ウトロ平和祈念館 [2023年03月21日(Tue)]
京都YWCAのお誘いで、初めてウトロ平和祈念館を訪問。 今日は、午後から雨模様。 2022年に開館したばかり。 ウトロ平和祈念館 https://www.utoro.jp/ 副館長のさんのウトロの現在に至るまでのお話。 2階の資料室見学と説明を受け、3階も見学。 そして、ウトロ地区の現在の見学。 また、訪れたい、誰かと共に。 お話の内容が充実というか、すごく膨大で、 ここに説明しきれない。 ただ、よく書かれたりしている「不法占拠」というコトバは、 違っているということ。 しかし、ぼんやりと知っていたことは、正確ではなかった。 ここは、今から、日本国内で稀有な場所として 在り続けてほしい、と思う。 放火された場所の後が、まだ生々しい。けど、 片づけないのは、正解。 明治期(日韓併合)以降、戦前の、いや、戦後もかな?、 朝鮮半島から何らかの理由で日本で働いた人たちが、 どのようだったのか? あまりにも、ちゃんと語られることは少ない気がする。 東九条では、そうではないが。 日本の鉄道、トンネル、ダム、道路、これらの工事の多くを 半島の人たちが担って来たのだと思う。 沢山の犠牲を払って。 3年前に訪れた秋田県の田沢湖畔のたつ子像のことも思い出した。 ダム工事に関わった半島の人たち。 宮沢賢治の最晩年の文語詩50篇という詩篇の中、 その冒頭の作品が思い浮かんできた。 (いたつきて ゆめみなやみし) いたつきてゆめみなやみし、 (冬なりき)誰とも知らず。 そのかみの高麗の軍楽, うち鼓して過ぎれるありき。 かの線の工事了りて、 あるものはみちにさらばひ、 あるものは火をはなつてふ、 かくてまた冬は来たりぬ。 ウトロ平和祈念館には、一年で1万2千人近くが訪問しているそうだ。 予想の6倍だとか。 ここにきて、励まされて帰る人が多いと聞く、 私も、何か、つくらなければ、出来るうちに、、、と思った。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |