
珈琲ブレイク(5)《初代「帆船日本丸」・誘致ものがたり》[2012年06月15日(Fri)]
横浜で余生を送る初代日本丸
「太平洋の白鳥」とうたわれた大型練習帆船日本丸。今は2代目が就航(1984年から)しているが、80年代のはじめ、初代日本丸の隠居先をめぐる誘致合戦が激しく繰り広げられていた。名乗りを上げたのは横浜、神戸、大阪、小樽、新湊、福岡、鹿児島など10都市。中でも横浜と神戸が有力視されていた。
神戸の応援団長は、大阪フィルを指揮する朝比奈隆氏(1908-2001)。横浜市は、アンクルトリスで有名なイラストレーター、柳原良平氏をリーダーに、ともに大々的な市民誘致運動を展開。私は当時、横浜市役所の担当だった。
神戸市担当の同期生に電話した。「横浜に決まりそうなんだって」と言うと、「なにをトボケタことを。神戸で内定したとの情報を掴んでいるゾ」…。
結局は横浜が勝利し、初代日本丸はみなとみらい地区に美しい羽を休め、海洋教室などに利用されている。この誘致劇の裏側ではどんな争いが行われたのか。