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外国人も日本人と同じ地域住民 多文化共生めざし基本法や新組織を国へ提言[2025年12月21日(Sun)]
 産経新聞2025年7月26日付け「「外国人も日本人と同じ地域住民」全国知事会、多文化共生めざし基本法や新組織を国へ提言 「移民」と日本人」から、全国知事会は23、24両日に青森市で開いた全国知事会議の中で、外国人政策について基本法の制定や司令塔組織の設置などを国に求める「外国人の受け入れと多文化共生社会実現に向けた提言」をまとめた。知事会は24日に出した会議全体の声明「青森宣言」でも「排他主義、排外主義を否定し、多文化共生社会を目指す」と宣言した。
提言は「国は外国人を『労働者』とみているが、自治体からみれば日本人と同じ『生活者』であり『地域住民』だ」と指摘。
日系ブラジル人ら日系人の単純労働を認めた平成元年の入管難民法改正から30年以上たち、外国人が定住する自治体では、外国人の高齢化に伴い介護や年金などの問題や、日本で生まれ育った2世、3世の教育が課題となっているという。
提言は「今後は全国的な大きな課題となることが明白」とし、「国が責任を持って取り組むよう強く要請する」としている。
具体的には、現状は日本語教育や生活支援の対応は自治体任せだとし、自治体の多文化共生施策への財政支援や、受け入れ環境整備に向けた基本法の制定、出入国在留管理庁とは別に司令塔となる新組織が必要だと提言した。
一方で、地方の労働力不足が深刻だとして、外国人材の必要性を強調。2年後の令和9年度に始まる受け入れ制度「育成就労」では職場を移ることも可能となるため、都市部に集中しないような運用を求めた。
知事会はこれまでも「外国人の就労・多文化共生社会づくり」について繰り返し国へ提言してきた。昨年11月には、知事会の農林商工常任委に「外国人の受入と多文化共生社会実現プロジェクトチーム」(リーダー・鈴木康友静岡県知事)を設置。知事会によると、今回の提言も鈴木氏がまとめ役を務めた。DSC00844.JPG

 短期的視点で選挙で議員を増やすために排他主義、排外主義を叫ぶのではなく、中長期的に日本の国のあり方を考え外国人の受け入れと多文化共生社会実現に向けた提言することは大事でしょう。「国は外国人を『労働者』とみているが、自治体からみれば日本人と同じ『生活者』であり『地域住民』だ」この考えが根底になければ移民を受けれることはできないでしょう。ヨーロッパで吹き荒れている移民排除を日本の一部の政党も模倣しているのでしょうか。「今後は全国的な大きな課題となることが明白」とし、「国が責任を持って取り組むよう強く要請する」としている。具体的には、現状は日本語教育や生活支援の対応は自治体任せだとし、自治体の多文化共生施策への財政支援や、受け入れ環境整備に向けた基本法の制定、出入国在留管理庁とは別に司令塔となる新組織が必要だと提言した。移民に対する日本語教育は国が責任を持って行うべきでしょう。移民政策と言う言葉自体否定している政権はこれからの日本のことを真剣に考えていると言えるのでしょうか。小手先の政策で海外からの安価な労働者を受け入れるという政策は通用しないでしょう。人口減少、労働力不足は首都圏、大都市圏だけでなく地方の小さな農山村でも影響を受けています。政治は正しい判断でこれからの日本のことを考えた政策を推進していかなければ厳しい状況に陥ってしまう可能性が出てくるのではないでしょうか。国民も政治任せるのではなく一緒にう考え必要なときには大きな声を上げなければならないでしょう。DSC00843.JPG
ひきこもり歴30年を経て気づく老いる社会[2025年12月20日(Sat)]
 Yahooニュース特集2025年7月25日付け「両親の死に直面して抱いた恐怖――ひきこもり歴30年を経て得た気づき #老いる社会」から、15〜64歳の50人に1人、推計146万人が「ひきこもり」。そんなショッキングな数字が内閣府の調査で明らかになったのは2023年のことだった。いずれ高齢化した親が中高年の子どもを支えきれなくなる「8050問題」に直面すると言われ続けてきたが、いまやそれは現実のものとなり、「9060問題」となって、親が亡くなる段階に移行しつつある。高校中退後、30年以上にわたってひきこもり生活を続けてきた勝山実さん(53)も相次いで両親を亡くした一人だ。勝山さんは両親亡き後、どのように過ごしているのだろうか。
やればできる子という呪縛
勝山さんのひきこもり歴は長く、その始まりは高校生時代にさかのぼる。どうしてもやる気が起きず、「なんのために勉強をするのか」という違和感を覚えるようになる。
その違和感は次第に膨らみ、不登校につながる。そして、高3の2月、勝山さんは中退を決意する。「留年」と「中退」を天秤にかけ、「留年は格好悪い」と考えたためだった。そして「大検(現在の高卒認定試験)」というバイパスを選択し、浪人して大学に入ることを目指す。
「今は落ちこぼれているけど、本気を出せば、大学に行ける。当時は浪人生は珍しくなかったから、まだ挽回できる、一浪でいい大学に行けば全てチャラになる、と空想していた。
だから、志望校のランクを落とすこともしなかった。結果、3浪です」
そんな当時を「やればできる子という呪縛に囚われていた」と振り返る。
「常に不正解を選び続けた」(勝山さん)結果、勝山さんは社会に出る機会を失う。ただ、3浪してブラブラしていても、周囲に同じような知り合いがいる間はよかった。しかし、25歳を超える頃から、自分と同じだと思っていた彼らは、次第に社会に適応していった。そこで、メンタルがおかしくなってくる。
「もう自分でもどうしたらいいかわからない。家の周りを泣きながらマラソンしていました」
26歳の時、精神科を訪ねると、すぐにうつ病だと診断された。
社会問題の当事者であり続けた
第二次ベビーブーム(1971〜1974年)に生まれた「団塊ジュニア」である勝山さんの人生は、日本のひきこもり問題と伴走してきたと言えるかもしれない。管理教育と過酷な受験戦争を経験した後、バブル崩壊後の就職氷河期にもかかったこの世代は「不運の世代」とも言われている。
「1990年代、一般的な感覚だと25歳というのがボーダーラインでした。その年齢までに正社員にならないと、真っ当な人生から脱落してしまう。しかし、2000年ごろから精神科医の斎藤環氏の著書などで『社会的ひきこもり』という言葉が世に出てきた。さらに30歳を過ぎたあたりで突如『ニート』という言葉が出てきて、若者の定義が34歳になり、それに合わせるかのように、ひきこもり地域支援センターなどの対象年齢も39歳まで引き上げられた。『もうおしまいだ』と何度思っても、自分がラインを越えるたびに延長されるわけです」
そして40歳になった頃、今度こそ社会問題の当事者ではなくなったと思っていたところに現れたのがひきこもりの高齢化問題、通称「8050問題」だった。ただ、「親が死んだらどうする?」というのは、それ以前からずっと言われていたことだという。
しかし、生活保護や障害者年金など社会保障についての知識を得ていくとともに、その恐怖感は薄れていった。
「60歳の親が平均寿命まで生きたとしても80歳で、あと20年あるわけです。だから、それは20年後の悩みであって、今考えることではない。今悩んで解決方法を見つけたとしても、20年後に通用する保証はない。つまり、今、あれこれ考えることは無駄で、親が死んだらどうするかってことは考えるべきじゃない、腰を据えて安心してひきこもることが大事だということをあっちこっちで言っていた」
ただ、さらに歳を重ねた時、これまでのように8050問題がスライドして9060問題になることはなかった。2020年代に入り両親が相次いで亡くなったからだ。
父の死期が近づいて
母が亡くなり、さらに父の死期が近づいていた頃、勝山さんは恐怖におののいていた。
その様子が、その頃の日記に残っている。
「ダディーの体調がすぐれない。死んじゃうかもと思うと、あわわわわとなり、手がぷるぷる震える」 「心が焦る、あーあーあーと叫びたくなる。でも叫んだら人としておしまいだ。しっかりしろ。でもひょっとしたら、もうすでに叫んでいて、ただそのことに気づいていないだけかもしれない」
ただ、この恐怖の原因は経済面での不安ではなかった。
「死んだ後の煩わしい手続きが待っていることが怖かった。役所の手続き、名義変更、自治会とのかかわり。葬式も大変だ。会いたくない親戚に会って『何してるの』『いや特に何も』なんてやりとりをしなければいけない、と思うと……」
結果的には、勝山さんの父は余命6カ月と言われた後、「ほぼ完璧」(勝山さん)なエンディングノートを作っていたため、亡くなった後の手続きは大きな混乱なく、無事に進めることができた。
「父が余命あとわずかと分かって行動したように、結局、『親が死んだ後、どうする?』なんてことを言っている間は、実は、真剣にそのことを考えているわけではないんです。にもかかわらず、8050問題をことさら叫ぶのは、ただ単に不安感や恐怖心をあおることで、ひきこもりを働かせようとしているから。そこにはあるのは『働けるか、働けないか』で人間を判断する価値観です」
生産性がないと価値がないのか
具体的な進路がまだ決まっていないなら、高校、大学に行って選択肢の幅を広げたほうがいい――。 進路に悩んだ中学生や高校生の頃、こんなことを言われた経験がある人も多いのではないだろうか。
勝山さんもかつてはこうした仕組みに適応しないといけないと考えていた。それは国や企業、世間などが築き上げた「社会の規範」や「価値観」を内面化させていたためだという。
しかし今は、「生産性がないと価値がない」と言わんばかりの社会の価値観のほうがおかしいと考えられるようになったという。「ひきこもりの多くが『自分が悪い』と思わされている」と勝山さんは言う。
「最近は最終的に社会的自立を目指すことを前提とした上で『いまは行政がつくる居場所にいてもいい、休んでてもいい』みたいな言葉が発せられるようになってきました。社会的自立を目指すということは、つまり『休んでもいい』とひきこもりでいることを認めるように見せつつ、『社会はおかしくない、おかしいのはあなたたちなんですよ、それが絶対的な価値観ですよ』という意識を社会が持ち続けていることにほかならないと私は思います。
つまり、かつての自分がそうだったように、社会に適応できないことに対して焦りや罪悪感を抱きながら生きてほしい、謙虚な当事者であってほしいわけです」
「ひきこもりの人々は、働く能力があることが優れているという価値観が大手を振って歩いている社会に対して、『人間ストライキ』を続けている活動家だと私は考えています。私たちにできるのは、押し付けられる社会的自立に『NO』を突きつけて、“協力”しないこと。“非協力のススメ”ですね。その上で『NO』を突きつけた人たち同士で集まり、交流していくことが大事だと思っています」
ひきこもり当事者の交流会へ
そんな話をしていた翌日の夜。勝山さんは、横浜市南区の住宅街にある、こぢんまりとした「お店のようなもの」という場所の調理場に立っていた。場所を借り切って行われていた、ひきこもり当事者の交流会だった。
勝山さんは、「きびきび」や「てきぱき」といった言葉とはほど遠い動きで、「こころをこめて、ひとつずつ作りますので、ゆっくりお待ちください」と楽しそうにお手製の雑煮を振る舞ったり、日本酒を注いだりしていた。20人近い参加者たちは、狭い店内で肩を寄せ合いながら座っていた。おしゃべりする人と黙って聞いている人、酒を飲む人と飲まない人、つまみを食べる人と食べない人――。
