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ワチョ日系社交サークルA[2010年07月15日(Thu)]

続き・・・

ワチョ日系社交サークルの専任式の合間に歴代会長の写真が飾られている部屋に入りましたが、初代会長に母の叔父の写真がありました。


初代会長であり、創設者の一人である
母の叔父で、ワチョ市長にも
なったことがあるそうです。
子供の頃はよく遊んで
もらったのを覚えていますが、
当時は全然偉い人だと
思っていませんでした・・・


それから、専任式の中で、サークルの歴史が語られ、創設者たちの名前が読み上げられました。中には祖父の兄の名前が入っていました。


祖父の兄で団体の会長にも
なっていました。


二人とも今、お亡くなりになっていますが、彼らの思いは今でも続いている気がしました。

自分は今まで父方の県人会にはよく参加していましたが、母方のルーツに関しては詳しく知りませんでした。叔父たちには勿論あったことがありましたが、何をやっているかは詳しく知りませんでした。今回のワチョ訪問で、自分のルーツに触れることが出来て、本当に嬉しかったです・・・それから叔父たちに見習って、自分も頑張らなければいけないと言う気持ちになりました。


ワチョ日系社交サークル[2010年07月14日(Wed)]

先週末、10年ぶりぐらいに母の故郷「リマ郡ワチョ市」に行きました。ワチョはリマ市内から車で約2時間半かかります。今回は途中のチャンカイ市で朝ごはんを食べてに寄り道して行ってきました。


チャンカイ市での朝ごはん


今回のワチョ訪問は母の誘いで、理由は知り合いが「ワチョ日系社交サークル」の会長に選任され、同サークルの55周年であるためでした。




ワチョ日系サークルの新ロゴです。


新ロゴはアニメーションつきで紹介され一度出来た輪が消え、新たな輪が出来上がる様子が描かれていました。専任された会長が、「初代会員たちが築き上げた輪の上に、新世代が新たに団体の輪を作り上げる様子を意味している。右上の輝きは、前の世代と今の世代の力が合わさり、今までにない輝きを表している」と説明していました。


サークルの新役員です。
右から5番目の女性が
母の友人でサークルの
現会長です。




55周年を迎えるに当たり会員がいろいろ寄付されていました。ペルーでは寄付されたものを神父に祝福してもらう習慣があり、その際の証人が選ばれます。今回は何故か僕と妻が選ばれました笑顔・・・

続く


プレユース会議・第4回ユース会議[2009年10月21日(Wed)]




ユース会議は海外日系人大会と一緒に行われる、若者を中心とした会議です。海外日系人大会の始まりは前回紹介しましたが、日系社会の幹部の人たちが中心となり、若い世代が参加できる場はありませんでした。日系留学生がたくさん参加する大会なのに、「活躍する場がないのはもったいない」という思いがあり、6年前に「ユース会議」の開催が提案されました。そして、2005年に第1回ユース会議が「日系社会の世代交代」といテーマで実現されました。そのときの様子は次のリンクで見ることが出来ます:https://blog.canpan.info/heiji/archive/14

第1回がきっかけで毎年開催されることになりました。
第2回は「海外日系社会の新たな発展のために - 若い世代を日系社会に-」というテーマで開催されました。
https://blog.canpan.info/heiji/archive/126
第3回は「グローバリゼーション時代に生きる海外日系社会 −ユース会議の在り方について−」でした。
https://blog.canpan.info/nikkei/archive/425

3年にわたって、世代交代、教育問題、アイデンティティ、団結力の低下、ネットワークなどについて熱心に話し合いが行われましたが、会議時間(2時間)が限られていたため、なかなか具体的な企画や実現可能なプロジェクトに結びつくことはありませんでした。大きな問題としては日系奨学金にいくつかの団体(JICA、文部科学省、日本財団、県費、JETROなど)が行っており、横のつながりがほとんどなかったところにあると思います。初対面の人が多い中で、限られた時間で活動までに結びつくのは非常に難しかったのです。各団体は個別に活動は行っていますが、連帯的な企画は1個も実現することが出来ませんでした。

「ユース会議の時間を増やそう」という意見や意向はありましたが、様々な問題にぶつかり、実現することはありませんでした。そして今回、様々な人の努力もあり、初めて「プレユース会議」という形で1日話し合う場を設けることに成功しました。

プレユース会議をまとめた記事が次のリンクにあります:
「第1回プレユース会議」


第1回プレユース会議の様子


余裕を持ってディスカッションをすることが出来たので、次の日に開催された「第4回ユース会議」では具体的な話し合いをすことが出来ました。そして、実現可能なプロジェクトに結びつくことが可能となりました。今回のディスカッションの中で「教育」がメインテーマとなったので、関連のプロジェクトを紹介します。

