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NPO法人パノラマ「ぴっかりカフェ」の1周年記念パーティーに参加しました!ー支援って何だろうー [2015年12月08日(Tue)]
12月6日は、NPO法人パノラマが運営する高校内図書室での居場所カフェ事業「ぴっかりカフェ」の1周年記念パーティーでした。前半がトークショー、後半が懇親会。トークショー出演者は、

・石井正宏さん(代表理事/シェアするココロ)
・鈴木晶子さん(理事/インクルージョンネットかながわ 代表理事)
・松田ユリ子さん(理事/田奈高校学校司書)
・黒川祥子さん(監事/ノンフィクション・ライター)


という豪華メンバーでした。

この「ぴっかりカフェ」は、若者支援の専門家であるNPO法人パノラマ代表石井さんと神奈川県立田奈高校の連携による、高校の図書館をカフェにし、そこに支援者が常駐するという交流相談事業です。

この取り組みの良さを伝えるのは、なかなか難しいのですが、私の視点で説明すると

「出入り自由な高校内図書館カフェという形式をとることで、学生たちに自然なかたちでアプローチができる。困っていない時から顔見知りとなることで、日常の中で信頼関係を築くことができ、本当に困った時に相談できる相手となる。学生たちは、その時初めて、ギター好きのカフェマスターが、信頼厚い専門家であることを知る。」

でしょうか。これって、すごいことだと思います。

集合写真.jpg
すべての人をフレームイン!

■将来に対して複線的ななキャリアイメージをもてる

このぴっかりカフェには、他にも副次的な効果があると思います。
高校生にとっての将来は、塾にいって大学へいくことだけじゃないですよね。でも、具体的に、他にどんな選択肢があるのか、身の回りに、そのような大人は余りいないでしょうから、なかなかイメージがつきにくいかと思います。

ぴっかりカフェには、卒業生のボランティアや地域のボランティアが参加します。それも、相談とか支援をするために来ているわけじゃなく、ウエイター・ウエイトレス的に、そこに居ることから始まります。そこで、学生たちと一緒に話す人、話さない人など、その時々で違うようですが、自然なかたちで、年齢の近い卒業生や、親以上に年の離れた地域の方などとのコミュニケーションから、世の中には、いろいろな職業があるということを知れるのではないかと思います。

また、ぴっかりカフェが部活動の交流の場にもなっているようです。たとえば、日本文化を学ぶ茶道部は、それまであまり注目を浴びていなかったようですが、ぴっかりカフェで茶道を教えることで、学生から見た茶道部の印象が変わったり、日本文化に興味をもつ機会になるという効果もあるそうです。こういうのも、視野が広がりますよね。

そういえば、被災地でも、いろいろな大人・学生ボランティアが入ってきたことで、「こんな人生があるんだ」という職業の選択肢の多さ、それに気づいた子が多かったそうです。大学生や大人と出逢ったことが刺激になり、進路の選択肢が広がった。また、特に、もともと大学進学を視野に入れてなかった子に対して、刺激になっていたそうです。また、大学生と触れ合うことで、逆に大学に行きたいと思う子も出てきたと聞きました。

ぴっかりカフェにも、同じような効果があるのではと思います。

■「支援」って何だろう

トークセッションの中で、「支援をしたがる人は、居場所形式のぴっかりカフェの支援者には向いていないのではないか」という問いかけがありました。支援したがる人は、知らず知らずのうちに、支援者としての自己実現や支援を押し付けてしまっているというものでした。支援者は確かにそういうものかと思う一方、地域ボランティアは、様々な人がいて、ボランティアさんにそこまで求めるべきなのかどうか、はむつかしい課題だと思いました。「支援とは何か」というのは、考えれば考えるほど、わからなくなります。

話はそれますが、先日参加した被災地・子ども教育白書のセミナーでお聞きした被災地の高校生の話を思い出しました。東京の企業から被災地の高校に、就職支援(就職マッチング)というものが、結構あったそうです。そして、高校の先生が、そこに多くの学生を送ったそうですが、なんと、半年で半分の学生が地元に帰ってきてしまったということでした。東京に進路を決めた子が半分戻ってきたことは始めてだったことで、先生も困惑してしまったというものでした。

学生たちは、なぜ戻ってきたのか。東京で何を感じたのか。

東京では、みんな親切で、手厚いサポートがあったそうです。それに、学生たちは、ちやほやされることに違和感を感じた。親切だったけれど、それはなぜかを考えてしまったのではないか。また、東京の人は、震災のことなんて忘れていて、自分のトラウマとのギャップが違和感だったのかもしれない。自分だけ家族から隔離されたようにも感じてしまう。支援という名目でやったことをどう思うか

「就職など「結果の支援」をする前に、学生たちが喪失体験を自分の中でどう意味づけし、再構築していくか。その視点がないと、支援は本人にとって違和感のあるもの、より孤独にさせるものなのかもしれない。大企業から声をかけたことは、弱い者としてみなされている、上から目線の支援と感じるかもしれない。それは、逆に彼らの自尊心を下げたのかもしれない。支援とは、彼らの喪失体験を自分の人生の一部と認めつつ、自尊心を再現する機会をどうつくっていくか、ではないか」

という趣旨のお話でした。

自分自身で、現状を受け入れて、自分の価値を見出すことができるかどうか。現状を自分のものにできるかどうか。そのうえで、自己価値・自尊心を再現する機会をどうつくっていくか。特に、貧困家庭など困難を抱えた子どもたちは、そういう機会をつくりづらい。それを、支援者だけでなく社会はどのように創出していくか、という視点は、もしかしたら、田奈高校の学生を応援する人にも共通する部分があるのではないかと思いました。

■感想

ぴっかりカフェを始めて1年が経ち、課題のひとつとして、石井さんが日々のカフェ業務に追われてしまって、本来の交流相談に時間が割けていなく、今後は具体的な支援に結び付けていきたいとおっしゃってしました。

でも、この課題の背景には、カフェの認知が高まり予想以上に来店する生徒が多かったことや、石井さんの交流相談の質へのこだわり(目の前の1人の学生に集中したい)と対応可能人数の限界のジレンマがあるのだと思いました。今後は、コアメンバーとなるボランティアさんが増えてくることで、本来の目的が達成されてくるのではと思います。

また、質疑応答の中で、「いじめなど、ぴっかりカフェに会いたくない人がいる子は、図書館に行けないのではないか。そういう子へのフォローはあるのか」という、若者支援者の方からの質問がありました。たぶん、その方は「ぴっかりカフェは万能ではない」ということが言いたかったんじゃないかと思いました。

大人もそうですが、人間って「ひとり」にこだわってしまうものだと思います。「あの人」がいるからあそこに行きたい、「あの人」がいるからあそこには行きたくない。

私は、ぴっかりカフェというのは、既存の居場所をなくして出来たものではなく、選択肢として増えたという位置付けであれば、例えば、保健室や空き教室なども、ぴっかりカフェに行けない学生のための学校内居場所として、もっと積極的に改善されていてもいいのかな〜と思いました。

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