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関係人口という視点だけで目指す地域像を描くことができるのか[2026年01月31日(Sat)]
 日本農業新聞2025年8月14日付け「[論説]関係人口を育む 目指す地域像を描こう」から、特定の地域と継続的に関わる「関係人口」が増えている。政府は関係人口を可視化する「ふるさと住民登録」の導入を決めた。農村の応援団となり得る人々との接点を増やし、継続的な関わりを構築したい。まずは、どんな地域づくりをしたいのか、誰もが考える必要がある。
国土交通省は6月末、日常生活や通勤以外で、特定の地域と関わる関係人口は、全国に2263万人いるとの推計結果をまとめた。18歳以上の人口の22%に当たり、関係人口が広がっていることが明らかになった。援農や通いで農業をするといった、地域との結び付きが強い関係人口は500万人を超える。  
関係人口は、生産者と消費者がそれぞれ考える、米など農産物価格の適正化にもつながる。例えば、愛知県豊田市の山間部にある敷島自治区では、交流する都市住民らによる「自給家族」と、米価を話し合いで決めている。米作りにかかった経費を全て公開し、今年産からは互いに納得して60キロ3万9000円に設定した。自給家族となる都市住民は、農家と顔の見える親戚のような付き合いを重ね、援農しながら、米価の背景にある作り手の思いや、効率化が難しい山間部の稲作の実態を学ぶ。こうした関係性が適正な米価を形成し、持続可能な稲作につながっている。  
主食である米価の上昇は、消費者の家計に大きな打撃を与えているのは確かだ。しかし、農家は長年、採算のとれない米作りを余儀なくされてきた。農家の実態を少しでも伝え、価格転嫁に理解を得るには、両者が歩み寄ることが欠かせない。敷島自治区からヒントが見えてくるだろう。  
石破政権は「ふるさと住民登録制度」を創設することを決めた。制度を提案した「雨風太陽」代表の高橋博之氏は「都市住民が二つ目の住民票を持ち、都市と地方を往来し同時並行に生きていくことを、政府が国民運動で展開する制度」と説明する。関係人口の裾野がさらに広がることを期待したい。  
ただ、同制度には「登録者の奪い合いになる」「地域に恩恵がない」と不安の声も上がっている。BBT大学の谷中修吾教授は「地域が求める人材像を具体的に考えるべきだ」とし、「関係人口とつながれるという安易な考えで制度に乗れば、登録者数を競うゲームで終わってしまう」と警鐘を鳴らす。  
まずは地域の住民や農家、JAや役場が、どういう地域を作りたいのか、どういった層とつながりたいのかを考え、話し合うことが重要だ。その上でどう受け入れ、関係を深めていくか、答えが見えてくる。関わる人たちと共に地域の将来像を描きたい。DSC00763.JPG

 人口減少の問題を解決することは難しいので、交流人口ではなく関係人口という考え方が主流になってきていますが、関係人口を増やすことで地方の問題が解決できると考えるのはどうでしょうか。政府は関係人口を可視化する「ふるさと住民登録」の導入を決めた。農村の応援団となり得る人々との接点を増やし、継続的な関わりを構築したい。まずは、どんな地域づくりをしたいのか、誰もが考える必要がある。地域の実情をしっかり把握して住民がどんな地域にしたいのか真剣に受け止め対策を講じなければならないでしょう。愛知県豊田市の山間部にある敷島自治区では、交流する都市住民らによる「自給家族」と、米価を話し合いで決めている。米作りにかかった経費を全て公開し、今年産からは互いに納得して60キロ3万9000円に設定した。自給家族となる都市住民は、農家と顔の見える親戚のような付き合いを重ね、援農しながら、米価の背景にある作り手の思いや、効率化が難しい山間部の稲作の実態を学ぶ。こうした関係性が適正な米価を形成し、持続可能な稲作につながっている。主食である米価の上昇は、消費者の家計に大きな打撃を与えているのは確かだ。しかし、農家は長年、採算のとれない米作りを余儀なくされてきた。農家の実態を少しでも伝え、価格転嫁に理解を得るには、両者が歩み寄ることが欠かせない。敷島自治区からヒントが見えてくるだろう。素晴らしい取り組みですね。広まらないでしょうか。「ふるさと住民登録制度」を創設することを決めた。制度を提案した「雨風太陽」代表の高橋博之氏は「都市住民が二つ目の住民票を持ち、都市と地方を往来し同時並行に生きていくことを、政府が国民運動で展開する制度」と説明する。関係人口の裾野がさらに広がることを期待したい。  ただ、同制度には「登録者の奪い合いになる」「地域に恩恵がない」と不安の声も上がっている。BBT大学の谷中修吾教授は「地域が求める人材像を具体的に考えるべきだ」とし、「関係人口とつながれるという安易な考えで制度に乗れば、登録者数を競うゲームで終わってしまう」と警鐘を鳴らす。実施する前から否定的な考えを出してしまうのではなく、登録者の奪い合いにならないような方策を検討して制度設計を行うことを考えるべきでしょう。まずは地域の住民や農家、JAや役場が、どういう地域を作りたいのか、どういった層とつながりたいのかを考え、話し合うことが重要だ。その上でどう受け入れ、関係を深めていくか、答えが見えてくる。関わる人たちと共に地域の将来像を描きたい。関係人口という視点だけを考えて政策設計をするのではなく、住んでいる人たちがどのような地域にしたいのか真剣に議論して前に進んでいくことが大事なのでしょう。DSC00762.JPG
戦争をダメ![2026年01月30日(Fri)]
 読売新聞オンライン2025年8月14日付け「水木しげるさんからあふれ出た「戦死者の話」…怪奇に近い体験、「片腕しかなくさず幸運」だった」から、家族の記憶<3>水木しげると長女・尚子さん 次女・悦子さん(上)
史上最多の犠牲者を出した第2次世界大戦が終結して間もなく80年となる。戦争体験者が年を追うごとに減っていく中、最も身近な存在である家族は体験者の生きざまや思いをどのように受け止め、語り継ごうとしているのか。家族に刻まれた戦争の記憶をたどる。
漫画家の水木しげるさん(本名・武良茂、2015年に93歳で死去)は、21歳で南方の戦地に送られ、部隊全滅後、爆撃で左腕を失うという凄惨な経験をしている。作品に描く以外、家族に多くを語ることをしなかったその人が晩年、変わった。戦争のことばかり繰り返し語り、膨大な数の付箋を脈絡もなく書斎に貼り付けた。戦地や戦友の名、そして、なお描き残したことがあるというかのように、<戦死者の話 かく>と走り書きされていた。
「お前も死ね」
 長女の原口尚子さん(62)、次女の水木(武良)悦子さん(58)とも、幼い頃に戦争の話を父親から聞かされた記憶はない。戦地での話はきまって、仲良しになった島の住民や食べ物のこと。「いつもニコニコしている片腕のないお父さん」に壮絶な過去があることなど想像もつかなかった。
 第1次世界大戦後、ドイツの植民地だった南洋諸島は、赤道以北が日本、以南は豪州などに統治が委任された。水木さんは、この時期に生まれている。1941年の対英米開戦後、日本軍は赤道以南の島々にも侵攻したが、多くが連合軍の反撃にさらされた。43年11月。豪州領ニューブリテン島に築いた拠点ラバウル防衛のために送り込まれたのが、二等兵の水木さんが所属する連隊だった。
 ラバウルの現地司令部は、敵陣に近い南西方面のズンゲンへと部隊を差し向け、さらに奥地のバイエンへ水木さんら10人ほどの偵察要員を送り込む。そこを急襲された。
 歩哨番を交代し、海の見張りについた水木さんを除き、山側の兵舎にいた全員が死亡。
水木さんは敵側につく部族に追われ、服を脱いで海を泳ぎ、蚊にたかられながら密林を逃げ惑った。帰還して待っていたのは、上官の罵倒だった。<なんで逃げ帰ったんだ。皆が死んだんだから、お前も死ね>(『水木しげるのラバウル戦記』)
 空襲が日を追うごとに増えた。しかしマラリアを発症した水木さんは逃げられず、爆撃を食らった。軍医の判断で左腕が切断された。44年6月のことだ。
増えていく書斎の付箋
 復員後は、紙芝居制作などで日銭を稼ぐ暮らしが続いた。生々しい戦争体験を描いた「総員玉砕せよ!」を発表したのは、漫画家として成功した後の73年だ。陽気な父しか知らなかった悦子さんは、「読んで1週間ほど打ちひしがれた」。
戦争体験を語ることもなかった水木さんが、戦地の記憶をこぼし始めたのは、80歳にさしかかる頃だ。兵士の遺体を葬る穴があったと突然しゃべり出す。戦友たちの顔が頭から離れないと語る。同じ夢の話も繰り返した。戦友に置き去りにされる夢だ。書斎の付箋も増えていった。
 「漏れ出ないよう抑えていた感情が、年を取って一気に流れて出た感じでした。わずか2年ほどの体験がここまで人を支配するとは」(尚子さん)。付箋の一枚には、<歩哨の順番を代わってくれといった人>と書かれていた。見張りを交代した兵士のことなのか、何か急な変更があったのか、定かではない。
「人の死を悲しんでいる暇さえない」
 水木しげるさんが育った故郷・鳥取県境港市の中心街は、水木さんがまちおこしに協力して以来、「ゲゲゲの鬼太郎」にちなんだモニュメントや、関連商品を扱う店が目白押しだ。さながら水木漫画のテーマパークの趣さえある。
 水木さんが存命だった2003年に開館した水木しげる記念館も、当初は妖怪中心の展示だった。しかし昨春、老朽化に伴う建て替えを機に内容は一変した。尚子さんが、「人間・水木しげるを知ってもらう施設に」と働きかけて、戦前から戦時の個人史に大きなスペースが割かれ、晩年にあふれ出た思いを凝縮したかのような強烈な展示に切り替わった。
 非凡な美術センスがにじむ習作を紹介する少年期の一角を抜けると、戦時に入る。<生きて“未来”というものにありつくことは“夢”><あと一、二年すれば確実に“死”がくる、ということだけしかわからない時代>(『妖怪天国』)
水木さんは二十歳を迎え、徴兵検査に合格した。死を強く意識し、ニーチェや聖書などを貪(むさぼ)るように読んだ。展示された青年期の手記には、絶望と虚無のあわいで揺れる姿が見て取れる。<毎日五萬も十萬も戦死する時代だ。芸術が何(な)んだ哲学が何んだ><こんな所で自己にとどまるのは死よりつらい。だから、一切を捨てゝ時代になつてしまふ事だ>(『出征前手記』)
 間近で仲間が死に、生死の境をさまよい、左腕を失った。壮絶な経験について取材を受けた水木さんが、怪訝(けげん)な顔をして聞き返したのを尚子さんは覚えている。「人の死を悲しんでいる暇さえない場所にいて、片腕しかなくさずに帰ってこられた、その幸運が分からんのですか」
 復員後、紙芝居の道に入り、36歳で貸本漫画家になる。武勇伝や美談の戦記物も手がけた。編集者もそれを求めた。「食べなきゃいけない。自分の描きたいことを描いていられない。戦争を体験した自分と、戦後を生きていく自分を切り分けていたんだと思います」(尚子さん)
「いくらおもちゃでも許せない」
  小学校低学年だった悦子さんが、手りゅう弾の形をした花火を見せたことがあった。
「本物はどうやると爆発するのか」と興味を持った近所の子から預かり、戦争を知る父親に代わりに尋ねたのだ。人一倍やさしい水木さんがそのときだけは激しく怒った。「これは人を殺すものだ。いくらおもちゃでも許せない」
 水木さんが戦争体験を忘れることはなかった。生きて帰れた偶然もだ。急襲時に、兵舎から離れた場所で見張り番をしていた件だけではない。逃げ惑う真夜中の密林で奇妙な“壁”に遭遇し、命拾いをしている。自身の経験と歴史を重ね描いた「昭和史」(1988年刊行開始)で水木さんはこう再現している。
 <コールタールが少し溶けかけたかんじで押してみると 指が入った>。どうしても前に進めず、眠り込んだ翌日の昼、その先を見ると断崖の縁だった。<“ぬり壁”に出会わなかったら>……。漫画にも描いた妖怪に救われた。そう考えるしかないほど、水木さんにとって、戦地を生き延びた幸運は、「怪奇」に近いものだったのだ。
水木さんの死後、尚子さんらは、残された書類の中に「総員玉砕せよ!」の構想ノートを見つけた。登場人物の基になる兵士の顔がずらりと描かれている。戦友の顔が頭から離れたことはないと語った通り、水木さんは一人ひとりを思って筆を走らせ、作品をつくり上げていた。瀕死(ひんし)の兵士は最後につぶやく。<ああ/みんなこんな気持で死んで行ったんだなあ/誰にみられることもなく/誰に語ることもできず……ただわすれ去られるだけ>DSC00764.JPG

 戦争のことばかり繰り返し語り、膨大な数の付箋を脈絡もなく書斎に貼り付けた。戦地や戦友の名、そして、なお描き残したことがあるというかのように、<戦死者の話 かく>と走り書きされていた。ラバウルの現地司令部は、敵陣に近い南西方面のズンゲンへと部隊を差し向け、さらに奥地のバイエンへ水木さんら10人ほどの偵察要員を送り込む。そこを急襲された。歩哨番を交代し、海の見張りについた水木さんを除き、山側の兵舎にいた全員が死亡。水木さんは敵側につく部族に追われ、服を脱いで海を泳ぎ、蚊にたかられながら密林を逃げ惑った。帰還して待っていたのは、上官の罵倒だった。<なんで逃げ帰ったんだ。皆が死んだんだから、お前も死ね>空襲が日を追うごとに増えた。しかしマラリアを発症した水木さんは逃げられず、爆撃を食らった。軍医の判断で左腕が切断された。44年6月のことだ。一人ひとりの命を何だと思っているのでしょうか。復員後は、紙芝居制作などで日銭を稼ぐ暮らしが続いた。生々しい戦争体験を描いた「総員玉砕せよ!」を発表したのは、漫画家として成功した後の73年だ。陽気な父しか知らなかった悦子さんは、「読んで1週間ほど打ちひしがれた」。戦争体験を語ることもなかった水木さんが、戦地の記憶をこぼし始めたのは、80歳にさしかかる頃だ。兵士の遺体を葬る穴があったと突然しゃべり出す。戦友たちの顔が頭から離れないと語る。同じ夢の話も繰り返した。戦友に置き去りにされる夢だ。書斎の付箋も増えていった。「漏れ出ないよう抑えていた感情が、年を取って一気に流れて出た感じでした。わずか2年ほどの体験がここまで人を支配するとは」。付箋の一枚には、<歩哨の順番を代わってくれといった人>と書かれていた。見張りを交代した兵士のことなのか、何か急な変更があったのか、定かではない。水木さんは二十歳を迎え、徴兵検査に合格した。死を強く意識し、ニーチェや聖書などを貪(むさぼ)るように読んだ。展示された青年期の手記には、絶望と虚無のあわいで揺れる姿が見て取れる。<毎日五萬も十萬も戦死する時代だ。芸術が何(な)んだ哲学が何んだ><こんな所で自己にとどまるのは死よりつらい。だから、一切を捨てゝ時代になつてしまふ事だ>間近で仲間が死に、生死の境をさまよい、左腕を失った。壮絶な経験について取材を受けた水木さんが、怪訝(けげん)な顔をして聞き返したのを尚子さんは覚えている。「人の死を悲しんでいる暇さえない場所にいて、片腕しかなくさずに帰ってこられた、その幸運が分からんのですか」小学校低学年だった悦子さんが、手りゅう弾の形をした花火を見せたことがあった。「本物はどうやると爆発するのか」と興味を持った近所の子から預かり、戦争を知る父親に代わりに尋ねたのだ。人一倍やさしい水木さんがそのときだけは激しく怒った。「これは人を殺すものだ。いくらおもちゃでも許せない」残された書類の中に「総員玉砕せよ!」の構想ノートを見つけた。登場人物の基になる兵士の顔がずらりと描かれている。戦友の顔が頭から離れたことはないと語った通り、水木さんは一人ひとりを思って筆を走らせ、作品をつくり上げていた。瀕死(ひんし)の兵士は最後につぶやく。<ああ/みんなこんな気持で死んで行ったんだなあ/誰にみられることもなく/誰に語ることもできず……ただわすれ去られるだけ>戦争を経験した人たちの想いを受け継ぐためには2度と戦争をしないことが大事でしょう。世界で戦争が続いていますが、戦争を起こす人の責任は重大でしょう。戦争で失われる一人ひとりの命には軽重はないでしょう。戦争が起きれば必ず貴重な命が奪われてしまいます。だから戦争はダメなのです。DSC00763.JPG
