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妖精の問題、、、、って? [2021年11月04日(Thu)]


朗読のwsに参加予定。

動機は、その脚本?が、相模原事件をきかっけに書かれたというから。

あと、実際に声を出してみたい。

うたごえ 合唱 [2019年05月17日(Fri)]


合唱することになった。

声を出すこと、大きな目的は、リハビリ。

シニアが合唱する理由は、わかるな。

声があんまりでない。

一人で暮らしてると、仕事以外は、

さほど声を出さない。

でも、これが怖い。

顔の筋肉もどんどん衰えるしね。

いきなり声出そうとすると、

すっごく喉の筋肉を使おうとしてしまった。

びっくりだ。

喉首顏の筋をほぐして、

あとは腹筋。

腹筋は、いけそうだ!

「愛に生き平和に生きる」

「路地裏の旅人」

一人で歌うと、まっだまだ、声が出てないよ〜。。。



母が亡くなった後、買ったピアニカ、、、。

良かった、買ってて。。。

「展々・」黙って読むこと、声に響かせること [2016年12月12日(Mon)]




うえ埜ようこの残した詩

だれかのからだを通して

声となって空間に伝わることを

≪展点てんTEN≫で体験する



うえ埜さんは、詩を書いていた時、

まずそういうライブパフォーマンスになることは

予想してなかっただろう、

と勝手に思う

が、本人に聞いたことはなかったし、

それはわからないな。

家に帰ってから、

いくつかの詩がまとめらた11冊の「展々・」(てんてんてん)を、

そっと開いてみた

おどろくほど、声できくこととは

違う!

全然違う!ので

仰天する。

行と行の間の

余白のたっぷりさ加減

このたっぷりさ加減が、

うえ埜さんらしさ、・・・の気がする

そこには読む人ひとりひとりに

イメージする空白がひろがっている



とはいえ、

音声となって、空気を響かせる

詩の力は、現実に顕れる

一つ一つの作品世界というより、

たくさんのことばのカタマリのエネルギーのような

方向や姿を表す勢いのようなものが発散していく感じか

詩の魂というものの伝わり方は、

無数にあるということなのだろう・・・・



黙って、静かに広がり深まること

音が声が自由に伝わっていくこと

紙の上に、なのか、
どこかの隙間に、なのか、
後ろなのか、回りになのか、
途方もないところになのか、


どこかに在る





黒澤美香さん [2016年12月06日(Tue)]


12月1日の早朝に黒澤美香さんが亡くなられた。

ずっと、踊って来られ、多くの踊る人、場を育てて来られた。

最初にそのダンスを観たのは、ダンスボックス(大阪のトリイホール)。

上手からセンターへ数歩歩いていくその間に、空間が変わる。

丁寧な雑巾がけがずっと続く、

たしか、鋸で何かを切り続けていたような記憶もある。

一度ワークショップに参加してみたいと思いつつ

それはかなわなかった。

ずいぶん前から病気はされていたと聞くが、

そんな様子は、全くわからななかった。

驚くほど、ギリギリまで、踊りに捧げて来られた。

・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・

今日が、お別れの日だと。

京都から、横浜の方へ、感謝の祈りをささげています。

http://www.cinra.net/news/20161202-kurosawamika


「不正義の果て」クローズ・ランズマン ’2013 [2015年05月09日(Sat)]


ショアは、15年位前に、全部ではないけれど見た・

今回は、「不正義の果て」(2時間45分位)

これを見る前に、思うことは、

たぶん、イスラエル建国の経緯と現在のイスラエルのやっていること(

パレスチナへの虐殺)への問題意識があるかないかで、

たぶん、このドキュメンタリ-(インタビューを中心に構成されたもの)

