風呂の思い出その@[2021年06月27日(Sun)]
今日〇月〇〇日は、左官工事屋さんが来てくれる。
目覚めて、風呂の解体後の風呂場に、塩盛を、供えさせてもらった。
今までの「ありがとう」とこれからも「よろしく」と、
家の神様に「意」を伝えた。
リフォーム中、お風呂の思い出が蘇った。
私が生まれ育った、ふるさとは「五右衛門風呂」、
井戸場に近いところにあり、水は井戸から「つるべ」で、
汲み上げバケツで、浴槽へ入れた。
「五右衛門風呂」大きな焚口で薪をくべて沸かした、
いつまでも、暖かかった。
風呂場の南、県道側には、藁などを、囲う作業部屋があった。
その頃はよくご近所さんが、風呂を借りに「風呂かしてや」と訪れた。
古き、良き時代だったのではなかったかと思う。
井戸から先の左手に風呂、引き戸を開けると炊事場、
茶の間には「囲炉裏」があり、横には大きな「大黒柱」があった。
茶の間には、大きな建付けの「水屋」お仏壇と「6畳くらいの畳を敷いた間」、
茶の間との仕切りはなかった。
右奥には、その頃は長く感じた廊下があり、暗くて怖い「雪隠」があった。
家族は「ひいばあさん」「親父」「母親」「「おいさん」「5歳離れた妹」、の6人でった。
私が小学校4年生の時に、家を建て替えた。
前の東京オリンピックの年だったと記憶している。
今ある風呂である。親父は出稼ぎで、
年に数回しか顔を見た覚えしかなかったが、サメ肌であった親父の後の入浴はいやであった。
何故か私が一番風呂に入る時が多くなっていた。
盆、正月には、「山のおいさん」、「山のおばさん」、たまに飛行機で帰省してた「看護婦をしてたおばさん」。
従妹たちも、泊りに来て、座敷は所狭しとなっていた。
ひいばあさんが亡くなったのが私が、就職をした年の6月であった。この続きは又( ^ω^)・・・