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アジア太平洋障害者インクルーシブ・ビジネスESCAP笹川賞 [2013年05月31日(Fri)]
先日、「アジア太平洋障害者インクルーシブ・ビジネスESCAP笹川賞」の案内メールが送られてきた。日本の会社もノミネートできるようなので、和訳して概要だけ紹介したいと思います。

本賞は、ESCAP(国連アジア太平洋経済社会委員会)が日本財団とアジア太平洋障害者センターの協力により立ち上げたもので、障害者のニーズに応えたビジネスモデルを推進する企業の表彰や障害者をビジネスに取り入れるための啓発を目的としている。

対象は、ESCAPの58カ国地域で(詳細はこちら)インクルーシブビジネスを推進する企業。また賞には次の3カテゴリー(部門)がある。
1. 障害者にインクルーシブな多国籍企業
2. 障害者にインクルーシブな国内企業
3. 障害者にインクルーシブな起業家(企業家)

国際審査委員会が設立され受賞者が決定される。起業家部門に関しては5万〜10万ドルの賞金が授与される。現在、ノミネートを受付中で締切は2013年8月19日。情報の拡散にも協力願いたい。

詳細は下記ウェブサイトを参照するか直接メールして下さい。
www.di-business-award.com
info@di-business-award.com

たくさんの応募を期待しています!

ということです。

障害者インクルーシブ・ビジネスの概念が難しいかも知れませんが、障害者を雇用している企業、障害者を顧客としているビジネス、などが当てはまると思います(上記ウェブサイトに紹介ビデオがあります)。また障害を持つ起業家は3番目のカテゴリーに入ると思います。

僕は、日本で障害者雇用を進めている企業は、他国と比べても圧倒的にユニークで持続的な事例があるので、「本気」で獲りに行けば3部門とも日本企業が選ばれることもあるえるかと思います。ただ一方で、ESCAP加盟国の多くは途上国であり、途上国からこのようなビジネスが生まれることに意義がある、という考えもあるので、日本企業が選ばれるよりも、あえて途上国の企業を表彰し、途上国における啓発を強めたいという気もします。いずれにせよ、他に参考となるような企業が選ばれることを期待しています。

*原文は、以下の通り。

ESCAP-Sasakawa Award for Disability-Inclusive Business in Asia and the Pacific 2013

Dear Sir/Madam,

We are pleased to announce the call for nominations and applications for the ESCAP-Sasakawa Award for Disability-inclusive Business in Asia and the Pacific, which was launched in November 2012 by ESCAP in partnership with the Nippon Foundation and the Asia-Pacific Development Center on Disability (APCD).

The objectives of the Award are to:
• Publicly recognize and reward businesses that demonstrate good practices in responding to the needs of persons with disabilities in their business operations;
• Raise awareness regarding the opportunities available to the private sector for inclusion of persons with disabilities in businesses; and
• Catalyse Asia-Pacific leadership in disability-inclusive business.

The Award is open to commercial enterprises that demonstrate excellence and innovation in the delivery of disability-inclusive business practices and are based, or have regional operations, in any of the 58 countries and territories within the ESCAP region. Recognition will be given to excellence and innovation in the following three categories:
1. Disability-inclusive multinational enterprises;
2. Disability-inclusive enterprises at the national level;
3. Disability-inclusive entrepreneurial businesses.

The Award will be administered by the ESCAP secretariat in cooperation with the Nippon Foundation and APCD. An independent international jury will be established to review the nominations for the Award and select the winners. The winners will receive public recognition for their excellence and innovation in the field of disability-inclusive business. In addition, the winner of the entrepreneurial category will receive a grant in the range of USD 50,000–100,000.

We would like to invite your organization to nominate enterprises, which demonstrate excellence and innovation in the delivery of disability-inclusive practices, for the Award. You may also wish to disseminate the information to other civil society organizations, industrial and business associations, as well as other potential nominators or nominees in your network.

More information concerning on the ESCAP-Sasakawa Award is contained in the Award’s webpage . If you wish to receive promotional materials for your outreach, please do not hesitate to contact us at: info@di-business-award.com.

Nominations may kindly be submitted by 19 August 2013.

We look forward to receiving nominations for the ESCAP-Sasakawa Award.

With best regards

Nanda Krairiksh
Director
Social Development Division


*和訳の責任は負いかねますので、飽くまで参考にしてください。
NGOでの仕事・プレクトノットダム [2013年05月30日(Thu)]
カンボジアに赴任すると、最初は、関連団体への挨拶周りを行った。新しい名刺を持って、肩書きは「メコン・アドボカシー」だったと思う。プレクトノット川に限らず、メコン川流域の「環境に配慮した開発」を目指しています、という意味もあった。

挨拶周りでもっとも重要だったのがオクスファム(イギリスのNGO)である。なぜなら今回の調査資金は彼らから出資されていた。そこでカンボジア人のカウンターパートを紹介され、彼と2人で報告書を作成することになった。早速2人でプレクトノット・ダムの現状把握を行った。自分に与えられた役割をきちんと理解する上でも、できるだけ早く現状を理解したかったので、すぐ仕事に取りかかれたのは良かった。

プレクトノットダムは、確か1960年代後半にすでに日本のODAとして支援が決まっていた。70年代に入って工事まで行われている。当時の電力不足を補うため、また灌漑用地の確保や洪水対策が主な目的だった。しかしカンボジアの内乱から1973年に工事はストップ、そのまま僕が着任した2000年までずっと放置されていた。何度か再開の話しがあったものの、その度にボツになり一向に工事は再開されなかった。

しかし、僕が赴任する前年(1999年)に日本大使館の領事(?)か大使(?)が、再開に向けた検討をしてみては?、という趣旨の発言をカンボジア政府にした・・・・という情報が入ってきた。

もしダムの再開を認めたら、付近一帯の環境が破壊され、さらに住民移転などの社会問題が生じる可能性もある。そこでJVCは、急遽、対策を講じることになった。ただ単純に反対しても要望は聞き入れてもらえない可能性が高い。だからまず想定される環境破壊について調査し、付近住民のニーズも探り、ダムの功罪を整理してから提言書を作りたい、と考えたようだ。

この提言書は、「ダム建設を支援する」という決定が下る前に日本政府に提出しなければならなかった。決定後に判断を覆すことは難しい、でもその前なら話合いに持ち込むことができるし、マスコミを通して提言書を発表することもできる。そのために人を雇い入れることになり、それが僕だった。

正直、赴任後に改めてこの仕事を引き受けたことを考えたら、少し荷が重いと感じた。JVCでは新参者だし、ダム開発についても素人、しかも提言書を日本政府に提出するとなると、かなりプレッシャーがあった。ただ一方で、やりがいも十分にあった。エンジニアから転向して3年半、初めての国際協力の仕事。現場感も満載。それに、ダム開発について勉強できる大きなチャンスである。やるからにはきちんとやりたいし、なんとか自分なりの見解を出そうと思った。

しかし調べれば調べる程、両者の言い分はなんとも判別つきづらい。環境破壊の事例は幾つも読んだし、地方のワークショップにも参加してローカルNGOと意見交換も行った。タイのチェンマイにも出張しADB(アジア開発銀行)総会で環境保護のデモ行進に加わり、運動を体感することもできた。彼らはみな真剣にカンボジアの将来を考えていたし、尊敬できるローカル・リーダーも多かった。

しかし一方で、カンボジアには確かに電力が足りなかった。00年当時、プノンペンの中心地でさえ舗装路が整備されておらず、至る所、穴だらけだった。乗用車はスムーズに走れず、ロードバイクの方が乗りごごちが良いくらいだ。ホテルには大きな自家発電が必ず用意されており、しょっちゅう起こる停電に備えなければならなかった。

住民の立ち退きは問題かもしれないが、もしODAで実施する場合は、住民の立ち退きも含めたガイドラインがあるし、環境に配慮するためのフィーシビリティ調査も入る。00年当時、環境配慮を怠るダム建設が認められないのは公然たる事実だった。住民ニーズが低いという指摘もあったが、現場付近の住民は、本当にバナナの皮で覆われた掘っ建て小屋に住んでいた。電気も水道もない。こうなると、立ち退きたくない住民がいるのも分かるが、立退料をもらって移り住んだ方が得策と考える住民も必ずいるはずだ。となると、何を基準に良い悪いの判断をすればよいのか。自分としては、「環境を破壊するからダムには断固反対」というようなスローガン的な内容にはしたくなかった。

しかし、そんな悩みとは関係無しに、事態は新たな局面を迎えた。

「あのダムを再開発することは難しいでしょう・・・」

僕はこの言葉をJICAの開発担当官から直接聞くことができた。30年近く前の計画で、カンボジアの電力供給を考えるなら全体図を描き直す必要がある、環境や住民移転にはJICAも十分に配慮しなければならない、また他にやるべきことが沢山ある、などからプレクトノットダムの再開はあまり考えられていなかった。

他の関係者に聞いても、概ね同様の回答が得られた。そして実際に、あの計画が再開されるという話しは、その後聞くことがなかった。もちろん現在でも再開されていない。

結局、報告書は調査から判明した現状とカンボジア政府および日本政府の見解を記し、最後に、あの計画が再開される可能性は低い、と書いて締めくくったと思う。その報告書の中身は見れないが、要約はいまでもJVCのウェブサイトに掲載されている。http://www.ngo-jvc.net/jp/projects/cambodia/pastprj02cover.html(このページの一番下)

ダムが再開されないとなると、予定していたワークショップを開催する必要もなくなった。調査から報告書完成まで、確か9ヶ月くらいだったと思う。結局、JVCの懸念は杞憂に終わった訳だが、それでもあの業務には十分に意義があったと思われる。ダムの再開発がないことは、ほぼ確認できたし、またその過程で多くの国際・ローカルNGOと開発に関する意見交換をすることもできた。日本政府にNGOが目を光らせてることも十分に伝わったと思う。(それが好意的に受け止められたかどうかは別としても)

自分にも学ぶ点が多かった。まず、JVCで働けたことでNGOの仕事を生で垣間見ることができた。JVCのスタッフ内での議論はいろんな意味で白熱したし、関連NGOの意見を聞いても参考になった。またNGOで働く人はみないろんな人生経験があり、その話しを聞きながら酒を飲むのは本当に楽しかった。

ただ改めて、人間関係の重要さを感じた。実は、ダム再開の可能性が低いと最初に教えてくれたJICA職員は、本業務で知り合った方ではない。インターン時代の国連職員から紹介された方だ。「カンボジアに行くならぜひ一度挨拶に行きなさい」と言われ訪問したことがきっかけとなった。その他にも、バレーボールやサッカーを通してJICA職員や協力隊員、そして大使館員とも知り合いになり、打ち解けたところでさり気なく教えて貰った情報もあった。(もちろん、それが目的で近づいた訳ではない。単純に僕がスポーツ好きなのは、ブログで紹介している通りである。中でも、メコン川水泳大会で2位をとったことは、カンボジア時代の良い思い出である)

