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後継者募集は積極的に行うべきでは[2025年09月20日(Sat)]
 Yahooニュース2025年5月22日付け「【高知家の後継者募集】四国山地の大自然に広がる牧場を引き継ぐ 高知県大豊町「ワタナベファーム」」から、心と体が、目の前に広がる大自然の光景に吸い込まれてしまう――。そんな不思議な感覚に陥ってしまう。
四国山地の真ん中、梶ヶ森の中腹に広がる「ワタナベファーム」の牧草地での体験だ。
草の新緑と森の木々が織りなす緑のグラデーションの中を、放牧された牛たちがゆったりと歩む。
遠くの山々にはほんのりと霞がかかり、見上げる空は限りなく青く深い。
まるでアルプス山脈の国に迷い込んだ錯覚にとらわれる。
「澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込んで、森の美しさや雲の近さ、空の深さを感じ取って欲しい。この場所は特別な空間なんです。ここで暮らせば心が豊かになることは間違いない」
父の代から、この地で酪農を営む渡辺則夫さん(75)が赤銅色の笑顔で微笑む。
渡辺さんがここで牧場を始めたのは今から40年ほど前、三十代の時だ。
標高約800mに広がる荒地を、父の成甲(しげる)さんと一緒に開拓して、広さ約7ヘクタールの牧場に造りあげた。
スタートは国の補助事業を導入したが、その後は自ら木を切り倒し、切り株を掘り起こし、道をつけるなど手塩にかけて造り上げた。
「スイスのような光景をここに創りたかったんです」と照れながら話す。
この丹精込めた手造り牧場が、今回の事業承継案件だ。
渡辺さんは、生きがいを感じながら牧場経営を40年以上も続けてきたが、70歳を超えたころから別の夢が膨らんできた。
それはWWOOF(World Wide Opportunities on Organic Farmsの略=ウーフ)の活動を通じて芽生えた。
ウーフとは、有機農場を核とするホストと、そこで手伝いたい・学びたいと思っている人とをつなぐサービスで、お金のやり取りではなく「食事・宿泊場所」と「力」と「知識・経験」の交換で成立する仕組みだ。
このホストファミリーの活動を続けて来たことで、国内をはじめ世界各国のたくさんの人々との繋がりができた。
「全国を旅しながら、知り合った人々を含めて色々な方と触れ合いたい。農業に携わる人が何に興味があって、どんな考え方をしているのか、多様な生き方に出会ってみたいのです。そのために、牧場を承継してくれる人を探したい」
年齢も七十代半ばになった渡辺さんに残された時間はそんなに多くはない。このため、牧場経営に熱意ある人に譲りたいと、全国に向けて積極的に情報発信しているわけだ。
ファームの現状を見てみよう。
現在飼育しているのは、繁殖牛8頭。
少し前まではジャージー牛を飼って、チーズの製造販売免許を取得、3種類のチーズの販売も行っていた。
ただ、経営規模を徐々に縮小する過程でジャージー牛は手放したため、今はチーズの販売はしていない。
また、有機栽培のトマトも手掛ける。雨よけ用のハウスが20アールほどあり、冷涼な気候を利用して、ミニトマトや中玉など3種類のトマトを栽培。
JA系の販売所に出している。牛の糞尿を堆肥化して土づくりから行っている「循環農業」のため、トマト一粒の旨味は別格。
露地のトマトが不足気味になる夏場に最盛期を迎えることも手伝って、貴重な販売品目になっているという。
牧場は標高1400mの県立自然公園「梶ヶ森」に通じる車道途中に位置している。引継ぎを希望しているのは、放牧用地はもちろん飼料畑や牛舎、管理棟、野菜栽培用の畑やハウス施設、チーズの製造・保管施設などだ。
「売却はお互いのハードルが高いので、当初は年間5万円ほどで賃貸し、牧場が軌道に乗るようだったら、売却するという形式がいいのではないか」と提案している。
引継ぎ条件は、「この地で長い間牧場を続けてくれること」。
精魂込めて創り上げて来た牧場が荒れて山に還るのは何としても避けたいという思いが強いからだ。
「ここでお金儲けはできません。田舎の山で人生を豊かに過ごしたいという人に来てもらいたい。ここで暮らすと人生観が変わるはず」と渡辺さんは魅力を語る。
標高800mからの眺望は、下界とは別世界だ。
山の稜線に沈みゆく夕日を見送った後、夜の帳に身を委ねる。
爽やかな風が肌寒く感じるころには、頭上には星が輝き始め、無数の淡い光が降りそそぐ。
邪魔する人工の光は全くない。
このまま、眠ってしまうと、目が覚めたら、異次元の世界に転生しているかもしれない。
この大自然の中で牛を育て、野菜を収穫する暮らしと、都市部に住む私たちの生活は比べる術がない。
どちらの生活がより幸せで充実しているのか。それを決める尺度は、それぞれの人の心の中にある。
合同会社ワタナベファーム
経営は上手く行っているのに、後継者がいないために廃業せざるを得ない――そんな悩みを持つ企業が全国的に激増し、大きな社会問題になっている。高齢化先進県である高知県は全国に輪をかけて、事業承継の課題が山積している。「県内での事業承継を少しでも増やしたい」。このコーナーは、事業を譲りたい人と受け継ぎたい人を繋ぐ連載です。DSC00446.JPG

 農業を守り続けるために自治体が積極的に事業継承に関わることは大事なことではないでしょうか。このような取り組みが全国的に広まっていけば農業に従事しようという人が増えるかもしれません。「澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込んで、森の美しさや雲の近さ、空の深さを感じ取って欲しい。この場所は特別な空間なんです。ここで暮らせば心が豊かになることは間違いない」農業を行っている土地を誇りの思えるのは素晴らしいですね。スタートは国の補助事業を導入したが、その後は自ら木を切り倒し、切り株を掘り起こし、道をつけるなど手塩にかけて造り上げた。WWOOF(World Wide Opportunities on Organic Farmsの略=ウーフ)の活動を通じて芽生えた。ウーフとは、有機農場を核とするホストと、そこで手伝いたい・学びたいと思っている人とをつなぐサービスで、お金のやり取りではなく「食事・宿泊場所」と「力」と「知識・経験」の交換で成立する仕組みだ。このホストファミリーの活動を続けて来たことで、国内をはじめ世界各国のたくさんの人々との繋がりができた。「全国を旅しながら、知り合った人々を含めて色々な方と触れ合いたい。農業に携わる人が何に興味があって、どんな考え方をしているのか、多様な生き方に出会ってみたいのです。そのために、牧場を承継してくれる人を探したい」素晴らしい仕組みであり、つながりを増やしていくことができ農業を行う人材育成ができるでしょう。有機栽培のトマトも手掛ける。雨よけ用のハウスが20アールほどあり、冷涼な気候を利用して、ミニトマトや中玉など3種類のトマトを栽培。JA系の販売所に出している。牛の糞尿を堆肥化して土づくりから行っている「循環農業」のため、トマト一粒の旨味は別格。露地のトマトが不足気味になる夏場に最盛期を迎えることも手伝って、貴重な販売品目になっているという。有機栽培の循環農業は中山間地で求められていることでしょう。引継ぎ条件は、「この地で長い間牧場を続けてくれること」。精魂込めて創り上げて来た牧場が荒れて山に還るのは何としても避けたいという思いが強いからだ。「ここでお金儲けはできません。田舎の山で人生を豊かに過ごしたいという人に来てもらいたい。ここで暮らすと人生観が変わるはず」儲けることができればいいですが、それでなくても豊かな人生を送ることができれば納得できるかもしれません。この大自然の中で牛を育て、野菜を収穫する暮らしと、都市部に住む私たちの生活は比べる術がない。どちらの生活がより幸せで充実しているのか。それを決める尺度は、それぞれの人の心の中にある。共感する人が継承すれば中山間地の農業も守られることになるでしょう。農業の事業承継が進んで日本農業が守られることを願っています。DSC00445.JPG
自由が大切だからといって、銃を持つ人の自由を許すのはどうでしょうか[2025年09月19日(Fri)]
 東洋経済オンライン2025年5月21日付け「「自由が大切だからといって、銃を持つ人の自由を許すとどうなるのか?」ノーベル賞経済学者スティグリッツが問い直す」から、自由は人間にとって大切なものだ。しかし、たとえば「銃を持つ人の自由」のせいで失われる命もある。経済活動においても、自由を追求することで、環境汚染などの負の外部性が問題となっている。 ノーベル経済学賞を受賞した経済学者ジョセフ・E・スティグリッツ氏は、新著『スティグリッツ 資本主義と自由』の中で、アイザイア・バーリンが表現した「オオカミの自由は、往々にしてヒツジにとっての死を意味する」を引用している。果たして自由とは誰のための自由なのか?  
束縛のない自由な市場がもたらすものは何なのか?
