先日は小田原に行きました。小田原は北条氏の城下町として五代約100年間栄えたところです。
東国の戦国時代の始まりは伊勢宗瑞(後の北条早雲)が大森氏の城(後の小田原城)攻めに始まり、豊臣秀吉により落城したのが終了と言われています。
小田原城が難攻不落の城と言われるのは上杉謙信・武田信玄の攻撃にも耐えた城です。
最大の特徴は、豊臣軍に対抗するために造られた広大な外郭である。八幡山から海側に至るまで小田原の町全体を総延長9Kmの土塁と空堀で取り囲んだものであり、後の豊臣大坂城の惣構を凌いでいました。
小田原城関連の写真を公開します。
小田原城
小田原評定
小田原評定とは、戦国大名の後北条氏(小田原北条氏)における重臣会議のことで、この評定は「いつになっても結論の出ない会議や相談」という意味での比喩表現として使われるが、合議制による方法は現在に通じる方法ですが、北条氏が滅亡したため、江戸時代に上記のように言われたと考えられます。
江戸時代は小田原藩で、箱根越えの宿場として栄えました。現在は観光地として知られています。昭和35年には小田原城(築城年は応永24年(1417))の天守が復元され、平成に入り馬出門・銅門などが整備され多くの観光客で賑わっています。
小田原城址公園本丸広場でプロジェクションマッピングの世界大会が開かれる。開催は9月20〜23日で、天守閣に「夢」が投影されます。