核兵器の脅威の認識が広く伝わってきたのでしょうか[2026年01月29日(Thu)]
 PRESIDENT Online2025年8月13日付け「米国で「原爆投下は正当化できない」派が激増中…統計の専門家が指摘する意識の変化に影響与えた2つの要素」から、戦後80年となる2025年夏。今年実施された世論調査で米国成人のうち原爆投下を「正当化できる」は35%、「正当化できない」は31%だった。広島・長崎への原爆投下に対する米国人の正当性意識は大きく後退し、数字が僅差となったのはなぜか。統計データ分析家の本川裕さんは「米国人にもやっと反省のこころが芽生え、人類的な見地に立つようになったと見る向きもあるが、それ以外の要素も大きい」という。
米国で「原爆投下は正当化できない」派が激増の背景  
「広島、長崎への原爆投下を例として使いたくない。しかし、本質的には同じだ。戦争を終わらせた」  
トランプ大統領は今年の6月、イラン核施設に対する空爆に言及する中でこのように発言した。この物言いに日本では大きな反発・批判が起きたが、米国では原爆投下への肯定的意見は立場を超えてなお支配的だ。  
しかし、米国も世論はかなり変化している。終戦直後の1945年8月に調査機関ギャラップが実施した調査では、「原爆投下支持」は85%で、「不支持」は10%にとどまっていた。
ところが、調査機関ピューリサーチセンター(以下、ピュー社)が今年行った世論調査によると、米国成人のうち原爆投下を「正当化できる」は35%だったのに対し、「正当化できない」は31%となったことが報じられ、米国人の意識変化をあらわすものとして大きな関心を呼んだ。  
原爆投下から80年目に当たり、日本人としては、米国人にもやっと反省のこころが芽生え、人類的な見地に立つようになったととらえたいところであるが、果たしてそうなのだろうか。ここでは、ピュー社が行った世論調査結果などをデータに即して検証し、どんな事情がこうした意識変化をもたらしているのか、探ってみよう。  
今回、結果が報じられ、反響を呼んだピュー社の世論調査結果を図表1に掲げた。  
米国成人のうち35%が広島・長崎への原爆投下は「正当化できる」と答えており、「正当化できない」の31%を4%ポイント上回っていたが、差はあまり大きくない。  
男女、年齢別など属性別の結果を見てみると、「女性」や「50歳未満層」、「民主党支持層」では、「正当化できない」が「正当化できる」より多くなっているのが目立っている。米国はまったく一枚岩というにはほど遠い階層差の社会だということが改めて分かる。  
さらに、同じピュー社が10年前の2015年に行った同様の世論調査結果と比較してみよう(図表2参照)。  
2015年の調査は2025年の調査と異なり「分からない」という選択肢がなかったため、単純に値を比べることはできない。そこで、「正当化される」の割合を「正当化されない」の割合で割った比率を算出してみると、2025年が1.13であるのに対して2015年は1.65だったので、両者の差が大きく縮まったことが明らかである。  
この10年で原爆投下は「正当化される」という意識が大きく弱まったことは確かであろう。  
属性別の結果は両年とも同じ傾向を示しているが、2015年の段階では、女性や若年層、民主党支持層でも「正当化される」がまだ少数ではなかったと見られるので、この10年の変化は属性別でも大きかったといえよう。
日本の若者ではやや異なる傾向も  
ピュー社の2015年調査では原爆投下の正当性について米国人と日本人の比較が可能となっている。「正当化されない」が米国人の34%に対して日本人は79%と圧倒的に多くなっている。当然の結果といえるが、日本人でも「正当化される」と14%が回答している点には留意が必要であろう。  
最新に近い時点での日米の意識比較が分かる国際調査がないか探してみると、政府の研究所である統計数理研究所が2022年に行った核軍縮問題に関する国際世論調査のなかで原爆投下の正当性について調べている(図表3)。ただし「正当化される」に当たる選択肢の表現は日本の調査では「正当だった」、米国の調査では“Approve”(承認する)であり、「正当化される」とは少し異なっている。  
こちらの調査でも「正当」との回答は米国が52.1%と日本の9.2%を大きく上回っている。  この調査では、男女別、年齢別の結果も得られる。男女別では日米ともに女性は「正当」との回答は少なく、男女差は日米ともにかなり大きい。年齢別には、米国は70歳以上の高齢者で「正当」が多いのを除くと2025年のピュー社調査と異なり、年齢の差は余りない。「正当」をApproveという用語であらわしているためだろうと思われる。  
日本の場合、「正当」とする回答がそう多いレベルではないが、高齢層と比較して若い世代ほど多い点には要注目だ。「正当」率が50〜70代以上が5%前後、30〜40代が11〜12%台であるのに対し、20代は20%を超えている。「正当」でなかったとしたなら、数多くの原爆の被害者は浮かばれないという気持ちのあらわれではないかと思われる。
「正当化されない」と思う米国人が増えた理由は  
広島・長崎への原爆投下を「正当化されない」と考える米国人が増えた理由としては、「戦争を終結させるのに原爆は必要なかった」という歴史家の見解に光が当たり始めたためという説もあるが、それが米国人全体の意識を変えるほどのものとは思えない。現実的には、意識変化の要因としては以下の3つの可能性があろう。
米国人の意識変化の要因 @ 原爆投下の意思決定についての当事者意識 A 広島・長崎被爆者への共感あるいは罪悪感 B 核兵器使用へのおそれ  
「正当化される」という回答が米国人の中でも高齢者で多い理由としては、原爆投下の意思決定について少しでも当事者意識のある者ほど、あれは正しかったと思わないではいられないからであろう。言い換えれば、良い悪いの判断以前に、決断を下したからには間違っていたとはいえないという気持ちがあるからだろう。男女差や支持政党差にもそうした意識が反映しているとも考えられよう。  
年月が経つにつれて当事者意識をもつ米国人は減っていくのでこの傾向は今後も続くと見てよかろう。  
2つ目の要因としては、日本の被爆者への共感、あるいは罪悪感が米国人の間で高まっているからという可能性もあろう。米国の世論の転換点として2016年5月27日のオバマ大統領の広島訪問をあげる論者もいる。  
しかし、米国人の間で昨年のノーベル平和賞を被団協が受賞したことを知らない者が他国よりも多いというデータ(図表4参照)を見るとオバマ効果が大きな理由となっているとは言えないと思う。
なぜ核兵器使用へのおそれが高まっているのか  
3つ目の要因としては核兵器使用へのおそれが高まっている影響が考えられる。「核が再び落とされるかもしれない」。そうした米国人のおそれの淵源となっているのが、「米国人自身が人類初の原爆を使用した」という事実だろう。そのため、広島・長崎への原爆投下は「正当化されない」と考えざるを得ないのである。  
図表5に示したのは「今後10年間に核兵器が再び使用されるおそれがある」と回答した者の比率であるが、各国でそうしたおそれを抱く者が多くなっていることが分かる。技術進歩や核保有国の増加によってテロ組織が核兵器を入手し使用することが以前より容易になっていること、ウクライナ戦争で場合によっては核兵器使用を辞さないとロシアが表明していることなどが影響していよう。午前0時を人類滅亡の時刻に見立てた世界終末時計も今年1月には1秒減って残り1分29秒となり、1947年の公表開始後、最も短くなった。
核兵器使用のおそれをもっとも多く抱いているのはロシア人の69.2%であるが、米国人も47.5%とロシアに次いで多くなっている。  
ピュー社調査で広島・長崎への原爆投下を「正当化されない」と考える米国人が増えたことを報じた時事通信は、この記事内で以下のような米国人若者の事例を紹介している。
カリフォルニア州バーバンクの高校生エディー・レシェは2023年に「核戦争のリスクに関する講演を聞き、怖くなったのがきっかけ」に学校で核廃絶運動をはじめ、当時の市長に核廃絶を目指す宣言を出させることに成功。これがきっかけで設立された学生団体が、全米12支部に広がり、参加者は高校・大学生ら約500人に膨らんだ。レシェ氏は「将来何をやりたいかを考えていた。しかし、核戦争が起きたら全てが失われると感じた」という(時事通信、2025年8月7日)。  
米国の連続テレビドラマでは、しばしば、米国内でテロリストによって核攻撃被害を受ける(受けそうになる)エピソードが描かれる。例えば、「24 -TWENTY FOUR-」(2001年〜)、「マダム・セクレタリー」(2014年〜)、「フィアー・ザ・ウォーキング・デッド」(2015年〜)などは国内外で人気を博し、シリーズ化された。こうしたドラマを見るにつけ、米国が原爆投下したことにより、80年後の現在も、他国やテロリストから核攻撃を受けるかもしれないという潜在的な強い恐怖を抱いていると感じざるを得ないのである。  
若年層や女性層で「正当化されない」という意見が特に多くなっている背景にはこうした脈絡が大きく作用していると感じられる。  
核兵器を使ったという過去がなければ、核軍縮や核拡散、過激派の無惨なテロに対して米国はもっと毅然と対処できているはずである。核使用へのおそれの元凶というそしりとともに米国は「原爆投下のツケ」を払い続けているといえよう。  
まとめると、私見では、原爆投下を「正当化されない」と思う米国人が増えた理由としては「当事者意識の後退」が最も大きく、「核攻撃へのおそれの増大」がそれに次いで大きいと考えている。理由はともかく、そうした動きが世界的な核廃絶へ向けたうねりを引き起こすきっかけになればと願わざるを得ない。DSC00767.JPG

 「広島、長崎への原爆投下を例として使いたくない。しかし、本質的には同じだ。戦争を終わらせた」トランプ大統領は今年の6月、イラン核施設に対する空爆に言及する中でこのように発言した。この物言いに日本では大きな反発・批判が起きたが、米国では原爆投下への肯定的意見は立場を超えてなお支配的だ。この立場がアメリカで支配的である以上は核兵器がなくなることはないのでしょう。米国成人のうち35%が広島・長崎への原爆投下は「正当化できる」と答えており、「正当化できない」の31%を4%ポイント上回っていたが、差はあまり大きくない。男女、年齢別など属性別の結果を見てみると、「女性」や「50歳未満層」、「民主党支持層」では、「正当化できない」が「正当化できる」より多くなっているのが目立っている。米国はまったく一枚岩というにはほど遠い階層差の社会だということが改めて分かる。この10年で原爆投下は「正当化される」という意識が大きく弱まったことは確かであろう。広島・長崎への原爆投下を「正当化されない」と考える米国人が増えた理由としては、「戦争を終結させるのに原爆は必要なかった」という歴史家の見解に光が当たり始めたためという説もあるが、それが米国人全体の意識を変えるほどのものとは思えない。米国人の意識変化の要因 @ 原爆投下の意思決定についての当事者意識 A 広島・長崎被爆者への共感あるいは罪悪感 B 核兵器使用へのおそれ。年月が経つにつれて当事者意識をもつ米国人は減っていくのでこの傾向は今後も続くと見てよかろう。日本の被爆者への共感、あるいは罪悪感が米国人の間で高まっているからという可能性もあろう。核兵器使用へのおそれが高まっている影響が考えられる。「核が再び落とされるかもしれない」。そうした米国人のおそれの淵源となっているのが、「米国人自身が人類初の原爆を使用した」という事実だろう。そのため、広島・長崎への原爆投下は「正当化されない」と考えざるを得ないのである。歴史的事実を直視して判断する人が増えているのでしょうか。カリフォルニア州バーバンクの高校生エディー・レシェは2023年に「核戦争のリスクに関する講演を聞き、怖くなったのがきっかけ」に学校で核廃絶運動をはじめ、当時の市長に核廃絶を目指す宣言を出させることに成功。これがきっかけで設立された学生団体が、全米12支部に広がり、参加者は高校・大学生ら約500人に膨らんだ。レシェ氏は「将来何をやりたいかを考えていた。しかし、核戦争が起きたら全てが失われると感じた」という。若い世代の人たちの言動は大きな力を持って社会を動かすことができるでしょう。核兵器を使ったという過去がなければ、核軍縮や核拡散、過激派の無惨なテロに対して米国はもっと毅然と対処できているはずである。核使用へのおそれの元凶というそしりとともに米国は「原爆投下のツケ」を払い続けているといえよう。原爆投下を「正当化されない」と思う米国人が増えた理由としては「当事者意識の後退」が最も大きく、「核攻撃へのおそれの増大」がそれに次いで大きいと考えている。理由はともかく、そうした動きが世界的な核廃絶へ向けたうねりを引き起こすきっかけになればと願わざるを得ない。DSC00766.JPG
異常気象について理解できるのでは[2026年01月28日(Wed)]
 nippon.com2025年8月13日付け「秋まで続く?日本の猛暑:6月の異常高温が引き金─豪雨災害も頻発か」から、今年も日本列島は猛暑に襲われ、過去最高気温を次々と更新している。
今年の激しい気温上昇の主因は、地球温暖化を起因とする6月の「トリプル高気圧」の影響で日本周辺に急速に熱が蓄えられたことだ。秋にかけ、さらなる猛暑と豪雨災害のリスクが高まっている。
高温の海がヒーターのように
7月の平均気温は全国的に高かった。月の平均気温は平年より2.89度高く、明治の統計開始以来、最も高温になった。7月30日には兵庫県丹波市で41.2度を観測し、国内の歴代最高気温を更新。さらに8月5日にも群馬県伊勢崎市で41.8度に達し、わずか1週間で記録を塗り替えた。
 今年の夏は、太平洋高気圧やフェーン現象といった典型的な夏の天候に加え、海水面の温度が異常に高くなっている特徴がある。日本周辺の海水温は7月に平均25度を超え、猛暑続きのここ数年よりもさらに1度以上高くなった。海に囲まれた日本列島は、まるで食パンがトースターの中の熱いヒーターで、両面をこんがりと焼かれているような状態になっている。
三陸沖で観測した異常な高温
6月中旬から7月上旬にかけて2週間、三重大学の練習船と海洋研究開発機構(JAMSTEC)の観測船が東北地方の太平洋側で共同調査を実施した。驚いたことにこのエリアの海面温度は調査中のわずか1週間で3〜4度上昇した。三陸沖では平年を約5度上回り20度以上だった。異常な海水温の上昇は、6月からの猛暑で海面が継続的に温められたためだと考えられる。
高度約1キロまでの湿度は100%に近く、視界は時に霧で見通せない状態だった。気温上昇で空気中に水分が含まれやすくなったためだ。この時期の霧は従来、寒流の親潮による「やませ霧」で、農作物に悪影響を及ぼしていた。ところが今年は温度が上昇し、「暑いやませ霧」と称しても過言ではないほどだった。盛岡地方気象台によると2025年6月下旬の岩手県大船渡市の平均気温は23.5度と平年より4.3度も高かった。
要因は温暖化が招いた6月のトリプル高気圧
猛暑の原因となっている6月の暑さを振り返ってみよう。
気象庁によると、6月の平均気温は平年より2.34度高く、統計開始以降の記録を塗り替えた。海面水温の平年差はプラス1.2度で、2024年と並んで6月としては過去1位タイだった。
この猛暑は、西のチベット高気圧、南の太平洋高気圧、北の南北傾斜高気圧の「トリプル高気圧」が同時に日本に覆いかぶさったために起きた。それぞれの高気圧から暖かい空気が日本列島に吹き下ろして気温が上昇し、6月なのに真夏並みの暑さが続いたのだ。夏に至る前に3つの高気圧がそろって日本に張り出すのは異例だ。
理由を分析すると、地球温暖化の影響が色濃いことがわかる。例えば、チベット高気圧の発達は、モンゴル付近やチベット高原の雪解けが早まり、地表が太陽光を反射せずに熱を蓄えて気温が上昇しやすくなったために起きた。
南方の太平洋高気圧が張り出したのも、フィリピン周辺からインド洋にかけての海面水温の異常な高さに起因している。さらに、北極温暖化による偏西風の蛇行が北方高気圧を形成し、日本への暖気流入を強めた。
6月中旬は夏至で、一年で最も日照時間が長い。通常、この時期の日本は梅雨で、雨雲による日傘効果によって気温上昇はある程度抑えられる。しかし今年は、この時期に高気圧が張り出して梅雨明けが早まった地域が多く、日傘効果が薄かったことで大量の熱が蓄積されてしまった。
実は気象庁は5月、黒潮の流れが弱まる兆候を発表していた。これを受け「夏の暑さは例年より穏やかになるのでは」との予測も出ていた。高温の海水を熱帯から日本近海に運ぶ黒潮の力が弱まれば、気温もある程度下がると予測されたのだ。ところが、6月の急激な猛暑がその予測を覆した。日本の陸地と周辺の海に熱が大量に蓄積され、海の温度上昇は黒潮の弱体化の影響を上回った。この影響は、8〜9月も続くと予想される。
「どこでも豪雨」リスク増大
懸念されるのが豪雨災害だ。温暖化により海水温が上昇し、大気中の水蒸気量が増えているためだ。低気圧や前線が海上にある場合、海面水温が高ければ高いほど水蒸気が大量に空気中に吸収されるため、豪雨の危険性が増す。東北の海水温も急上昇しており、全国で局地的かつ激しい豪雨の発生リスクが高まっている。
豪雨には大きく4種類ある。
「夕立」は短時間の局地的な雨で、比較的リスクは低い。「ゲリラ豪雨」は突然降り出し、1〜3時間持続する強い雨で、雷を伴うことも多く都市部では浸水被害が出やすい。
「線状降水帯」は降雨時間が6〜12時間に及び、狭い範囲に積乱雲が連続して発生する現象で、災害リスクが非常に高い。さらに「前線型豪雨」は、広範囲に長時間降り続けるため、大規模水害の主因となる。
豪雨の種類別特徴
夕立 ・継続時間:30分程度 ・範囲:局地的 ・災害リスク:低 ゲリラ豪雨 ・継続時間:1〜3時間 ・範囲:局地的 ・災害リスク:中 線状降水帯 ・継続時間:6〜12時間 ・範囲:狭い帯状 ・災害リスク:高 前線型豪雨 ・継続時間:12〜24時間以上 ・範囲:広い ・災害リスク:高
例えば、2024年9月の能登半島の豪雨では、停滞した前線に南から暖かく湿った空気が流れ込み、線状降水帯が発生していた。当時の日本海の海水温は平年より最大5度も高かった。数日以上にわたり極端に海水温が上昇する「海洋熱波」と呼べる状況が起きていたのだ。高海水温による水蒸気の大量発生が雨雲の発達を促し、豪雨の規模を増大させた。
18年の西日本豪雨は、台風が日本の東へ進んだ後、梅雨前線が西日本付近に停滞した。
前線による広域豪雨が起き、梅雨前線付近に南の海から暖かく非常に湿った空気が大量に流れ込み、積乱雲が発達して線状降水帯が発生。岡山・広島を中心とする西日本ほぼ全域と北海道に大雨を降らせた。
異なる現象でも、海上で暖められて大量の水蒸気を含んだ空気が日本列島に吹き込み、大量の雨を降らせたメカニズムには共通性がある。24年秋に発生したスペインの豪雨も、地中海の海面温度の上昇が引き金になった。世界中のあちこちで起きている未曽有の豪雨は、同じ理由でつながっている。
台風も異常ルート多発
台風の進路にも異常がみられる。拙書『異常気象の未来予想』でもまとめたが、従来の移動ではない「迷走台風」が増加しているのだ。反時計回りに動いたり、Uターンしたり、Zの文字のようにカクカク移動したり、「酔っ払い」のようにふらつきながらノロノロ進んだりする。こうした台風は最新技術でもルートの予測が外れがちだ。2025年7月末に関東に接近した台風9号も迷走台風だった。
迷走台風にも地球温暖化が関係している。偏西風は、南北の温度差が大きければ流れは速く真っすぐに進む。一方、温度差が小さければ遅くなり、蛇行する。今は北極の氷が解けて地面が熱を吸収するようになったことで、北極周辺と赤道付近との温度差が縮まっていて、偏西風の流れは遅く大きく蛇行するようになっている。
台風のルートは、この偏西風の蛇行の影響を受けている。偏西風が北に蛇行すると、強風域が日本のはるか北に遠ざかるため、日本付近は弱風域になって台風の動きが遅くなる。河川の流れがよどむ岩陰で、複雑に動きながら流れる落ち葉の様子をイメージするとわかりやすい。
迷走台風の顕著な例は、2024年8月下旬のノロノロした台風10号だ。当初は紀伊半島への上陸が予想されたが、太平洋上で西向きに進路を変え、九州に上陸。その後、瀬戸内海を経由して四国を通り、太平洋側に南下してから北に進路を変えて紀伊半島に上陸した。滋賀県近くで熱帯低気圧に変わるまで1週間も日本付近にとどまったため、豪雨が続き、東海道新幹線が3日間にわたって運休するなど、社会への影響は甚大だった。
台風が移動する北太平洋の西部は、黒潮海域で水温が高い。台風のエネルギー源は海の水蒸気だから、海が高温であればあるほど、そして動きが遅ければ遅いほど、台風は勢いを増す可能性が高くなる。
地球温暖化は、単に気温の上昇を起こすだけでなく、毎日の生活に影響するさまざまな気象現象に直結している。このまま温暖化が進めば、ゲリラ雷雨や線状降水帯、ノロノロ台風など私たちの生活を大きく乱す異常気象が増えていくだろう。
そんな未来は、誰も望まないはずだ。
【Profile】立花 義裕 三重大学大学院生物資源学研究科気象・気候ダイナミクス研究室教授。道立札幌南高校、北海道大学大学院卒。北海道大学低温科学研究所、ワシントン大学、海洋研究開発機構等を経て、2008年より現職。専門分野は気候変動や異常気象など。
研究を自由に楽しみ、わかりやすく伝えるスタイルで、報道番組等に多数出演。2024年に第56回東海テレビ文化賞。近著に「異常気象の未来予測」(ポプラ社)。DSC00769.JPG

 今年の激しい気温上昇の主因は、地球温暖化を起因とする6月の「トリプル高気圧」の影響で日本周辺に急速に熱が蓄えられたことだ。7月の平均気温は全国的に高かった。月の平均気温は平年より2.89度高く、明治の統計開始以来、最も高温になった。7月30日には兵庫県丹波市で41.2度を観測し、国内の歴代最高気温を更新。さらに8月5日にも群馬県伊勢崎市で41.8度に達し、わずか1週間で記録を塗り替えた。今年の夏は、太平洋高気圧やフェーン現象といった典型的な夏の天候に加え、海水面の温度が異常に高くなっている特徴がある。日本周辺の海水温は7月に平均25度を超え、猛暑続きのここ数年よりもさらに1度以上高くなった。海に囲まれた日本列島は、まるで食パンがトースターの中の熱いヒーターで、両面をこんがりと焼かれているような状態になっている。地球温暖化を何とかしなければならないのでしょうが、そう簡単に世界中で歩調を合わせてやれる状況にはありません。日本はどうなるのでしょうか。気象庁によると、6月の平均気温は平年より2.34度高く、統計開始以降の記録を塗り替えた。海面水温の平年差はプラス1.2度で、2024年と並んで6月としては過去1位タイだった。この猛暑は、西のチベット高気圧、南の太平洋高気圧、北の南北傾斜高気圧の「トリプル高気圧」が同時に日本に覆いかぶさったために起きた。それぞれの高気圧から暖かい空気が日本列島に吹き下ろして気温が上昇し、6月なのに真夏並みの暑さが続いたのだ。夏に至る前に3つの高気圧がそろって日本に張り出すのは異例だ。地球温暖化に起因していると考えるしかないのでしょう。理由を分析すると、地球温暖化の影響が色濃いことがわかる。例えば、チベット高気圧の発達は、モンゴル付近やチベット高原の雪解けが早まり、地表が太陽光を反射せずに熱を蓄えて気温が上昇しやすくなったために起きた。南方の太平洋高気圧が張り出したのも、フィリピン周辺からインド洋にかけての海面水温の異常な高さに起因している。さらに、北極温暖化による偏西風の蛇行が北方高気圧を形成し、日本への暖気流入を強めた。日本の陸地と周辺の海に熱が大量に蓄積され、海の温度上昇は黒潮の弱体化の影響を上回った。この影響は、8〜9月も続くと予想される。懸念されるのが豪雨災害だ。温暖化により海水温が上昇し、大気中の水蒸気量が増えているためだ。低気圧や前線が海上にある場合、海面水温が高ければ高いほど水蒸気が大量に空気中に吸収されるため、豪雨の危険性が増す。東北の海水温も急上昇しており、全国で局地的かつ激しい豪雨の発生リスクが高まっている。台風の進路にも異常がみられる。従来の移動ではない「迷走台風」が増加しているのだ。反時計回りに動いたり、Uターンしたり、Zの文字のようにカクカク移動したり、「酔っ払い」のようにふらつきながらノロノロ進んだりする。こうした台風は最新技術でもルートの予測が外れがちだ。2025年7月末に関東に接近した台風9号も迷走台風だった。迷走台風にも地球温暖化が関係している。偏西風は、南北の温度差が大きければ流れは速く真っすぐに進む。一方、温度差が小さければ遅くなり、蛇行する。今は北極の氷が解けて地面が熱を吸収するようになったことで、北極周辺と赤道付近との温度差が縮まっていて、偏西風の流れは遅く大きく蛇行するようになっている。台風のルートは、この偏西風の蛇行の影響を受けている。偏西風が北に蛇行すると、強風域が日本のはるか北に遠ざかるため、日本付近は弱風域になって台風の動きが遅くなる。河川の流れがよどむ岩陰で、複雑に動きながら流れる落ち葉の様子をイメージするとわかりやすい。台風が移動する北太平洋の西部は、黒潮海域で水温が高い。台風のエネルギー源は海の水蒸気だから、海が高温であればあるほど、そして動きが遅ければ遅いほど、台風は勢いを増す可能性が高くなる。地球温暖化は、単に気温の上昇を起こすだけでなく、毎日の生活に影響するさまざまな気象現象に直結している。このまま温暖化が進めば、ゲリラ雷雨や線状降水帯、ノロノロ台風など私たちの生活を大きく乱す異常気象が増えていくだろう。甚大な災害につながる可能性がある台風の影響は気になるところですね。気象関係の専門家は多いでしょうが、専門家の分析、考えを紹介して国民に注意喚起することは大事でしょう。国民も普段から異常気象現象に関心を持って自分事として準備したり対処することを考えなければならないでしょう。地球温暖化をの問題を解決することは世界のリーダーの言動を考えれば難しいですが、いつどこで何が起きるかわからないということを考えて心の準備をする必要があるでしょう。DSC00768.JPG
体の不自由な人たちも差別を受けず安心して暮らすことができる社会を[2026年01月27日(Tue)]
 読売新聞オンライン2025年8月13日付け「耳が聞こえない親子を襲った大空襲 深夜に投げ込まれた石で目覚めると、窓の外には燃える街 #戦争の記憶」から、街に鳴り響く空襲警報のサイレン、敵機の接近を伝えるラジオの音声、防空壕(ごう)への避難を呼びかける人々の声 
これらの生死を分ける情報がまったく聞こえなかった聴覚障害者(ろう者)は、80年前の戦争をどうやって生き延びたのか。その体験は当事者同士が手話などで伝承しつつ、広く語られることはあまりなかった。窓に投げられた石で異変に気付き、炎で赤く染まった街を必死に走ったあの日。前橋市に住むろう者の牧山定義さん(59)が、同じく耳が聞こえなかった母・昌子さんから伝え聞いた戦争の記憶を教えてくれた。
深夜に窓が割れ、外を見ると逃げる人々
1945年3月9日、千葉県に住んでいた昌子さんは、東京・荒川区の宿にいた。父の小泉釜太郎さんと一緒に、東京に住む知り合いに食べ物を分けてもらいに来ていたからだ。
当時、昌子さんは10歳、釜太郎さんは42歳。ともに耳が聞こえなかった。  
すでに眠りについていた深夜、部屋の窓ガラスが突然割れた。その衝撃と振動で釜太郎さんは目を覚ました。窓の外を見ると、慌てて逃げ出す人々の姿が目に入った。釜太郎さんはひどく青ざめ、昌子さんを起こし、外へ飛び出した。  
日付は変わって3月10日、約10万人が犠牲となり、後に「東京大空襲」と呼ばれる空襲の始まりだった。
投げ込まれた石が異変を知らせた
2人の部屋の窓ガラスを割ったのは、外から飛んできた石だった。「空襲警報が聞こえない親子に異変を知らせようと、投げ込まれたものだったのでしょう」と牧山さんは話す。  