銃乱射事件は氷山の一角  
アメリカでは、大量殺人のニュースが毎日報じられている。2020年が始まってからは1日にほぼ2回の割合である。こうした銃乱射事件は確かに悲惨だが、それによる死亡者数は、毎年銃で死ぬ人の1パーセント余りでしかない。  
アメリカには、子どもが学校内に入る際に金属探知機を通り抜けなければならない地域もあれば、学校内で銃乱射事件が発生した場合に備えた訓練を幼稚園のころから始めている地域もある。教会やユダヤ礼拝堂へ行く人々でさえ、射殺されるおそれがないわけではない。アメリカは外国の敵とは交戦状態にないが、国内では激しい戦闘が続いている。
 ほかの先進国に比べ、アメリカで銃による死亡者数が多いのには理由がある。銃が多いからだ。人口1人あたりで見ると、アメリカにはイギリスのおよそ30倍もの銃がある。銃による死亡者数はおよそ50倍である。  
アメリカではほかのどの国よりもはるかに簡単に、AR15ライフルなどの自動小銃を購入できる。その理由は、最高裁判所が憲法修正第2条の解釈を誤り、憲法は事実上あらゆる拳銃を所有する権利を保障していると判断したからだ。テキサス州など一部の州では、さらに攻撃用武器まで容認している。
最高裁判所の解釈では(テキサス州ではなおさらそうなのだが)、銃を持つ権利が、その結果として殺害されるかもしれない数千もの命より優先されている。銃所有者という一集団の権利が、ほかのほとんどの人々がそれ以上に重要な権利だと見なしている生きる権利の上に置かれている。  
アイザイア・バーリンの言葉「オオカミの自由は、往々にしてヒツジにとっての死を意味する」を言い換えれば、こういうことになる。「銃所有者にとっての自由は往々にして、銃乱射事件で殺害される児童や大人にとっての死を意味する」
 これは、一部の人々がとる行動がほかの人々にマイナスの影響を与える外部性の一例である。こうした負の外部性がある場合、そのような行動をとる資格を与え、それを権利にまでまつりあげれば、必然的にほかの人々の自由を奪うことになる。  
外部性は、私たちの経済や社会に蔓延している。現在ではそれが、ジョン・スチュアート・ミルが『自由論』を執筆した時代よりも、あるいはフリードマンやハイエクが主張していたよりもはるかに重要性を増している。
 すでに見てきたように、市場はそれだけでは、外部性が引き起こす経済の歪みを十分に「解決」できない。自由のトレードオフが避けられない以上、どの自由がより重要なのかを反映した原則や実践方法を考え出す必要がある。
至るところに存在する外部性  
外部性はどこにでもある。それはこれまでも存在し、重要な役割を果たしてきたのだが、経済や世界の構造に起きつつある変化により、いまではその外部性が中心的な要素になっている。現在の経済政策の重要な問題には、外部性の管理が必ず伴う。それはつまり、有害な(負の)外部性がある場合にはその活動を抑制し、正の外部性がある場合にはその活動を推進する、ということだ。
 私たちは、かつてないほど人間が密集した環境で暮らしている。世界の人口は、1950年から2020年までの間に3倍になった。人類史のその短い期間のうちに、世界のGDPはおよそ15倍に増え、人類は地球の限界にまで追い込まれている。  
それを示す現象のなかでもっとも重大なのが、人類の存続を脅かす気候変動である。だが、環境外部性はそれだけではない。私たちはみな、大気汚染や水質汚染、有害な廃棄物集積場に悩まされている。
洪水、森林火災、酷暑……このままでいいのか  
驚くべきことに人間はいまだに、実際に気候変動が起きているのか、大気中の温室効果ガスが気候変動の主要な原因なのかを議論している。1896年にはすでにスウェーデンの科学者スヴァンテ・アレニウスが、大気中の温室効果ガスが増えれば地球は温暖化するとの予測を発表していたが、そのわずか数十年後には、この偉大な科学的知見が立証された。
私たちは現在、至るところでこの気候変動の影響をまのあたりにしている。
 今後数年のうちに、これまで以上にその力を実感することになるのはほぼ間違いない。
気候変動は、地球の温度が数度上がるというだけの話ではない。異常気象が増えるということでもある。旱魃が増え、洪水が増え、ハリケーンが増え、酷暑や厳寒の期間が長くなり、海水面が上昇し、海洋の酸性度が上がり、海の死や森林火災、生命や財産の喪失など、あらゆる悲惨な結果がそれに続く。  
注目すべきは、気候変動に関連するコストやリスクがこれだけ明らかであるにもかかわらず、一部の経済学者が、ほとんど何の対処もするべきではないと主張している点である。
 ここで最終的な問題となるのが、世代間および世代内の自由(機会集合)のトレードオフである。現世代が環境を汚染するのを制限すれば(それにより石炭会社の利益や自由は縮小する)、その代わりにのちの世代の人々が、大金を費やして気候や海水面の大規模な変化に対応しなくても、居住に適した環境で暮らす自由を拡大できる。  
少し考えてみれば、リスクや生命の考え方も状況により大きな違いがあることがわかる。アメリカは、2001年9月11日に世界貿易センターやペンタゴンが攻撃された報復として、戦争を始めた。このテロ攻撃では、3000人弱の人々が死亡した。それに続く戦争では、およそ7000人のアメリカ人、10万人以上の同盟軍兵士、数百万人ものアフガニスタン人やイラク人が死亡し、数兆ドルのコストがかかった。
その一方で、今世紀最初の20年間で、気候変動や大気汚染により毎年500万人が死亡していると推計されている。今後数十年間で、死亡者数はさらに増え、莫大な財産が失われるおそれがある。  
それなのに私たちは、これほど莫大な人的・物質的損失を緩和するのに必要な比較的少額な支出にさえ、合意できないでいる。こうして暗黙のうちに、その影響を受ける大勢の人々の自由が失われている。
正の外部性、負の外部性  
外部性は、有益(正)にもなれば有害(負)にもなる。社会をうまく機能させるには、正の外部性を伴う活動を推進しながら、負の外部性を伴う活動を抑制する必要がある。
 知識経済に移行するにつれて、情報や知識の外部性が第一義的な重要性を帯びてきている。ある企業が知識を向上させれば、その企業の利益になるだけでなく、場合によってはほかの多くの人々の利益にもなる。消費者は価格の低下により利益を受けられるかもしれない。あるイノベーションがほかのイノベーションを誘発することもある。  
外部性があるのにそれに気づいていない場合もある。十分に立証されている一例を挙げると、妊婦が道路の料金所のそばに暮らしていると悪影響がある。自動車やトラックの排気ガスのせいだ。環境科学について知っていようがいなかろうが、その汚染が被害を及ぼす。
 現代の経済はますます金融化しており、そのせいで巨大な負の外部性が生じる可能性が高まっている。2008年の金融危機は、マクロ経済の外部性が中心的な役割を果たした一例であり、金融化の進展により、その外部性の規模も増したことを示している。
ごく一部の金融問題が世界全体に広がる  
アメリカの銀行システムが崩壊した原因は、過剰なリスク負担、つたないリスク管理、不十分な規制にあった。その結果、グローバルな経済が脅威にさらされ、アメリカ政府がおよそ7000億ドルもの資金を費やして銀行システムを救済するはめになった(さらに連邦準備銀行から秘密の助成を受けた)。
デリバティブやそれに関連する無数の複雑な証券が、システム全体のリスクを高め、金融システムのごく一部の金融問題が、金融システム全体あるいはその大部分の破綻へとつながる可能性を高めたのだ。  
実際、リーマン・ブラザーズの破綻はすさまじい影響を与えた。これらの金融商品を売買した人のなかに、それらの商品がシステム全体にどんな結果をもたらすことになるのか、その取引に直接かかわっていない人々にどんな影響を及ぼすことになるのかを、わずかでも理解している人はいなかった。
 そういう人たちは、自分たちが手に入れる経済的利益のことしか考えていなかった。自分たちやほかの人たちが同様の金融商品を買えば、金融システムが不安定になり、自分たちも社会のほかの人々もみな、ますますリスクにさらされること、少なくとも政府が救済に乗り出さなければそうなることを理解していなかった。  
外部性はそれだけにとどまらなかった。銀行システムのこうした行動は、アメリカ経済だけでなく全世界に影響を及ぼした。国境を越える外部性の事例はほかにもたくさんあるが、グローバル化が進展し、あらゆる地域のあらゆる人々がいっそう結びつくようになるにつれ、その力はことのほか強くなっている。DSC00448.JPG

