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東日本大震災(木村) [2011年08月17日(Wed)]
・3.13:支援委員会として新燃岳噴火災害の都城市、高原町で車座トーク開催
(委員会から山中、宮下参加)栗田委員長、稲垣副委員長は地震のため欠席できず。
・3.24〜28,君島副委員長と宮城県の気仙沼市、石巻市、女川町で調査。「手引き」の寄贈の要請を受ける。
・日本財団に「手引き」増刷の依頼
・4.4〜4・6:稲垣、福留、宮下、木村で気仙沼市、石巻市、女川町、南三陸町に「手引き」を届ける。
・4.17;木村、稲垣で1500人が避難している郡山のビックパレットを調査
・4.19〜22:宮城県の気仙沼市、石巻市、女川町で調査。
・4月末から女川町の復興計画策定に参画(町の委員会の副会長)
・宮城県の復興会議の委員に就任
・6.12:宮城県栗原市耕英地区の震災3周年イベントに参加(稲垣さん、宮下さんも)
・7.10;ふくしま被災者支援ネットワーク主催のシンポジウムに参加(場所は郡山のビックパレット)
・8.5;災害復興基金解説のため木村と宮下が福島県双葉町(埼玉県加須市)を訪問
Posted by 復興支援委員会 at 12:16 | 4.支援日誌 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
耕英記録誌、その後 [2010年03月29日(Mon)]
もうすぐ4月。東京の桜はすでに咲き始めています。
宮城の耕英地区の震災記録誌は順調に進んでいます。3月は13日と27日に編集会議があり、参加してきました。記録誌の方は、印刷代の寄付を募集中で、詳しくは耕英のブログを見てください。
久しぶりに耕英(山)に行ってきました。積雪は例年より50センチほど多く、まだ1メートル近くあります。大場さんは早く農作業を始めたいのだが・・・といって嘆いていました。

栗駒山もまだ雪景色。写真の右下に見える住宅が大場邸。

全壊で建て替えた大場邸も雪の中。

山脈ハウスも雪に囲われていました。
でも4月1日からは交通規制が解除になり誰でも山に行けるようになります。山道は狭いので運転にはくれぐれもご注意を。

Posted by 復興支援委員会 at 15:27 | 4.支援日誌 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
耕英 震災記録誌 [2010年02月08日(Mon)]
木村と宮下さんで記録誌作成協力のために耕英に行ってきました。耕英といってももはや山は大雪で行けないので岩ヶ崎に行きました。着いた日は、地元の人もビックリするような大雪。そして仮設住宅では、独り暮らしの高齢者が亡くなりました。避難してから3人目なそうです。

昨日は、記録誌に掲載するための座談会が仮設住宅の談話室で開催されました。司会進行は仙台の青木さんです。予定の1時間半があっという間に過ぎ、時間オーバー。実に中身の濃い座談会でした。
本は震災2周年の6月完成の予定。有料頒布になるはず。写真は1世の皆さんの座談会。
Posted by 復興支援委員会 at 14:49 | 4.支援日誌 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
島原 噴火20周年 [2010年02月01日(Mon)]
島原に行ってきました。島原は最初の噴火から今年で20年になります。
島原の復興で特筆すべきは、安中地区のかさ上げ事業です。集落を平均で6メートル盛土し、その後再び集落を再生しました。この方法は、北海道南西沖地震の奥尻町の手本になりました。
今年は、有珠山も三宅島も噴火から10年です。3地域合同でイベントをやりたいという思いがあります。今回はその相談に行ってきました。ビックリするようなアイデアが出ました。段取りがうまくいけばいずれ発表します。お楽しみに。


集落が再生がほぼ終わって10年。現在の集落にはまだ空地が目立つ。
Posted by 復興支援委員会 at 14:21 | 4.支援日誌 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
宮城、耕英地区記録誌の作成始まる [2009年12月24日(Thu)]


22日、耕英地区で震災2周年に向け住民による記録誌の作成が始まりました。
作成委員会が8人で発足。
第1回の打合せには、木村と仙台の青木さんも参加。場所は仮設住宅の談話室。
決まった内容は、
・住民の1年半の体験をしっかり残すことを目的にする(次の被災地で役立つものを目指す)
・発行は、来年の6月。
・体裁は、A5版。ページ数は150〜200ページ。
・印刷部数は1000部を予定。有料頒布
・1〜2月にかけて住民から聞き取り、座談会を実施。
・資料編には、「復興の会」が作成した資料などを入れる
記録誌作成に向け委員会としても支援する予定です。みなさまご提案があればどうぞ。


仮設住宅、談話室でイチゴを食べながらの打合せの様子(壁の時計は20時)


