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今年もやります!恒例の桜祭り![2013年04月18日(Thu)]
いよいよ桜のシーズンですねえ。
今年は期間は4月23日〜5月2日までです。
場所は旧盛岡女子高の隣。
出し物は
 1、甘酒
 2、コーヒー
 3、団子
 4、がんずき
 5、玉コン
 6、綿あめ(自分で作る体験もできますよ!)

以上は準備が出来次第、ランダムに販売開始を致します。
祭り期間中は出品し続けます。

目玉は27日〜29日の、
 ・ ジャンボ焼き鳥
 ・ フランクフルト
です。
例年、人気商品となっておりますが、今回は期日を制限させていただきます。
(実は作る方の体力が持たないなどという裏事情が、、、笑)
また、29日限定で手作りお菓子販売もあります。

さらに「風の又三郎」の工房「アザリア」で制作されたトンボ玉(ガラス工芸品)の販売コーナーも設けます。

メンバーに寄る「民謡歌唱ショー」もあり、盛り上がっていきましょう!。

今年は桜の満開時期と重なりそうな気がします。
皆、日頃の行いがいいので、きっと好天に恵まれるでしょう。

皆さま、お誘いあわせの上、気軽におこしください。

忘れてました。
高松の池の畔にあります!。

ではお待ちしています。
Posted by さぶろう at 12:44 | お知らせ | この記事のURL | コメント(0)
あなただった[2013年04月15日(Mon)]
たわむれた期待が 運命を呼ぶ
何故だろう?
考えるまでもなくその時はやってくる

待っていて欲しかった
別れを告げた人

ただそれだけで終わることを誓ったわけじゃない
運命は、、、
あまりにも過酷だった
大地震は原発を打ち砕き 放射能が漏れた

あれから2年、、、
被災地を離れ 避難生活をし 帰ってきたのに
あなたはいない
そう あの日別れたのだから ただ、、、

そこに至る月日を 数えていて欲しかった
ただたわむれに 考える間もなく
名もなき人よ 笑えるか? あざけることが出来るか?

原発反対運動は広まり
僕もデモに参加した
もう何年も前 同じように デモが行われ
「造るのならここへ造れ」と抗議した
都会の人は
「万が一のの時 犠牲は少ない方がいい」と言ったという
今でもそう言えるのだろうか

名もなき人よ 笑えるか? あざけるか?

この時が来るまで 幾年かかったことか
たわむれた期待を抱くまで

今度こそうまく行くかもしれないと

知る由もない愚か者は
そのことさえ考えはしない
空を見上げれば 青いと信じていた
海へ踊れば 波に迎えられると信じていた

だけど 現実は
無人の街と
朽ち果てた森林
不気味に黒い空
津波の恐怖にすくむ海岸

あざけりは誰にも出来ない
ただ この大地と海原が 承知しているだけだ
彼らは持っている
魂を 心を
幾年の間を
ホンの瞬きする間に 変えることも出来る

お役人さんは
原発を再稼働させるという
遥かなる昔から
人類の歴史は大自然の歴史の一瞬でしかなかった

だから運命を 変えることは出来ない
しかし
どんな試練があろうとも
乗り越え
幸福を成就出来る
運命は 時に微笑むことも出来るのだ

それが出来たのが 別れを告げた

あなただった

サヨナラ 僕はまた避難生活をする
あなたのいない街に未練はない
Posted by さぶろう at 13:12 | この記事のURL | コメント(0)
新事業所設立[2013年04月10日(Wed)]
遅ればせながら、私ども「風の又三郎」の新事業所の開設のご報告をさせていただきます。
場所はここから歩いて十分程度。すぐそこです。

名称は「ほっと高松」
事業内容は、野菜などの産直。
給湯器の分解掃除。
請負の野菜小分け。

現在、十名程がそちらに回ってます。本部とは、全く利用者は接点がなくなってしまいましたが、所長様を始め職員の方々が奮闘しております。利用者はまずもって、休むことのない、精鋭部隊で収益もそれなり(明かせない)で、時間は9時〜16時までとなってます。