 アメリカは外国の敵とは交戦状態にないが、国内では激しい戦闘が続いている。ほかの先進国に比べ、アメリカで銃による死亡者数が多いのには理由がある。銃が多いからだ。人口1人あたりで見ると、アメリカにはイギリスのおよそ30倍もの銃がある。銃による死亡者数はおよそ50倍である。アメリカではほかのどの国よりもはるかに簡単に、AR15ライフルなどの自動小銃を購入できる。その理由は、最高裁判所が憲法修正第2条の解釈を誤り、憲法は事実上あらゆる拳銃を所有する権利を保障していると判断したからだ。テキサス州など一部の州では、さらに攻撃用武器まで容認している。最高裁判所の解釈では(テキサス州ではなおさらそうなのだが)、銃を持つ権利が、その結果として殺害されるかもしれない数千もの命より優先されている。銃所有者という一集団の権利が、ほかのほとんどの人々がそれ以上に重要な権利だと見なしている生きる権利の上に置かれている。一部の人々がとる行動がほかの人々にマイナスの影響を与える外部性の一例である。こうした負の外部性がある場合、そのような行動をとる資格を与え、それを権利にまでまつりあげれば、必然的にほかの人々の自由を奪うことになる。アメリカは分断されていて価値観が違う人たちはお互いを受け入れようとしないのでしょうか。議論して命の方が大事だという考えが受け入れなくなっているのでしょうか。かつてないほど人間が密集した環境で暮らしている。世界の人口は、1950年から2020年までの間に3倍になった。人類史のその短い期間のうちに、世界のGDPはおよそ15倍に増え、人類は地球の限界にまで追い込まれている。それを示す現象のなかでもっとも重大なのが、人類の存続を脅かす気候変動である。だが、環境外部性はそれだけではない。私たちはみな、大気汚染や水質汚染、有害な廃棄物集積場に悩まされている。驚くべきことに人間はいまだに、実際に気候変動が起きているのか、大気中の温室効果ガスが気候変動の主要な原因なのかを議論している。1896年にはすでにスウェーデンの科学者スヴァンテ・アレニウスが、大気中の温室効果ガスが増えれば地球は温暖化するとの予測を発表していたが、そのわずか数十年後には、この偉大な科学的知見が立証された。私たちは現在、至るところでこの気候変動の影響をまのあたりにしている。今後数年のうちに、これまで以上にその力を実感することになるのはほぼ間違いない。気候変動は、地球の温度が数度上がるというだけの話ではない。異常気象が増えるということでもある。旱魃が増え、洪水が増え、ハリケーンが増え、酷暑や厳寒の期間が長くなり、海水面が上昇し、海洋の酸性度が上がり、海の死や森林火災、生命や財産の喪失など、あらゆる悲惨な結果がそれに続く。注目すべきは、気候変動に関連するコストやリスクがこれだけ明らかであるにもかかわらず、一部の経済学者が、ほとんど何の対処もするべきではないと主張している点である。異常とも言える気象変動に対してなにも対処する必要がないと考える経済学者がいるのでしょうか。対処しても仕方がないと考えているのでしょうか。リスクや生命の考え方も状況により大きな違いがあることがわかる。アメリカは、2001年9月11日に世界貿易センターやペンタゴンが攻撃された報復として、戦争を始めた。このテロ攻撃では、3000人弱の人々が死亡した。それに続く戦争では、およそ7000人のアメリカ人、10万人以上の同盟軍兵士、数百万人ものアフガニスタン人やイラク人が死亡し、数兆ドルのコストがかかった。その一方で、今世紀最初の20年間で、気候変動や大気汚染により毎年500万人が死亡していると推計されている。今後数十年間で、死亡者数はさらに増え、莫大な財産が失われるおそれがある。それなのに私たちは、これほど莫大な人的・物質的損失を緩和するのに必要な比較的少額な支出にさえ、合意できないでいる。こうして暗黙のうちに、その影響を受ける大勢の人々の自由が失われている。考え方の違い人たちでも議論し合って合意点を模索することはできないのでしょうか。DSC00447.JPG
沖縄の苦しみに思いを馳せない政治家はどれだけいるのでしょうか[2025年09月18日(Thu)]
 AERA DIGITAL2025年5月20日付け「「沖縄の苦しみに思いを馳せず 西田議員『認識』の問題点」東浩紀」から、批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。
自民党の西田昌司参院議員の発言が波紋を呼んでいる。  
議員は5月3日、「ひめゆりの塔」の記述が歴史を歪めているとの趣旨の発言を行った。日本軍が悪者で米軍が解放者のように記されているのはおかしいというのだ。  
沖縄戦の日本軍に問題があったのは周知の事実だ。沖縄は本土決戦の捨て石とされ、多数の住民を巻き込んで時間稼ぎの戦闘が行われた。  
それゆえ県民は西田発言に強く反発した。国会議員からも党派を問わず批判が相次ぎ、9日には撤回と謝罪に追い込まれた。石破茂首相も12日に違和感を表明している。政治的にはこれで決着だろう。  
しかし火種は燻っている。西田氏は沖縄の教育が偏っているとの認識は撤回しなかった。参政党の神谷宗幣代表は10日、西田発言を引用しつつ改めて日本軍を擁護している。  
西田氏や神谷氏の支持者の声を見てみると、沖縄を攻撃したのはあくまでも米軍であり、日本軍は逆に沖縄を守るため戦った、その功績が評価されないのはおかしいとの思いがあるようだ。なるほど大きな構図はそのとおりだ。真摯に戦った現場の兵士もいただろう。
しかし問題は、そんな功績が無に帰すぐらい日本軍の行動が酷かったことなのである。軍は沖縄という領土は守ったが県民は守らなかった。スパイ容疑で民間人を殺し、集団自決も促した。ひめゆり学徒隊の死者が多かったのも、場当たり的に解散命令を発し学生を戦場に放置したからだ。確かに米軍を解放者と見なすのは転倒している。しかしそう感じてしまうぐらい沖縄の住民は悲惨な経験をしたのだ。そこに思いを馳せずしてなにが保守だろうか。
加害と被害の関係は単純なものではない。加害者は被害者に良いこともする。被害者が感謝を示すこともある。しかしそれは被害者の苦しみを軽視する理由にはならない。個人間でも集団間でも同じことだ。  
戦前の日本政府はまちがいなく沖縄に酷いことをした。その事実を認め、反省し前に進むことこそが本当の保守であり愛国のはずだ。偽りの過去のうえにつくられた愛国は、結局は脆弱で無力である。DSC09709.jpg

 「ひめゆりの塔」の記述が歴史を歪めているとの趣旨の発言を行った。日本軍が悪者で米軍が解放者のように記されているのはおかしいというのだ。沖縄戦の日本軍に問題があったのは周知の事実だ。沖縄は本土決戦の捨て石とされ、多数の住民を巻き込んで時間稼ぎの戦闘が行われた。西田氏は沖縄の教育が偏っているとの認識は撤回しなかった。参政党の神谷宗幣代表は10日、西田発言を引用しつつ改めて日本軍を擁護している。西田氏や神谷氏の支持者の声を見てみると、沖縄を攻撃したのはあくまでも米軍であり、日本軍は逆に沖縄を守るため戦った、その功績が評価されないのはおかしいとの思いがあるようだ。残念ながら歴史を修正しないで正しく理解しているとは言えない保守的な政治家は少なくないかもしれません。問題は、そんな功績が無に帰すぐらい日本軍の行動が酷かったことなのである。軍は沖縄という領土は守ったが県民は守らなかった。スパイ容疑で民間人を殺し、集団自決も促した。ひめゆり学徒隊の死者が多かったのも、場当たり的に解散命令を発し学生を戦場に放置したからだ。確かに米軍を解放者と見なすのは転倒している。しかしそう感じてしまうぐらい沖縄の住民は悲惨な経験をしたのだ。そこに思いを馳せずしてなにが保守だろうか。加害と被害の関係は単純なものではない。加害者は被害者に良いこともする。被害者が感謝を示すこともある。しかしそれは被害者の苦しみを軽視する理由にはならない。個人間でも集団間でも同じことだ。戦前の日本政府はまちがいなく沖縄に酷いことをした。その事実を認め、反省し前に進むことこそが本当の保守であり愛国のはずだ。偽りの過去のうえにつくられた愛国は、結局は脆弱で無力である。国民は政治家の語ることに関心を持って必要なときには声を上げる必要があるでしょう。DSC09652.jpg
障害者の「できない」を「できる」に変換する可能性[2025年09月17日(Wed)]
 SPA!2025年5月20日付け「“安野新党”に乙武洋匡氏が期待すること。私たち障害者の「できない」を「できる」に変換する可能性」から、’24年の都知事選出馬で注目を集めたAIエンジニアの安野貴博氏は5月8日、今夏の参院選への出馬と、新党「チームみらい」の結成を発表した。「チームみらい」は「テクノロジーで誰も取り残されない日本へ」を合言葉とし、技術を駆使した行政サービスの効率化や、透明化を目指すという。
安野貴博氏の見据える“民主主義”の形とは
安野氏が掲げる「誰も取り残されない」という合言葉は、雑誌『Numero TOKYO(ヌメロ・トウキョウ)』(2025年1・2月合併号)での次のような発言からもうかがえる。
<現在の日本の政治状況は、新陳代謝が悪く、政治家になるためには地盤や資金が必要であり、世襲が多いという問題があり、この構造自体が一般市民が政治参加することを阻むハードルとなっている。
具体的には、日本の政治の現場で、政治家以外の人が法案を提案できるパスをつくることが重要。たとえば台湾の「ジョイン」というウェブ上のフォーラムで誰でも法案を提案できる仕組みでは、一定数の賛同を得れば専門家の審議対象となり、実際に法案が通ることがある。このような方法による自己効力感の増大が、より多くの人々が政治に参加するきっかけになるのではないか。
また、政治参加を促進するためにはコストを下げることも必要であり、ネット選挙などのデジタル技術を活用することに期待を寄せている。機会が平等に与えられることで、既存の構造を超えた多くの人々の意見が政治に反映される新たな可能性を開ける。>
安野氏が掲げる機会平等の追求について作家の乙武洋匡氏は「私たち障がい者の『できない』を『できる』に変換してくれる可能性を秘めている」と期待する。その脳裏に去来するのは、’18年に起きた聴覚障害のある少女の死亡事故をめぐる裁判の記憶であった(以下、乙武氏による寄稿)。
誰も取り残すことなく政治DXを目指す姿勢に期待
 今夏に行われる参院選に向けて、AIエンジニアであり、昨夏の都知事選にも出馬していた安野貴博氏が新たに政党を立ち上げた。政党名は、「チームみらい」。比例区と選挙区で計10人以上を擁立し、安野氏は比例代表で立候補する予定だという。  
安野氏は記者会見で、「テクノロジーで誰も取り残さない日本をつくる」とビジョンを語った。新党が発足すると必ず「右か左か」が問われるなか、そうしたイデオロギーにとらわれず、最新技術により国民生活の利便性を向上させ、併せて政治のDXを目指す姿勢は非常に斬新だ。  
私自身、このビジョンにとても関心を抱いている。「誰も取り残さない」という目標はすなわち「これまで取り残されてきた人々がいる」ことの裏返しでもあり、そこには残念ながら障害者も含まれてきたという事実があるからだ。
健常者より低く見積もられた障害者の賠償金