それぞれが思い思いに時を過ごす小さな空間では、社会的自立を目指すべきだと語る人はいなかった。DSC00846.JPG

 15〜64歳の50人に1人、推計146万人が「ひきこもり」。そんなショッキングな数字が内閣府の調査で明らかになったのは2023年のことだった。いずれ高齢化した親が中高年の子どもを支えきれなくなる「8050問題」に直面すると言われ続けてきたが、いまやそれは現実のものとなり、「9060問題」となって、親が亡くなる段階に移行しつつある。大きな社会問題ですね。第二次ベビーブーム(1971〜1974年)に生まれた「団塊ジュニア」である勝山さんの人生は、日本のひきこもり問題と伴走してきたと言えるかもしれない。管理教育と過酷な受験戦争を経験した後、バブル崩壊後の就職氷河期にもかかったこの世代は「不運の世代」とも言われている。「1990年代、一般的な感覚だと25歳というのがボーダーラインでした。その年齢までに正社員にならないと、真っ当な人生から脱落してしまう。しかし、2000年ごろから精神科医の斎藤環氏の著書などで『社会的ひきこもり』という言葉が世に出てきた。さらに30歳を過ぎたあたりで突如『ニート』という言葉が出てきて、若者の定義が34歳になり、それに合わせるかのように、ひきこもり地域支援センターなどの対象年齢も39歳まで引き上げられた。『もうおしまいだ』と何度思っても、自分がラインを越えるたびに延長されるわけです」そして40歳になった頃、今度こそ社会問題の当事者ではなくなったと思っていたところに現れたのがひきこもりの高齢化問題、通称「8050問題」だった。ただ、「親が死んだらどうする?」というのは、それ以前からずっと言われていたことだという。どんどんひきこもりが延長されていくわけですね。さらに歳を重ねた時、これまでのように8050問題がスライドして9060問題になることはなかった。2020年代に入り両親が相次いで亡くなったからだ。かつての自分がそうだったように、社会に適応できないことに対して焦りや罪悪感を抱きながら生きてほしい、謙虚な当事者であってほしいわけです」「ひきこもりの人々は、働く能力があることが優れているという価値観が大手を振って歩いている社会に対して、『人間ストライキ』を続けている活動家だと私は考えています。私たちにできるのは、押し付けられる社会的自立に『NO』を突きつけて、“協力”しないこと。“非協力のススメ”ですね。その上で『NO』を突きつけた人たち同士で集まり、交流していくことが大事だと思っています」同じ境遇の人たちが集まって交流することは大事ですね。「きびきび」や「てきぱき」といった言葉とはほど遠い動きで、「こころをこめて、ひとつずつ作りますので、ゆっくりお待ちください」と楽しそうにお手製の雑煮を振る舞ったり、日本酒を注いだりしていた。20人近い参加者たちは、狭い店内で肩を寄せ合いながら座っていた。おしゃべりする人と黙って聞いている人、酒を飲む人と飲まない人、つまみを食べる人と食べない人。それぞれが思い思いに時を過ごす小さな空間では、社会的自立を目指すべきだと語る人はいなかった。日本で実現するかわかりませんが、一人ひとりが尊重されそれぞれの生き方ができる社会が望ましいのですね。DSC00845.JPG
「貧困の高齢化」を救うセーフティーネットがなければ[2025年12月19日(Fri)]
 Wedge2025年7月25日付け「生活保護制度に迫る危機 貧困高齢者を救うのは誰か?日本で本当に起きている対立構造とは」から、生活保護の申請件数は2024年度に約26万件となり、この12年間で最多となった。25年3月時点で生活保護を受給している世帯は165万世帯に上るが、その半数以上を占める91万世帯が高齢者世帯(うち高齢単身世帯は85万世帯)である。
生活に苦しむ高齢者を生活保護という仕組みが支えている状況を、疑問視する人はあまりいないかもしれない。確かに、生活保護法第1条を読むと、生活保護は憲法第25条に基づき、「国が生活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障する」ことを目指している。高齢者は、現役層より生活に困るリスクが高いため、生活保護で支援するケースが多くなるのは当然だとも思える。  
ところが、この条文はそれに続けて「その自立を助長することを目的とする」とも謳っている。「助長」という言葉は、ここではおおよそ支援といった意味である。つまり、生活保護は本来、何らかの理由で最低限度の生活を維持できなくなった際に一時的な支援によって、できるだけ早期に元の生活に戻ることを促すトランポリン≠フような制度である。  だが、そもそも高齢層は現役層と比較して自立が困難なことも多い。にもかかわらず、高齢層が主要な対象となっている昨今の状況は、制度として無理なところがないか。  
実際、他の先進国では、高齢層の所得保障は高齢層向けの別の制度で行い、生活保護の対象からは外すケースもある。生活保護は、(基本的には自立可能な)現役層を支援の対象と暗黙裡に想定している。  
上図が示すように、日本の高齢者を対象とする社会保障(セーフティーネット)は社会保険制度と社会扶助制度によって構成されている。だが、上層のネットからこぼれ落ちてしまった高齢者世帯が10年代に入って以降、大幅に上昇し、生活保護は制度本来の姿から乖離した高齢層の所得保障のための仕組みという色彩を強めてしまった。  
この点はこれまで大きな問題として意識されてこなかった。それは生活保護の受給者数そのものが、総人口から見ればかなり限定的だったからである。
ところが、ここに来て状況は大きく変化しつつある。まず、新型コロナウイルスの感染拡大以降、生活保護の受給者数が足元で増加傾向を見せている。それ以上に重要なことは、低年金・無年金に陥る可能性の高い「就職氷河期世代」が高齢者入りする時期が迫っていることだ。  
就職氷河期世代は1970年から84年頃に生まれ、厳しい就職活動期を経験し、現在では40歳代初めから50歳代半ばになっている。総数では1700万人を超えるといわれ、非正規や失業など不安定な雇用・所得環境に置かれた人たちが少なくない。あと10年ほどすると、この世代も年金を受給し始めるが、年金保険料の拠出実績が十分でなく、したがって年金の受け取りも少なく、老後に生活保護に頼るケースが増加することが予測される。
これからの高齢化は、人口構成が高齢層に偏るだけでなく、高齢層内における貧困リスクの高まりを伴いながら進行する。こうした状況は、「貧困の高齢化」と呼んでいいだろう。
所得補償としての公的年金追い付かない高齢化対応
 貧困の高齢化への対応は、今回の年金制度改革でも大きな論点となっているといえる。
これまでは、高齢層内における貧困化は公的年金ではなく生活保護で対応すべきだというのが政府内における暗黙の合意であったように思う。しかし、従来型の対応では十分でないという懸念がここに来て一気に強まった。その最大の理由が、就職氷河期世代の年金受給世代入りが迫り、貧困の高齢化が、かなりのボリューム感を伴う社会的なリスクとして政府内で意識されるようになったことである。  
これまでも低年金・無年金者の増大による生活保護への圧力を軽減するために、基礎年金の拡充策が議論されたことは何度もあった。だが、「消費税率の引き上げが必要だ」といった財源論が、議論にブレーキを掛けてきた。  
生活保護はあくまでも限られた人たちへの支援を想定している。そのため財源は全額公費(税金)であり、その総額も毎年、厚生労働省と財務省の折衝で決定される。財政基盤ははじめから脆弱である。  
これに対して年金には特別会計があり、250兆円に上る積立金を抱える。政策的に余裕のあるのは明らかに年金であり、その年金が貧困の高齢化に正面から立ち向かうのは自然な姿である。  
そのためには現行の年金制度の大きな見直しが必要となる。現行制度には、「マクロ経済スライド」という仕組みが組み込まれている。これは、現役層の負担増を抑制するために、現役層の保険料率の上限を設定したうえで、入ってくる保険料収入の動きに合わせて、高齢層の年金給付水準を自動的に調整していく仕組みである。  
高齢層の年金給付を現役層の経済的な「体力」に見合って調整するため、公的年金は財政面で安定し、現役層の負担増も回避できる。しかし、少子高齢化の下では、社会の支え手である現役層が先細るので、この仕組みは、高齢層の年金給付を引き下げる方向に働いてしまう。持続可能性の維持は、給付水準の維持を犠牲にしてこそ可能となる。  
日本の公的年金は、国民全員が受け取る「基礎年金」と、会社員などが給与水準に応じて受け取る「厚生年金」の2階建て構造になっている。非正規として働く期間が長かった就職氷河期世代の人たちは、このうち2階が薄く、1階の基礎年金への依存度が高くなる。ところが、その基礎年金は長く続いたデフレによって財政状況が悪化している。5年に一度実施される年金の財政検証では、このままマクロ経済スライドを適用し続けると、基礎年金の給付水準は約30年後の57年に実質的に3割減るとの見通しが示された。
そこで、働く女性や高齢者の増加で財政状況が良くなっている厚生年金の積立金の一部を活用して基礎年金を「底上げ」する案が浮上した。そして、この底上げを重要な柱とする年金制度改革関連法案が6月に成立した。ただ、底上げを実際に行うかどうかは、29年に予定されている次回の財政検証の時点で判断するとされた。また、厚生年金の積立金を活用するとしても、基礎年金の2分の1は国庫負担(税)で賄われるが、1〜2兆円に上るとされるその財源をどう確保するかは全く議論されていない。  
要するに、貧困の高齢化は政策課題として意識されるようになったものの、対応策は将来の政策課題としてほぼ完全に先送り≠ウれたのである。
「今の世代」VS「将来世代」日本で起きている対立構造
 筆者は、貧困の高齢化という問題に真正面から取り組むためには、(今回の年金制度改革では見送られたが)国民年金保険料の拠出期間の40年から45年への引き上げや、(他の先進国より低く設定されている)年金の支給開始年齢の引き上げによって、年金給付水準を担保するといった、かなり大鉈を振るう改革が必要だと考えている。しかし、選挙を見据えて政治家は誰も言い出さない。今回の改革でも、底上げの実施やその財源確保をめぐる議論は先送りされている。  
おそらく最も蓋然性の高いシナリオは、低年金・無年金の高齢者が生活保護の受給者となる傾向が一段と強まり、その財源を確保する必要が高まるものの、消費税の引き上げは政治的に不可能であり、したがって赤字国債の発行で負担を将来世代に先送りする─というものであろう。  
「シルバー民主主義」という言葉がある。少子高齢化が進むと、頭数の多い高齢層の利益が優先され、現役層が不利益を被るという、年齢階層間の対立の構図である。しかし、私たちが行うとしている政治的な意思決定では、高齢層と現役層の間に明確な対立は生じていない。誰も負担増に直面することを忌避し、それが政治的な意思決定に反映されているからだ。その意味で、高齢層と現役層はむしろ協調している。  
日本で本当に起きているのは、「今の世代」VS「将来世代」という対立構造なのである。  
人口が順調に増加し続けている状況であれば、負担を先送りしても社会を支える人が増えていくので、問題は顕在化せず吸収されていく。  
しかし、24年の出生数は過去最低の68万人にまで減少した。社会を支える人はむしろ減っていく。今の世代と将来世代の利害対立は尖鋭化するが、投票権のない将来世代は一方的に損失を被る。  
貧困の高齢化は、私たちが近いうちに直面する深刻なリスクである。リスクを吸収するためには、何らかのコストがかかる。そのコストを私たち今の世代で対処するのか、それとも将来世代に先送りするのか。将来世代は、まだ現前に姿を現していない。私たちが下す意思決定を将来世代がどのように受け止めるか、思いを巡らせ、現実的な解を見出す必要がある。
生活保護の実態に迫った現場レポートは〈揺らぐ生活保護制度〉押し寄せる「貧困の高齢化」の波に最後のセーフティーネットは耐えられるのか?でお読みいただけます。DSC00848.JPG

 25年3月時点で生活保護を受給している世帯は165万世帯に上るが、その半数以上を占める91万世帯が高齢者世帯(うち高齢単身世帯は85万世帯)である。生活に苦しむ高齢者を生活保護という仕組みが支えている状況を、疑問視する人はあまりいないかもしれない。確かに、生活保護法第1条を読むと、生活保護は憲法第25条に基づき、「国が生活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障する」ことを目指している。高齢者は、現役層より生活に困るリスクが高いため、生活保護で支援するケースが多くなるのは当然だとも思える。苦しんでいる人たちを救うセーフティーネットがしっかりしている社会にするべきでしょう。日本の高齢者を対象とする社会保障(セーフティーネット)は社会保険制度と社会扶助制度によって構成されている。だが、上層のネットからこぼれ落ちてしまった高齢者世帯が10年代に入って以降、大幅に上昇し、生活保護は制度本来の姿から乖離した高齢層の所得保障のための仕組みという色彩を強めてしまった。この点はこれまで大きな問題として意識されてこなかった。それは生活保護の受給者数そのものが、総人口から見ればかなり限定的だったからである。ところが、ここに来て状況は大きく変化しつつある。まず、新型コロナウイルスの感染拡大以降、生活保護の受給者数が足元で増加傾向を見せている。それ以上に重要なことは、低年金・無年金に陥る可能性の高い「就職氷河期世代」が高齢者入りする時期が迫っていることだ。就職氷河期世代は1970年から84年頃に生まれ、厳しい就職活動期を経験し、現在では40歳代初めから50歳代半ばになっている。総数では1700万人を超えるといわれ、非正規や失業など不安定な雇用・所得環境に置かれた人たちが少なくない。あと10年ほどすると、この世代も年金を受給し始めるが、年金保険料の拠出実績が十分でなく、したがって年金の受け取りも少なく、老後に生活保護に頼るケースが増加することが予測される。これからの高齢化は、人口構成が高齢層に偏るだけでなく、高齢層内における貧困リスクの高まりを伴いながら進行する。こうした状況は、「貧困の高齢化」と呼んでいいだろう。格差を放置してしまって進んでいくと貧困化が進行するのでしょう。就職氷河期世代の年金受給世代入りが迫り、貧困の高齢化が、かなりのボリューム感を伴う社会的なリスクとして政府内で意識されるようになったことである。これまでも低年金・無年金者の増大による生活保護への圧力を軽減するために、基礎年金の拡充策が議論されたことは何度もあった。だが、「消費税率の引き上げが必要だ」といった財源論が、議論にブレーキを掛けてきた。生活保護はあくまでも限られた人たちへの支援を想定している。そのため財源は全額公費(税金)であり、その総額も毎年、厚生労働省と財務省の折衝で決定される。財政基盤ははじめから脆弱である。貧困陥る人たちを救済するセーフティーネットが維持されるのでしょうか。国会議員はもちろんですが、国民一人ひとりも真剣に議論すべきでしょう。少子高齢化の下では、社会の支え手である現役層が先細るので、この仕組みは、高齢層の年金給付を引き下げる方向に働いてしまう。持続可能性の維持は、給付水準の維持を犠牲にしてこそ可能となる。日本の公的年金は、国民全員が受け取る「基礎年金」と、会社員などが給与水準に応じて受け取る「厚生年金」の2階建て構造になっている。非正規として働く期間が長かった就職氷河期世代の人たちは、このうち2階が薄く、1階の基礎年金への依存度が高くなる。ところが、その基礎年金は長く続いたデフレによって財政状況が悪化している。5年に一度実施される年金の財政検証では、このままマクロ経済スライドを適用し続けると、基礎年金の給付水準は約30年後の57年に実質的に3割減るとの見通しが示された。年金制度のあり方は国会議員だけが議論しても解決できないでしょう。負担が増えるのを覚悟して国民的議論にして国民が納得できるような制度設計を考えるべきでしょう。貧困の高齢化という問題に真正面から取り組むためには、(今回の年金制度改革では見送られたが)国民年金保険料の拠出期間の40年から45年への引き上げや、(他の先進国より低く設定されている)年金の支給開始年齢の引き上げによって、年金給付水準を担保するといった、かなり大鉈を振るう改革が必要だと考えている。しかし、選挙を見据えて政治家は誰も言い出さない。今回の改革でも、底上げの実施やその財源確保をめぐる議論は先送りされている。おそらく最も蓋然性の高いシナリオは、低年金・無年金の高齢者が生活保護の受給者となる傾向が一段と強まり、その財源を確保する必要が高まるものの、消費税の引き上げは政治的に不可能であり、したがって赤字国債の発行で負担を将来世代に先送りする─というものであろう。先延ばしするだけでは解決できないので真剣に議論して結論を導き出すようにすべきでしょう。貧困の高齢化は、私たちが近いうちに直面する深刻なリスクである。リスクを吸収するためには、何らかのコストがかかる。そのコストを私たち今の世代で対処するのか、それとも将来世代に先送りするのか。将来世代は、まだ現前に姿を現していない。私たちが下す意思決定を将来世代がどのように受け止めるか、思いを巡らせ、現実的な解を見出す必要がある。DSC00847.JPG
空地管理を推進するには[2025年12月18日(Thu)]
 suumoジャーナル2025年7月22日付け「斜面の空き地を農園に。空き地管理の救世主「さかのうえん」とは? 長崎県長崎市」から、長崎県長崎市は「坂の街」と言われる。山の斜面にびっしり民家が建ち、家々の間には迷路のように細い道や階段が続く。急な階段を上り下りしてやっとたどり着ける坂の上の方にも多くの人たちが暮らしているが、最近は高齢化により、不便な場所から、下の方、いわゆる「まちなか」へ降りる人も増えていて空き家・空き地が増えている。
そんな斜面地の空き地を貸し農園にして、さまざまな世代が集まって交流できる場にする試みが始まっている。その名も「さかのうえん」。代表の平山広孝(ひらやま・ひろたか)さんに話を伺うため、長崎を訪れた。
空き地を貸し農園として活用
長崎の観光名所としても有名なオランダ坂から歩いて上ること10分ほど。洋館や煉瓦塀などを横目に上っていくと、次第に息が上がってくる。道幅はどんどん狭くなり、車は入ることができない狭い路地や階段だらけのエリアにたどり着く。
やがて目の前に「さかのうえん」の農地に出た。約20坪ほどの土地がいくつかの区画に区切られており、いきいきした野菜の葉が茂っている。「さかのうえん中新町ヒルズ」だ。
さかのうえんを運営する「長崎都市・景観研究所/null」(以下、null)所長の平山広孝さんと女性がもう一名、さんさんと陽が降り注ぐ畑でじゃがいもを収穫している真っ最中だった。
さかのうえんを運営するnull所長の平山広孝さん。
さかのうえんでは、こうした斜面地にある空き地を、土地のオーナーから管理委託を受けて農園にし、一般市民に貸し出している。 ヒルズのほか、「さかのうえん中新町ベース」「さかのうえん中新町パティオ」「さかのうえん中新町テラス」に、加えて2025年3月に完成したばかりの「さかのうえん中新町ザ・ビュー」と、現在5カ所。 土地の広さは異なるが、この日見せてもらった「中新町ヒルズ」や「中新町ザ・ビュー」では「約6平米×19区画」が、月500円で貸し出されており、現在約15組が借りている。そのうちの一部は平山さんたちが直接管理する。
「このあたりは坂が多くて、高齢者には住みづらいので、空き家や空き地が増えているんです。放っておけば土地が荒れますし、草刈りが大変です。さかのうえんでは、その管理委託を無償で請け負って、市民農園として貸し出します。若い人たちの間で農園のニーズはかなりあるので、畑として使ってもらえば持ち主は土地の管理が楽になるし、若い人たちに坂の街の面白さや良さを知ってもらうこともできる。流行れば、斜面地にいろんな人が集うようになると考えたんです」
さかのうえんを運営するのは平山さんが代表を務める「null」。まちづくりに関心のある有志による市民団体だ。 中新町ヒルズから路地や階段をさらに上り下りして移動すると、3分ほど行った先に「さかのうえん中新町ザ・ビュー」があった。その名前の通り、長崎の街が一望できる眺めのいい場所で日当たりも良く、こちらでも最近畑を始めたという女性たちがナスやトマトの世話をしていた。
管理の負担を減らして、明るい農地に
昨今、空き地・空き家は、持っているだけで負債になるといわれる。管理の負担が大きいためだ。持ち主からすると「さかのうえんが無償で管理してくれるなら、それだけでもありがたい」という話になる。
最近では相続税を支払えないなどの理由で国有化される土地も多く、その場合、管理には税金が使われる。市民農園として活用できれば、みんなが育てた野菜の緑で景観も良くなるし、いいこと尽くしというわけだ。
本職は長崎市役所の職員である平山さんが、初めて「さかのうえん」の企画を市長に提案したのが2010年度だったというから、構想はずいぶん前からあった。当時は受け入れてもらえなかったが、職員としてではなく、個人が主宰するnullの活動として、2020年にさかのうえん第1号「中新町ベース」が実現した。 長崎にはほかにも坂の街は多いのに、なぜ、この中新町エリアで「さかのうえん」の取り組みが進んでいるのだろう。
「自治会に、空き地管理の仕組みがあったんです。家が空くと相続する方に『年いくらかで自治会が代わりに管理を請け負いますが、どうですか』と声をかける仕組みになっていて。近くに住んでいる方ばかりではないので、依頼する人も多いんですね。そこまでする自治会は珍しいのですが、中新町は自治会長がしっかりされていて」
今、農園にしている2カ所は自治会管理の土地をnullが委託を受けていて、1カ所は直接、土地の持ち主から預かっている。そしてもう1カ所、「さかのうえん中新町ザ・ビュー」になった土地は、財務省の国有地である。 国有地はさかのうえんのような市民団体が国有地を無償で活用できる制度がある。
「2年間の管理委託契約を国と結びました。最初に土地を整備するのは大変ですが、ふるさと納税を活用したクラウドファンディングを使って、土木事業者に整地してもらいました。瓦礫を2立米ほどは撤去したんです」  
車で近くまでは来られないが、すぐそばに使える水道や公園のトイレがあることから、農園にしやすい土地だったことが決め手になった。畑作業を見学していると、散歩していた近隣に暮らす男性が声をかけてきた。
「あんたたちここで野菜ば育てよっとね? 
