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二日連続で見た不思議な夢 [2021年03月31日(Wed)]



一昨日は、苦しい夢だった。
例の、踊りの本番前なのに、
準備できてない、、、あれです。

なんだったのかなあ?
金粉だったのか?
単純ではない構成だったのか?
細かいことはもう忘れた。


今朝見た夢は、
鳥に関すること。
養鶏場なのか、
おじいさんが、さばいた鶏肉を分けていた。
その直前のシーンは、有名な?ネズミ色の鶏が(名前もついてたような)
一羽だけ、大事そうに運ばれていく様子。
ああ。、殺されるのに、、、と見ていた。


多分、月曜日に、川端丸太町付近の
京大病院近くの電信柱のような鉄柱のてっぺんに、
たぶん子供と思われるトンビが居てしばらく鳴いていて、
自分で動けないのか、じっとしていて、
そのうちに、そこでうづくまっていたのを目撃したから。


たぶん、それは、前の日だったか
ワイルド東京という番組をテレビでちらっと見たからだ。
オオタカが東京都内に住んでいて、
母タカがエサを探そうにも、カラスが子供を狙っているので、
エサ探しがなかなかできなくて、力の強い一羽だけがエサにありつき
そのうち、力の弱い子供のタカの2,3羽は、地面にうずくまっている。

カラスが子供を狙っていた瞬間、地面で弱ってるタカの子供が、
いきなりカラスに襲い掛かる、
(それをたくさんのカメラマンが並んで撮影してるのが、異様なんだが、)
そのあとは「カラスもうかうかしてられない」
というコメントで終わっていた。

だから、ああいう夢を見たんだな。

あ、まだあった。
宮沢賢治の妹のしげさんの文章が本になっていて
2018年発刊の「屋根の上が好きな兄と私」。
その中に、屋根の上に上ってカラスと桜鳥(ムクドリ)の戦いを見ていた夕暮れが
描かれている。
兄賢治が何も言わなくなる時間。。。。

ああ、こういうことが、作品創作の動機や背景にあるんだな、と
実感させられる。
そういうのがいくつか、いきいきと描かれていて
何回も読んでしまうんだ。
私の原点に近いのかな。


多くの人が通り過ぎる、桜満開の界隈で、
子供のトンビに釘付けられていた私が見た夢。

やっぱり、弱肉強食は苦しいんだけど、自然はそうなんだから仕方ないね。
それが気になって、夢で見てしまうんだから、しょうがないね。

と思ってたら、久々にすぐ近くに
山バトが鳴いてる、
近くに降りてきた!













矢吹文敏さん(JCIL)お別れ [2021年02月06日(Sat)]


2月2日に、JCIL(日本自立生活センター)代表の矢吹さんが亡くなられた。

翌日の夕方に、短い時間だったけれど、最後にご挨拶をしに行った。

いつもと変わらない穏やかなお顔だった。

2月5日の今日は、告別式。オンラインで参加した。

障碍者の葬式は賑やかでないといけない、

普段からそのようにおっしゃっていたと、

出発の時に、妻の昭子さん(くろださん)が

話された。

小泉浩子さんも弔辞の中で、

なぜ、にぎやかでなければならないのか、
障碍者は隠れていてはいけない、と
その意味が今日わかったと、話された。


オンラインでは、70名以上が参加していたと思う、

実際に見ていた人はもっといただろう。

がんばって告別式に行けば良かったな、と少し後悔した。



東九条春祭りの実行委員会の場に参加していた時、

矢吹さんは実行委員長として参加されていた。

記憶に残っているお話はたくさんあるけど、

一番印象深いのは、

相模原やまゆり園障害者殺傷事件が起こった年の秋だったと思うが、

東九条ならこんな事件はなかっただろう、

こんな事件が起こらない町を創らないといけない

というよううなことを話された。

まちづくりにも、本当にすごく尽力されていたのだ。


それにしても、

告別式では、たくさんの若い頃から最近までの矢吹さんの写真が、

沢山の仲間達との活動の写真が、次々と映された。

若い頃は、ちょっと石田純一に似てた気がする。

本当に仕事されてきたんだ。

そこには、先に旅立たれた宮川さんや立林さんの姿も
あった。

オンラインでは、出棺の後、矢吹さんを乗せた車が、油小路十条のJCIL事務所前を

通る様子も動画で映された。

赤い花のついた花笠を持つメンバー(矢吹さんは山形出身)や、「矢吹さん、ありがとうございました!」という女性の声が響いていた。

たくさんのスタッフや関係者のそれぞれのエネルギーが合わさって溢れ、

胸がいっぱいになってしまった。

身内の方にしたら、悲しい辛いことばかりなのでしょうが、

私はからだの底から励まされ、

力を与えられたような一日でした。

自分が出来る事を一生懸命やろうと思う。

矢吹さん、ありがとうございました。

合掌


追伸)

2月2日、安置された矢吹さんの近くに佇んでいた時、

掛けられた白い絹布団の下から、びっくりするようなかわいらしい

パジャマなのだろうか?シャツなのか?