 忘れられない裁判がある。’18年、当時11歳だった聴覚障害のある少女が重機に轢かれて亡くなった。当初、賠償金として約3770万円の支払いが命じられたが、それは全労働者の平均賃金の85%にあたる金額だった。将来得られるはずの収入(逸失利益)が健聴児よりも低くなると算定されたのだ。遺族は彼女が補聴器で会話できたこと、今後は音声認識アプリなどの技術の発展が見込まれることなどから将来的には「健聴者と差異なく働くことができた」と主張したが、聞き入れられなかった。  
今やオンライン会議でも即座に字幕が表示される時代。聴覚障害があってもテキストでのやりとりだってできる。ましてや少女が社会に出るまではさらに10年ほどの猶予があった。その間のテクノロジーの進展を思えば、障害にかかわらず遜色なく働ける時代は容易に想像ができる。  
安野氏が掲げる「テクノロジーで誰も取り残さない」社会の実現は、私たち障害者の「できない」を「できる」に変換してくれる可能性を秘めている。参院選ではその礎となる議席を獲得することができるのか、おおいに注目するところだ。DSC09789.jpg

 現在の日本の政治状況は、新陳代謝が悪く、政治家になるためには地盤や資金が必要であり、世襲が多いという問題があり、この構造自体が一般市民が政治参加することを阻むハードルとなっている。具体的には、日本の政治の現場で、政治家以外の人が法案を提案できるパスをつくることが重要。たとえば台湾の「ジョイン」というウェブ上のフォーラムで誰でも法案を提案できる仕組みでは、一定数の賛同を得れば専門家の審議対象となり、実際に法案が通ることがある。このような方法による自己効力感の増大が、より多くの人々が政治に参加するきっかけになるのではないか。また、政治参加を促進するためにはコストを下げることも必要であり、ネット選挙などのデジタル技術を活用することに期待を寄せている。機会が平等に与えられることで、既存の構造を超えた多くの人々の意見が政治に反映される新たな可能性を開ける。そうですね。日本の政治状況は変革する必要があるのでしょう。その変革のために立ち上がることに期待する声は少なくないでしょう。「私たち障がい者の『できない』を『できる』に変換してくれる可能性を秘めている」できないをできるに変えることができれば可能性が広がり社会がより良くなるかもしれません。「誰も取り残さない」という目標はすなわち「これまで取り残されてきた人々がいる」ことの裏返しでもあり、そこには残念ながら障害者も含まれてきたという事実があるからだ。障害にかかわらず遜色なく働ける時代は容易に想像ができる。「テクノロジーで誰も取り残さない」社会の実現は、私たち障害者の「できない」を「できる」に変換してくれる可能性を秘めている。健常者と障害者の線引きをする必要がなくなる社会にすべきでしょう。政治を変えるのは大きな政党だけではないでしょう。マイナーな政党から日本を変えるような存在になるかもしれません。DSC09773.jpg
女性議員が増えなければ社会は変わらないのでは[2025年09月16日(Tue)]
 弁護士ドットコムニュース2025年5月18日付け「「女性議員を増やしたい」九州・宮崎のジェンダー格差打破へ…奮闘する女性市議に立ちはだかる“ある壁”と希望」から、過去に一度も女性の首長が生まれたことがなく、「ジェンダー・ギャップ指数」は政治分野で全国45位。 そんな宮崎県で女性の議員を増やそうと活動する地方議員がいる。
「停滞している今の日本では、女性を活躍させることしか残された手がない気がします」
性別による役割分担の意識が根強いと言われる九州で、ある壁に直面したという。
夫が国会議員になったことで政治が身近に
大分県との県境に位置する宮崎県延岡市で市議をつとめる小御門綾(こみかど・あや)さん(54)は、2023年4月の統一地方選挙で初当選した。
「初めて議場に入ったとき、議員だけでなく、市の幹部が座る席も女性が少ないと感じました。意思決定する機関に女性がいない。これでは声を上げる人が少ないので、課題も解決しないよねって」
延岡市議会の定数は27人だが、女性議員は5人。これでも以前より増えているという。
小御門さんは以前、関東でライターや編集者をしており、約10年前に夫の地元である宮崎に移住。ウェブメディアを立ち上げ、編集長として地域ニュースを発信してきた。  
「議員になるなんてまったく考えていなかった」というが、夫が2021年の衆議院選挙に出馬し初当選を果たしたことが転機となった。
立ちはだかった「家族の壁」
小御門さんの夫は公約に「ジェンダー平等の達成」を掲げて政治活動をしていたが、「僕だけじゃ無理だ」と打ち明けられたことがあった。
国会議員になった夫は「女性の議員候補者をもっと多く立てる必要がある」と言い、小御門さんも候補者探しを手伝うようになったという。
直面したのが「家族の壁」だった。 議員に適していると感じた女性を何人か見つけることができたものの、「家族の反対にあいました」「子どもの受験に重なるので難しい」などと辞退された。
家族の理解が得られないことを理由にあげる人が多く、中には「挑戦してみたいが、子どもがなんと言われるか心配」といった声も聞いたという。
「もともとジェンダーの不平等はおかしいと思っていました。私の場合は家族も反対していなかったので」。小御門さんは自身が市議選にチャレンジすることにした経緯をそう振り返る。
「投票する人がいない」は「自分たちの代表を出していない」から
これまで遠い存在だった議員に自らがなって、その役割や意味を実感することが増えた。高齢者を対象にした福祉バスの運行について、市民から寄せられた相談をもとに議会で質問したところ、以前よりも条件を緩めた運行が可能になった。
「働き盛りの人が自分たちの代理人として議員を出していかないと、普段の生活で感じてる課題は解決できません。
よく『投票する人がいない』という声を聞きますが、それは自分たちの代表を候補者として出せていないからだと思います。
自治体に若者や女性の議員が増えれば、国会議員も増えます。そうすれば行政側も変わってくる。そして、市民が抱く雰囲気も変わってくると思います」
女性議員を増やすため「宮崎ミモザの会」を設立
女性の議員が増えることで停滞した日本社会を活性化できる。
そんな思いを強め、2024年3月、女性議員アップを目指す任意団体「宮崎ミモザの会」を立ち上げた。
1〜2カ月に1回の頻度で、地域が抱える問題や女性ならではの困りごとについて講師を招いたり、ディスカッションしたりするイベントを開催している。年代や性別、支持政党の違いは抜きに、誰でも参加できる環境だ。
まずは身近な問題について気軽に話す場を設け、その先にそれらの課題を解決するために議員という選択肢があることを知ってもらいたいという。
当初は、女性をひいきにする活動だと誤解する人が現れることも少し懸念したが、実際に始めると意外にも年配の男性から「良い取り組みだね」と言われることが多かったという。
また、女性議員の増加を目標に掲げて活動する中で、「この人はどうですか?」と、知人を議員の候補者として薦めてくる人が増えてきた。
家の中と外での振る舞いが変わる“九州男児”
九州は男尊女卑の意識が根強く残っていると言われることが少なくない。ネット上では九州地方や出身者を揶揄する「さす九(「さすが九州」の略)」といった言葉が使われることもある。
実際、小御門さんが市民と話していると、「うちの親は、私には大学に進学しなくてもいいと言ったり、進学しても近くにしなさいと言ったりしてきたのに、弟には自由にさせていた」や「飲み会に行った夫の送り迎えに行く」といったエピソードを耳にすることが珍しくないという。
また、家庭では家事を手伝う男性でも、親戚の集まりなど家庭の外では食事の準備などを女性たちに任せきりにすることがあるといい、同じ男性でも家の中と外での振る舞いが変わりうるという。
「周囲が応援することが最初の一歩」
「女性側にも『女性なんて…』『男性に任せればいい』といったダブルスタンダードのようなところがあると思います」
小御門さんは、女性の議員が増えない背景に女性自身の思い込みがあるとも感じている。
「女性は経験値が男性より足りないだけです。もっと前に出て自分の意見を言いましょう、と。女性が自由になれば、男性も自由に生きやすくなると思います」
女性の議員がもっと増えるには何が必要なのか。小御門さんに尋ねると、次のような回答があった。
「周囲が応援してあげることが最初の一歩だと思います。そしてやっぱり男性の協力が必要です。男性が夕方5時に帰宅できるような環境があれば、子育て中の女性も議員活動が続けられます。
私はよく言っているんですが、私の街は私が作る、地元を誰かに任せない。議員になりたいと思っている方は、ぜひ私に声をかけてください」DSC09848.jpg

 過去に一度も女性の首長が生まれたことがなく、「ジェンダー・ギャップ指数」は政治分野で全国45位。 そんな宮崎県で女性の議員を増やそうと活動する地方議員がいる。「停滞している今の日本では、女性を活躍させることしか残された手がない気がします」性別による役割分担の意識が根強いと言われる九州で、ある壁に直面したという。女性が活躍ができない日本は変わらないでしょう。「働き盛りの人が自分たちの代理人として議員を出していかないと、普段の生活で感じてる課題は解決できません。よく『投票する人がいない』という声を聞きますが、それは自分たちの代表を候補者として出せていないからだと思います。自治体に若者や女性の議員が増えれば、国会議員も増えます。そうすれば行政側も変わってくる。そして、市民が抱く雰囲気も変わってくると思います」その通りではないでしょうか。2024年3月、女性議員アップを目指す任意団体「宮崎ミモザの会」を立ち上げた。1〜2カ月に1回の頻度で、地域が抱える問題や女性ならではの困りごとについて講師を招いたり、ディスカッションしたりするイベントを開催している。年代や性別、支持政党の違いは抜きに、誰でも参加できる環境だ。まずは身近な問題について気軽に話す場を設け、その先にそれらの課題を解決するために議員という選択肢があることを知ってもらいたいという。九州は男尊女卑の意識が根強く残っていると言われることが少なくない。ネット上では九州地方や出身者を揶揄する「さす九(「さすが九州」の略)」といった言葉が使われることもある。男尊女卑は変わらなければならないでしょう。家庭では家事を手伝う男性でも、親戚の集まりなど家庭の外では食事の準備などを女性たちに任せきりにすることがあるといい、同じ男性でも家の中と外での振る舞いが変わりうるという。女性の議員がもっと増えるには 「周囲が応援してあげることが最初の一歩だと思います。そしてやっぱり男性の協力が必要です。男性が夕方5時に帰宅できるような環境があれば、子育て中の女性も議員活動が続けられます。私はよく言っているんですが、私の街は私が作る、地元を誰かに任せない。議員になりたいと思っている方は、ぜひ私に声をかけてください」女性議員が増えなければ日本は変わらないでしょう。女性が活躍できる社会にするために声を上げ行動していくことが大事でしょう。DSC09843.jpg