よか取り組みたいね」
これまで荒れた家がそのまま放置されていた場所が畑になった様子を、目を細めて歓迎する高齢の女性もいた。
「もともとここは、畑になる前は長屋やったんです。猫がたくさん住み着いてうちにも入ってくるので困ってたんやけど。きれいに更地にして畑になったでしょう。すごくいいですよね、若い人たちの声が聞こえて活気があって」
もし土地が無事に売れれば、農園は速やかに撤退するのだという。
「農園には売地の看板を立てています。でも正直、看板を立てるだけではなかなか売れないんです。だからせめて売れるまでの間、農地として活用しませんかという話です」
世代を超えたコミュニケーションの場に
ヨガ教室「YOGA ANDANTE」代表の河原歩(かわはら・あゆみ)さんは、最近「さかのうえん中新町ザ・ビュー」の一区画を借りて「アンダンテ・ファーム」を始めた。かねてより平山さんの友人で、勧められたという。
「ヨガの生徒さんたちと一緒に野菜を育ててみたかったんです。しばらく雨が降らないと水は大丈夫かなと不安はありますけど楽しくて。ヨガと農作業には通じるものがあって、黙々と作業していると自然と触れ合える感じがします。始めてみると野菜が可愛くて仕方ないんですよ」
あれこれ河原さんたちに手ほどきする平山さんも最初は初心者だったが、YouTubeなどで野菜づくりを習得してきたという。
「しばらく誰も来られなくても、福祉施設の利用者さんたちが毎日ここに通って水やりしてくれているんです。僕らが依頼したわけではなくて、畑に勤しむことで心にいい影響があるということで、先方から望まれて打診がありました」(平山さん)
「農園がすごくいいのは、そんなふうにいろんな人たちが集まってコミュニケーションできることだと思うんです。それに空き家に比べると、最初の整地以外は、畑の方が管理が楽なんです」(平山さん)
さかのうえんでは農作業の後、収穫した野菜でバーベキューを開催するなど、交流の場を設けることを積極的に行っている。この日も、収穫したばかりのじゃがいもをジャーマンポテトにしてみんなで味わった。
不動産事業者も注目する取り組み
この日たまたま「中新町ヒルズ」のすぐそばの土地を、持ち主から相談されているという不動産事業者が、平山さんの元へ相談に訪れていた。
株式会社アイエムの築地原大介(ついちはら・だいすけ)さんだ。 「土地オーナーの希望は300万円ほどで土地を売ることです。でもそう簡単に売れる立地ではないので、私たちとしても、まず出口を見出すことが大事だと思ったんです。さかのうえんの活動はすごくいい取り組みだと思い、お話だけでも伺えたらと思いました」 平山さんは嬉しそうに言った。
「実はあの土地は僕らもいいなと思っていたので大歓迎です。このあたりの空き地はすべて農園にしたいくらいで。でも僕らは土地を所有することはできないんです。僕らはあくまで市民活動団体で、資金も潤沢ではありません。あくまで困った土地をさかのうえんに貸してくださったら無償で管理しますよということで。もちろんその間に土地が売れればすぐに撤収します。農園の利用者さんにもあらかじめそのようにお伝えしてあります」
条件的に売りにくい土地や空き家は、一般的に不動産事業者は取り扱いたがらない。また仮に売れるまでの間さかのうえんに管理委託することになっても、不動産事業者には一銭も入らない。
「確かに、不動産屋としては本音ではあまり触りたくない物件でもありますし、業者の中には断られるところもあります。でもお客さんからお話をもらった以上、何か土地の有効活用をご提案したいと思うんですね。そのとき、市民農園にするのはいいアイディアだなと。ご高齢の方が炎天下、管理のために草むしりしていたりするのは見ていて辛いですから」(築地原さん) まずはこうした空いた土地に、楽しく関わる人を増やしたいと平山さんは話す。
「土地の良さって来てみて初めてわかりますから。ここなど、眺めがすごくいいじゃないですか。家を建てたいと思う人が出てきてもおかしくない。僕は大学のころから都市景観を専門にしてきましたが、長崎はロケーションによって景観が全く違うので。若い人たちに来てもらうために何をしたらいいだろうと考えて、行き着いた答えが畑だったんです」
高齢者が足腰が利かなくなり街に降りてしまうのは仕方がないとしても、若い層にはもっと斜面地を活用できるニーズが眠っていると平山さんは考えている。
バイクで一回りできる生活圏で活動する
平山さんが代表を務めるnullには、まちづくりに関心のある公務員やデザイナー、建築家などの約10名が集まり、毎週一度会合を行うほか、さまざまなイベントや活動を実施するなど活発に活動している。「さかのうえん」もその一つ。ほかにも長崎駅前の川の活用や観光案内所「HUBs Ishibashi」の運営をボランティアを募って活動したり、「まちづくりスナック」として、夜に飲みながら話ができる場の運営もしている。
平山さんの活動範囲に驚いていると、こんな話をしてくれた。
「一つポイントがあるんです。住んでいる場所から、活動拠点がすべてバイクで一筆書きで回れる範囲にあるんです。休日、まず朝はさかのうえんで作業をして、昼にはHUBs、そして夜はスナックといったふうに、ぐるっと回れるんですね」
まさに生活圏内で活動しているということだ。
石橋駅電停前の「HUBs Ishibashi」は、2022年12月にオープンした観光案内所。東山手や大浦など長崎の観光名所である居留地エリアの観光案内、地域の方と観光客の交流の場として、nullを含むまちづくり団体「55HUBs」で運営されている。また「まちづくりスナックニューシグナル」は会員制で、誰もが長崎のまちづくりについて自由に語り合える場所。
ライフワークとしてnullの取り組みを行っているが、平山さんの本職は、長崎市役所の「まちなか事業推進室」の職員である。
「いまは東山手・南山手などまちなかエリアが担当で、斜面地ではないのですが、ずっとまちづくりや都市計画を専門にやってきました。でも職員としてできないこともあるので、それは個人の活動として、nullで行っています」
さかのうえんの取り組みは、nullで行っている方。だが中新町ザ・ビューの土地整備を行う際などは、長崎市の「ふるさと納税」の仕組みを活かし、クラウドファンディングで資金を集めた。市民活動と市役所職員の立場をハイブリッドで活動している人だ。
本職では、管轄の東山手・南山手エリアで地元の人たちとともに「歴史まちづくり協議会」を結成し「長崎居留地歴史まちづくりグランドデザイン」をつくった。この計画が、この5月、「第4回 まちづくりアワード 計画・構想部門」の国土交通大臣賞を受賞したのだという。
長崎には、教会や洋館など、南蛮文化やキリスト教など海外との交流から生まれた歴史的建造物や文化財が数多く残っている。こうした文化財保護を含め、市内の景観を維持しながらより良くするために、「まちづくり」「文化財保護」「観光」それぞれの視点を掛け合わせて、次世代へと継承していくことを目的に働きかけているという。
「大学時代に外へ出て、長崎のまちの魅力に改めて気付きました。子どものころからこの街で過ごしてきて愛着があります。景観を良くするだけではなくて、暮らしている人が活発に暮らしていることが見てとれるようなまちづくりができたらいいなと思っています」
この考えは「さかのうえん」にも通底している。不動産流通の世界では買い手がつきにくい空き地に、知恵と手間をかけて、新たな人の流れをつくり、同時に景観も良くしていく。
役所の内と外、仕事と私事の垣根を越えて、長崎という土地をよくしていく営みが、平山さんの暮らしそのものになっている。DSC00850.JPG

 斜面地の空き地を貸し農園にして、さまざまな世代が集まって交流できる場にする試みが始まっている。その名も「さかのうえん」。さかのうえんでは、こうした斜面地にある空き地を、土地のオーナーから管理委託を受けて農園にし、一般市民に貸し出している。「このあたりは坂が多くて、高齢者には住みづらいので、空き家や空き地が増えているんです。放っておけば土地が荒れますし、草刈りが大変です。さかのうえんでは、その管理委託を無償で請け負って、市民農園として貸し出します。若い人たちの間で農園のニーズはかなりあるので、畑として使ってもらえば持ち主は土地の管理が楽になるし、若い人たちに坂の街の面白さや良さを知ってもらうこともできる。流行れば、斜面地にいろんな人が集うようになると考えたんです」昨今、空き地・空き家は、持っているだけで負債になるといわれる。管理の負担が大きいためだ。持ち主からすると「さかのうえんが無償で管理してくれるなら、それだけでもありがたい」最近では相続税を支払えないなどの理由で国有化される土地も多く、その場合、管理には税金が使われる。市民農園として活用できれば、みんなが育てた野菜の緑で景観も良くなるし、いいこと尽くしというわけだ。傾斜地など利用しづらいところを利活用することは大事ですね。「2年間の管理委託契約を国と結びました。最初に土地を整備するのは大変ですが、ふるさと納税を活用したクラウドファンディングを使って、土木事業者に整地してもらいました。瓦礫を2立米ほどは撤去したんです」ふるさと納税やクラウドファンディングを活用するのは妙案ですね。「しばらく誰も来られなくても、福祉施設の利用者さんたちが毎日ここに通って水やりしてくれているんです。僕らが依頼したわけではなくて、畑に勤しむことで心にいい影響があるということで、先方から望まれて打診がありました」地域の中でのつながりが大事ですね。高齢者が足腰が利かなくなり街に降りてしまうのは仕方がないとしても、若い層にはもっと斜面地を活用できるニーズが眠っている。使えない人が出ても使いたいと思う人がいればいい訳ですね。「大学時代に外へ出て、長崎のまちの魅力に改めて気付きました。子どものころからこの街で過ごしてきて愛着があります。景観を良くするだけではなくて、暮らしている人が活発に暮らしていることが見てとれるようなまちづくりができたらいいなと思っています」この考えは「さかのうえん」にも通底している。不動産流通の世界では買い手がつきにくい空き地に、知恵と手間をかけて、新たな人の流れをつくり、同時に景観も良くしていく。役所の内と外、仕事と私事の垣根を越えて、長崎という土地をよくしていく営みが、平山さんの暮らしそのものになっている。できる人ができることをやり続ける中で地域の中につながりができ広まっていくことが大事なのでしょう。自然体で無理をしないで継続できるようにすればいいのではないでしょうか。DSC00849.JPG
原発事故が発生した際の想定を超える可能性があるリスクを考慮すべきでは[2025年12月17日(Wed)]
 映画.Com2025年7月20日付け「「原発」は未来への鍵となるのか? オリバー・ストーン監督が問いかけるドキュメント「未来への警鐘」予告編」から、オリバー・ストーン監督が原子力エネルギーを見直すドキュメンタリー「未来への警鐘 原発を問う」の予告編と、新たな場面写真、ストーン監督からのコメントが公開された。なお、本作は、DVD・Blu-rayのリリースや配信の予定はない。
本作は、自身のベトナム戦争体験をもとに描いた「プラトーン」(1986)と「7月4日に生まれて」(1989)でアカデミー賞の監督賞を2度受賞したストーン監督が、「いかに気候変動を解決するか」について書かれたアメリカの科学者ジョシュア・S・ゴールドスタインの著書「明るい未来」を基にしたもの。2022年のべネチア国際映画祭でCICT-UNESCOエンリコ・フルキョーニ賞を受賞した。  
2017年、トランプ大統領はアメリカをパリ気候協定から脱退させ、気候変動をでっち上げだとしたが、多くの人々は、再生可能エネルギーという形のクリーンエネルギーを選んだ。
再エネへの世界の投資はおよそ3兆ドルに達し、太陽光は8割、風力は5割コストが下がった。だが、多大な努力と期待にもかかわらず、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)は、30年以内に炭素排出をほぼ100%カットしなければ、2050年までに生態系と経済に深刻な被害が及ぶと示した。ストーンは、自ら原子力発電所などに出向いて取材を敢行する。
広島・長崎への原爆投下、チェルノブイリ原発事故、福島第一原子力発電所事故など、人類はこれまで被ばくによる被害を目の当たりにしてきた。だが、石油・ガス業界が率先して行ってきた原子力エネルギーに対する大規模なネガティブキャンペーンによって、核に対する恐怖心を煽られた一面もあると、ストーンは指摘する。  
地球が気候変動とエネルギー貧困の課題に直面する今、果たして「原発」は未来への鍵となるのか。いま人類が選ぶべきエネルギーとは何かを問いかける衝撃のドキュメンタリーだ。「未来への警鐘 原発を問う」は、8月1日から池袋シネマ・ロサ、アップリンク吉祥寺ほか全国順次公開。
オリバー・ストーンコメント全文
気候変動は、私たちにグローバルな共同体として、エネルギーを生み出す方法を新たに見直すことを強く迫っています。
では、二酸化炭素やメタンといった温室効果ガス、そして多くの国々で使われている石炭を大幅に削減しながら、何十億もの人々を貧困から救うにはどうすればよいのでしょう?
