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強権的なリーダーが幅を利かせる世界をどう変えるのか[2026年03月31日(Tue)]
 NHK出版デジタルマガジン2025年9月10日付け「「普通の人」が社会を変えるには? 「非暴力闘争論」を足掛かりに考える」から、強権的なリーダーが幅を利かせる世界で、私たちはいかに抵抗しえるのでしょうか?
平和運動に軍事的戦略性を持ちこんだ「非暴力におけるマキアヴェッリ」とも称されるジーン・シャープ。彼の非暴力闘争論を足掛かりに、とりたてて勇敢でも立派でもない「普通の人」が社会変革に携わる方策や、身近な抑圧や服従から抜け出すためのヒントを提示する『武器としての非暴力 日常からはじめる抵抗論』(中見真理 著)の刊行を記念し、中見さんによる本書のイントロダクションを公開いたします。
終わりの見えない暴力連鎖
 あっという間に暴力が蔓延する世界となりました。暴力行使への抑制がきかなくなったせいか、最近は身近なところでも暴力的犯罪が増えているような気がします。
 なかでも心痛むのは、イスラエルによるガザ侵攻・パレスチナ人の大虐殺です。民間人の殺戮が当たり前のようになり、幼い子供や病院内の患者ですら攻撃の対象となっています。悲惨な映像がメディアを通じて日々伝えられることで、遠く離れた世界の人々の多くが大きな衝撃を受けています。頼みとなるはずの国連は無力を露呈し、すさまじいまでの国際人道法違反を食い止めることができません。これまで築き上げられてきた国際秩序への信頼が大きく揺らぎ、私たちは終わりの見えない暴力連鎖のなかに置かれています。
 いつの間にか世界には強権的政治体制が増え、テロや紛争を武力で解決しようとする動きが暴力行使に拍車をかけています。数年前にはめったに聞くことのなかった軍事用語が、メディアでは当たり前のように日々飛び交っています。
 この状況のなかでも、何とか暴力連鎖をくい止めたいと思っている人が多数いることは事実です。しかしあまりの惨状に無力感に陥りがちとなって、どうすればいいのかわからなくなっている人も多いに違いありません。
 私自身しばしば無力感に襲われてしまいますが、それでもこの世界を少しでも改善に向かわせていくためにできることがあるならば、たとえ小さな試みであってもやってみるべきだと気を取り直しています。一粒の麦のようなものであれ、それを蒔くことによって、社会を良くしようと思う人がひとりでも増えてくれるよう願うことはできます。世界が暴力連鎖状態から少しでも抜け出せるよう心からの願いを込めて、本書を執筆しました。
非暴力による社会変革
 暴力によらずに戦争や様々な抑圧・差別を解消していくにはどうすればよいのか。これはそう簡単な問題ではありません。
 この難問に長年向き合い、ひとつの道筋を具体的に示してくれたのが、本書で取り上げる米国人ジーン・シャープ(一九二八〜二〇一八)の非暴力論=戦略的非暴力闘争論です。
 シャープは、インドの政治的指導者マハトマ・ガンディーの研究を礎(いしずえ)として、独自の非暴力論を構築した政治学者です。二〇一八年に九十歳で亡くなるまで、一貫して非暴力による社会変革の重要性を訴え、抑圧されてきた人々が自らの手で自由をつかみとる方法を発信しつづけてきました。日本ではあまり知られていませんが、バルト三国の独立回復や、セルビアの独裁政権崩壊、エジプトのホスニー・ムバラク政権打倒をもたらした「アラブの春」など、冷戦終焉前後から二〇一〇年代初頭にかけて世界に広く伝播(でんぱ)した非暴力革命に多大な影響を与え、四回にわたってノーベル平和賞の候補にもなっています。二〇一二年には、スウェーデンの財団から環境・人権問題などに尽くした人物に贈られる「もう一つのノーベル賞」とも呼ばれるライト・ライブリフッド賞を与えられています。
 私は国際関係の思想的研究、とくに世界が戦争や差別(構造的暴力)の少ない方向に向かうためには、どのような思想が求められるかに関心を寄せ、研究を重ねてきました。歴史の事例から平和に資する様々なタイプの思想を拾い上げ考察してきましたが、ジーン・シャープの非暴力論に注目したのは、そこにそれまで学んだ非暴力平和論にはほとんどみられない冷徹でリアリスティックな観点を見出したからでした。
 非暴力に基づく平和論は、ほとんどの場合、宗教心の深さや強い道徳心を重んじ、非情な弾圧にも屈しない勇者・聖人をモデルとして高く評価する傾向を持っています。これ自体は素晴らしいことで敬意を払わねばなりませんが、この方法で活動の裾野を広げるのは容易ではありません。宗教的・道徳的に優れた人、捕まったり殺されたりした人が高く評価される傾向が強く、普通の人との接点が弱い議論になりがちです。一般の人に、平和と関わるのは恐ろしいという印象を与え、平和の問題は自分とは無関係だと思う人を増やしているようにも思われます。
軍事戦略に学ぶべきこと
 これに対し、シャープが説く非暴力論は、とりたてて勇敢でも立派でもない「普通の人」が、日常生活の延長として平和活動の一翼を担うことを目指しています。
 シャープは、非暴力を用いるのは、それが宗教的・道徳的に優れているからではなく、「政治的に賢明な策」だからだと説いています。
 私は、シャープが軍事からも積極的に学び、非暴力論に軍事戦略の発想を取り入れていることにも着目しました。
 平和活動の大きな課題は、軍事や暴力との戦いです(それだけではありませんが)。戦いを展開するとき、一般に「敵」についてしっかり研究する必要があります。ところが第二次世界大戦後、日本の平和論は軍事を腫れ物のように忌避してきました。とりわけ「平和主義者」と言われる人々の間でその傾向が強く、平和勢力が、理解を深めなければならない軍事を無視している状況が長く続いていました。そのことを私は残念に思っていました。
 暴力に対して非暴力で対抗する場合にも、軍事のように戦略を練って周到に準備し、非暴力で闘うための知識やスキルを身につけておく必要があるのではないか。戦略も戦術もない場当たり的な活動が、望ましい結果につながりにくいのは当然でもあります。シャープの研究には、既存の自然発生的非暴力闘争をより意識的、戦略的なものにしたいという強い問題意識が貫かれています。
 しかしそもそも、非暴力で暴力に対抗することなど本当にできるのか。皆さんのなかには、強い疑念を持っておられる方も多いのではないでしょうか。特に大多数の人々が、軍事的発想に傾斜し、日々戦争報道を目にしている今日の状況下では、なおさらその感は強まります。けれども、いつまでもこの状態でよいわけはありません。
 軍事力への過度の依存は、問題の根本的解決を導いてくれるでしょうか。また地球規模の自然環境破壊を考えた時、軍事によってさらに破壊を加え続けることは本当に現実的解決策といえるのでしょうか? 
少しでも非暴力が機能する領域を広げたい。そのための方法を考えるということは、真剣に取り組むに価(あたい)する課題だと思います。
民主主義を守りぬくために
 シャープの考えについて理解を深め、そこから自分たちの考えをより深めるために、本書では、彼の著作のうち世界中の多くの人に大きな影響を与えた『独裁体制から民主主義へ』を中心に取り上げ、非暴力が「政治的に賢明な策」であるとする理論的根拠や、独裁体制を崩壊させる具体的な方法を学んでいきたいと思います。『独裁体制から民主主義へ』はとてもコンパクトな本です。しかし、強権的な独裁体制下で無力感に打ちひしがれていた世界の多くの人々に希望を与え、彼らが独裁体制から抜け出すための導きの書となりました。
 独裁体制下や戦時下に置かれるなどということは、平和な日本に暮らす私たちには一見無縁な話のように思われるかもしれません。しかしロシアのウクライナ侵攻によって、日本人にとっても戦争が遠い話ではないと思った人は多いのではないでしょうか。
 特に独裁体制については、民主的な手続きを経て独裁政権が生まれることもあるように、どの国の民主主義も決して安泰ではありません。近年はポピュリスト政治家の台頭も目立つので、なおさら警戒が必要です。
 私たちが民主主義国の代表格と信じてやまなかった米国においてすら、ドナルド・トランプ大統領の登場以来、独裁体制化が進行しつつあるのではないでしょうか。法や秩序を無視して傍若無人に振る舞い、自分の考えに異議を唱える政治家を周囲から追放し、大学における言論・研究の自由を許さないなど、民主主義国としてあってはならない事態が進んでいることに注意を払う必要があります。
 独裁者の台頭を許さぬために、またいつの間にか戦争体制に巻き込まれないために私たちは常日頃から民主主義の基盤を強くしておく必要があります(民主主義が戦争体制を強化する場合もあることにも注意を払わねばなりませんが)。したがって『独裁体制から民主主義へ』は、軍隊や独裁者が政権に居座るような国の人々に限らず、民主主義国家に暮らす人々にも読まれるべき書物だということができます。
 シャープの理論には、暮らしの身近なところから民主主義を守るためのヒントが数多く含まれています。たとえば学校や職場で、あるいは地域や社会の問題について、理不尽な決定や抑圧に対して「NO」と言う際にも参考になります。そのような抵抗力をつけていきたいものです。
 現在の日本では、自分が受けた抑圧を弱いものに向けて、自己のバランスを維持しようとする者が多いように見受けられますが、その方向を反転させ、不当な要求を強いる強者、権力者に対して正当な異議申し立てをする力を強めていく必要があります。このことは自分を強くし、結果的に民主主義を強化していくことにつながります。
 なお強調しておきたいのは、非暴力とは「何もしないことではない」ということです。シャープは、暴力はもちろん、何も抵抗せずに権力を受け入れる無抵抗も、真の平和を生み出すことはできないと語っています。つまり非暴力は暴力に対抗するものであると同時に、何もせぬことに代わり得るものでもあるのです。
 シャープはいきなり大きな問題に立ち向かうのではなく、今の自分に無理なくできることから始めればよい、ともアドバイスしています。
 民主主義を守り、暴力の連鎖を止めるために「今の自分」に何ができるのか。シャープの言葉を糸口に、皆さんと一緒に考えていきたいと思います。DSC00632.JPG

 あっという間に暴力が蔓延する世界となりました。暴力行使への抑制がきかなくなったせいか、最近は身近なところでも暴力的犯罪が増えているような気がします。なかでも心痛むのは、イスラエルによるガザ侵攻・パレスチナ人の大虐殺です。民間人の殺戮が当たり前のようになり、幼い子供や病院内の患者ですら攻撃の対象となっています。悲惨な映像がメディアを通じて日々伝えられることで、遠く離れた世界の人々の多くが大きな衝撃を受けています。頼みとなるはずの国連は無力を露呈し、すさまじいまでの国際人道法違反を食い止めることができません。これまで築き上げられてきた国際秩序への信頼が大きく揺らぎ、私たちは終わりの見えない暴力連鎖のなかに置かれています。いつの間にか世界には強権的政治体制が増え、テロや紛争を武力で解決しようとする動きが暴力行使に拍車をかけています。数年前にはめったに聞くことのなかった軍事用語が、メディアでは当たり前のように日々飛び交っています。この状況のなかでも、何とか暴力連鎖をくい止めたいと思っている人が多数いることは事実です。しかしあまりの惨状に無力感に陥りがちとなって、どうすればいいのかわからなくなっている人も多いに違いありません。私自身しばしば無力感に襲われてしまいますが、それでもこの世界を少しでも改善に向かわせていくためにできることがあるならば、たとえ小さな試みであってもやってみるべきだと気を取り直しています。一粒の麦のようなものであれ、それを蒔くことによって、社会を良くしようと思う人がひとりでも増えてくれるよう願うことはできます。平和を踏みにじるような独裁的な動きに蔓延していますが、傍観しているだけでいいはずはないでしょう。「普通の人」が、日常生活の延長として平和活動の一翼を担うことを目指しています。シャープは、非暴力を用いるのは、それが宗教的・道徳的に優れているからではなく、「政治的に賢明な策」だからだと説いています。平和活動の大きな課題は、軍事や暴力との戦いです。戦いを展開するとき、一般に「敵」についてしっかり研究する必要があります。ところが第二次世界大戦後、日本の平和論は軍事を腫れ物のように忌避してきました。とりわけ「平和主義者」と言われる人々の間でその傾向が強く、平和勢力が、理解を深めなければならない軍事を無視している状況が長く続いていました。独裁体制下や戦時下に置かれるなどということは、平和な日本に暮らす私たちには一見無縁な話のように思われるかもしれません。しかしロシアのウクライナ侵攻によって、日本人にとっても戦争が遠い話ではないと思った人は多いのではないでしょうか。特に独裁体制については、民主的な手続きを経て独裁政権が生まれることもあるように、どの国の民主主義も決して安泰ではありません。近年はポピュリスト政治家の台頭も目立つので、なおさら警戒が必要です。私たちが民主主義国の代表格と信じてやまなかった米国においてすら、ドナルド・トランプ大統領の登場以来、独裁体制化が進行しつつあるのではないでしょうか。法や秩序を無視して傍若無人に振る舞い、自分の考えに異議を唱える政治家を周囲から追放し、大学における言論・研究の自由を許さないなど、民主主義国としてあってはならない事態が進んでいることに注意を払う必要があります。法や秩序を無視して傍若無人に振る舞う独裁体制を何とかしなければならないでしょう。独裁者の台頭を許さぬために、またいつの間にか戦争体制に巻き込まれないために私たちは常日頃から民主主義の基盤を強くしておく必要があります。現在の日本では、自分が受けた抑圧を弱いものに向けて、自己のバランスを維持しようとする者が多いように見受けられますが、その方向を反転させ、不当な要求を強いる強者、権力者に対して正当な異議申し立てをする力を強めていく必要があります。このことは自分を強くし、結果的に民主主義を強化していくことにつながります。いきなり大きな問題に立ち向かうのではなく、今の自分に無理なくできることから始めればよい。民主主義を守り、暴力の連鎖を止めるために「今の自分」に何ができるのか。民主義を守り強化していくことができるようにすることが大事なのでしょう。独裁者の台頭を許してしまっている世界を変えて平和を創造していかなければならないでしょう。日本、日本人は何ができるのか真摯に考える必要があるでしょう。DSC00631.JPG
政治活動に金がかかるからと言って不正を働いてもいい訳ではない[2026年03月30日(Mon)]
 NEWSポストセブン2025年9月8日付け「【スクープ】“石破首相の側近”宮路拓馬・外務副大臣が3年間で「地球24周分のガソリン代」を政治資金から支出 事務所は「政治活動にかかる経費」と主張」から、就任以来半年あまりで欧州やアフリカ、アジア、北米など8か国を訪問した自民党の宮路拓馬・外務副大臣。鹿児島1区選出の2世議員で森山裕・幹事長の腹心として知られる。「外交が苦手」といわれる石破首相を森山氏とともに支えてきた“石破側近”だが、外務副大臣として海外を忙しく飛びまわる前、毎年政治資金で莫大なガソリン代を支払っていた。
宮路氏は外務副大臣に就任する前、わずか3年間で政治資金から900万円近いガソリン代を支出していた。走行距離を推計すると実に3年間で地球24周分にのぼる。
宮地氏が住む二世帯住宅の駐車場には「燃費が良い車種」
 政治家の高額ガソリン代と言えば、かつて山尾志桜里・元代議士が1年で“地球5周分”のガソリン代を使っていたことが問題化したが、この時の金額は230万円。  
それに対して宮路氏が代表を務める政党支部(自民党鹿児島県第一選挙区支部)の政治資金収支報告書によると、2021年に約310万円、2022年は約301万円、2023年が約273万円と3年間でガソリン代を合計約884万円も支払っていた。  
地元の政界関係者はその金額を聞いて驚いた。
「鹿児島1区は狭いから小型車ならガソリン代は知れている。選挙カーを回らせていれば燃費は良くないが、宮路さんが通年で選挙カーを走らせているなんて見たことも聞いたこともない」  
宮路氏の選挙区は鹿児島市とその周辺で、同県の総面積のざっと20分の1。県内4選挙区のなかで最も小さい。最も広い森山氏の鹿児島4区の7分の1しかない。  
どんな政治活動をすればそれほど高額のガソリン代がかかるのか。
 記者が現地・鹿児島を取材すると事務所の駐車場には車がなく、宮路氏が父の和明・元代議士と住む鹿児島市内の二世帯住宅の駐車場には、「ミヤジ」と読める同じナンバーの車が3台駐車されていた。トヨタ2台、スズキ1台で、いずれも燃費の良い車種だ。  
「そのうち2台は政治団体『みやじ拓馬後援会』の所有で、もう1台は母親の所有と聞いています」(別の政界関係者)  
近隣住民の話も聞いた。
「3台の車はそれぞれ拓馬さん、父親の和明さん、母親が使っていますが、拓馬さんはほとんど東京にいて見かけないし、和明さんもあまり外出しないようで、後援会活動に熱心なのは母親くらいです。駐車場には大体1台か2台は駐まっていて、3台とも出払っていることはあまりない」  
高額ガソリン代と矛盾する証言が出てくるのだ。  
ガソリン代を当時の全国平均価格(1リットル=約172円、2022年は169円、2021年は162円)と仮定し、政治活動に使っていると考えられるトヨタ・シエンタのカタログ燃費(1リットル=18km)で計算すると3年間で約96万km、地球24周分は走っている。
緊急事態宣言下にもかかわらず高額支出
 疑問はほかにもある。宮路氏の政党支部の年間ガソリン代が約310万円と最も多かった2021年はコロナ禍だった。  
政府は1月から3回にわたって東京などに緊急事態宣言を出して外出自粛を要請、宮路氏は自身のフェイスブックに「緊急事態宣言下で地元に戻れない日々が続いています」(1月31日)と投稿し、4月発行の『みやじ拓馬通信』では、〈実に約70日ぶりに鹿児島に戻り、久々に朝の辻立ちを行いました!〉と報告。  
しかし、その間も支部の政治資金収支報告書では毎月20万円近いガソリン代を支出。
この年は8月から9月にかけて鹿児島県が初の「まん延防止等重点措置」を発動し、不要不急の外出自粛やカラオケなどの利用自粛などを呼びかけたが、8月、9月とも約30万円のガソリン代の支出を計上している。一体、誰が何に使ったのだろうか。
 政党支部は毎月、2つのガソリンスタンドに前月分のガソリン代をまとめて支払っている。その1社、JAさつま日置協同サポートに誰がガソリンを入れていたかを取材するとこう答えた。
「みやじ拓馬後援会の事務所とガソリン供給契約書を結んで、JA独自の給油サービスカードを複数枚発行しています。クレジットカードみたいなもので、それを提示すれば県内約80か所の給油所のどこでも後払いで給油できる仕組みです。給油のたびにサインをもらって車番は控えていますが、選挙の街宣車のような目立つ車ならともかく、普通の乗用車の利用であれば誰が入れたかはうちではわかりません」  
もう1社の南国殖産は「月払いで利用いただける提携カードはあるが、お客さまとの取引内容についてはお答えできない」とした。  
前述の山尾氏の高額ガソリン代問題では、元公設秘書が他人のレシートを使って事務所にガソリン代を請求し、不正利用していたことが判明して返金している。  
政治資金を監視する上脇博之・神戸学院大学教授が指摘する。
「政治資金収支報告書では多額のガソリン代を計上していても、実際は誰が使ったのか、本当に政治活動のためなのかわからない。事務所のスタッフであっても、政治活動以外のプライベートに使ってはならない。  
仮にカードを持つだけで給油できるのであれば、政治活動以外の利用や支援者への違法寄付の疑いが持たれやすくなります。これだけガソリン代が高額なら、疑惑を持たれないようどうしてその金額がかかったのか説明する責任があるでしょう」  
宮路氏はどう説明するのか。宮路事務所は、「政治団体の収支は法令に従い適正に収支報告しています。ご質問の経費も当該政治団体の政治活動にかかる経費であることから収支報告しています」と回答した。  
果たして、この説明で納得できる国民がどれだけいるだろうか。DSC00634.JPG

 宮路氏は外務副大臣に就任する前、わずか3年間で政治資金から900万円近いガソリン代を支出していた。走行距離を推計すると実に3年間で地球24周分にのぼる。宮路氏が代表を務める政党支部の政治資金収支報告書によると、2021年に約310万円、2022年は約301万円、2023年が約273万円と3年間でガソリン代を合計約884万円も支払っていた。「鹿児島1区は狭いから小型車ならガソリン代は知れている。選挙カーを回らせていれば燃費は良くないが、宮路さんが通年で選挙カーを走らせているなんて見たことも聞いたこともない」宮路氏の選挙区は鹿児島市とその周辺で、同県の総面積のざっと20分の1。県内4選挙区のなかで最も小さい。最も広い森山氏の鹿児島4区の7分の1しかない。「3台の車はそれぞれ拓馬さん、父親の和明さん、母親が使っていますが、拓馬さんはほとんど東京にいて見かけないし、和明さんもあまり外出しないようで、後援会活動に熱心なのは母親くらいです。駐車場には大体1台か2台は駐まっていて、3台とも出払っていることはあまりない」ガソリン代を当時の全国平均価格(1リットル=約172円、2022年は169円、2021年は162円)と仮定し、政治活動に使っていると考えられるトヨタ・シエンタのカタログ燃費(1リットル=18km)で計算すると3年間で約96万km、地球24周分は走っている。「みやじ拓馬後援会の事務所とガソリン供給契約書を結んで、JA独自の給油サービスカードを複数枚発行しています。クレジットカードみたいなもので、それを提示すれば県内約80か所の給油所のどこでも後払いで給油できる仕組みです。給油のたびにサインをもらって車番は控えていますが、選挙の街宣車のような目立つ車ならともかく、普通の乗用車の利用であれば誰が入れたかはうちではわかりません」「政治資金収支報告書では多額のガソリン代を計上していても、実際は誰が使ったのか、本当に政治活動のためなのかわからない。事務所のスタッフであっても、政治活動以外のプライベートに使ってはならない。仮にカードを持つだけで給油できるのであれば、政治活動以外の利用や支援者への違法寄付の疑いが持たれやすくなります。これだけガソリン代が高額なら、疑惑を持たれないようどうしてその金額がかかったのか説明する責任があるでしょう」信じられるのでしょうか。国民の理解を得ることは容易ではないでしょう。「政治団体の収支は法令に従い適正に収支報告しています。ご質問の経費も当該政治団体の政治活動にかかる経費であることから収支報告しています」と回答した。果たして、この説明で納得できる国民がどれだけいるだろうか。政治活動に金がかかるとしても許容範囲内で行うべきでしょう。不正をしているとすれば許されることではないでしょう。政治と金に関しては住民、国民のチェックが必要でしょう。不正を放置してしまえば蔓延していく可能性があるのではないでしょうか。DSC00633.JPG
「自分で選択できる」ことが重要なのでは[2026年03月29日(Sun)]
 PHPonline2025年9月8日付け「幸福な人生を送るには? 哲学者が語る「自分で選択できる」ことの重要性」から、人生は選択の積み重ねです。
「お茶を飲むか、コーヒーを飲むか」そんな無意識の選択から、「結婚」「転職」などの人生における重大な選択まで、私たちの一日は、あらゆる「選択」によって占められています。
では、いったいどうすれば「いい選択」ができるのでしょうか? 本稿では、なぜ今「選択思考」が必要とされているのか? 哲学者で山口大学教授の小川仁志さんに解説して頂きます。
※本稿は、小川仁志著『悩まず、いい選択ができる人の頭の使い方』(アスコム)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
「ルール」は大きく変わった
なぜ今、私たちに「選択思考」が必要なのでしょうか? それは、世界のルールが大きく変わり、「選択」を難しくする要因があまりにも増えているからです。私たちは、溢れる情報や多様な価値観、そして時にアルゴリズムなどのテクノロジーによって、知らず知らずのうちに自分の望まない選択へと誘導されてしまうことがあります。
自分自身の意思で未来を選び取り、納得して前に進むために、「哲学を使った選択思考」を身につけ、「いい選択」を重ねていくことが、不可欠なのです。
「頑張れば報われる」「目標を設定し、努力し達成することこそが成功である」
私たちは長らく、そんな人生観に支配されてきました。
ところが今、世界は静かに、しかし確実に変わりつつあります。
テクノロジーが進化し、価値観が多様化し、自律性を重視する時代の流れの中で、人生設計を考える際、「目標を達成できるか」ではなく「何を選ぶか」に主眼が置かれるようになっています。
言い換えれば、人生はもはや「ゴールを目指すレース」ではなく、「自分に合ったレースを見つける旅」となったのです。
もちろん、人間にとって、努力することの価値が失われたわけではありません。ただし、以前のように「ひとまず目の前のことを頑張る」という選択は、必ずしも有効であるとは言い難い状況です。
今まで、多くの人は、将来の方向性が定まらないとき、「ひとまず目の前のことを頑張る」という選択をし、目の前の課題に真摯に取り組み、その過程で道が開けていくことを期待してきました。
それは決して間違った戦略だとは言えませんでした。頑張っているうちに収入やポジションが上がったり、人生が好転したりすることが実際にあったのです。
しかし、時代は変わりました。
たとえば、この原稿を書いている時点でのChatGPTの最新モデル「OpenAI o1」は、2025年に実施された東京大学理科三類の入試で「合格水準」に達しました。理科三類は東大の中でも最難関とされています。
また、少し前は難しいといわれていた、アニメ動画の生成、デザイン、音楽など芸術に関する分野でも、AIは目覚ましい進化を遂げています。
ほかにも、AIによりさまざまな可能性が広がったことで、データ分析・文章生成・業務設計など、「努力と経験」が必要だった分野で、作業がAIに代替されつつあるという現実もあります。
こうした状況の中で、ただ漠然と「頑張る」だけでは、時代の波に飲み込まれてしまう可能性が高まっています。
したがって、今私たちに求められているのは、「何に」「どのように」努力するかという、より戦略的な選択だと言っていいでしょう。
「目標志向」はもう古い?
ハーバード大学の名物教授マイケル・サンデルの息子で、同じくハーバードで教鞭をとるアメリカの哲学者アダム・サンデルは、著書『瞬間に生きる 活動するための哲学』の中で次のように指摘しています。
「現代社会を生きる人びとは、仕事や勉学等にまつわる何らかの目標を達成すべく努力するが、それを達成しても心が満たされることはない」
アダム・サンデルによれば、私たちがもっとも自分らしくあるのは「活動している」ときであり、本来それ自体に価値のある活動を、成功か失敗かという「任務」に変えてしまうとき、不幸が始まるのだと説いています。
「頑張れば報われる」という世界が崩壊したにもかかわらず、現代社会にはいまだに終わりなき「目標志向」が蔓延しています。
AIの登場と進化は、この矛盾にますます拍車をかけることになるでしょう。
私たちに必要なのは単に「頑張る」「目標を達成する」を選択することではなく、本当に自分らしさを感じられる活動を選択する知恵を持つことではないでしょうか。
「選択の質」が心と体も変える
自分自身でいい選択をすること。
それは人生の幸福度や心身の健康を大きく左右します。
コロンビア大学教授シーナ・アイエンガー(1969~)による心理学の名著『選択の科学 コロンビア大学ビジネススクール特別講義』では、イギリスの「ホワイトホール研究」が紹介されています。
同研究は、仕事における裁量の有無が健康に与える影響を明らかにしています。
調査対象となった公務員の中では、自己決定権の少ない階層の人たちが心臓病で死亡するリスクは、自己決定権の高い階層の約3倍にのぼったといいます。
シンプルに言えば「選択の自由があるかどうかが、その人の健康リスクを大きく左右する」のです。
さらに驚くべきなのは、実際の職位よりも「自分は自由に働いている、と思っているかどうか」という主観的な認識のほうが、健康と強く関連していたという点です。
職位が高くとも「日々の仕事に自由はない。自分に選択権はない」と認識している人は心臓病のリスクが高くなり、自己決定権が少ない職位の人でも「自分は自由に働いている。選択肢は常に自分が持っている」と認識していれば、心臓病のリスクは下がったというのです。
同書には、こんな一文があります。
「飼育動物とは違い、人間の自己決定権や無力感のとらえ方は、外部の力だけで決まるわけではない。人間は、世界に対する見方を変えることで、選択を生み出す能力を持っているのだ」
つまり、実際に選択肢があるかどうかではなく、「自分で選べる」という感覚こそが、幸福や健康の基盤となるのです。DSC00636.JPG

 私たちは、溢れる情報や多様な価値観、そして時にアルゴリズムなどのテクノロジーによって、知らず知らずのうちに自分の望まない選択へと誘導されてしまうことがあります。自分自身の意思で未来を選び取り、納得して前に進むために、「哲学を使った選択思考」を身につけ、「いい選択」を重ねていくことが、不可欠なのです。確かに望ましい生き方ですね。テクノロジーが進化し、価値観が多様化し、自律性を重視する時代の流れの中で、人生設計を考える際、「目標を達成できるか」ではなく「何を選ぶか」に主眼が置かれるようになっています。人生はもはや「ゴールを目指すレース」ではなく、「自分に合ったレースを見つける旅」となったのです。そうですね。自分に合ったレースを見つける旅ですね。ただ漠然と「頑張る」だけでは、時代の波に飲み込まれてしまう可能性が高まっています。したがって、今私たちに求められているのは、「何に」「どのように」努力するかという、より戦略的な選択だと言っていいでしょう。私たちに必要なのは単に「頑張る」「目標を達成する」を選択することではなく、本当に自分らしさを感じられる活動を選択する知恵を持つことではないでしょうか。「選択の自由があるかどうかが、その人の健康リスクを大きく左右する」実際の職位よりも「自分は自由に働いている、と思っているかどうか」という主観的な認識のほうが、健康と強く関連していたという点です。職位が高くとも「日々の仕事に自由はない。自分に選択権はない」と認識している人は心臓病のリスクが高くなり、自己決定権が少ない職位の人でも「自分は自由に働いている。選択肢は常に自分が持っている」と認識していれば、心臓病のリスクは下がったというのです。そうですか。驚きですね。「人間の自己決定権や無力感のとらえ方は、外部の力だけで決まるわけではない。人間は、世界に対する見方を変えることで、選択を生み出す能力を持っているのだ」つまり、実際に選択肢があるかどうかではなく、「自分で選べる」という感覚こそが、幸福や健康の基盤となるのです。自分で選ぶことができる感覚が幸福、健康につながっているかもしれませんね。勉強になりました。DSC00635.JPG
いろいろな方策を考え地域を維持していかなければならないのでは[2026年03月28日(Sat)]
 読売新聞オンライン2025年9月8日付け「町の人口は50年で半減、「地域づくり組合」で働き手確保…柔軟な働き方で移住促進も」から、人口減少が進む中で働き手を確保しようと、複数の事業者が出資して「特定地域づくり事業協同組合」を設立する事例が相次いでいる。山形県内では2021年に小国町で最初の組合が発足し、現在は置賜地域3町の3組合に広がった。組合は移住者らを雇用し、季節ごとに異なる職場へ派遣する。伝統産業を維持する一助になるほか、柔軟な働き方を提案して移住促進にもつなげる狙いがある。
「牛舎の手伝い」「草刈り」週3日ずつ
小国町にある繁殖用の米沢牛など約100頭を飼育する牛舎。管理を手伝う白木昂(こう)さん(26)(横浜市出身)は、特定地域づくり事業協同組合「おぐにマルチワーク事業協同組合」(おぐマル)の職員として、早朝から牛の餌やりや牛舎の清掃、周辺の草刈りなどに汗を流す。6月からは牛舎の手伝いを週3日、田んぼの草刈りを週3日引き受ける。
 白木さんは東京農大卒業後、埼玉県本庄市のJAに就職した。農業の魅力を感じながらも、学生時代から同町の「桜川酒造」に憧れていたこともあり、酒蔵への転職を模索する中でおぐマルに出会った。
 今年4月に同町に移住。収入は減ったというが、白木さんは「以前より自由な働き方で自分の時間が取れるし、今後の身の振り方も考えながら生活できている」と満足そうに話す。
 町の人口は約7100人(20年時点)と、この50年で半減した。人手不足を解消する一助にと、地域おこし協力隊員ら町民5人が組合の設立を提案。町内のあらゆる産業で担い手不足への危機感が共有されていたことで、設立まではスムーズだった。
 21年に14事業者の出資で発足したおぐマルには現在、桜川酒造のほか食品販売業や農家など町内19の事業者が加入。県内外から11人を雇用し、町内の事業者に職員を派遣してきた。
 同町でキノコ栽培を手掛ける農事組合法人「小国きんたけ工房」は派遣を受け入れている事業者の一つ。渡辺拓磨代表理事は「人手が増えた分、自分は現場に出ずに経営面により集中できるようになった」とメリットを語る。
おぐマル事務局長の吉田悠斗さん(31)は「市町村を越えた労働力の融通もできるようになれば、より充実した取り組みになるのでは」と展望する。
白鷹町や川西町でも誕生
 山形県内では昨年5月に白鷹町で、今年4月に川西町で、それぞれ組合が誕生した。
 現在は尾花沢市の組合が県の認定手続き中だ。同市は3年ほど前から組合の設立に向けた準備を進めてきた。市内の農業や建設業、観光業など5、6事業者が参画し、12月頃の事業開始を目指す。同市は人口流出が進んでおり、移住促進だけでなく、流出防止にも役立てたい考えだ。
 特定地域づくり事業協同組合=2020年6月施行の「特定地域づくり事業推進法」に基づく組織。過疎地での担い手確保を目的に、複数の事業者が出資して設立し、雇用した職員に給与を支払う。労働者派遣法に基づく国の許可は特例で免除され、労働局への届け出だけで派遣事業が可能になる。運営費と人件費の一部について、国の補助金を活用できる。DSC00638.JPG

 人口減少が進む中で働き手を確保しようと、複数の事業者が出資して「特定地域づくり事業協同組合」を設立する事例が相次いでいる。山形県内では2021年に小国町で最初の組合が発足し、現在は置賜地域3町の3組合に広がった。組合は移住者らを雇用し、季節ごとに異なる職場へ派遣する。伝統産業を維持する一助になるほか、柔軟な働き方を提案して移住促進にもつなげる狙いがある。知恵、アイデアを出していろいろな方策を考え持続できるように考えることはだいじでしょう。移住はハードルが高く容易にはできないでしょうが、対策を講じることは大事でしょう。今年4月に同町に移住。収入は減ったというが、白木さんは「以前より自由な働き方で自分の時間が取れるし、今後の身の振り方も考えながら生活できている」と満足そうに話す。地域おこし協力隊員ら町民5人が組合の設立を提案。町内のあらゆる産業で担い手不足への危機感が共有されていたことで、設立まではスムーズだった。21年に14事業者の出資で発足したおぐマルには現在、桜川酒造のほか食品販売業や農家など町内19の事業者が加入。県内外から11人を雇用し、町内の事業者に職員を派遣してきた。山形県内では昨年5月に白鷹町で、今年4月に川西町で、それぞれ組合が誕生した。現在は尾花沢市の組合が県の認定手続き中だ。同市は3年ほど前から組合の設立に向けた準備を進めてきた。市内の農業や建設業、観光業など5、6事業者が参画し、12月頃の事業開始を目指す。同市は人口流出が進んでおり、移住促進だけでなく、流出防止にも役立てたい考えだ。補助金に頼るだけではダメでしょうが、対策を前に進めるために一時的に補助金等を活用する必要はあるでしょう。全国でいろいろな方策を考え地域を維持する活動が広がれば地方も元気になることができるのではないでしょうか。DSC00637.JPG
日本ファンになって移住する人が増えればいいですね[2026年03月27日(Fri)]
 信濃毎日新聞デジタル2025年9月7日付け「「日本 子育て」で検索して海外から家族で移住「これほど居心地いい場所ない」 田舎の山でオランダ人の元シェフが描く夢」から、農業と料理の腕を生かす道を探る
「あっ食べられてる。イノシシかなあ…」「こっちは収穫までもうちょっとですね」  
長野県長野市戸隠祖山の自宅から徒歩10分ほどの畑で、オランダ出身のロニー・トルスマさん(36)が、トウモロコシの出来栄えを見ていた。昨春、北海道出身の妻(35)、子2人と共にこの地に移住した。「戸隠のオランダ人」として、地域に根を張って暮らしている。
妻との出会いは5年前、チェコ・プラハ。お互い旅行中で意気投合した。ドイツで暮らしていたが、長男(3)の出産を機に日本に移ることに。地域にこだわりはなく、「日本 子育て」で検索して移住先を探した。国内の数カ所を経て、2023年10月、飯綱町に越してきた。家の購入を考え始めた頃に現在の家を見つけ、すぐに購入を決断。妻は「戸隠のパワーに導かれたのかも」と笑う。
料理人として5カ国で働く
 5カ国で10年以上、料理人として働いてきた。ドイツのパンケーキレストラン、オーストラリアのイタリアン、ロンドンのすし店…。育児に専念しつつ、「日本ではまったく新しいことに挑戦したい」と考えていた。
 住んでみると、周りの住民は「本格的な農家ばかり」。地区の成人男性でトルスマさんが一番若く、何かと手伝いをするうちに農業への興味が湧いた。高齢化で今まで通りの農業を続けるのが難しくなっていくのを見て「自分に何かできないか」とも思った。
近所の92歳のおじいさんから畑を借りる
 近所の92歳のおじいさんから耕作面積を減らすつもりだと聞き、「大事に耕してきた畑が、ただ野に返るのはもったいない」と、その畑を借りて農家を目指すことにした。
 傾斜地にある畑は、眼下に裾花川が流れ、その向こうに山々を見渡せる。畑仕事の合間には、おじいさんと隣り合って座り、景色を眺めながら一緒にコーヒーを飲んで休憩する。「お互い言葉は通じないのに、自然体で一緒にいられて落ち着く」
 ただ、農業は難しい。
 今はカボチャやルッコラ、トマト、キュウリ、長ネギといった野菜の他、畑で育てられる「陸耕」のコメを試験栽培。特にヨーロッパで常備菜のビーツは、中心作物に据えようと力を入れている。
虫食いや野生鳥獣被害で…
 しかし、虫食いや野生鳥獣被害で、ほとんど物にならなかった作物も。ビーツは種を500粒まいて、収穫できたのは50個ほどだった。
育児にもまい進
 1歳半の長女は動きが活発になり、片時も目が離せない。平日の日中はトルスマさんが一人で育児しているため、農作業の時間を確保すること自体が難しくなった。長女が幼稚園に通い始めるまでは無理のない範囲で直売所に出荷しながら育児を優先し、来春、本格始動するつもりだ。
 妻には以前から「シェフとしてのキャリアを生かさないのはもったいない」と言われていた。今は、農業と料理の両方を生かし、「自分で作った野菜で料理を振る舞うレストラン」を開きたいと思い描いている。
長野市中心地に初出店
 9月16、27日には、長野ターミナル会館のシェアキッチンに「戸隠Dutchガーデン」として初出店。ピザとクレープの中間のようなオランダ風パンケーキや野菜を提供、販売する。
