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茨城県社会福祉協議会はんどちゃん災害ボランティア活動誌
ここではボランティアバスをはじめとした災害ボランティア活動の情報提供を行います。
また、ボランティア活動のレポートや、一般の方から投稿していただいたボランティア体験談や社協職員等によるボランティア活動体験談を随時更新していきます。
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マオ様より、ボランティア体験談をいただきました![2011年10月12日(Wed)]
おはようございます。晴れてはいるのですが青空が見えない、非常に中途半端な空模様の茨城県です。
本日はマオ様より体験談をいただきましたので、早速ご紹介したいと思います!

マオ様より

私は、石巻にボランティアに行った。
そこでは、テレビでは感じられない光景ばかりだった。
3mの高さにもなるゴミの山が1km以上続き、津波で家の1階がなかったり、
においもきつかった。

被災地の人といろいろ話したことは、ニュースでは感じとれないものがあった。

この体験談を通して、少しでもボランティアに興味を持ち、
1人でも多くの人がボランティアに参加してほしい。

そして、1日でも早い復興を願う。


マオ様、体験談をありがとうございます。そして、石巻でのボラティア活動お疲れ様です。画面では映る事がないところが現地にはたくさんあった事と思います。
T.W様よりボランティア体験談をいただきました[2011年10月11日(Tue)]
おはようございます。本日も秋らしい空が広がっております茨城県です。
本日10月11日は2005(平成17)年12月に閣議決定し、2006(平成18)年から実施されております安全・安心なまちづくりの日。「全国地域安全運動」の1日目でございます。
さて、さっそくT.W様よりいただきました体験談をご紹介したいと思います。


災害被災地復興支援にて

先日、福島県いわき市復興支援ボランティアとして、仮設住宅の個別訪問を行いました。内容としては、声かけや話の聞き役でした。
住民の方の思っている事や悩み事、困りごと等の「情報共有」の時間と空間を共有しお互い分かち合うことが大事だと考え、ご一緒に問題解消ができるよう、相談を気軽に対応できるように心がけました。
今回、那珂市「傾聴ひだまり」ボランティアの皆様と一緒に活動を行い、地域の皆さんに大変喜ばれ感謝されました。
今後も今回の体験を励みに、被災地から求められる活動に対して、積極的に支援を継続していきたいと思います。


T.W様、体験談をありがとうございます!そして、生活支援バスでは大変お世話になりました!

震災発生から7カ月。時間が経つにつれて、被災地でのボランティアのニーズが着々と変化してきています。被災地のボランティアに向かう際には必ず、現地の災害復興ボランティアセンターまたは現地の社会福祉協議会に必ず連絡をし、情報収集を十分に行ってからご参加ください!!
つばくろー様よりボランティア体験談をいただきました![2011年09月27日(Tue)]
こんにちは!暑さ寒さも彼岸までとはよく言いますが、先週までの残暑はどこへやら、すっかり秋空になりました茨城県です。秋といえば、読書の秋。本日はキリスト教の聖書を初めてラテン語に翻訳したヒエロニムスさんが亡くなった日という事で国際翻訳の日でございます♪外国の素晴らしい本を気軽に読めるのは、陰で翻訳者の方々が尽力をつくしてくださっているおかげですね!

さて、本日はつばくろー様より、体験談をいただきましたので、早速ご紹介したいと思います!




つばくろー様より

宮城県に5回目の災害ボランティアへ行きました。

今回は東松島市野蒜小学校を拠点に、仙台と石巻をつなぐ仙石線沿いの草刈りをしました。

最初は「どこが線路?」と思うほど、草は伸びきり、草の中には津波によって流されてきたのであろう壊れた車両の一部や配線コードなどが散乱していました。
午前中はそれらと格闘しながら、持って行った鎌を使って、ひたすら草を抜きました。
草を掻き分けて夢中で刈っていくと、いつの間にか自分が通ったところに道ができていて、根まで抜こうとしているうちに、土がふかふかになっていく。
ゴールが見えず大変で地道な作業でしたが、私にはとても心地好く感じました。

