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笑門「ヘルシー広場」
『めだたぬように、はしゃがぬように、にあわぬことは、むりをせず』
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風呂の想い出そのB[2021年07月08日(Thu)]
・・ 平成2年今から30年前に、
今の地に住宅を建てて引っ越しをした。

長女は、中学でバレーボール副キャップテン、
長男は、サッカースクールで泥まみれ、
次男も早い時期から、サッカーをやった。
よく国領川河川敷へ応援に行った。
 洗面所には、汚れた体操着が溢れるかえっていた。
今までとは違い、大きなお風呂にお世話になった。
 
 長女が高校入学、長男が中学に、次男が小学入学へ、
その時に、私は、海外出張中であった。
3人の入学式時には、嫁はソフトバレーボールで足を骨折、
嫁のお母さんが来てくれ助けてもらった。 

長女が次男の入学式をサポートしてくれた。
長女が兄弟の親分はその時期からではないだろうか。
兄弟仲がいいのは、親バカか、勇逸自慢できる。
子供たちが成長する中で小中学校、高校と
一番思い出のあるお風呂ではなかったかと思う。

 その頃の車はワンボックスのトヨタ「ハイエース」だった。
時には、家族旅行に出かけた。

 長女が、○○の専門学校へ、引っ越しは、オレンジフェリーで、
長男が○○の大学にこの時もワンボックスが活躍してくれた。
さすがに、次男の○○の大学引っ越しは、業者であった。 

長女と長男も卒業と同時に、新居浜へ、自宅から通勤していた。
長男は業務の都合で県外へ、次男は卒業後○○で勤務、
長女は一時業務の都合で、県外へ。

就職氷河期に遭遇したのが、長女と長男であった。
それなりに、それなりに、自立をしてくれた。

 風呂の想い出がもう一つ、夏の午後、
嫁の実家へ、風呂沸いたぞと、じいさんが、
タイル張りでステンレス製の浴槽に、
たっぷりのお湯が沸いていた。
風呂上りには、酒好きな、私のために、
「ギンギンに、冷えた瓶ビール準備してあった。

 平成8年4月には、母さんと、看護婦だったおばさんに
見送られながら親父が亡くなった。
今思えば、何も恩返しが出来ないままだった。
ご近所さんから、後に親父の話を聴くと、
「子煩悩で」「よく気が付き」「頭が良くて」・・・と。
私が思っていた、おやじ像とはかけ離れていた。
親父も、風呂が大好きだった。
大洲の○○医師会病院で、がん治療で入院中も、
声には出さなかったが、
自宅の風呂が恋しそうであった。いい気分(温泉)
P1060469.JPG

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