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兵庫県佐用町に行ってきました (つづき) [2009年11月02日(Mon)]
翌日は町長選挙。


皆さん、公約は復興。結局、現職が当選

相談会の様子。後ろにいるのは関係者

けんちん汁を食べながら相談にのる弁護士さん

相談者を捜して仮設住宅を丁寧に一軒一軒訪問する弁護士さん
Posted by 復興支援委員会 at 19:16 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
兵庫県佐用町に行ってきました [2009年11月02日(Mon)]
10月24日(土)、佐用町で被災者の生活再建相談会を実施しました。
この日は、たまたま町長選挙前日という微妙な日でした。この日被災者は、選挙や義援物資の受け取りで大忙し。
まずは、現地の様子。水害から2か月が経過しましたが、未だに後片付けは終わらず、多くの住宅が室内や壁を乾かしている状態でした。すでに解体撤去した住宅もありました。一時は被害認定を巡ってだいぶ混乱したようです。再調査申請によって被害認定が変わった世帯もあり、行政不信がいっそう募ったようです。住民からは「被害調査を行う前に行政から説明があれば混乱しなかった」、という話がでました。今は多くの世帯が基礎支援金、保険金も受け取ったということで、一応落ち着きを見せていました。
さて相談会には、兵庫県内から弁護士・司法書士・不動産鑑定士・行政書士さん、計7人が参加しました。支援委員会からは、木村委員長と山口副委員長が参加しました。また佐用町からも職員2名が挨拶に訪れていました。
午前中の会場は大きな被害を出した久崎老人福祉センター、午後は中上月公民館で、相談に訪れた人は、約10人でした。相談の主な内容は、
・避難勧告が遅すぎたことへの不満
・森林組合では予算がなく困っている
・被災した住宅を撤去すると固定資産税が6倍になる
・災害には関係のない土地の境界線のトラブル
これ以外に世間話もあったようです。全体的には、やはりお金に関する相談が多かったように思います。
委員会としては、固定資産税について、行政機関に文書で「請願書」を出した方がよい、というアドバイスを行いました。
住民からは、まだ何を相談して良いのか分からない、という意見をいただきました。
会場には、炊きだしや足湯隊のボランティアもいて、それなりに賑やかでした。


まだ、壁を乾かしている最中の住宅


福祉センターの壁紙も当時のまま


土砂が流れ込んだままの田んぼ。わずかに稲穂が見える
Posted by 復興支援委員会 at 19:01 | 4.支援日誌 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
木村が宮城県栗原に行ってきました [2009年10月05日(Mon)]
木村が宮城県栗原に行ってきました。

9月30日、今年6月に避難指示が解除された栗原に3か月ぶりに行ってきました。
耕英地区は、相変わらず交通規制されているため、まず、栗駒支所に行って臨時通行許可証をもらいました。
山の木々は例年より2週間も早く色づき始めていました。つまり、もはやかなり寒く、昼でもストーブが必要な状況です。
泊まりは、区長さん経営のまだ修理が完全に終わっていない民宿。夜は、大宴会。皆さんお元気で、安心しました。

住宅の修理、それから4軒の新築もほぼ終わりなそうです。
住民のほとんどは、まだ仮設住宅で生活、来春の雪解け(仮設の期限でもある)を待って、山に戻る人が多いということでした。
やっとイチゴ、ダイコンが出荷できるところまできました。
問題になっていた農業用水の公的な復旧は見通しが立たず、結局、自分たちで何とか工夫するしかないということでした。
それとオートキャンプ場などは、まったく手つかずで、被災当時のままです。

翌日は花山地区
この日から交通規制は緩和され、温湯山荘もこの日から営業再開。
初代会長が退任ということで、かなり寂しい。
初めてIさん経営の「ざらぼう」のお蕎麦をいただきました。正直おいしい。お勧めです。
花山は、地区によっては戻りが3割。残りの人たちは子供のところや平地に家を造るということでした。
5世帯から公営住宅建設の希望が出ているのですが、なぜか予算は4戸分だけなそうです。

感想。災害前とはまったく違う1年という避難生活。皆さんの生活も大きく変わったようです。中には認知症がかなり進んでしまった人もいるようで、生活復興は、被災者の生活の変化に注意することが必要であることがはっきりしました。