お昼は大徳さんの「絆弁当」ここのお弁当は美味しい。
労働の後だから美味しさがさらに増しました。

午後も引き続き線路沿いの草刈りを。
今度はトンネルを目標にみんなで効率良く作業。
いつの間にか線路上と線路沿いは草がなくなり、元の線路がきちんと見えるくらいになりました。
日差しは強くなっていき、作業はきつくなってきましたが、「トンネルまで行けるぞ!」と励まし合い、最後にトンネル開通!
線路がまっすぐ伸びている様子が映画のワンシーンのように目に飛び込んできました。
「やった〜」どこからともなく拍手が湧き、みんなが笑顔になりました。

またすぐ草が伸びてしまうかもしれません。仙石線の復旧はまだまだ先かもしれません。
でも、今こうしてみんなで一瞬だけかもしれないけど、その場を元の姿に近づけられたら、それは意味があることじゃないかなと思います。

線路の前には一階部分が津波で被害を受けたままのおうちがありました。
きっと家にいて亡くなった方がいるのでしょう。
今日お線香をあげに家族が家に戻ってきていたようです。
家族を亡くした悲しみは小さくすることは難しいと思うけど、家の前が少しきれいになったことでさわやかな秋の風を感じてもらえたら嬉しいです。

ボランティアの活動を多くの人に知ってもらうことで、ボランティアの輪が広がることを願っています。








つばくろ―様、素敵な写真と体験談をありがとうございます。
爽やかな青が目にしみる素敵な写真ですね(^-^)改めて、どんなに小さな一歩だろうと、一歩ずつ歩み続け進んでいけば、きっと復興につながるのだと感じました!
NOBU・NOBU様よりボランティア体験談をいただきました![2011年09月20日(Tue)]
こんにちは!9月20日は空の日ですが、台風の影響でまっ黒な雲に覆われた茨城県です!なかなか更新が出来なくて申し訳ありませんでした。本日はNOBU・NOBU様よりいただきましたボランティア体験談をご紹介したいと思います。


石巻(東日本大震災)災害支援ボランティアに参加して
絆と感動を得たボランティア活動

 三月十一日の東日本大震災から四ヶ月。被災地にどんな支援が出来るのかと思っていた時、ひたちなか市社会福祉協議会から石巻市ボランティアの募集があり参加する機会を得た。参加したボランティアは一回三十名。地元のスタッフから作業の場所や、作業の仕方等の説明を受けてからさあ開始!
 私たちの仕事は石巻駅前住宅街の側溝の泥さらいでした。
 蓋を取ると側溝に泥が半分も詰まっている所もあり、悲惨な災害の様子を伺い知る事ができた。土嚢袋を持つ人、スコップで泥をさらう人、泥が詰まった袋を指定の場所に運ぶ人、言葉も少ない。汗を拭きながら黙々と進む。側溝の白い肌が浮き上がる。仕上げは元通りに戻すことで、これが結構大変だった。一区間二十メートル位ある所もあり、初めのうちは順調に進んだが最後が合わなくて、また始めからやり直すことも。上手くいった時は、顔を見合わせてにっこりするグループ員の面々。私たちボランティア員との絆も深まった。
 作業中、小学校四〜五年生くらいの男女児童が「ありがとうございます。ごくろうさま」と皆に声をかけて通り過ぎて行った。この素直に出る言葉に、私たちは感動した。この子ども達も相当な被害に遭われたのにと思うと、ちょっと涙腺が緩んでしまった。早く元の元気な街になって欲しいと願う。
 帰路は石巻海岸線を通る。想像を絶する光景だ。臭気と瓦礫の山、崩壊された食品工場の建屋、一般の家、大木も横たわっている。流された自動車も山積みに、他畑は砂と瓦礫で満杯。四ヶ月過ぎても見えない復旧、復興。一日も早く、以前の石巻になって欲しいと願いつつ現地を後にした。

