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写真展示(藤沢市)
主催「藤沢市ふじさわ宿交流館」、協力「江の島・藤沢ガイドクラブ」で写真展示を開催中。 作品は観光ガイドの様子とそのガイドの場所で見られる景観です。野鳥・花・江の島などの6分野でそれぞれ12枚、合計72枚(スペースの都合でB5とそれほど大きくはありません)。私が今迄に撮りました写真が主体で、特に野鳥関連の12枚はすべて私が撮影したものです。 期間は7月14日(木)〜8月13日(土)。場所はJR藤沢駅より徒歩約12分で、遊行寺(境内は車の駐車可)すぐ前の「ふじさわ宿交流館」です。アクセスはふじさわ宿交流館ホームページを参照。 ご興味のある方はご覧下さい。写真の一部を下記に添付。 カルガモ ユリカモメ 彼岸花 雲昌寺 湘南の宝石 天王祭
江の島流鏑馬(藤沢市)
鎌倉散策(鎌倉市)
来年のNHK大河ドラマは『鎌倉殿と13人』が放映されます。関連場所を散策しました。撮りました写真を公開します。 今年も多くの方に検索していただきまして有難うございました。来年もよろしくお願い致します。 源氏山の源頼朝像 建長寺(鎌倉五山第一位) 円覚寺(鎌倉五山第二位) 寿福寺(鎌倉五山第三位) 浄智寺(鎌倉五山第四位) 鐘楼門(浄智寺) 妙本寺(日蓮宗霊蹟本山) 銭洗弁天(銭洗弁財天宇賀福神社) 東慶寺(縁切寺(女性救済寺)) ちなみに、鎌倉五山第五位は浄明寺(稲荷山浄妙広利禅寺)。開基は足利義兼(足利宗家二代当主)、開山は退耕行勇。 源氏山は八幡太郎義家が後三年の役のときに戦勝祈願をしたという伝説から名付けられたと言う。 建長寺(巨福山建長興国禅寺)は臨済宗建長寺派の大本山。開基は鎌倉幕府第五代執権の北条時頼、開山は蘭渓道隆(南宋の僧)。 円覚寺(瑞鹿山円覚興聖禅寺)は臨済宗円覚寺派の大本山。開基は第八代執権北条時宗、開山は無学祖元(南宋の僧)。 寿福寺(亀谷山寿福金剛禅寺)は開基は北条政子、開山は栄西。境内裏手墓地には高浜虚子、大佛次郎などの墓があり、その奥のやぐら(横穴式墓地)には北条政子と源実朝の供養塔と伝わる五輪塔がある。 浄智寺(山号は金宝山)は第五代執権北条時頼三男の宗政の菩提を弔うために弘安4年(1281)に創建。開基は宗政の子の師時(第十代執権)。開山は兀庵普寧(宋出身の高僧)。仏殿(本殿)は雲華殿とよばれ、本尊の三世仏坐像(阿弥陀如来、釈迦如来、弥勒如来でそれぞれ過去・現在・未来を象徴)。 東慶寺(山号は松岡山)。社伝では開基は北条貞時(第九代執権)、開山は覚山尼(北条時宗の夫人)伝えられる。 妙本寺(山号は長興山)。比企能員(鎌倉幕府の有力御家人)の娘の若さの局は頼家(鎌倉幕府第二代将軍)の妻となり頼家の子一幡を産むなど源氏と深い関係を持った。このため北条政子の実家である北条氏とは対立するようになり、次の将軍を誰にするかで、一幡を推する比企氏と千幡(後の源実朝)を推する北条氏との間で争いが起きた。能員は頼家と北条氏の討伐を謀るが察知され名越で殺害され、比企一族は比企谷(小御所)で北条氏の軍勢と戦うが敗れ、屋敷に火を放って自害した。一幡も戦火の中で死んだ(比企能員の変)。能員の末子の能本は生き残り日蓮に帰依し、日蓮に屋敷を献上し法華堂を建立。これがのちの妙本寺である。 通称「銭洗弁天」は源頼朝への宇賀福神の夢のお告げを元に、宇賀福神を祀り神仏の供養を行ったのが創建(文治元年(1185))の由来。 尚、『鎌倉殿』は鎌倉幕府の棟梁のこと。源為義あるいはその子義朝以降は清和源氏(武家)の棟梁を鎌倉殿、鎌倉家などと呼ぶようになった。 『開基』は創立者、『開山』初代住職。
大磯散歩(大磯町)
先日は、大磯の歴史散歩をしました。旧島崎藤村邸、伊藤公滄浪閣跡、旧吉田茂邸などを見学しました。明治150年を記念して「明治記念大磯邸園」の整備が進められていて、第1期開園として今年11月3日から旧大隈重信邸の庭園のみ見学可になります。全面公開は2024年予定。 撮りました写真を公開します。 大磯照ケ崎海岸 旧島崎藤村邸 旧吉田茂邸 旧吉田邸兜門 大磯は、明治以降元内閣総理大臣伊藤博文をはじめ多くの政財界、文化人が邸宅や別荘を建たり、長期療養などに訪れました。
逗子海岸の景観(逗子市)
先日は逗子をめぐりました。逗子海岸からの富士山は大変素晴らしいです。海岸ではさくら貝がたくさん採れました。 昼食は大変美味しい魚料理の店に行きました。 写真を公開します。 「太陽の季節」の碑 小説「太陽の季節」の碑です。岡本太郎さん制作の「若い太陽」 のオブジェが用いられています。 逗子海岸からの景観 逗子海岸で採れたさくら貝 さくら貝の歌は広く知られていますが、この歌の作詞者 は逗子町役場に勤めていた土屋花情氏です。 作曲は八洲秀章氏で、八洲氏は18歳という若さで、 亡くなった恋人の面影を抱いて鎌倉に住み、浜辺で見た光景 に託し和歌を作りました。その和歌(短歌)は「わが恋の如く 悲しさや さくら貝 かたひらのみの さみしくありて」です。 これを友人の土屋氏に示し、作詞を依頼し、曲を付けて 昭和14年に完成しました。 この縁で、逗子市と鎌倉市に記念碑があります。
