• もっと見る
笑門「ヘルシー広場」
『めだたぬように、はしゃがぬように、にあわぬことは、むりをせず』
« 野菜が届きました | Main | 風呂の想い出そのA・・ »
<< 2024年01月 >>
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
カテゴリアーカイブ
最新記事
最新コメント
安藤さん
伝えたい (01/13) 安藤尚登
欲しいな 私だけの (12/25) Andy
欲しいな 私だけの (12/25) Andy
伝えたい (08/07) 小林 高明
想定外 (07/22) こばちゃん
まっとうする。 (07/08) ボラセンk
初日 (03/02) 小林 高明
看取りカンファレンス (02/10) K
助けてくれてありがとう。 (01/10) マタイ24
垣根の剪定 (05/13)
風呂の思い出その@[2021年06月27日(Sun)]
 
今日〇月〇〇日は、左官工事屋さんが来てくれる。
目覚めて、風呂の解体後の風呂場に、塩盛を、供えさせてもらった。
今までの「ありがとう」とこれからも「よろしく」と、
家の神様に「意」を伝えた。


 リフォーム中、お風呂の思い出が蘇った。
私が生まれ育った、ふるさとは「五右衛門風呂」、
井戸場に近いところにあり、水は井戸から「つるべ」で、
汲み上げバケツで、浴槽へ入れた。
「五右衛門風呂」大きな焚口で薪をくべて沸かした、
いつまでも、暖かかった。
風呂場の南、県道側には、藁などを、囲う作業部屋があった。


 その頃はよくご近所さんが、風呂を借りに「風呂かしてや」と訪れた。
古き、良き時代だったのではなかったかと思う。


井戸から先の左手に風呂、引き戸を開けると炊事場、
茶の間には「囲炉裏」があり、横には大きな「大黒柱」があった。
茶の間には、大きな建付けの「水屋」お仏壇と「6畳くらいの畳を敷いた間」、
茶の間との仕切りはなかった。
右奥には、その頃は長く感じた廊下があり、暗くて怖い「雪隠」があった。
 家族は「ひいばあさん」「親父」「母親」「「おいさん」「5歳離れた妹」、の6人でった。



私が小学校4年生の時に、家を建て替えた。
前の東京オリンピックの年だったと記憶している。
今ある風呂である。親父は出稼ぎで、
年に数回しか顔を見た覚えしかなかったが、サメ肌であった親父の後の入浴はいやであった。
何故か私が一番風呂に入る時が多くなっていた。

 盆、正月には、「山のおいさん」、「山のおばさん」、たまに飛行機で帰省してた「看護婦をしてたおばさん」。
従妹たちも、泊りに来て、座敷は所狭しとなっていた。
 ひいばあさんが亡くなったのが私が、就職をした年の6月であった。この続きは又( ^ω^)・・・
この記事のURL
https://blog.canpan.info/healthwarakado/archive/3594
コメントする
コメント
プロフィール

よ〜ちゃんさんの画像
よ〜ちゃん
プロフィール
ブログ
リンク集
https://blog.canpan.info/healthwarakado/index1_0.rdf
https://blog.canpan.info/healthwarakado/index2_0.xml