1. インターネットの強化と活用:在日日系人の子供たちのための「教育情報」、「奨学金情報」、「職業オリエンテーション」などをまとめて紹介することです。

2. 子供たちのモチベーションを上げるためのDVDを作成(留学生が一緒になって、後輩でもある日系の子供たちに「希望」、「夢」が持てる内容のものを編集)。具体的な内容に関しては今年度中に決まる予定となっています。



今後一年間取り組まなければいけない課題がいくつか残りましたが、プレユース会議のお陰で初めて日系留学生団体のコラボプロジェクトが可能になろうとしています。遣り残された「宿題」はいくつかありますが、より良い社会のために実現して欲しいと願っています。

私は来年の4月でペルーに帰国しますので、直接プロジェクトの実現にかかわることが出来ないと思いますが、自分がいるところで、出来ることをやりたいと思っています。


第4回ユース会議の様子









第50回海外日系人大会[2009年10月19日(Mon)]


今月の14日〜16日の間「第50回海外日系人大会」が東京で開催されました。この大会が生まれるきっかけには「大変な時代の背景」と「日本と日系人の暖かな関係」があります。

第2次世界大戦中に米国各地に12万人もの日系人が、強制キャンプに収容されました。この事を受けて日本では味噌、醤油、日本語書籍などを赤十字社を通じて送付しました。1945年9月、在米日系人は、敗戦の混乱と、食料をはじめ生活必需品にも事欠く日本の悲惨な状況を目の当たりにして、またキャンプに送付された慰問品に対する感謝の気持から1946年から52年まで、粉ミルク等の食料や衣料等を日本に送ってくられました。

これを契機に、米国各国のみならず、カナダ、メキシコ、ブラジル、アルゼンチン等に日本救援のための日系人組織が誕生しました。1956年末、日本の国際連合加盟が実現したのを機会に、日系人のこれまでの長い労苦と物資の送付等で示された祖国への温かい同胞愛に感謝するため、国会議員が中心となって、1957年5月国際連合加盟記念海外日系人親睦大会を東京で開催することとなりました(第1回大会)。

第1回大会から早くも今年で50年目を迎えました。日系人、日本人関係者にとっては大きな意味を持つ大会となりました。大会のテーマは「海外日系社会と日本―海外日系人大会半世紀を振り返り、共生と繁栄を求めて―」でした。世界20ヶ国から約200人参加し、若い世代の日系人も積極的に話し合いに参加しました(自分も若い世代に入るのかな・・・困った)。









14日の大会歓迎交流会には天皇、皇后両陛下も参加し、我々日系人にとってはこれ以上にない喜びに包まれました。日系1世のおじいちゃんやおばあちゃんの中で涙を流す人もいました。

50年の歴史、そして明るい更なる50年の歴史を築き上げるために、日系人として自分に出来ることをやって行きたいと思っています。



日本ブラジル交流切手[2008年06月21日(Sat)]

6月18日から「日本ブラジル交流切手」と「日本ブラジル交流年及び日本人ブラジル移住100周年記念貨幣」の発売が始まりました。
今日郵便局に行って両方とも買おうと思ったのですが、記念コインはもうありませんでした悲しい困った。話しを聞くと発売が始まった当日に売り切れたそうです怒り怒り

記念切手は無事に購入できました。




コインは購入することが出来ませんでしたが、ネットで記念コインの概要が見つかりましたので、興味のある人は次のPDFを覗いて見てください。




オブリガーダ笠戸丸[2008年06月06日(Fri)]


31日土曜日、渋谷で久しぶりに「井上祐見」の歌声を聴くことが出来ました。前にもブログで紹介しましたが、井上さんは愛知県豊橋市出身で、ブラジルを中心に南米の日系社会で有名な歌手です。ブラジルには年に1回のペースで10年間行っているそうです。



井上さんと知り合ったのは2年前の海外日系人大会でした。そのとき彼女はゲスト歌手として招待されていて、僕は彼女の歌声に圧倒されました。僕の大好きな曲「Eu sou japonesa」は次のリンクで聞けますので、是非聞いてみてください:http://www.nikkeyshimbun.com.br/tokubetsu-column-yumi.html


今回はブラジル移民100周年記念のために作られた「オブリガーダ笠戸丸」という新曲を披露してくれました。この小さなイベントにはいろんな団体の留学生や日本に住むラテンの人たちが集まりました。

