珈琲ブレイク(6) 《御巣鷹山はるか》[2012年06月29日(Fri)]
世田谷区のお寺の境内で
昭和60年8月12日に起きた日航ジャンボ機墜落事故(死者520人)。音信の途絶えた機体を追いかけて、私は同僚らと深夜の山道や町はずれの街道を迷走していた。ようやく群馬・御巣鷹山に近づいたら、現場キャップの先輩から「山麓の町役場に“前線基地”を作り、そこで待機」の指令。事故現場に行きたい気持ちを抑えて、仲間を山に送り出す。ところが基地を作った役場が川上村(長野県)で、事故対策本部が設置されたのは上野村(群馬県)、御巣鷹山をはさんで全くの反対側だった…。
どんな取材にも困難は付きまとうが、あの日の御巣鷹山はひときわ遠く、実際の距離以上に遥かな存在だった。
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平尾
at 13:08
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珈琲ブレイク(5)《初代「帆船日本丸」・誘致ものがたり》[2012年06月15日(Fri)]
横浜で余生を送る初代日本丸
「太平洋の白鳥」とうたわれた大型練習帆船日本丸。今は2代目が就航(1984年から)しているが、80年代のはじめ、初代日本丸の隠居先をめぐる誘致合戦が激しく繰り広げられていた。名乗りを上げたのは横浜、神戸、大阪、小樽、新湊、福岡、鹿児島など10都市。中でも横浜と神戸が有力視されていた。
神戸の応援団長は、大阪フィルを指揮する朝比奈隆氏(1908-2001)。横浜市は、アンクルトリスで有名なイラストレーター、柳原良平氏をリーダーに、ともに大々的な市民誘致運動を展開。私は当時、横浜市役所の担当だった。
神戸市担当の同期生に電話した。「横浜に決まりそうなんだって」と言うと、「なにをトボケタことを。神戸で内定したとの情報を掴んでいるゾ」…。
結局は横浜が勝利し、初代日本丸はみなとみらい地区に美しい羽を休め、海洋教室などに利用されている。この誘致劇の裏側ではどんな争いが行われたのか。
Posted by
平尾
at 09:05
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