最後に、僕にこのチャンスをくれた岩崎美佐子さんにはいまでも感謝している。最初は、なぜ僕を雇用したのか正直分からなかった。ただ後々振り返ると、たぶん美佐子さんはニュートラルな人材が欲しかったのではないか(?)、と思うようになった。つまり、あまりNGO側の意見に染まっていると、客観的な判断や分析ができなくなる、かと言って官僚的な人だとつまらない分析になる。そこで僕のようなどちらにも染まっておらず、誰とでも馴染みやすそうで、カンボジアでも活動できそうな、そんな人は都合が良かったのではないだろうか。こればっかりは、僕の想像なので分からないが。

さてしかし、貴重な経験をしたJVCにもカンボジアにも残らず、翌年僕は再びバンコクに戻ることとなった。
NGOへ就職 [2013年05月28日(Tue)]
インターン終了後、次に考えた進路はNGOで働くことだった。

このまま国連で仕事がしたい、という淡い期待もあったが、国連のインターンは、終了後6ヶ月は国連で就職ができない。ただし国連の関連機関はその規則の適応外で、他機関の仕事を探すことは可能であった。ただ、それでは先が続かないと思った。サラリーマンから転身してまだ3年。修士で勉強したのがたった1年半、英語はかろうじて出来るようになったが、日本で働いてた自分と比べても実力に大差なく、国連でなんとか仕事を見つけても、その先に何があるか不安があった。国連で働くにしても、もっと実力をつけてから。いま働くのは、自己満足でしかない。

そう思って、NGOで働くことを決意する。自分にいま必要なのは「現場経験」。これは誰の目から見ても明らかだった。

この時期、幸運だったのは、インターネットが普及していたこと。思えば、僕のキャリアはいまもインターネットとともにある。留学したいと情報収集したのもネットがあってのこと、オーストラリアでの勉強にかろうじてついて行けたのも、ネットやPCに頼ることが多かった。そして、今回の職探しでも、NGOの求人はネットで検索できるようになっていた。

いくつか探していると、日本国際ボランティアセンター(JVC)がカンボジアで職員を募集していることが分かった。募集時期もちょうどいいし、経験もそれほど問われない。業務内容がいまいち不明瞭であったが、そこに応募することに決めた。元エンジニアで、修士は国際関係、国連インターンが6ヶ月ではアピールポイントも少ないが、兎に角、応募してみないと分からない。

ただネックだったのは、面接が東京で行われること。まだインターン中だったので、契約を打ち切ってまで帰ることは出来ない。また東京往復のチケットを購入して帰る程のお金がない。悩んだ末、東京に面接には行けないと担当官に告げた。リスクが大きすぎる。

それからまた募集要項を眺める日々が続いたが、数週間後、担当官からメールが届く。タイで面接してもよいと言うことになった。カンボジアの現地責任者がバンコク経由で日本に戻るから、そのときに面接を行える、ということだった。このメールを見たときに、これは行けるかもという期待感が膨らんだ。

面接官は、岩崎美佐子さんだった。JVCには創設時から関わっており、パートナーである岩崎駿介さんはJVCの代表を務めていたこともある。いわゆる、重鎮(?)と呼べるような方だった。もちろん当時はそんなこと知らずに面接したが、ただ一目拝見し、長年の活動というか強い信念が内に秘められているような感じがした。

岩崎さんは、これまで5人面接したが適任者がいなかったと教えてくれた。おっ、やっぱりチャンスか(?)と思ったが、だからと言って自分が適任者であるわけでもない。しかしライバルはこの時点で一蹴されている。上手く乗り切れば行けるかもしれない、という思いも強くした。

最初、これまでの経歴や応募した理由など、一般的なことを話していたが、突如、「ダムについてご存知ですか」という質問を受けた。上手くやれば、と面接前にはいつも思うのだが、僕はいつも戦略的に上手く説明することが出来ない。結局、勢い余って正直に自分をさらけ出してしまうことが多い。で、ダムについて。当然、知っていることは少ない。でも知らないとは言いたくないので、「開発のインフラ(産業基盤)として使われているので、開発という視点からは少し勉強しましたが、ダム自体はあまり・・・」と応えたと思う。

しかしそこから、面接はダムの話しへといっきに流れ出す。カンボジアのプレクトノットダムというダム建設計画について、それに対する日本政府の考えとJVCの考え、そして求める人材について。

話しが終わったと、「できますか?」と聞かれたと思う。初めての分野であるが、どうも、日本政府とカンボジア政府の本ダムに対する方針をつかみ、同時に、カンボジア現地の人のニーズを調査し、それら諸々をまとめて報告書を作成する。その報告書をもとにワークショップを開催する、というのが主な業務内容だったので「できると思います」と返答した。

採用結果は後日。ただ面接の感触は良かったので、正直、期待していた。すると数日後、東京の担当官からメールが入る。ただ採用結果ではなく、「カンボジアに来てみませんか?」と言うものであった。ちょうど自分もプノンペンに行くので、そこで現場を紹介し、最終面接をしたい、と書かれている。

最終面接がある、とは聞いていなかったが、ないとも聞いていなかった。東京往復のチケットは厳しいけれど、プノンペン往復なら安いし・・・と金銭的にも悩む。でもここで行かない手はない。なんと言っても「最終面接」だし、それに以前、「東京には帰れませんが、せめてプノンペンで面接があれば行けるのですが」という話しを担当官に伝えていたのだ。プノンペンは無理、とは言えない。

先行投資のつもりでチケットを購入、2泊3日でプノンペンに向かった。初日が現場視察、2日目が面接であった。そこで担当官の谷山由子さんに出会う。一目見て、昔から知ってるような親近感を覚えた。なんとなく話しが合うような気がして、会話も比較的スムーズに行えた。

谷山さんとの面接が終わり「そのまま少し待っていて下さい」と言われたので5分くらい待っていると、岩崎さんがやってきて「うちで働いてみませんか?」と言われた。結局、カンボジアには約1年滞在することになった。

退職してから給与がもらえる仕事に就くまで3年6ヶ月。思えば結構長かった。これ以上、貧乏生活するのも嫌だったし、借金が増えるのも嫌だった。ようやく仕事に就くことができて、これまでの苦労が少し報われるかな、っと思った。
感想・感動「わが盲想」(モハメド・オマル・アブディン)を読んで [2013年05月24日(Fri)]
来日直前から長女が誕生するまでを綴った15年間の物語。盲人のスーダン人である彼が、なぜ日本語があんなに上手いのか、なぜダジャレが直ぐ出てくるのか、そしてなぜ日本で生活しているのか、それらをすべて教えてくれる一冊です。

僕が彼と初めて会ったのは、とあるセミナーの懇親会。流暢な日本語を喋るアラブ系とも中東系ともアフリカ系とも言えない怪しい人物を見て「誰だコイツ!?」と思ったのは僕だけではない、筈です。彼と会うと、いや正確にいうと、彼の日本語を聞くと「怪しい!?」とたいていみんな驚く。

でも、彼と話すとすぐに打ち解けることができる。なぜなら彼はその方法を知っている。福井で学んだのだ。

怪しい物体が愛らしいスーダン人に変わる方法を。

そうなればもう彼のペースだ。おしゃべりが止まらない。彼は人を笑わすのが好きだ。こんな話しをしている。彼は目が見えないので漢字をイメージ(意味)で覚える。例えば留学の「留」だ。最初は、海外に流れて勉強するから「流学」だと思った。けど「留」と知って彼は驚愕する。

だって「留」は留まるという意味じゃないか! 

言われてみればその通り。日本人として考えたこともなかったよ。すみません。

そんな彼が一番イメージしやすかった漢字は「かしましい」。どう書くか分かります? 

女3人集まれば・・・・、なのです。

どこの国でも一緒なんですね、これはわーい(嬉しい顔)

そんな彼の結婚秘話も書かれてますが、さすがにこれは読んでからのお楽しみ。だって、電話だけで結婚したいだなんて・・・ねぇ。そんなこと本当にあるんでしょうか揺れるハート

そんな話しが盛りだくさんの一冊です。そして彼の将来が楽しみになる一冊です。
恐らくみんな気づいていると思いますが、彼はそろそろ「ブレイク」しそうです。すでにTV局も狙っている・・・とか(?)



*ほぼ同じ内容で、アマゾンにもレビューを書きました(5月24日時点では未掲載)。自分で書いたレビューだから、自分のブログに載せるのは自由な筈、と思いこちらにも載せています。
野辺山ウルトラ 100キロマラソンの報告 [2013年05月21日(Tue)]
去年は79キロで痛恨のリタイヤ

今年はなんとしてもリベンジしたい!
そう思って挑戦した今年の野辺山
なんとか

13時間57分20秒で完走できましたわーい(嬉しい顔)!!!

いやしかし辛かった。
こんなに最後まで走らされたウルトラは初めてでした。
その分、感激もひとしおですが。

以下、当日の様子です。

スタートは朝の5時。思ったより寒くなく雨も止んでいる。
走るのにはちょうどいい。
スタートは去年同様のんびり行きました。

IMG_4862.jpg
スタートの様子

今回の目標タイムは13時間半。休憩を入れて10キロ1時間20分のペース。去年の自分と比べながら疲れないように走ります。

最初の20キロが2時間34分。30キロが3時間40分。ここまでは想定よりイイ感じ。実はお腹も気になっていたのですが、それもここまでは問題無し。35キロの休憩でお汁粉を頂き、水分も補給。するとここでラン仲間の木戸さんと遭遇。互いにエールを贈り、15分程休んで私は先に出発しました。

IMG_4863.jpg
絶景に思わずパチり。このあと、標高も高くなりすばらしい景色が一杯

この先はほぼ下り坂。楽といえば楽なのですが、去年はここで飛ばしすぎて50キロから足が動かなくなりました。なので今年は足に負担をかけないように走りました。

さて、50キロで6時間18分。ここまでは本当に良い感じ。そしてここの「そば」は本当に美味い。おかげで気分を切り替えることもできました。さて、ウルトラはここからが勝負。頭から水を被り、水分補給、梅干し食べて、飴をポケットにしまい、準備も万端で走り出しました。

IMG_4864.jpg
ごちそうさまでした。

58キロの関門に7時間38分で到達。ペース的には悪くない。でも途中のトイレで時間消費。しかも思ったより足が張っている・・・。この先まだ42キロ。少しゆっくり休憩することにした。靴も脱いで寝っころ返り、しばらくボーとする。天気がよくて気持ちいい。

20分くらい休憩し、気分を切り替え71キロの関門を目指しました。

休憩の甲斐あり、足取りが軽い。60キロを8時間6分で通過。ほぼ予定通り。去年歩いてたこの道を、今年はしっかりと走れるのが嬉しい。

と、ここでふたたび木戸さんに遭遇。58キロの休憩中に抜かれた模様。少し並走する。木戸さんは2週間前に萩往還140キロを走ったばかり。しかも前日が仕事で、会場入りが当日の朝。睡眠時間30分という強行参加でここまで走る木戸さんには心底感服。すごい! 

いよいよ71キロ。ココの声援は大きくて嬉しい。時間、9時間37分。ペースがちょっと落ちたかな。でも足はまだ行けそう。制限時間の10時間15分は余裕でクリアーしているし、ココからが本当の勝負exclamation

と、その前に、

無料マッサージを受けました。時間はロスするけれど、去年はこのマッサージが自分を救ってくれた(その先でリタイヤしましたけどね・・・もうやだ〜(悲しい顔))。だから今年はしっかりマッサージを受けて、その上で完走したかった。並ぶこと5分。去年の分もお礼を言って、次の目標、79キロを目指しました。

さて、ここから野辺山名物の馬越峠です。71〜79キロで約500m登り、標高1620メートルを目指します。75キロまでは緩やかな坂道、で、ここからが本格的な上り坂。確かにキツイ。でもこの為にトレイルで足を鍛えた。だから出来るだけ走ろう。体力を使い切らないように、でもできるだけ走ろう。そう思って走る。そして歩く。また走る。そして歩く。繰り返すこと8回、漸く頂上が見えてきました。

79キロには11時間4分で到着。いや〜バテたあせあせ(飛び散る汗)。めちゃめちゃキツい。しかも思った以上に時間が掛かった。残り21キロで2時間56分。これだと意外とキツい。残りもしっかり走らないと行けない。ウルトラのラスト20キロを走る(?)。ちょっと想像できない。でも、仕方がない。それがウルトラマラソンだ!

そう思って、次の関門87キロを目指す。

幸いにもここからは下り坂。スピードは出せる。でも出しすぎると心臓に負担が。案の定、ちょっと吐き気も感じる・・・。かといってスピードは控えると今後は腿が張ってくる。足に負担は掛けたくない。だからまた走る。でもまたちょっと吐き気が・・・。

こんなことを考えながら、結局、87キロまで走りきりました。やった! この時、8キロを50分。いやまさかまさか、ウルトラの後半でこんなに走らされるとは。

でもここで一安心。

無理して走った甲斐がありました。87キロの最終関門には、結局、11時間57分で到着。つまり、残り13キロを2時間以内で走れば完走です。よしやった! 遅れを取り戻した! そう思ったのですが、油断は禁物。だから休憩はほどほどに、うどん食べて17時6分に出発しました。

さっきの無理が響いたのか、さすがに体が重い、固い、痛い。でもキロ8分で行けば十分にゴールできる。そう思ってまず90キロを目指しました。すると24分後、17時30分に90キロに到達。おお〜〜〜〜〜、残り「10キロを1時間半」。ここまで来てやっと、

これは行けるぞ〜、と本当に嬉しくなる。
漸くゴールの影が見えてきた!!


と思ったのですが・・・


90キロを超えてもまだ坂道。斜度はキツくないけれどダラダラと続く。はっきり言って最後にこれは滅入る。でも確実に残り距離は短くなっている。体は重くても、ゴールシーンを思い描きながら走ると気持ちは軽くなる。「リベンジ達成」そうツイートしたい。FBに載せて自慢しちゃいたい。そんなセコいことを考えながら走ること30分。給水所が見えて来た。すると給水所のおばちゃんが、

あと7キロだよ〜とコール。

えっ、7キロ?

いやいやいや〜、もうあと6キロないでしょ〜、とおばちゃんを疑う。だってもう90キロから30分走ってるよ。いくらペースが遅くてもキロ10分ということはないでしょ。それはない、それはないよ、いくらなんでもそれはないでしょう。そう思って走ることさらに15分。

いよいよ95キロの看板が見え・・・・ない

45分走っても95キロの看板が見えないたらーっ(汗)

見逃した? いやもしかして95キロの看板はなくて、いきなり残り「3キロ」かな(?)。それもあり得るな。兎に角、もう95キロはもうクリアーしたよ。だってキロ10分で走ってないし、

大会運営者も困るな〜、95キロは出しておくべきじゃないの〜、もう〜驚かせるんだから〜、と勝手に思いながら、さらに走ること5分


ありますね、95キロバッド(下向き矢印)


この表示が間違ってるよ・・・

そう思いたい自分と現実を受入れラストスパートすべきか悩む自分。

ウルトラの最後5キロでラストスパート(?)
マジで、あり得ないでしょ。

でも、

完走はしたんですけど制限時間オーバーだったんですよ〜わーい(嬉しい顔)

と言い切る自信がない。
というか、かっちょわるい。

これじゃぁ前の会社の山崎先輩に、

千葉君、それは完走って言わないぜ!

と分かりきったツッコミを入れられてしまう。
それだけは絶対に避けたいexclamation×2

そうだ、まだ40分ある。
残り5キロ。キロ8分以下なら念願のリベンジだ! 
それに、

ここで諦めたら、今までの95キロはなんだったんだ〜〜〜〜〜!

そう思って最後の力を振り絞る。

幸いにもココから少し下り坂。重力の力も借りてスピードを上げる。
行ける、行ける、まだ行けるぞ、俺!