最新の鉄筋コンクリートの建物で、壁の色はピンク、、派手です。なんでも法人カラ―だそうです。アンケートで決まったんですね。

売り場をもっと広く〜というのが理想だったようですが、まあまあ、そこんとこは、、、。
とにかく、4月1日からオープンしました。それに伴い本部も改革があり、こちらはマッタリ方です。
ともあれスタートした新しい「風の又三郎」軌道にのせることが大事です。

何だって、この様な報告を今頃、投稿事態、お休みしてたじゃあないか!、、とお思いの皆さま、大変失礼しました。実は私自身、ここ一カ月程度「又三郎」を離れデイケアへ通っていたのです。
そしてそのまま辞職、委員長辞任、、という具合に運ぶ〜かと私自身は考えていたのですが、何ですかね。血が騒ぐのでしょうかね。この新事業が軌道にのるまでは、、、はあ、離れられませんなあ。
結局、私には「風の又三郎」が必然なのでしょうか。

ちょいと一休みしてたようなもんですかね。
これからもよろしくです。
Posted by さぶろう at 14:17 | お知らせ | この記事のURL | コメント(0)
時代は語る[2013年03月13日(Wed)]
街の情景が望めるハイウェイにはどこまでもテールが続いている。
立ち込む排ガスと雨はまたこの街を漂わす。
たたずむビルの中へと人々は迷い込む。
一歩街を出ると豊かな自然が待っているのだが、その価値を人々は忘れているのかもしれない。
あてなどないのは誰もが装飾の迷路に価値を探すからだろう。
築き上げた「街」という名の迷路。

装いを誤魔化すネオンは華やかさに包まれ、通りすがりの少女は大人のフリを装い「金」に代わる「愛」を売っている。
一体「純心」はどこへ行ってしまったのか。私の子供の頃の街の暖かさ。
今は薄れゆく「豊かな心」

どうにもならないことがどうでもいいさと思えるのは、どうでもいい現実がこの街を彩っているから。
暗い街かどの隅で何を夢見るのか。

偽りを含む「現実」を正すのだと訴えている若者。
愛が救いだと願う君が夢見るものは、最早この街には存在はあり得ないと解っている。
旗を掲げ、懸命に人々に論じている君。常識、不条理、モラル、並べる言葉の影。
騙しているつもりなどないことは誰もが気付いている。
割り切れない何もかもは私達にも解っている。だけど、、、。
君の「力」になれる、その値打ちは持ち合わせてはいない。
この繁華街の虚像の中では、、、。
変わらぬものを変えると信じている君には、本当は「愛では変えられない」と語る勇気がないのさ。

どうにもならないことがどうでもいいさと語るのは、どうでもいい現実がこの街を彩っているから。
何にもならない愛が何でもいいさと願う。忘れてしまった温もりも全てが失われていく。
忘れかけてた願いの全てが儚く消えていく。
そしていつしか君の姿も消えていた。


                          私の呟き
Posted by さぶろう at 11:17 | この記事のURL | コメント(0)
健康の概念[2013年03月08日(Fri)]
我が国は嘗ては医学や科学の遅れによって、平均寿命は諸外国よりも低かったが、それは乳幼児の死亡率にも関係しており、現在では改善され世界一の長寿国となっている。
例えば癌のケースは嘗ては不治の病とされ死亡者数は相当数であったが医学の進歩により激減した。私の知人も千分の1の確率の治癒を成し遂げた。だが、完治する病気ではなく延命期間が延びたにすぎない。つまり、死亡平均寿命の改善をもたらした、、というのが正論であろう。
多くの場合、老人は何らかの病気を伴いながら生活しているのが現状で、死亡理由の代表的なのは、癌、脳卒中、心臓病、などのいわゆる生活習慣病であり、大抵の人がそれらと闘いながら生活をしている。確かに平均寿命は伸びたが必ずしも健康で長生きしているわけではない。

