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STILL ALIVE

2001 ニューヨーク同時多発テロによる海外渡航自粛
2002 SARS(重症急性呼吸器症候群)による渡航規制
2003 鳥インフルエンザによる東南アジアへの渡航規制
2004 スマトラ島沖地震による津波被害
次は何が起きるのか?

ここ、数年、観光で生きているタイ・プーケットは、毎年のように、数々の苦難が襲っているが、立ち直っている。
しかし、今年、2005年は、すでに津波被害からの復旧が終わったにも関わらず「日本人観光客だけがプーケットに来ない」という現象が発生。それは、タイ・プーケットで、現地のタイの人たちと共に暮らし続けている日本人たちを直撃。それでも、力強く、楽しく、生きている。そこには、今の日本社会が失った大切なものが生きていた。

ブログ名同名のドキュメンタリー映像の製作に関する話題。
風評観光被害の他に、地球温暖化の問題、コミュニティの再生、人間の回復、地域の再生、貧困問題などを取り上げてゆきます。
ツナミクラフトの「さをり織り」の情報。
エコロジーシアター「天の浮舟」情報も。


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Tsunami Craft Centre 閉鎖に [2007年09月22日(Sat)]
さきほど情報が入ってきたのですが。
雨期に入り閉店していた、タイ南部パンガー県にある、ツナミクラフトセンターが今月いっぱいで閉鎖となる事がわかった。


ツナミクラフトセンターにて


ツナミクラフトセンターは、心のケアなどで作られた製品を、売っていくことで、支援する仕組みとして設立された。
多くの支援事業は、ものを作るということに対しては支援はするが。実際の商売となる、販売には、公的機関やNGOがなかなか支援するわけに行かず。在庫が増えていった。
その様子を見ていた、イギリス人のカレンさんが、流通を支援する仕組みとして設立した。

また、津波被災地の各地でバラバラに行われている心のケアなどの民芸品作りのプロジェクトが、横の連携をするためのコアとなる施設として始まったお店です。
この横のつながりがあってこそ、情報やノウハウがシェアされ、出来上がる製品の品質が良くなっていくんです。

設立当初は、まったく販売手数料をとらず、全て、各プロジェクトに還元していました。
そのうち、維持するために、売上の15パーセントを維持費として経営していました。

4月に最後に行ったとき、お客さんの入りが少なくて、これではやばいのかと思って「招き猫」を置いたのですが。家賃には勝てなかったようです。

わたしの取り扱っているツナミクラフトは、このセンターとの取引から始まったんですが。
この店を応援したいと思ったということもあったんです。

わたしにとって困ったことは、急激なバーツ高に対し、去年の12月にタイ中央銀行は、外貨規制引き、日本からツナミクラフトセンターに送金出来なくなりました。
順調に進み掛けていた頃に、そうなったんですよね。
送金したとしても、30パーセントを、跡で返してくれるとはいえ、1年間タイ中央銀行にとられてしまうのです。

15パーセントの販売手数料しかとっていないのに、30パーセントを塩漬けにされたら、たまったものではないです。これは、募金もしかりです。

本当は、この店が輸出業として登録してしまえば、貿易として認められ、送金出来たのですが。ボランティアで始めた手作りのお店だけに、輸出業の申請手続きがわからなくて、手続きが出来なかったのです。お金が在れば、日本で言う行政書士みたいな人に手続きをさせることが出来るのですが、そうはいきませんでした。
それ以前に、田舎暮らしをしていると、世界情勢やタイ政府の動きが今ひとつ理解出来ていないようで、金融政策のために、中央銀行が規制をかけたという事を理解してもらうのにも時間が掛かりました。それだけ、現地の人には事の重大さが理解されていませんでした。

私は仕方がないので、銀行を使っての送金が使えないので、何度か現地に行き、直接キャッシュで支払ったりしました。しかし、タイを往復するのはこちらとしても大変です。

そんなこともあって、製造現場との直接取引を始めました。あるプロジェクトは、外国に口座を持っていたので、そこに入金する方法で解決しました。また、あるプロジェクトは、日本と往き来している人がいたので、連携をとりました。
しかし、最後に残ったのが、ツナミクラフトセンターだったんです。

自分だけが原因ではないとは思いますし。送金出来ていたら家賃が払えたかはわかりませんが。
思うように送金出来なかったのはほんとに悔しいです。

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コメント
ムツミさんカキコミありがとう

そして、ご心配ありがとうございます。

この写真に写っている数人ですが。
そのうち、1人はカナダに戻り、1人はバンコクのIT企業に戻り。

3人は、手作り石鹸のプロジェクトや草木染めのプロジェクトの件で取引をしていて。
毎月、安定して、発注しています。

そのうち、カタログショッピングなどでも、この方たちの作った製品が手軽に手に入るかもしれません。

肝心のこの店の店員さんですが。
店長さんは、すでに数ヶ月前からプーケットのホテルで働いています。
店番は妹さんがやっていて。
プーケットから妹さんや家族の生活費を送金していたようです。
これで、この家賃に押しつぶされ採算の合わないお店の店番をしなくても良くなったので、少しは気が楽になったのではないかと思います。

もちろん、さをり織りの方も工場と直接取引をしています。

問題はと言うと、いままでの横のつながりが、維持されるかどうかです。
店はなくなっても、組織が残ればどうにかなるのですし。

お店も家賃の安い身の丈にあったものにすれば、再開もあるのではないかと思います。
Posted by:まいける東山  at 2007年09月23日(Sun) 10:37
閉鎖・・・
ここの人達はどうなってしまうのでしょう??

支援って難しいです。
やりすぎると、負担になるし。。。
気にはなるけど・・・自分の生活もある。。。

兼ね合いが難しい
金会いも難しい
Posted by:ムツミ  at 2007年09月23日(Sun) 00:53
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