 地区内にたった一人の外国人。けれど「これほど自然になじめて居心地がいい場所は他にない」。お隣さんは子どもたちにキュウリやナスを自由に収穫させてくれ、ご近所同士の集まりに誘われ、飲みに行くことも多い。家族にとって大事な居場所となった戸隠のためにも、夢をかなえたいと思っている。DSC00640.JPG

 「日本 子育て」で検索して移住先を探した。国内の数カ所を経て、2023年10月、飯綱町に越してきた。家の購入を考え始めた頃に現在の家を見つけ、すぐに購入を決断。妻は「戸隠のパワーに導かれたのかも」5カ国で10年以上、料理人として働いてきた。ドイツのパンケーキレストラン、オーストラリアのイタリアン、ロンドンのすし店…。育児に専念しつつ、「日本ではまったく新しいことに挑戦したい」子育ては移住の際には重要なキーワードなのですね。住んでみると、周りの住民は「本格的な農家ばかり」。地区の成人男性でトルスマさんが一番若く、何かと手伝いをするうちに農業への興味が湧いた。高齢化で今まで通りの農業を続けるのが難しくなっていくのを見て「自分に何かできないか」とも思った。近所の92歳のおじいさんから耕作面積を減らすつもりだと聞き、「大事に耕してきた畑が、ただ野に返るのはもったいない」と、その畑を借りて農家を目指すことにした。傾斜地にある畑は、眼下に裾花川が流れ、その向こうに山々を見渡せる。畑仕事の合間には、おじいさんと隣り合って座り、景色を眺めながら一緒にコーヒーを飲んで休憩する。「お互い言葉は通じないのに、自然体で一緒にいられて落ち着く」言葉は通じなくても心が通い合うのがいいですね。妻には以前から「シェフとしてのキャリアを生かさないのはもったいない」と言われていた。今は、農業と料理の両方を生かし、「自分で作った野菜で料理を振る舞うレストラン」を開きたいと思い描いている。地区内にたった一人の外国人。けれど「これほど自然になじめて居心地がいい場所は他にない」。お隣さんは子どもたちにキュウリやナスを自由に収穫させてくれ、ご近所同士の集まりに誘われ、飲みに行くことも多い。家族にとって大事な居場所となった戸隠のためにも、夢をかなえたいと思っている。移住して自然体で住民を付き合って生きていくことができる日本ならば、移住者が増えるかもしれません。世界中から認められ評価される国なればいいですね。DSC00639.JPG
多様な学びの場が必要でしょう[2026年03月26日(Thu)]
 NBC長崎放送2025年9月6日付け「学校だけがすべてじゃない──子どもを孤立させない「居場所」不登校支援の多様な選択肢」から、夏休みが終わり、新学期が始まった今週。しかし、楽しいはずの学校生活に息苦しさを感じている子どもたちがいます。長崎県内の不登校児童・生徒は過去10年で2.5倍に増加し、昨年は統計開始以来最多を記録しました。その背景には何があるのでしょうか?そして、子どもたちの孤立を防ぐために広がる新たな「居場所」の支援とは?多様化する不登校の現状と対策に迫ります。
県教育庁児童生徒支援課 大野洋平係長「一番注意しなければならないのは夏休み明けとか」
夏休みが終わり2学期が始まった今週。音楽会や運動会、修学旅行など、楽しみな行事も目白押しですが… 大野係長「ちょっとエネルギーが枯渇して不登校になりがちな時期というのは《長期休業明け》というのがあると思います」
長崎県内における過去10年間の不登校の児童・生徒数の推移をみると、8年連続で増加していて、2023年度は統計開始以降最多の4,095人。10年で2.5倍に増えています。全国的にもいま増加傾向にある不登校。背景には何があるのでしょうか?
県内の現状・増加の背景は 不登校支援や教育相談などに対応している県の児童生徒支援課です。8年連続で増えている不登校者数。増加の背景には大きく2つの要素が考えられると言います。
大野係長「教育機会確保法というのが平成28年にできて、それによって子どもたちが休養をとることの重要性であるとか、登校することだけが不登校支援の目標じゃないとか、そういったことも言われるようになって、だんだん社会の認識がそのように変わっていったっていうのがまず一つ。
もう一つが新型コロナがあったことで学校登校が制限されたり子どもたちのコミュニケーション、そういった機会が少なくなってしまったり、登校が制限されている時間に家庭で過ごしていて、生活が乱れてしまって、そのまま不登校になるといったケースも報告がされております」
不登校の理由は子どもによって様々で── ・学校での人間関係や家庭での親子関係が引き金となるケース ・生活リズムの不調 ・不安 ・抑うつなども挙げられます。
大野係長「誰にでも起こり得る。子どもたちの不登校自体が問題というわけではなくてですね。それによって子どもたちが学ぶ機会がなくなったりとか、社会から隔離されたというか分離されたような状況が長く続くということは避けたいなと思っているところです」
不登校増加の背景には「つらいときは無理に学校に行かなくても大丈夫」という考え方の広まりや、新型コロナウイルスの影響も不登校の増加に拍車をかけたと分析されています。
一方、休むこと自体が問題なのではなく、その期間に人と社会との接触機会が失われることが懸念されています。
孤立させない、多様な選択肢
不登校となった子どもの孤立化を防ぐため、実際に県内ではどのようなサポートがあるのでしょうか。
長崎市にあるフリースクール「クレイン・ハーバー」フリースクールとは主に不登校の子どもたちを対象とした民間の施設です。学習支援だけでなく体験活動や相談などを通して子どもたちが安心して過ごせる「居場所」を提供しています。
こちらは平日午前9時半から午後5時まで開かれていて、田植えやキャンプなど野外活動に取り組んでいます。
フリースクール クレイン・ハーバー 中村 尊理事長「実際フリースクールで過ごしても、学校を卒業しても社会になってそう大きくハンデにはならないんですよね。だから学校がどうしてもつらいところであったら、他で学べるよという選択肢」
半年前からここに通っている小学3年生の女子児童。他の利用者との交流や活動を通して気持ちに変化がありました。
利用者(小学3年)「ここでは楽しいし、なんか、“行きたい”って気持ちがなる」 一方、長崎市では今年度から新たな取り組みを始めました。
(モニター画面)「皆さんおはようございます、きょうのメタバース登校を開始します」 ことし6月から長崎市が始めたメタバース登校は、小学4年生から中学3年生を対象に週に2日、オンライン上で開校。自宅にいながら指導教員や他の生徒と交流できる機会を提供するもので、現在11人の児童・生徒が登録しています。
指導教員によるホームルームから1日が始まり、社会と繋がる第一歩を支援します。事業開始から3か月で「楽しい」など、既に前向きな感想も寄せられています。
長崎市教育委員会 長崎市教育研究所 学びの多様化推進係 松尾明係長「メタバース上で意見交換をしたりとか、いろんな学びをした次には、実際にメタバースの中で顔を出して話をしようとか、そういう段階に少しずつ繋がっていったら、引きこもってるお子さんたちも外に出る勇気っていうのが出てくるんじゃないかなと思っています」
不登校支援は、自治体や民間団体が子どもの状況やニーズに応じて連携して進められています。
諫早市では、地域ぐるみで情報を共有・提供しようと、昨年8月、民間の支援団体などによる連携協議会が設立されました。まずは、学校以外にも「居場所」があることを知ってもらいたいとしています。
悩んでいるのは1人ではないということを子どもも、そして保護者も知るきっかけにもなりそうです。ゆっくりとでも良いので次に繋がる一歩を一緒に考えることが大切です。DSC00642.JPG

 不登校にだけ焦点を当てる訳ではなく、子どもの個性を尊重して一人ひとりの才能、能力を伸長するためには多様な学びの場が必要でしょう。長崎県内における過去10年間の不登校の児童・生徒数の推移をみると、8年連続で増加していて、2023年度は統計開始以降最多の4,095人。10年で2.5倍に増えています。子どもたちが休養をとることの重要性であるとか、登校することだけが不登校支援の目標じゃないとか、そういったことも言われるようになって、だんだん社会の認識がそのように変わっていった。新型コロナがあったことで学校登校が制限されたり子どもたちのコミュニケーション、そういった機会が少なくなってしまったり、登校が制限されている時間に家庭で過ごしていて、生活が乱れてしまって、そのまま不登校になるといった。誰にでも起こり得る。子どもたちの不登校自体が問題というわけではなくて、それによって子どもたちが学ぶ機会がなくなったりとか、社会から隔離されたというか分離されたような状況が長く続くということは避けたいなと思っているところです。実際フリースクールで過ごしても、学校を卒業しても社会になってそう大きくハンデにはならないんですよね。だから学校がどうしてもつらいところであったら、他で学べるよという選択肢。子どもたちの選択肢を用意することは大事です。地域ぐるみで情報を共有・提供しようと、昨年8月、民間の支援団体などによる連携協議会が設立されました。まずは、学校以外にも「居場所」があることを知ってもらいたいとしています。情報を共有することは大事ですね。悩んでいるのは1人ではないということを子どもも、そして保護者も知るきっかけにもなりそうです。ゆっくりとでも良いので次に繋がる一歩を一緒に考えることが大切です。学校教育が唯一の教育の場であるというのではなく、子どもたちが自ら考えて選択できる多様な学びの場があることが大事でしょう。DSC00641.JPG
住民出資の道の駅[2026年03月25日(Wed)]
 ITmediaビジネス ONLINE2025年9月5日付け「「こんな過疎町に……?」住民9割反対から“道の駅日本一”に なめことロイズが起こした逆転劇」から、東北縦貫自動車道の古川インターチェンジを降りて、国道を北西に約30分クルマを走らせると、左手に「あ・ら・伊達な道の駅」と書かれた大きな看板が視界に入ってくる。