若いうちは煩わしいことに嫌というほどかかわっていいのでは[2025年09月15日(Mon)]
 デイリー新潮2025年5月17日付け「「他人との関係が希薄な人が極端なことをする」 養老孟司さんが語る「現代人の勘違い」」から、犯罪の動機と行為が結びついていない。そんな事件が増えているように感じる方も多いことだろう。
東京メトロ・東大前駅で切りつけ事件を起こした容疑者は、「教育熱心な親たちに度がすぎると犯罪を犯すと示したかった」と供述しているという。その主張も行為も一般的に理解されないであろうことは言うまでもない。
 この種の犯罪者は、何らかの病気を抱えている場合もあるだろうが、身勝手な自己アピール、自己顕示欲が動機となっている面もありそうだ。主張を世界に発信するためにSNSではなく犯罪という手段を選んだわけである。
『バカの壁』で知られる解剖学者の養老孟司さんは、新著『人生の壁』の中で、「自分の重みを無理にアピールする人間が極端な行動に走るのではないか」と指摘している。  そのうえで、他人とかかわって生きることの大切さを説く。  
養老さんの話を聞いてみよう(以下、『人生の壁』より抜粋・引用)
自分とは中身のないトンネルのようなもの
ドイツの若い哲学者でトーマス・メッツィンガーという人がいます。彼は著書の中で、自己とはトンネルである、と述べています(『エゴ・トンネル 心の科学と「わたし」という謎』原塑・鹿野祐介訳、岩波書店)。  
トンネルというのは壁だけがあるけれども中は空(から)です。空ではないとトンネルとしては使えません。  
要は、自分なんて空っぽだというのです。面白いのは、この考えが老子と共通している点です。老子は、部屋は中が空でないと使えないと述べています。
現代人、とくに若い人は、おそらくトンネルの中身があると、よく考えないで信じ込んでしまっているのではないか、と思います。その中身のほうを「自分」と呼んで、実体があると思い込んでいる。    
その中身が詰まっているほど充実しているという勘ちがいがそこから生まれます。確固とした「個性」があり、それこそが自分の本質だと考えている。でも、実はそうではなくてあるのは壁だけ、確実にあるのは身体のほうです。    
仏教もまた、自分なんか無い、ということを昔から教えてきました。「無我(むが)」です。
そういう仏教が今は人気が無くなってきているのも理解できます。今の人の考えとはまったく正反対だから受けないのでしょう。    
一方で、一神教の世界では、「自分」というものが一貫して存在することを前提としています。最後の審判で、それまでの人生をすべて裁かれるというのはそういうことでしょう。
生まれた時から死ぬ時まで一貫した本質的な「自分」があるとしないと、最後に裁かれることを納得できるはずがない。  
しかし、3歳の時の自分と80歳の時の自分が同じはずがない、というのが日本人の普通の感覚ではないでしょうか。    
キリスト教やイスラム教はそんなことは考えもしません。本質的な「自分」が存在しているという前提の上に成り立っています。だから無我なんて聞けば、「なんだそれ」と思うでしょう。  
そこで興味深いのが、メッツィンガーです。西洋人である彼は考えに考え抜いたうえで「トンネルだ」という結論に至ったのでしょうが、実はそれは仏教がずっと言ってきたことでした。一貫した自分なんてない、という考えはもともと日本では比較的すんなり受け止められてきたはずなのです。一方で、そういう考え方は、一神教の側から見ればいい加減に映ることでしょう。  
でも、「最後に神の前に出るのは誰だよ」という質問に彼らはどう答えるのでしょうか。仮にそういうことになった時に、神の前に立つのは何歳の時のあなたなのか。
重みを持とうという勘違い
日本人が共有できていた前提が消えていき、自分はトンネルや壁ではなくて中身が詰まった存在であるという考えが主流になっていくことを、戦後の日本人は進歩だと考えてきたわけです。意識が進んだ、高くなったと。    
しかし、結果として空っぽの人間が自分の存在を際立たせようとすると、極端な行動に走ることにもつながりやすいのではないでしょうか。京都アニメーション放火殺人事件からはそういうものを感じます。自分の作品が盗まれたという妄想を膨らませた男が、逆恨みをした末に放火して、30人以上の方が亡くなりました。    
あの被告は一心に自分の存在を主張していたように見えます。自分はここにちゃんと存在していて、やろうと思えばこんなに大きなことができるのだ、と。  
自分の重みを必死にアピールしているのです。前提には、自分には何らかの重みがあるはずだ、あるべきだという考えがあるのでしょう。    
人との付き合いがなくなると、日常で「あんたがそこにいると、俺が通れないんだよ」と言われることがなくなります。そんな経験があれば、自分の存在が他人にどのように影響を与えるかも自然とわかるはずです。普通の日常生活を共同体の中で送れていれば、極端な形で自分の存在を示そうなどとはならないかもしれません。    
他人と接点を持つのは煩(わずら)わしいことですが、そのおかげで自然と自分の重みを感じることができるのです。お祭りの時に「お前が抜けると、神輿(みこし)を担ぐときに他の人が重くて仕方ないだろう」と言われる。    
つまり他人と付き合えば、自分の存在には自然と重みを与えられる。しかし他人との関係が希薄になればなるほど、自分で勝手に重みを作りたがってしまう。その極端な例が、あの被告だったのではないでしょうか。
頼まれることが重みになる
 日常で感じられる自分の重みは一つ一つは大したものではないでしょう。しかし、そういうことの積み重ねが実は生きていくうえでは大きな助けになるのです。  
私はこの年になっても、人から頼まれて自分ができることはなるべくやるようにしています。それがなければ家で毎日ボーッとしていたでしょう。  
多くの場合、頼み事や相談の類は煩わしいものです。でも、それは周りが自分に対して重みを持たせてくれているのだとも言える。また、煩わしく感じるのは実は往々にして、自分の体力の問題です。体力があれば、大抵のことは対応できる。  
だから若いうちは煩わしいことに嫌というほどかかわっていいのです。恋愛や結婚、子育ても煩わしいに決まっています。でも若いうちは体力があるから向き合える。  
さらに言えば、生きているうえでやることは、煩わしいことばかりです。それをどう考えるかで随分人生は変わってきます。IMG_3692.JPG

 現代人、とくに若い人は、おそらくトンネルの中身があると、よく考えないで信じ込んでしまっているのではないか、と思います。その中身のほうを「自分」と呼んで、実体があると思い込んでいる。その中身が詰まっているほど充実しているという勘ちがいがそこから生まれます。確固とした「個性」があり、それこそが自分の本質だと考えている。でも、実はそうではなくてあるのは壁だけ、確実にあるのは身体のほうです。日本人が共有できていた前提が消えていき、自分はトンネルや壁ではなくて中身が詰まった存在であるという考えが主流になっていくことを、戦後の日本人は進歩だと考えてきたわけです。意識が進んだ、高くなったと。しかし、結果として空っぽの人間が自分の存在を際立たせようとすると、極端な行動に走ることにもつながりやすいのではないでしょうか。京都アニメーション放火殺人事件からはそういうものを感じます。自分の作品が盗まれたという妄想を膨らませた男が、逆恨みをした末に放火して、30人以上の方が亡くなりました。あの被告は一心に自分の存在を主張していたように見えます。自分はここにちゃんと存在していて、やろうと思えばこんなに大きなことができるのだ。自分の重みを必死にアピールしているのです。前提には、自分には何らかの重みがあるはずだ、あるべきだという考えがあるのでしょう。人との付き合いがなくなると、日常で「あんたがそこにいると、俺が通れないんだよ」と言われることがなくなります。そんな経験があれば、自分の存在が他人にどのように影響を与えるかも自然とわかるはずです。普通の日常生活を共同体の中で送れていれば、極端な形で自分の存在を示そうなどとはならないかもしれません。他人と接点を持つのは煩(わずら)わしいことですが、そのおかげで自然と自分の重みを感じることができるのです。お祭りの時に「お前が抜けると、神輿(みこし)を担ぐときに他の人が重くて仕方ないだろう」と言われる。つまり他人と付き合えば、自分の存在には自然と重みを与えられる。しかし他人との関係が希薄になればなるほど、自分で勝手に重みを作りたがってしまう。その極端な例が、あの被告だったのではないでしょうか。なる程そうですね。納得できます。若いうちは煩わしいことに嫌というほどかかわっていいのです。恋愛や結婚、子育ても煩わしいに決まっています。でも若いうちは体力があるから向き合える。さらに言えば、生きているうえでやることは、煩わしいことばかりです。それをどう考えるかで随分人生は変わってきます。その通りですね。理解できるような気がします。DSC09848.jpg