夜、みんなで宴会。盛り上がりました。


完成間近。Oさんの自宅


やっとイチゴも出荷できるようになりました


農協での出荷。この日はイチゴ、ダイコン、切り花


山荘もようやく営業再開
Posted by 復興支援委員会 at 18:24 | 4.支援日誌 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
奥尻島に行ってきました [2009年09月27日(Sun)]
木村が奥尻島に行ってきました

16年前(1993)、奥尻は大津波で多くの方が亡くなりました。
復興にあたって津波対策が実施されました。まずは地盤のかさ上げです。集落全体を防潮堤と同じ高さまで盛土しました。
住宅再建は、再建する人に義援金から1200万円出たことから、ほとんどの人が再建しました。
集落から高台に避難するために、随所に避難路が設けられています。ただしこの避難路は幅が60センチ程度で、しかもかなり急。高齢者には相当きついが、普段から利用されているという。
また、漁港にいる漁師さんが一時的に退避する場所として立派な「避難デッキ」も建設されました。普段はイベントでたまに使う程度。行ったときは漁網の干し場として活用されていた。
復興計画策定にあたっては、住民は行政におまかせで、特に住民組織的なものはできなかったとのこと。
島は、やっぱり景気が悪い。アワビも捕れるそうですが、高くて買う人がいないため漁に出る漁師さんはいないそうです。また、収入が激減していることから出稼ぎする人が多く、中には半年も出かけている世帯もあるそうです。

奥尻には、函館から30人乗りの飛行機で行きます。ただしこの航路は採算が取れないことから廃止になるそうです。
現地を案内してくれたタクシーの運転手さんは、青苗地区の人で、少し怖そうな顔をしていますが災害に詳しく、名案内に感服。半日しっかりガイドしていただいて料金は1万円、これは安い。お勧めです。


かさ上げの高さが分かる部分あり



高台に向かう避難路。ソーラーのサインもあり


津波対策として漁港に整備された「避難デッキ」

函館は昭和9年(1934)の函館大火が有名。
悪天候の中の大火で、火災に追い詰められた人が次々に高波に飲み込まれた。死者数は3千人弱。
記念堂を探してお参り。記念堂は立派。しかし記念堂の説明らしきものがどこにもなく残念。



立派な記念堂
Posted by 復興支援委員会 at 11:58 | 4.支援日誌 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
水害被害にあった佐用町、美作市訪問レポート [2009年08月21日(Fri)]
水害被害にあった、佐用町、美作市に支援委員会メンバーの栗田、木村が訪問しました。

●佐用町・美作市の被災現場等の視察
日時:8月19日(水)8:00〜15:30
参加:木村、栗田

○佐用町災害ボランティアセンター(本部)
・水野センター長(社協事務局長)、兵庫県社協・岩木氏にご挨拶
○佐用町災害ボランティアセンター(佐用高校)
・兵庫県社協・荻田氏らにご挨拶
・JPcom桑原氏から災害復興対策室の8月19日付けの設置を聞く
・SVA白鳥氏から被災箇所の地図情報を受け取る
○佐用町災害ボランティアセンター(久崎小学校)
・ブロック派遣社協関係者にご挨拶
・周辺家屋等を視察
○佐用町災害復興対策室(佐用町上月支所2階)
・長尾富夫室長(財政課長)と面会
・復興支援委員会の概要を説明、「被災したときに」200部希望され、早速手配
・今後相談したい場合は連絡をするとのこと

○美作市災害ボランティアセンター
・高知・山崎氏のご案内で、社協事務局長、次長にご挨拶
・岡山県社協・西原氏、浅原氏にご挨拶
・「被災したときに」400部希望され、早速手配
・うるうるパック(被災者訪問用お土産)を100セット希望され、早速手配
・ボラセンに常駐されている市の担当者(企画協働課・平田氏)より、市災害対策本
部のご担当者を紹介される。
○美作市災害対策本部
・総務課・竹田茂雄氏、企業誘致課・小嶋卓司氏、建設管理課・小林英樹氏らと面会
・復興支援委員会の概要を説明、被害調査のポイントなどをアドバイス
・今後相談したい場合は連絡をするとのこと