白地に赤青緑黄色の小模様が散った柄の衣類がのぞいていた。

矢吹さんは、骨形成不全症なので、おからだはとても小さい。

それに合うサイズだからなのか?

とにかく、目に焼き付いてしまった。

告別式の翌日は、一日中 雲一つない青空だった。

その下をリハビリのため、ゆっくり歩いていた時、急にそのかわいらしい

服のことを思い出した。

そうかー、あれは、お別れに来たみんなの気持ちをほぐすとか、

ちょっと笑わせてやろうと言う、矢吹さんのお茶目心の顕れだったんじゃないか?

連れ合いのくろださんが、選ばれたものだとしても、

ふだんの矢吹さんのおやじギャグ的なサービス精神というか、

(私はそれほど矢吹さんと親しく交流があったわけではないので、

あまりおやじギャグを知らないのだが)

そういうものに触れた気がした。

旅立ちの時にどんな服を着ておられたかは、わからないけれど、

私にとっては、最後にちょっと愉快な記憶をいただいた気分なのだ。

時を超えて、しかも、かなりぶっ飛びのインパクトで。

合掌 

IMG_0292 下から目線.jpg













目が痛かった!めくるめく「海辺の映画館」 [2020年08月25日(Tue)]


大林宣彦監督の「海辺の映画館」を観に行った。

長編。

監督の祈りと技術と時間と色んな物が、

凝縮され、しかも、死ぬまでにやんなきゃといわんばかりの

猛烈なスピードで、シーンが眩く展開していった。

途中で目が痛くて、何度も目を瞑っては開けての繰り返しだった。

中原中也の詩も、おおあわてで、出ては消えて行く。

そんななかでも、繰り返しが、違うゆっくりさも思い出させる。

しばし、頭の中で、閉じ込めておこう。
明朝、献花に行く [2020年08月25日(Tue)]


2020年7月16日

うちの近くで、高校2年のりゅう君が

お母さんの手によって死んでしまった。

殺されたそうだ。

お母さんは、その横で死のうとしたらしいが

近くのマンションで飛び降りようとしたところを

管理人におさえられた。

50年前「母よ!殺すな」という本になった事件があった。

二人の障害児を殺してしまった母親に

減刑請求の署名運動が起こったからだ。

当事者のいのちより、母親に意識が向かうことへの

青い芝の会の抗議だ。

そう、いつも、当事者のことが後回しになるんだ。

りょう君は、なぜ、死ななければならなかったのか?

ヘルパー制度も、まだまだ不備があるとはいえ、

整いつつあるれいわの時代にである。

母親の孤立?病気?地域からの孤立?

どうなっていたんだ?

そのしばらく後に,ALS殺人事件が起こり、

そちらのほうは、テレビでも新聞でも連日

取り上げられている。

でも、この事件は、このまま何事もなかったように

見過ごされるのか?

付近で、献花台も許されないと言う話を聞いた。

日本人でないから?

このままでは、あまりにも、りゅう君が

可哀そうだ。

彼は、どんな青年だったんだ?

彼の人生は、もっともっと続いたはずだ。

障害を持つ青年の人生が、

あったはずなのに、

誰が、何が、彼を殺してしまったのか?

痛すぎる、辛すぎるよ。

線路の向かい側から、静かに

黙祷を捧げに行くことにする。

花を捨てないでね。




#母よ!殺すな
告祀(コサ) [2020年05月30日(Sat)]


2020,1,8

もうじき、正月から半年経ってしまう。

忘れないうちに、メモしておく。

シアターE9でのイベント。

金サジさんの写真展のオープニングイベント。

「告祀」


強風を受けながら、鴨川べりを南下したら、
E9のロビーには、告さのしつらえが出来ていて、儀式は始まりかけていた。


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肉食しない私だが、こんな穏やかな豚の顔を見たことがない。