釜太郎さんはいつも窓際で寝て、1時間ごとに起きては外を確認するほど注意深い性格だったという。加えて、日頃から近所や宿泊先の隣部屋の人に食べ物を分けて、「いざという時にたたき起こしてほしい」とお願いしていた。空襲警報が聞こえない親子にとっては、周囲の助けが不可欠だった。それがこの日、功を奏した。
はぐれた父の教え「前だけを見て走れ」
2人は着の身着のまま宿から飛び出したが、炎で赤く染まった街を逃げ惑う群衆の中で、握っていた手が離れ、はぐれてしまった。焼夷(しょうい)弾の油脂が降りかかり、髪が焦げつく。1人になった昌子さんは震える足で、風上に向けて必死に走った。  
「ひとりでも生き抜け。前だけを見て走れ」  
それが父の教えだった。  
釜太郎さんは昌子さんが幼い頃に妻と離婚し、親ひとり子ひとりで過ごしてきた。釜太郎さんは耳が聞こえない分、新聞やニュース映画などでの情報収集を欠かさなかった。昌子さんは、足腰を鍛えるためだと、遠い学校に通うのも長時間歩かされた。厳しくも優しい愛情だった。  
昌子さんは、「もしもの時は」と約束していた上野公園の西郷隆盛像の下までたどり着き、そこで釜太郎さんと再会できた。せっかく分けてもらったサツマイモや、大切にしていた家族との写真も、泊まっていた宿で灰になった。焼け野原になった東京の街を朝日が照らす中、歩いて千葉へと帰った。
親戚からの悪口や差別 募る苦しみ
東京下町を火の海に変えた空襲を命からがら生き延び、親子は敗戦の日を迎えた。終戦後まもなく、昌子さんの家に親戚が移住してきて、一緒に暮らすことになった。  
親戚は昌子さんに向けて、苦々しく言葉を放った。声は聞こえなくても、口の動きやしぐさから、昌子さんは内容を読み取った。「わからずや」。その親戚も、昌子さんが言葉を読み取ることは当然理解していただろう。それでも悪口をやめることはなかった。  
与えられる食事も勝手に減らされた。昌子さんは、差別への悔しさや苦しみを募らせた。ある日、親子は境遇に耐えかね、知人宅に身を寄せようと、慣れ親しんだ家を後にした。昌子さんは当時を振り返りながら、牧山さんに「戦争は、人を変えてしまうものだ」とよく語っていた。
父との別れ、その言葉を支えに
親子が頼るつもりだった東京の知人の家は、相次ぐ空襲で跡形もなくなっていた。上野や新橋の駅近くの簡易的な宿に寝泊まりしたが、不衛生な環境での暮らしが続いたことで、釜太郎さんは病に感染した。昌子さんは限られたお金で必死に食べ物を探したが、釜太郎さんはみるみる弱り、ものの数日で息を引き取った。終戦から3か月がたった頃だった。  
残された昌子さんは悲しみに暮れたが、このときも「ひとりでも生き抜け」という父の言葉が支えになった。千葉の家に戻っても食事もまともに与えられず、再び家を飛び出すと、上野の公園や駅で野宿し、たばこの吸い殻を集めてお金に換えながら過ごした。  
それから2年半近くがたち、昌子さんは、幼少期に生き別れていた実母に引き取られることになった。気乗りはしなかったが、母と再婚相手が住む前橋市の家に移り、子守や仕事をしながらろう学校に通い、51年春、16歳で小学部を卒業した。その後、同じく耳が聞こえない嘉一さんと結婚し、65年には牧山さんが生まれた。
手話で伝えた「恐怖」と「感謝」
昌子さんは、牧山さんが幼い頃から、手話で戦争の恐ろしさを教えた。ベトナム戦争のニュース映像を見せ、「戦争は残酷で悲惨だ」と繰り返した。昌子さんは2007年に亡くなるまで、打ち上げ花火の衝撃と振動を怖がり、髪を焦がした臭いで空襲を思い出して苦しんでいた。  
一方で、昌子さんは牧山さんに、「誰しもが生きるのに必死な時、障害者が助けてもらうのは、当たり前のことではない」とも伝えていた。周囲への感謝を忘れてはいけない、という教えだ。牧山さんの妻・富士江さんは、「昌子さんは、周囲に助けてもらった時、人の何倍もお礼をする人だった。人の内面を見抜く力が秀でていた」と振り返る。
ウクライナのろう者が語った戦争の共通点
牧山さんは今年2月、ロシアの侵略を受けてウクライナから大分県に避難したろう者の男性と面会した。「耳が聞こえる人よりも周囲の気配や振動に敏感になり、毎晩眠れなかった」。男性が語ったのは、昌子さんが80年前に感じたのと同じ恐怖だった。新聞やSNSで情報を集め、「自分の命を守るためにあらゆる知恵を絞った」という点も、釜太郎さんと共通していた。  
牧山さんは、障害者に対する社会の理解が進んでいることに感謝しつつ、いざという時に「ひとりで生き抜く」ことが難しいことも痛感している。「戦争を生き抜いた先人たちの体験や苦しみを伝えたい」。講演や本などを通じて、これからも両親の記憶を代弁したいと考えている。
聴覚障害者の体験証言、「口話法」で記録少なく
 東京大空襲・戦災資料センター学芸員の小薗崇明さんによると、聴覚障害者は徴兵を免れたため、男性の働き手が不足する地域の重要な労働力になっていた反面、「穀つぶし」などと差別にもさらされたという。小薗さんは「戦時下という非常事態でナショナリズムが高揚し、世間の理想像から外れた障害者らが差別や偏見を受けた」と語る。  
牧山さんの父・嘉一さんの兄2人は難聴で徴兵検査に落ちた。健常者だった母親は若い男性が出征する度に、出征できない息子たちを「恥ずかしい」と悔しがったという。  
音が聞こえない中でどうやって生き抜いたかは貴重な証言だが、体験の記録はあまり残っていない。その理由について小薗さんは、関東大震災以降のろう教育が、ゆっくりした口の動きと発声によって意思疎通を図る「口話法」を主流としたことを指摘している。筆談など活字での記録が少なく、戦争体験の伝承はろう者間に限られていた可能性が高いという。DSC00771.JPG

 2人の部屋の窓ガラスを割ったのは、外から飛んできた石だった。「空襲警報が聞こえない親子に異変を知らせようと、投げ込まれたものだったのでしょう」と牧山さんは話す。釜太郎さんはいつも窓際で寝て、1時間ごとに起きては外を確認するほど注意深い性格だったという。加えて、日頃から近所や宿泊先の隣部屋の人に食べ物を分けて、「いざという時にたたき起こしてほしい」とお願いしていた。空襲警報が聞こえない親子にとっては、周囲の助けが不可欠だった。それがこの日、功を奏した。体に不自由な人たちを地域社会がどのように支えていくのかということを考える上で大事なことですね。釜太郎さんは昌子さんが幼い頃に妻と離婚し、親ひとり子ひとりで過ごしてきた。釜太郎さんは耳が聞こえない分、新聞やニュース映画などでの情報収集を欠かさなかった。昌子さんは、足腰を鍛えるためだと、遠い学校に通うのも長時間歩かされた。厳しくも優しい愛情だった。親戚は昌子さんに向けて、苦々しく言葉を放った。声は聞こえなくても、口の動きやしぐさから、昌子さんは内容を読み取った。「わからずや」。その親戚も、昌子さんが言葉を読み取ることは当然理解していただろう。それでも悪口をやめることはなかった。与えられる食事も勝手に減らされた。昌子さんは、差別への悔しさや苦しみを募らせた。ある日、親子は境遇に耐えかね、知人宅に身を寄せようと、慣れ親しんだ家を後にした。昌子さんは当時を振り返りながら、牧山さんに「戦争は、人を変えてしまうものだ」とよく語っていた。体の不自由な人に対する差別は戦争のような非日常的な社会では助長されるのでしょうか。親子が頼るつもりだった東京の知人の家は、相次ぐ空襲で跡形もなくなっていた。上野や新橋の駅近くの簡易的な宿に寝泊まりしたが、不衛生な環境での暮らしが続いたことで、釜太郎さんは病に感染した。昌子さんは限られたお金で必死に食べ物を探したが、釜太郎さんはみるみる弱り、ものの数日で息を引き取った。終戦から3か月がたった頃だった。残された昌子さんは悲しみに暮れたが、このときも「ひとりでも生き抜け」という父の言葉が支えになった。千葉の家に戻っても食事もまともに与えられず、再び家を飛び出すと、上野の公園や駅で野宿し、たばこの吸い殻を集めてお金に換えながら過ごした。それから2年半近くがたち、昌子さんは、幼少期に生き別れていた実母に引き取られることになった。気乗りはしなかったが、母と再婚相手が住む前橋市の家に移り、子守や仕事をしながらろう学校に通い、51年春、16歳で小学部を卒業した。その後、同じく耳が聞こえない嘉一さんと結婚し、65年には牧山さんが生まれた。昌子さんは牧山さんに、「誰しもが生きるのに必死な時、障害者が助けてもらうのは、当たり前のことではない」とも伝えていた。周囲への感謝を忘れてはいけない、という教えだ。牧山さんの妻・富士江さんは、「昌子さんは、周囲に助けてもらった時、人の何倍もお礼をする人だった。人の内面を見抜く力が秀でていた」と振り返る。牧山さんは、障害者に対する社会の理解が進んでいることに感謝しつつ、いざという時に「ひとりで生き抜く」ことが難しいことも痛感している。「戦争を生き抜いた先人たちの体験や苦しみを伝えたい」。講演や本などを通じて、これからも両親の記憶を代弁したいと考えている。障害者に優しい社会というのは実現が容易ではないのでしょうか。1人も取り残さない社会にするためには障害者はもちろんですが、社会的弱者と言われる人たちも忘れてはならないでしょう。牧山さんの父・嘉一さんの兄2人は難聴で徴兵検査に落ちた。健常者だった母親は若い男性が出征する度に、出征できない息子たちを「恥ずかしい」と悔しがったという。音が聞こえない中でどうやって生き抜いたかは貴重な証言だが、体験の記録はあまり残っていない。その理由について小薗さんは、関東大震災以降のろう教育が、ゆっくりした口の動きと発声によって意思疎通を図る「口話法」を主流としたことを指摘している。筆談など活字での記録が少なく、戦争体験の伝承はろう者間に限られていた可能性が高いという。理想論に聞こえるかもしれませんが、体の不自由な人優しい社会でなければ国民誰にも優しい社会にならないのではないでしょうか。強い者、マジョリティだけが社会で生きる社会は生きづらいのではないでしょうか。DSC00770.JPG
日本の教育には“学び方の多様性”が求められるのでは[2026年01月26日(Mon)]
 東洋経済ONLINE2025年8月12日付け「「先生だけの学校」はもう時代遅れ!?  日本の教育DXがもたらす“学び方の多様性”と"ビジネスチャンス”」から、VUCA、「人生100年時代」、AIの登場……。
技術と社会が大きく変わる今、教育界には、明治維新以来150年ぶりに大転換の波が訪れています。「誰もが学び続ける時代に求められること」を知ることが、子育てにとっても、キャリア形成にとっても大切です。
そこで、日本最大級の教育イベント創設者・大学特任准教授・学校法人理事など、さまざまな立場や役割で教育に関わる宮田純也氏が「教育の新常識」を解説します。
探究学習の実現には企業の力が重要  
探究学習がオーセンティックな学びを志向しているとすれば、社会に存在するあらゆるものが学びの対象になっていくでしょう。なぜなら、教育哲学者のデューイの言葉を借りれば、「教育は人生のための準備ではない。教育は人生そのものである」からです。  
生きることは探究することであり、そして探究するとき、あらゆるものから学ぶことができるのです。  
このような探究学習を実現するために、企業の力が必要になることは間違いないでしょう。
 自社の事業の強みや特長を活かし、さまざまな形で企業と学校が協働する多様な形態が出現しています。  
企業の社会的責任(CSR)を果たすための出張授業などの取り組みは、以前からおこなわれてきましたが、教材などの製品・サービスの提供など、事業としても形態が多様化しています。  
高度化する学校現場では、以前のように何でも自分たちでまかなう自前主義では立ちゆかず、私立学校は当然のこととして、文部科学省のGIGAスクール構想のように、公立においてもDXに関する予算(令和元年から3年の合計で約7000億円)がつくなど、経済的な規模も増しています。
 この点で、学校教育を市場として捉えるときには、市場は大きく拡大しているといえます。つまり、事業をおこなう企業が活躍する土壌が増えているということです。  
DXが進む今日において、この傾向は続いていくと考えられます。  経済産業省では、2018年度から「未来の教室〜learning innovation〜」という事業を5カ年計画で実施しています。  
当初は2022年度で終了の予定でしたが、現在も延長継続されている事業です。2019年度からは、学びのSTEAM化、学びの自立化・個別最適化、新しい学習基盤づくりを3つの柱に、9つの課題とアクションを設定し、それにもとづいた主としてEdTech企業の学校進出をサポートしています。
その内容は年度によって変化しますが、「EdTech導入補助金」では全国の小学校・中学校・高校および自治体が、学校の金銭負担がない形で企業など採択された事業者の製品やサービスを無償で導入できるなど、多様な事業がおこなわれています。  
文部科学省では、2023年度から100億円の予算で「⾼等学校DX加速化推進事業(DXハイスクール)」を推進しています。  
これは情報・数学などの教育を重視するカリキュラムを実施するとともに、ICTを活⽤した⽂理横断的・探究的な学びを強化する学校などに対して、そのために必要な環境整備の経費を支援するもので、公⽴・私⽴の⾼等学校などを対象に、継続校1000校には1校当たり500万円、新規採択校200校には1000万円の補助金を交付する事業となります。
学校教育の2つの転換  
社会構造の転換に伴う学校教育の転換は、大きく分けると2点あります。  
1つ目は、授業を中心とする教育方法の転換です。たとえば、教育DX、探究学習、個別最適な学びと協働的な学びの一体的な充実、主体的・対話的で深い学び、キャリア教育、ファシリテーション、AI・ICTの利活用、コンピテンシーベースの授業、OECDラーニング・コンパスの浸透と推進などです。  
2つ目は、教育活動を支える環境の転換です。たとえば、GIGAスクール、学校組織、教師のあり方、働き方改革、校務DXなどの浸透と推進です。
 これらの転換のために、民間企業には、ネットワーク環境やPCなどの端末の提供だけでなく、校務支援サービス、教材提供、人材育成など大変多岐にわたる事業の展開が期待されています。  
これからは学校と企業がさまざまな方面でパートナーとなり、一緒に学び合いながら、学校現場に新しい価値を生み出すインタラクティブな関係をつくっていくことが、より一層求められていくのではないかと推測されます。  
学校教育ではオーセンティックな学びを探究学習で実施し、さらにそのサイクルを回し続けることで、学習者は学び方を習得していきます。これが、今後の人生を歩むうえでの学びの土台を形成し、自律的に学び、自立して人生を歩むコンピテンシーを身につけることが期待されています。
探究学習の導入は、すでに決められて与えられた目標やゴールに向かう収束型の学習観から、さまざまな価値観や目標を自ら生成し、発散する教育という発散型の学習観への転換だといえるでしょう。
世界の教育改革はどこに向かっているか  
ここまで日本の教育改革について見てきましたが、少し視点を変えて世界の流れを確認してみましょう。  
キーワードになるのは「PISA」です。この言葉は聞いたことがなくても、PISAで日本の学力が世界で何位だったのかという報道に触れたことのある方は多いのではないかと思います。
 PISA(Programme for International Student Assessment)は、OECD(経済協力開発機構)が3年に一度、OECD加盟国および参加を希望した国・地域の15歳を対象に実施する学力到達度調査です。  
「何を知っているか」という従来の学力ではなく、「何ができるか」を明らかにする調査という点に特徴があります。  
3年に一度の調査で日本のスコアが上下すると、注目が集まります。最近では2022年におこなわれました。そこでは日本は「科学的リテラシー」が2位、「読解力」が3位、「数学的リテラシー」が5位と、3分野すべての順位が世界トップレベルでした。
 PISAの結果は、世界各国の教育政策に大きな影響を与えるものであり、世界の教育政策を理解する際に、OECDの動きを把握することは必須といえます。  
PISAの結果は一般に報道などで広く認知されていますが、学校教育の今後を概観するうえでは、OECDが2019年に公表した「OECDラーニング・コンパス2030」について理解を深めることが大切です。  
「ラーニング・コンパス」は「学びの羅針盤」と訳されます。子どもが先生の指示などに盲目的・受動的に従うのではなく、自らVUCA時代という未知の社会を自ら歩み進むとき、方向性を示すものです。
拙編著『SCHOOL SHIFT』のなかで田中茂範氏は、教育のねらいは「世界を変革できるように学びを方向づける(Learning to transform the world)」ことであり、子どもが「不確実な状況のなかで自らをナビゲイトしながら、人生を切り開くこと、そして、個人のウェルビーイングだけでなく地球全体のウェルビーイングに向けて他の人々と協働して考え行動することが求められる」と解説しています。
 そのために最も重要な力が「エージェンシー」です。  
これは「目標を設定し、責任を持って、主体的に行為することによってよい変化を起こす力」です。  
生徒自身のエージェンシー(生徒エージェンシー)を高めながら、ほかの人々と共同して行為するためのエージェンシー(共同エージェンシー)を高め、両者を相互作用させていくことが重要だと考えられています。
世界標準の教育目標  
ラーニング・コンパスにおける教育の目標はウェルビーイングの実現だと掲げられています。OECDの定義によれば、ウェルビーイングとは「生徒が幸福で充実した人生を送るために必要な、心理的・認知的・社会的・身体的な働きと潜在能力」のことです。
 学校教育は何のためにあるのか。そう問われたら、日本では教育基本法による「人格の完成」となります。これは、世界の標準で言えば「ウェルビーイングの実現」に対応するものだといえるでしょう。  
そして、いま日本の学校教育もそのような世界的な教育改革の潮流のなかで発展を遂げつつあります。令和5〜9年度に実行される教育振興基本計画には、「日本社会に根差したウェルビーイングの向上」が掲げられているのです。
理想の教育に唯一の正解はない
 フィンランドの教育が日本で注目されるようになったのは、2003年と2006年におこなわれたPISAのすべての分野で1位、あるいは2位を取ったからです。  
日本では「学力世界一のフィンランド」として興味を持たれたといえます。北欧の小国がなぜ世界で1位を取れたのか、その驚きがフィンランドの教育について注目するきっかけになりました。  
詰め込み教育ではないことをはじめ、フィンランドと日本では、学校観、学習観、ひいては社会観や人生観まで異なっているため、いまもなおその教育は注目されています。
しかし、フィンランドは近年、PISAの点数と順位を落としています。かつては「学力世界一」だったフィンランド国内でも、現在は学力をめぐる論争が起こっており、学校教育のあり方が模索されています。  
たとえば、世界的に著名なフィンランドの教育学者パシ・サルベリ氏は、PISAはあくまで測定器であり、それ自体が目的ではないとコメントしています。  
フィンランドの教育はウェルビーイングの実現を学校教育の土台に据え、あくまで学力はひとつの尺度・結果だと捉えたうえで、ウェルビーイングの実現という大きな目標に向けて改革を進めながら試行錯誤しているように見受けられます。やはり理想の教育に唯一の正解はないのです。
 私たちも、目先のテストの結果に惑わされず、ウェルビーイングという高次の観点でこれからの時代に合った学びや学校教育のあり方について考え、挑戦を重ねていくことが必要ではないでしょうか。DSC00773.JPG

 教育界には、明治維新以来150年ぶりに大転換の波が訪れています。「誰もが学び続ける時代に求められること」を知ることが、子育てにとっても、キャリア形成にとっても大切です。そうは言っても改革の機運が高まっていると言えるでしょうか。生きることは探究することであり、そして探究するとき、あらゆるものから学ぶことができるのです。このような探究学習を実現するために、企業の力が必要になることは間違いないでしょう。高度化する学校現場では、以前のように何でも自分たちでまかなう自前主義では立ちゆかず、私立学校は当然のこととして、文部科学省のGIGAスクール構想のように、公立においてもDXに関する予算(令和元年から3年の合計で約7000億円)がつくなど、経済的な規模も増しています。授業を中心とする教育方法の転換です。たとえば、教育DX、探究学習、個別最適な学びと協働的な学びの一体的な充実、主体的・対話的で深い学び、キャリア教育、ファシリテーション、AI・ICTの利活用、コンピテンシーベースの授業、OECDラーニング・コンパスの浸透と推進などです。教育活動を支える環境の転換です。たとえば、GIGAスクール、学校組織、教師のあり方、働き方改革、校務DXなどの浸透と推進です。これらの転換のために、民間企業には、ネットワーク環境やPCなどの端末の提供だけでなく、校務支援サービス、教材提供、人材育成など大変多岐にわたる事業の展開が期待されています。これからは学校と企業がさまざまな方面でパートナーとなり、一緒に学び合いながら、学校現場に新しい価値を生み出すインタラクティブな関係をつくっていくことが、より一層求められていくのではないかと推測されます。確かにその通りで企業の協力が必要になってきているでしょう。最も重要な力が「エージェンシー」は「目標を設定し、責任を持って、主体的に行為することによってよい変化を起こす力」です。生徒自身のエージェンシー(生徒エージェンシー)を高めながら、ほかの人々と共同して行為するためのエージェンシー(共同エージェンシー)を高め、両者を相互作用させていくことが重要だと考えられています。ラーニング・コンパスにおける教育の目標はウェルビーイングの実現だと掲げられています。OECDの定義によれば、ウェルビーイングとは「生徒が幸福で充実した人生を送るために必要な、心理的・認知的・社会的・身体的な働きと潜在能力」のことです。学校教育は何のためにあるのか。そう問われたら、日本では教育基本法による「人格の完成」となります。これは、世界の標準で言えば「ウェルビーイングの実現」に対応するものだといえるでしょう。詰め込み教育ではないことをはじめ、フィンランドと日本では、学校観、学習観、ひいては社会観や人生観まで異なっているため、いまもなおその教育は注目されています。PISAはあくまで測定器であり、それ自体が目的ではないとコメントしています。フィンランドの教育はウェルビーイングの実現を学校教育の土台に据え、あくまで学力はひとつの尺度・結果だと捉えたうえで、ウェルビーイングの実現という大きな目標に向けて改革を進めながら試行錯誤しているように見受けられます。やはり理想の教育に唯一の正解はないのです。私たちも、目先のテストの結果に惑わされず、ウェルビーイングという高次の観点でこれからの時代に合った学びや学校教育のあり方について考え、挑戦を重ねていくことが必要ではないでしょうか。フィンランドの教育のあり方は大変参考になるでしょう。日本の教育は学習指導要領に縛られ過ぎているのではないでしょうか。子どもたちの人格形成はもちろんですが、子どもたち一人ひとりの個性を尊重して才能を伸ばすことができるように教育基本法、学習指導要領に縛られない多様な教育のあり方を模索しなければ世界の中で取り残されることになってしまわないでしょうか。DSC00772.JPG
知恵とアイデアで知名度、経済効果、関係人口を増やすことができる[2026年01月25日(Sun)]
 TBS NEWS DIG2025年8月11日付け「“ラーメン課”設立で経済効果1億7000万円 「地元食材を活かし、地域の魅力を発信」ご当地ラーメンの可能性【Nスタ解説】」から、山形県南陽市のご当地ラーメンは1杯590円から。これを含む地元のラーメンが驚きの経済効果をもたらしています。
「みそきん」のリアル店舗がオープン
出水麻衣キャスター: 7日、東京駅・東京ラーメンストリートに「ご当地エリア」が誕生し、新たに2店舗がオープンしました。
1つ目が青森県のご当地ラーメン・濃厚津軽煮干しラーメンのお店「津軽煮干 ひらこ屋」です。“売り”は「こいくち煮干ラーメン(1130円)」で、まるで煮干しを食べているかのような濃厚なラーメンですが、意外とあっさり食べられるそうです。
2つ目は、動画クリエイターのHIKAKINさんが手がけたお店「みそきん」です。HIKAKINさんの故郷・新潟の“白味噌”が使われています。「みそきん」は2023年にカップ麺として発売されて以降、これまで累計2000万食も売れている人気のラーメンで今回、初のリアル店舗ができました。 一体、どのようなお味なのか。オープンの前日に食べに行ってきました。
HIKAKINさんが自ら提供してくださったラーメンが「味玉みそきん(1380円)」※予約制です。
出水キャスター 「ニンニクが香り立って来ます」
HIKAKINさん 「そこにこだわりましたので」
出水キャスター 「(麺の)縮れているところに、インパクトのあるスープが絡んで美味しい。白味噌のほのかな甘みもいい」
この味噌ベースのラーメンは、HIKAKINさんの故郷・新潟での思い出が原点にあるそうです。
HIKAKINさん 「新潟はラーメンの激戦区で、色んな人気ラーメンがあるので、僕の住んでいる地元(新潟・妙高市)に白味噌のお店があって、そこから影響をうけたというのがあります。“新潟愛”があるので、まずベースに新潟が入っていると思う」
出水キャスター: 私が食べているときの表情からも、HIKAKINさんがラーメン開発に真摯に向き合っていることが分かると思います。生ニンニクが入っていて、ニンニクの香りがふわっと漂いますが、しつこくなくて、スープも最後まで飲み干せてしまうお味でした。
過去最高の7900億円 
認知度増で「ラーメン市場」が拡大か 
出水キャスター: ご当地ラーメンを含む「ラーメン市場」は今、非常に拡大しています。
帝国データバンクによると、過去のデータではラーメン店の市場はコロナ禍でいったん下がりますが、2024年度は7900億円(見込み)と過去最高になっています。日本のラーメンの認知度が国際的に高まり、インバウンドでの集客が好調だったことなどが要因だそうです。
ご当地ラーメンに関して、ラーメンの食文化に詳しい大和大学社会学部・立花晃教授にお話を伺ったところ、「地元食材を活かして、地域の魅力を発信できる。訪日外国人客も取り込めて、さらに市場拡大するのではないか」とのことです。
青森のご当地ラーメン屋・「津軽煮干 ひらこ屋」の三上店主も、「世界にも煮干しってまだ全然知られていない。“クセつよ”だけど、ぜひクセを堪能して欲しい」と、将来は世界に打って出たいと話してくださいました。
経済効果1億円以上 
市が立ち上げた取り組み「ラーメン課」
出水キャスター: 今回注目したのは、山形県・南陽市の「ラーメン課」を立ち上げた取り組みです。実は、ラーメン店舗数の“全国1位”は山形県なんです。そして、南陽市の店舗数は県平均の約5倍もあります。
南陽市は「からみそラーメン」が有名です。他にも、1杯590円でしょうゆベースの「中華めん」や「げそ天ラーメン」、耳馴染みのない「カレーラーメン」といった、たくさんの種類のラーメンがあります。
南陽市の担当者によると、南陽市のラーメン店は「それっていうのがない」のが“売り”だそうです。
2016年、強みを活かしてプロジェクト名「ラーメン課」を設置しました。具体的には、2018年から市内の約40店舗のラーメン店を全て回ると景品がもらえるという「カードラリー」を実施しています。
2023年にはインバウンド向けに「ラーメン作り体験」を実施しました。このような取り組みで、これまでのべ約2万7000人が訪問しています。経済効果は1億7000万円だそうです。
ご当地ラーメンは約200種類あるらしいですが、このように1つのメニューが広がるのは、世界的に見ても珍しいのではないでしょうか。
パナソニック社外取締役 ハロルド・ジョージ・メイさん: 先ほどラーメン店市場が7900億円という話がありましたが、10年前と比べて1.6倍です。いかに伸びているかがわかります。
ラーメンがどうしてこんなに人気かというと、自分の好みなどに合わせられるからだと思います。スープや麺を変えるだけでも違いますし、もちろん具材もそうでしょう。あと、日本特有なのはラーメンは温かいだけではなく、冷やでもできます。
世界で一番工夫が多いのがパスタなんだそうです。パスタ、次にピザ、カレーでその次がラーメンなんだそうです。やはりここまで種類があるのは、一生かけても全部食べられないという、飽きがこないというのが一番いいんでしょうね。新しい発見が毎回あるということが楽しみの一つなんじゃないでしょうか。
「南陽市=ラーメンが押し!」に…漫画とコラボも
出水キャスター: ご当地ラーメンには、いろいろなバリエーションがあって面白いですよね。
南陽市は、320万部を売り上げた「ラーメン大好き小泉さん」という、アニメ化もされた人気漫画ともコラボしています。山形には「ラーメンの出前文化」があります。それをテーマに漫画にしています。
南陽市は、それを題材にした、出前を体験してみようという「インバウンドツアー」を実施したということです。
南陽市の担当者は「ラーメン課の活動を通して、南陽市=ラーメン押し!が定着してきた。