NOBU・NOBU 記


NOBU・NOBU様、ボランティア体験談を送ってくださりありがとうございます!お写真もいただいたのですが、紙ベースだったためおのせできなくて申し訳ありません!!
「ありがとう」は魔法の言葉。どんな人も笑顔になれる不思議な言葉。誰にでもできる素敵な魔法という、昔絵本か何かで読んだ言葉を思い出しました。
「清ちゃん」様よりボランティア体験談をいただきました![2011年09月13日(Tue)]
こんにちは!お久しぶりです、県社協Sです!せっかく体験談をいくつかいただいていたにもかかわらず、長期出張に行ってまして更新が遅れてしまいました(´Д`)
それでは、遅れを取り戻すべく、清ちゃん様よりいただいた体験談をご紹介したいと思います!

災害ボランティア体験談

 石塚観光と茨城県社会福祉協議会が共催している東日本大震災復興災害ボランティアに参加した。東松島市、石巻市の民家や側溝のヘドロ出しや後片付けが主な仕事である。5月に2回、6月と8月にも参加したので、都合4回参加したことになる。被災地の復興を見届けよう、などと気負っているわけではないが、これからも機会があれば継続したいと思う。



 仙台市内に近づくと、高速道を走るバスの車窓から広々とした大地に残る津波の痛々しい爪痕が目に入ってくる。しかし8月の4回目のときは少し様相が変わっていた。復興が進んだためだけではないことがすぐに分かった。夏草が繁り、爪痕を見えにくくしているのである。津波によって塩分が入り込んでいるのにもかかわらず夏草の逞しい生命力だ。大自然の時間の流れの中では一つの津波の襲来など一瞬の出来事であり、すぐにいつもの時の経過に飲み込まれていく。抗えない自然界の秩序を見せつけられたような気がした。



 なぜボランティアに参加しようと思ったのか。なぜ4回にわたって参加してきたのか。当初は、微力ながら自分にできることがあったら被災地のために役に立ちたい、と純粋に考えていた。しかし少しずつ考えが変わってきたように思う。現在は、被災地のために…という気持ちが薄れたわけではないのだが、それとは別に、いわば自分のために、という思いが強くなってきたのではないかと感じている。お粗末な中央政治、いつまでたっても配分されない義捐金、(原発問題にあると言われる)情報操作など私の気持のイライラが募ってくる。やりきれない思いが強まってきているのだ。それらを少しでも紛わせるために参加しているのだ。「自分の大事な時間を割いても悲惨な災害を受けた地域のためにできることをしたい」…。自分で言うのもなんだが、この“人間らしい行動”を実行することによって非人間的で不条理な世間の現状に無言の抗議をしているのだ。
  このような考えで参加するのは迷惑なのだろうか。ならば初心に戻ってもよい。日帰りでの作業は還暦を過ぎた身には少々きつい。しかし一応身体は健康だし、日々の生活に特にあくせくしているわけでもない者として、この程度の行動は自己犠牲と言うほどのものでもないだろう。世の中には不条理なことが多い。これに負けないよう夏草のように逞しく生きなければ、と思っている。



    清ちゃん


「清ちゃん」さん、体験談をありがとうございます!そして、ボランティアお疲れ様です!震災から半年。様々な事がめまぐるしくすすんでいますね。自分が出来ることを一歩ずつ。どんなに小さな一歩でも、進んでいればいればいつか必ず復興すると信じて。
本日防災の日!匿名希望様よりボランティア体験談をいただきました[2011年09月01日(Thu)]
今のところ何とか曇り空で頑張っております茨城県です。本日9月1日は茨城県の霞ケ浦の日!そして、防災の日です!みなさん、防災の見直しは大丈夫ですか?今回の震災で多くの方が防災に気を配っていることと思います。ちなみに、私が防災袋に追加して入れておきたいと改めて感じたのは、体をふきシート!そして、携帯用の化粧落としシートですね!そして、室内に必ず一足はスリッパ常備!実は震災時、私は壁が崩れて室内に閉じ込められてしまい、窓からでました。この時スリッパがあったおかげで足を怪我することなく外に出られましたので、スリッパは畳の部屋でも置いておいて損はないですよ!!
さて、本日は匿名希望様より炊き出しについてのメールをいただきましたのでご紹介しますね!!

