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もういいよ
まあだだよ

昔、仕事場(Dance&People事務局)は
小さな四つ角の上の方にありました
朝・昼・夜、いろいろな音が響いていました
子どもの声、中学生たちの声、お母さんたちの声、ご老人の声
足音、車の音、雨の音、風の音・・・・


写真:2018年11月/岩手県滝沢市 馬っこパークにて
雄株だけのゼニゴケ [2022年04月23日(Sat)]


庭に竹筒から水がぽたッぽたッと石の器に落ちるところがあって、

その石の器の周りにはゼニゴケがび〜〜〜っしりとついている。

ただ、それはどうも雄株だけのようだ。

子どもの頃、家の敷地の中の、プレハブと倉庫の間の
日当たりの悪い空間には、一面にゼニゴケの雌株生えていた。

(どういうのかというと、高さが2,3センチの傘の骨のような植物が、
一面に林立している)

子どもの私には、それは、南洋のヤシの木のジャングルのように見えた。

行ったこともないけど、テレビでそういうイメージを植え付けられていたせいか
そう思っていた。

インドネシアとか、熱帯雨林の航空写真を上から眺めてるような感じ。。。


きょう、偶然見つけたネットのページに、

都会では、雄株のみ雌株のみのゼニゴケが多いらしい、と書いてあった。

うちは、住宅街だが、一応都会かな。

両方ある状態を「幸せのゼニゴケ」と呼んでおられた。

庭の中の、木の下の、

たった50センチ四方の世界だけど、

いろんな植物と、目には見えないけど

微生物が生きてると感じる。

水が透明ですばらしい。

ただこの写真では、器の中の水は、汲みだした後なので、
濁っているし、半分しかない。



IMG_1973 (002).jpg




音〜自分波動運動?・・? [2022年04月18日(Mon)]


「音をめぐって」

ものすごく幅広いっちゅうか

世界を相手にしたようなテーマ。

自分のカラダを音源にする、としても、

それを同じ空間に居る他者に伝えるということもある。

音源が、声、から、言葉、意味のある言葉、から、物語にすーーーと行く人もいる。

私の場合は、音を出すカラダ、というイメージだ。

セリフを言うのは、高校生の劇の時から苦手だという自覚がある。

呼吸と共に出る声、息の音、何かにカラダがぶつかる音、

ぶつからせることで発せられる音、

歩くだけで床をこすって発せられる音。

言葉にはなりにくい。そのずっと手前の音。

先日、4月3日の「動きをめぐる研究会」では、「昔話」を、一つのフォーマットとして
使いながら、声を出しながら、動いてみる、
動く人以外のほかの人は、それを、いろんな場所でどう聞こえるかやってみる、という実験だった。


なかなかむつかしい。
聴力の差もあるだろうと感じる。

語られる話がおもしろそうだと、そのストーリーに意識が向いてしまう。
声ではなくて。

前半の人がやってから、後でやる人はストーリーを外すという設定になった。

自分が音を出す身体になればいいんだな、と私は思った。

こういう場でも、ふだん言葉を使って何か(パフォーマンス)をしている人と
そうではない人とでは、発想の違いが出て来るのではないか。

別の日の「からだをつかってあそぼ」の前半の「わたしのためのカラダの時間」
の実験では
ハミングみたいなことをして、自分のカラダの中のどこかに向かって
それを響かせる、音の振動を飛ばす?
まあ、波動を送るみたいなことをやてみた。

首の後ろとか、太ももとかは難しい気がしたが、

胸や頭の上は、感じやすい気がした。

ハミングと言っても、ハッ〜〜っは〜〜〜っと、いうのになると、
勢いで筋肉が動くのでわかりやすい。

別の話。
知人が、食道がんステージ3〜4と判明したのだが、波動療法というもので
一カ月で消えたというのだ。

細胞にはそれぞれの波動があり、それが狂ってくるのを治すというのだ。

1年半前に、私はある整体治療院で「音で体を整える」という治療を受けたことがある。

めまいが酷かった頃のこと。

治療して一時間くらい後、帰宅途中で、片方の足先に微かな波動が感じられていた。

意識していなかったけど、

そりゃそうかな、と思った。

片方の足(右)だけなのが興味深かった。


音は振動、振動を起こすと伝わっていく。

からだの中にも、空気を伝っても、

金属などの物質でも、植物も。。。

細かく見て行けば、細胞とか、分子とか、を伝っていく、、、、

関係ないけど、十数年ぶりに植木鉢の土替えをした。

根が、驚くほど太く、或いは、細かく鉢の中でグルグル回っていた。

ひやあ〜

最近は、地面も微動活動、波動運動、活発だ。




賢治のわかりにくさ [2022年02月12日(Sat)]