風力や太陽光発電のような“再生可能エネルギー”は確かにこの移行に貢献しますが、天気や地形によって制限されます。
私たちは転換すべきです――それも、早急に。
人類が貧困から繁栄へと向かい、科学の力でますます高まるエネルギー需要を克服していく軌跡は、私の考えでは、現代における最も素晴らしい物語です。DSC00852.JPG

 トランプ大統領はアメリカをパリ気候協定から脱退させ、気候変動をでっち上げだとしたが、多くの人々は、再生可能エネルギーという形のクリーンエネルギーを選んだ。再エネへの世界の投資はおよそ3兆ドルに達し、太陽光は8割、風力は5割コストが下がった。だが、多大な努力と期待にもかかわらず、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)は、30年以内に炭素排出をほぼ100%カットしなければ、2050年までに生態系と経済に深刻な被害が及ぶと示した。ストーンは、自ら原子力発電所などに出向いて取材を敢行する。炭素排出をほぼ100%カットしなければ深刻な被害が及ぶことは現在の異常気象などを考えてもわかるのではないでしょうか。再生可能エネルギーの可能性を最大限に高めて蓄電池の開発、送電網の整備を行っても足りないのでしょうか。気候変動は、私たちにグローバルな共同体として、エネルギーを生み出す方法を新たに見直すことを強く迫っています。では、二酸化炭素やメタンといった温室効果ガス、そして多くの国々で使われている石炭を大幅に削減しながら、何十億もの人々を貧困から救うにはどうすればよいのでしょう?風力や太陽光発電のような“再生可能エネルギー”は確かにこの移行に貢献しますが、天気や地形によって制限されます。再生可能エネルギーの弱点は天気や地形に制限されることでしょう。しかし、世界中で最先端の技術を導入して推進できればどうでしょうか。原発に関して何よりも心配なので事故が発生した場合に甚大な被害が長期間続いて元の状態に戻ることができるかどうかというリスクではないでしょうか。日本のような地震、火山大国では甚大な災害につながる可能性が高く、国としては厳しい状況に陥り、国民に対する影響は計り知れないものかもしれません。そのようなことを考慮しても原発を推進するとすれば多くの人たちに納得してもらうことができなければならないでしょう。エネルギー需要を確保するという目的では理解してもらうことができるでしょう。安全神話をうたい文句に安易な妥協案は通用しないでしょう。DSC00851.JPG
ハンディある女性たちが活躍できる場づくり[2025年12月16日(Tue)]
 KYODO2025年7月20日付け「岐阜の町家改修、ハンディある女性が活躍 B型事業所が運営、清掃やSNS発信担う」から、昔ながらの風情が残る岐阜市川原町地区に、精神障害や発達障害などがあり、一般企業で働くことが難しい「就労継続支援B型事業所」の女性たちが働く一棟貸し宿「帰蝶」がある。古い町家を改修。金曜―翌月曜だけの営業だが、ひっきりなしに予約が入り、リピーターも多い。運営団体の代表理事後藤千絵さん(45)は「女性たち一人一人が輝く場になれば」と話す。
 6月上旬、週末を控えた木曜日。材木問屋だった町家のはりや蔵を生かした客室で、茶菓子補充にベッドメーキング、水回りの掃除と忙しく動き回る女性の姿があった。見守る職員とたわいもない話をして笑い合うことも。体調や特性に合わせて仕事を分担。宿代は経費を除き、女性たちの収入になる。  
後藤さんは一般企業就職を目指す障害のある人たちを支援してきたが、従来のB型事業所では、納期や単調な作業に追われがち。そこが悩みの種だった。そんな時、あるまちづくり団体から、築約150年の蔵がある町家で、宿泊施設を運営しないかと誘いを受けた。
「自信につながる多様な仕事を提供できる」と考えた後藤さん。B型事業所「アリー」を立ち上げ、2021年5月に全国でも珍しい利用者が働く宿の運営を始めた。
 町家を借り、最大7人が宿泊でき、キッチンや坪庭を備えた総面積約120平方メートルの客室に改装した。美濃和紙を使った照明を置き、和モダンの雰囲気づくりにこだわった。フロント業務など宿泊客と接する仕事はアリーの職員が担い、女性たちは清掃や交流サイト(SNS)発信などを担当。宿が休みの日は、帰蝶を作業場にして伝統工芸品の制作などに励む。  
現在、職員6人と協力しながら、20人ほどの女性が働く。宿泊客から「隅々まで行き届いた清掃ときちんと整理された小物を見て、携わる方の誠意を感じた」といった声が寄せられている。  
毎週1グループ限定で、1泊3万3千円から。宿の名前は岐阜ゆかりの戦国武将斎藤道三の娘で、織田信長の正室となった女性にちなんだ。後藤さんは「今は誰もが生きづらい時代。激動の戦国時代を生きた帰蝶にならい、居場所を見つけてほしい」と女性たちにエールを送った。DSC00854.JPG

 一般企業で働くことが難しい「就労継続支援B型事業所」の女性たちが働く一棟貸し宿「帰蝶」がある。古い町家を改修。金曜―翌月曜だけの営業だが、ひっきりなしに予約が入り、リピーターも多い。運営団体の代表理事後藤千絵さん(45)は「女性たち一人一人が輝く場になれば」と話す。6月上旬、週末を控えた木曜日。材木問屋だった町家のはりや蔵を生かした客室で、茶菓子補充にベッドメーキング、水回りの掃除と忙しく動き回る女性の姿があった。見守る職員とたわいもない話をして笑い合うことも。体調や特性に合わせて仕事を分担。宿代は経費を除き、女性たちの収入になる。女性たちが活躍できる場づくりをするひとが増えれば生き易い社会になるでしょう。町家を借り、最大7人が宿泊でき、キッチンや坪庭を備えた総面積約120平方メートルの客室に改装した。美濃和紙を使った照明を置き、和モダンの雰囲気づくりにこだわった。フロント業務など宿泊客と接する仕事はアリーの職員が担い、女性たちは清掃や交流サイト(SNS)発信などを担当。宿が休みの日は、帰蝶を作業場にして伝統工芸品の制作などに励む。やりがいを感じながら生活できるのではないでしょうか。職員6人と協力しながら、20人ほどの女性が働く。宿泊客から「隅々まで行き届いた清掃ときちんと整理された小物を見て、携わる方の誠意を感じた」「今は誰もが生きづらい時代。激動の戦国時代を生きた帰蝶にならい、居場所を見つけてほしい」誰でもできることではないでしょうが、できる人が誰かやることで生きづらく感じている人たちが少なくなるでしょう。一人ひとりが安心して生活できる社会になればいいですね。DSC00853.JPG
大学生たちと小さな農山村のつながりから生まれる明るい展望か[2025年12月15日(Mon)]
 南信濃新聞2025年7月20日付け「ていざなす魅力発信を 天龍村滞在の大学生が活動報告【長野県】」から、長野県天龍村でフィールドワークを行った国際基督教大学(ICU)と米ミドルベリー大学の学生6人が17日、村内で活動報告会を開いた。ICUの教育プログラム「サービス・ラーニング」の一環として約3週間村に滞在し、信州の伝統野菜にも認定されている「ていざなす」の魅力発信と継承をテーマに活動。村民らに成果を伝えた。  
同プログラムでは、農業や伝統文化の体験、村民との交流などを通じて地域課題を把握し、解決に向けた提案などにより地域の活性化や自身のスキルアップを目指す。  
2015年に1カ月間村に滞在した学生が、村民らの温かさに触れて「より多くの学生が同村を訪れられる機会をつくってほしい」と大学側に提案。ICUは16年から同村での組織的な教育プログラムを開発し、提携するミドルベリー大などの留学生も加わって毎年村で活動している。  
6人は6月27日から村に滞在し、ていざなすの生産農家らに栽培方法や農作業の苦労などを聞き取ったり、農作業を手伝ったりした。東京の豊洲市場などの出荷先を訪問し、ていざなすを取り扱う事業者から見た魅力や今後の展望なども調査。活動の様子をSNSで逐一発信し、村の風景、特産品を紹介する写真や動画を日本語と英語の両方で投稿した。  
ミドルベリー大4年の学生は「誇りを持って作り続けている人がいるという、背景の物語に商品価値がある」とした事業者の言葉を踏まえ、「天龍村の伝統文化、生産者のストーリーを多くの人に知ってほしい」と強調。「活動で得たつながりを生かし、それぞれの大学に戻ってからもていざなすを広げていきたい」と話した。  
学生たちはこの他、都内の飲食店などでていざなすをPR。合間には村の小中学生とも交流した。21日まで滞在し活動を続ける。DSC00858.JPG

 農業や伝統文化の体験、村民との交流などを通じて地域課題を把握し、解決に向けた提案などにより地域の活性化や自身のスキルアップを目指す。2015年に1カ月間村に滞在した学生が、村民らの温かさに触れて「より多くの学生が同村を訪れられる機会をつくってほしい」と大学側に提案。ICUは16年から同村での組織的な教育プログラムを開発し、提携するミドルベリー大などの留学生も加わって毎年村で活動している。6人は6月27日から村に滞在し、ていざなすの生産農家らに栽培方法や農作業の苦労などを聞き取ったり、農作業を手伝ったりした。東京の豊洲市場などの出荷先を訪問し、ていざなすを取り扱う事業者から見た魅力や今後の展望なども調査。活動の様子をSNSで逐一発信し、村の風景、特産品を紹介する写真や動画を日本語と英語の両方で投稿した。ミドルベリー大4年の学生は「誇りを持って作り続けている人がいるという、背景の物語に商品価値がある」とした事業者の言葉を踏まえ、「天龍村の伝統文化、生産者のストーリーを多くの人に知ってほしい」と強調。「活動で得たつながりを生かし、それぞれの大学に戻ってからもていざなすを広げていきたい」と話した。学生たちはこの他、都内の飲食店などでていざなすをPR。合間には村の小中学生とも交流した。21日まで滞在し活動を続ける。小さな農山村の住民ではできないことを大学生が取り組んでつながりお互いに良い関係になることができればいいですね。このような取り組みが広まっていけば解決できる課題も増えるのではないでしょうか。地方創生とか叫ばれますが、小さな農山村で大学や大学生とつながり地域の課題を解決していくことができれば地方も元気になるのではないでしょうか。DSC00855.JPG
予算、財政だけ考え国民一人ひとりが尊重されない国なるのでしょうか[2025年12月14日(Sun)]
 DIAMOND Online2025年7月19日付け「「子ども家庭庁は解体だ」“独身税”が大炎上…奪われ続ける「未婚・子なし」の人が救われる“たった1つ”の方法」から、独身税?