以上
Posted by 復興支援委員会 at 19:32 | 4.支援日誌 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
水害被害にあった防府市訪問レポート [2009年08月21日(Fri)]
支援委員会のメンバー、木村・栗田で水害被災地を訪問してきましたので、報告させていただきます。

●防府市副市長との面談
日時:8月18日(火)15:00〜16:30
場所:防府市役所
参加:嘉村副市長、黒宰社協常務理事、桑原、木村、渥美、栗田
内容
(1時間ほど副市長から概況の説明を受ける)
・これまで小規模の土砂災害はあったが、今回のような大規模災害は初めて。雨の降
り方が尋常ではなかった。また雨の道筋があったのではないか。
・橋脚に流木等がつまり、一気に流れが来た。犠牲者は避難途上や家ごと・車ごと流
された。
・昨年3月に県が「土砂災害警戒区域」指定した。ただし指定しただけで特段の対策
は実施しておらず、来年からは実施すると宣言していた矢先の出来事であった。
・被災した特養は県の管轄。2本ある道の1本は不通、1本は大渋滞。何から始めれば
いいのかもわからなかったのが実情だった。
・第1段階は行方不明者の捜索。300m下流で発見するなど災害救助犬が役に立った。
犠牲者にお悔やみ申し上げる。
・第2段階は当面の生活確保。各戸までの道路や土のうによる土砂流入防止などの応
急対応、排水路がつぶれたため、炊事やトイレにも支障がでたため、その早期復旧
等。
・第3段階は補正予算の可決。早く自宅に戻って欲しいが、難しいのは土石流の現場
で水の流路を作らなければならないこと。時間がかかる。避難勧告の解除ができな
い。
・国交省の調査では、今回の豪雨で47箇所の改修整備が必要とされ、内37箇所が防府
市内。
・佐波川やその支流のほとんどが県の管轄。県との合同検討会を先日設置し、対応を
急いでいる。上水道が完備されていない(不要なため)井戸水を使ってきた地域で
は、市単独予算で、毎日100箇所程度の水質検査を行っている。
・床上浸「水」というよりは床上浸「泥」。ブロック塀の家ではそれがバリアとなっ
たが、石垣の家などの土砂の流入は半端ではない。人の背丈ほどの土砂が家に入っ
た。
・仮設住宅の建設はせず、民間のアパートに家賃補助4万円を6ヶ月支給することにし
た。マツダの工場があるが、不景気のため、市内に空室がたくさんある。
・避難所はピーク時で34箇所、約1700人が避難。現在は7人にまで減少。
・ある地区では泥棒が入った。本当にひどい。住民感情を優先して避難所からマイク
ロバスを出し、貴重品の持ち出しと施錠等をするための緊急的な措置も実施した。
・被災した3地区の各公民館に部長・次長級が連日つめ対応し、住民代表レベルとの
話し合いを開催している。また、戸別訪問等も実施し、住民のコンセンサスをとるよ
うに努めている。
・今回のような災害は初めてであり、住民はすべて市がやってくれると思っている。
しかしとてもやれ切れるものではない。
・多くのボランティアに感謝している。

(30分程、木村委員長らとの意見交換)
・近年の多発する災害で、6月に被害認定基準が改正され、柔軟に対応できるように
なっている。
・消防庁に上げる被害調査と、内閣府所管の被災者生活再建支援法に対応させる数字
は違ってもいい。床上浸水でも壁がすべて剥がれ落ちるような被害なら、大規模半壊
として認定されたなど、2004年豊岡水害での事例等がある。
・特養の入居者も住民票が特養であったり、また仮に住民票がなくても明らかに永年
そこで暮らしているような方も支援法の対象となる。アパートと同じ考え。
・今後は集落ごとの復興が鍵となるが、同じ場所での居住を希望しない場合は「防災
集団移転事業」、または「小規模宅地改良事業」、同じ場所での居住を希望する場合
は「砂防事業」と「農地復旧事業」などの制度がある。詳細は内閣府のホームページ
に詳しい。
・今後不明な点があればいつでも相談に応じることができる。住民と行政だけの話し
合いは陳情大会になりがちなので、そのクッションとして学会の専門の諸先生が間に
入った会合も可能で、岩手・宮城内陸地震の際には被災住民との懇話会を開催するな
どした。
Posted by 復興支援委員会 at 19:30 | 4.支援日誌 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
活動実績 [2009年07月28日(Tue)]