井上さんの歌声は何度聞いても、心に響く不思議なパワーを感じますね〜。今回も井上さんの曲を聴いて涙を流した参加者がいました。。。井上さんの歌声で僕たちのお祖父ちゃんやお祖母ちゃんの話が鮮明に蘇ります。僕も歌詞を聴きながら、ジ〜ンとする場面が何回もありました。

「オブリガーダ笠戸丸」の始めに次の台詞があります:
「1908年6月18日、ブラジルへの初めての移住船、笠戸丸はサントス港に到着しました。その日から、遥か海を越えた、もう一つの日本人の物語が始まりました」

この台詞を聞きながら、いろんな思い出と感情が湧きあがってきました。100年前、我々のお祖父ちゃん、お祖母ちゃんが南米に着いて、今では考えられない苦労を乗り越え、「日系社会」を築き上げました。そして百年経った今では、今度は日本で日系人の手によって「新しい物語」が始まろうとしています。

今度の井上さんの新曲にはもしかしたら、この「新しい物語」が歌われるのかもしれませんね〜。


今回井上さんはNHKの取材も受けていました〜


井上さんのブログ
http://music.geocities.yahoo.co.jp/gl/yumi_fcjp

井上さんの事務所のブログ
http://geocities.yahoo.co.jp/gl/pp_soumu

井上さん、これからも日系人たちの歴史を歌い続けてください。





応援しています〜!!


芽生えた気持ちの再強化[2006年10月19日(Thu)]


前回のブログ

山口県に県費留学(2003年)で来た際、「日系アイデンティティ」「日系社会に対する気持ち」を再び、強く再認識する機会がありました。

当時、財団法人海外日系人協会が主催していた「県費留学生夏期研修会」というのがあり、全国の県費留学・研修生が東京で集まる(100人前後)、大きなイベントがありました。研修会では、日本の文化、リーダシップ、日系社会などの講演会を聞くとともに、「日本の日常生活」、「日本に来て感じたこと」、「日本のここが理解できない」などについてのディスカッションを行われていました。

ディスカッションは15人前後のグループで行われ、国籍がバラバラでした(ブラジル、アルゼンチン、ペルー、ウルグアイ、パラグアイ、カナダ、アメリカ、ボリビア、コロンビア、エクアドル、メキシコなど)。同じ日系人でも、これだけのメンバーが集まると、様々な視点、意見が聞け、気づくことがたくさんありました。





夏に行われた研修により、留学生同士の横の繋がりが強くなり、友情が芽生えたことによって、その後の活動でも、活発な参加がありました。「富士山登山、「岐阜のキャンプ交流会」、「地方の集まり」、「県費留学生冬期研修会」、「クリスマス交流会」など。非常に充実した留学生活を送ることが出来ました。

現在、残念ながら「夏期研修会」はなくなり、「冬期研修会」だけとなりました。

個人的には夏期研修会に参加をしたからこそ、その後の活動に参加する意思が芽生えたと思っています。実際にあって、時間を共用し、意見交換をすることによって、強い絆が結ばれ、自然と「気持ち」が芽生えてきます。一度も会ったことがないグループの誘いがあっても、中々踏み出せない人が多いです。

当時の「夏の研修」で良かったのは、受動的に講演を聴くだけではなく、積極的に話し合えるディスカッションタイムがあったことだと思っています。前回のブログでも書きましたが、自分の経験、自分のこと、自分の国について、他者に話すことによって「アイデンティティ」について考えさせられると思っています。

日本に留学・研修で来る目的は勿論「勉強、知識・技術の増加」です。でも、勉強をしながらも上手い具合に交流活動、研修会、パネルディスカッションなどに参加できます。問題は「気持ち・やる気」だけです。交流を通じて、教科書などでは絶対身につけられない、非常に大切な「もの」が得られると思っています。

自分に芽生えた日系人の心[2006年10月18日(Wed)]
前回のブログ



続き。。。


末永さんの話の通り、日系青年たちには「日系社会に対する気持ち」が薄れてきています。僕も正直に言うと、二十歳を超えても、「気持ち」がなく、県人会の集まりに参加をするのもイヤでした。あの頃「おじさん、おばさんばっかりの集まりで、面白くない」と思っていました。

そんな僕に日系社会に対する気持ちが芽生えたのは「第12回世界青年の船」に参加をしてからでした。船に乗る前に、ペルー日系人協会の施設を借りて、様々な準備活動を行いました(スポンサー探し、踊りの練習、勉強会、小道具作りなどなど)。





