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第29回 ぶらくわな 町屋御用水を巡る 下見 [2017年07月20日(Thu)]
第29回 チラシです。
第29回チラシ用.pdf

7月4日(火)第29回の下見をした。
今回のテーマは「町屋御用水」
桑名歴史の案内人、伊藤通敏さんから見どころを説明していただく。
 町屋御用水は寛永3年(1626)桑名藩主松平定行によって作られた上水道です。繁松新田の町屋川(員弁川)から取水し、自然の勾配に従って桑名城下南西の吉津屋御門まで開渠で通され、ここから先へは地中の樋管で城下へ配水していました。
全長約2Kmあり、全国で6番目に出来た水道です。この水道は明治37年に諸戸水道が開通するまで約280年もの間、桑名の町の人々の生活を支えてきました。
 今回は町屋御用水の痕跡を訪ねて、町屋川に残る取水口から終端の七里の渡し場跡までを歩きます。
○西別所駅集合
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○矢田揚水場
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 町屋川下流部左岸地域の農業用水の取り入れ口。現在ではかなり市街化されている桑名市北部の平坦地ですが其処此処にはいまだ農地が残っています。それらを潤す貴重な農業用水です。
○桑名市水道、町屋水源地跡
 昭和3年それまで使用されてきた諸戸水道に替わる水道施設として新たな水道の水源地がここに設置されました。町屋川の伏流水を汲み上げてポンプで上野の浄水場へ送られ、桑名町内へ配水されました。この水源地は昭和42年頃まで使われました。
○町屋御用水取水口
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 町屋御用水の取水口は直接川の表面水を水を取り入れる構造で、取水量を調節するための水門が設けられています。ここからコンクリート製の導水路で堤防と国道258線の下をくぐって創建時の町屋川左岸であったと思われる川成町地内に入ります。
○サンジルシ醸造工場
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 サンジルシ醸造は文化元年(1804)桑名潘の命により「みそ・しょうゆ醸造業」として現在の船場町に創業され、桑名の地場産業として発展してきました。昭和47年現在地に移転、この工場は昭和11年(1936)に東洋紡の製絨工場として開設されました。構内には会社の沿革を記した説明板と会社と郷土の発展に寄与した佐藤信之助氏の銅像が建っています。
本番は、祝日のため休業。残念ながら門の中に入ることはできません。
○御用水親水広場
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 町屋御用水は近鉄とJRの線路を暗渠で抜けると新地地内へ入り、広い道路の真ん中を流れます。護岸は石張りで整備され、ここに水面へ降りられるように階段が設けられ、親水広場になっています。壁面に御用水についての説明板が設けられています。
○新福橋
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 新地は正徳年間(1711〜16)に足軽屋敷として開発された土地で、東海道沿いの福江町から新地への出入りのために町屋御用水に橋が架けられました。新地の「新」と福江町の「福」を採って「新福橋」と名付けられました。
○水車跡
 江戸時代にこの付近に江間四郎左衛門という人が御用水の余剰水を使って水車屋を営んでいたという話が伝わっています。そのため桑名の人はこの付近を水車(みずぐるま)と呼んでいました。
○掛樋跡
 御用水は桑名城の外郭堀に架橋された掛樋(水道橋)で渡って城下へ入り、願證寺の西側を外郭堀に沿って北進していました。ここの町名は現在でも「掛樋」です。
○伝馬公園
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 江戸時代中頃まではここから北側にかけて願證寺という大きなお寺がありました。願證寺は元は長島にあって長島一向一揆の中心となったお寺でしたが織田信長に攻められ廃寺。のちここに再興。しかし高田派への改派について内紛があり再び廃寺となりました。

当日は、時間がかかりすぎるためコースに組み込みませんが、願本寺、天武天皇足洗井、楊柳寺、法盛寺、光明寺も回りました。

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○新橋跡
 桑名城の外郭堀には防備の関係から当初は城下西北の美濃方面への出入り口である三崎門橋と東海道筋南端の七曲見附の2箇所しか橋は架けられていませんでした。しかし城外の矢田磧や新地にも武家屋敷が設けられると、登城の便のため正徳年間(1711〜16)にこの場所に新たに3番目の橋が架けられました。
○吉津屋御門跡
 東海道が枡形に屈曲しており番所がありました。町屋御用水はこの付近から暗渠となって道路の下に潜ります。

この日は、暑くお腹も空いてきたのでお寿司屋さんでちらしランチを食べて、終了となりました。

後日、春日大社から七里の渡しまでを、一人で歩きました。
○春日神社
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 正式には桑名宋社と呼び、桑名神社(三崎明神)と中臣神社(春日明神)の両式内社からなります。古来から桑名の総鎮守です。境内に神供用として用いられてきた御前水井があり、市の民俗文化財に指定されています。この井戸の水は水質が良いので明治元年明治天皇が桑名に宿泊の際、御膳水として供されました。
○通り井跡
 下水道工事により東海道の真ん中に井戸の跡が見つかりました。この井戸から道路の下を流れる御用水を汲み上げていたようです。この付近で2箇所見つかっており、目印に「井」と彫った石が填め込まれています。
○七里の渡し場跡
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 東海道の江戸からの玄関口です。江戸時代はここから熱田まで海上七里を渡る船が出ていました。鳥居は伊勢国に入って最初の鳥居であることから「伊勢一の鳥居」と呼ばれ、伊勢神宮の遷宮毎に建て替えられます。町屋御用水はここが終端で、余水はここで揖斐川へ排水されていたと思われます。
Posted by 近藤 at 21:56
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