「今時の子どもは…」ってのは「拒絶」だ
[2010年11月09日(Tue)]
一週間ほど前の@ikurakoikuraさんのツイートにごっつ共感を覚えました。
子どもの問題、世代間の問題、そして、未来について話し合う時、持つべき視点が書かれています。
てなことで、ツイッターで、とぎれとぎれに書かれていたものをつないで、掲載させていたたきます。
地域の中学校で行われたという地区懇談会をまとめた冊子を読んだ。テーマは「人と繋がるマナーと思いやり」。漠然とし過ぎてやはりあんまりまとまってなかったけど、何かみんな「オトナ目線」だなぁと感じた。子供の事を考えているようで、「余所の子」に対するダメ出しっぽいのが多かった。
中には「挨拶がしっかり出来る子は運動部系だ」とか「お母さんが元気でいること、子供に毎日ご飯を食べさせることが大事」とか「『家では元気』な不登校は、学習の遅れさえ学校が支援すればよく、医学・心理的サポートは必要ない」とか、オイオイ!と思うのも載ってた。
特に目立ったのがPCやケータイに対する戸惑い。それらの何たるかをイメージで語ってる意見が多いように感じた。確かにどちらも犯罪の危険はあるけれど、安全に使えば便利なツールなんだし、ただただ危険、怖いと遠ざけるよりも、どう使ったら便利で、どうしたら危険かを教える方が大切な気がした。
子供とのコミュニケーションの取れなさをPCやケータイのせいにし過ぎな感も。というかある種、今はもう「そういう時代」なんだから、大人こそ凝り固まっていないで柔軟に対応すべきな気がした。子供はそのケータイの先で、世界中の友達とコミュニケーションを取っているかも知れないんだ。
わたしたちが子供の頃は大抵親は共働きでみんな鍵っ子で、だからわたしたちは大人が子どもとどう関わるのかを知らないんだよね。正解なんてないけど見本があるかないかは大きな差だと思う。大人がいないと子どもは自分で社会性やルールを作るからそれを普段いない親がやいやい言ってもそら聞かないよね
地域の懇談会だから仕方ないけど、そこに子ども側の声がひとつもないのが残念でならなかった。小学校で、中学高校で、この冊子を生徒に読ませたらみんなどう思うだろう。何て言うだろう。そこで上がる声こそ、大人は聞くべきだ。
わたしは、子ども派なんス!!オトナの言い分もわかる。でもわたしは子どもを一概に非難したくない。彼らには彼らの世界があるんだ、そこをまず見詰めなきゃ。イメージだけであれこれダメダメ言ったって、理解しようともしてくれない相手の言葉なんて誰も聞きやしないし、心を開きもしない。
まずは一度一緒に子どもの世界を楽しんでみたらいい。何を見て何を感じ何を発信してるのか。「今時の子どもは…」ってのは「拒絶」だ。拒絶されたら子どもはオトナに失望する。傷つきたくないから、失望した相手を見なくなる。異論があるなら子どもの世界を共に楽しんで、それから初めて発言すべきだ。
オトナには「自分はオトナだ」ってヘンなプライドがあるから、子どもに「教えて下さい」って言えないんだよね。だから「今時の子は…」って定型文で問題を凍結させちゃう。だけど本来、未来へ歩みを進めるのはいつだって子どもで、教わるのはオトナの方なんだ。
子どもの「楽しい!」をオトナが共感する、それだけでだいぶ関係は変わると思うんだよね。オトナが「これ楽しいぞ〜!」って教える事はあっても、逆は敬遠しがちなオトナたち。だけどそこを共感出来たら、お互いにきっともっと楽しいし、嬉しいと思うんだ。
ともあれまずはあの冊子をリビングに置いて、家族でディスカッションしてほしい。そう思ったワタクシでゴザイマシタ〜、ぐふぐふ。
子どもの問題、世代間の問題、そして、未来について話し合う時、持つべき視点が書かれています。
てなことで、ツイッターで、とぎれとぎれに書かれていたものをつないで、掲載させていたたきます。
地域の中学校で行われたという地区懇談会をまとめた冊子を読んだ。テーマは「人と繋がるマナーと思いやり」。漠然とし過ぎてやはりあんまりまとまってなかったけど、何かみんな「オトナ目線」だなぁと感じた。子供の事を考えているようで、「余所の子」に対するダメ出しっぽいのが多かった。
中には「挨拶がしっかり出来る子は運動部系だ」とか「お母さんが元気でいること、子供に毎日ご飯を食べさせることが大事」とか「『家では元気』な不登校は、学習の遅れさえ学校が支援すればよく、医学・心理的サポートは必要ない」とか、オイオイ!と思うのも載ってた。
特に目立ったのがPCやケータイに対する戸惑い。それらの何たるかをイメージで語ってる意見が多いように感じた。確かにどちらも犯罪の危険はあるけれど、安全に使えば便利なツールなんだし、ただただ危険、怖いと遠ざけるよりも、どう使ったら便利で、どうしたら危険かを教える方が大切な気がした。
子供とのコミュニケーションの取れなさをPCやケータイのせいにし過ぎな感も。というかある種、今はもう「そういう時代」なんだから、大人こそ凝り固まっていないで柔軟に対応すべきな気がした。子供はそのケータイの先で、世界中の友達とコミュニケーションを取っているかも知れないんだ。
わたしたちが子供の頃は大抵親は共働きでみんな鍵っ子で、だからわたしたちは大人が子どもとどう関わるのかを知らないんだよね。正解なんてないけど見本があるかないかは大きな差だと思う。大人がいないと子どもは自分で社会性やルールを作るからそれを普段いない親がやいやい言ってもそら聞かないよね
地域の懇談会だから仕方ないけど、そこに子ども側の声がひとつもないのが残念でならなかった。小学校で、中学高校で、この冊子を生徒に読ませたらみんなどう思うだろう。何て言うだろう。そこで上がる声こそ、大人は聞くべきだ。
わたしは、子ども派なんス!!オトナの言い分もわかる。でもわたしは子どもを一概に非難したくない。彼らには彼らの世界があるんだ、そこをまず見詰めなきゃ。イメージだけであれこれダメダメ言ったって、理解しようともしてくれない相手の言葉なんて誰も聞きやしないし、心を開きもしない。
まずは一度一緒に子どもの世界を楽しんでみたらいい。何を見て何を感じ何を発信してるのか。「今時の子どもは…」ってのは「拒絶」だ。拒絶されたら子どもはオトナに失望する。傷つきたくないから、失望した相手を見なくなる。異論があるなら子どもの世界を共に楽しんで、それから初めて発言すべきだ。
オトナには「自分はオトナだ」ってヘンなプライドがあるから、子どもに「教えて下さい」って言えないんだよね。だから「今時の子は…」って定型文で問題を凍結させちゃう。だけど本来、未来へ歩みを進めるのはいつだって子どもで、教わるのはオトナの方なんだ。
子どもの「楽しい!」をオトナが共感する、それだけでだいぶ関係は変わると思うんだよね。オトナが「これ楽しいぞ〜!」って教える事はあっても、逆は敬遠しがちなオトナたち。だけどそこを共感出来たら、お互いにきっともっと楽しいし、嬉しいと思うんだ。
ともあれまずはあの冊子をリビングに置いて、家族でディスカッションしてほしい。そう思ったワタクシでゴザイマシタ〜、ぐふぐふ。