知名度はまだまだだが、ラーメンを通して交流人口の拡大に寄与している」ということです。
パナソニック社外取締役 ハロルド・ジョージ・メイさん: ラーメンそのものというハード面、そして、こういったPRをするソフト面、両方があると人気がどんどん出るでしょうね。DSC00774.JPG

 ご当地ラーメンを含む「ラーメン市場」は今、非常に拡大しています。帝国データバンクによると、過去のデータではラーメン店の市場はコロナ禍でいったん下がりますが、2024年度は7900億円(見込み)と過去最高になっています。日本のラーメンの認知度が国際的に高まり、インバウンドでの集客が好調だったことなどが要因だそうです。「地元食材を活かして、地域の魅力を発信できる。訪日外国人客も取り込めて、さらに市場拡大するのではないか」知恵とアイデアでご当地ラーメンを広める取り組みの効果は大きいでしょう。山形県・南陽市の「ラーメン課」を立ち上げた取り組みです。実は、ラーメン店舗数の“全国1位”は山形県なんです。そして、南陽市の店舗数は県平均の約5倍もあります。南陽市は「からみそラーメン」が有名です。他にも、1杯590円でしょうゆベースの「中華めん」や「げそ天ラーメン」、耳馴染みのない「カレーラーメン」といった、たくさんの種類のラーメンがあります。2016年、強みを活かしてプロジェクト名「ラーメン課」を設置しました。具体的には、2018年から市内の約40店舗のラーメン店を全て回ると景品がもらえるという「カードラリー」を実施しています。 2023年にはインバウンド向けに「ラーメン作り体験」を実施しました。このような取り組みで、これまでのべ約2万7000人が訪問しています。経済効果は1億7000万円だそうです。ご当地ラーメンは約200種類あるらしいですが、このように1つのメニューが広がるのは、世界的に見ても珍しいのではないでしょうか。成果は出ている要因を検証してさらに上向く取り組みを継続できれば凄いですね。ラーメンがどうしてこんなに人気かというと、自分の好みなどに合わせられるからだと思います。スープや麺を変えるだけでも違いますし、もちろん具材もそうでしょう。あと、日本特有なのはラーメンは温かいだけではなく、冷やでもできます。南陽市は、320万部を売り上げた「ラーメン大好き小泉さん」という、アニメ化もされた人気漫画ともコラボしています。山形には「ラーメンの出前文化」があります。それをテーマに漫画にしています。南陽市は、それを題材にした、出前を体験してみようという「インバウンドツアー」を実施したということです。南陽市の担当者は「ラーメン課の活動を通して、南陽市=ラーメン押し!が定着してきた。知名度はまだまだだが、ラーメンを通して交流人口の拡大に寄与している」ということです。アニメとのコラボもいいアイデアですね。相乗効果が生まれさらに交流人口、関係人口増につながることが大事でしょう。このような可能性を感じる取り組みが国内に広がれば地方も元気になるのではないでしょうか。DSC00773.JPG

「移民を排除する」の政策では厳しい状況に陥っていくのでは[2026年01月24日(Sat)]
 PRESIDENT Ooline2025年8月12日付け「「移民を排除する」は日本人の財布に直撃する…「値上げの無限ループ」を引き起こしている"真犯人"」から、政府の補助があっても「焼け石に水」  
今年の夏も、日々の生活に欠かせないモノやサービスの値上がりが続きそうだ。特に、食料品の価格上昇率は10%を超えている。日用品の上昇率も高い。政府は電気・ガス料金の補助や、ガソリン価格の上限を175円に抑える策も導入したが、今のところ、物価上昇の勢いを止めるほどの効果は出ていない。
物価上昇の背景には、夏場の気温上昇で豚肉の生産量が減少し、価格上昇圧力がかかったという個別の要因に加えて、企業の人件費の上昇がある。  
現在、世界的に人手不足の傾向が鮮明化している。事業規模の大小を問わず、賃金を上げないと必要な人員を維持することが難しくなっている。これからも人件費の上昇は続くとみられ、その上昇分が価格に転嫁される可能性は高い。物価上昇に、なかなか歯止めが掛かりにくいだろう。
実感は「3%上昇」どころではない  
一方、トランプ関税政策により、世界的に企業のコスト負担が増加している。同氏の政策は予想不可能であり、これからもコストはかさむだろう。今後、中東などの地政学リスクや外国為替市場の動向次第で、再度、海外からの輸入物価が上昇する恐れもある。  
足元で国内の景気停滞懸念が高まる中、物価が一段と上昇することも懸念される。私たちの生活は、さらに厳しくなると覚悟したほうがよいかもしれない。  
総務省によると、4〜6月期、全国レベルの消費者物価指数(総合)は3%台前半から半ばで推移した。政府の物価対策によって、一時的に上昇ペースが鈍することはあるものの、物価上昇圧力はかなり根強い。  
特に、スーパーやコンビニで食料品を買う際に感じる物価上昇幅は、総務省発表の消費者物価の上昇率を上回っている。  
その代表例は主食であるコメだ。
“家計の味方”も“物価の優等生”も…  
随意契約による備蓄米放出で、価格上昇ペースは幾分か穏やかになったがまだ高い。7月中旬の東京都区部の米の価格上昇率は、前年同月比で80%台だった。農林水産省によると、7月14日の週、全国の米小売り平均価格は5キロ当たり3585円、前年同期(2391円)を50%程度上回った。  
昨年の夏場に続き、今年も食品値上げは続きそうだ。ある調査によると、8月、国内主要食品メーカー195社の飲食料品値上げは1010品目に及んだ。平均の値上げ率は11%と高い。しかも、値上げの対象品目は前年同月の661品目から増加した。  
かつて“家計の味方”といわれた、豚肉も値上がりしている。7月、東京市場の枝肉相場は1キロ当たり919円、およそ半世紀ぶりとなる水準まで上昇した。また“物価の優等生”といわれてきた卵の価格も上昇傾向が続く。7月、東京地区での卵卸売価格は1キロ329円(Mサイズ)だった。  
さらに、ティッシュペーパーや洗剤など家事用消耗品(日用品)、アパレル関連も、傾向として消費者物価指数の伸びを上回る月が多い。
人件費の増加が物価に響いている  
値上げの要因は物流費の上昇が80.0%、エネルギー費の上昇が66.5%、包装資材費の増加が59.4%、そして人件費の増加が53.9%(重複含む)といわれている。  
ただ、年初と比較すると、円高に振れたこともあり輸入物価上昇の影響は抑えられている。6月、わが国の輸入物価指数(速報)は円ベースで前年同月比12.3%下落した。契約通貨ベースでは6.1%の下落だった。  
経済データを見ると、2022年ごろから2024年ごろまで、物価上昇の要因は主に円安の進行と原油、天然ガス、小麦など一部穀物価格の上昇が同時に進んだことだった。ところが、2024年春ごろからは、主に人件費の増加が値上げのかなりの部分を占めるようになっている。
体力のない中小企業がバタバタ倒れていく  
足元の物価上昇は、人手不足によるところが大きい。食品業界での値上げ理由を見ても、「2024年問題」に端を発するトラック運転手不足の影響は大きい。物流問題は、梱包やパレットの規格統一などにつながった。人手不足を発端に広範囲にコストは増加傾向だ。  
本来、企業が付加価値を増やすには、人件費などを上回るペースで売り上げが増えればよい。ただ、実際にはそう簡単な話ではない。特に、大企業に比べて経営体力が限られる中小の事業者の状況は厳しい。  
中小企業庁によると、本年3月時点で中小企業の価格転嫁率(下請け事業者がコスト上昇分をどれだけ販売価格に転嫁したか)は52.4%だった。昨年9月から2.7ポイント上昇した。その一方、中小企業の倒産件数は増加傾向だ。本年前半の中小企業の倒産実績は11年ぶりに多かった。
キユーピーがベビーフードから撤退する理由  
大企業にも人手不足の影響は及び始めている。一つの例は食品大手キユーピーだ。6月、同社は需要不足等の理由で育児食事業からの撤退を発表した。2026年8月末に生産を停止し、順次販売を終了する予定だ。同社の決定を見ても、事態の厳しさがわかるだろう。  
わが国の少子化の深刻化により、育児食の需要は急速に縮小している。事業を継続するためには、海外市場に進出するか、国内で高付加価値型の商品を開発・供給するか、その両方が必要になる。そのためにプロ人材の獲得は不可欠だ。  
それに加えて、人材獲得のコスト、さらには物流や資材価格の高騰によってコスト上昇圧力は高まる。その状況下で事業を続けると、育児食事業の粗利率は低下傾向を辿り、企業全体で収益性が棄損されるリスクは高まる。人手不足の深刻化によって、中小企業だけでなく、大手企業にも事業継続が困難になりつつあることは見逃せない。
人材不足を補う移民を受け入れないと…  
わが国が人口減少を食い止めることは難しい。参院選の結果を見る限り、移民を受け入れ、日本で生活しやすくする方策は感じられない。恐らく、わが国のこの状況は続くだろう。今後も、人件費上昇で物価には押し上げ圧力がかかる可能性は高い。  
その一方、賃金の伸びは鈍化することも想定される。これまで世界経済を牽引(けんいん)してきた米国では、トランプ政権が関税率を引き上げた。関税引き上げのコストを、最終的に負担するのは米国の消費者だ。値上げにより米国の個人消費は徐々に減少し、内外で企業業績の悪化懸念は高まるだろう。それはわが国の企業収益の低下を通して、賃上げにマイナスに働く。  
これまで、わが国では春闘後の夏・冬のボーナスの時期に、名目賃金の上昇率が物価上昇ペースを上回る傾向にあった。これから賃上げのペースが鈍化するようだと、実質賃金の伸び悩みはこれまで以上に鮮明化するだろう。
「最悪のシナリオ」が現実になる  
外国為替市場での円安進行と、エネルギー資源などの価格上昇で輸入物価が上昇し、国内の物価に一段と押し上げ圧力が掛かることも考えられる。その場合、国内の個人消費の停滞懸念は高まらざることになりそうだ。日本銀行は、より慎重に利上げを検討せざるを得ないだろう。  
国内の景気が減速する中で物価上昇のリスクを抑えるには、政府が時代に適合しなくなったルールや規制を改革し、企業の新しい取り組みを支援する必要がある。新しいモノやサービスを開発する企業が増え、新しい需要を創出できれば、企業の内部留保や家計の貯蓄は消費や投資に回る可能性がある。それは経済成長を加速することも期待できる。ただ、構造改革が加速する兆しは見いだしづらい。  
景気先行き不安が高まって個人消費は減少すると同時に、人件費などのコスト上昇圧力の高まりで物価が上昇する。それが最悪のシナリオなのだが、現在、わが国経済はそうした状況に向かっているように見える。わたしたちの生活は、これまで以上に苦しくなりそうだ。DSC00776.JPG

 日本が置かれている大きな難題は人口減少と少子高齢化による労働人口を確保できないことでしょう。移民を排除する政党は、犯罪が増えたとか治安が乱れているという根拠の乏しい理由で訴えていますが、日本の中長期的な視点が欠けているのではないでしょうか。今年の夏も、日々の生活に欠かせないモノやサービスの値上がりが続きそうだ。特に、食料品の価格上昇率は10%を超えている。日用品の上昇率も高い。政府は電気・ガス料金の補助や、ガソリン価格の上限を175円に抑える策も導入したが、今のところ、物価上昇の勢いを止めるほどの効果は出ていない。
物価上昇の背景には、夏場の気温上昇で豚肉の生産量が減少し、価格上昇圧力がかかったという個別の要因に加えて、企業の人件費の上昇がある。現在、世界的に人手不足の傾向が鮮明化している。事業規模の大小を問わず、賃金を上げないと必要な人員を維持することが難しくなっている。これからも人件費の上昇は続くとみられ、その上昇分が価格に転嫁される可能性は高い。物価上昇に、なかなか歯止めが掛かりにくいだろう。物価の上昇は社会的弱者を大変苦しめています。企業にとっても賃金を上げなければ人材を確保できない状況で中小企業は持ちこたえることができなくなってきているでしょう。値上げの要因は物流費の上昇が80.0%、エネルギー費の上昇が66.5%、包装資材費の増加が59.4%、そして人件費の増加が53.9%(重複含む)といわれている。2024年春ごろからは、主に人件費の増加が値上げのかなりの部分を占めるようになっている。足元の物価上昇は、人手不足によるところが大きい。食品業界での値上げ理由を見ても、「2024年問題」に端を発するトラック運転手不足の影響は大きい。物流問題は、梱包やパレットの規格統一などにつながった。人手不足を発端に広範囲にコストは増加傾向だ。本来、企業が付加価値を増やすには、人件費などを上回るペースで売り上げが増えればよい。ただ、実際にはそう簡単な話ではない。特に、大企業に比べて経営体力が限られる中小の事業者の状況は厳しい。中小企業の倒産件数は増加傾向だ。本年前半の中小企業の倒産実績は11年ぶりに多かった。わが国が人口減少を食い止めることは難しい。参院選の結果を見る限り、移民を受け入れ、日本で生活しやすくする方策は感じられない。恐らく、わが国のこの状況は続くだろう。今後も、人件費上昇で物価には押し上げ圧力がかかる可能性は高い。移民を受け入れ安心して生活でき共生できる社会を築くことが求められるでしょう。わが国では春闘後の夏・冬のボーナスの時期に、名目賃金の上昇率が物価上昇ペースを上回る傾向にあった。これから賃上げのペースが鈍化するようだと、実質賃金の伸び悩みはこれまで以上に鮮明化するだろう。実質賃金が上がらないのは厳しい。外国為替市場での円安進行と、エネルギー資源などの価格上昇で輸入物価が上昇し、国内の物価に一段と押し上げ圧力が掛かることも考えられる。その場合、国内の個人消費の停滞懸念は高まらざることになりそうだ。日本銀行は、より慎重に利上げを検討せざるを得ないだろう。国内の景気が減速する中で物価上昇のリスクを抑えるには、政府が時代に適合しなくなったルールや規制を改革し、企業の新しい取り組みを支援する必要がある。新しいモノやサービスを開発する企業が増え、新しい需要を創出できれば、企業の内部留保や家計の貯蓄は消費や投資に回る可能性がある。それは経済成長を加速することも期待できる。ただ、構造改革が加速する兆しは見いだしづらい。景気先行き不安が高まって個人消費は減少すると同時に、人件費などのコスト上昇圧力の高まりで物価が上昇する。それが最悪のシナリオなのだが、現在、わが国経済はそうした状況に向かっているように見える。わたしたちの生活は、これまで以上に苦しくなりそうだ。この国の政治が中長期的な視点でビジョンを描き国民の生活を真剣に考えた政策が行われていないことが大きいのではないでしょう。移民政策を含めて国民が安心して生活できるような政策を推進できなければ厳しい状況に陥っていくのではないでしょうか。DSC00775.JPG