東日本大震災で炊き出しの体験致しました。
*食材は豊富に有りましたが、活かしきれなかった。
*食生活の習慣の違いがあり、お互いに遠慮してました。
*食べたい物伺えば良かったかな??
匿名希望


匿名希望様、メールをありがとうございます!そして炊き出しボラお疲れ様です!地域が異なると食生活の違いが出てくるので難しいですね。
TXひろ様よりボランティア体験談をいただきました![2011年08月31日(Wed)]
おはようございます!台風が近づいているせいか天気が不安定な茨城県です♪さて、本日はTXヒロ様からいただいた災害ボランティア体験談をご紹介したいと思います♪


災害ボランティア体験談
旅行会社企画の「宮城県災害ボランティアバス」に参加して

1000年に一度とも言われている3.11の大地震と巨大津波被害の報道を目の当たりにして、自分自身と家族が無事でいることに安堵すると同時に被災者の方々のお役に立つことは何か?を考えていた。幸いなことに過去に大災害に遭ったことも災害ボランティアの経験がないため、ボランティア情報の収集方法もわからずまた、闇雲に一人で現地に飛び込むことも出来なかった。そんな時、旅行会社の募集チラシをたまたま目にし、宮城県山元町の災害ボランティアに参加することが出来た。

 被災地の個人宅の瓦礫撤去作業や排水溝清掃作業を実際に行ってみて感じることは、災害エリアが余りにも広く、際限なくこれらの作業が必要であることだった。また、被災宅のご主人の立場になって考えた時、「悲しみを乗り越えて、少しでも早く自分の生活を元に戻したい」ことであろうと思い、自分ひとりでは出来ず、いつになるかわからない行政の助けを待たずに瓦礫撤去や排水溝清掃の災害支援ボランティアは被災地の方々のお役に立つのではないかと考えた。

 大震災から5ヶ月以上経った8月、石巻市の災害ボランティアに参加したところ、まだまだ手つかずの状態の被災宅がたくさんあり災害支援ボランティアの活動要請は引き続きあると思う。私自身これからもボランティア活動を続けて行くが、いままで参加したことのない方々の参加の必要性も感じており、「絆」の拡大にも取り組みたい。

 関東大震災や第二次世界大戦の敗戦が世代を超えて語り継がれているように、東日本大震災についても自分から子供や孫達に、大自然の脅威と人間の絆の大切さをしっかりと語り継いでいきたいと考えている。

ペンネーム : TXひろ(60才)


 TXひろ様、体験談をありがとうございます!そして、ボランティア活動お疲れ様です。いただいた体験談の掲載が遅れてしまって申しわけありませんでした。
震災前は無縁社会と呼ばれた日本。しかし改めて、「絆」の大切さを感じましたね。
浩翔様より体験談をいただきました![2011年08月23日(Tue)]
 おはようございます!毎月23日は乳酸菌の日!日本の味(醤油・味噌)には必要不可欠な大事な日(?)ですね!ちなみに、日本人が海外にいってしばらくすると、無性に日本茶を飲みたくなったりお醤油が恋しくなるのは,実はグルタミン酸の禁断症状が起きるから。日本茶,味噌,醤油などには多量のグルタミン酸が入っていますが,外国の料理はあまり含まれていないので,日本の味(グルタミン酸)が恋しくなるんですね!
 それでは、浩翔様からいただきましたボランティアメモをどうぞ!