2022,2,10付け

天声人語の記事を先輩が送ってくれた。

化学の実験によって、賢治のわからなさを解明する化学ショーをされている
四ケ浦弘さんのこと。

「リチウムよりもうつくしく酔ったように」とか、
見たこともないものを見せてくれるというのだ。

IMG_1515.JPG


でも、見えない人には、やっぱり、賢治作品は、わかりにくいだろうな、、、、と実感する。
圧倒的に目の人だ。




坂山さんの結審 裁判傍聴の感想 [2021年12月14日(Tue)]


裁判員裁判だったこの裁判。

懲役3年、執行猶予5年、という主文が始めに読まれた。

いろんなことの違和感があった判決内容。

心神喪失と心神耗弱、その違いは判らないし、

坂山さんを知らないから言えない。

が、

もし私が被告だったら、罪を贖うことはもうできないわけだが、

服役という時空間の中で、身を置きたいと思うのではないか?と感じた。

医療刑務所があるのかどうかわからないが、、、、。

そのほうが優しいのではないか?

それと、障碍者の命が軽視されてる気がした。

この判決を新聞やニュースでしって、介助がしんどかったら

殺されても仕方がない存在なんだというメッセージを撒いてるのではないか?

あと、施設に入れてしまえ、という発想に行く人がいるのではないか?

地域で生きることをより難しくさせるのではないか?

あと、福祉行政の落ち度や遅れが問題にされなかったよ。

京都の住民の冷たさ、りゅうくんの作業所入りを断った人たちは、何も思わないのか?

役所の人間は傍聴に行ったのか?

とか、
だんだん腹立たしくなってきた。





ドライブ・マイ・カー  [2021年11月14日(Sun)]


濱口竜介監督の「ドライブ マイ カー」を観た。

3時間だったが、没入したので、2時間程度の感じかな?

ずんずんと次の展開にヒョウイッと乗せていく

原作の村上春樹を読んだことがない(あまり関心が持てない)ので、

脚本がどのように作られたのかは、わからないが、

劇中劇もあり、出演者の現実と、演劇的な言葉が同一化していく。

映像の風景と会話(道路を疾走する車の姿と、その車の中の会話)
(舞台上のセリフと、日常の会話)が、重なっている。

それは、後で考えると、亡くなった音、禍福、渡(ドライバー)の3人の心の中の苦しみとその原因となる個々の過去や歴史、それからどう解放しようとしながら生きていくのか?それがどうういう行為になっているのか?ということ、それがつながっていくから、とってつけた感じないのだろう。

韓国手話、韓国語、日本語、それ以外のコトバ、、、、、
同時に使われる舞台、それが映画の中で実現される。

誰かと誰かの二人の間でだけ通じ合っていることをどうしたら第三者(観客)に
伝えることが出来るのか?というテーマ。、など。

震災や地震などの自然災害、家庭崩壊や貧困、虐待などなど、、、さまざまな背景が
存在することがふっと鵜後ろに控えている作り。

音の聞こえ方がすごいと思う。

(続く)




今なぜ“アートコレクティブ”なのか−  [2021年11月07日(Sun)]

Co-program2021 カテゴリーC 松尾加奈・楊淳婷「作り手のためのインターバルー今なぜ“アートコレクティブ”なのか−」 
https://www.kac.or.jp/events/30385/



東南アジアの民衆運動の中の

版画活動の紹介があった。

10年近く前に、出会った版画tシャツの真似をして作ったよ!

このコートを着て電車に乗っても、誰も気づかない。
ほとんどの人は意味が分からないし、
気にしてない。
ブームにならないとだめだね。

11月6日の京都芸術センターでの

コレクティブをテーマにした講座に参加した。

「劇団はもう古いのか?」

「ハラスメントと稽古」

「どんな場つくり?が参加しやすいのか?」

東南アジアの民衆運動としてのコレクティブ

そんなテーマだった。

テーマの幅広すぎて、後半wsでは時間切れの感じだった。

このあと、どんな展開になるのか?





FREEガザIMG_1002.jpg
妖精の問題、、、、って? [2021年11月04日(Thu)]


朗読のwsに参加予定。

動機は、その脚本?が、相模原事件をきかっけに書かれたというから。

あと、実際に声を出してみたい。

故小沢俊郎氏の登場! 夢の中に [2021年10月09日(Sat)]


アトリエみつしま企画展「それはまなざしか」

そのトークイベントの中で、ゲストスピーカーの吉岡洋さんが
「まなざし」について話されたのだが、
梶井基次郎の、
「視ること、それはもうなにかなのだ」
(「ある心の風景」)を紹介されたのだ。

梶井基次郎!
吉岡さんのお話がきっかけで、私は40年くらい前の
国文科の頃を思い出した。
同級生に梶井研究をしていた人もいて、
まさに文学少女という風貌で、長い髪を真ん中分けにして、
時々、髪をかき上げながら、本のページをめくっていた姿を覚えている。
多作とは言えない梶井の作品研究で新しい論を展開していたようだが、その中身についても
私は、特に関心も持てなかった。
自分のことだけで一杯だったので。