映画への見方は、様々だろうということ。

プリーモ・レィビーの言葉の中に

「灰色の領域」というのがあることを

思い出した。

アウシュビッツでの出来事は、

白か黒かではなく、

被害者か加害者か、だけではなく

灰色の領域があるという、

そのことのひとつの証言が

この長老の話だ。

しかし、この長老は、なぜ、ここまで

饒舌なのか・・・


かんとくに、ナチ側のメンバーとの関係を

追及されても、はっきりと答えない

ありとあらゆることが

駆け引きの中で、あった、という言葉はあった。

「ホロコーストからガザへ」のサラ・ロイ

他の著作の中にも、

ユダヤ人というより、シオニストたちの中に

ナチとの協力関係をもったものたちが、

イスラエル(自分たちの国)を作るために

収容所送りと言う犠牲をあえてやった、

という事を書いていた。

この長老は、シオニストなんだろう。

盛んに出てくる「移民」

と言う言葉。

パレスチナに元々暮らす者たちのことは

全く考えられてないという事は簡単に察せられる。

あと、アイヒマン裁判について

アーレントが「凡庸だ」と言ったことを

この長老は、批判している。

アイヒマンは「悪魔」だと。

(続く)

龍と詩人 [2012年01月04日(Wed)]


年賀状、なんと、まだ 1名様しか出せていないのだ。

3日のうちにやろうと思いつつ、

考え始めて、手を付け始めたら、ちょっと大変なことになってきた。

「触って楽しむ」年賀状にしようと思ったのだ。

これはこれであきらめてないんだが。。。。

龍の形を毛糸か紐でボンドで貼り付けようとしてた。

一枚一枚の作業です・・・・

これじゃ、2月になってしまう?



その前から、「龍」で、ずっと思い浮かんでいたのは、

賢治の「龍と詩人」

これは、賢治の芸術観やら、自然と人の関わり方やら、

個性と表現の考え方やら、示唆に富んだ作品。

元旦によく読んでみたら、

老いた龍のチャ―ナタは、千年の昔に自然に対して勝手なことをして

皆を苦しめたため、十万年、洞に閉じ込められたまま、海と陸との見張り番を

させられている・・・・・

これは、原発のことにも、読みとれるではないか。

「預言者」 「設計者」、という言葉からは、

詩人(=芸術家)のあるべき姿勢を書いていると思うが、

終わりの方では、老いた龍と若い詩人スールダッタが

異世代交流による未来の世界のデザイン会議を二人でしようと

話している。

ファンタジックであるが、

現在の活動家へのメッセージだ。

どこまで、すごいのだろう。


岩手では、花巻と大槌町を結ぶ「イーハトヴ・メルヘン街道」を作ろうという動きがあるそうだ。

http://www.asahi.com/national/update/1031/TKY201110310190.html


昨年、実現できなかった岩手でのパフォーマンス計画を

何とか今年来年さ来年につなげられるようにイメージしてみよう。





「龍と詩人」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/4865_14855.html

9/18 まるごとチルコット 京都コンサートホール [2011年09月27日(Tue)]

2011,9,18(日)19:00〜
京都コンサートホール・大ホール 

(合唱団京都エコー創立50周年企画第一弾)


1st Stage 
Advent Antifhons (待降節の交唱)
指揮:ボブ・チルコット 


6つのパーツからなるアカペラの
初めの曲は「O Sapientia(英知)」

合唱のコンサートなるものに、たぶん
生まれて初めて行った。
いや、学生の頃、うたごえ祭典に行ったか。


座った席は、ステージの真後ろで、
指揮者と向かい合わせ、
合唱団の人たちの後ろ姿をずっと見ているわけだ。


約90名弱で構成された合唱の
この「英知」の歌声を聞いた印象は
「神に向かっているようだ」ということ。
確かに、現実にはホールにいる聴衆に向かって、
或いは、ホールの一番後ろあたりに向かって歌われているが、
天、というか、現世を超えた、「神」のいる世界に向かって
歌われている・・・ように 感じた。
私はクリスチャンではないけれど。


