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あまり好意的に受け取れなかった、経済産業省の「次官・若手プロジェクト」によるペーパー [2017年05月21日(Sun)]
話題の経済産業省の「次官・若手プロジェクト」によるペーパーへの素晴らしい反論。

経産省「次官・若手ペーパー」に対する元同僚からの応答 http://hirokimochizuki.hatenablog.com/entry/response.meti

このペーパーに対する私の感想は、

@外国人政策に一切触れていないところに意図的なものを感じた
A「高齢者よ働け」というメッセージが強いけど、働けない人・働きたくない人は?
B「終末期を自分で選択」という、とても難しくセンシティブなテーマを、病院での延命治療をやめて自宅に戻し医療費削減に直結させすぎ。自宅でのケアは家族の負担が大きいのでは。
C本来自分たちの役割である「公」の課題解決を市民の生きがいにするって、なんかずるくない?市民から言うならまだしも、官僚が言っちゃだめだと思う。
D全体的に、特段新しい情報も具体的な提言もなかった(ネット検索で事足りる内容)

そんな中、このブログ筆者による、下記指摘が興味深った。
●まず、移民や外国人への言及がなかった背景には、移民の受入は現実的ではないという考えのもと、高齢者の労働力強化を前面に出しているのではと指摘。→@Aがつながり、なるほどと。。。

●次に、このペーパーは基本的に「制度が依存的な弱者(高齢者)をつくる」という考え方のもとに作られており、【「制度を利用するか否かは自分で選択する」というスタンスにリスクがある】と筆者は指摘している。「年金」「延命治療」など、自分で選択することを求めるというのは、日本人の性格から考えると、生活保護のように年金を受け取る偏見が強化されたり、「延命治療を受けたい」と言いにくい状況が生み出される可能性がある。→AB

●最後に「国家が担ってきた領域の個人による代替」についての指摘。以前から言われていることだけれど、NPOや市民ボランティアというのは、行政が行き届かない(細やかな)支援をするものであって、NPOや市民が行政の役割を代替えするものではない。それを「「公」の課題を全て官が担うのではなく、意欲と能力ある個人が担い手に」というのは、責任転嫁じゃないだろうか。→C

こうしてみると、結局のところ、労働力についてはダイバーシティはあきらめ社会保障費を圧迫している高齢者に働いてもらうことにフォーカス、医療費については本人の自己責任と家族への負担を増やすことで削減し、行政の対応が追い付いていないという課題についてはNPOや市民にやってもらう、、ということにも読み取れる。つまり、望月さんのおっしゃる通り、現在の政策内容と呼応している。

(ブログから引用)
力ある者が真面目な気持ちで危機を煽るとき、力なき者は自分の立っている地平を見失ってはならない。なぜなら、力なき者たちが自らの支えを失ったとき、彼ら=私たちが自分の指導者として誰を選ぶにいたるか。その想像力こそが、煽られた危機に臨む私たちにとっての試金石となるからである。

そして、ペーパーの最後、具体的な提言は何もなく「これを解決していくのが日本に課せられた歴史的使命であり 挑戦しがいのある課題ではないか」で締めくくられているところに、本当にしらけてしまった。

みなさんは、どう思われましたか?
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