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千葉大学寄附講義−第9回 岡部先生−[2007年11月27日(Tue)]

<金色に染まった銀杏並木>


秋の終わりの千葉大学。
黄金に色づく銀杏並木をくぐると、
寄附講義も含めた教養科目を取りまとめている普遍教育センターの入っている建物、
さらにその後ろに寄附講座の会場、B号館があります。

本日の講師は仙台で在宅ホスピス医をされている岡部健(たけし)先生。
呼吸器外科として肺がん手術などを執刀していたご経験から、
「治らない患者さんに何もしないのはおかしい」とお考えになり、
患者さんが在宅で過ごせるような医療を提供できるクリニックを開かれたとのこと。

講義では、在宅ホスピス医になるまでの経緯や、
医療制度の枠組みを越えた取り組みをどのように形作っていかれたのか、
日本文化からみるホスピス・緩和ケアの視点をくみこみながらお話になりました。
以下、いくつかのポイントを挙げます。
少々長くなりますが、ご興味のあるポイントをご一読いただければ幸いです。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



呼吸器外科からホスピス医へ
呼吸器外科として肺がんの集団検診を行っていた。
検診で100人の肺がんが見つかっても、そのうち50人は治らない。
治る見込みのある50人は手術をするが、そのうち25人は治らない。

つまり、治る人は1/4。
それなのに治る患者さんだけみるのは片手落ちではないか?と考えた。

あるとき、3つの条件で、入院中の担当患者を全員家に帰した。
@痛みは必ずとる
A日常的にナースや他の専門家を派遣する
Bもし入院したらいつでもひきうける

病院に帰ってくる人は予想外に少なく、9割の患者さんは帰ってこなかった。
病院だけで医療をやっていたが、本当は皆自宅で最期を過ごしたい。

需要と供給に大きなギャップがある。
自宅で安心して過ごすことを保障する受け皿さえあれば、自宅で過ごせるのではないか。

パーマ屋だった物件を安価で借りて、在宅ホスピスの診療所が始まった。


ニーズに基づくチームの形成
病院では治る患者さんを中心に見るから、春から夏の医療だ。
在宅ホスピスは「治らない」と言われた患者さんをみたい。秋から冬の医療をしよう。

そんな信念で、「爽秋会」と医療法人社団につけた。

「患者や家族のQOLを維持する」という緩和ケアについて、当時の社会的認識度は非常に低く、賛同者も少なければ医療制度も整備されていなかった。

制度を越えて、本当に患者さんに必要なものをつくりたい。
そのためには、患者・家族のニーズをきちんと把握し、それに応えていくことが必要だった。

初めは医師、看護師、事務員のみでスタートした在宅ホスピスだったが、
状況に応じて専門職を増やし、今では全体で約50人のチームが形成されている。
常勤医師6人、看護師20人、薬剤師、ソーシャルワーカー、ケアマネージャー、作業療法士、ヘルパー、鍼灸師、ボランティア・・・。

患者や家族の要望を中心に、
本当に必要なことを組み立てていった結果、
このようなチームを作るに到った。
ちなみに、鍼灸は欧米のホスピスでは積極的に取り入れられている。


チーム医療で「信頼」を!
本当に必要なもの、はどの様に把握するのか。
多くの場合、独居老人の患者は重要なポイントを教えてくれる。

入院していた病院を「自主退院」(患者の判断で退院)した独居老人の患者さんがいた。
生活保護を受けていた。
介護に来ていたヘルパーから連絡を受け、痛みをとることから人間関係が始まった。

治らない上に痛みがとれなければ、患者さんは医療不信になる。
痛みがとれて信頼を得ることができると、患者さんは命や死について考えるようになる。

「死ぬまでにさくら、もう見れないんだろうな・・・」
という患者さんを花見に連れて行き、食事をした。
外出できるだけで希望がもて、「2週間に一度は外出したい」
と未来のことを語るようになった。

「その日、その瞬間にどんな希望がもてるか」が、最期を過ごす患者さんにとっては重要だ。
希望を持ち続けるための外出は、医師だけではどうにもならず、
作業療法士やヘルパーなどの専門職がいないとできないものだった。


「医者は技術があればこそ」
口頭で「痛みはとれます」と言っても、
実際に痛みが取り除かれなければ患者さんとの信頼関係は築けない。
外科手術をするのに技術が必要なのと同様、疼痛コントロールにも技術が必要。


日本文化のなかでのホスピス
欧米の実践例をモデルに導入したホスピス。
しかし、岡部先生は日本には日本の土壌にあったホスピスのやり方があるはず、と指摘する。

例えば、「知らない人のボランティアはなかなか手が伸びないが、知っている人(親戚、近所の方など)が困っていたら手助けはする」これが日本にもともとある文化。
欧米のボランティアを、そのまま稲作文化(=共同の意思決定をする文化)の日本に応用してもうまくいかない。

だから、日本語で「ボランティア」というと何かしっくりこない。
「隣のおばちゃん機能」と表現していた時期もあったがこれもまだろっこしい。
在宅のホスピスをきちんと日本型にしようとすると、適切に表現できる日本語の模索からはじめる必要がある。


