であるフランスが実質的には植民地を取り返そうとしたのですが、なかなかうまくいかず。共産主義勢力に対抗していたアメリカが加勢したというのがベトナム戦争です。
タイは、第二次大戦の時と同じように、米軍を通過させることで、国の独立性を維持しました。
タイ国内には、米兵がたくさんやってきました。
基地に近い街は、米軍相手の産業が出来、その1つが米兵の遊び場の提供、つまり風俗産業が発展しました。
しかもタイは、遠く離れた国で南国の開放的な雰囲気もあり、自国では禁欲的に暮らしている欧米人やそれを真似た日本人が羽目を外す場所として格好の場所で、ベトナム戦争が終わった後も風俗産業が寂れることはなく。それを目的にする渡航者が観光産業の発展の大きな要因の一つとなりました。
このあたりは映画「闇の子供たち」と関連してきます。

その他に、スパイ映画「007 黄金銃を持つ男」の大ヒット。錫の暴落をきっかけとした、鉱業から観光業へのシフトなどの要因で、リゾート地としてのタイの観光産業が発展します。
007シリーズなどスパイ映画も東西の冷戦があってこそ成り立っているので、東西冷戦があっこそタイの観光産業が成長したとも言えます。

(スパイ映画は、冷戦後、数が減ってる気がします。韓国映画の「シュリ」も基本的には南北の問題つまり東西の問題ですし。ミッションインポシブルシリーズは設定はもともが東西冷戦時のものですし。冷戦後、主を失ったスパイ達がたくさん出てくる「RONIN」も、やはり東西冷戦を意識している。)

今回のバンコクの2つの空港の閉鎖で、苦肉の策として国際便を飛ばしている「ウタパオ国際空港」というのは、実はベトナム戦争と大きな関係があります。
現在もそうなのですが、ウタパオ国際空港は、民間の空港であるのと同時に、タイ空軍と米軍の基地でもあるのです。ベトナム戦争の時は、この空港からベトナムに軍用機が飛んでいったそうです。
そして、ウタパオ国際空港にほど近い国際観光地パタヤは、ベトナム戦争の時に米兵の遊び場として発展し、観光地となりました。

このパタヤも、この8月末からの反政府でもの影響で、ここ3ヶ月はホテルの稼働率が50%を切っていたとのことで。おそらく、今回のバンコクの空港占拠で、壊滅的ダメージを受けているはずです。
その近くの空港から、普段の何倍もの国際便が飛び立つというのですから皮肉なものです。

ウタパオ国際空港が普段の便数が少ない理由は、距離的に下手すれば東京から成田という感じで、パンコクからそんなに離れていないということもありますが、新千歳空港が出来た理由と同じく、軍と共用しているために便数が増やせない部分もありそうです。(米軍がいるからこそ、反政府勢力による占拠が難しい面もあるでしょうが・・・)
そのおかげで、外国人の国外脱出に時間が掛かっています。

ちなみに、パタヤに来ていてウタパオ国際空港から日本に発とうとして、ウタパオ空港に行っても、体制が出来ていないためチェックインが出来ません。
一端バンコク市内の航空会社毎の所定の場所でチェックインして、そこから航空会社が手配したバスや指定の方法でウタパオ国際空港に移動して搭乗することとなります。

なお、プーケット直行便に関しては、帰りにバンコクに寄らずに名実共に成田−プーケット直行便になっているようです。

12/2に、タクシン派に対する選挙違反の日本の最高裁にあたるような裁判所で判決が言い渡され。12/4には、プミポン国王が恒例の12/5の誕生日前日に12/4に演説するため、なんらかの結論がでて一端収束するでしょう。

しかし、毎日、何百億バーツの損害を出してきた上、占拠されていた空港の全ての点検が終わるまで時間がかかると思われるうえ、火種は残ったままなので、正常化するまでにはかなりの時間がかかりそうです。



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コメント
大ちゃんさんカキコミありがとう。

ペンギンの絶滅理由で来ちゃいましたか。
エプリルフールネタで書いた記事ですが、けっこうアクセスがあるんですよ。

とはいえ、地球温暖化による水温の上昇による生態系の変化や、養殖のエサ用のオキアミの乱獲などでペンギンに危機が襲ってきていたりします。
Posted by:まいける東山  at 2009年02月24日(Tue) 02:14
こんにちは。
お久しぶりです。
新宿南口でお会いした大ちゃんですが、お元気ですか。
映像の東山さんですよね。
ペンギンの絶滅理由を検索していて偶然こちらを発見しました。
今もまだあの装置の完成に向けて頑張ってます。
今後とも宜しくお願い致します。
Posted by:大ちゃん  at 2008年12月04日(Thu) 12:36
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