ここは宮城県大崎市の岩出山。近くには“奥州三名湯”の一つである鳴子温泉があり、紅葉の季節には多くの観光客でにぎわう。そんな場所にある「あ・ら・伊達な道の駅」は、全国トップレベルの人気を誇る道の駅として知られる。その実力が示す通り、平日にもかかわらず駐車場は混み合い、ひっきりなしに人が出入りしている。  
直近の年間来場者数は約320万人、年間売上高は約20億円、リピーター率8割。これは全国に1200以上ある道の駅の中でも突出した数字だろう。しかも開業から25年間、ほぼ右肩上がりの成長を続けている。  
2024年にはリクルートの旅行情報サイト「じゃらん」による「全国道の駅グランプリ」で1位を獲得し、その成功は注目を集める。しかし、この施設の出発点は意外にも人口減少で廃校となった中学校の跡地だった。一体なぜこれほどの成果を上げられたのか。同施設の運営会社である池月道の駅・佐々木純社長への取材で見えてきたのは、地域密着経営の新たな可能性だった。  
ストーリーは1990年代、岩出山町(現大崎市)の人口減少により一栗中学校が廃校となったことから始まる。
住民の反対を押し切っての開業
 すっぽり空いた土地では地域住民が毎週末、手作りの野菜や工芸品を持ち寄る「池月夕市」というマルシェのような活動をしていた。「ここを施設として形にできないか」という声が上がったとき、ちょうど国内で「道の駅」制度がスタートして間もない時期だった。  
しかし当初、住民の9割以上が反対していたという。「こんな過疎の町に何十億円もかけて箱物をつくってどうするのか」という意見が大勢を占める中、当時の佐藤仁一町長が強いリーダーシップを発揮して建設を推進した。  
革新的だったのは道の駅の運営体制である。自治体直営や財団法人などへの委託がまだ主流だった時代に、地元住民が出資する株式会社を設立し、指定管理者として運営する仕組みを構築した。「地元の方に株主になっていただき、従業員としても経営陣としても参加できる仕組みを作りました」と佐々木社長は説明する。この地域密着型スタイルが、後の継続的成長の礎となった。
大粒なめこがヒットして名物に
 2001年4月の開業後、すぐに多くの来客があったという。一つには地理的優位性がある。  
「あ・ら・伊達な道の駅」の目の前を走る国道47号は、場所によっては108号、457号と名称は変われども1本の道で太平洋側から日本海側までつながっている。日ごろから多くのクルマが行き交う交通の要所に立地している。さらには近隣の鳴子温泉郷は県内有数の観光名所。ハイシーズンになると大型観光バスが列をなす。  
その道中のニーズが高いのがトイレだ。そう、この道の駅はトイレ休憩場所として早速活用されることとなった。そのついでに観光客が買い物をするという流れが、開業当初から出来上がっていたのである。  
とはいえ、魅力的な売り物がなければ施設にお金は落ちない。そうした中で耳目を引いたのは、産直コーナーだった。とりわけ人気に火がついたのは「なめこ」だった。  
「もうやめようかと思っていた時に、ダメ元でここに出品してみた」という廃業寸前だったキノコ生産者の大粒なめこが大ヒット。市外から買い求めに来る客もいて、毎回あれよあれよという間に完売した。今でも変わらずの人気商品となっている。「もし道の駅の開業が1年遅れていたら、この生産者は廃業していたみたいです。それが今では規模を拡大。人生分からないものですね」と佐々木社長はしみじみと話す。  
一方で、当時は約70人の生産者が同時期に同じ野菜を出荷するため、廃棄が相次ぐという問題も生じていた。そこで同施設では戦略的な品種多様化に着手したのである。  
同じナスでも品種を分散してもらい、客の選択肢を広げることで、スーパーでは見かけない珍しい野菜が豊富にそろうようにした。また、棚に並べる野菜は品種で分けずに、納入した農家順にした。従って、例えばトマトが複数の棚に分散するように置かれているのだ。一見すると不便のように思えるが、実は客にとっては「宝探し」のような楽しみが生まれているという。  
その後も生産者数は増えていき、最盛期は240人にまで拡大した。農家の収益構造も劇的に改善し、「農協への出荷がサブ、産直がメイン」という取引形態に転換したところもある。
ロイズの“異例”な常設販売
 早期に産直コーナーという事業の柱ができた「あ・ら・伊達な道の駅」。さらなる飛躍の原動力となったのは、2001年秋から始まった「ロイズチョコレート」の常設販売だった。この提携には歴史的背景がある。  
施設名にある「伊達」は、この地と伊達家の深いつながりを表している。1591年、豊臣秀吉の奥州仕置により、伊達政宗は米沢(現山形県米沢市)から岩出山に移った。1603年に仙台城を築くまで12年間ここを居城とした。その後は4男の伊達宗泰に与えられ、岩出山伊達家は明治維新まで続いた。なお、施設名の「あ・ら・」はフランス語の「ala」(〜風、〜流)を意味し、この歴史ある「伊達な」という言葉をより強調している。  
そして、戊辰戦争で敗れた岩出山伊達家10代当主・伊達邦直が北海道当別町に入植した特別な関係により、「北海道以外に常設店舗を出さない」というロイズの方針に例外が認められたのだ。なお、当別町にはロイズの製造工場がある。  
最初は冷蔵ケース2台程度の小規模販売だったが、口コミなどで評判が広がり、3回のリニューアルを経て現在の大型店舗に発展。ロイズが大きな集客効果をもたらし、野菜や土産の購入、食事まで含めたワンストップ需要を創出した。これによって顧客単価と滞在時間を大幅に向上したのである。
常に変化を続ける道の駅に
 順風満帆に見えるが、苦しい経験もした。それは2020年のコロナ禍である。売り上げが半分以下に落ち込み、「本当にこの先どうしようと毎日思っていました。半ば諦めかけていた」と佐々木社長は吐露する。  
しかし、「Go Toトラベルキャンペーン」のクーポン対応をいち早く導入し、鳴子温泉宿泊客の帰り道需要を効果的に取り込んだ結果、「ウソのように人が戻ってきた」(佐々木社長)。最終的に2020年でも240万人程度の来場者を確保し、何とか赤字を回避したのである。  
また、2020年、21年と連続でじゃらんの「全国道の駅グランプリ」でトップに。これが追い風となった。  
このように危機を脱したのは偶然の要素もあるものの、来客の8割がリピーターという強固な顧客基盤があることを見過ごすわけにはいかない。「来るたびに何かが変わっている」という継続的な変化の創出が、顧客の強い愛着を生み出している。  
時には毎週の頻度で行う商品陳列レイアウトの変更、ロイズ限定商品の定期的な投入、季節ごとの産直商品の自然な入れ替えなど、細かな変化の積み重ねが、客足を絶やすことなく、窮地を救ったのである。  
佐々木社長によると、近年の道の駅は従来の「通過点」から「目的地」への転換が重要なトレンドとなっているという。それは「あ・ら・伊達な道の駅」でも変わらない。  
同施設では約7年前に熱気球の搭乗体験を新たなコンテンツとして加えたほか、週末にはエントランス横に設置されたステージでイベントを開催。これによって客の滞在時間の延長を図っている。特に毎回盛り上がるのは、「日光さる軍団」のステージだという。コロナ禍で新たに出張公演を始めたさる軍団を毎月のように迎え入れ、SNS拡散効果も狙った取り組みを展開している。驚くのは、出演料などの費用は一切出していないという点。
逆にいえば、これによって出演のハードルは下がり、地元のアマチュアバンドや、子どものダンス発表なども当たり前に行われている。「来る者は拒まず」という姿勢が、集客にもうまく作用しているといえるだろう。  
「限られた敷地の中で生き残るには、『ここに来れば何かしら楽しいことをやっている』と思ってもらえることが重要」と佐々木社長。規模に頼らないソフト面特化の差別化戦略により、持続的成長を実現している同施設のアプローチは、多くの地域にとって参考になるモデルといえる。
大崎市全体を活性化させたい
 同施設の次なる目標は、年間400万人を超える来客、いわゆる「交流人口」を大崎市全体の活性化につなげることだ。「ここだけが潤うのではなく、市内の他の観光資源との連携により、周遊してもらえるような仕組みを作りたいです。最終的には移住・定住につなげることが理想です」と佐々木社長は力を込める。  
道の駅に隣接する旧中学校の体育館・公民館との連携による施設拡張も視野に入れており、地域活性化のハブとしての機能拡大を図る方針だ。周囲にはスキー場、温泉、桜の名所など、年間を通じて楽しめる資源は豊富にあり、それらを効果的に結び付ける構想を描いている。  
売上高20億円、リピーター率8割という数値が示す通り、「あ・ら・伊達な道の駅」は道の駅業界における成功事例であることに疑いはない。特筆すべきは、大型化・多目的化という業界トレンドとは異なる、地域密着とソフト面特化の差別化戦略により、持続的成長を実現している点だろう。  
廃校跡地から始まった25年間の歩みが証明するのは、「規模ではなく、知恵で勝負する」地域活性化の可能性である。全国の道の駅が二極化する中、同施設の取り組みは他の地域活性化プロジェクトにとって貴重なベンチマークとなっている。視察も絶えない。その運営手法は新たなモデルケースとして、今後さらに注目を集めるはずだ。DSC00644.JPG