そう思って走ると、なんとまた上り坂。
え、また!?

前を見るとみんな歩いてる。
歩いて大丈夫かな〜?
ちょっと不安。
でもさすがにキツくスピードダウン。

結局、自分も歩き出す。みんな歩いてるし、もしかしてもう大丈夫かな?

そのとき、運営側(?)のおじさんが、

この辺が足切りギリギリだよ〜、と呼びかける!

むむ、やっぱりギリギリなんだ!

70メートル先の赤い服の人を目指して!、とさらに続ける

あ、あの赤服の人か!

実は大会前日の説明会、「僕より前なら完走できます」とコース説明していた赤服の兄ーちゃん。あれを聞いておいて良かった。つまり、彼を超せれば完走できるということ。あれが現実になるなんて。ここでまたギアチェンジ、なんとか兄ちゃんに追いつく、

俺:「ここなら大丈夫ですか?」

赤服の兄ちゃん:「このペースなら2分余裕もってゴールできます」

と鋭い回答。
彼が天使のように輝いて見えました!

よし行ける行ける、こうなったら行くしかない、
とココでさらに気合いを入れ直す。

でもまだ気を抜けない。このペースなら、ということは、歩いちゃいけないってこと。最後まで走らないとゴールできない。しかも気を抜いたら最後、もう一度気合いを入れることは難しい。そう思って最後まで走りきることを目指した。


ついに、会場近くの放送が聞こえてくる。完走者の名前を読み上げ「おめでとう」の一言。これが聞ければゴールはもう間近。早く俺の名前も呼んでくれ!と心の中で叫ぶ。そして野辺山駅を通り過ぎ、最後の角を曲がる。するとゴールはもう目前。景色がパッと明るなり「おかえり〜」と「おめでとう〜」の歓声が至る所から。

この辺で意識が少し遠いて・・・、というか気持ちが真っ白になった。なんとも言えない感情になりボ〜っとしてしまう。そうしたら、

千葉さ〜〜ん、キャーおめでとう!!

とラン仲間のミミカリんの黄色い声援が。

あ〜、そうだ。ここがゴールだ。俺、完走したんだ。リベンジできたんだ。

IMG_4866.jpg
ゴールゲート直前の写真。さすがに顔が疲れきって怖いですが・・・

制限時間ギリギリなので、あまり威張れる完走ではありませんが、このタフなコースを完走した達成感をすごく感じています。最後まで、こんなに走らされるウルトラってあるんだな〜っと、「野辺山を制するものはウルトラを制する」という言葉の重みをつくづく感じました。僕自身、80キロを超えて、こんなに走ったのは初めてだったし、でも、走ろうと思えば走れるんだな、と嬉しい発見もありました。

限界はまだまだ先ですね。

さて最後に、大会前も大会中も、ツイッターやFBで声援をくれた仲間。練習につき合ってくれた仲間。こんな話しにつき合って飲んでくれる仲間。大会の運営者、ボランティアのみなさん、しんがりをしてくれた赤服のお兄さん。そして3月からほぼ毎週末マラソン大会に向かう自分を文句も言わず見送ってくれる妻。皆様、本当にありがとうございました。

また一緒に走りましょう!

*87キロ関門でも会えなかった木戸さん。実はゴールで会えました。もちろん完走。自分以上のラストスパートは圧巻でした。その様子はこちら→http://www.jognote.com/days/16572229
祝出版「わが盲想」モハメド・オマル・アブディン [2013年05月20日(Mon)]
友人のアブディンが本を出しました。
盲人のアブディンがスーダンから日本に来て想うこと。

だから「盲想」

彼はダジャレが上手い。

日本とスーダンの障害者の現状を話していたとき、
「千葉さん、それだったらスーダンの方が数段イイですね」、とか

食事中に「アブディン、最近太った?」って聞いたら、
「あ〜、最近はデブディンて呼ばれてます」、とか

スーダン人のくせに、というと失礼だが、日本人より上手いダジャレを使うので、昔はこちらも対抗心でダジャレで応酬していたが、結局、無駄な努力に終わった。だから最近は、「なるべく笑わないように」ささやかな抵抗をしているのだが、どうやらそれも無駄な努力に終わりそうだ。

そんな彼が本を出したことは素直に嬉しい。

ただ彼の魅力はトークにあると僕は思っている。彼に会うとみんな笑うし、障害や社会についても考えさせられる。この本をきっかけにTVやラジオに出演したらきっと人気者になるだろう。彼がそれを望んでいるかどうかは別にして、スーダンから来た盲人の盲想を聞くことで、日本社会に一石を投じてみることはなかなか面白いと思う。

国連インターンの友情。やっぱりイイ。 [2013年05月16日(Thu)]
国連のインターンって、世界中から来ててやっぱり面白い。
彼らとの思い出は絶対に忘れない。
FBなんか無くたって、メールなんか無くなって、この友情はきっとずっと続く

一番仲良かったのは、カナダ人のビルとノルウェー人のアマー。このふたり、兎に角、デカい。190pくらいあって、3人で歩くとなんか俺は子供。それなのに、ビルが友達が来たからって飲みに行ったらビルよりデカかったふらふら。なんか俺はもう小人?