当たり前かもしれない。
待降節(クリスマス前の4週間?だったか)の交唱なのだし。
まず言葉があって、それにチルコットさんが作曲したということか。
「交唱」という文字も、生まれて初めて目にした。


私には、歌が上手なのかどうなのか、とかは、わからないが、
夜の部の一番初めが、こういうアカペラで
昼間に母の納骨をしたせいもあるが、
震災で亡くなった多くの人たちを含む亡き人々への追悼の意味も感じ、
圧倒されながら、その声というか、
音の響き合う空間に引き込まれていった。


こういう歌は、日本やアジアには、元々なかったような気がする。
限りなく上昇してゆく感じ。
3年前にパリのノートルダム寺院に入った時、
なんだこりゃ〜と、その内部の天井の高さというか、
天に向かって突き刺さっいくような鋭角なトンガリを見て
びっくりしたけれど、
それと通じる、上昇感。
パリに見える人と見えない人とのダンス交流のために一緒に行った伴戸さんが
「この教会の天井の高さ、
やっぱり、キリスト教っていうんかな〜、
上昇するバレエと
アジアの地を這う舞踏との違いやな〜」
と驚嘆して言ってたけど、
声の芸術にも同じようなことを感じる。


あとで、ボブチルコットをネット検索すると
多くの人たちが、
老いも若きも子供も彼の曲を歌っている。
いろんな国で。
イギリスは、合唱も盛んだ、
それは、やはり教会音楽の発達に支えられてるんだろうな


ジャスのアレンジも有名で、それらはラストのプログラムだった。


アンコール曲は2曲。
最後の曲は、タイトルは。。。リリー・ローズ?のようなタイトル。
浅井敬壱指揮で、チルコットさんはエコーの人たちと一緒に歌ったのだ。



強く印象に残ってるのは、
チルコットさんの指揮する手が、とても
強くしなやかで、面白い。
両手がしなっていた。


この日、3000円奮発して行くぞと決心し、
思いきって夕暮れを自転車を飛ばして向かったのだが、
なんと、当日券受付の前に並んでいたら、
若い女性が「これを使って下さい、友達が来れなくなったので」と
チケットをくれたのだ。ありがたい。
やったー!
これは、母のプレゼントだと感じた。


原田芳雄の「リンゴ追分」 [2011年09月07日(Wed)]


1か月ほど前、NHKラジオ、日曜喫茶室で

原田芳雄追悼をやっていた。

今までの彼が数回出演した時の録音。

戦前生まれの彼が聞いていたのは、

ラジオからの義太夫であったり、民謡であったと語っていた。

戦後はアメリカからの音楽にもちろん影響されるわけだが。

ライブでの「りんご追分」原田版

いろんな要素がはいってて、自由というか

奔放というか。。。

彼のブルースは、すごく好きなわけではなかったが、

初めて聞く「りんご追分」は

あらためて、興味深かった。

バックコーラス付き。

もちろん、美空ひばりを尊敬していての歌だ。



そして、演技と言うか映画の話が興味深かった。

完璧に世界が構築されたような台本は好んでなくて、

出来あがっていない部分のある中で、

その現場が生み出す関係者のエネルギーのやりとりの中での

自由な、即興的なものも含めた、リアルなものが出て来る瞬間をすごく

意識的に作り出そうとしていたようだ。

あと、面白かったのは、

歌については、トムウェイツを師匠?としてたようで、

マネして、本当に酔っぱらってライブで歌っていたけど、

トムウェイツは一滴も飲めない下戸だと後で知り

びっくりした、とも語ってた。

・・・・・・・・・・・・

トムウェイツ

この人、すごく踊ってるので、びっくり。

(余談)
・・・・・・・・・・・



最近、ラジオで民謡を聞くようになった。

その良さに長いこと気付かなかった。

追分とは、ひとつの音を、ずーー〜〜>><<〜〜と、

のばして歌うものらしいけど、

シンプルなモチーフを自由にアレンジしていくソロダンスのようでもある。

仕事歌なのか、馬で荷を運びながらだったのか。。。。

京都の街中にずっと暮らしてると、山とか海とか自然から離れてしまうけど

山や森の中で生活していた人の、

のどかな、まるで、水戸黄門の映画に出て来るような?