 「あ・ら・伊達な道の駅」は、全国トップレベルの人気を誇る道の駅として知られる。その実力が示す通り、平日にもかかわらず駐車場は混み合い、ひっきりなしに人が出入りしている。直近の年間来場者数は約320万人、年間売上高は約20億円、リピーター率8割。これは全国に1200以上ある道の駅の中でも突出した数字だろう。しかも開業から25年間、ほぼ右肩上がりの成長を続けている。この施設の出発点は意外にも人口減少で廃校となった中学校の跡地だった。一体なぜこれほどの成果を上げられたのか。同施設の運営会社である池月道の駅・佐々木純社長への取材で見えてきたのは、地域密着経営の新たな可能性だった。ストーリーは1990年代、岩出山町(現大崎市)の人口減少により一栗中学校が廃校となったことから始まる。廃校の活用はいい視点ですね。革新的だったのは道の駅の運営体制である。自治体直営や財団法人などへの委託がまだ主流だった時代に、地元住民が出資する株式会社を設立し、指定管理者として運営する仕組みを構築した。「地元の方に株主になっていただき、従業員としても経営陣としても参加できる仕組みを作りました」この地域密着型スタイルが、後の継続的成長の礎となった。発想がいいですね。住民が主体になって関わり合うことが大事でしょう。ニーズが高いのがトイレだ。そう、この道の駅はトイレ休憩場所として早速活用されることとなった。そのついでに観光客が買い物をするという流れが、開業当初から出来上がっていたのである。廃業寸前だったキノコ生産者の大粒なめこが大ヒット。市外から買い求めに来る客もいて、毎回あれよあれよという間に完売した。今でも変わらずの人気商品となっている。「もし道の駅の開業が1年遅れていたら、この生産者は廃業していたみたいです。それが今では規模を拡大。人生分からないものですね」生産者数は増えていき、最盛期は240人にまで拡大した。農家の収益構造も劇的に改善し、「農協への出荷がサブ、産直がメイン」という取引形態に転換したところもある。2001年秋から始まった「ロイズチョコレート」の常設販売だった。最初は冷蔵ケース2台程度の小規模販売だったが、口コミなどで評判が広がり、3回のリニューアルを経て現在の大型店舗に発展。ロイズが大きな集客効果をもたらし、野菜や土産の購入、食事まで含めたワンストップ需要を創出した。これによって顧客単価と滞在時間を大幅に向上したのである。2020年、21年と連続でじゃらんの「全国道の駅グランプリ」でトップに。これが追い風となった。このように危機を脱したのは偶然の要素もあるものの、来客の8割がリピーターという強固な顧客基盤があることを見過ごすわけにはいかない。「来るたびに何かが変わっている」という継続的な変化の創出が、顧客の強い愛着を生み出している。リピーターが多いのは物凄い強みですね。地元のアマチュアバンドや、子どものダンス発表なども当たり前に行われている。「来る者は拒まず」という姿勢が、集客にもうまく作用しているといえるだろう。地元のアマチュアバンドですか、地元密着での取り組みは盛り上がりますね。道の駅に隣接する旧中学校の体育館・公民館との連携による施設拡張も視野に入れており、地域活性化のハブとしての機能拡大を図る方針だ。周囲にはスキー場、温泉、桜の名所など、年間を通じて楽しめる資源は豊富にあり、それらを効果的に結び付ける構想を描いている。売上高20億円、リピーター率8割という数値が示す通り、「あ・ら・伊達な道の駅」は道の駅業界における成功事例であることに疑いはない。特筆すべきは、地域密着とソフト面特化の差別化戦略により、持続的成長を実現している点だろう。廃校跡地から始まった25年間の歩みが証明するのは、「規模ではなく、知恵で勝負する」地域活性化の可能性である。全国の道の駅が二極化する中、同施設の取り組みは他の地域活性化プロジェクトにとって貴重なベンチマークとなっている。視察も絶えない。その運営手法は新たなモデルケースとして、今後さらに注目を集めるはずだ。確かに規模ではなく知恵の勝負ですね。地域を大事にしてアイデアを出して地域全体で取り組めば活路は見えてくるのでしょう。DSC00643.JPG
真面目な憩い場「不真面目商店」とはいいネーミングですね[2026年03月24日(Tue)]
 日本農業新聞2025年9月4日付け「真面目な憩い場「不真面目商店」 週2回朝食に多世代集う 鳥取市の起業家、大学生ら空き店舗活用」から、鳥取市の起業家や大学生らが、元果物屋だった空き家を地域の寄り合いの場所として復活させた。「不真面目商店」と名付け、週2回は多世代が集い、朝食を共にする。大学生が歴代店長となり、食を基軸に人と人がつながる場を生み出した。
毎週火曜日と金曜日の早朝の「不真面目商店」。サラダやパン、果物、野菜炒めなどが机いっぱいに並べられ、大学生と高齢者や起業家、小学生ら10人が食卓を囲む。地域住民は誰でも自由に参加できる。料理は持ち寄りだ。  
同市で1人暮らしをする高田郁子さん(83)は朝食を作り提供する。「若者から元気をもらっている」と笑顔だ。飲食店経営者の丸山伊太朗さん(75)も「いろんな人が集まり、話題は尽きない」と食を通して芽生えたつながりに感謝する。  
不真面目商店は2022年、同市街地の空き家をリノベーションして活用するプロジェクトの一環で開業した。同市の起業家らがつくる、まるにわが応援する形で、東京大学の学生が開店。現在の店長は6代目で、専修大学4年生の佐藤泉月さん(21)だ。「誰かと誰かがつながって笑顔が生まれる場所にしたい」と意気込む。  
不真面目商店は地域のつながりを育むさまざまな試みも行う。例えば「貸し棚」。希望者に月2000円などで貸し出す。住民が手作り作品や本などを置いてPRする契機にする。この他、イベントスペースとしても読み聞かせや講習などの場として貸し出す。こうした売り上げで家賃や光熱費を賄う。  
不真面目商店を支える同市で地域活性化を支援する事業などを手がける起業家の中川玄洋さん(46)は「多世代交流だけでなく、初めて来た人も誰もが迎えてくれる雰囲気がある。不真面目というキャッチーさが何でもやってみようという場を表している」と話す。  
鳥取大学2年生の小谷峻一さん(20)は不真面目商店で、不定期で祖母が家庭菜園で作った野菜を販売する。「良い場所には人は集まる。コミュニティーが生まれてうれしい」と感じる。DSC00656.JPG

 鳥取市の起業家や大学生らが、元果物屋だった空き家を地域の寄り合いの場所として復活させた。「不真面目商店」と名付け、週2回は多世代が集い、朝食を共にする。大学生が歴代店長となり、食を基軸に人と人がつながる場を生み出した。毎週火曜日と金曜日の早朝の「不真面目商店」。サラダやパン、果物、野菜炒めなどが机いっぱいに並べられ、大学生と高齢者や起業家、小学生ら10人が食卓を囲む。地域住民は誰でも自由に参加できる。料理は持ち寄りだ。同市で1人暮らしをする高田郁子さん(83)は朝食を作り提供する。「若者から元気をもらっている」と笑顔だ。飲食店経営者の丸山伊太朗さん(75)も「いろんな人が集まり、話題は尽きない」と食を通して芽生えたつながりに感謝する。ネーミングはもちろんいいですが、いい取り組みですね。不真面目商店は2022年、同市街地の空き家をリノベーションして活用するプロジェクトの一環で開業した。同市の起業家らがつくる、まるにわが応援する形で、東京大学の学生が開店。現在の店長は6代目で、専修大学4年生の佐藤泉月さん(21)だ。「誰かと誰かがつながって笑顔が生まれる場所にしたい」と意気込む。不真面目商店は地域のつながりを育むさまざまな試みも行う。例えば「貸し棚」。希望者に月2000円などで貸し出す。住民が手作り作品や本などを置いてPRする契機にする。この他、イベントスペースとしても読み聞かせや講習などの場として貸し出す。こうした売り上げで家賃や光熱費を賄う。起業家の中川玄洋さん(46)は「多世代交流だけでなく、初めて来た人も誰もが迎えてくれる雰囲気がある。不真面目というキャッチーさが何でもやってみようという場を表している」と話す。鳥取大学2年生の小谷峻一さん(20)は不真面目商店で、不定期で祖母が家庭菜園で作った野菜を販売する。「良い場所には人は集まる。コミュニティーが生まれてうれしい」と感じる。やりがいを感じて無理をせずに楽しく行うことができるというのがいいでしょう。このような取り組みが全国に広まっていけば地方も元気になり日本も元気になるのではないでしょうか。DSC00646.JPG
地方から発信する世界遺産の島で挑む「市民ジャーナリズム」[2026年03月23日(Mon)]
 Yahooニュース2025年9月4日付け「「報道は目的ではなく、社会を良くする手段」世界遺産の島で挑む「市民ジャーナリズム」」から、「やってきたことは間違っていなかった」。世界遺産の島として知られる鹿児島県屋久島町の地域メディア「屋久島ポスト」が、2025年「調査報道大賞」の奨励賞(独立メディア・雑誌・フリーランス部門)に選ばれた。共同代表の武田剛さんは「中央でも地方でも、権力を監視するというジャーナリズムの本質は変わらない。今回、NHKや全国紙と同じ“調査報道”の土俵に立てたのは大きな一歩」と喜びを口にした。
なぜ「屋久島ポスト」は評価されたのか
調査報道とは記者が独自に情報を集め、取材や検証を重ねて、隠された事実や不正を明らかにする報道をさす。警察発表や記者会見などの「公式情報」をそのまま伝えるのではなく、継続的な取材や公文書の開示請求などによって、自ら事実を掘り起こすのが特徴だ。
屋久島ポストは4年前に創刊して以来、町幹部の出張旅費不正精算や水道工事の補助金不正請求、町長交際費などの問題を継続的に報じ、住民訴訟や制度改善へとつなげてきた。
たとえば町長交際費の問題では、国会議員や鹿児島県知事らに高級焼酎などが贈られていた事実を報道。住民訴訟を経て、政治家への贈答は中止となり、ピーク時は年間126万円だった交際費の支出が16万円へ大きく減った(2023年度)。
地域に密着した継続的な調査報道が高く評価され、今回の受賞につながった。
「大手メディアが地方記者を削減する中、それぞれの地域に根を張って、人々の生活や人権、地方自治のあり方にまつわる問題を掘り起こしているジャーナリストたちの仕事が、とても頼もしく感じます」
選考委員長のジャーナリスト江川紹子さんはそうコメントしている。
朝日新聞から世界自然遺産の島へ
武田さんは朝日新聞出身。主に写真記者として20年にわたって活躍し、イラク戦争や南極観測隊の取材も経験した。
しかし日本の新聞記者の多くは40代になると、デスク(編集者)という内勤の仕事を命じられる。大学時代は山岳部だったという武田さんは「2年で嫌になった」。45歳だった2012年に早期退職し、自然環境の取材をしたいと屋久島に移住した。