ほとんど梶井文学に触れてなかったんだな、と思う。
おかげさまで、今、すごく新鮮に読める。

あの頃の私は、文学の演習にリアリティーを感じることが出来ないことが多く、
全く熱心ではなかった。
詩は割と面白かったが。
大した人生経験もなく、自分が空っぽな感じがして、その状況で
文学論を語ることが空しいような、資格がないような感じがしていたのだ。
もしかして、
だから、あとで、舞踏の方に行ったのだと思う。

とにかく、梶井の「まなざし」のせいだろう、
故小沢俊郎先生が、お元気な姿で、夢に登場された。
(小沢先生は、宮沢賢治研究の先駆者のおひとりなのだ。)

登場の現場はどんなところだったのか?だんだん忘れてしまっているが、
どこかで何かの集まりが終わって帰るという時に、
大きな船に乗船していたが、途中で降りなければいけない時に、
私がもたもたして降りるのをためらっていたので、
(めちゃめちゃ、停まってる時間が短かった)
かなり高い船上から、コンクリートの船着き場のようなところに向かって、
エイっと飛び降りたのだった。

そのあとは、小沢先生がどこに行かれたのかは
わからない感じだった。

私の持っている荷物が複雑だったことは覚えている。


見ることと作家について。

賢治作品の中で、
「ガドルフの百合」に惹かれる。
見るということで言うと、
自分の心象を風景の中に見ている。
風景は心象になっている。
それがすごくはっきりしている。


梶井の場合は、現実に見えていることが
自分の心象を変えていき、その見ているものと自身の関係を、
緻密にたどっているのだ。ある時は、ドラマチックですらある。
感覚することと、考察することの
行き来が、作品の重要な軸になっていることがある。


賢治の場合は、スケッチということばを使っていることでわかるように
心象のスケッチなのだ。
スケッチ。

わざわざ、副題に用いている作品とそうでないものもあるが。。。

(続く)

♯まなざし

朗読劇「銀河鉄道の夜」京都労演 [2021年09月23日(Thu)]


2021,9,22 19:00〜
京都府立文化芸術会館

主催:「銀河鉄道の夜」を観る会

演出:鵜山仁 出演:栗田桃子 ワックスアート:米澤純

2500円前売り

ホールに入った時、
白髪の観客が多いことに、
予想はしてたが、驚く。
7割くらいかな。

ま、私もシニアだが。

「携帯の電源を切ってください」

と大きく書かれたプラカードを二人の男性が提示しながら歩いている。

「切り方がわからない方は、お知らせください」を2回聞いた。
笑えるけど、スマホ買いたての時は私もそうだったので、
笑えない。

客席は、7割るくらい入ってた。
でも、知り合い同士なのか、隣と詰めてる人もいた。

さて、内容について。

目をつむって少し観賞。

俳優が後ろ向きの時と前向きの時と
声の大きさが変わるのが面白かった。

そっか、スピーカーは、舞台の両横の壁に1,5m四方くらいの布部分で、
音はそこから聞こえてくる。

一日たって思うことは、

元々、俳優の栗田さんと、キャンドルオブジェ作家の間で生まれた
企画なのであれば、
20〜30人くらいの規模の小さめのスペースで
するとよいと思った。二人を中心に。

はじめから舞台に設定されている数個の細長い円錐形の(三角柱)
オブジェの質感が、伝わってこない。
プラスチックと言われても、あの距離ではそう思うかもしれない。
終わってから説明を読んで、ロウだったのか、と知る。

蝋の肌合いが伝わるような演出とか、
観客にも伝わる距離とかがあればなと思う。

個々の舞台美術とか音楽とははプロの仕事でステキなのだが、
全体のアートディレクションがもっと鋭ければなあ。。。
セリフや動きや様々なことが、たくさんありすぎて
残念というか、下手すると、学芸会とは言わないが
なんだかなあ、、、、

視覚、聴覚、風圧、とか 声の響きとか、
空間の高さとか、動くスピードとか、そこで起こる風とか、
あと、完全なるブラックボックス、石炭袋のシーンが、
もう少し何とかならないのか、、、と
思った。

音も、セリフがしばらくなしになるシーンを作るとか、無音とか、
俳優の姿が消えるとか、
そういう思い切った演出がなかったなあ。
まあ、ああいう劇場でやるということは、仕方ないのだろう。

奥行とか深まりが、要素が減らされることでもっと浮き上がってくる気がした。

あんな大きなところでやると、そうなるのかもしれないが、
もう少し、ぜいたくな演出というか、既成の劇場公演
なんて思いました。

走って、白い服のすそがひるがえったりすればいいのに」
とか、、、。

でも、賢治の作品の中で、こんな言葉あったかな?とか思ったり、
読み方で印象が変わるのも面白かった。

でも、ずっと一人で語り続けられるのは、ほんとにすごいと思った。

結構、アニメっぽい声とかもあった。


Milky Way Project 






ルドン [2021年09月22日(Wed)]


YouTubeで知る

オルドン・ルドン

すごく興味深い画家だ。

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