アマーの結婚式にはノルウェーまで行った。初めてのノルウェーで初めての北欧。街がキレイ。新鮮。芸術的。時差ぼけで眠いのに、ノルウェーの結婚式って深夜まで続くんだね。二次会じゃないよ。食べて踊って飲んでずっと同じ場所。親族もずっと一緒。それが証拠に最後に集合写真を全員で、ってイイけど午前2時ですよダッシュ(走り出すさま)

ビルは結婚して奥さんとタイに来てくれた。近くのカラオケ屋で奥さんが歌ってくれて、これがまた可愛くてさ。いまじゃもうふたりの子持ちです。

一緒にインターンをやったタイ人のエルちゃん。兎に角、可愛い。というか美人系。これでタイの東大と呼ばれるチュラロンコン大学の政治経済学部卒。参りました。5年後くらいかな〜、彼女の結婚式にもバンコクで参加した。米国留学中に出会って恋に落ちて・・・だって。あ〜、インターン時代に俺に彼女がいなければ、インターン中に出会って恋に落ちて・・・ってあそこで紹介されてるのは俺の筈だったのに。と、本当に思った。

イタリア人のフランチェスカ。彼女も可愛い、というかシックなカワイさ。なんとNY育ち。なのに、In the first place(そもそも)と言うべきところ、For the first place、ってか言っちゃってドイツ人に「あり得ない!!」って言われ赤面する彼女がまた可愛かった。

その他にもパキスタン人とインド人のカップルができちゃって、これ実は宗教的に相当ヤバい。実際、パキスタンの彼の実家に挨拶に行ったら殺されそうになったって真剣な顔して俺に言われても・・・。ねぇ。

いろいろありました。

怠けたインターンも確かにいるし、みんながみんな良い人ばかりでないのは当たり前ですが、国連にインターンに来るって人ってやっぱり変わってる。そもそも国の価値観も違うしね。そんな中「将来どうするの」見たいな話しをビール飲みながらみんなでするって、なんだかんだどこ行っても良いですね。

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左手前がビルとアマー。その上が俺で隣がエルちゃん。確かこれは俺の部屋。

感動・完踏・萩往還マラニック・250キロ・140キロ 応援ツーリングツアー その3 ゴール!  [2013年05月12日(Sun)]
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二日目は萩で応援。
その前に萩城跡に行ってちょっとだけ観光。

でも早朝から萩城の前もランナーが続々と通過。
みんな頑張ってるな〜あせあせ(飛び散る汗)
そうそうに観光を切り上げ、次の応援ポイントへ!

今日の応援場所は、萩市の191号線から東光寺に左折するT字路。
ここなら虎ヶ崎(折返し地点)に行くランナーも、そこから帰ってくるランナーも見れる!
さらに250キロのランナーも140キロのランナーも見れるのでちょうどいい!

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今日はグッチーに加え、140キロに出ているミンミンと木戸っちにも会わないと行けない!

我ながら良い場所を選択したな、と思いつつわーい(嬉しい顔)

待つこと30分。

来ました〜

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まずグッチー参上!

ここまですでに210キロ以上走っているグッチー。
夜通し走り続けたグッチー。
残り40キロ切ったグッチー。

表情が心無しか冴えているわーい(嬉しい顔)

このとき確か午前9時。制限時間が午後6時。残り9時間で40キロ。
こりゃ余裕でクリアーかな!? と思ったら、

「いや〜足がもうぼろぼろです。これから萩往還で上下もキツいし。あと、歩き続けなければなんとか完踏できると思うんですが・・・」

と控えめなグッチー。
でも瞳の奥には「完踏」の二文字がしっかり刻まれてるを、オイラは見逃しませんでした!!

そこから待つ事46分。

来ました、

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木戸っち、そしてミンミンも!

2人ともここまで約100キロ。
本当にお疲れさまです。
残りあと40キロ。
ふたりとももちろん疲れていますが、完踏できそうな雰囲気がバリバリ出てました!

その後、私はいっきにゴールの山口市浄瑠璃寺まで向かいました。
距離およそ50キロ弱(自転車は県道を通るため)

ところところで、萩往還道を通るランナーを見ながら心の中でみんなを応援。
この辺りは、250キロ、140キロ、70キロのランナーが混在し人も多い。
みんな必死。憔悴してるけど、兎に角、走る、歩く、時には座り、また走る、の繰り返し。

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田んぼの中をひた走るランナーたち

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山道を登るランナーたち

こちら15時には浄瑠璃寺に到着。
しろくま一族のアニカと合流。

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グッチー、木戸っち、ミンミンをまだかまだかと待ちながら、ゴール前で他のランナーを応援。

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オイラも応援

ここまで来るとみんな晴れやか。笑顔でゴール。
こっちも自然と嬉しくなる。
この感動を味わう為にみんな走るのだろうか。
応援に駆けつけるのだろうか。

午後4時

いよいよグッチーが登場。
250キロ、本当にお疲れ様、偉い!!!!!!

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最後にやっと一緒に記念撮影

その後、木戸っち、ミンミンも待ちたかったけど諸事情で帰宅せねばならず、後ろ髪引かれながら浄瑠璃寺を後にしました。(もちろんふたりとも無事完踏しました!)

帰宅中の電車は爆睡。
自分も自転車で2日間で約120キロ走破。こんなに長く自転車に乗ったのは人生初めて。
でもトライアスロンは190キロくらい一日で走るから、まだまだだな、と思いつつ、自転車練習ができる目処がついたのは収穫でした。

みんな本当にお疲れさま!
感動・完踏・萩往還マラニック・250キロ・140キロ 応援ツーリングツアー その2 [2013年05月07日(Tue)]
翌日は朝6時に起床

田布施駅から7時に電車で新山口へ。
新山口で自転車を組み立て、コンビニで朝食。山口でコンビニはちょっと侘しい。でもチョイスが無い。
気を取りなおし、グッチーと遭遇すべく、いざ「長門」へ。
走行距離およそ50キロ。
順調に行けばぴったり巡り会えるはず!