「若者世代が田園回帰」イタリアの農業と農村が元気な理由[2025年09月14日(Sun)]
 PRESIDENT Online2025年5月17日付け「「農業離れ」が止まらない日本とはまるで違う…「若者世代が田園回帰」イタリアの農業と農村が元気な理由」から、日本の農村が衰退の一途をたどっている。この状況を変えることはできるのか。龍谷大学教授の大石尚子さんは「イタリアにも農業者の減少や耕作放棄地の増加という課題があるが、農業・農村は元気である」という。
世界初「食」をテーマにしたミラノ万博  
2015年、イタリア経済の中心都市ミラノで万国博覧会が開催された。テーマは「食」。万博のテーマに「食」が取り上げられたのは世界初だった。しかし、世界各国の食材やグルメが一堂に勢ぞろいする、というわけではない。コンセプトは、「Feeding the Planet, Energy for Life(地球に食料を、生命にエネルギーを)」。飢餓や食料安全保障、生物多様性といった人類の存続に関わる重要な課題を人々に問いかけるものだった。あらゆる人々に最も身近な「食」をテーマに掲げて、社会のあらゆる問題にアプローチする、というわけである。  
テーマが発表されたのは2008年。2015年に国連がSDGs(持続可能な開発目標)を宣言することを予測していたかのようである。食の問題は、社会の持続可能性を左右する最も重要な政策テーマでもあり、SDGsの17の目標すべてに関連付けられる。そのため、国連や欧州連合(EU)などの国際組織も、ミラノ万博を食料や農業政策について各国間で議論する場と位置付け、参加活動に力を入れていた。
食と持続可能性を語るにふさわしい国  
イタリアの食と持続可能性にピンとくる人は、あまりいないかもしれない。同国の食文化の特徴は、土地との結びつきと多様性にある。それぞれの地域の気候・風土・歴史が、その土壌に合った食材を育み、その特性に合った料理法、保存法をあみだし、多様で魅力的な食文化を創ってきた。そこには必ず、大地の美しい風景がなくてはならない。地域のベッレッツァ(Bellezza=美しさ)を、人々の叡智(えいち)で存続させてきた。イタリアは、食と持続可能性を語るに最もふさわしい国の一つである。  
本書の目的はイタリアそれぞれの地域に根ざした食の多様性を描くことにある。したがって、本書で取り上げるのは高級な食材を贅沢に使った都会的な料理よりも、農民たちの土地で採れた食材を使った素朴な料理だ。
日本とイタリアには似ているところがある  
イタリアが統一されたのは、1861年である。明治維新と同じ頃。それまでは、地方が一つの国として存在する地方都市国家の寄せ集めだった。この歴史が、地域に根ざした強いアイデンティティを育むことにつながった。日本でも、江戸時代には幕府が全国を統治したが、住民は藩の統治を強く意識し、藩に対するアイデンティティがより強かった。食の習慣も同様で、各地に郷土料理がある。  
しかし、日本では、1970年代の高度成長期に、食生活が欧米化した。その代償として、地域食が失われた。核家族、共働き家庭が増え、ファストフードやファミリーレストランが普及した。外国産農産物が大量に輸入され、食のグローバル化が進展した。時間をかけて料理をしなくとも、コンビニ食で簡単に食事をまかなえるようになった。親から子へと引き継がれてきた郷土料理も、こうしたライフスタイルの変化から影響を受けている。地方から都市への移住が加速し、都市型生活の中で郷土料理を振る舞い、振る舞われる機会が減った。
地域の食文化が子から孫世代に伝わらず、消滅しかかっている。
一極集中が進む日本と、地域都市の再興が見られるイタリア  
イタリアも、日本と同じく1970年代の高度成長を経験し、人口減少により農村は衰退している。北イタリアのミラノ、トリノ、ボローニャの三都市を中心に、自動車産業や機械・繊維産業が発達し、労働力が求められた。その労働力の供給源となったのが、都市部から離れた北東部の中山間部や南イタリアなど条件が不利な地域にある農村である。中世からの大地主制度(ラティフォンド)に由来する農村システムが残ったまま、戦後の復興期も産業が発達せず、粗放的農業を脱却することなく、収益の挙がる農業に転換できなかった。そのため、南部、シチリア島とサルデーニャ島、あるいは中部・北部の農村地域からは、大量の若者が北部の都市に流出した。  
しかし、農村が衰退の一途をたどって東京一極集中が進む日本と違って、イタリアでは、地方都市の再興が見られる。例えば、1970年代終わりから80年代にかけて発達した独自の農村観光アグリツーリズム(農体験ができる農家民泊。アグリツーリズム法で自家製食材や地元産食材を一定割合以上使うことが義務付けられている)に注目したい。トスカーナ州の一貴族が、農村からフィレンツェなどの大都市に人口が流出していくことに抗し、「田舎には田舎ならではの美しさ、豊かさがある」と唱導し、美しい自然とその土地の食を満喫する滞在型観光を提案した。アグリツーリズムの始源である。  
これを正式に国として推進していくべく、戦略的に地元農家や地主などいろいろな人を巻き込むネットワークが立ち上げられ、ついには1985年、アグリツーリズム法まで制定された。
小さなサークルで始まったスローフード運動は国際レベルに  
また、同時期に生まれたスローフード運動は、当時、ローマの中心地に進出してきたファストフードに対峙し、地域に根ざした食や伝統料理法を守り、継承しようと、田舎町の小さなサークルが始めた運動である。今や世界160カ国以上にまたがる国際NPO団体に成長し、生物多様性の保護や食の主権の回復をミッションとして、EUや国連へのアドボカシー活動(意見や意思の表明や、権利の行使を支援すること)を展開している。EUの2050年までの食料システム総合戦略「Farm to Fork(農場から食卓まで)」の策定にも関わり、有機農業やアグロエコロジーのコンセプトの導入に貢献した。  
このように、一市民、一ローカルグループが、新しい価値を創造して、国家・国際レベルの運動に盛り上げ、農村全体の価値を高めるようなダイナミズムは、日本では見ることができない。  
21世紀に入り、さらにグローバル化が進む。環境破壊や自然災害が頻発し、被害が甚大化している。経済破綻や格差が顕在化し、社会不安が増大している。パンデミックやウクライナ問題は、原材料の多くを輸入に頼る日本の暮らしを揺るがせる。
衰退の一途をたどる日本の農村  
食料安全保障は喫緊の課題である。日本の2022年の食料自給率はカロリーベースで38%。材木も、ありあまる森林が存在しながら60%を輸入に頼る。暮らしの根本要素である衣食住を、海外に頼らざるを得ない状況である。近い将来、世界では人口爆発による食料危機が心配される。現在、輸入している食料も他国へ流れ、日本に回ってこない可能性がある。実際、すでに小麦粉や飼料などは、巨大なマーケットを持つ大国に買い負けし、日本では品薄状況が続く。  
日本の農村は衰退の一途だ。農業者は、毎年平均6万人近く減り、15年前に比べ半分になっている。農業者の平均年齢は68歳(2022年)。この状況を打破しなければ、日本の農村、および農業は崩壊する。その時、食料をどこから調達するのか。  
日本の国土は、イタリアと同様に森林が多くを占める。国土全体の70%が中山間地域で農地全体の40%がこの中山間地域にある。起伏が多く、したがって一区画の農地面積が狭い。大規模に工業的な農業をする上で不利な地域である。そのために生産量が確保できず、新市場の開拓も難しい。農業者は十分に稼ぐことができず、離農して都市部へ移住する。親も、子どもに農業を継がせようとは言わなくなった。  
「農業は儲からず、しんどいだけ」というイメージを子どもに植え付けたのは、戦後の高度成長期当時に生産年齢世代であった大人たちである。特に、大規模化できなかった中山間地域で過疎化が進む。
農業者の減少は課題だが、農業も農村も元気がある  
イタリアも国土の70%を条件不利地域が占める。農業者の減少、耕作放棄地の増加といった課題を抱える。しかし、その中で、農業・農村は元気である。若者世代が田園回帰し、オーガニック栽培や伝統農法を復活させて、環境保全・循環型農業を始めている。それが豊かな食文化とつながり、イタリア農業の強みになっている。  
ただ、伝統をそのまま継承しても、地域は再生しない。根本的な経済社会の課題解決には、新たな手法や新しい生産物、これまでなかった価値観、創造的な活動を生み出し、社会システムそのものを変革するソーシャル・イノベーション(社会変革)が必要である。伝統をまるごと踏襲するのではなく、伝統の中にある知恵や技を、現代の新たなアイデアやテクノロジーと融合させ、社会、環境、経済の持続可能性を実現する革新を生むことが求められる。
イタリアの食農をめぐる活動には革新性がある  
イタリアの食農をめぐる現在に至る活動にはそうした革新性がある。その食文化が魅力的に継承されているのは、それぞれの時代に起きた危機を、その都度、新しい考え方や価値の創造によって乗り越えてきたからである。本書では、そうしたイタリアの食や農のソーシャル・イノベーションを具現する事例を取り上げる。  
日本にも、「里山の暮らし」という自然と人が共生する時空があった。自然の循環を活かしながら農業を営む――そのために私たちの祖先は、いろいろな知恵を出し合い、持続可能な暮らしを創り出してきたのである。もし読者が、イタリアの生き生きとした農村の姿を通して、日本の美しい農村、そこにあった暮らしの叡智に再び気づくことができれば、本書の目的が幾分か達成される。IMG_3695.JPG

