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STILL ALIVE

2001 ニューヨーク同時多発テロによる海外渡航自粛
2002 SARS(重症急性呼吸器症候群)による渡航規制
2003 鳥インフルエンザによる東南アジアへの渡航規制
2004 スマトラ島沖地震による津波被害
次は何が起きるのか?

ここ、数年、観光で生きているタイ・プーケットは、毎年のように、数々の苦難が襲っているが、立ち直っている。
しかし、今年、2005年は、すでに津波被害からの復旧が終わったにも関わらず「日本人観光客だけがプーケットに来ない」という現象が発生。それは、タイ・プーケットで、現地のタイの人たちと共に暮らし続けている日本人たちを直撃。それでも、力強く、楽しく、生きている。そこには、今の日本社会が失った大切なものが生きていた。

ブログ名同名のドキュメンタリー映像の製作に関する話題。
風評観光被害の他に、地球温暖化の問題、コミュニティの再生、人間の回復、地域の再生、貧困問題などを取り上げてゆきます。
ツナミクラフトの「さをり織り」の情報。
エコロジーシアター「天の浮舟」情報も。


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夕張のホテルの朝食にて [2012年07月03日(Tue)]
夕張のホテルで朝食終了。
朝食バイキングの会場での印象は7割以上が外国人客。
中国、韓国が多い。
香港からは自転車で北海道を巡るチームが来ている。

夕張が財政破綻した当時は外国人観光客はおらず。宿泊客が少ないため、バイキングではなく朝定食だった事を考えるとずいぶんお客さんを取り戻したものだ。
しかし、夕張を訪れる宿泊客で増えたのはあくまでも外国人であって日本人ではない。

これは、北海道の他の観光地も比較しないと言えないので検証しないといけないことだが。
夕張の日本人観光客が増えない理由は、財政破綻というマイナスイメージのせいもあるのではないかと思われます。
財政破綻直後は、夕張を支援しようと、物産展を催したり、いろんなグッズが開発されたり、新しい工場を夕張に建てたりした。
しかし、五年経って、その神通力は力を失い、残ったのは日本人にとってマイナスイメージだけなのでお客さんが来ないのではないでしょうか。
話題になった花畑工場のキャラメルさえも勢いを失った。
逆に外国人にとっては、そういうマイナスイメージがないだけに、素直に夕張を受け入れることが出来るし。過剰な設備は多くのお客さんを受け入れる町の能力となっている。

これから、東北の復興を考える上で夕張の出来事は無視できない事だと思う。
マイナスイメージに影響されやすい日本人より先入観の少ない外国人を相手にすること、自転車などアクティビティを取り入れることで観光にバリエーションを与えることで観光客の幅を広げることが、顧客をとりもどすキーになると思います。

しかし、特に中国からのお客さんに関しては団体旅行になるので、ある程度大きな施設にしかお客さんが来ず。地域に直接お金が落ちにくいという問題がある。
外国人観光客が来ても、地域にお金が落ちる構造を作っていく必要がある。
タグ:復興 観光 夕張
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ドキュメンタリー映画「STILL ALIVE 2005年プーケットに何が起きたのか」
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