
第12回市民福祉フォーラム 開催のお礼[2019年12月08日(Sun)]
令和元年12月7日
社会福祉法人新城福祉会主催・新城市共催の市民福祉フォーラムを開催致しました。

フォーラムにご参加頂いた全ての皆様方、後援を頂いた皆様方に"熱く"御礼申し上げます。
もうすでに、あの場にご臨席頂けただけで応援団の一員。
皆様方が、むつおさん・岡田センパイ・哲ちゃんを見かけた際に、「素敵やったよ!」と声を掛けて頂けるのであれば、それこそがこのフォーラムの一番の成果なのではないかと思います。

さて、野々村光子さんの基調講演と第2部光子の部屋は皆様にとっていかがでしたでしょうか。

福祉という制度の制約を超えて、『人として』困難を抱える人や地域と共に生きてきた軌跡。
福祉が人を繋いだのではなく『働く』を通して人として繋がり、人生が肥えていく物語。
過激な内容がてんこ盛りでしたが、働き・暮らし応援センターTEKITO-設立の2006年にはどれほど過激なことだったでしょうか。
でも、野々村光子さんにとってはそれが普通だった。
3000年以上前の縄文時代の埋葬跡から、先天的に身体に障害のある高齢者の遺骨が発掘され、周囲にはたくさんの花の種が見つかった。そんなニュースを思い出しました。
福祉制度などない中で、地域がその障害者と共に生き、死の際には沢山の花で埋葬した。
縄文時代、もしくはもっと原初から連綿と続いてきた営みと、野々村光子さんの営みに深い類似性を感じます。
福祉という制度がなければ生きていけない人がいる。
そんな時代が転換していく起点はもう始まっていて、その扉は「素敵やったよ!」の、あなたの一言から開いていくのかも知れません。
あなたが生き辛さを感じた時、沢山の繋がりがあなたを支える。そんな素敵な新城でありますように。
最後に、最近出会った素敵な本から一文をご紹介して結びと致します。
最後までお読みになって頂きありがとうございました。
ジェイミー・バートレット著 ラディカルズより以下抜粋(少し長いです)
”人はいつの世も、「自分は最良の時代に生まれた」と思い込んでいる。法律も社会規範も慣習も、目の前にあるものが当たり前と考えており、それ以外のものがある可能性など考えてみようともしない。
だが、わたしたちがいま当然だと思っていることや、疑問すら抱いていない現代の常識はどれも、かつては危険な、あるいは馬鹿げた過激思想として、誰からもまともに相手にされなかった。たとえば、リベラル派の哲学者でイギリスの下院議員を務めたジョン・スチュアート・ミルが一八六七年人民代表法の条文改正にあたって選挙権の主体を示す単語を「men(男)」から「persons(人)」に改正しようとしたときには、怒りと嘲笑の猛反撃にあった。「そんなことをすれば、イングランド人の男らしさが脅かされる」と反対者たちは主張した。そして、ミルが提案した改正は女性の価値をもおとしめるものだ、と。完全にミルの負けだった。「ミル氏は自分の意見にもう少し常識を取り入れてはいかがか」と忠告する議員までいた。それから六〇年後、別の急進的な運動家たちの努力=婦人参政権運動が実を結び、一九二八年人民代表法により、イギリスでは男性と同じ選挙権が女性にも認められるようになった。
いま、わたしたちのまわりにも、一八六七年にミルが提案した法改正と同じように、馬鹿げているとか危険だと思えるものがある。ミルの時代と同じような思い込みが、現在もわたしたちの生活を形づくっている。”
社会福祉法人新城福祉会主催・新城市共催の市民福祉フォーラムを開催致しました。

フォーラムにご参加頂いた全ての皆様方、後援を頂いた皆様方に"熱く"御礼申し上げます。
もうすでに、あの場にご臨席頂けただけで応援団の一員。
皆様方が、むつおさん・岡田センパイ・哲ちゃんを見かけた際に、「素敵やったよ!」と声を掛けて頂けるのであれば、それこそがこのフォーラムの一番の成果なのではないかと思います。

さて、野々村光子さんの基調講演と第2部光子の部屋は皆様にとっていかがでしたでしょうか。

福祉という制度の制約を超えて、『人として』困難を抱える人や地域と共に生きてきた軌跡。
福祉が人を繋いだのではなく『働く』を通して人として繋がり、人生が肥えていく物語。
過激な内容がてんこ盛りでしたが、働き・暮らし応援センターTEKITO-設立の2006年にはどれほど過激なことだったでしょうか。
でも、野々村光子さんにとってはそれが普通だった。
3000年以上前の縄文時代の埋葬跡から、先天的に身体に障害のある高齢者の遺骨が発掘され、周囲にはたくさんの花の種が見つかった。そんなニュースを思い出しました。
福祉制度などない中で、地域がその障害者と共に生き、死の際には沢山の花で埋葬した。
縄文時代、もしくはもっと原初から連綿と続いてきた営みと、野々村光子さんの営みに深い類似性を感じます。
福祉という制度がなければ生きていけない人がいる。
そんな時代が転換していく起点はもう始まっていて、その扉は「素敵やったよ!」の、あなたの一言から開いていくのかも知れません。
あなたが生き辛さを感じた時、沢山の繋がりがあなたを支える。そんな素敵な新城でありますように。
最後に、最近出会った素敵な本から一文をご紹介して結びと致します。
最後までお読みになって頂きありがとうございました。
ジェイミー・バートレット著 ラディカルズより以下抜粋(少し長いです)
”人はいつの世も、「自分は最良の時代に生まれた」と思い込んでいる。法律も社会規範も慣習も、目の前にあるものが当たり前と考えており、それ以外のものがある可能性など考えてみようともしない。
だが、わたしたちがいま当然だと思っていることや、疑問すら抱いていない現代の常識はどれも、かつては危険な、あるいは馬鹿げた過激思想として、誰からもまともに相手にされなかった。たとえば、リベラル派の哲学者でイギリスの下院議員を務めたジョン・スチュアート・ミルが一八六七年人民代表法の条文改正にあたって選挙権の主体を示す単語を「men(男)」から「persons(人)」に改正しようとしたときには、怒りと嘲笑の猛反撃にあった。「そんなことをすれば、イングランド人の男らしさが脅かされる」と反対者たちは主張した。そして、ミルが提案した改正は女性の価値をもおとしめるものだ、と。完全にミルの負けだった。「ミル氏は自分の意見にもう少し常識を取り入れてはいかがか」と忠告する議員までいた。それから六〇年後、別の急進的な運動家たちの努力=婦人参政権運動が実を結び、一九二八年人民代表法により、イギリスでは男性と同じ選挙権が女性にも認められるようになった。
いま、わたしたちのまわりにも、一八六七年にミルが提案した法改正と同じように、馬鹿げているとか危険だと思えるものがある。ミルの時代と同じような思い込みが、現在もわたしたちの生活を形づくっている。”