花山地区、積雪50センチの「自然薯館」。花山では記録誌作成の動きはまだない。
Posted by 復興支援委員会 at 10:51 | 4.支援日誌 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
佐用町の近況 [2009年12月16日(Wed)]
12月12〜13日と佐用町久崎地区に行ってきました。現地は、外見上は落ち着いたかのように見えますが、実情はまだまだです。4か月たっても壁がベコベコの家、下塗りの壁が乾かない家、床下が乾かない家、畳のない家など、さまざまです。住民の話では、生活が普段取りになるのは来年の春だろう、と言っています。つまり災害前の生活に戻るためには半年以上はかかるということです。
住民の方から出た話を紹介します。
・5年前にも被災した。お金もなく生活再建に向かう気持ちになれない。自分たちのような被災者には支援金を増額して欲しい。
・もう別の場所で生活再建したい。
・河川改修が終わらないうちは、また水害が発生するのではないかと思い、家を建てる気になれない。
・80歳の男性。被害は大規模半壊。家の修理に1000万円かかる。お金がない。

みなさん、いろいろな悩みを抱えて年の瀬を迎えようとしていました。


仕事場の壁は水が引いた後も波打ったまま。

下地が乾かないために未だに上塗りができない家が多い

未だに畳が入っていない家も多い
Posted by 復興支援委員会 at 10:30 | 4.支援日誌 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
兵庫県佐用町に行ってきました [2009年11月02日(Mon)]
10月24日(土)、佐用町で被災者の生活再建相談会を実施しました。
この日は、たまたま町長選挙前日という微妙な日でした。この日被災者は、選挙や義援物資の受け取りで大忙し。
まずは、現地の様子。水害から2か月が経過しましたが、未だに後片付けは終わらず、多くの住宅が室内や壁を乾かしている状態でした。すでに解体撤去した住宅もありました。一時は被害認定を巡ってだいぶ混乱したようです。再調査申請によって被害認定が変わった世帯もあり、行政不信がいっそう募ったようです。住民からは「被害調査を行う前に行政から説明があれば混乱しなかった」、という話がでました。今は多くの世帯が基礎支援金、保険金も受け取ったということで、一応落ち着きを見せていました。
さて相談会には、兵庫県内から弁護士・司法書士・不動産鑑定士・行政書士さん、計7人が参加しました。支援委員会からは、木村委員長と山口副委員長が参加しました。また佐用町からも職員2名が挨拶に訪れていました。
午前中の会場は大きな被害を出した久崎老人福祉センター、午後は中上月公民館で、相談に訪れた人は、約10人でした。相談の主な内容は、
・避難勧告が遅すぎたことへの不満
・森林組合では予算がなく困っている
・被災した住宅を撤去すると固定資産税が6倍になる
・災害には関係のない土地の境界線のトラブル
これ以外に世間話もあったようです。全体的には、やはりお金に関する相談が多かったように思います。
委員会としては、固定資産税について、行政機関に文書で「請願書」を出した方がよい、というアドバイスを行いました。
住民からは、まだ何を相談して良いのか分からない、という意見をいただきました。
会場には、炊きだしや足湯隊のボランティアもいて、それなりに賑やかでした。


まだ、壁を乾かしている最中の住宅


福祉センターの壁紙も当時のまま


土砂が流れ込んだままの田んぼ。わずかに稲穂が見える
Posted by 復興支援委員会 at 19:01 | 4.支援日誌 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
木村が宮城県栗原に行ってきました [2009年10月05日(Mon)]
木村が宮城県栗原に行ってきました。

9月30日、今年6月に避難指示が解除された栗原に3か月ぶりに行ってきました。
耕英地区は、相変わらず交通規制されているため、まず、栗駒支所に行って臨時通行許可証をもらいました。
山の木々は例年より2週間も早く色づき始めていました。つまり、もはやかなり寒く、昼でもストーブが必要な状況です。
泊まりは、区長さん経営のまだ修理が完全に終わっていない民宿。夜は、大宴会。皆さんお元気で、安心しました。

住宅の修理、それから4軒の新築もほぼ終わりなそうです。
住民のほとんどは、まだ仮設住宅で生活、来春の雪解け(仮設の期限でもある)を待って、山に戻る人が多いということでした。
やっとイチゴ、ダイコンが出荷できるところまできました。
問題になっていた農業用水の公的な復旧は見通しが立たず、結局、自分たちで何とか工夫するしかないということでした。
それとオートキャンプ場などは、まったく手つかずで、被災当時のままです。

翌日は花山地区
この日から交通規制は緩和され、温湯山荘もこの日から営業再開。
初代会長が退任ということで、かなり寂しい。
初めてIさん経営の「ざらぼう」のお蕎麦をいただきました。正直おいしい。お勧めです。
花山は、地区によっては戻りが3割。残りの人たちは子供のところや平地に家を造るということでした。
5世帯から公営住宅建設の希望が出ているのですが、なぜか予算は4戸分だけなそうです。