『浩翔の東松島ボランティアメモ 2011・08・14』

8月14日、日帰り災害ボラに参加。
 自己完結型ボラの参加案内書に列挙された条件(被災地のボラ活動に相応しい服装・携行道具・水・熱中症対策とボラ作業に耐える健康・体力)に不安。前日22時ごろまで海岸清掃を想定した準備に迷い、携行道具に鎌を追加して就寝。当日2時50分、四回目の目覚めで起床、感謝。4時10分、照明の落ちた常磐道経由で、那珂の集合場所に到着、安堵。4時50分、遅参の二名を待ちバス出発。9時過ぎ、途中トイレ休憩2回を入れて東松島市の野蒜小到着。宿泊ボラ組が校庭の花壇整備中。校庭に仮設住宅土台。
 野蒜地区を縦断する東名運河の山側と海側の被害状況を比較すると、山側の被害は軽微で、瓦礫撤去や清掃が済んだ住宅の二階部分に微かな生活臭。海側は殆どの住宅が流失。
 野蒜小体育館の悲劇は、木彫りの花に囲まれた野蒜小校歌額と木彫りの児童の顔に囲まれた若葉児童会の歌額の報道映像とともに強烈な記憶。ボランティア開始前に祭壇に拝礼。


日帰りボラ組の一日

 午前は車中で予定の海岸清掃から数回の変更連絡を受けて到着後、空き地の草取りに決定してバスで移動。昼食(仕出し弁当)は野蒜小へバス移動。午後は避難留守宅の庭の草取りに決定してバス移動。作業終了後、野蒜小にバス移動。
 ボラ活動するには、一般的に現地のボラセンターに登録後、作業決定までじっと待機。要望に合せて融通無碍に活動できるボラへのニーズは変化しつつも無限。
 草取りボラの決定で、自己完結型参加のボラの意味を実感。草取り道具は参加者が持参した作業道具が全てで、鎌等の作業道具は受入れ先に無。今回は現地のボラ調整担当者が刈り払い機一台と鋸鎌十数丁を作業開始後に手配。なお、海岸清掃に鎌持参の理由は、鎌本来の用法以外を想定。持参指示の手洗い水は、同行のバス会社の提供で解決。
 今回の作業は、全員でバス移動・全員で同一作業・危険作業無・力作業無・添乗員同行・トイレ有・天候急変無が重なって楽勝であったと判定。トイレ有りは安心感を増幅。
 東松島市散策は、下水のマンホール蓋の愛らしいデザインに注目。
 午前は、避難路の説明後、参加者42名を4班に編成して作業開始。作業面積は一人当たり10u未満か。熱中症対策は15分作業・5分休憩の作業ペースと充分な水。参加者の中で最高齢の判断からか、班リーダーと福井から遠征参加者の気遣いに多謝。懸念していた健康・体力は、作業環境などに恵まれて誰でも安心して参加できるレベルに終始。寝不足等のストレスと法事の疲労で自滅を恐れていたが、ペースを調整しながら無事にボラ終了。
 本日の遠征参加者は福井と京都の2名。県外の初参加者が多く、班内に6回目のベテランや他班に外国人女性1名。一般的にボラ参加者に女性が多いと思うが、今回も同様と記憶。
 昼食は、バス会社自慢の仕出し弁当(おにぎり2個、卵焼き、ハンバーグと香の物)。
 午後は、仙石線東名駅付近の住宅三軒の草取り。隣接する福祉施設は閉鎖中か、人影無。15時00分、野蒜小を渋滞回避狙いで早めに出発。20時40分ごろ、途中トイレ休憩2回を入れて那珂の集合場所に無事帰着。車内で添乗員から、渋滞は予測時間内に通過の案内と参加者の忘れ物が多い由の注意。22時過ぎ、M屋のトマトカレーで夕食を済まし無事に帰宅。    
 本日のボラを完了。途中、常磐道を無料利用する罹災者車両でインター出口が渋滞、約20分で通過以外は何事も無。
 さて、参加諸費用は聖徳太子1枚超。昼弁当付き日帰り参加費3000円、ボラ保険500円(県外参加者)、高速代無料(要事前手続き)、ガソリン代2000円、長靴・マスク・水・行動食等5000円位・先祖お土産840円(トイレ休憩時購入・SA以外に店舗無)・夕食430円など。