この場に居た人のほとんどが、お祈りに参加させてもらった。

お参りの仕方を習った後で、私も真似をしてたくさんの人の居る中で

させてもらった。

ひさびさの緊張の中で、いろんなことを感じた、いや、こんなことを祈ろう、
と思っていたことは、その時間は忘れてしまって

空っぽの不思議な時間だった、、

からだが何かを感じることが出来た。

貴重な記憶。






三陸・田野畑〜宮古 〜 あきた芸術村(わらび座)A [2020年03月30日(Mon)]



2020.3.14


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早朝、北山崎の岬へ。

第一展望台、第2展望台、第3展望台まである。
行けたのは、第2まで。
断崖絶壁!に近づくのは大変です。
鵜ノ巣断崖という景勝地。


この日は穏やかな海、岬の下の方から聞こえて来る波の寄せる音、
たくさんの鳥の声。
3,11が想像できない静けさです。

宿から展望台までの広い芝生の公園のようなところは、
もぐらがいるんだろう、たくさんの穴やもぐらが掘り進んだような筋の跡があった。

宿に戻って、朝食。

ご主人曰く、昔は宿の観光客を小さな船に乗せて、釣りに連れて行ってたそうだ。
夏は家族連れや若者でにぎわう感じだ。
たまたまこの日は、テレビ番組の取材でお忙しい朝でしたが、
親切な宿のご夫婦のお世話になりました。
昨夜は、ゆたんぽを入れて下さってた!

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白花しゃくなげ荘 (近くには、白いシャクナゲの群落。たくさんのつぼみを付けてました)


ーーーーーーーーーーーーーーーー


田野畑村民俗資料館へ。
ここに来たかったのだ。
ネットでは知っていたが、斬新なデザインの建物!

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ここは、「三閉伊一揆」の資料展示を中心にした資料館。

※三閉伊一揆とは?
 ペリーの黒船来航と同時期に、
 岩手県の田野畑村で起こった、
 1846年(弘化4)と
 1853年(嘉永6)の二つの大規模な民衆一揆で
 百数十ケ村、一万数千人が結集した。

 この一揆のことは、教科書には出てこない。
 坂本竜馬や西郷隆盛が活躍した時代に
 こういう民衆一揆があったことに驚く。
 NHK大河ドラマで取り上げたらいいのにと思う。
 まあ、こんな反体制な民衆の歴史は扱わないだろうが。
 藩主交代、南部藩から仙台藩か幕府直轄などを願い出、
 政治的な要求もしていた。
         
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 土曜が当番だというシニアの解説者から貴重なお話を聞いた。
 この方は、わらび座の茶谷十六さんのことをご存じだった。
 
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  40年前に民族歌舞団わらび座が、三閉伊一揆を「東北の鬼」という
 作品にした時、茶谷さんは何度も田野畑に足を運ばれたと聞く。
 
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知る人ぞ知る「小〇」(困る)の旗。

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一揆の道筋が、天井に赤と青のネオン管で示されている。
横にスレートの波板で地形がかたどられている。
資料館の設計・監理:早稲田大学理工学研究所(理工学部穂積研究室)


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一揆のストーリーが、切り絵で表現されている。
弘化の一揆の前、十数年もかかって切牛(きりうし)の弥五兵衛が
村々をオルグしている様子。


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嘉永の一揆の49か条の要求の文面の一部。
「迷惑である」「迷惑至極」というのが、
「お願い」ではなくて、自分達にとって「迷惑だ、困る」という
主体性が読める。
2020年の今の今と比べて、どこがどう違うのか?
と思ったりする。
一揆が起こらない2020年。


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たくさんの縄文土器や遮光器土偶も、何気なく展示されている。

 太助の墓をやっとこさで探し出す。
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 付近には、タラの芽も出ていた。


 観光タクシーで田野畑駅まで。
 途中、三陸国際芸術祭が開催されるはずだった
 アズビーホールに寄ってもらった(もちろん閉館していた)。

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田野畑駅から宮古へ。
宮古駅前の宿に荷物を預け、
バスで「崎山貝塚」へ。
なんか、研究者みたいな旅だ。
縄文の森ミュージアムの終了時間まで居て、
再びバスで宮古駅前に戻る。
夕食は、蛇の目本店へ。
瓶丼(びんどん)にチャレンジ(街で新しく企画された海鮮どんぶり。
新鮮な海の具が牛乳瓶みたいな瓶に、きれいに積み重ねて詰まってる)

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小瓶と中瓶。


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蛇の目本店は、3回目くらいだけど、
量が多くて良心的。
私はいつも、味噌汁じゃなくて「アラ汁」を頼んでる。