神話を引きつつ「教育勅語」「靖国神社」などを創設した経緯を理解すべきでは[2026年01月23日(Fri)]
 Yahooニュース2025年8月12日付け「先の大戦での精神的支柱「国家神道」とは。神話を引きつつ「教育勅語」「靖国神社」などを創設した経緯など」から、今年は戦後80年。終戦の日を迎えるにあたって先の大戦を「聖戦」とした国家神道とは何かを分析します。非宗教・超宗教という特殊な出で立ちと神話から引用した故事を基に不十分さをカバーするさまざまな装置が創造されてきた経緯や対外戦争の精神的支柱になったいきさつなどの考察です。
「祭政一致」と「天神」「地祇」
 徳川の世を終わらせようとした反体制勢力が「錦の御旗」としたのが天皇の権威です。
明治新政府が打ち出した「祭政一致」とはおおよそ701年の大宝律令で制度化された神祇官の復活あたりで具体化しました。
 古代ヤマト政権は政治を神の子孫である天皇が司る祭祀によってオーソライズする祭政一致を唱えたのです。ために政治も祭祀も共通に「マツリゴト」と呼称。そのあたりまで戻そうという王政復古運動と対になっています。
 記紀(古事記・日本書紀)の記載によると(※注1)高天原にある天神で天皇の「皇祖」であるアマテラス以来の神でナカツクニ(=地上。日本)に降臨したニニギが「地祇」(ちぎ)と呼ばれる地上の神から国を譲られるくだりが書かれているのです。この「天神」「地祇」から「神祇」の称が生まれました。
習合自体はなかば了解事項だった「神」「仏」の分離
 新政府は初期において文字通りの実行を試みたのです。1868年に神祇官を再興し、同年に布達された神仏分離令によって神社と寺院の混淆(入り交じり)を禁止しました。
 原始からの在来宗教である神道とそれを祀る神社は「天神」「地祇」以外も海外からの渡来神や人神(菅原道真の天神など)など多様に崇められてきたのです。と同時に厩戸王(聖徳太子)が7世紀初頭に篤く敬った外来宗教である仏教も時代とともに広く浸透します。
 仏教は世界宗教だけあって仏典などの聖典が充実していて神道はやがて習合していきます。軍神である八幡神(応神天皇)は仏教の「菩薩」という呼称と、稲荷(ウケモチノカミ)が空海(日本真言宗の祖)によって仏教のダキニ天と同一として東寺の鎮守神としたように。神が主で仏が従か、その逆(仏主神従)かという議論は神職も加わって平安から室町ごろまで盛んになされるも両者の習合自体はなかば了解事項のようになっていたのです。
「宣布」の破たんと祭神論争再燃
 仏教は江戸時代に幕府から厳しい統制を受けた一方で人々がいずれかの寺の檀家になるのを強制された結果として財政的基盤を確立しました。新政府にとって仏教は敵である幕府の庇護を受けた仲間で排撃する理由となったのです。神仏分離はしたがって神社を持ち上げる効果を期待していました。
 ただ仏教の論脈を用いて発展してきた神道が独立した宗教となって国民の信奉を受けるのはなかなかに難しく新政府は改めて「宣教」(布教)を打ち出したのです。
 宣教は当初、討幕運動の有力な根拠となった平田篤胤の復古神道系が担ったもよう。平田は神道の弱点で、もっぱら仏教に委ねていた来世観の構築に挑みます。ただ不完全なままであったため平田派の布教は思わしく進まず、72年に置かれた教導職には僧侶も任用され、一枚上手の布教技術を発揮して神仏合併布教と変わったのです。
 神仏分離令の破たんを示したといえ、神道界内でも古くからある伊勢派(アマテラス)と出雲派(オオクニヌシ)の祭神論争が再燃して、新政府もとうとう一直線に神道を国民に信じさせる方針を諦めました。
葬儀を禁じ祭祀のみを国家そのものと位置づける
 代わって打ち出したのが神道の非宗教化。宗教の本質である来世観の具現たる葬儀を神官が行うのを禁じ祭祀のみを国家そのものと位置づける国家神道の誕生です。
 さまざまな神々が祀られる従来の神道を記紀神話などに基づく皇室神道に一致させ、その崇拝が日本の「国体」とみなしました。アマテラスを祀る伊勢神宮は江戸時代まで庶民を伊勢信仰に誘う人気スポットであったのを厳粛な「本宗」の地とされました。
 ただそれだけでは「国体」を形作るには不足しており政府は国家神道を権威化する多くの装置を設けていくのです。以下に挙げていきましょう。
教育勅語における「ご祖先さま」への崇拝
 1890年に発布された教育勅語は学校教育の基本法規であると同時に新たに加えた教義でもあるのです。注目すべきは「是ノ如キハ独リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス、又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顕彰スルニ足タラン」の部分。天皇への忠義が厚い臣民だけでなく皆の祖先の残した美風を讃え知らしめるともなると諭します。
 このあたり古来より日本人の素朴な価値観であった「ご祖先さま」への崇拝を天皇信仰へ巧みに取り入れているとわかる個所です。「宣教」で忌避された強引かつ「上から目線」的押しつけから転換しています。
弱点をカバーするために創られた「靖国神社」
 先述のように既存の神社の祭神は必ずしも皇室神道と一致しないという弱点をカバーするために国家神道のための神社を新たに創っていくのです。鎌倉宮(祭神は護良親王)や平安神宮(同桓武天皇)、湊川神社(同楠木正成)など記紀神話以降の「皇宗」や「忠臣」を祀って補強しました。その代表が靖国神社です。
 ペリー来航以来の殉難者など日本の対外戦争における戦死者を靖国は日清・日露とうち続いた戦争での戦没者などを人神として祀る宗教施設。明治以降の天皇は陸海総司令官たる大元帥で統帥権(軍隊の指揮権)を1人有するので帝国陸海軍は「天皇の軍隊」に他なりません。戦没は天皇への忠義で、神である天皇の元で自らも神として祀られるという名誉が与えられ明治以来の「富国強兵」へ大きな役割を果たしました。
「賢所」「皇霊殿」「神殿」の「宮中三殿」創設
 東京遷都によって皇居が京都から移ると宮中祭祀もまた新しく創られていくのです。古来よりある賢所に加えて皇霊殿が創られました。
 歴代天皇と仏教は濃密な関係があって皇族の多くも門跡(格の高い寺の住職)に就いてきたし薨去後も仏式で祀られてきたのです。これが神仏分離以降の流れではまずいとなって神式が考案されて新設の「皇霊殿」で皇族を含めて合祀されるようになったのです。
 神殿もまた天皇を守護する「八神」を祀る施設が皇居外にあったのを先の「天神地祇」と合祀して皇居に置かれました。
 現在もこの「賢所」「皇霊殿」「神殿」は「宮中三殿」と呼ばれて皇室祭祀の中心的役割を果たしているのです。
「宗教か否か」をただす他宗各派
 このように我々が古来からあると思いがちな神道的伝統の多くが国家神道を補強するために明治以降に創られました。ただ、では完全な新作かというと教育勅語で示したように古来の流れを汲む工夫がなされてもいるのです。
 もっとも国家神道がいくら非宗教化されたとしても人々は神社に手を合わせるし拝みもします。だから「国家神道は宗教か否か」は他宗各派がしばしば政府へ見解をただしてきたのです。宗教ならば非宗教ではないから我々は拝礼できないしし、非宗教ならばなぜ宗教的活動をするのかと。
 靖国神社へ祭伸として祀られるのに違和感を持つキリスト教徒などは戦前からいて参拝拒否運動が起きています。拝礼・奉読を強制された教育勅語に対して1891年、第一高等中学嘱託教員でキリスト教徒の内村鑑三が拝礼を拒否して教壇を追われた「不敬事件」も同じ文脈です。
 これに対して政府は「非宗教である」を崩さず天皇への忠誠と神社参拝は同一で何の宗教を信じていても拝礼などを拒めないとの見解で応酬しました。
「聖戦」と「八紘一宇」
 以上のように国家神道は天皇制による国家支配を権威化する装置でした。これが昭和の戦争に入ると対外的な日本の優位性をも担保する観念として広がります。
 1937年から始まった日中戦争あたりから神道から連想される「聖戦」「八紘一宇」といった言葉が対外戦の使命のように用いられていったのです。「八紘一宇」は日本書紀の記載から援用して法華系宗教家の田中智学が創った言葉。田中の意図とは無関係に「日本は世界を1つの家のようにする」任があるという風に使用され、近衛文麿首相から公的な文書でも採用されています。
 かかる重大な使命を帯びた国の戦であるという流れで「聖戦」も広まったようです。
斎藤隆夫の「反軍演説」
 この点を結果的に突いたのが40年の斎藤隆夫衆議院議員による、いわゆる「反軍演説」。
「支那事変(※注2)はどうなるものであるか、いつ済むのであるか、いつまで続くものであるか、政府は支那事変を処理すると声明しているが如何にこれを処理せんとするのであるか。国民は聴たんと欲して」いるから答えてほしいという趣旨でした。
 そのなかで斉藤は日中戦争が「八紘一宇精神をもって」「平和を確立するがために戦っている」「聖戦である」との「理想は高遠であ」るも「徒に理想に囚わるることなく、国家競争の現実に即して国策を立つるにあらざれば、国家の将来を誤る」と指摘。「いたずらに聖戦の美名に隠れて、国民的犠牲を閑却し」てはいないかと追及しました。
 軍部の強い反発を怖れた帝国議会は斉藤を除名したのです。
GHQの神道指令と昭和天皇による「人間宣言」
 以上のように徳川幕府に代わる新政府の「国体」としての天皇制権威化の一環として記紀神話を引きつつ不十分な個所を創建して独自の非宗教・超宗教としての国家神道が成立していきます。本質的には内部統制を目的としながら対外戦争にも援用されたのです。
 敗戦後の占領下でこうした経緯からGHQによる神道指令で排されました。さらに昭和天皇によるいわゆる「人間宣言」が「天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ」と選民思想的な「八紘一宇」思想を全否定したのです。DSC00778.JPG

 非宗教・超宗教という特殊な出で立ちと神話から引用した故事を基に不十分さをカバーするさまざまな装置が創造されてきた経緯や対外戦争の精神的支柱になったいきさつなどの考察です。公平中立な立場で歴史的な事実関係も含めて理解することが大事でしょう。古代ヤマト政権は政治を神の子孫である天皇が司る祭祀によってオーソライズする祭政一致を唱えたのです。ために政治も祭祀も共通に「マツリゴト」と呼称。そのあたりまで戻そうという王政復古運動と対になっています。記紀(古事記・日本書紀)の記載によると(※注1)高天原にある天神で天皇の「皇祖」であるアマテラス以来の神でナカツクニ(=地上。日本)に降臨したニニギが「地祇」(ちぎ)と呼ばれる地上の神から国を譲られるくだりが書かれているのです。この「天神」「地祇」から「神祇」の称が生まれました。原始からの在来宗教である神道とそれを祀る神社は「天神」「地祇」以外も海外からの渡来神や人神(菅原道真の天神など)など多様に崇められてきたのです。と同時に厩戸王(聖徳太子)が7世紀初頭に篤く敬った外来宗教である仏教も時代とともに広く浸透します。仏教は世界宗教だけあって仏典などの聖典が充実していて神道はやがて習合していきます。軍神である八幡神(応神天皇)は仏教の「菩薩」という呼称と、稲荷(ウケモチノカミ)が空海(日本真言宗の祖)によって仏教のダキニ天と同一として東寺の鎮守神としたように。神が主で仏が従か、その逆(仏主神従)かという議論は神職も加わって平安から室町ごろまで盛んになされるも両者の習合自体はなかば了解事項のようになっていたのです。仏教の論脈を用いて発展してきた神道が独立した宗教となって国民の信奉を受けるのはなかなかに難しく新政府は改めて「宣教」(布教)を打ち出したのです。宣教は当初、討幕運動の有力な根拠となった平田篤胤の復古神道系が担ったもよう。平田は神道の弱点で、もっぱら仏教に委ねていた来世観の構築に挑みます。ただ不完全なままであったため平田派の布教は思わしく進まず、72年に置かれた教導職には僧侶も任用され、一枚上手の布教技術を発揮して神仏合併布教と変わったのです。神道の非宗教化。宗教の本質である来世観の具現たる葬儀を神官が行うのを禁じ祭祀のみを国家そのものと位置づける国家神道の誕生です。さまざまな神々が祀られる従来の神道を記紀神話などに基づく皇室神道に一致させ、その崇拝が日本の「国体」とみなしました。アマテラスを祀る伊勢神宮は江戸時代まで庶民を伊勢信仰に誘う人気スポットであったのを厳粛な「本宗」の地とされました。ただそれだけでは「国体」を形作るには不足しており政府は国家神道を権威化する多くの装置を設けていくのです。1890年に発布された教育勅語は学校教育の基本法規であると同時に新たに加えた教義でもあるのです。注目すべきは「是ノ如キハ独リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス、又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顕彰スルニ足タラン」の部分。天皇への忠義が厚い臣民だけでなく皆の祖先の残した美風を讃え知らしめるともなると諭します。このあたり古来より日本人の素朴な価値観であった「ご祖先さま」への崇拝を天皇信仰へ巧みに取り入れているとわかる個所です。「宣教」で忌避された強引かつ「上から目線」的押しつけから転換しています。既存の神社の祭神は必ずしも皇室神道と一致しないという弱点をカバーするために国家神道のための神社を新たに創っていくのです。鎌倉宮(祭神は護良親王)や平安神宮(同桓武天皇)、湊川神社(同楠木正成)など記紀神話以降の「皇宗」や「忠臣」を祀って補強しました。その代表が靖国神社です。ペリー来航以来の殉難者など日本の対外戦争における戦死者を靖国は日清・日露とうち続いた戦争での戦没者などを人神として祀る宗教施設。明治以降の天皇は陸海総司令官たる大元帥で統帥権(軍隊の指揮権)を1人有するので帝国陸海軍は「天皇の軍隊」に他なりません。戦没は天皇への忠義で、神である天皇の元で自らも神として祀られるという名誉が与えられ明治以来の「富国強兵」へ大きな役割を果たしました。神殿もまた天皇を守護する「八神」を祀る施設が皇居外にあったのを先の「天神地祇」と合祀して皇居に置かれました。現在もこの「賢所」「皇霊殿」「神殿」は「宮中三殿」と呼ばれて皇室祭祀の中心的役割を果たしているのです。靖国神社へ祭伸として祀られるのに違和感を持つキリスト教徒などは戦前からいて参拝拒否運動が起きています。拝礼・奉読を強制された教育勅語に対して1891年、第一高等中学嘱託教員でキリスト教徒の内村鑑三が拝礼を拒否して教壇を追われた「不敬事件」も同じ文脈です。これに対して政府は「非宗教である」を崩さず天皇への忠誠と神社参拝は同一で何の宗教を信じていても拝礼などを拒めないとの見解で応酬しました。国家神道は天皇制による国家支配を権威化する装置でした。これが昭和の戦争に入ると対外的な日本の優位性をも担保する観念として広がります。1937年から始まった日中戦争あたりから神道から連想される「聖戦」「八紘一宇」といった言葉が対外戦の使命のように用いられていったのです。「八紘一宇」は日本書紀の記載から援用して法華系宗教家の田中智学が創った言葉。田中の意図とは無関係に「日本は世界を1つの家のようにする」任があるという風に使用され、近衛文麿首相から公的な文書でも採用されています。かかる重大な使命を帯びた国の戦であるという流れで「聖戦」も広まったようです。斉藤は日中戦争が「八紘一宇精神をもって」「平和を確立するがために戦っている」「聖戦である」との「理想は高遠であ」るも「徒に理想に囚わるることなく、国家競争の現実に即して国策を立つるにあらざれば、国家の将来を誤る」と指摘。「いたずらに聖戦の美名に隠れて、国民的犠牲を閑却し」てはいないかと追及しました。徳川幕府に代わる新政府の「国体」としての天皇制権威化の一環として記紀神話を引きつつ不十分な個所を創建して独自の非宗教・超宗教としての国家神道が成立していきます。本質的には内部統制を目的としながら対外戦争にも援用されたのです。敗戦後の占領下でこうした経緯からGHQによる神道指令で排されました。さらに昭和天皇によるいわゆる「人間宣言」が「天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ」と選民思想的な「八紘一宇」思想を全否定したのです。過去の事実関係も踏まえて正しく理解することが求められるのでしょう。神話から始まっている歴史観をどう捉えるのでしょう。神道という宗教と政治が結びついているようなあり方を国民はどう捉えるのでしょうか。立ち止まってじっくり考える必要があるのではないでしょうか。DSC00777.JPG