気になったことが三つ。 
@体育館の祭壇に置かれた質素な空っぽの木箱は厨子?何とかしたい(物々交換で八月完を予定)。 
A地域コミュニティの変化?ボラ中、住民の姿が皆無なのが不思議。道路工事をする人にお茶の差入れを気遣う片鱗が残る東北を想像していたが、顔を出して声をかける人影無。勿論、日中は留守か、避難生活が多いと想像。
B絆は? あった・なかった・どうする・どうなる・心の疲労は?校庭に仮設住宅土台。
ボランティアのニーズが変化している由。

 ガテン系ボラから専門職系ボラへ要望が変化中(急性期の体力勝負の外科医から慢性期の心療内科・循環器内科のイメージ)、しかしガテン系ボラの重要性は不変不滅(仮設住宅を訪問して釘打ち1本のイメージ)。
 高齢者の気持が生きるこんなボラは。臨床心理専門家と連携してお話を聴く、お話をする心理劇スタイル交流ボラ。3・11を原点に人とひとの絆を老若男女が体で実感。
 3・11のあなたはどうでした、今日のあなたから声掛けして下さい。
 3・11役のあなたからシッカリ応えて下さい。
 3・11役のあなたと今日のあなた…。ボラのあなたは…。
 心理専門職につながるどなたかやりませんか。ガテン系ボラと合わせ!

 8月15日、うつらうつら原稿打ちをしつつ長い昼寝。8月17日、やっと推敲完。
 8月末、今回利用のボラバスの延べ参加者5000名。被災地ボラ参加に迷う団塊世代も立派なボランティアです。移動に快適な買物カートを引きバスボラでお会いしましょう。


 
 浩翔様、ボランティア体験談をありがとうございます!!そして、ボランティア活動お疲れ様です。日々、ニーズが変化するボランティア。多種多様なニーズを満たすためには、色々な方が多く参加することが必要ですね!
K.H様よりボランティア体験談をいただきました![2011年08月22日(Mon)]
おはようございます!8月なのにとっても肌寒い茨城県です!8月22日はチンチン電車の日です(^-^)。日本で初めて、チンチン電車(路面電車)が走った日です。日本では最近は廃れてしまったチンチン電車ですが、ヨーロッパでは近代化に成功し都市域では大活躍中です!また、日本でも省エネや環境の立場から路面電車見直し論が起きています!もしかしたら、近い将来、チンチン電車が走る風景がまた見られるかもしれませんね!
さて、本日はK.H様よりボランティア体験談をいただきましたので、早速ご紹介したいと思います。

K.H様より

災害ボランティアに参加して

 私は石巻市に行ってきました。
 仕事は側溝の掃除でした。若い女性も男の人も同じ力仕事で元気にしていました。私は参加者の中で一番年上のようでしたが(65歳)無事仕事をすることができました。私たちがお手伝いしたとことは海から離れていましたが、暑さのためか町には人はほとんど見かけませんでした。
 帰路は海側を通りましたが、こちらは手信号であり、家も、残っている家は柱だけ、屋根だけでした。空き地とがれきの山、車(使用できない)の山でした。畑地も作物ではなく空き地になっていました。同行した男性達も直視できない様子でした。
 テレビで見る被災地は臭いも立体間もないのでゲームのように、第三者として受けとめてしまうでしょう。傍観者として、大変、かわいそう、がんばって、涙する、になってしまう。それだけに終わってしまう。
 とにかくこの災害で多くのことを思い知らされました。日頃ボランティアと軽い気持ちでしていることも、考えが覆されてしまいました。
 人間が自然を保護しているのではなく、人間が自然に保護されている。人間の奢りの恥ですね。


K.H様、ボランティア体験談をありがとうございます!そしてボランティア活動お疲れ様です。今回の震災では、今まで当たり前だと思っていたことも含め、いろいろなものの見方を改めて考えさせられるものでしたね。K.H様、これからもボランティア活動頑張ってください!
ひまわり工房のM.O様よりボランティア体験談をいただきました![2011年08月19日(Fri)]
 おはようございます!昨日とはうってかわって、取っても涼しい茨城県です!さすがに、7度違うと涼しいですね!ちなみに本日8月19日は「俳句の日」。夏休みの子供たちに俳句を親しんでもらおうと制定されました(^-^)
 さて、本日はひまわり工房のM.U様よりいただきました、炊き出しボランティアの体験談をご紹介したいと思います!!

「初めての震災地への炊き出しに参加して」

 長年日本に住む韓国出身の宗さんの計画に賛同して、炊き出しに参加することとなった。
宮城県ボランティアセンターの指示で、行先は宮城県石巻市鹿妻のしおぎく荘アパート駐車場、21日の昼ごはんの炊き出しと決定した。メンバーは宗さんの仲間・鹿島福音教会から7名、ひまわり工房から7名で、ワゴン車2台、荷物用トラック1台、計3台に分乗し、20日の夜の出発となった。
 20日夜9時出発。震災地救護ということで高速道路無料の手続きを取り、大洗から高速道路に入り、北関東道〜東北道〜三陸道を通り石巻入りするコースとなった。高速道路に入ると、白っぽい路地やまだ新しい復旧工事の跡、デコボコの道を一路石巻へ走る…。2年前の4月10日、宮城県松島に遊びながら紙芝居の台を届けた楽しい思い出があり、その松島近くの石巻に炊き出しにいくとは…三陸道はどうなっているのだろうと思いながらハンドルを握っていた。
 4時頃三陸道に入ったが、うっすらと見える外の景色は2年前とはほとんど変わっていなかった。路面だけがデコボコだった。
 鹿妻の近く20q地点では、大きな震災や津波の爪痕は見えないが、大きな水路を渡りトンネルを抜けると景色は一変して、津波の傷跡が見えてきた。
 炊き出し地・鹿妻に入ったが、カーナビでしおぎく荘探しはぐるぐると廻り入る場所が見つからない。車を止めて皆でしおぎく荘の聞き込みとなった。家はなんとかあるが、朝の5時、散歩する人もいない。
 やっと人に会えて何とかしおぎく荘の方向が見えてきた。
 やっと看板を見つけてたどり着いた。
 宮城県ボランティアセンターでは『住宅街での炊き出しをお願いします』との話だったが、ポツリポツリと住んでいる方々が出歩き始めていた印象では、この住宅街に150人〜200人も住んで居て、200食分の炊き出しに集まってくれるのか、と皆不安な気持ちとなった。とりあえず6時半まで休憩を取る事にした。
 周辺の様子が段々と見えてきた。約1000戸位の住宅街で海から山まで5〜6qくらいの距離が有る様に見えた。海に近い家ほど一階部分がほとんど津波の引き潮で持っていかれていた。柱と一部の壁が残り二階部分がかろうじて残っている家が多く見えた。
 一遍に普段の生活を総て奪い去って行った、津波の恐ろしさ。しかし、津波も水。水は生きる全ての生き物にとって大切だ。水が無ければ全ての生き物は生きていけない。だが、一変した時の恐ろしさ。全ての物を破壊し、物も生きる者の心も持ち去っていく。
 雨がポツリポツリと、時にはやさしい水が落ちてきた。
 皆炊き出しの準備に取りかかる。一人二人と住民の歩く姿が見えてきたが、5〜6家に一家くらいが住民がいるようだ。
 ほとんどの人が水戸ナンバーの車と私達を見て、何だろうと一寸不安そうな顔。「おはようございます。今日は炊き出しに来ました」と声をかける、ホッとしたような顔で明るくなり「ご苦労様」と言ってくれた。