支援委員会の活動実績



岩手・宮城内陸地震被災地(栗原市)での活動



2008年に発生した岩手・宮城内陸地震では栗原市の被災者の要望に応えさまざまな支援活動を行ってきました。その概要を紹介します。

その前に、基礎知識。地震発生は、08年6月14日。被災地となった栗原では、09年4月現在で約110世帯、280人が避難生活を余儀なくされています。住宅が被災している世帯もありますが、それよりも土砂災害の危険があるということで、避難指示によって自宅や農地から遙かに離れた場所での避難生活が続いています。このため収入の途が絶たれてしまったことが最大の課題となっています。
被災エリアは、大きく2地区に分かれ、したがって住民団体も「花山震災復興の会「がんばっぺ」」と「くりこま耕英震災復興の会」の2団体があります。

@車座座シンポジウムの開催(08年8月31日)


このシンポは、学会と災害発生直後から支援に入っていた「震災がつなぐ全国ネットワーク」のタイアップによって実現しました。シンポには、花山地区・耕英地区の被災者、栗原市役所、学会からは室崎会長を始め、約10人の会員が参加しました。シンポは、被災者から現状を聞き、課題については、専門分野の会員がアドバイスするという方法をとりました。学会としては、継続的な支援を約束しましたが、その方法が課題として残りました。

A復興アンケート調査への協力(08年12月〜1月)


「くりこま耕英地震復興の会」から地区住民51人を対象にアンケート調査を実施したいという学会に希望があり、アンケート票の設計、集計、分析の支援を行いました。
支援担当は、他の委員に比べ被災地に比較的近い東京に在住し、地元からのご指名もあり、東北弁に堪能な木村委員長が引き受けることになりました。
回答の一部を紹介します。山への帰宅希望に関する質問に対し、約7割の世帯から帰宅を希望するという回答がありました。これを山に生業を持っている世帯だけで見ると、約8割の世帯から帰宅したという回答が寄せられました。

●一部の地域の道路復旧に時間を要しても、役所が帰宅(避難解除)の判断をしたとき、
あなたの考えはどうしますか(○は1つ)
@すぐにでも帰宅したい           (48%)21人  
Aいろいろな安全対策が実施されるなら家族全員で帰宅したい  (20%)9人  
B地域全体が安全になるまで帰宅しない (11%)5人  
C安全対策が実施されても、健康のことがあるので、
家族そろっての帰宅は無理だ        (7%)3人   
D帰宅はすでにあきらめている       (7%)3人       無回答3人  


B復興計画策定への協力(08年1月〜2月)


市が3月末まで復興計画を策定するということからこの復興計画に被災者側の意向も反映してもらおうということになり、2月末まで被災者側(花山地区・耕英地区)の復興計画を策定することになりました。時間もないために支援委員会が計画のフレームを作成、その中を被災者の皆さんが検討して記述するという方法をとりました。
策定作業の打合せは、約1ヶ月間、毎週土曜日の夜に開催され、毎回、木村が出席しました。会議の中で次回まで住民が検討すべき内容は、住民が中心となった集会で議論されました。
完成した計画のタイトルは、「私たちの復興計画−楽しい農山村づくりを目指して−」で、この計画書は市の復興計画を検討する市民検討会にも資料として提出されました。
被災者側がこだわっていた避難生活への支援は、公的支援の中には反映されず、最終的には義援金の配分の中で考慮されました。
両復興の会が作成した復興計画の目次とフレームは次のとおりです。

もくじ

はじめに                                     
1.計画の全体像 2
2.こんな地域にしたい 3
3.帰宅に向けた課題の解決 4
4.将来像実現のための計画 6
5.将来像実現に向けた短期的計画 8
6.復興計画実現のために 8
おわりに



C新潟県中越地震の被災地との交流会の開催(08年3月31日)


避難指示解除後に本格的な復興が始まることから先に被災体験をした住民の声を聞きたいという要望に応え、中越防災安全推進機構の協力を得て新潟県中越地震の大きな被害が出た川口町の住民十数名に栗原に出向いて貰いました。川口町の皆さんからは、震災を契機に地域づくりが活発になったことが報告されました。ただその背景には復興支援員の活躍が大きかったという指摘がありました。
まじめな話の後は、当然アルコール付きの交流会です。食べきれないほどの焼き肉に感謝。翌日は、川口町の皆さんに蕎麦をうって貰いました。手打ち蕎麦はやっぱりうまい。大成功の交流会でした。