今日も、一日アクティブに過ごせました。
感謝です。
おやすみなさい。

※田野畑村には、バスが無くて、
村の中を移動するのは結構大変でした。
どうしても行こうと思った理由は、
三陸国際芸術祭で田野畑村で交流プログラムが予定されていたのと、
昨年、茶谷十六先生が同志社大学でプレゼンをされた時に、
先輩に紹介され、三閉伊一揆の資料や「安家村俊作」を読み、
こんな東北の村で、こんなことがあったのか!!と
驚異に感じたからでした。
田野畑村民俗資料館で解説をして頂いた方のお話では、
日本史の中でもあまり名前の挙がってこない南部藩が、数百年の長きに渡って
地味ながら存続した理由は、鉄と馬の生産地だったから、ということでした。
三閉伊一揆の理由も、南部藩が海産物や鉱山関係に税をかけて来たからと、
組織力や財力(一揆の支援者がたくさんいた)があったから。
指導者は関西まで旅行に行き、いろんなことを吸収して帰って来ていた。
村ごとの民俗芸能が盛んな事とも、
関係あるようです。


「安家村俊作」著:茶谷十六










三陸・田野畑村〜宮古〜あきた芸術村(わらび座)@ [2020年03月30日(Mon)]


2020、3、13


早朝、京都駅八条口を関空バスで出発。
いつもは待合室は人が多いのに、さすがにガラガラ。
関空からピーチで仙台空港まで。
ピーチは、ほぼ満員
(いま考えると、ちょっと恐ろしい、乗客はシーンとしてました)。
仙台〜盛岡までアーバンライナー(バスの乗客はまばら)。
盛岡〜宮古まで106(バス、こちらもまばら)。
宮古〜田野畑(三陸鉄道、ガラガラ)。
田野畑〜北山崎(乗合いタクシー)。

夕刻の白花(しろばな)しゃくなげ荘に到着!
一日、長い移動でした。
コロナがさほど言われてなかった時期だが、
旅行者は少なく、宿は私と先輩だけ。

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盛岡から宮古へ向かう106バスから。
雪は今年は少ないというが、峠の辺りは真っ白。

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宮古駅にて。
三陸国際芸術祭がコロナで中止のポスター。
元々、芸術祭に合わせてスケジュールを立てていた。
今後の開催を祈念。

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乗り込んだのは、偶然、三陸鉄道の豪華特別列車。


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カンパネルラ田野畑駅前に到着。
宮澤賢治「発動機船三」の詩碑。


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到着してすぐ、宿のご主人の勧めで
北山崎の岬近くまで散歩。
静かな波の音。



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黒わかめのしゃぶしゃぶが美味。
一番右、まだ、しゃぶしゃぶしてないが
黒からきれいな緑色に変わる。
海鮮炊き込みご飯も。
お腹いっぱい、ご馳走様でした。



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懐かしい昭和のカーテン。
(この写真は、まだ明るい時間)
夜は、外は真っ暗闇で物凄く静かでした。

おやすみなさい。




辰子姫伝説の湖 茶谷十六  [2019年12月03日(Tue)]


辰子姫伝説の湖 茶谷十六/田沢湖姫観音と朝鮮人強制労働@・・・今日の赤旗記事より

https://blog.goo.ne.jp/uo4/e/b885835237caa1bbf2903fe3b17dfbc3

あきた芸術村 理事の 茶谷十六氏の記事。

毎週水曜に掲載されているらしい。。。



半世紀前の木琴、響け、子供達の手で [2019年12月03日(Tue)]




小学生の時に使っていた、木琴。
きょうだい3人が2台を使ってたらしい。

半世紀以上になるだろう、押し入れの中で静かにしていた。
私も自分のワークショップで、持っていこうかなとは思ったが、
一度も持っていかなかった。

数十年ぶりに、うたごえサークルいぶきの旧友が泊りに来て、
廊下にあった木琴ケースを見て、
支援学校やサークルで使いたいからと、
もらってくれた。
何カ月も待機していた甲斐あり。

50年以上、打たれなかった木琴。
これから、第2の人生を子どもたちに囲まれて
にぎやかなところで過ごすんだろうな。

感謝。

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KIMG1963.JPG 木琴ケース 20191203.jpg

出発前の木琴。
梱包後、京都府与謝野町へ送られた。





プラタナスの花 [2019年06月03日(Mon)]


生れてはじめて見た。

プラタナスの花。

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