 食の問題は、社会の持続可能性を左右する最も重要な政策テーマでもあり、SDGsの17の目標すべてに関連付けられる。確かに食は大事ですね。食文化の特徴は、土地との結びつきと多様性にある。それぞれの地域の気候・風土・歴史が、その土壌に合った食材を育み、その特性に合った料理法、保存法をあみだし、多様で魅力的な食文化を創ってきた。そこには必ず、大地の美しい風景がなくてはならない。地域のベッレッツァ(Bellezza=美しさ)を、人々の叡智(えいち)で存続させてきた。イタリアは、食と持続可能性を語るに最もふさわしい国の一つである。素晴らしいですね。日本では、1970年代の高度成長期に、食生活が欧米化した。その代償として、地域食が失われた。核家族、共働き家庭が増え、ファストフードやファミリーレストランが普及した。外国産農産物が大量に輸入され、食のグローバル化が進展した。時間をかけて料理をしなくとも、コンビニ食で簡単に食事をまかなえるようになった。親から子へと引き継がれてきた郷土料理も、こうしたライフスタイルの変化から影響を受けている。地方から都市への移住が加速し、都市型生活の中で郷土料理を振る舞い、振る舞われる機会が減った。地域の食文化が子から孫世代に伝わらず、消滅しかかっている。何とかできないでしょうか。イタリアでは、地方都市の再興が見られる。1970年代終わりから80年代にかけて発達した独自の農村観光アグリツーリズムに注目したい。トスカーナ州の一貴族が、農村からフィレンツェなどの大都市に人口が流出していくことに抗し、「田舎には田舎ならではの美しさ、豊かさがある」と唱導し、美しい自然とその土地の食を満喫する滞在型観光を提案した。アグリツーリズムの始源である。これを正式に国として推進していくべく、戦略的に地元農家や地主などいろいろな人を巻き込むネットワークが立ち上げられ、ついには1985年、アグリツーリズム法まで制定された。スローフード運動は、当時、ローマの中心地に進出してきたファストフードに対峙し、地域に根ざした食や伝統料理法を守り、継承しようと、田舎町の小さなサークルが始めた運動である。今や世界160カ国以上にまたがる国際NPO団体に成長し、生物多様性の保護や食の主権の回復をミッションとして、EUや国連へのアドボカシー活動(意見や意思の表明や、権利の行使を支援すること)を展開している。EUの2050年までの食料システム総合戦略「Farm to Fork(農場から食卓まで)」の策定にも関わり、有機農業やアグロエコロジーのコンセプトの導入に貢献した。イタリアの良さから学ぶことがないでしょうか。食料安全保障は喫緊の課題である。日本の2022年の食料自給率はカロリーベースで38%。材木も、ありあまる森林が存在しながら60%を輸入に頼る。暮らしの根本要素である衣食住を、海外に頼らざるを得ない状況である。近い将来、世界では人口爆発による食料危機が心配される。現在、輸入している食料も他国へ流れ、日本に回ってこない可能性がある。実際、すでに小麦粉や飼料などは、巨大なマーケットを持つ大国に買い負けし、日本では品薄状況が続く。日本の農村は衰退の一途だ。農業者は、毎年平均6万人近く減り、15年前に比べ半分になっている。農業者の平均年齢は68歳(2022年)。この状況を打破しなければ、日本の農村、および農業は崩壊する。その時、食料をどこから調達するのか。日本の国土は、イタリアと同様に森林が多くを占める。国土全体の70%が中山間地域で農地全体の40%がこの中山間地域にある。起伏が多く、したがって一区画の農地面積が狭い。大規模に工業的な農業をする上で不利な地域である。そのために生産量が確保できず、新市場の開拓も難しい。農業者は十分に稼ぐことができず、離農して都市部へ移住する。親も、子どもに農業を継がせようとは言わなくなった。  「農業は儲からず、しんどいだけ」というイメージを子どもに植え付けたのは、戦後の高度成長期当時に生産年齢世代であった大人たちである。特に、大規模化できなかった中山間地域で過疎化が進む。農業と食に関して真剣に考えなければならないですね。イタリアも国土の70%を条件不利地域が占める。農業者の減少、耕作放棄地の増加といった課題を抱える。しかし、その中で、農業・農村は元気である。若者世代が田園回帰し、オーガニック栽培や伝統農法を復活させて、環境保全・循環型農業を始めている。それが豊かな食文化とつながり、イタリア農業の強みになっている。イタリアの食農をめぐる現在に至る活動にはそうした革新性がある。その食文化が魅力的に継承されているのは、それぞれの時代に起きた危機を、その都度、新しい考え方や価値の創造によって乗り越えてきたからである。本書では、そうしたイタリアの食や農のソーシャル・イノベーションを具現する事例を取り上げる。  日本にも、「里山の暮らし」という自然と人が共生する時空があった。自然の循環を活かしながら農業を営む――そのために私たちの祖先は、いろいろな知恵を出し合い、持続可能な暮らしを創り出してきたのである。もし読者が、イタリアの生き生きとした農村の姿を通して、日本の美しい農村、そこにあった暮らしの叡智に再び気づくことができれば、本書の目的が幾分か達成される。日本はイタリアなどを参考にして見直し、考え直しをしなければならないでしょう。IMG_3694.JPG
やっぱり現代は「新しい戦前」と言えるのか[2025年09月13日(Sat)]
 PRESIDENT Online2025年5月16日付け「やっぱり現代は「新しい戦前」といえる…哲学者が考える「膨大な人の命が奪われる大惨事」の意外な発端」から、人類はこの先どんな道を歩むのか。哲学者の竹田青嗣さんは「世界はごく少数のスーパーリッチと大多数の貧しい人々の二極化という構造になりつつある」という。
アメリカで分断が起きているワケ  
【竹田】私は、戦後から1980年頃までの資本主義の状態を、資本主義の黄金時代と呼んでいます。ところがそのあと、世界の経済構造に変化が生じます。石油価格の高騰やその他の理由で、先進国の経済成長がのきなみ3%以下に落ち込んでくる。そこで先進国は経済政策を大きく転換します。それがいわゆる「新自由主義」(経済学者フリードマンなどが主導。小さな政府、金融緩和、市場原理主義など)です。  
ここで、それまでの産業中心の資本主義が金融中心の資本主義に大きく変わる。一つ象徴的なデータがあって、1980年を境に実体経済と金融経済の規模が完全に逆転して、それまで実体経済が金融経済を主導していたのに、現在では、金融経済と実体経済の格差が10年で14倍にも広がったといったデータもあります(「ゴールドオンライン」連載「お金をばらまいても経済が盛り上がらないのはなぜ?」より)。  
世界の資本主義は、ひとことで産業や技術力の競争から金融力の競争になってしまった。私はこの新しい流れを超金融資本主義と呼んでいます。この80年代以後の金融中心の資本主義の競争は、ひとことで格差、つまり貧富の差を大きく加速しました。  
アメリカはこのゲームで勝ち組になり、日本は負け組になった。日本は一時マイナス成長までいきましたね。ただし、アメリカが勝ち組といっても、実質は富裕層だけが大きく資産を増やし、中間層と下層の人々は貧しくなっている。このことがいまのアメリカのトランプ現象や大きな分断の原因になっているんです。
戦争の可能性を引き出すもの  
【竹田】戦前の資本主義でももちろんひどい独占状態があった。しかし戦後、諸国家はケインズ(1883〜1946)の理論(注)などを活用してこれをうまく制御してきた。独占は成長を阻害して格差をひどくする。ところが現在の独占は、生産や市場の独占ではなく、いわばマネー自体の独占です。  
実体経済と金融経済のバランスのとれた成長が大事なのだけれど、金融経済が膨大に膨れあがっている。このマネー資本主義は、マネーが国家の枠を超えて動くために独占の制御もきわめて難しい。富の一極集中の状態がどんどん進んでいる。これが現在の資本主義の特徴的な状態です。  
資本主義の格差の問題は、かつては資本家と労働者の対立の形をとっていた。それはやがて先進国と途上国の対立になり、いまそれは、世界のごく少数のスーパーリッチと大多数の貧しい人々の二極化という構造になりつつある。  
戦前の資本主義はいわばルールが整備されていない実力闘争の資本主義で、やはり格差がおそろしく拡大していた。それが何度も恐慌を生み出し、1929年の大恐慌がきっかけとなって、それが世界大戦を引き起こしました。  
格差の拡大、富の一極集中は、国家間の対立契機を大きくし、世界の暴力契機を高めて戦争の可能性を引き出します。ウクライナやパレスチナの戦争は、そういった傾向の現われです。  
(注 経済の不況のときには、政府が積極的に介入して需要を喚起することが重要とする説を立てた。それまでの自由放任経済説に対して、ケインズ革命ともいわれる。)
AIの進歩のやっかいな点  
【苫野】富の一極集中という点でいえば、大金持ちたちによるレントシーキングは止まるところを知りません。レントとは家賃のことですが、要するに利権のことですね。
レントシーキングとは、濡れ手で粟をつかむようにして、何もしなくても莫大な利益が手に入るよう、議会や政府に働きかけて種々の法律を作らせたり廃止させたりする行為です。現代のグローバル資本主義は、すでにそういうことになってしまっている。  
【竹田】まさしくそのレントシーキングですね。かつては、資本主義は資本が資本を生むといわれていた。産業が盛んになり物がよく売れて企業が成長し資本家が潤う、ですね。いまはピケティ(1971〜)がいったように、資産が資産を生むという状態です。単なる企業投資ではなく、あらゆる仕方でマネーを利用してマネーを増殖するシステムを作り出している。それがレントシーキングですね。  
AIの技術が進んだら、人間の仕事がなくなるとか、人間の生活の形が変わって関係が希薄になるとかの議論もあるけど、それ以上に、ITの進歩のやっかいな点は、それがマネー独占の新しいツールになりつつあるという点です。 