現代日本の「看取り」事情
核家族化が進んだ日本では、身近な人の死を経験しないで二十歳を迎える人が多くなった。
ヘルパーなどの専門職の中にも、「看取り」を経験しない人が多い。
患者も家族もは死に接する経験がないので不安になり、病院に入院する。
しかし病院にも看取りの専門家がいるわけではない。
にもかかわらず、患者は漠然とした不安を抱えたまま入院し、「死」は見えないものになる。

若い頃から、「死」を直視して、見つめる習慣をつけてほしい。
「死」は自分にも、いずれは来るものなのだから。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



千葉大学の寄附講義も、年内は残り2回となりました。

受講生より提出されるレスポンスペーパーからは、
現場の臨場感たっぷりの講義から多くのことを感じていただいていることがわかります。

医療者になる方も、そうでない方も、
「死」をまっすぐに見つめられるようになればいいなぁとの願いを込めて、
キャンパス内の紅葉の写真をアップしました。

千葉大学寄附講義−第8回 内藤先生− [2007年11月20日(Tue)]

内藤先生の「ふじ内科クリニック」のシンボルマーク。


「はい、二人一組をつくってください。そしたら一人が石になって。どっちがなるか、決めましたか?」

8回目を迎えた千葉大学の寄附講義。
「ふじ内科クリニック」(山梨県甲府市)の院長である内藤いづみ先生は、医学部をはじめさまざまな学部の1,2年生に語りかけます。



「石の人は何もしゃべってはいけませんよ。顔色一つ変えないでね。もう片方の人はひたすら話しかけてください。」

480人の大教室で、二人組のワークショップが始まりました。
いつもは熱心に講義ノートをとる学生たちが、笑ったり噴出したりしながら熱心にパートナーに話しかけます。

「石になってみてどうでしたか?」
「反応しない、というのは大変でした。」
「石に話しかけてみてどうでしたか?」
「ずっと話しかけてていいのかな、と思いました。」

医療者になるのなら特に、患者さんにちゃんと向き合える人になってほしい。
そんな願いの込められた、コミュニケーションのありかたを考えさせるワークショップで授業は始まりました。

次は、より医療の現場に即した場面でのロールプレイ。
患者に扮する学生がステージに上がり、貧血の辛さを訴えます。
医師役の先生はひたすらパソコンに向かいながら空返事。
患者役の学生は、「わたしの方を見て、と思いました」と感想を述べました。



小さい頃から文学少女だった内藤先生が、医学の道に入って感じたのは
「末期がんの患者さん(=治らない病気の人)が放って置かれるのはおかしい」
ということ。

先生はその気持ちをもちつづけ、現在は在宅ホスピス医として甲府に診療所を構え、各地で活躍されています。

現在のお仕事の基になったのは、研修中の病院での体験と、初めて自宅で息を引き取った担当の患者さんだということでした。

研修医として入った大学病院は非常に古く、カーテンも天井もしみだらけ。
治癒する患者は大部屋に、重症になるにつれて4人、2人、個室にと移動する。
個室に入った末期の患者は、がんの告知もされないまま、死期が近いことをそれとなく感じ取る。
70代の末期がんのおばあさんは、一日中カーテンのしみをみて暮らしていました。
医者も看護師も「治る患者」につききりで、個室にはちらっと顔を出すだけで去ってしまう。
家族もなんとなく本音で話してくれない。

なにかの拍子に一人で個室を訪れた内藤先生は、
なにも考えずに「今日はいかがですか」と話しかけました。
反応がないので、耳のそばで繰り返しましたが、おばあさんは壁のほうをむいたまま。

おもわず「お辛かったですね」と本音がでました。
するとお祖母さんは号泣、本当の気持ちを発露してくださいました。

研修医時代に目にしたこのような「孤独な死」は、先生を次の行動に駆り立てます。

20代の頃担当していた23歳の女性の患者さん。
がんが前進に転移し、胸水がたまり、両肺にチューブをつけています。
告知はしていませんでしたが、この方も先が長くはないと予感していました。
妹のように(大切に)思っていた先生は、「あなたは今、何がしたい?」と話しかけました。

一泊でいいから家に帰りたい。
そして、秘密の日記を処分したい。


−母親と上司に話し、短期間でも家に帰ることを許してもらいました。

「みんなの声が聞こえる居間にいたい」
「トイレ間でちゃんと歩いて行く。おむつや簡易トイレは使わない。」

彼女は最期まで自分の力で生き、母親にさすられながら、コト、となくなりました。
これが、先生がプロデュースした初めての「孤独でない死」でした。


一つひとつのエピソードを丁寧に、リアルにお話になる先生の声に、
学生は熱心に耳をすませていました。

内藤先生のご活躍や、その他の講演内容などが盛りだくさんの下記サイトも是非ご覧下さい。
内藤先生のホームページ「在宅ホスピス医 内藤いづみ ふじ内科クリニック」



先生は最後に、谷川俊太郎さんの詩を朗読して、講義を締めくくられました。
(下記は先生のHPから転載。)
------

『死ぬ前におじいさんが言ったこと』
谷川俊太郎

私はかじりかけのリンゴを残して死んでゆく
言い残すことは何もない
よいことは続くだろうし
悪いことは無くなるだろうから
私は口ずさむ歌があったから
錆びかかった金鎚もあったから
言うことなしだ
私の一番好きな人に伝えてくれ
私は昔あなたを好きになって今も好きだと
あの世で摘むことの出来る
一番きれいな花をあなたに捧げると