鵠沼(藤沢市)
複数回に渡り鵠沼を巡りました。 鵠沼と言うと鵠沼海岸と思われる方が多いと存じますが、鵠沼本村(小田急本鵠沼駅より北西部)は皇大神宮・万福寺・普門寺などがあり1100年の歴史があります。 南東部は明治中頃からわが国初の計画的別荘地・海水浴場として開発されました。 撮りました写真を公開します。 皇大神宮 万福寺 普門寺 本真寺 鵠沼松が岡公園 鵠沼海岸 昔の鵠沼一丁目は旧東海道の藤沢宿西側(引地橋付近)の桝形のところ (現在は藤沢5丁目の一部)でした。鵠沼1丁目に隣接する引地橋を中心に大庭・羽鳥・稲荷と鵠沼に分かれていました。 鵠沼の原風景が残る鵠沼松が岡公園(この公園は所有者の村川健太郎氏の希望と協力者の努力により残されました) 長谷川路可の釈迦板絵がある本真寺などがあります。
オリ・パラセーリング競技会場の江の島ヨットハーバー(藤沢市)
江の島ヨットハーバー(湘南港)は来年の東京2020オリ・パラのセーリング競技の会場になります。 先日はその関連施設 及び、前回のオリンピックの遺産などを見に行きました。 写真を公開します。 江の島ヨットハーバー(中津宮展望台より) ヨットハウス 聖火台 大型木造帆船「やまゆり」 弁財天と世界女性群像噴水 中津宮展望台から望められる海域(写真)がセーリング競技の会場になります。ヨットハーバーの奥に建設されましたセーリングセンターは来年オリ・パラの円滑な運営を図るために新しく建てられました。 ヨットハウスは平成26年(2014)に建て替えられました。 前回のオリンピックの遺産は、設置位置は2度移動している聖火台、湘南の貴婦人と呼ばれる来賓用大型木造帆船「やまゆり」、世界と平和親善を表わす弁財天と世界女性群像噴水池などがあります。
昭和記念公園(立川市・昭島市)
先日は、国営昭和記念公園に行きました。雨上りで蒸し暑かったですがキバナコスモスが見ごろでした。コスモスまつり(9月14日〜10月27日)が開催中です。秋にはイチョウ並木の黄葉、日本庭園のモミジはとても見ごたえがあるとのこと。 写真を公開します。 昭和記念公園は、昭和天皇御在位50年記念事業の一環として、国民が自然的環境の中で健全な心身を育み、英知を養う場とするために、米軍が使用した立川基地跡地のうち、180haを記念公園として建設することが閣議決定され、1978(昭和53年)年度より国土交通省の手で施設整備が進められてきました。
小田原城(小田原市)
先日は小田原に行きました。小田原は北条氏の城下町として五代約100年間栄えたところです。 東国の戦国時代の始まりは伊勢宗瑞(後の北条早雲)が大森氏の城(後の小田原城)攻めに始まり、豊臣秀吉により落城したのが終了と言われています。 小田原城が難攻不落の城と言われるのは上杉謙信・武田信玄の攻撃にも耐えた城です。 最大の特徴は、豊臣軍に対抗するために造られた広大な外郭である。八幡山から海側に至るまで小田原の町全体を総延長9Kmの土塁と空堀で取り囲んだものであり、後の豊臣大坂城の惣構を凌いでいました。 小田原城関連の写真を公開します。 小田原城 小田原評定 小田原評定とは、戦国大名の後北条氏(小田原北条氏)における重臣会議のことで、この評定は「いつになっても結論の出ない会議や相談」という意味での比喩表現として使われるが、合議制による方法は現在に通じる方法ですが、北条氏が滅亡したため、江戸時代に上記のように言われたと考えられます。 江戸時代は小田原藩で、箱根越えの宿場として栄えました。現在は観光地として知られています。昭和35年には小田原城(築城年は応永24年(1417))の天守が復元され、平成に入り馬出門・銅門などが整備され多くの観光客で賑わっています。 小田原城址公園本丸広場でプロジェクションマッピングの世界大会が開かれる。開催は9月20〜23日で、天守閣に「夢」が投影されます。
龍口寺 竹灯籠(藤沢市)
毎年8月上旬(今年は8月3・4日)に開催される「龍口寺 竹灯籠」を見物・写真撮影に行きました。 境内にはたくさんの竹筒にロウソクの灯がともされていて、幻想的な世界でした。多くの見物客が見えて混雑のため一歩通行で、三脚の使用も禁止(本年から)。 写真を公開します。 龍口寺 竹灯籠 龍口寺の境内で行われているこの行事は、平成21年まで行われてきた片瀬川(境川)で行われていた「灯籠流し」に代わって、平成22年より「竹灯籠」に代わりました。 竹で作られた灯籠約5000基が仁王門から五重塔までの境内に並べられていました。
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