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「第10回・北勢線の魅力を探る」マップ作り [2015年09月25日(Fri)]
 昨年春、作成した「北勢線の魅力を探る」の報告書総集編の別冊ウォーキングマップを作るため、改めてコースを歩いて所要時間を計測し、マップに添える写真を撮っています。9月21日、平成20年2月に実施した「第10回・北勢線の魅力を探る、お地蔵さんを巡って酒蔵へ」を歩きました。

〇「北勢線の魅力を探る」ウォーキングマップ
2015_0921-01.jpg 
 現在、第4回から第9回までのウォーキングマップができています。少部ずつですが三岐鉄道・桑名市・いなべ市・東員町にお渡ししています。あと2〜3回分を足してセットにしたものを北勢線の主要駅や公民館などに置いていただく予定をしています。また、このブログにも抜き書きした報告書を添えたウォーキングマップを掲載します。

〇小林理容前の地蔵堂
2015_0921-02.jpg
 西別所駅を出発し、濃州道を右折してすぐの稗田から員弁川を渡って桑部に向かう三叉路に、小林理容の仏壇に安置されていた掌に載るほどに小さい地蔵様を祀った小祠があります。ここから西へ少し歩いた西別所川畔の右側や、北勢線の踏切を渡って蓮花寺川に架かる城下橋の手前、と西別所の3個所をはじめ、今回のコースは各所で10個所を超える地蔵堂に出会います。

〇稗田前駅跡
2015_0921-03.jpg
 民家の間の細い道を南下すると北勢線の踏切に出ます。ここは昭和19年に廃止された稗田前駅の跡です。北勢線の前身、北勢鉄道は大正3年(1914)4月に大山田(現西桑名)と楚原間で営業を開始した。大正5年8月に楚原と阿下喜東間が、昭和6年(1931)7月には阿下喜東と阿下喜が開通して、桑名町と阿下喜の間が全通し、同時に全線電化された。戦時下、県下の各鉄道会社は昭和19年2月に設立された三重交通に合併し、この路線も三重交通北勢線と改称した。ここ稗田前駅は昭和13年5月に開設されたが、昭和19年7月、電力事情などにより廃止されました。

〇薬師堂
2015_0921-04.jpg
 稗田は員弁川に面しているが潅漑用水に恵まれず星川から用水を引いていた。春日神社から室町時代の五輪塔の一部や小石仏が出土している。薬師堂と呼ばれる薬王寺はもと天台宗、のち日蓮宗に改宗し、桑名藩の庇護を受けていた。明治初めに廃寺になったが、同6年(1873)に再興され、現在は地区の人たちによって維持されています。境内には矢部駿河守定謙の墓があります。矢部は江戸南町奉行を勤めていたが、冤罪を受け、桑名藩に身柄を預けられた。座敷牢で断食し、天保13年(1842)7月に餓死、この地に埋葬されました。

〇教専寺
2015_0921-05.jpg
 員弁川を渡る桑部橋は、はじめ明治13年(1880)に架けられ、現在の橋は昭和57年に架け替えられたものです。桑部橋南詰めに城山と呼ばれる丘陵地があって、戦国時代の平山城、しかし、現在は採土、整地されて宅地化され、跡形もなくなりました。なお、桑部城主のご子孫大儀須家は現在も東桑部で農業を営んでみえます。
 教専寺のご住職は私たちを本堂に請じ入れて下さって、寺の由来など聞かせて頂きました。17世紀末、寂如上人から寺号を許可された浄土真宗本願寺派の寺で、現在のご住職は13世(北勢の真宗寺院では13・14世のご住職が多いとのこと)です。黒田家の家紋、桑部二城、大正12年の本堂改築、境内の力石など多岐にわたるお話とともに秘蔵の寺号に関わる下間式部卿から送られた天和2年(1682)付の手紙を見せて頂きました。この文書の宛て書きには「勢州員刀(辺?)郡桑部村、教専寺/教俊」とあり、この頃の桑部村が桑名郡ではなく、員弁郡であったことが興味を引きました。

〇桑部篠原の地蔵堂
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 桑部は東・中・西に分かれ、さらに西部は篠原と呼ばれる。各区に地蔵堂があって8月23・24日は子供の行事、地蔵盆が催され、教専寺と善徳寺のご住職が4つのお堂をお参りしています。長谷神社は「延喜式」神名帳の桑名郡15座の一つです。もとは谷奥長谷(ながたん)にあったが洪水に遭って社殿が流失し、のち現在地に移された。『式内社調査報告』には、この地に居住した中臣氏の支族が、祖神の建御雷男神を鹿島神宮から勧請して祀ったもので、「桑部という地名は、或いは桑名首の部民の居住地であるところから名付けられたのではあるまいか。(吉川良隆)」とある。

〇正和台団地から後藤酒造場へ
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 山沿いの小径を抜けて正和郵便局を左折し、正和台団地を東西に貫く道をひたすら西進する。途中、東名阪道の高架下を通ってすぐ右の能部神社に立ち寄り、さらに団地の道を進んで赤尾台団地に入る。北外れの竹林の小径を下ると大きな屋敷や高い煙突が目に入る。現在、桑名では唯一の蔵元、後藤酒造場である。大正6年(1917)の創業で現在の代表者は4代目です。現在、同社は北勢線とのコラボ企画で作られた「北勢線応援酒」を発売。「北勢線応援酒」は七和嘉例川で栽培された酒米を使用して醸造した純米酒で、ラベルに北勢線の車体を描いた300mlの小瓶で半胚されています。

〇鞆尾神社から坂井へ
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 友は古くは鞆尾といわれ、旧跡鞆尾森に由来する。古くは牛頭天王社といった鞆尾神社は明治43年(1910)中上の多奈閇神社に合祀されたが、昭和3年(1928)に神殿を建てて分祀、復旧した。境内の幟立ては往年の長距離のランナー瀬古利彦氏の寄贈です。
 地蔵や観音など石仏が祀られた小祠を過ぎると坂井です。もと員弁郡の最南端に所在、桑名郡との境界にあったので村の名とした。地区にある真宗大谷派の圓授寺の山号も「郡境山」です。古代、伊勢神宮の神領地で氏神は中河御厨神明社です。員弁川に架かる坂井橋(この橋以東を町屋川と称した)を渡って県道63号を左に曲がるとゴールと星川駅に到着します。
Posted by カァーくん at 13:49
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