-------

PS. 上記の谷川俊太郎さんの詩を検索していたら、こんなサイトを見つけましたまる
著名人、専門家がそれぞれの視点で「いのち」や「死」を語っています↓↓
「ぱりおん」
千葉大学寄附講義−第7回 デーケン先生−[2007年11月13日(Tue)]

<紅葉の始まった西千葉キャンパス>


ジョークとユーモアは違います。
ジョークは頭で考えるレベルで、時には人を傷つけることもある。

ユーモアは、思いやりと愛の表現。
ユーモアを介在させると、あたたかい人間関係になります。
笑いながら、同時に人に腹を立てることはできないのですから。

−上智大学名誉教授のアルフォンス・デーケン先生は、千葉大学の学生を前に、
このように講義を締めくくりました。


「ユーモアとは、“にもかかわらず”笑うこと」
と、ホスピス・緩和ケアの文脈でのユーモアの大切さを説いているデーケン先生。

先生のお父様は、戦時下のドイツにおいて、親しい人が次々になくなる中、
食卓では常に笑いを誘い、家族を楽しい気分にさせていたそうです。

スピリチュアリティーとユーモアは、自己の中に開発できる、とのこと。
緩和ケアの現場で起きた、このようなお話もされました。

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死が迫ったある母親が言いました。
「ウイスキーが飲みたい」

子どもたちは困って医師に止められているといいましたが、母は聞きません。
仕方なくウイスキーをあげると、「ぬるい。氷がほしい。」
氷を入れた冷たいウイスキーを、母はおいしそうに飲み干しました。

次に、「タバコが吸いたい。」
喫煙家ではなかった母親の欲求に子どもは再び驚きましたが、
「死ぬのはお医者さんではなく、私なのよ」と。
おいしそうにタバコを吸って、母親はなくなりました。

この話から考えられるのは、
それまで11人の子どものために生きてきた母親にとって、
「子どものためになにもできない」ということは、大きな悩みだったのではないか。
そこで、最後に子どものために出来ることとして笑い話を残したのではないか。
ということです。
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一方スピリチュアリティーについては、
「霊性」と訳されることもあるが、
ネガティブイメージがつくこともあるので、
先生ご自身は「スピリチュアリティー」という言葉のまま使っている、とお話されました。


若いときには「持つ」ことが「である」ことよりも大切だけれど、(Having > Being)
年をとると、「持つ」ことよりも「である」ことのほうが大切になる。(Having (Doing < Being)

サン・テクジュペリが「星の王子様」で述べたように、
「本当に大切なものは目に見えない」のであって、
世の中には、肉体的な目ではなく、心の目でしか見られないこともある。

このようなお話も、4歳のときに妹様を白血病で亡くされたご経験に基づいていました。
最期に家族の一人ひとりとあいさつして、「天国でまた会いましょうね」と旅立った妹。

英語や母語であるドイツ語を交えつつ、
「DeathのTHは舌を出すのです。私の美しい舌を見てください。」
と、死を語るときもユーモアを忘れず、スピリチュアリティーについてお話された先生に、
会場は大きな拍手をおくりました。



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今年の10月にスタートした日本財団の千葉大学寄附講義も、ちょうど中盤を迎えました。
後半は医療現場で働く医師や看護師の方々にご登場いただきます。
引き続き、ご報告いたしますので是非またご覧頂ければ幸いです。

千葉大寄附講義−第6回 山折先生−[2007年11月06日(Tue)]
さて、11月に入り、すっかり秋の雰囲気が漂っていますね。
千葉大での講義も第6回目を迎えました。
第6回目の講師は、宗教学者の山折哲雄先生です。


<山折先生>




山折先生の講義内容をご紹介します。以下抜粋です。

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青春時代の3原則
@歩く
A泣く
B眠る


医療の3原則(50代になって尊敬する医師から伝授された医療3原則)
@まず病人の痛みを止める
A患者をほめる
B最後の段階で患者の体をさする

医療の3原則というのは、医療分野だけではなく、人間関係の全てに広げて
考えることのできる原則だと思います。

そして、60代には肝臓を痛め手術を行いました。
この時から、自分の命のことを深く考えるようになりました。
そして、次の言葉が自然に口についてきたのです。

他者を看取るように 自己を看取る
自己を看取るように 他者を看取る


上記のことは、今後命ある限り、そしてこの命と共に歩むにあたり
非常に大切な事なんだと思います。


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山折先生の講義は、非常に奥が深いものでした。
20歳前後の学生さんが一体どのように感じ取ったのでしょうか。
人間、自分にも他者に優しさを常にもっておきたいですね。



<講義風景>