ツーリングコースは、ほぼマラソンコースと同じ道。数時間前にみんなここを走ったんだな〜っと感慨に浸り、田園風景を楽しみながら走る。自転車道もあって道幅は十分。ただ砂利も多く時には凸凹も。慣れない自転車のためパンクの不安もありましたが、これ全然平気でした。

道の所々にコース案内の矢印が。田園風景でみんな癒されたかな、と思いましたが、よく考えたらココを走る時は夜中。夜中・・・か。街灯がない、と少しかわいそうな感じも。でもそれがウルトラ。孤独にも耐える!

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無事、4時間後に長門に到着。とりあえず一安心。ここでグッチーのツイートをチェックするとなんともう千畳敷(120キロくらい)を通過している。長門は直ぐそこ。急いで応援の支度をしました。

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待つこと20分。見覚えのある黄色い服が!!






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なんとタモンさん!

タモンさんは昨晩40キロ付近でエイド・ボランティアをしてたのですが、なんと長門にも出没。さすがです! タモンさんは昨年250キロを完踏した猛者。私とは地元で40キロの練習を一緒にした仲です。出会えて感激!

タモンさんによれば、「グッチーにはさっき会った、でもまだあと30分以上は掛かると思う」
了解です! 情報ありがとう。

気持ちを切り替え他の250キロランナーの応援をすることに。


すると、

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いよいよグッチー登場!
バンザーイ!

でも、タモンさんの予想を大幅に上回る50分後にグッチーは到着。
もしかしてバテてる?

とってもグロッキーっぽいグッチーをみて、これは無理なんじゃ・・・とビビる俺。

だって僕に会いながら、せっかくだから写真を撮ろうと携帯を取り出すグッチーの手が心なしか震えてた。

しかも携帯を出したのはいいけど、二人の写真を撮ってくれる第三者は周りにはいないし、ウルトラのランナーには頼めないし、疲れてるグッチーに写真を撮ってもらうのも申し訳ないし、で結局、震える手で携帯をしまうグッチー!

とりあえず、水だけ渡して「頑張れ!」の一言。

するとグッチーは、

「きついですけど、絶対完走しますから。ゴールで会いましょう」

だって。かっけ〜!

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かっこいいグッチー!

今晩さえ乗り越えれば完走が見えてくる。そう思ってグッチーを見送りました。

次の遭遇は、明朝、萩で。
そう誓って、私も今夜の宿探しに出かけました!
感動・完踏・萩往還マラニック・250キロ・140キロ 応援ツーリングツアー [2013年05月07日(Tue)]
マラニックとは、「マラソン」と「ピクニック」を合わせた造語

らしいですが、

250キロ走ってピクニックって・・・・?

気持ちの問題かな〜

萩往還マラニック・250キロ

この大会を初めて知ったのが去年。

あり得ね〜、っと思いつつ、田舎が山口なので出てみたいな・・・、とも思っていた。
そしたら「しろくま一族(注:マラソンの同好会?)」の友人が一人250キロに出場。また他にも2名が140キロに出場、とのことで、急遽GWを利用して帰省もかね応援に行きました。

しかし、

ただ単に車で行って応援するだけでは「芸」がない、
そう思って自転車で駆けつけることにしました〜〜〜〜!

いや、一応まっとうな理由があります。

つねづね、

トライアスロンに出たいと思っていたオイラは、まずは中古でクロスバイクを1年前に購入。しかし、ランの練習ばかりでツーリングをしていない。この自転車ツーリング、意外と初心者にはハードルが高い。何か機会が無いかと思っていたところ、ありましたよ「萩往還」が。

ということでルートを調べ、寝床も調べ、必要用具も調べ上げ、GW前に輪行バックやヘルメットも購入。マイレージで航空券ゲット。しかも嬉しいことに田舎に近い岩国錦帯橋空港が昨年12月にオープン。これ逃したらいつ行くの?

いまでしょ!

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さっそうと出発!

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まだ新しい岩国錦帯橋空港!

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空港ではもちろん獺祭を販売中!

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地図見ながらツーリングコースを想像してみた。山口意外と広い。

5月1日に山口に到着。

翌日の午後5時半に、まずは250キロのスタート応援に山口駅の瑠璃光寺に行きました。

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5重塔が有名

スタート地点には、250キロを走ろうとする「猛者」ではなく「ヘンタイ」がたくさ〜ん^^(出場者のみなさま、すみません)

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そこで「しろくま一族」の垂れ幕を持って入場すると、早速ミンミンに遭遇(彼女は140キロに出場予定)。景気付けに一枚!

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250キロには450名が参加予定

そして250キロに出場するグッチーのスタートを応援すべくスタンバイしました。
スタートは午後6時。それから48時間以内に250キロ走ってココに戻ってこれたら「完踏」です。

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スタートの様子

しかしグッチーは本当に250キロも走れるのだろうか、そしてオイラの自転車はパンクせずに走ってくれるんだろうか、明日はどこに泊まれば良いのだろうか、という不安をよそに、その日はスタートだけ応援して帰宅しました。

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帰宅後はまずは親父と一杯

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明日から想定するルートを見直し、とりあえず、寝ました!

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