私は母を二十歳の時に亡くした。癌で享年52歳であった。 
死の直前まで母の意識は慄然としており、恐怖心さえ感じていないようであった。最期まで生きる望みを持ち続け、自らも、癌、であることを認知していた。その気丈たるや比喩するものがない。
父は69歳で肺気腫で他界した。

祖母は極めて長寿であった。しかい80歳を過ぎたころから痴呆がはじまり、既に祖父も他界していたこともあり、特養老後ホームで生活するようになった。
時折、訪れると私や兄が誰か解らない。ケアしてくださっているスタッフの方の話によると、1日中「アー、アー」と声を上げ会話もままならない、とか、その様は果たして人の暮らしの何たるか、を疑いたくなるほどで、長寿国であることが幸福であることと定義付けすることなど遠く及ばない。
世を去ったのは丁度100歳の時であった。

若くして自らの意識の強固たる面を保持しながら去って行った母と、廃人の如き暮らしを続け100歳まで生き続けた祖母と、どちらが人の全うたる健康的な姿であろうか。

それは単に病気ではない、ということが意味するのではなく、どれだけ自身が幸福の尺度を満たしているか、だろう。つまり、本人の生きがいや、精神的満足度が心の健康を保持しているかが判断基準であろう。それがクウォリティライフを創る真髄であろう。
いわゆる寝たきり老人は決して健康の望ましい姿ではなく、課題は保健、医療、サービスなどのケアと相まみえ、本人がどれだけ充実した自立生活が出来ているか、がポイントであろう。

言い古されたテーマではあるが、現実に家族にそうした者が居た、私はどうしても考えざる得ない。
私の今後の暮らしも含めて、、、。
Posted by さぶろう at 14:13 | この記事のURL | コメント(0)
相互扶助の限界?[2013年03月05日(Tue)]
ノーマライゼーションの広がりによる日本の福祉も猛スピードで進行しつつある。
しかし、立ち遅れの感はいなめず、高度に発展していく現代社会には法による制度化は後手後手にまわってしまってる。思えば、民主党内閣時代の「総合福祉法案」はどこへ行ったのか、、。
どうしても「行政」が動いてくれないことには日本の福祉は成り立たないようだ。

何故、法令化で福祉を実現する必要があるかは、自助、相互扶助の限界ではないか?と思ったりもする。

今、我が国は嘗て世界が経験していない高齢少子化の時代を迎え、また、近代化に伴った核家族化は常識となってる。
ここに、文明近代化→高齢化社会→相互扶助の限界→法案化〜という図式が成り立ち、そうした混沌とした社会、文化は多種多様化し、とりわけ若者のそれはデジタル文化である。
そこから派生する、本来あるべき姿であるコミュニケーション方策もないがしろにされ、メールやインターネットで済ませる顔の見えない、言葉の聞こえない極めて薄弱な手法が成り立っている。
その実状の是非は、例えば、ヤフージャパンの社長は子供にしっかりとしたコミュニケーション能力がつくまでパソコンや携帯には触らせない(テレビ番組の取材による)〜という事実で結論は出ているのではないか。

そうした、現状を踏まえて、最早消滅してしまったと言って過言ではない、企業の終身雇用制度による、年金、保険などの社会保障は既に成り立たなくなったが〜。
従って国が法的手段で社会保障を実現しなければならない。 

考えてみれば、終身雇用も民間の相互扶助といって過言ではなかったのかもしれない。
国が策定化する社会保障の実現は増税を伴うのは致し方ない。
しかし、ここまで巨額の赤字国債をもつ、世界一の赤字国家にとって、社会保障を国に一任せざる得ない現実は私達が生んでしまったものなのだ。
従って、政府〜国民〜社会的弱者の繋がりは、「相互扶助」の精神の一理といえ、現在考えられる、唯一の手段なのかもしれない。
Posted by さぶろう at 10:09 | 活動記録 | この記事のURL | コメント(0)
伝えることの難しさ[2013年02月27日(Wed)]
ここ一週間程、悩みに悩んでました。
自分が何をしたいのか?
何を伝えたいのか?