また子持ちの特権を増やすのか!  
「独身税」にブチギレる人が増えている。
2026年度から社会保険料に上乗せされる形で徴収される「子ども・子育て支援金」のことだ。  
社会保険料の一種なのでなにも「独身」の人だけが払わされるものではない。だが、ネットやSNSでは、子どものいない人々にとっては見返りゼロでカネを奪われるというのは実質的な「独身税」だとして批判が殺到している。  
そういう話を聞くと、「見返りがないと言いだしたら復興所得税とかもそうだし、同じ日本人同士みんなで協力をし合っていくのが当たり前だろ」と顔を顰(しか)める方もいらっしゃるだろうが、独身の方たちがブチギレるのも無理はない。  
日本は「独身」や「おひとりさま」をずっと冷遇してきたという動かし難い事実があるからだ。それを象徴するのが、配偶者控除や扶養控除である。  
ご存じのように、これは結婚をしているというだけで税金が優遇される。しかも、「年収の壁」議論でも注目されたように、年収や労働時間をうまくコントロールすれば社会保険料なども払わなくていい。つまり、既婚者というのは国から「合法的な免税」を推奨されるほど特権的な立場なのだ。  
しかも、結婚をして子どもを育てる場合、国や自治体から「子ども手当」「住宅支援事業」だなんだと定期的にバラマキも頂戴(ちょうだい)できる。「おひとりさま控除」も「単身者手当」もない独身の皆さんからすれば、こんな不平等な話はない。  
そう聞くと時節柄、「政治が悪い」「子ども家庭庁などとっとと解体しろ」という話になりがちだ。しかし、この「独身冷遇」ともいうべき差別政策は、そういう上っ面の話ではなく、日本国民の根っこにある「思想」に基づいたものなのだ。
 まだ自民党が存在していない大正8年(1919年)、立憲政友会の原敬が内閣総理大臣を務めていた日本で一部から「独身税」の必要性が訴えられた。  
その代表が教育者・西山哲治。文部省から委託を受けて欧米に行き、現地の教育を学んで「児童中心主義」「子どもの権利」を唱え、自ら教育現場で実践していた人物である。
今、子ども家庭庁が「子どもまんなか社会」と唱えているが、実は100年以上前の教育者が主張していたことの「再現」に過ぎないのだ。  
「児童中心」「子どもの権利」を実現するにはカネがかかる。当然、大人がそれを負担しなくてはいけない。しかし、当時は今と真逆の「多子社会」で、家庭には子どもが5人、6人いるのが当たり前。親は自分の子どもを食わせるだけで精一杯である。そこで「独身」から税金を徴収しようと考えた。  
もちろん、これを「苛税」(重すぎる税)だと真っ向から反対する人もいた。『みだれ髪』で知られる歌人・与謝野晶子だ。  
「西山氏は別に独身税と云ふものを唱へられて居ますが、之は非人道的な苛税です。私達無産階級の男女で結婚しない者があるとすれば、それはいろいろの同情すべき事情があります。殊に現在の経済組織では軽率に家庭を作ることの危険が目に見えて居ます。(中略)やつと一人の口を糊するに足るだけの職業に有り付くか有り付かないかの覚束ない経済的弱者に、結婚しないからと云つて課税するのは残酷です」(激動の中を行く アルス 158ページ、旧字体は新字体に変換)  
今、「独身税」に憤りを覚えている人々の言いたいことを「代弁」してくれて溜飲が下がった人もいらっしゃるだろうが、実はそれこそがこの問題の深刻さをあらわしている。
「未婚・子なし」の冷遇が “日本崩壊”を早めるワケ  
大正8年の与謝野晶子の訴えに、令和で冷遇される独身が深く共感できるということは、この国の「結婚せずに子どもを作らない人」の境遇が、この100年でまったくアップデートされていないということだ。  
なぜそうなるのかというと、国家と国民の関係性がまったく変わっていないからだ。
それは一言で言ってしまうと、「子どもをつくらずにお国に貢献していない人々は、カネを払って貢献せよ」という国家主義だ。  
実は歴史を振り返ると、「独身税」のように独身からカネを徴収して、子ども支援や少子化対策に回しましょうという制度は山ほどある。ただ、問題はその多くが全体主義国家で生まれていることだ。  
わかりやすいのはイタリアだ。ムッソリーニが議会で実施的な独裁体制を宣言し、議会政治が消滅した1925年、かの国では「独身税」の導入に踏み切っている。  
「伊太利では、家庭を作ることを奨励して、千九百二十五年から、独身者には独身税をかけることにしました。(中略)この独身税の税金は、全部、大蔵省の独立会計になつて居つて、母性児童保護事業の機関に、そつくり廻されます。つまり、子どもを生ませる資金になつて居るのです」(伊太利の組合制国家と農業政策 下井春吉 ダイヤモンド社 48ページ、旧字体は新字体に変換)  
同じくファシズムのナチスドイツでは、子どもを増やすために「結婚資金貸付金」として結婚した夫婦に無利子で融資をしたが、その財源は独身から巻き上げたカネだった。  
「これは未婚者に対して課する結婚補助課金収入によつている。此の結婚補助課金は立案者ラインハルトの見解によれば、独身税又は独身手数料と見做さるべきではなく、結婚に対する独身者の援助である」(ナチス経済建設 長守善 日本論評者 290ページ)  
当時、イタリアもドイツも、そして日本でも共通していたのは、「国家主義」である。国家の発展のためには、国民は自由や権利を制限して奉仕をしなくてはいけないという社会なので、結婚や出産にかかるカネは、国家に貢献していない独身が負担するのは当たり前という結論になるのだ。  
そして、この思想は100年経過した令和日本でも脈々と引き継いでいる。  
なぜ配偶者控除や扶養控除のように独身を冷遇した制度が残っているのか、なぜ子どもを持たない独身者たちが「子どもまんなか社会」のために、税金を払わなくてはいけないのかというと、すべては「日本人なら、お国のために、産めよ増やせよに協力せよ」という思想が現在進行形で残っているからなのだ。  
さて、こういう話をすると「そんなもんに金が払えるか!子ども家庭庁を解体して浮いたカネを独身に配ったほうがよほど少子化対策になる」と考える人も多いだろう。
「未婚・子なし」の人が救われる “たった1つ”の方法とは?  