C栗原復興市民ファンド


このファンドの創設に支援委員会は直接かかわっていませんが、市民側が策定した復興計画の中にはその必要性がうたわれています。今後の栗原支援にあたって大切なファンドとなることから、ここで紹介します。
NPO法人せんだい・みやぎNPOセンターは花山、栗駒耕英地区支援のために運営する基金「地域貢献サポートファンド みんみん」の中に「栗原復興市民ファンド」を設置しました。
市民の復興のための原資を市民が集めるという取り組みは、国内では初めてのことです。今後はこのような取り組みが増えるかも知れません。
 寄付の振込先は「東北労働金庫本店営業部 普通預金5823126」、口座名義人はNPO法人せんだい・みやぎNPOセンターです。振込者の名前の前に必ず「復興」と書いてくださいということです。
支援委員会としては、PRという形で協力したいと思います。

Posted by 復興支援委員会 at 13:44 | 1. 設立の趣旨 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
メンバーを紹介します [2009年07月28日(Tue)]

木村拓郎(委員長)


現職は(株)社会安全研究所長。防災コンサルタントの仕事に約40年従事。
これまで雲仙・普賢岳噴火災害、阪神淡路大震災、有珠山噴火災害、三宅島噴火災害、新潟県中越地震、岩手・宮城内陸地震の復興に参画、主に行政と住民との調整を行ってきた。被災者新制度に明るい。宮城県石巻市出身。

山口一史(副委員長)


現職は、ひょうご・まち・くらし研究所常務理事。まちづくり応援や災害からのくらしの復興をテーマにするシンクタンク系NPOの常勤スタッフ。
阪神・淡路大震災当時は地元新聞社に勤務していて、多くの震災ボランティアと知り合う。災害からの復興で遅れがちになるくらしの復興を進めるため「復興コミュニティビジネス」づくりを調査、提案している。兵庫県神戸市出身。

栗田暢之(副委員長)


現職は、特定非営利活動法人レスキューストックヤード代表理事。
名古屋市在住。
阪神淡路大震災被災者支援活動を契機に現在まで約30ヶ所の災害現場に携わる。2000年東海豪雨水害では、あいち・なごや水害ボランティア本部長を務めた。震災がつなぐ全国ネットワーク代表も兼務。岐阜県瑞穂市出身。

上村靖司(副委員長)


現職は、長岡技術科学大学・准教授(機械系/安全安心社会研究センター兼務)。
専門は雪氷防災。新潟県中越地震を契機として復興計画策定や地域復興の実践活動に参画。NPO中越防災フロンティア・理事、復興デザイン研究会・副代表も努める。
新潟県北魚沼郡川口町出身。

稲垣文彦(副委員長)


現職は、社団法人中越防災安全推進機構復興デザインセンター理事・副センター長。
新潟県中越地震時に、復興のための中間支援組織「中越復興市民会議」を立ち上げ、産官学民のネットワークづくりを行う。現在も中越・中越沖地震の復興支援を行っている。中越復興市民会議代表も兼務。新潟県長岡市出身。

宮下加奈(副委員長)