その違いで表現する媒体、手法、などは当然違いが生じるわけで、私は幾つかの選択肢を持っていました。
当然、それは自由に任意で選択できるわけで、思いついたのは〜
1、このブログ
2、私個人のブログ
3、新聞社への投稿
4、出版社への応募

などです。
どれを選ぶかで、表現スタイルは変わります。

小説、エッセイ、コラム、など。
昨日、帰りに図書館へ寄り、様々な図書を見ては想いを張り巡らせてました。
「夢」を見ているかのように、、。

結局、結論は出ませんでした。私は何も選べなかったのです。
しかし、夜には部屋へ閉じこもりコラムを書いてました。新聞社〜ですね。
何がそれをさせたのか未だに解りません。
恐らく私はステータスを求めたのでしょう。

当たり前のように新聞のコラムというのは高度な表現スタイルが必要なわけで、タイムリーであることも要求されます。
何度も何度も推敲し出来上がった原稿を読んで思わずため息を吐きました。
「ダメだな」
私は結局投稿しませんでした。

伝えたいことを伝えるのに、お約束事が伴う〜小説なら小説の書き方、エッセイならエッセイの書き方〜など。
それは、時に酷く窮屈なものです。
その道を極めている方達とて、そういう類の苦労をなさってるのでは?

そして、売れるものでなければならない。
致命的条件を持つのです。

表現したいのに、本当に伝わっているのか?
読んでもらう為に書く。
当たり前のことですが、本当にそれが文章というスタイルの絶対的価値なのか?

皆さまは読み物に何を求めているのでしょうか?
媒体により差異はあるでしょう。
どれだけの人に読んでもらっているのか気になる。
など、感じたことはないでしょうか?

極論は、今、私はこうして「風の又三郎」のブログを書いている、、、。
その理由は私にも解らないのです。
Posted by さぶろう at 12:51 | 活動記録 | この記事のURL | コメント(0)
コンボ様より[2013年02月25日(Mon)]
皆さまの処へも届いてらっしゃるでしょうか?
と言っても障害者施設に関わりの無い方々へは、何のこと? て感じでしょうが、、。

コンボ様よりピアサポートグループの活動の活発化を促すべく全国の精神障害者当事者会へアンケートの協力の案内状が届きました。

我が風の又三郎へも当事者会があります。(今更?)
趣旨は勿論、前述通り当事者会の活性化にあるのですが、今回のアンケートは同時にピアサポートグループ同士につながりをもたらせるものだと思っております。
私も本日、記入し送りましたが、改めてこうした事象があると考えさせられますね。

委員長として当事者会の現状はどう判断すべきか?
本当に皆の為になっているのだろうか?

などと思案もします。
私の処は近郊の作業所さんと、昨年、秋、交流会を開催する機会に恵まれましたが、利用者一同、「楽しかった」と感想を述べてました。

実際、当事者会の重要性というものは関わってみないと理解しえず、存在している、存在していない、とは全く違います。

どうしても孤立しがちな当事者は多いのですが、当事者会というものに籍を置いていると、「自分」という存在が改めて示唆されます。
それは他の当事者からの「自分」に対する発言、態度から伺えるのですね。
そこから「他者」への理解も当然、生まれてくるわけですよね。
それが「コミュニケーション」であり、人との繋がりが出来てきます。

では、福祉作業所に「当事者会」は何故、必要なのか?
という疑問をお持ちの方もいらっしゃるでしょうが、それは今回のコンボ様の企画で明らかになるでしょう。

私は「必要」と断じれます。
「一人じゃない、、」
ということが鮮明に浮き上がるからです。また、「傘」になってくれるケースも生じてきます。
皆さまもこれを機会に是非「当事者会」をお考えになってみませんか?