ネットやSNSでも同様の主張が多い。ただ、残念ながらこのようなバラマキは少子化対策ではほとんど意味がないことがわかっている。  
例えば、米The NewYork Timesは「Can China Reverse Its Population Decline? Just Ask Sweden」(2023年2月9日)という記事で、子育て支援が充実しているフィンランドやフランスでも出生率が過去最低水準となっている事実から、「バラマキ」では少子化は食い止めることができないと指摘している。  
これは冷静に考えて見れば当然だ。補助金がもらえるとか行政のサポートが充実してますというニンジンは、子どもをもつべきか否かと検討しているカップルの背中を押すことができる。しかし、先ほど与謝野晶子が述べたように「一人の口を糊することがやっとの経済的弱者」からすれば、「あぶく銭」を受け取っても生活費か貯金に消えるだけだ。  
国家主義の少子化対策は、独身から吸い上げたカネを財源にバラマキをした。欧州の高福祉・高負担国家の場合、それを24%などのバカ高い消費税を財源にやっている。財源が違うだけでどちらも「人はカネをもらえば子どもを産むものだろ」というかなり乱暴な考えが共通している。  
国家主義の場合、子どもがたくさん産まれたのはバラマキのおかげというよりも、丈夫な子どもをつくらないと「非国民」扱いされるということが大きかった。しかし、現代の高福祉国家にはそういう同調圧力はない。そのため、「バラマキには効果がない」というデータが徐々に集まってきているのだ。  
では、本当に意味のある少子化対策は何かというと、与謝野晶子の言ったように、経済的弱者が不安なく暮らせるような社会をつくることだ。  
そのために必要なのは「経済成長」である。国家がコントロールした計画経済や、平等な公共サービスを掲げた社会主義国家が崩壊したことからもわかるように、この経済成長というものは「バラマキ」では絶対になしえることができない。  
半世紀にわたって莫大な補助金が投入されてきた日本のコメ農家の「競争力」が低下しているのが、その証左である。  
しかし、今の日本はそういう当たり前の話は通じない。独身税にブチギレする人が多いように、日本という国の不平等な制度に怒りを覚え、頭に血が上っている人がたくさんいるので、経済成長などとまどろっこしい話より、今すぐ現金が手に入る「バラマキ」を求めている。  
外国人を優遇するな。高齢者を優遇するな。そして、子どもや子育て世代を優遇するな。  そうやって「特権的な立場の人々」に憎悪を強めながら、今度はこれまで冷遇されていた人々を優遇せよという主張が大きな支持を得ているのだ。
 人類の歴史を振り返ると、「これまで被害者だった人たちが政治・社会情勢変わって今度は加害者側になる」ということが何度も繰り返されている。  
今の日本社会を包む憎悪の強さを見ていると、そんな「被害者と加害者の交代劇」が起きそうな予感がする。日本にいる外国人を厳しく規制して、高齢者の医療や年金を減らす。そして、子どもや子育て世代は「これまで偉そうにしやがって」とどんどん肩身が狭くなる。  
「独身税の炎上」という現象は、働いても報われない、結婚や子どもをつくるなんて考えられないという「経済的弱者」の復讐が始まった狼煙なのかもしれない。DSC00860.JPG

 2026年度から社会保険料に上乗せされる形で徴収される「子ども・子育て支援金」のことだ。社会保険料の一種なのでなにも「独身」の人だけが払わされるものではない。だが、ネットやSNSでは、子どものいない人々にとっては見返りゼロでカネを奪われるというのは実質的な「独身税」だとして批判が殺到している。「見返りがないと言いだしたら復興所得税とかもそうだし、同じ日本人同士みんなで協力をし合っていくのが当たり前だろ」と顔を顰(しか)める方もいらっしゃるだろうが、独身の方たちがブチギレるのも無理はない。日本は「独身」や「おひとりさま」をずっと冷遇してきたという動かし難い事実があるからだ。それを象徴するのが、配偶者控除や扶養控除である。結婚をしているというだけで税金が優遇される。しかも、「年収の壁」議論でも注目されたように、年収や労働時間をうまくコントロールすれば社会保険料なども払わなくていい。つまり、既婚者というのは国から「合法的な免税」を推奨されるほど特権的な立場なのだ。しかも、結婚をして子どもを育てる場合、国や自治体から「子ども手当」「住宅支援事業」だなんだと定期的にバラマキも頂戴(ちょうだい)できる。「おひとりさま控除」も「単身者手当」もない独身の皆さんからすれば、こんな不平等な話はない。国民がお互いさまということで助け合う必要はあるでしょうが、独身税と感じる人たちがいるとすれば制度設計を考える必要があるのでしょう。「子どもをつくらずにお国に貢献していない人々は、カネを払って貢献せよ」という国家主義だ。実は歴史を振り返ると、「独身税」のように独身からカネを徴収して、子ども支援や少子化対策に回しましょうという制度は山ほどある。ただ、問題はその多くが全体主義国家で生まれていることだ。イタリアもドイツも、そして日本でも共通していたのは、「国家主義」である。国家の発展のためには、国民は自由や権利を制限して奉仕をしなくてはいけないという社会なので、結婚や出産にかかるカネは、国家に貢献していない独身が負担するのは当たり前という結論になるのだ。なぜ子どもを持たない独身者たちが「子どもまんなか社会」のために、税金を払わなくてはいけないのかというと、すべては「日本人なら、お国のために、産めよ増やせよに協力せよ」という思想が現在進行形で残っているからなのだ。政治家は納得する人が少なくないかもしれませんが、多くの国民はどう思うでしょうか。本当に意味のある少子化対策は何かというと、与謝野晶子の言ったように、経済的弱者が不安なく暮らせるような社会をつくることだ。そのために必要なのは「経済成長」である。国家がコントロールした計画経済や、平等な公共サービスを掲げた社会主義国家が崩壊したことからもわかるように、この経済成長というものは「バラマキ」では絶対になしえることができない。今の日本社会を包む憎悪の強さを見ていると、そんな「被害者と加害者の交代劇」が起きそうな予感がする。日本にいる外国人を厳しく規制して、高齢者の医療や年金を減らす。そして、子どもや子育て世代は「これまで偉そうにしやがって」とどんどん肩身が狭くなる。「独身税の炎上」という現象は、働いても報われない、結婚や子どもをつくるなんて考えられないという「経済的弱者」の復讐が始まった狼煙なのかもしれない。嫌な予感がしますね。与謝野晶子さんが言っているように社会的弱者が不安なく暮らすことができる社会にしなければならないでしょう。DSC00859.JPG
分断か共生か 外国人排除から共生社会を求めるべきでは[2025年12月13日(Sat)]
 Yahooニュース2025年7月19日付け「分断か共生か:外国人排斥から共生へ――心理学とエビデンスから問う日本の選択」から、増える外国人、広がる排外感情
 現代日本社会は、労働力不足と観光需要の高まりを背景に、多くの外国人を迎え入れる時代に突入している。法務省出入国在留管理庁の統計によれば、在留外国人数は2023年末時点で約380万人に達し、全人口の約3%を占めるに至った(法務省, 2024)。コンビニエンスストア、建設現場、介護施設など、外国人労働者なしでは日常生活が回らない産業も増加している。観光業においても、インバウンド客は2024年に3,600万人を超え、コロナ禍前の水準を回復した(日本政府観光局, 2024)。
 しかしこのような社会的貢献にもかかわらず、外国人に対する否定的感情がSNSやメディア報道を通じて増幅されている。マナーを守らない外国人観光客の映像が断片的に拡散され、あたかも「外国人=迷惑な存在」というイメージが形成されつつある。こうした空気の中、最近の参議院選挙では「外国人排斥」を明言する政党が相当な支持を集めている。日本社会の深部で何が起きているのだろうか。
外国人犯罪の実態:統計は何を語るか
 まず、排外的感情を正当化する根拠としてしばしば挙げられる「外国人による犯罪増加」という言説を検証する必要がある。『令和6年版犯罪白書』によれば、外国人による刑法犯の検挙人員は、1999年に1万4,786人を記録した後、2003年は9,726人にまで減少している。刑法犯検挙人員総数(18万3,269人)に占める外国人の比率は、5.3%にすぎない(法務省, 2024)。むしろ、来日外国人や在留外国人数の増加を考慮に入れた場合、外国人の犯罪発生率は日本人と同等か、あるいは低いという分析も存在する(日本労働研究雑誌, 2023)。
また、外国人犯罪の多くは軽微な窃盗や不法残留等に集中しており、凶悪犯罪の比率はきわめて低い。にもかかわらず、外国人が加害者となる一部の事例がセンセーショナルに報道され、全体像を誤解させる傾向がある。こうした報道のあり方も、外国人に対する偏見や不安感の形成に寄与している可能性がある。
 さらに、不法残留者が増加しているというのも「印象」に過ぎず、事実ではない。1993年に過去最多の約30万人を記録した後、入国審査の厳格化や関係機関の連携による摘発等の対策等が功を奏し、2024年には8万人を下回っている。
ゼノフォビア(外国人恐怖)の心理構造:なぜ人は「外部」を恐れるのか
 心理学では、外国人に対する非合理的な恐怖や憎悪をゼノフォビア(Xenophobia)と呼ぶ。ではなぜ、人々は外国人に対して過剰な不安や敵意を抱くのだろうか。この問いに対して、心理学の知見は有益な示唆を与える。
 まず注目すべきは「統合的脅威理論(Integrated Threat Theory)」である(Stephan & Stephan, 2000)。同理論は、他集団に対する敵意が、主に「現実的脅威」(雇用や治安の不安)、「象徴的脅威」(文化や価値観の違い)という2つの脅威知覚から生じることを示す。
 たとえば、自身が不安定な雇用にあるとき、「外国人に仕事を奪われるのではないか」という現実的脅威が生じやすい。また、外国人の宗教的・文化的慣習が可視化される場面では、「日本的価値観が壊されるのではないか」という象徴的脅威が喚起される。これらの脅威知覚は、多くの場合、実証的裏付けを欠いた直感的判断に基づいているが、それゆえに強く人々の感情に作用しやすい。
 さらに、社会心理学の「内集団‐外集団バイアス(in-group/out-group bias)」も重要である。人は自らが属する集団(内集団)には寛容である一方、異質な外集団には厳しい評価を下す傾向がある。このバイアスは、外国人に関するネガティブな情報ばかりを記憶・再生しやすくさせ、逆に肯定的な情報を軽視させる「確証バイアス」へとつながる。
社会的スケープゴートとしての外国人
 このような心理的傾向を利用するのが、政治的スケープゴーティングの戦略である。歴史的にも、経済格差や社会不安が高まる時期には、特定のマイノリティ集団が「敵」として標的にされる傾向がある。アメリカにおけるトランプ大統領の「アメリカ・ファースト」政策、欧州における極右政党の台頭は、いずれも外国人排斥を旗印に選挙戦を戦い、成功を収めてきた。
 日本においても、「日本人ファースト」というスローガンのもと、同様のレトリックが浸透しつつある。この構図は、社会に存在する本来の構造的問題(低賃金労働、地域の衰退、教育機会の不平等など)やそれに対する不満を外国人という「わかりやすい他者」に転嫁することで、政治的責任や制度設計の失敗から注意を逸らすという危険性を孕んでいる。
共生社会の利点:データと理論が示す方向性
 外国人との共生は、決して理想主義的な夢想ではない。実証的研究は、多様性が社会にもたらす具体的利点を示している。たとえば、Putnam(2007)は、多様な背景をもつ人々が接触し協働することにより、創造性や問題解決能力が高まり、経済的活力が向上することを報告している。