縄文杉など豊かな自然が残る島だが、実際に住んでみると、山海留学生への体罰や町長の出張旅費不正精算などの問題が次々と発覚。権力への監視が行き届かない地域メディアの空白、いわゆる「ニュース砂漠」を目の当たりにした。
全国紙やNHKは「何か大きな事件や災害が起きない限り、取材に来ない」。鹿児島県の地元紙・南日本新聞も、離島である屋久島町の行政や議会を継続的にウォッチする余裕はない。
ならば、地元の人間がやるしかない。危機意識をもった住民たちから背中を押される形で、武田さんは2021年11月、共同代表の鹿島幹男さんとともに「屋久島ポスト」を立ち上げた。
無料ブログから始まったジャーナリズム
屋久島ポストは新聞と違って、インターネットの発信のみ。しかも無料のブログサービスを利用した小規模メディアだ。共同代表2人と匿名の「島民記者」4人で取材している。
大手メディアと市民メディアの両方を経験した武田さんは「それぞれにメリットとデメリットがある」と語る。大手メディアの信用力や影響力は確かに強力だが、記者の異動が多く、継続的な取材が難しいという弱点がある。
一方、地域に根を張った市民メディアには「同じ自治体を10年以上にわたって見続け、結果まで追える強み」がある。ときには住民や議員と情報を共有しながら、「町をともに変えていく存在」として信頼を築いていく。
「屋久島ポストにとって、報道は目的ではない。自分たちが暮らす社会を良くするための“手段”。報道によって、市民が行政を監視しているという緊張感を与え続けることが重要」(武田さん)
そのスタンスは、ドキュメンタリー映画『能登デモクラシー』で取り上げられた手書き新聞「紡ぐ」の姿勢と通じるところもあり、ジャーナリズムの原点を感じさせる。
島から全国へ──地域メディアのネットワーク
屋久島ポストと同じように、地域の課題を丹念に報道する「ハイパーローカルメディア」が少しずつ増えている。そんな小さな地域メディアが大学の研究者をまじえて連携し、緩やかなネットワークの構築を進めようとしている。
「たとえばハイパーローカルメディアのポータルサイトを作って、地域社会の問題を全国の人たちに届けることも考えていきたい」と、武田さんは抱負を語る。
屋久島ポストの活動の広がりとともに、屋久島町以外の住民からも告発や相談が届くようになった。地域で起きている問題について声を上げたいが、どうしたらいいかわからない。そんな悩みを抱えている人々が全国各地に存在する。
「屋久島ポストのような市民メディアは、課題に対する一つの解だと思う。さらに将来的には、市民メディアが、地域住民と大手メディアの“橋渡し役”になるということも考えられるのではないか」
武田さんは、「調査報道」という軸を通じて、大小のメディアが連携する未来像を思い描いている。DSC00658.JPG

 調査報道とは記者が独自に情報を集め、取材や検証を重ねて、隠された事実や不正を明らかにする報道をさす。警察発表や記者会見などの「公式情報」をそのまま伝えるのではなく、継続的な取材や公文書の開示請求などによって、自ら事実を掘り起こすのが特徴だ。屋久島ポストは4年前に創刊して以来、町幹部の出張旅費不正精算や水道工事の補助金不正請求、うこと町長交際費などの問題を継続的に報じ、住民訴訟や制度改善へとつなげてきた。「大手メディアが地方記者を削減する中、それぞれの地域に根を張って、人々の生活や人権、地方自治のあり方にまつわる問題を掘り起こしているジャーナリストたちの仕事が、とても頼もしく感じます」縄文杉など豊かな自然が残る島だが、実際に住んでみると、山海留学生への体罰や町長の出張旅費不正精算などの問題が次々と発覚。権力への監視が行き届かない地域メディアの空白、いわゆる「ニュース砂漠」を目の当たりにした。全国紙やNHKは「何か大きな事件や災害が起きない限り、取材に来ない」。鹿児島県の地元紙・南日本新聞も、離島である屋久島町の行政や議会を継続的にウォッチする余裕はない。ならば、地元の人間がやるしかない。危機意識をもった住民たちから背中を押される形で、武田さんは2021年11月、共同代表の鹿島幹男さんとともに「屋久島ポスト」を立ち上げた。地方の小さな農山村や離島などでも住民目線でのチェック機能が働き声を上げることは大事です。大手メディアと市民メディアの両方を経験した武田さんは「それぞれにメリットとデメリットがある」と語る。大手メディアの信用力や影響力は確かに強力だが、記者の異動が多く、継続的な取材が難しいという弱点がある。一方、地域に根を張った市民メディアには「同じ自治体を10年以上にわたって見続け、結果まで追える強み」がある。ときには住民や議員と情報を共有しながら、「町をともに変えていく存在」として信頼を築いていく。「屋久島ポストのような市民メディアは、課題に対する一つの解だと思う。さらに将来的には、市民メディアが、地域住民と大手メディアの“橋渡し役”になるということも考えられるのではないか」確かに大手メディアとしてのメリットと地域に根差したメリットを生かせば納得のいく内容記事を発信ができるようになるでしょう。DSC00657.JPG
「無関心変える」高校生が動いた[2026年03月22日(Sun)]
 高校生新聞2025年9月4日付け「「投票はおじさんが行くもの」友達の声が悲しくて「無関心変える」高校生が動いた」から、松川日鞠さん(千葉・麗澤高校1年)は、学校の枠を超えた中高生9人による団体を立ち上げ、小中学生が政治に関心を持てるよう働きかけている。若者の無関心が問題視される中、「政治はおもしろい」と伝えたい一心で、奮闘する姿を追った。
小学生に政治の楽しさを伝えたい
松川さんは中学3年生のとき学生団体「ぽりーず」を立ち上げた。今年3月には小学生向けの政治イベントを開催し、選挙カーでの演説体験やポスター制作体験、投票の体験などで、政治に対する興味を育む楽しい場づくりを行った。
不登校経験から政治に興味
公立の中学に通っていたが、不登校となり別室登校をしていた。中3の春、学校外に居場所を求めていたところ、インターネットで政策立案を体験するイベントを見つけた。  
テーマは「自身の抱えている課題を解決する政策を作る」だった。「別室登校のため進路選択に不安を抱えていました。地方議会の議員さんと話し合って、政策を練ったんです」
活動を通して社会課題に向き合う同世代の仲間と出会い、選挙権がなくても社会を動かす一歩を踏み出せると実感したという。
「投票なんて暇なおじさんが行くもの」と言われ
高校生になり、友達に政治に興味があると話すと「あんたって珍しいよ」と言われた。
「投票なんて、暇なおじさんが行くものでしょ」という言葉も忘れられない。「その時は特に言い返さなかったけれど、結構悲しくなりました。政治は高校生も身近に感じるべきトピックだし、『意識を変えられたらな』と思ったんです」 若者の投票率の低さも問題視している。「先人たちが守り続けてきた権利を無駄にしてしまうようで残念です。選挙には社会を動かす力があるのに、目を向けないまま過ぎていくのは、もったいないと思います」
「政治に触れる機会」を子どもに与えてほしい
現在、小中学生のころから気軽に政治に関われる場を広げようとしている。「今の高校生は、『政治は怖い』と思っている人もいるように感じます。バイアスがかかる前に、『政治は面白い』と思ってもらいたいんです」
そのために、全国で小中学生向けの政治イベントを開きたいという思いがある。「開催方法をマニュアル化して、全国で同じ思いを持つ高校生に共有したい。どこでも開催できるようにしたいんです」
年に一度でも小中学校で模擬選挙を行い、選挙権のない子どもたちが取り組む活動にも、理解を示し応援する社会であってほしいと願っている。
「大人は、選挙に足を運ぶのはもちろん、子どもを連れて行ったり、子どもと一緒に政治に触れたりする姿勢を持ってほしいです」DSC00660.JPG

 松川日鞠さん(千葉・麗澤高校1年)は、学校の枠を超えた中高生9人による団体を立ち上げ、小中学生が政治に関心を持てるよう働きかけている。若者の無関心が問題視される中、「政治はおもしろい」と伝えたい一心で、奮闘する姿を追った。若者たちが政治に関心を示さないようにした政治というか社会を変える動きになるかもしれません。公立の中学に通っていたが、不登校となり別室登校をしていた。中3の春、学校外に居場所を求めていたところ、インターネットで政策立案を体験するイベントを見つけた。テーマは「自身の抱えている課題を解決する政策を作る」だった。「別室登校のため進路選択に不安を抱えていました。地方議会の議員さんと話し合って、政策を練ったんです」活動を通して社会課題に向き合う同世代の仲間と出会い、選挙権がなくても社会を動かす一歩を踏み出せると実感したという。政治は高校生も身近に感じるべきトピックだし、『意識を変えられたらな』と思ったんです」若者の投票率の低さも問題視している。「先人たちが守り続けてきた権利を無駄にしてしまうようで残念です。選挙には社会を動かす力があるのに、目を向けないまま過ぎていくのは、もったいないと思います」まったくその通りでしょう。小中学生のころから気軽に政治に関われる場を広げようとしている。「今の高校生は、『政治は怖い』と思っている人もいるように感じます。バイアスがかかる前に、『政治は面白い』と思ってもらいたいんです」そのために、全国で小中学生向けの政治イベントを開きたいという思いがある。「開催方法をマニュアル化して、全国で同じ思いを持つ高校生に共有したい。どこでも開催できるようにしたいんです」年に一度でも小中学校で模擬選挙を行い、選挙権のない子どもたちが取り組む活動にも、理解を示し応援する社会であってほしいと願っている。「大人は、選挙に足を運ぶのはもちろん、子どもを連れて行ったり、子どもと一緒に政治に触れたりする姿勢を持ってほしいです」若者たちが自ら積極的に政治に関心を持ち、興味を抱き政治について語り合い、議論したり勉強する機会が自然に増えていけば日本も変わってくるかもしれません。大変興味深い内容でしょう。DSC00659.JPG
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