
戦没者の方々の供養[2025年05月22日(Thu)]
5/22 大雨の五十崎。

遺族会五十崎部会総会に参加させてもらった。
総会に参加し始めたのは、地区役員が回って来てからだ。
参加し始めて、30〜40歳先輩の方々のお話が聞けて、
我が家の地域との繋がりや、
祖父母の生き様を耳にすることが出来た。
懇談の中で、ああそうなんですね!。
そのような、お付き合いが会ったのですね。
するとそこで、身近な関係がまた生れた。
無くてはならなかった、強いご近所付き合い、
今では想像することも難しい。
会長挨拶で、会の存続を今年も大変危惧されてた。
会員数も徐々減り80数名。
いずれは、その時は来るだろうが、
何かのかたちで、継承はしていかなければならないと
強く思つた。
70〜80年前の町のお話しで花が咲いてた。

銅山の町 「大久喜鉱山」
私の家は、BARをしていたのよ。
料理家さんも多かったのよ
五十崎には映画館が2軒も合ったし
パチンコ屋さんも・・・
そして今は、空き家や、墓じまい、
でも、皆さんお元気で時間の経つのも忘れてました。
繋がりのある、戦没者の方々の供養になったと勝って思った。

実家に帰り、仏壇に手をあわす。
勲八等白色桐葉章 昭和四一年一月二十九日
内閣総理大臣 佐藤栄作 第三四九一三号 とある。
349143号とは 何の数字なのだろうか?
1945年7月1日〜2日のかけて呉大空襲で
私の叔父は17歳で亡くなった。
さぞ無念だっただろう。
もし、彼岸で会えたなら
おいさんのお母さんのことや
兄弟姉妹のことなどお話したいな。
それと、呉での生活ことなども聞きたいな。