 9時頃炊き出し準備完了。今日の炊き出しはチヂミ・おにぎり・キムチ・ご飯と韓国ノリ、そして心の癒しとなればと色紙絵を150枚持って来た。
 なかなか人が集まってこない。宮城県ボランティアセンターの話では、事前に住民に炊き出し等の呼びかけやPRはしていないので、各自で工夫して住民に知らせて下さい、と指示があった。
 呼びかけに廻ってみようとハンドマイクを持って出かけたが、この歳で初めての事に、恥ずかしい気持ちで心が動揺し、なかなかうまく声が出ない。呼びかけるとジロッと見る人、笑う人が居る…。何とか勇気を出して「おはようございます。しおぎく荘の前で炊き出しを行っています。お気軽に来て下さい」と、しばらく呼びかけていると、二階のカーテンが少し動き窓を開けて「どこでやっているの、ご苦労さん」と初めて声が飛んできた。やった!と嬉しくなり、皆に元気になってもらうために来た私がこの人に逆に元気と勇気をもらい、その後大きな声で呼びかけができた。
 呼びかけながら住んでいる方々とお話をし、約2時間で住宅街を回ることができた。一時は列ができるほど集まってくれた。
 住民の話に依ると、津波は来たがまだ住める状態にあると云う事で、ボランティアもなかなか来てくれないし、仮設住宅もまだできてない、テレビの映像にも載らない空白地帯。各家には4m位のところに水が来た跡の茶色や黒い線が残っている。
 その時、海から山まで5〜6q全ての住宅は徐々に浸水し、水かさが4mの高さまでなった。一気に水は引き、一階に置いている大切な生活用品全てを海に持ち去っていった。
 まだまだ玄関やテラスに車が突っ込んだままの家、バリバリと重機で取り壊す家、リホーム中の家、色々な形で動き出している。『市で全部片付ける』と言う作業者に聞いた。「家に車が残っている家は」と聞くと、「その家の住人が現在所在不明で手が出せない」と言う。まだまだそのような家が多い状況であるそうだ。
 炊き出しに集まる住民は高齢の方が多く、朝のひと時に子どもたちが見当たらないのが淋しい。高齢の方々は「炊き出しに来てくれてありがとう」とほとんどの人が涙ぐむ。今は週1〜2回炊き出しや生活用品を届けてくれるというが、これからは夏物や生活用品のまな板等があれば、との声も。ある60代のお母さんは始終涙しているので話を聞くと「私は津波が来た時まで、何かとお金が入り大金持ちでしたが、津波とともに一瞬にして小金持ちになりました。金庫から全てを持っていかれました。それまでお金の無い事、貧しい生活など考えもしなかったが、こうして今日皆さんに助けられて、いつかは皆様に恩返しはしたい」と言いながら帰って行った。
 おおきな雨も降らず時間が流れ、住民の朝の怪訝そうな顔も声も少しは笑顔になり、私達も笑顔で接するようになったが、やはり住んでいる方々は、さあこれからどうやって生活するか?町はどうなるのか?ライフラインは?…やっと電気と上下水道は少しづつ良くなってきたが、昼近くになり気温が高くなると、ハエと臭気に悩む事だろう。梅雨空という事で早目の炊き出しで、12時頃には200食全て終了した。受け取った方々はその場で食べるのではなく、各家に持ち帰って行った。
 好評に終わった。皆安堵の顔に。
 帰路に着く。20種色紙120枚は住んでいる方々が持って行ったが、海や水に関する色紙絵は残った。海や水の事は考えたくないのだろう、不評であった。
 普通の生活の大切さを、幸せを実感しつつ帰宅。

 これからも第2回・第3回と考えたく思っています。現地と連絡を取りながらの活動が出来ればと考えています。間接的な支援より直接的な支援の方が良いと考えます。

ひまわり工房:M.O様より


M.O様、小雨の中の炊き出し活動お疲れ様です!そして体験談を送ってくださりありがというございます!
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