CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
<< 2021年01月 >>
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
プロフィール

北勢線の魅力を探る会さんの画像
カテゴリアーカイブ
リンク集
最新記事
https://blog.canpan.info/hokuseisenn/index1_0.rdf
https://blog.canpan.info/hokuseisenn/index2_0.xml
最新コメント
最新トラックバック
「第30回・北勢線の魅力を探る」の見どころ [2018年02月12日(Mon)]
 第30回北勢線の魅力を探る「藤原岳を望んで巡る里の春」を開催します。
2018_0211-01.jpg 
 開催日:2018年4月7日(日)
 集合:9:25、北勢線阿下喜駅
 参加費:300円(小学生以下100円)

 PDF版チラシは第30回チラシ 20180125.pdfをクリックしてください。

○石神社
2018_0211-02.jpg
 中世、石川は『神鳳鈔』に「内宮石河御厨三石」、『外宮神領目録』に「外宮石河御厨六斗」とあるように伊勢神宮領であった。集落の北、下野尻との境にある石神社は誉田別命(ほんだわけのみこと・応神天皇)ら11柱の祭神をお祀りする。江戸時代は八幡宮と称して石川・東禅寺両村の氏神であった。延喜式神明町員弁郡10座の一つとされるが、式内石神社については、当社のほか飯倉の石神社説や下野尻の春日神社に比定されるなど諸説がある。
 境内のカゴノキは樹皮が丸い薄片になって点々とはげ落ち、その痕が鹿の子模様になるのでカゴノキと呼ばれた。さらに当て字で「火護の木」と書くことから「社殿を火から護る」という縁起を担いで植えられることもあった。

○妙宗寺
2018_0211-03.jpg
 藤原山妙宗寺は浄土真宗本願寺派の寺で、文化8年(1811)10月、現京都市下京区に於いて僧知元によって創建された。明治15年(1882)光淳の時、県の許可を得て当地に移転した。本堂は明治13年(1880)、鐘堂は明治25年(1892)の建築である。

○春日神社
2018_0211-04.jpg
 平安時代、文章博士であった長尾出身の春澄善縄(はるずみのよしただ)が命じて勧請したと伝える少彦名命(すくなひこなのみこと)を主祭神として相殿に天児屋根命(あめのこやねのみこと)など春日祭神4座と磐長姫命を祀る。
 古くは石神社・伊原里宮ともいい、祭礼の際に社頭に石を投げる投石神事があったが、応永12年(1405)に石投げの争いがあってから中止となった。当社の例祭に奉納される獅子舞は「狂乱牡丹の舞」と称され、今から300年ほど前、近江国から伝えられたといわれ、市の無形文化財に指定されている。

○瀬木の畑田井水
2018_0211-05.jpg
 瀬木(せぎ)はもと阿下喜村の枝郷で、寛永17年(1640)に分離、村を立てた。『勢陽五鈴遺響』は村名の由来を「水崖ニシテ堰ノ義ヲ名トセリ」と記している。水に恵まれず耕作地のほとんどが畑地であったため、享保期(1716〜36)、庄屋の佐藤儀左衛門は用水を確保して田を開くことを思い立ち、桑名藩へ具申、許しを得て水路の開削に着手した。山・谷を穿つ難工事であったが、他村の応援を得るなどして員弁川からの取水に成功、井渠を流れる水は9町歩を水田とした。(現在、下流の向井水と合わせ利水面積は20町歩となった)
 村の北、山中に享保十九年四月二十七日、享年六十歳と刻まれた佐藤儀左衛門の遺徳碑が建っている。

○猪毛利谷神社
2018_0211-06.jpg
 猪毛利谷(いもりたに)神社の祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)・伊香我色男命(いかがしこおのみこと)など8柱。『文政七年(1824)瀬木村明細帳』に「神祠に牛頭天王・山神」とあり、牛頭天王を村の氏神としてお祀りしていたが、のち猪名部造の祖神、伊香我色男命を、さらに明治41年(1908)山神社・八天宮を併せ祀ったものと考えられる。
 地元の伝承によれば、集落の川上7里の所を流れていた谷川「イモリ谷」に鎮座していた猪名部神社が、霖雨の時節に洪水に遭って流出し、この地に止まったので社を建立して氏神とし、明治になってもとの鎮座地を社名としたといわれている。なお、この洪水の時、猪名部神社銘が刻まれた鰐口が員弁川を流されて中上村・志知村の付近に流れ着いたとも伝えられている。

○桐林館
2018_0211-07.jpg
 昭和59年(1984)に開館した桐林館(とうりんかん)は、地域の自然・教育に関する資料や文化財の保存・展示施設である。この場所は旧阿下喜小学校の跡地で、鳥坂野に新しい校舎が建設されるに当たって、昭和11年(1936)に建てられた旧校舎の玄関付近の一部を復元して残したものである。
Posted by カァーくん at 16:39
この記事のURL
https://blog.canpan.info/hokuseisenn/archive/125
コメントする
コメント