“人口減少を諦めない秋田”にするためには[2026年01月22日(Thu)]
 デイリー新潮2025年8月11日付け「秋田県は「未曽有の人口減少」から抜け出せるか? いまだ影を落とす「コロナ禍」がもたらした“分断”とは」から、秋田県の人口減少の要因は何か
日本有数の深刻な人口減少に見舞われている秋田県。人口の減少に合わせて、経済も急激に縮小している。その深刻さは、秋田県内にある駅に降り立ってみればわかる。ほとんどの駅で商店街がシャッター街となっており、休日であるにも関わらず、人が歩いていない。そんな光景が県内の至るところで見られるようになった。
美味しい米の産地であり、自然が豊かで、学力テストの成績は日本トップレベルと、誇れる要素はたくさんあるのだが、人口減少に歯止めがかかる様子がない。移住者を受け入れようと県は模索を続けるが、そもそも秋田県と何の縁もなかった人に移住してもらうのは、あまりにハードルが高すぎるという意見もある。  
前回に引き続き、秋田県湯沢市出身で、秋田出身者が集う県出身者コミュニティ「秋田県人会あきたいざたん」を運営する代表の高橋純一氏に、秋田県を取り巻く諸問題の解決策について話を聞いた。高橋氏は、長引いたコロナ騒動が秋田県の人口減少に大きな影を落としたと指摘する。県外に住む秋田県出身者が、故郷に戻りにくくなったというのである。  
人口減少は秋田県だけではなく、地方の共通の問題といえる。人口をこれ以上、大幅に減少させないために、どのような一手を打つべきなのか。お盆の帰省シーズンを前に考えたいものである。
移住者を獲得するための新たなアプローチが必要
 県外出身者に対し、秋田県に移住してほしいという呼びかけがある。しかし、移住はハードルが高いのではないか。  
そう思います。そこで、私は既に秋田県を離れてしまった人を、もう一度県に呼び戻すあらゆる取り組みを積極的に進めるべきだと考えています。ただ、自分の知り合いでも秋田へ移住するきっかけは、家族の介護が必要になったり、家業をどうしても継がなければならなくなったなど、どちらかといえば消極的な理由で秋田へ戻られる方が多いです。  
秋田が好きだから、住みやすそうだから、などの理由で移住する方はほとんどいません。秋田を出て、都会暮らしの便利さを知ってしまった方が、急に思い立って秋田へ移住する理由は見当たりません。それでも、秋田を離れてしまった人を呼び戻すことを、諦めないことも大切だと考えています。  
秋田県出身者は日本各地にいますし、何かのきっかけがあれば、故郷に戻りたいと思う人が出てくる可能性があります。故郷愛があふれる方も多い。こうした方をもう一度県に呼び戻す取り組み、働きかけの方法などを見直し、秋田からの情報に接してもらう機会をどう増やしていくのかについても、考える必要があります。  
具体的にはどんな方法が考えられるか。  
例えば、東京には秋田県出身者が経営する飲食店が、100店舗以上点在していることが確認できています。私は、この7年ほどで都内にある秋田出身者の居酒屋や飲食店を70店舗ほど訪問しました。そこには、秋田料理の美味しさ、店主の人柄の虜になった秋田のファンが集うだけでなく、秋田県出身者もたくさん集まっています。また、両親や祖父母が秋田県出身で、毎年のように家族と一緒に帰省しているという方も集っています。  
このような飲食店とともに、秋田県のPRキャンペーンを張るのもひとつの方法です。
縁もゆかりもない人ではなく、県との縁やゆかりのある人にターゲットを絞り、コミュニケーションの機会を増やすなどして、もう一度、故郷に関心を持ってもらえるようにするのも、有効だと考えています。
移住者の就職先をどう確保するのか
 秋田県に限ったことではないが、東京で仕事をしていた人が故郷に戻ると就職先が少ないうえ、収入が大きく減ってしまうという問題も指摘されている。  
おっしゃる通りで、東京など、都市圏でバリバリ仕事をやってきた人が秋田県に戻ることはかなりハードルが高いです。戻っても職業の選択肢が非常に限られ、安定した収入源となれば銀行員や公務員くらいしかイメージが浮かびません。もしくは、ゼロから起業して、借金をしてまで頑張らないといけないのでは、というイメージを持っている方も多いです。  
まずは、県外在住者に、秋田への就職や転職を前向きにとらえてもらう必要があります。単に誘致企業を増やし、雇用を増やせば秋田へ人が戻ってくるとは思いません。東京で何年も、あるいは何十年も多くの人との競争の中で仕事をしてもまれてきた方はかなりの経験や知見、専門性を身につけています。  
そういった方は、さらなるキャリアアップや成長を感じたいと思っている人も多いですし、経験や能力を否定されることなく、自由にチャレンジできる職場を探しています。そういった方々を受け入れるために、秋田県内の企業風土やイメージも刷新する必要もあります。県外からの移住者を雇用し定着させた企業に補助金をつけるという従来の政策だけでは、無理があるということもお伝えしたいです。  
また、首都圏をはじめ全国に在住する秋田県出身者と県内在住者、県内企業が気軽に交流し、コミュニケーションがとれる機会も増やしていくことも大切です。秋田県人は恥ずかしがりやですが、飲み会が大好きですし、すぐ打ち解けられる県民性を持っていると感じますからね。  
私が主宰する「秋田県人会大交流会」のイベントの参加者は、独身者も多いです。ご縁次第ですが、夫婦やカップルとなることで一緒に秋田へ帰省する機会が増え、子どもを連れて移住する可能性もあります。県出身者同士のカップルであれば、移住のハードルはグッと下がりますから、出会いを促すことも有効な方法だと思います。
コロナ騒動が大きな影を落としている
 しかし、「秋田県に戻りたくない」という人もいる。  
私は決して、佐竹知事を何もかも批判するわけではないのですが、ただ、コロナ禍の際に秋田県に戻ってこないように強く呼び掛けたのは、かなりまずかったと思います。県外の感染の多い場所からの帰省や往来が一番危ないとして、県外に住む私たちに、帰省の自粛を呼びかけました。あれは、かなりショックを受けました。  
帰るのはダメなんだと、まるで故郷から拒絶されたような気持ちになり、いまだに帰りづらいと言って、コロナ禍が始まってから一度も帰省していない人もいます。年に4回帰っていた人が、1回しか帰っていないなんてケースはザラです。コロナ禍で県内在住者と県外在住者の分断が生じたことも、急激な秋田県衰退の原因と考えています。  
そして、惨禍は終わりを告げたにも関わらず、未だに悲しみを感じている方、助けを求めている方がいます。このことに対して、行政としての目配りは果たして足りているのでしょうか。コロナ禍後の行政対応の在り方のまずさも、衰退をさらに加速させたのではないかと懸念しています。  
県内在住者、県外在住者の関係修復を進めない限り、今頃になっていくら秋田県が「戻って来てほしい」と言おうが、戻りたい気持ちにはならないでしょう。実際、私の周りでは今でも故郷秋田とどう向き合ったらよいか悩んでいる人もいます。県外在住者の心のケアを、しっかり県としてもサポートしなければいけないと思います。  
それでも、秋田県出身者は故郷への愛は強いように感じる。  
現在、秋田県出身者が集まる団体は、東京だけでも100ほどあります。昭和30年代後半がピークだった集団就職をきっかけに急増したと聞 いていますが、現在は70〜80歳代がメンバーの主体となり高齢化が進んでいます。後継者不足でほぼ継続できない団体も続出し、団体そのものも消滅する可能性があります。  
私は、現役世代を中心に上下関係もなく、思ったことを素直に語り合える新しいコミュニティを作ろうと思い、一昨年「秋田県人会あきたいざたん」を立ち上げました。故郷を離れて様々な事情で帰ることができなくても、秋田県出身者と話したい、郷土料理を食べたい、故郷と少しでも関わりを持ちたいという20〜40代の働き盛りの人たちが集まっています。  
参加者のみなさんとお話ししていると、故郷への愛情をひしひしと感じます。そのような熱い想いがある方がたくさんいることを、県内や県の関係者のみなさんにもっと伝えたいと思っています。これからも、“人口減少を諦めない秋田”を目指し、全国の秋田県にゆかりのあるみなさんとともに、活動を続けていきたいと思っています。  
第1回【「人口減少率」が全国ワーストの「秋田県」…県出身者コミュニティの代表は「出身中学の新入生は3人だけで、もはや壊滅に近い状態」と危機感をあらわに】では、秋田県の出身者コミュニティ代表の高橋純一氏が、なぜ秋田県は人口減が続くのか、また、それに対してどのような策を講じていくべきかについて語っている。DSC00780.JPG

 日本有数の深刻な人口減少に見舞われている秋田県。人口の減少に合わせて、経済も急激に縮小している。その深刻さは、秋田県内にある駅に降り立ってみればわかる。ほとんどの駅で商店街がシャッター街となっており、休日であるにも関わらず、人が歩いていない。そんな光景が県内の至るところで見られるようになった。確かに実感ですね。人口減少は秋田県だけではなく、地方の共通の問題といえる。人口をこれ以上、大幅に減少させないために、どのような一手を打つべきなのか。人口減少対策はなかなか容易ではないでしょう。私は既に秋田県を離れてしまった人を、もう一度県に呼び戻すあらゆる取り組みを積極的に進めるべきだと考えています。ただ、自分の知り合いでも秋田へ移住するきっかけは、家族の介護が必要になったり、家業をどうしても継がなければならなくなったなど、どちらかといえば消極的な理由で秋田へ戻られる方が多いです。秋田が好きだから、住みやすそうだから、などの理由で移住する方はほとんどいません。秋田を出て、都会暮らしの便利さを知ってしまった方が、急に思い立って秋田へ移住する理由は見当たりません。それでも、秋田を離れてしまった人を呼び戻すことを、諦めないことも大切だと考えています。秋田県出身者は日本各地にいますし、何かのきっかけがあれば、故郷に戻りたいと思う人が出てくる可能性があります。故郷愛があふれる方も多い。こうした方をもう一度県に呼び戻す取り組み、働きかけの方法などを見直し、秋田からの情報に接してもらう機会をどう増やしていくのかについても、考える必要があります。縁もゆかりもない人ではなく、県との縁やゆかりのある人にターゲットを絞り、コミュニケーションの機会を増やすなどして、もう一度、故郷に関心を持ってもらえるようにするのも、有効だと考えています。秋田に限ることではありませんが、縁のある人を呼び戻そうとすることが肝心でしょう。東京で仕事をしていた人が故郷に戻ると就職先が少ないうえ、収入が大きく減ってしまうという問題も指摘されている。おっしゃる通りで、東京など、都市圏でバリバリ仕事をやってきた人が秋田県に戻ることはかなりハードルが高いです。戻っても職業の選択肢が非常に限られ、安定した収入源となれば銀行員や公務員くらいしかイメージが浮かびません。もしくは、ゼロから起業して、借金をしてまで頑張らないといけないのでは、というイメージを持っている方も多いです。まずは、県外在住者に、秋田への就職や転職を前向きにとらえてもらう必要があります。単に誘致企業を増やし、雇用を増やせば秋田へ人が戻ってくるとは思いません。東京で何年も、あるいは何十年も多くの人との競争の中で仕事をしてもまれてきた方はかなりの経験や知見、専門性を身につけています。 そういった方は、さらなるキャリアアップや成長を感じたいと思っている人も多いですし、経験や能力を否定されることなく、自由にチャレンジできる職場を探しています。そういった方々を受け入れるために、秋田県内の企業風土やイメージも刷新する必要もあります。県外からの移住者を雇用し定着させた企業に補助金をつけるという従来の政策だけでは、無理があるということもお伝えしたいです。確かに職は重要です。秋田県には期待するような働き場があるとは言えないでしょう。起業は条件が整わなければできないでしょう。それでも第1次産業の農業、林業、漁業などの分野を含めて可能性は十分にあるのではないでしょうか。県内在住者、県外在住者の関係修復を進めない限り、今頃になっていくら秋田県が「戻って来てほしい」と言おうが、戻りたい気持ちにはならないでしょう。実際、私の周りでは今でも故郷秋田とどう向き合ったらよいか悩んでいる人もいます。県外在住者の心のケアを、しっかり県としてもサポートしなければいけないと思います。政治家だけの問題ではありませんが、他人事を自分事として考えることができるリーダーでなければ外から人を呼び込むことは容易ではないでしょう。DSC00779.JPG
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