• もっと見る

«三陸・田野畑村〜宮古〜あきた芸術村(わらび座)@ | Main | 告祀(コサ)»
<< 2022年07月 >>
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
カテゴリアーカイブ
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
三陸・田野畑〜宮古 〜 あきた芸術村(わらび座)A [2020年03月30日(Mon)]



2020.3.14


KIMG2368.JPG


KIMG2400.JPG


KIMG2405.JPG



早朝、北山崎の岬へ。

第一展望台、第2展望台、第3展望台まである。
行けたのは、第2まで。
断崖絶壁!に近づくのは大変です。
鵜ノ巣断崖という景勝地。


この日は穏やかな海、岬の下の方から聞こえて来る波の寄せる音、
たくさんの鳥の声。
3,11が想像できない静けさです。

宿から展望台までの広い芝生の公園のようなところは、
もぐらがいるんだろう、たくさんの穴やもぐらが掘り進んだような筋の跡があった。

宿に戻って、朝食。

ご主人曰く、昔は宿の観光客を小さな船に乗せて、釣りに連れて行ってたそうだ。
夏は家族連れや若者でにぎわう感じだ。
たまたまこの日は、テレビ番組の取材でお忙しい朝でしたが、
親切な宿のご夫婦のお世話になりました。
昨夜は、ゆたんぽを入れて下さってた!

KIMG2403.JPG

白花しゃくなげ荘 (近くには、白いシャクナゲの群落。たくさんのつぼみを付けてました)


ーーーーーーーーーーーーーーーー


田野畑村民俗資料館へ。
ここに来たかったのだ。
ネットでは知っていたが、斬新なデザインの建物!

KIMG2465.JPG

KIMG2459.JPG

ここは、「三閉伊一揆」の資料展示を中心にした資料館。

※三閉伊一揆とは?
 ペリーの黒船来航と同時期に、
 岩手県の田野畑村で起こった、
 1846年(弘化4)と
 1853年(嘉永6)の二つの大規模な民衆一揆で
 百数十ケ村、一万数千人が結集した。

 この一揆のことは、教科書には出てこない。
 坂本竜馬や西郷隆盛が活躍した時代に
 こういう民衆一揆があったことに驚く。
 NHK大河ドラマで取り上げたらいいのにと思う。
 まあ、こんな反体制な民衆の歴史は扱わないだろうが。
 藩主交代、南部藩から仙台藩か幕府直轄などを願い出、
 政治的な要求もしていた。
         
 KIMG2413.JPG

 土曜が当番だというシニアの解説者から貴重なお話を聞いた。
 この方は、わらび座の茶谷十六さんのことをご存じだった。
 
 KIMG2408.JPG
 
  40年前に民族歌舞団わらび座が、三閉伊一揆を「東北の鬼」という
 作品にした時、茶谷さんは何度も田野畑に足を運ばれたと聞く。
 
 KIMG2419.JPG

知る人ぞ知る「小〇」(困る)の旗。

KIMG2417.JPG

一揆の道筋が、天井に赤と青のネオン管で示されている。
横にスレートの波板で地形がかたどられている。
資料館の設計・監理:早稲田大学理工学研究所(理工学部穂積研究室)


KIMG2424.JPG

一揆のストーリーが、切り絵で表現されている。
弘化の一揆の前、十数年もかかって切牛(きりうし)の弥五兵衛が
村々をオルグしている様子。


KIMG2434.JPG 

嘉永の一揆の49か条の要求の文面の一部。
「迷惑である」「迷惑至極」というのが、
「お願い」ではなくて、自分達にとって「迷惑だ、困る」という
主体性が読める。
2020年の今の今と比べて、どこがどう違うのか?
と思ったりする。
一揆が起こらない2020年。


KIMG2444.JPG
 
たくさんの縄文土器や遮光器土偶も、何気なく展示されている。

 太助の墓をやっとこさで探し出す。
 KIMG2469.JPG


 付近には、タラの芽も出ていた。


 観光タクシーで田野畑駅まで。
 途中、三陸国際芸術祭が開催されるはずだった
 アズビーホールに寄ってもらった(もちろん閉館していた)。

 KIMG2477.JPG

田野畑駅から宮古へ。
宮古駅前の宿に荷物を預け、
バスで「崎山貝塚」へ。
なんか、研究者みたいな旅だ。
縄文の森ミュージアムの終了時間まで居て、
再びバスで宮古駅前に戻る。
夕食は、蛇の目本店へ。
瓶丼(びんどん)にチャレンジ(街で新しく企画された海鮮どんぶり。
新鮮な海の具が牛乳瓶みたいな瓶に、きれいに積み重ねて詰まってる)

KIMG2501.JPG
小瓶と中瓶。


KIMG2500.JPG
蛇の目本店は、3回目くらいだけど、
量が多くて良心的。
私はいつも、味噌汁じゃなくて「アラ汁」を頼んでる。

今日も、一日アクティブに過ごせました。
感謝です。
おやすみなさい。

※田野畑村には、バスが無くて、
村の中を移動するのは結構大変でした。
どうしても行こうと思った理由は、
三陸国際芸術祭で田野畑村で交流プログラムが予定されていたのと、
昨年、茶谷十六先生が同志社大学でプレゼンをされた時に、
先輩に紹介され、三閉伊一揆の資料や「安家村俊作」を読み、
こんな東北の村で、こんなことがあったのか!!と
驚異に感じたからでした。
田野畑村民俗資料館で解説をして頂いた方のお話では、
日本史の中でもあまり名前の挙がってこない南部藩が、数百年の長きに渡って
地味ながら存続した理由は、鉄と馬の生産地だったから、ということでした。
三閉伊一揆の理由も、南部藩が海産物や鉱山関係に税をかけて来たからと、
組織力や財力(一揆の支援者がたくさんいた)があったから。
指導者は関西まで旅行に行き、いろんなことを吸収して帰って来ていた。
村ごとの民俗芸能が盛んな事とも、
関係あるようです。


「安家村俊作」著:茶谷十六










トラックバック
ご利用前に必ずご利用規約(別ウィンドウで開きます)をお読みください。
CanpanBlogにトラックバックした時点で本規約を承諾したものとみなします。
この記事へのトラックバックURL
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
トラックバックの受付は終了しました

コメントする
コメント