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「第28回・北勢線の魅力を探る」の下見 [2017年01月10日(Tue)]
 1月9日、この4月9日(日)に予定している「第28回・北勢線の魅力を探る」のコースの下見をしました。麻生田駅を出発して北上し、旧山郷村を縦断する行程で文字通り山里の春が満喫できるのではと思っています。しかし、この日、参加者から意見が百出して纏まらず、今月中にもう一度試歩を行ってコースを決めることになりました。

〇山郷小学校
2017_0109-01山郷小学校.jpg
 明治8年(1875)其原道場を借りて「其原学校」を開校、校長は蛯原源吾(山郷小学校の校庭に「蛯原翁表徳碑」が建っている)、他に教員が一人でした。明治16年、現在の大辻新田に校舎2棟を新築して「楚里学校」を開校しました。明治41年(1908)「「山郷尋常小学校」、昭和16年(1941)「山郷村国民学校」と校名を改称し、昭和22年「山郷村立山郷小学校」となりました。

〇梶清左衛門碑と神戸屋嘉助碑
2017_0109-02釈玄斎碑・神戸屋嘉助碑.jpg
 平野新田の共同墓地に2基の自然石の墓標があります。向かって左の「釈玄斎」は平野新田の開発に尽力して初代の庄屋に任命され、元禄15年(1702)9月に他界した梶清左衛門の墓碑です。また、右側の「神戸屋嘉助」は博徒穴太徳の子分で、荒神山の決闘に参加し、のち穴太徳の跡目を継ぎ縄張りを広げたが、兄弟分を刺殺したことから警察に追われ、大阪で逮捕されて大矢知の監獄に収監、明治13年(1880)、収監中に発病した病気で死亡しました。

〇馬冷池(うまあらいいけ)
2017_0109-03馬冷池.jpg
 中津原村の庄屋伊藤庄右衛門と梶清左衛門に対して西野の開発を命じた桑名藩主松平定綱は、寛永16年(1639)元屋敷の東の高台に別荘を建設して、以来桑名の城から馬に乗ってたびたびここへ来て、開拓の進捗状況を視察して造成される田畑を見ることを楽しみにしたと伝えられます。この池は定綱一行の乗馬を洗った水場といわれ、新田開発の潅漑用水として開かれた悟入谷井水もこの辺りへ最初に引かれたとも伝えられます。

〇茶屋跡
2017_0109-04茶屋跡.jpg
 大正4年(1915)発行の『員弁郡郷土資料』に「茶席跡」として、「平野新田字御殿にありて山の中腹なる稍高き丘陵に存し禿げたる平地なり、嘉永年中松平定綱ここに茶席を営みたりという、現今この山を茶山と呼べり、此の地は一私人の宅地となれり。」とあります。平野神社の南、伊勢湾を見渡すことのできる小高い丘陵の頂上に「桑名領主松平越中守定綱公旧跡、後年□山建築物賜施当所開発認加治清左衛門家」と刻まれた自然石の碑が建っています。

〇平野神社
2017_0109-05平野神社.jpg
 主祭神は生前この地を愛した桑名藩主の松平定綱です。慶安4年(1651)定綱が逝去、後を継いだ子定良は、父がこの地に造営した別荘の中にその霊を祀り参詣しました。当時、定綱を平野新田開発の祖として崇敬していた村民は、これを氏神として鎮守の宮とすることを領主に願い出て許され、御霊大明神と尊称して奉斎したのが当社の創始です。
 この日、神社の沿革をお話し頂いた地元の古川巌さんから、平成6年に神殿の建て替えをしたとき、地元のW工務店が破格の安値で工事を請け負ってくれたことに感謝した地区30軒の人たちが、用材の伐採や建築現場・製材などの作業に参加したことや、もとの茶屋跡は今より高い姿のよい小山であったが、堤防工事にこの山を削った土が使われて現在のようになったことなどを教えて頂きました。

〇教昌寺
2017_0109-06教昌寺.jpg
 光耀山教昌寺は浄土真宗本願寺派、本尊は阿弥陀如来です。天正2年(1574)織田信長の長島侵攻の時、長島住人の津坂氏が難を逃れて当地に移住し、鼓の庄屋渡辺三野右衛門の庇護を受けて草庵を建て、本尊を安置して自ら看坊となったことを創始とし、のち庄屋を息子に譲った三野右衛門が京都興正寺で得度し、法名釈教昌を受けて看坊となりました。天保11年(1840)真宗興正寺派から本願寺派に転派しました。鐘楼には金属供出から戻された文政3年(1820)の梵鐘が置かれ、本堂軒下には「慶長十二年(1607)鋳之」の喚鐘が吊されています。
 当日、私たちを本堂に招じ入れられたご住職は、この喚鐘について記された昭和55年(1980)10月の新聞記事のコピーを配られて桑名の鋳物師が作った最古の釣り鐘であることや、寺の沿革とともに本堂の向って左側に安置された阿弥陀如来像が、津坂氏が長島から背負ってきた当寺の最初の本尊であることなどを話して頂きました。

〇波羅神社
2017_0109-07波羅神社.jpg
 祭神は素戔嗚尊・大山津見神・日本武尊の三柱です。勧請年は不詳ですが、明治42年(1909)地区の山神社と八剣社を合祀しており、古くは牛頭天王神社と呼ばれていました。『員弁雑誌』に「牛頭天皇社本社拝殿石鳥居在、産土神也、例祭9月2日、社地に山神の小祠あり。八剣大明神昔大坂御陣の時庄右衛門という者、大坂より持ち来たりて祀りしとぞ(後略)」とあります。

〇貝野神社
2017_0109-08貝野神社.jpg
 祭神は豊受大神・素戔嗚命・応神天皇・稻倉魂命・大山祇命・火産霊命です。勧請年は不詳ですが、古くから豊受大神を祀る社があり、相殿として素戔嗚命を祀る中之社があって貝野中之社と呼ばれていました。明治40年(1901)八幡社・走井社・稲荷社・水上社・山神社3社を合祀しました。秋の大祭に行われる「おみおく」は、神前に供えられた「おみおく」を詰めた俵を2組の青年達が担ぎ出して、境内を練り歩くと参詣者が俵の中の「おみおく」を取り出そうともみ合う祭りで、この「おみおく」を食べると1年間無病息災であると伝えられています。

〇寶林寺
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 悟入山寶林寺は臨済宗妙心寺派、本尊は如意輪観音菩薩です。永仁年間(1293〜98)この地で水田が開墾されたとき、不動明王を祀った堂宇が開かれました。万治3年(1660)尾張国稲沢村から招かれた虎願宗仇和尚によって阿下喜に見性寺が開山された際、当寺もその弟子を迎えて開山しました。境内の庭先に樹高20メートル以上のコウヨウザン(広葉杉)が屹立しています。枝先は下向きの弓状にしなった姿のよい巨樹で、この日も中部地方の巨樹を訪ねてみえる浜松のご夫婦が立ち寄られていました。

〇勝泉寺
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 天皇山勝泉寺は真宗大谷派、天平年中(729〜748)行基により東貝野に創建されたと伝え、寛和年間(985〜987)天皇寺として西貝野に移転しました。のち織田信長の侵攻により落城した一志郡の木造善勝が出家、入山して文明11年(1479)天台宗から浄土真宗に改宗しました。その後、この地に移転、再建して天皇山勝泉寺と改称しました。境内の枝垂れ桜は天保14年(1843)本堂の再建を祝って植樹されたもので、毎年4月初めに満開となります。

〇北勢ライディングファーム
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 北勢ライディングファームは会員制の乗馬クラブですが、引き馬コースや乗馬教室など初心者向きのコースも設けられています。馬場には障害レースの障害物も備えられていて練習風景がご覧になれます。
Posted by カァーくん at 16:00
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