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第27回北勢線の魅力を探るの下見 [2016年07月11日(Mon)]
 7月10日、10月23日(日)に開催予定の「第27回北勢線の魅力を探る」の下見をしました。今回のコースは東員町、穴太駅をスタートして東員駅を目指します。まず、穴太・瀬古泉の寺や神社を参詣し、員弁川を念仏橋で渡って中上・長深では多奈閇神社や大雲寺など初めて訪ねる寺社などに立ち寄りました。

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 神田神社は初め八幡神社を産土神として、左右に春日神社、八坂神社が相殿として礼拝されていました。のち近隣の神社を合祀し、明治44年(1911)筑紫の春日神社を合祀した際、旧穴太村など6か村が合併した村名にちなんで現在の社名に改称されました。拝殿は嘉永3年(1850)の建立です。

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 穴太薬師堂には平安時代中期の作と伝える、桧一木造りの薬師如来坐像(三重県有形文化財指定)が安置されています。この地の南にあった七堂伽藍の大寺に祀られていたものを、江戸時代に移されたと伝えられています。

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 冤罪で放火犯にされた茂平が瀬古泉で火刑に処される日、桑名で真犯人が捕まった。大慌てで処刑の中止を伝えに来た役人が、藤川の袂で刑場の方から黒い煙が上がっているのを見て、刑場まで行かずに引き返したことからこの橋のことを「途中橋」と呼ぶようになりました。

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 昔、この地にあった大きな榎の根元に「白龍さん」の化身である白蛇が住んでいて、草一本とっても祟りがあると伝えられていました。ある時、迷信だからといって枝を払った人が病を得て苦しんだりしたので、丁重にお経を上げて貰って回復することが出来ました。それ以来社殿を建て「白峰龍神」として崇められています。

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 多井寺は古くは伊勢巡礼第29番札所のお寺ですが、現在は無住となって地区の方たちによってお守りされています。鎌倉時代初期、藤原実重が頻繁に奉加料や講料を寄進した記録が残されています。かつては薬師堂の辺りを地家と呼んでいる穴太にあったようで、本尊は行基作と伝える千手観世音菩薩です。

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 福泉寺は浄土真宗本願寺派、本尊は阿弥陀如生です。寺の創建はよく分かりませんが、滝川一益との戦で敗死した山田城主青木安豊の子孫が堂守をしていた笹尾堂が始まりと伝え、寛文10年(1670)付の本尊木仏のお札が残され、其の時、寺号公称を許されています。第8世恵教は布教師として功績があり、それを称える記念碑が境内にあります。

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 瀬古泉神社の中心となる社は須佐之男命を祀る八坂神社で、相殿は天照大神を祀る和泉御厨神明社です。明治41年(1908)瀬古村の山の神と天満宮、泉村の山の神と牛頭天王を合祀して瀬古泉神社と改称しました。

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 遍崇寺は真宗大谷派、本尊は阿弥陀如来です。開基は古く天平年中(729〜749)行基によると伝え、もとは天台宗でした。明応年間(1492〜1500)花戸に要塞を構え、この地を支配していた坂太郎左衛門は戦に敗れ、当時、この地を布教していた蓮如の教えに帰依して本山に参詣、阿弥陀如来の絵像を拝領して帰郷、一宇を建立して遍崇寺と名付けました。境内の経蔵には明治20年(1887)頃、第10世住職の花山大安師が研究資料として購入した明版大蔵経が所蔵されています。

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 多奈閇神社(久米神社)の主祭神は天日鷲命(あめのひわしのみこと)、神武天皇東征の時には伊勢津彦を追って伊勢国を平定し、伊勢国造となったといわれています。延喜式神名帳に「伊勢国員弁郡十座の内、多奈閇神社」とありますが、北勢町大字田辺に鎮座する同名の神社と何れとも決定されていません。なお、明治42年(1909)に旧久米村の3社を合祀(のち分祀)して翌年に久米神社と改称しています。

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 大雲寺は浄土真宗高田派、本尊は阿弥陀如来です。観応年中(1350〜52)国司太山高安の子で、京都東福寺で修行していた高吉が帰郷して南妻院を開山しました。滝川一益の戦火で当山も焼失、その時、本尊の救出が遅れたが、尊像は火中から飛び出して榎の枝に難を逃れたと伝えられています。寛永12年(1635)桑名に入封した松平定綱は本尊を参拝し、大運寺(のち大雲寺に改名)と命名して寺領を免許しました。

 今回は大雲寺で解散し、以下の方法でお帰り頂きます。
1.三岐鉄道の北西中央公園駅から三岐線に乗車して帰路につく。
2.イオンタウン東員まで歩いて、東員駅まで三岐バスに乗車する。
3.スタッフと共に東員駅まで歩く。
 お疲れ具合で、いずれかの方法を選んでお帰り下さい。

Posted by カァーくん at 20:27
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