私がこうしていられるのも「風の又三郎」があり、「当事者会」があるからです。

話が長くなってしまいました。
本日はここまでにしておきましょう。

機会がありましたら「当事者会」のテーマのブログはまた、、。
Posted by さぶろう at 13:52 | 活動記録 | この記事のURL | コメント(0)
新規事業所開設のお知らせ[2013年02月21日(Thu)]
冬将軍まっただ中、皆様いかがお過ごしでしょうか?
随分とお久しぶりのような気がしますが、、、。

実は地下に穴を掘って潜伏してまして。
いわゆる隠れ家、、いや、冬眠、、?
いやいや単なるおさぼりです。

と言うか、横着してました。

皆様へのお知らせですが、又三郎に3番目の事業所の開設する運びとなりました。
4月1日にオープン予定で、「産直 ほっと高松」なる名称です。

その名の通り、産直の拠点です。
商品は当然、野菜ですが、もしかすれば旬の果物も〜。

今度の事業所の開設に伴い、職員の方々の配置、役割、利用者の作業の選択など、大きく動きがあります。

全員が顔を合わせることもなくなるようですね。
それでも、迎える将来に皆、期待を大にしています。

「風の又三郎」はドンドン発展していきますよ。

ごひいきにしてくださっている皆様への誠意として頑張らせて頂きます。
今後ともよろしく。
Posted by さぶろう at 13:25 | お知らせ | この記事のURL | コメント(0)
盛岡圏域精神保健福祉交流会への参加[2012年12月05日(Wed)]
去る12月3日、開催され私どもからも6名が参加いたしました。
概要は下記の通りです。

最近の障害者施設の現状と課題

 1 岩福連事業の推進
   ・ブロック毎家族交流会の実施
   ・法人、事業所等の入会推進(現在9団体。風の又三郎は加盟しております)
 2 関係会議等での意見
   ・5大疾病の医療計画への追加(平成24年度中)
   ・アウトリーチ事業に未来の風せいわ(旧 岩手晴和病院)が指定されました。
   ・精神科救急体制の充実
   ・医師不足
   ・地域での家族支援
   ・教育で精神疾患の啓発
   ・3障害一体化(精神疾患当事者の交通運賃割引→現在署名運動展開中など)
   ・家族相談員制度の創設
 3 当面の法律の制定等制度改革の課題
   ・精神保健福祉法の改正ポイント(強制入院、保護者制度の撤廃
   ・精神科人員体制の充実

  などとなっております。

ポイントは保護者制度の撤廃だと思われますが、これには確かにメリット、デメリットはあるでしょう。
私のケースですと、任意入院ではあったのですが父親との関係にあつれきが生じ、主治医が「退院許可」をしても、父親が受け入れず、長期入院せざるえませんでした。
やがて、入院中に父は他界し、東京に住んでいた兄が保護者となりました。そして事務手続きをしに病院を訪れた兄が現状、環境を見て「早く退院させなければ、いずれますます病状は悪化する」と判断し、それから話はトントンと進み退院してグループホームへ入居し、現在に至ってます。

この様なケースは有りがちで、この観点から見ますと大いに賛成出来る改正です。実際、保護者制度というのは「精神障害者」にしか適用されず、私達当事者は「大いなる偏見」の中で生活してきたわけです。
但し、良好な家族関係が保たれているケースでは「不安」が生じないでしょうか?
つまり、実の子の生活を誰が保証するのか?
あくまでも検討案ですが、デメリットはその辺りではないでしょうか?

この問題を解決するのには、「代弁者」を立てよう、、という案があるようです。
つまり、保護者は現状では「大きな義務」も持たされていますが、同時に「権利」もあるわけです。
それが「良好な家族関係」が保たれているケースに該当します。
「代弁者」を立てることは、家族の権利を阻害するのではなく、維持する、ということになると思われます。
これにより、「あつれきのある家族」「良好な家族」の問題を解決するのですね。
更に、肝心なのは「医療保護入院」の際の家族の同意は?  ですね。
これは当事者が余りに「不利」と言えます。私のようなケースに近いものとなります。
その救済措置として捉えれば良いのでしょうか?

いずれにせよ時代は常に動いてます。
政局も動いてます。

今後に期待しましょう。
Posted by さぶろう at 14:04 | 活動記録 | この記事のURL | コメント(0)
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