感想。災害前とはまったく違う1年という避難生活。皆さんの生活も大きく変わったようです。中には認知症がかなり進んでしまった人もいるようで、生活復興は、被災者の生活の変化に注意することが必要であることがはっきりしました。



夜、みんなで宴会。盛り上がりました。


完成間近。Oさんの自宅


やっとイチゴも出荷できるようになりました


農協での出荷。この日はイチゴ、ダイコン、切り花


山荘もようやく営業再開
Posted by 復興支援委員会 at 18:24 | 4.支援日誌 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
奥尻島に行ってきました [2009年09月27日(Sun)]
木村が奥尻島に行ってきました

16年前(1993)、奥尻は大津波で多くの方が亡くなりました。
復興にあたって津波対策が実施されました。まずは地盤のかさ上げです。集落全体を防潮堤と同じ高さまで盛土しました。
住宅再建は、再建する人に義援金から1200万円出たことから、ほとんどの人が再建しました。
集落から高台に避難するために、随所に避難路が設けられています。ただしこの避難路は幅が60センチ程度で、しかもかなり急。高齢者には相当きついが、普段から利用されているという。
また、漁港にいる漁師さんが一時的に退避する場所として立派な「避難デッキ」も建設されました。普段はイベントでたまに使う程度。行ったときは漁網の干し場として活用されていた。
復興計画策定にあたっては、住民は行政におまかせで、特に住民組織的なものはできなかったとのこと。
島は、やっぱり景気が悪い。アワビも捕れるそうですが、高くて買う人がいないため漁に出る漁師さんはいないそうです。また、収入が激減していることから出稼ぎする人が多く、中には半年も出かけている世帯もあるそうです。

奥尻には、函館から30人乗りの飛行機で行きます。ただしこの航路は採算が取れないことから廃止になるそうです。
現地を案内してくれたタクシーの運転手さんは、青苗地区の人で、少し怖そうな顔をしていますが災害に詳しく、名案内に感服。半日しっかりガイドしていただいて料金は1万円、これは安い。お勧めです。


かさ上げの高さが分かる部分あり



高台に向かう避難路。ソーラーのサインもあり


津波対策として漁港に整備された「避難デッキ」

函館は昭和9年(1934)の函館大火が有名。
悪天候の中の大火で、火災に追い詰められた人が次々に高波に飲み込まれた。死者数は3千人弱。
記念堂を探してお参り。記念堂は立派。しかし記念堂の説明らしきものがどこにもなく残念。



立派な記念堂
Posted by 復興支援委員会 at 11:58 | 4.支援日誌 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
水害被害にあった佐用町、美作市訪問レポート [2009年08月21日(Fri)]
水害被害にあった、佐用町、美作市に支援委員会メンバーの栗田、木村が訪問しました。

●佐用町・美作市の被災現場等の視察
日時:8月19日(水)8:00〜15:30
参加:木村、栗田

○佐用町災害ボランティアセンター(本部)
・水野センター長(社協事務局長)、兵庫県社協・岩木氏にご挨拶
○佐用町災害ボランティアセンター(佐用高校)
・兵庫県社協・荻田氏らにご挨拶
・JPcom桑原氏から災害復興対策室の8月19日付けの設置を聞く
・SVA白鳥氏から被災箇所の地図情報を受け取る
○佐用町災害ボランティアセンター(久崎小学校)
・ブロック派遣社協関係者にご挨拶
・周辺家屋等を視察
○佐用町災害復興対策室(佐用町上月支所2階)
・長尾富夫室長(財政課長)と面会
・復興支援委員会の概要を説明、「被災したときに」200部希望され、早速手配
・今後相談したい場合は連絡をするとのこと

○美作市災害ボランティアセンター
・高知・山崎氏のご案内で、社協事務局長、次長にご挨拶
・岡山県社協・西原氏、浅原氏にご挨拶
・「被災したときに」400部希望され、早速手配
・うるうるパック(被災者訪問用お土産)を100セット希望され、早速手配
・ボラセンに常駐されている市の担当者(企画協働課・平田氏)より、市災害対策本
部のご担当者を紹介される。
○美作市災害対策本部
・総務課・竹田茂雄氏、企業誘致課・小嶋卓司氏、建設管理課・小林英樹氏らと面会
・復興支援委員会の概要を説明、被害調査のポイントなどをアドバイス
・今後相談したい場合は連絡をするとのこと

以上
Posted by 復興支援委員会 at 19:32 | 4.支援日誌 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
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