今までの受動的な参加ではなく、初めて能動的なことをやっていたから、面白く感じたのだと思います。

船の上では、17カ国(約300人)の参加者と、いろいろな話し、分け合いを通して、自分のアイデンティティを見つけることが出来ました。ペルー人でも日本人でもない「日系人」という、二つの文化・言葉を持ち合わせた人。ディスカッションの中でも、「日系人」とは何かというテーマがあって、そのために、それまで興味が全くなかった日系社会の歴史・現状について勉強をしました。

自分のルーツについて聞かれて「知らない」と答えるのが恥ずかしかったのです。だから、学ぼうというモチベーションが生まれました。そして、少しずつ、自然に末永さんのいう「気持ち」が芽生えるようになりました。

僕の場合は受動的なサポート役をいくらやっても、日系社会活動を面白いと思ったことがなく、イヤイヤ参加していました。「自分が主人公になり、積極的な活動に出会えて、初めて『気持ち』が芽生えました」。

続く。。。

「気持ち」で動いた日系社会[2006年10月17日(Tue)]




先週、ペルー日系人協会の国際部長、末永フェルナンドと彼の奥さんと一緒に食事をする機会がありました。末永夫婦とは山口県人会のつながりで、8年以上前から知っています。彼が県人会会長をやっていたときに、僕は青年部で活動をし、様々なことを協力しあいながらやりました。

末永さんは「青年部の積極的な参加」を促すため、様々な工夫をしていました。参加費がかかるとき、自分のお金を出して、青年部員の参加費の一部を負担することもありました。

個人的に、末永さんのいいところは、常に青年部に「モチベーション・きっかけ」を与え、「計画・進行」は全て任せていました。定期的な報告を要求し、余計な口を挟まずに、適切なアドバイスだけをしていました。

そんな末永さんと食事をしながら、日系社会の抱える問題について長く話すことが出来ました。いろいろ話した中で自分の心に残ったフレーズがあります。




「確かに日系社会をより魅力的にして、青年部の参加を促さなければならない。日系社会は青年にとっては、確かにおじさんたちの会議は魅力的ではないかもしれない。おじさんたちに耳を貸してもらえないという現実もある。そんな若者の気持ちは痛いほど理解できるよ。自分も今でも若いからね(笑)。

でもね、おじさんたちの気持ちも分かる。彼らが『閉鎖的な輪』を作っているのは、見掛けだけで、本当は1世たちが残した大切な『もの』を守ろうとしているのよ。昔、日系人協会の一員になるのは簡単なことではなく、商売に成功して、リーダーシップを持っていると、認められた人でなければ入れなかった。誇りに思えることだった。勿論全てボランティアで、時には会長が自分のお金を出さなければいけないことも多かった。それでも、『よりよい日系社会のために頑張る』という『気持ち』『心がけ』が1世たちにあった。みんな自分のやっていることに『誇り』を持っていた。

そんな『気持ち』が日系社会の原動力となり、今までの支えとなってきた。だから、おじさんたちは、誰にでもオープンになれないんだよ。ある程度、新部員(若者)の『気持ち』『力』を認めなければいけない。いくら優秀でも『気持ち』を持ち合わせていない人を入れてしまうと、日系人協会を商売のように動かし始めるだろう。そしたら、日系人協会の本当の目的も、意味もなくなるし、絆の力も薄れていくと思う。

日系社会はいろいろな面で変わらなければいけないのは確かだけど、一気に変わろうとすれば、沈んでしまう。少しずつ、両世代の相互理解を深め合いながら行わなければいけないと思う。若者の人材育成、教育が大切だけど、何よりも『薄れている気持ち』を芽生えさえる必要があると思うよ。自分の利益だけを考えるのではなく、目的のため、社会のため、ボランティア精神。。。それらを誇りに思える人を増やさなきゃいけない」


続く。。。

第47回海外日系人大会C[2006年09月29日(Fri)]


3日目の「オフィシャルツアー」では、NHKの視察研修とJICA横浜海外移住資料館視察見学がありました。







NHKでは「声優の体験」、「ニュース撮影体験」などをしました。海外移住資料館では日系社会歴史の歩みについて学ぶことが出来ました。





三日間を通じて、仲良くなったメンバーと本当に楽しい一時を過ごすことが出来ました。

個人的に、この様な体験を通じて心の絆が結べると思います。期間が短くとも、お互いに力を合わせて何かを成し遂げ、充実した時間を過ごすことにより、心の距離が縮められると思っています。

現在、日系人ユースが集まって、意見交換する場は非常に少ないです。海外日系人大会では去年から「ユース会議」が開催されることにより、我々に非常に良いチャンスが与えられたと思っています。今回結ばれた絆を維持し、将来のネットワークに応用できるかどうかは、自分ら次第です。

より良い日系社会のために。。。
より良い世界のために。。。

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