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東文研の北勢線見学会 [2016年01月18日(Mon)]
 昨年11月、春日井市勝川で「全近鉄道部会・中部地区大会」が催され、北勢線の魅力を探る会の近藤代表が会の活動を報告しました。その時、基調講演をされた東京文化財研究所保存修復科学センター・近代文化遺産研究室の中山俊介室長から近藤代表に、15日に開催する研究会に講師として招いたドイツの産業遺産研究所のロルフ・フーマン所長が、北勢線の見学を希望しているので案内してほしいという申し出がありました。

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 14日の10時、ロルフ・フーマンさんが中山室長と研究室のスタッフとご一緒に西桑名駅に到着されました。この日、諸戸水道貯水池遺構をご案内頂く桑名市役所文化課の水谷さんと石神さん、会から近藤代表と西羽副代表が迎えました。

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 西桑名駅から歩いて馬道駅に向かいました。まず、私たちが「三崎踏切」と呼んでいる日本で唯一、三種類の線路幅が並ぶ踏切に着きました。ここは北勢線(西桑名第2号踏切・762mm)、JR関西本線(桑名駅構内踏切・1067mm)、近鉄名古屋線(益生第4号踏切・1435mm)の三つの異なるレール幅を渡る踏切です。

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 いつもは施錠されている諸戸水道貯水池遺構を開放して頂いて見学しました。明治37年(1904)初代諸戸清六によって作られた上水道施設で、桑名町と周辺地区の住民に無償で給水され、のち桑名町に寄贈されて昭和4年(1929)まで使用されました。

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 馬道駅のホームで、ドイツのグーテホフヌングヒュッテ社の1903年製のレールなど、待合所の柱などに再利用されている古いレールを見ました。フーマンさんは写真を撮ったり、寸法を測ったり熱心に観察してみえました。

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 ここから北勢線に乗車して阿下喜駅の横にある「北勢線とまち育みを考える会」が運営している軽便鉄道博物館に向かいました。博物館は毎月第1・3日曜日に開館されますが、今回、特別に開館して頂きました。

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 昭和6年(1931)、北勢鉄道が電化された時に製造された「モニ226」は、のち内部・八王子線で使用されましたが、昭和58年(1983)に廃車となって四日市スポーツランドで展示されていました。平成19年12月にここに移され、会員の皆さんが修復作業を行って現在の勇姿がよみがえりました。

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 フーマンさんと中山室長が展示室に掲示してあった「下工(くだこう)弁慶号」について、「北勢線とまち育みを考える会」の安藤会長から説明を聞いています。
 「下工弁慶号」は明治40年(1907)に製造された軽便蒸気機関車で、昭和9年(1934)下松工業学校に教材として払い下げられました。戦後、学校の正門前に展示され「下工弁慶号」と名付けられ、のち下松市に寄贈されていました。平成16年4月、北勢線90周年に際して「北勢線とまち育みを考える会」が3年間レンタルしてここで展示、その間に分解修理を加えるなど献身的な修復作業を行い、「下工弁慶号」を完全復活させました。

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 フーマンさんは「ミニ電ほくさん」に乗って転車台に向かいます。フーマンさん、車中ではかなり窮屈そうな表情でしたが、降りた時のお顔はご満悦そうでした。

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 転車台(ターン・テーブル)は蒸気機関車などを終・始点で進行方向を転換させるための装置で、この転車台は阿下喜駅の北側にあった製材所に材木を運び込むために使われていました。平成16年、埋もれていたものを掘り出して再建しました。「回転させるので、手を貸してほしい」といわれたフーマンさん、気軽に引き受けて転車台を回してみえました。

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 午後は「めがね橋」と「ねじり橋」を見学するため、阿下喜駅から北勢線に乗って楚原駅に向かいました。

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 「めがね橋」は、大正5年(1916)に北勢鉄道が楚原から阿下喜東(のち六石)まで延伸されたときに架けられたコンクリートブロックのアーチ橋です。ここで太陽が雲に隠れた1回目の写真撮影にご不満で、太陽の出現を期待して楚原駅ですれ違いする阿下喜駅行きの電車が通過するまで待機していたドイツ人フーマンさんの「こだわり」が印象的でした。

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 「ねじり橋」は、「めがね橋」と同じ時期に架けられたコンクリートブロック・アーチ橋ですが、鉄道が下を流れる六把野井水を斜めに跨いているため、ブロックがねじれたように積まれています。「めがね橋」とともに久米村坂井(現桑名市坂井)の郡竹次郎の施工で、この頃は第一次世界大戦中で鉄材が不足して鉄筋を使うことができず、コンクリートブロックで作ることになったといわれています。

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 ちょうど授業が終わって帰宅する員弁総合学園高校の生徒でいっぱいの楚原駅に到着しました。15時46分発の西桑名駅行きに乗って帰りましたが、今までの貸切状態の北勢線から一転、車中が若者で溢れた北勢線を体験して頂きました。
Posted by at 07:55
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