 また、OECD諸国の多くでは、外国人の受け入れが労働市場の補完、税収の増加、介護・教育分野の人材補強などに資している。
 日本においても、外国人労働者は人口減少と少子高齢化に伴う労働力不足を補う不可欠な存在である。彼らの定着を前提に、日本語教育、文化調整支援、行政手続きの簡素化など、制度整備を並行して進めることが共生社会の基盤となる。
 さらに重要なのは、教育とメディアを通じて、外国人に対するステレオタイプや偏見を是正する努力である。心理学の「接触仮説(Contact Hypothesis)」が示す通り、異なる集団間の良質な接触は、相互理解と寛容性を育む。学校や地域社会における交流の機会を設けることが、社会的結束力を高める第一歩となる。
共生を選ぶ理性と責任
 私たちはいま、分断と排斥の道を進むのか、共生と協働の道を選ぶのか、その分岐点に立っている。外国人に対する恐怖や敵意は、しばしば実態に基づかない偏見と誤認に支えられており、それを政治やメディアが助長する構造は、民主主義社会にとって看過できない危機である。
 事実を直視し、冷静な対話と制度的整備を重ねることでこそ、日本は成熟した多文化社会としての未来を切り拓くことができる。「外国人排斥社会」か、「共生社会」か。その選択は、他者に対する姿勢であると同時に、私たち自身がどのような社会を望むのかという根源的な問いにほかならない。DSC00863.JPG

 現代日本社会は、労働力不足と観光需要の高まりを背景に、多くの外国人を迎え入れる時代に突入している。法務省出入国在留管理庁の統計によれば、在留外国人数は2023年末時点で約380万人に達し、全人口の約3%を占めるに至った。コンビニエンスストア、建設現場、介護施設など、外国人労働者なしでは日常生活が回らない産業も増加している。観光業においても、インバウンド客は2024年に3,600万人を超え、コロナ禍前の水準を回復した。人口減少の進み日本で働いてくれることだけを求めるのではなく一緒の対等に付き合っていく共生社会でなければそのうち日本に移住する人はいなくなるかもしれません。外国人による刑法犯の検挙人員は、1999年に1万4,786人を記録した後、2003年は9,726人にまで減少している。刑法犯検挙人員総数(18万3,269人)に占める外国人の比率は、5.3%にすぎない。むしろ、来日外国人や在留外国人数の増加を考慮に入れた場合、外国人の犯罪発生率は日本人と同等か、あるいは低いという分析も存在する。外国人犯罪の多くは軽微な窃盗や不法残留等に集中しており、凶悪犯罪の比率はきわめて低い。にもかかわらず、外国人が加害者となる一部の事例がセンセーショナルに報道され、全体像を誤解させる傾向がある。こうした報道のあり方も、外国人に対する偏見や不安感の形成に寄与している可能性がある。さらに、不法残留者が増加しているというのも「印象」に過ぎず、事実ではない。1993年に過去最多の約30万人を記録した後、入国審査の厳格化や関係機関の連携による摘発等の対策等が功を奏し、2024年には8万人を下回っている。偏見と思われるデータを出して批判、排除して分断を煽るのは間違っているでしょう。歴史的にも、経済格差や社会不安が高まる時期には、特定のマイノリティ集団が「敵」として標的にされる傾向がある。アメリカにおけるトランプ大統領の「アメリカ・ファースト」政策、欧州における極右政党の台頭は、いずれも外国人排斥を旗印に選挙戦を戦い、成功を収めてきた。日本においても、「日本人ファースト」というスローガンのもと、同様のレトリックが浸透しつつある。この構図は、社会に存在する本来の構造的問題やそれに対する不満を外国人という「わかりやすい他者」に転嫁することで、政治的責任や制度設計の失敗から注意を逸らすという危険性を孕んでいる。外国人排斥を訴え選挙で勢力を拡大して社会に存在する構造的な問題を他者に責任転嫁する手法はいつまでも続くものではないでしょう。多様性が社会にもたらす具体的利点を示している。たとえば、Putnam(2007)は、多様な背景をもつ人々が接触し協働することにより、創造性や問題解決能力が高まり、経済的活力が向上することを報告している。また、OECD諸国の多くでは、外国人の受け入れが労働市場の補完、税収の増加、介護・教育分野の人材補強などに資している。日本においても、外国人労働者は人口減少と少子高齢化に伴う労働力不足を補う不可欠な存在である。彼らの定着を前提に、日本語教育、文化調整支援、行政手続きの簡素化など、制度整備を並行して進めることが共生社会の基盤となる。さらに重要なのは、教育とメディアを通じて、外国人に対するステレオタイプや偏見を是正する努力である。心理学の「接触仮説(Contact Hypothesis)」が示す通り、異なる集団間の良質な接触は、相互理解と寛容性を育む。学校や地域社会における交流の機会を設けることが、社会的結束力を高める第一歩となる。多様性が尊重された社会では抱える様々な問題を解決できる可能性があるでしょう。私たちはいま、分断と排斥の道を進むのか、共生と協働の道を選ぶのか、その分岐点に立っている。外国人に対する恐怖や敵意は、しばしば実態に基づかない偏見と誤認に支えられており、それを政治やメディアが助長する構造は、民主主義社会にとって看過できない危機である。事実を直視し、冷静な対話と制度的整備を重ねることでこそ、日本は成熟した多文化社会としての未来を切り拓くことができる。「外国人排斥社会」か、「共生社会」か。その選択は、他者に対する姿勢であると同時に、私たち自身がどのような社会を望むのかという根源的な問いにほかならない。政治任せるのではなく国民も真剣に受け止めて真摯に考え声を上げる必要があるでしょう。DSC00861.JPG
捜査機関が供述誘導 日本の警察、検察の取り調べ手法はは大丈夫か[2025年12月12日(Fri)]
 MRO北陸放送2025年7月18日付け「【速報】「捜査機関が供述誘導」39年前の福井女子中学生殺害事件 再審で前川彰司さん(60)に無罪判決」から、39年前、福井市で中学3年の女子生徒が殺害され、殺人の罪で服役した前川彰司さん(60)の再審=やり直しの裁判で、名古屋高裁金沢支部は18日午後2時、無罪を言い渡しました。増田啓祐裁判長は判決で、有罪の決め手となった知人の証言について「捜査に行き詰まった捜査機関が他の関係者に供述の誘導など不当な働きかけを行った疑いが払しょくできない」とし、供述は信用できないとしました。
前川さんは法廷で無罪を言い渡された瞬間、まっすぐ前を見つめ、その後は時々上を向きながら軽く頷き、判決に耳を傾けていました。判決の言い渡しは現在も続いています。
事件から39年 再審までの経過
1986年3月、福井市の市営団地で留守番をしていた中学3年の女子中学生が包丁で数十か所を刺され死亡しました。警察の捜査が難航する中、事件発生の1年後、当時21歳だった前川彰司さんが逮捕されました。
有力な物的証拠がないまま、裁判の最大の争点は、「事件後に血の付いた前川さんを見た」とする知人らによる供述でした。
前川さんは一貫して無実を訴え、1審の福井地裁は1990年、前川さんに無罪を言い渡しました。
しかし、2審の名古屋高裁金沢支部は1995年、知人の供述は信用できるとして懲役7年の有罪判決を言い渡し、最高裁で刑が確定しました。
服役を終え、前川さんは2004年、名古屋高裁金沢支部に再審を請求しました。2011年、名古屋高裁金沢支部は証言の信用性には疑問があるとして一度「再審開始」の判断を下しますが、検察が異議を申し立て、名古屋高裁本庁が2013年、再審を認めた決定を取り消します。
2022年に行った2回目の再審請求で、弁護団は検察側にさらなる証拠の開示を求め、裁判所側も開示を強く促した結果、287点の新たな証拠が弁護団に公開されました。その中には警察が作成した捜査報告書が含まれていました。確定判決では「3月19日の夜、テレビで音楽番組を見た後、血の付いた前川さんを見た」とする知人の証言が有罪の決め手となりましたが、警察がテレビ局に照会し捜査報告書に記載した番組の放送日は3月26日、事件の1週間後でした。
名古屋高裁金沢支部は、「供述の信用性評価に重大な疑問を生じさせるものであり、確定判決の有罪認定の根拠を揺るがすもの」とし、去年10月、前川さんの再審開始を決定しました。そして今年3月、名古屋高裁金沢支部で開かれた再審の初公判で、検察側は改めて有罪を主張した一方で新たな証拠は提出せず、前川さんが無罪となることが確実視されていました。
再審判決の言い渡しは名古屋高裁金沢支部で午後2時から始まり、現在も続いています。
前川さん「裁判所も自己批判を」
判決を控え、前川さんは18日朝、福井市の自宅で取材に応じ「緊張はさほどしていないが、事実と道理に基づいて判断してほしい。無罪以外ないのではないかと思う」と話しました。
再審開始決定では警察による供述の誘導や検察の証拠隠しが指摘されていて、再審判決でも捜査の問題点に対し裁判所がどのような判断を下すかが大きな焦点となります。前川さんは「警察・検察への批判もそうだが、裁判所も自ら自己批判し、ほかの再審事件につながる判決になってほしい」と述べました。
そして最初の再審請求から20年以上を経て判決を迎えることについて「集大成という形で泰然として対峙したいと思います」と語りました。DSC00865.JPG

 39年前、福井市で中学3年の女子生徒が殺害され、殺人の罪で服役した前川彰司さん(60)の再審=やり直しの裁判で、名古屋高裁金沢支部は18日午後2時、無罪を言い渡しました。増田啓祐裁判長は判決で、有罪の決め手となった知人の証言について「捜査に行き詰まった捜査機関が他の関係者に供述の誘導など不当な働きかけを行った疑いが払しょくできない」とし、供述は信用できないとしました。有力な物的証拠がないまま、裁判の最大の争点は、「事件後に血の付いた前川さんを見た」とする知人らによる供述でした。前川さんは一貫して無実を訴え、1審の福井地裁は1990年、前川さんに無罪を言い渡しました。しかし、2審の名古屋高裁金沢支部は1995年、知人の供述は信用できるとして懲役7年の有罪判決を言い渡し、最高裁で刑が確定しました。服役を終え、前川さんは2004年、名古屋高裁金沢支部に再審を請求しました。2011年、名古屋高裁金沢支部は証言の信用性には疑問があるとして一度「再審開始」の判断を下しますが、検察が異議を申し立て、名古屋高裁本庁が2013年、再審を認めた決定を取り消します。2022年に行った2回目の再審請求で、弁護団は検察側にさらなる証拠の開示を求め、裁判所側も開示を強く促した結果、287点の新たな証拠が弁護団に公開されました。その中には警察が作成した捜査報告書が含まれていました。確定判決では「3月19日の夜、テレビで音楽番組を見た後、血の付いた前川さんを見た」とする知人の証言が有罪の決め手となりましたが、警察がテレビ局に照会し捜査報告書に記載した番組の放送日は3月26日、事件の1週間後でした。1人の人生が狂ってしまうような間違いを犯してしまった警察、検察の責任は重大でしょう。日本では供述の誘導によるケースが多くないでしょうか。再審開始決定では警察による供述の誘導や検察の証拠隠しが指摘されていて、再審判決でも捜査の問題点に対し裁判所がどのような判断を下すかが大きな焦点となります。前川さんは「警察・検察への批判もそうだが、裁判所も自ら自己批判し、ほかの再審事件につながる判決になってほしい」と述べました。日本司法のあり方が厳しく問われているのではないでしょうか。DSC00864.JPG
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