青空の元の切り立った山の道をイメージしてしまう。

追分が生まれた時代の風景は、どういう風景だったのだろうか。。。




混成合唱組曲「悪魔の飽食」 [2010年12月10日(Fri)]

昨日は、シニア女性合唱の練習日だった。

指導者の浅井先生は、相変わらずお元気で
ピアノ伴奏の先生とかけあい漫才の調子で、
参加者をどんどんのせていきながら
練習が進んだ。

3月12日(土)がゴールデンエイジ合唱のつどいがあり、
そこで3曲発表するのだ。
京都コンサートホールというすごいホールでだ。


冗談、というか、
歌声をほめたり、けなしたり、
そのナビゲート具合が絶妙にうまい。

先生は全国を指揮のために
飛び回っておられるようだ。


練習の途中、
昨日、2〜6歳ころの、ハルピンでの記憶を初めてお聞きした。

それは、大事に大事に育てられている日本人の子ども(浅井先生のこと)が

「ぼうや、おいで」と呼ばれ、毎日毎日、10名の中国人が
銃殺される様子を見せられていたという衝撃的な話。


きょう、東京で法政大学の学生合唱団で指揮を振られるそうだ。

以下、情報

ーーーーーーーーーーー

12/10
めぐろパーシモンホール・大
<法政大学アカデミー合唱団演奏会>
混声合唱組曲「悪魔の飽食」(84)
指揮:浅井敬壹/p:久邇之宣/合唱:法政大学アカデミー合唱団 


ーーーーーーーーーーーー


「なぜ音楽でそんな、きつい、重いことを歌わないとあかんのや?
と思う人も居るかもしれないが、自分が見てきた忘れられない記憶があるから、
人としてそれをやるべきだと私は思う
。思想とか政治とかは関係なく、
一人の人間としてそれをやらんとあかんと思うのや」
という話をされた。


森村誠一の作品に池辺晋一郎が作曲したもの。
731部隊 の生体実験 を題材にした合唱曲があることを初めて知った。
初めて出会う歌 [2010年11月19日(Fri)]

コールウイズユー(シニア女声合唱団)で

生まれて初めて聞いた歌

楽譜には、ひらがなしか書いてないので、
想像しながら聞いていた

あとで、調べたら、演奏をアップしておられるサイトがあった。

こちら


希望のささやき
  訳詞 緒園凉子
  作曲 ホーソン


1.
天つ御使いの 言葉さながら
声もひそやかに 希望ささやく
やみは四方にこめ あらし猛れど
明朝陽はのぼり 風も和まん
 希望の あまき言葉
 憂きにも 幸はひそむ
 (繰り返し)

2.
あわきたそがれに まやみ迫れば
暗き夜の空に 星はまたたく
いよよふけゆきて 胸はいためど
夜半にしのびよる 朝の光よ
 希望の あまき言葉
 憂きにも 幸はひそむ
 (繰り返し)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

シニア女声の歌は、もっとゆっくりだけど。

「うきにも

さちはひそむ」

と歌えば

そうだなと思う。


意味は、これとは違うけど

「降る日もあるけど

きっと晴れる日もあるよ」

とは、

ずいぶん前に母に言われた言葉。

たぶん、私が落ち込んでいた時だったんだろう。

今週末は、母の一周忌の法要がある。

本当の命日はまだ少し先だけれど。

粗供養の品物を考えたり

ネットで注文していることが

不思議だ。

またしても、自分の仕事に時間を使っている。

今日も、実家に行かなかった。

母の俳句の先生が、もうスゴイ高齢なので

早く、母の俳句をパソコンに入力して送らねば、送らねば。。。。


明日は、実家で母親のための準備をしよう
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