現職は、防災士研修センター専門研究員。
二度の噴火被災経験があり、83年の噴火では溶岩流により生家を失う。2005年にネットワーク三宅島を立上げ、現代表。雲仙普賢岳、有珠山、三宅島の火山被災地域の住民団体で構成する「火山地域の市民団体相互支援ネットワーク」事務局長も兼務。
東京都三宅島出身。
Posted by 復興支援委員会 at 10:24 | 2.メンバー紹介 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
岩手・宮城内陸地震1周年 [2009年07月27日(Mon)]
宮城県栗原市に行ってきました。6月12日は今までほとんど行けていない花山を大山会長に案内してもらいました。夜は、耕英の大場さんと飲み会。二次会もありました。翌日の大場さん、気がついたら靴がない、でも何故か見たことのないスリッパがあったそうで、私は自分の靴を知らないかと問われました。私はタダ一言、知らない。後日、靴を捜索したところやっぱり一軒目の店にあったそうです。
14日の市役所の慰霊祭の前日、住民主催のイベントが行われました。私は花山と耕英に参加し、記念講演として例のパワーポイント「たくましく」をお話ししてきました。花山では、60人分のイスがいっぱいに、耕英も大勢の方に参加してもらいました。耕英のイベントは、大場会長の挨拶から始まりました。お世話になった皆さん全員の名前をあげてのすばらしい挨拶でした。この挨拶の原稿は、仙台の青木さんに奪い取ってもらいましたので、いずれHPに載せるとか将来発行するかも知れない記録誌のために保管することにしました。
耕英での講演は、マイクの設備なく(単に事務局が忘れただけ)、声を張り上げての講演となりました。パワーポイントの後半は中越が中心ですので、途中からは稲垣さんに助けてもらいました。ほれぼれするような稲垣節でした。
私は14日は東北放送に、15日は大阪の毎日放送でこの震災の話をしました。2つの番組とも大場さんが電話で生出演、連日大場さんは超売れっ子でした。
被災地について少しまじめな話をすると、避難指示は解除されましたが、まだほとんどの人が仮設住宅で生活しています。これは、住宅の修理が終わっていないこと、また雨が降ると避難を余儀なくされる可能性があるためです。
でも耕英の人たちは山に戻って本格的に農作業を始めました。しかし、最初の現金収入は昨年の苗から収穫されるイチゴからで、その時期は8月になりそうです。つまり3ヶ月間は収入無しです。しかも今年の収入は例年の2割止まり、来年で5割、元に戻るのは再来年という見通しです。それと今でもゲートがあり、山に入れるのは、住民と工事用の車両だけです。したがって当面は観光客も見込めません。

2つの復興の会の今後の活動については、まずは月1回程度の情報交換から始めたら、という提案をしてきました。それと花山・耕英、お互い被災現場を見たことがないそうです。まず、視察という提案もしてきました。今後とも連携して活動して欲しいものです。

地震から1年、マスコミもそれなりに取り上げてくれました。昨日は読売に安富さんが原稿を書いてくれました。ただ私の肩書きが「支援委員会長」になっていました。学会の肩書きがいいのか、悩むところです。24日はNHKで朝8時半からやります。


13日の午前、雨の中のイベントとなりました。でも人出はそこそこ。


名物のイワナ。あっという間に完売でした。


耕英、大場会長の挨拶シーン。とにかくすごい人数の報道陣


稲垣さんの講演会。みんな稲垣節にうっとり(悪酔い?)
Posted by 復興支援委員会 at 14:08 | 4.支援日誌 | この記事のURL | コメント(1) | トラックバック(0)
「生活再建ガイド」できました! [2009年07月27日(Mon)]
もしも、被災してしまったら・・・。被災後にはどのようなことが起きるのでしょう。避難生活することになったら、避難所ではどんな暮らしをするのでしょう。

もしも、被災して家を失ってしまったら・・・。生活を再建するのは、とても大変です。十分な保険に入っていれば良いのでしょうが、そうでない人が大多数でしょう。

「わからない」というのは、とても不安なことです。

支援委員会では、「被災してしまった」そんなときに、いったい何がおきるのか、国や自治体などによる公的な支援は受けられるのか、どんな支援があるのか、などを解説した、冊子を作りました。


「被災したら −生活再建のための本−」


被災地の住民や行政職員が抱える悩み不安を少しでも解消してあげたい、そんな願いから生まれた冊子です。2009年6月に完成しました。

A5版、12ページ。もくじは、次の通り。

  1. 被災した
  2. 避難所へ
  3. 避難所で
  4. 自宅が心配
  5. 「り災証明書」って、なに
  6. 応急仮設住宅へ
  7. その他の支援

中越地震や水害など、度重なる災害を経験した長岡市に監修して頂きました。

日本財団の協力を得て5000部印刷し、どこで災害があってもすぐ届けられるように新潟、東京、愛知、兵庫などの協力機関で保管しています。

災害発生時にはもちろん無償で配布いたします。

平時でも、「研修などで活用したい!」というご要望があれば、印刷費実費で配付したいと思います。ご希望あれば学会事務局までお問い合せください。
Posted by 復興支援委員会 at 13:41 | 3.ニュース | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)