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ガンダム「ククルス・ドアンの島」から考える戦争 [2015年07月28日(Tue)]
ガンダムの「ククルス・ドアンの島」は、深い。

ドアンは、戦争で一般人を殺してしまい、その責任から残された子どもたちを育てるが、日々慕ってくる子ども見るたびに罪の意識に悩まされる。
子どもの中には、ドアンが自分の親を殺したことに気付いている子もいるのだけれど、それでもその子はドアンを信頼して生きていく。

ドアンは、戦争を恨めしくおもいつつも、子どもたちを守るために、武器となるザクを護身用として手放さない。
攻めるための武器ではなく、たまに自分を追ってくる昔の敵から、子どもたちを守るために。

ところが、アムロがこの島に来て、ドアンの事情を知ったとき
「あなたの体に染み付いた戦争の匂いが敵を引き付けるんです!それを消させてください。」
といって、ザクを海に沈めてしまう。それを見たドアンは、何かを吹っ切れた表情になる。

このストーリーが意味するものは、非常に深い。本当の意味で「守る」とは、「争いを終わらせる」とはどういうことなのか。

ガンダムの他のストーリーは、ほとんど忘れてしまったのだけれど、このシーンは印象に残っている。

安全保障関連法案について、マンガから話し合うというのも、面白いのではないか。
「市民後見人の現状と今後の課題」〜多摩南部成年後見センター小林有紀子さんのお話から〜 [2015年07月26日(Sun)]
昨日のゼミの議論テーマは、「市民後見人の現状と今後の課題」について。ゲストとして、当研究科OGであり、多摩南部成年後見センターで成年後見人をされている小林有紀子さんをお招きし、現場の状況をお話いただきました。

小林さんは、その中でも、低所得のため後見報酬を支払う資力のない方や、複雑な事情を抱えている方(虐待、多問題家族、犯罪歴)を担当されており、お話を聞いていて、本当に頭が下がる思いでした。今まで、延べ34名の方の成年後見人としてご活動されているそうです。

また、東日本大震災の時には、きっと身よりを亡くした方や認知症の方ので困っている方が多いのではと、居ても立っても居られなくなり「いわて後見支援ネット」を立ち上げられたそうです。9年間のご活動の中でもたれている問題意識は、深く考えさせられるものでした。

本当に制度の利用が必要な人に結び付いていない、想いのある成年後見人が玉石混合している現状、弁護士や身内の後見人の横領や不正、後見人への過度な期待。

制度から少し離れて考えてみると、自分が認知症になった時、誰に、自分の財産などの判断をしてもらいたいでしょうか?みんなそうだと思いますが、元気だった頃の自分を知っている人にやって欲しいと思いますよね。(あの人だったら、きっとこう考えるだろう、という予測ができる人)。
でも、その人選を個人が判断することには、大きなリスクがある。法定後見人と任意後見人。理想は後者ですが、そこには大きなリスクがあるという現実。

ゼミの現役メンバーで、同じ問題意識をお持ちの方がいるので、先生の呼びかけで、今後はプロジェクトにしていこうというお話にも。

とても、勉強になりました!

小林さん.jpg
いじめに対して、発想の転換ができるメンタリティはどこからくるか。 〜日本の童謡からみる、自分の心の鏡を持つ大切さ [2015年07月26日(Sun)]
ニュースで、いじめの事件を見ない日はないくらい、いじめの問題が深刻化している。また、いじめは、子どもの世界だけでなく、大人の世界でも起きている。

私は、いじめの対象になるかならないかは、運のようなものだと思っている。では、実際に、いじめに遭いそうになった時に、どのようなメンタリティをもっていれば良いのか。

大学院の哲学の授業で、日本の童謡から、その発想の転換ができるメンタリティを学んだ。

■「ぞうさん」

まずは、「ぞうさん」(作詞:まどみちお)の歌から。

ぞうさん ぞうさん おはながながいのね
そうよ かあさんも ながいのよ

ぞうさん ぞうさん だあれがすきなの
あのね かあさんが すきなのよ


これは、子どものぞうさんが、「鼻が長い」ことを馬鹿にされている、いじめの内容である。しかし、このぞうさんは、いじめ発言に対して

「そうよ かあさんも ながいのよ(いいでしょう?)」

と、まるで褒められたかのような返事をしている。どうしたら、このような発想の転換(切り返し)ができるメンタリティをもてるのか。

■「うさぎとかめ」

次は、「うざぎとかめ」(作詞は「金太郎」や「花咲爺(はなさかじじい)」等で知られる石原 和三郎)から。

もしもし かめよ かめさんよ
せかいのうちに おまえほど
あゆみの のろい ものはない
どうして そんなに のろいのか

なんと おっしゃる うさぎさん
そんなら おまえと かけくらべ
むこうの 小山(こやま)の ふもとまで
どちらが さきに かけつくか


これは、足の速いうさぎが、自分のすごさを見せつけたくて、敢えて足の遅いカメに勝負をもちかける。これも、いじめの内容である。しかし、カメは、当然負けるとわかっていて、なぜ「そんなら おまえと かけくらべ」と勝負を挑むのか。

それは、走るスピードに自己評価の基準を置いていないから。勝負をしても、カメはマイペースで走るだけ。このメンタリティはどこからくるのか?

■感想

自分の心の鏡(自己意識・自己基準)をどこに置くのかで、自分はどんなストーリーの中で生きているかが変わり、おのずと考え方も生き方も変わってくる。

ある小学校で、女の子がボロボロの筆箱を使っていたそうだ。同級生から、それをからかわれたとき、その女の子は「いいでしょ?これ、お母さんが使っていた筆箱なの。」と言った。その一言で、教室の空気ががらっと変わったそうだ。

また、間違った心の鏡をもってしまった例が、白雪姫の母親。彼女は、魔法の鏡に、自分が一番美しいと言われることに、自己評価の基準を置いてしまっていた。魔法の鏡の言葉なんて聞かなければいいのに、彼女はそのストーリーの中で生きていたから、2になることは許せないことだった。だから、1になるために、美女がわざわざ自ら醜い老婆になり、白雪姫を殺そうとする。

ぞうさん・カメと白雪姫の母親のメンタリティの違い。どうしたら、このようなメンタリティがもてるのか。

きっと、育った環境によるのだろうなと思うのだけれど、いじめられている子(人)がいたときに、加害者を批判するだけでなく、傍観者になるのでもなく、このような空気を変えることが言えるような人間になりたいと思った。