2011,9,18(日)19:00〜
京都コンサートホール・大ホール
(合唱団京都エコー創立50周年企画第一弾)
1st Stage
Advent Antifhons (待降節の交唱)
指揮:ボブ・チルコット
6つのパーツからなるアカペラの
初めの曲は「O Sapientia(英知)」
合唱のコンサートなるものに、たぶん
生まれて初めて行った。
いや、学生の頃、うたごえ祭典に行ったか。
座った席は、ステージの真後ろで、
指揮者と向かい合わせ、
合唱団の人たちの後ろ姿をずっと見ているわけだ。
約90名弱で構成された合唱の
この「英知」の歌声を聞いた印象は
「神に向かっているようだ」ということ。
確かに、現実にはホールにいる聴衆に向かって、
或いは、ホールの一番後ろあたりに向かって歌われているが、
天、というか、現世を超えた、「神」のいる世界に向かって
歌われている・・・ように 感じた。
私はクリスチャンではないけれど。
当たり前かもしれない。
待降節(クリスマス前の4週間?だったか)の交唱なのだし。
まず言葉があって、それにチルコットさんが作曲したということか。
「交唱」という文字も、生まれて初めて目にした。
私には、歌が上手なのかどうなのか、とかは、わからないが、
夜の部の一番初めが、こういうアカペラで
昼間に母の納骨をしたせいもあるが、
震災で亡くなった多くの人たちを含む亡き人々への追悼の意味も感じ、
圧倒されながら、その声というか、
音の響き合う空間に引き込まれていった。
こういう歌は、日本やアジアには、元々なかったような気がする。
限りなく上昇してゆく感じ。
3年前にパリのノートルダム寺院に入った時、
なんだこりゃ〜と、その内部の天井の高さというか、
天に向かって突き刺さっいくような鋭角なトンガリを見て
びっくりしたけれど、
それと通じる、上昇感。
パリに見える人と見えない人とのダンス交流のために一緒に行った伴戸さんが
「この教会の天井の高さ、
やっぱり、キリスト教っていうんかな〜、
上昇するバレエと
アジアの地を這う舞踏との違いやな〜」
と驚嘆して言ってたけど、
声の芸術にも同じようなことを感じる。
あとで、ボブチルコットをネット検索すると
多くの人たちが、
老いも若きも子供も彼の曲を歌っている。
いろんな国で。
イギリスは、合唱も盛んだ、
それは、やはり教会音楽の発達に支えられてるんだろうな
ジャスのアレンジも有名で、それらはラストのプログラムだった。
アンコール曲は2曲。
最後の曲は、タイトルは。。。リリー・ローズ?のようなタイトル。
浅井敬壱指揮で、チルコットさんはエコーの人たちと一緒に歌ったのだ。
強く印象に残ってるのは、
チルコットさんの指揮する手が、とても
強くしなやかで、面白い。
両手がしなっていた。
この日、3000円奮発して行くぞと決心し、
思いきって夕暮れを自転車を飛ばして向かったのだが、
なんと、当日券受付の前に並んでいたら、
若い女性が「これを使って下さい、友達が来れなくなったので」と
チケットをくれたのだ。ありがたい。
やったー!
これは、母のプレゼントだと感じた。