GAFA(Google,Apple,Facebook,Amazonというアメリカの巨大IT産業の総称)の独占的支配が進行していて、これを適切に抑制できるかどうかも大きな問題になっていますね。
技術革新は格差を広げてきた歴史  
【苫野】超金融資本主義の中で、いま、先進国はプルートクラシー(金権政治)かつオリガーキー(寡頭政治)になっています。アメリカも、もはや民主制国家といっていいのか疑問なくらいです。  
そしてAI時代になると、そうした一部の特権階級の人たちが、テクノロジーを使ってさらに自分たちの権力を強固なものにできるようになってしまうんですね。  
歴史を通して、技術革新は、すべての人に恩恵をもたらすよりも、その技術を支配した一部の人々に莫大な富をもたらし、格差を広げてきたことが指摘されています。  
ジョエル・コトキン(1952〜)という人は、テック業界のスーパーリッチのことをテック・オリガルヒと呼んでいますが、そうした人たちは、テクノロジーを駆使することで、私たちの一挙手一投足を監視し、時にその行動をコントロールすることさえできるようになっています。  
そしてもちろん、そのことで、ますます富を獲得できるようになっている。2024年にノーベル経済学賞を受賞したダロン・アセモグル(1967〜)らは、『技術革新と不平等の1000年史』(早川書房)という本の中で、AIはすでに不平等を拡大させる軌道に乗ったようだといっています。
資本主義のルールを書き換えているのは…  
【竹田】いま苫野くんがレントシーキング、プルートクラシー、オリガーキーという言葉を出したけれど、まさにこの三つが、現代の資本主義の構造を象徴するキーワードですね。
いまや資本主義の上層は、産業で儲ける資本家ではなく、グローバルなマネーゲームの勝者であるごく少数のスーパーリッチ層で、彼らが巨大なマネーで政治と経済のルールを独占しつつある。それが現代のプルートクラシーです。  
アメリカがとくにひどくて、ロバート・B・ライシュ(1946〜)の『最後の資本主義』(東洋経済新報社)などがその現状をよく伝えている。彼によると、アメリカの民主主義はいまや一人一票ではなくなって、何千ドル一票という状態になっている。また資本主義をフェアなルールとするために存在していた基本のルールがどんどん書き替えられている。  
政治と経済の癒着の問題は昔からあるけれど、いまのスーパーリッチ層は、巨大なマネーを政治につぎこんで経済のルールを独占する。そのことでさらに大きく儲けることができる、という具合です。  
税金も政治で決定されるルールですが、戦後しばらくは、先進国の金持ちへの所得税は70%前後が普通だった。80年代以後どんどん下がっていまは40%前後にまでなっている。投資によるキャピタルゲインの税率も同じです。マネーゲームに成功した世界のスーパーリッチたちは、国家を超えて勝ち組の利権構造をどんどん拡大しているんですね。
欧州が陥ったカタストロフィ  
【苫野】ウォルター・シャイデル(1966〜)という歴史家が、『暴力と不平等の人類史』という本で、不平等の是正には世界史的に見て大きく四つの理由しかなかったといっています。  
一つ目が戦争、二つ目が革命、三つ目が国家の破綻、そして四つ目が疫病。つまり、カタストロフィが起こって、全部がある程度真っさらになってはじめて、不平等がならされて再スタートできることになったのだ、と。でもそれには、膨大な人の命が奪われるという、とんでもない代償があったんですね。  
そうしたカタストロフィを起こさずに、今後どうすれば、資本主義を民主的に、意識的にコントロールして、不平等を是正していくことができるか。改めて、これが現代の私たちが知恵をもち寄るべき大きな課題です。  
【竹田】たしかにそういえますね。私の考えでは、国家間の相互承認という意味では、ヨーロッパで2回、国家間の大きな相互承認の約束があった。  
一つはウエストファリア条約です。長い宗教戦争でヨーロッパの人口が半分近く減少するなど、ここでもやはりひどいカタストロフィに陥った。この条約で、宗教間の戦争はもうやめようという合意がようやくできたんです。  
この約束はその後ほぼ守られ、そのことではじめてヨーロッパの市民社会が可能になった。プロテスタントとカトリックがどこまでも戦い合っていたら、おそらくヨーロッパは二つの帝国に分裂して、市民社会は成立しなかった。
コロナで富豪の資産は増えた  
【竹田】もう一つは、国連とブレトンウッズ体制に象徴される第二次大戦後の「戦後体制」です。ここでも二つの大戦で何千万人も死者が出るカタストロフィになったけれど、そのあと、資本主義戦争はやめようという先進国間の「手打ち」が行われた。このあと富の格差はたしかに大きく改善されたんです。  
しかし当然だけど、苫野くんがいったように、カタストロフィをまてばよいということにならない。政治と経済の調整の失敗はほとんど戦争という破局になる。それをどう抑止するかが問題です。  
あと興味深いのは疫病の話ですね。最近起こったパンデミックは黒死病やスペイン風邪にくらべるとはるかに軽微だった。それが現代免疫学の成果かどうかはまだはっきりしたデータが出ていないが、ここでは何らかの理由で富の格差が減るどころでなく恐ろしく拡大しているといわれています。  
世界の富豪上位10人の総資産が新型コロナパンデミックの2年間で「倍増」したという報告があります(7000億ドル〔約80兆円〕から1.5兆ドル〔約172兆円〕。国際NGOオックスファムのデータ)。これは一つの例にすぎませんが、いま世界のスーパーリッチ層は、あらゆる機会を資産を増やす大きな利権構造に変える手段を積み上げているように思えます。DSC00536.JPG

 「世界はごく少数のスーパーリッチと大多数の貧しい人々の二極化という構造になりつつある」確かにそうですね。そこで先進国は経済政策を大きく転換します。それがいわゆる「新自由主義」(経済学者フリードマンなどが主導。小さな政府、金融緩和、市場原理主義など)です。ポピュリズム的な考えと結びついて世界を変えようとしているのでしょうか。世界の資本主義は、ひとことで産業や技術力の競争から金融力の競争になってしまった。私はこの新しい流れを超金融資本主義と呼んでいます。この80年代以後の金融中心の資本主義の競争は、ひとことで格差、つまり貧富の差を大きく加速しました。アメリカはこのゲームで勝ち組になり、日本は負け組になった。日本は一時マイナス成長までいきましたね。ただし、アメリカが勝ち組といっても、実質は富裕層だけが大きく資産を増やし、中間層と下層の人々は貧しくなっている。このことがいまのアメリカのトランプ現象や大きな分断の原因になっているんです。納得できますね。現在の独占は、生産や市場の独占ではなく、いわばマネー自体の独占です。実体経済と金融経済のバランスのとれた成長が大事なのだけれど、金融経済が膨大に膨れあがっている。このマネー資本主義は、マネーが国家の枠を超えて動くために独占の制御もきわめて難しい。富の一極集中の状態がどんどん進んでいる。これが現在の資本主義の特徴的な状態です。資本主義の格差の問題は、かつては資本家と労働者の対立の形をとっていた。それはやがて先進国と途上国の対立になり、いまそれは、世界のごく少数のスーパーリッチと大多数の貧しい人々の二極化という構造になりつつある。格差の拡大、富の一極集中は、国家間の対立契機を大きくし、世界の暴力契機を高めて戦争の可能性を引き出します。ウクライナやパレスチナの戦争は、そういった傾向の現われです。そうですね。いまはピケティ(1971〜)がいったように、資産が資産を生むという状態です。単なる企業投資ではなく、あらゆる仕方でマネーを利用してマネーを増殖するシステムを作り出している。それがレントシーキングですね。AIの技術が進んだら、人間の仕事がなくなるとか、人間の生活の形が変わって関係が希薄になるとかの議論もあるけど、それ以上に、ITの進歩のやっかいな点は、それがマネー独占の新しいツールになりつつあるという点です。このままでいいのでしょうか。政治と経済の癒着の問題は昔からあるけれど、いまのスーパーリッチ層は、巨大なマネーを政治につぎこんで経済のルールを独占する。そのことでさらに大きく儲けることができる、という具合です。税金も政治で決定されるルールですが、戦後しばらくは、先進国の金持ちへの所得税は70%前後が普通だった。80年代以後どんどん下がっていまは40%前後にまでなっている。投資によるキャピタルゲインの税率も同じです。マネーゲームに成功した世界のスーパーリッチたちは、国家を超えて勝ち組の利権構造をどんどん拡大しているんですね。このようなことが許されていいのでしょうか。所得税は70%程度が望ましいでしょう。分配されるお金を格差に苦しんでいる人たちの支援に使われるべきでしょう。お互いさまの助け合いの気持ちが必要でしょう。利他主義的な考え方が求められるのではないでしょうか。最近起こったパンデミックは黒死病やスペイン風邪にくらべるとはるかに軽微だった。それが現代免疫学の成果かどうかはまだはっきりしたデータが出ていないが、ここでは何らかの理由で富の格差が減るどころでなく恐ろしく拡大しているといわれています。世界の富豪上位10人の総資産が新型コロナパンデミックの2年間で「倍増」したという報告があります(7000億ドル〔約80兆円〕から1.5兆ドル〔約172兆円〕。国際NGOオックスファムのデータ)。これは一つの例にすぎませんが、いま世界のスーパーリッチ層は、あらゆる機会を資産を増やす大きな利権構造に変える手段を積み上げているように思えます。このような状況を継続していいのでしょうか。世界の英知を集めて何とかしなければならないのではないでしょうか。まいたけカレーフレーク(表) .jpg
学力的に厳しい子や不登校を経験した子達が多く集まる高校が消えてゆく[2025年09月12日(Fri)]
 集英社オンライン2025年5月15日付け「維新と財務省の思惑が一致する「私立高校無償化」…学力的に厳しい子や不登校を経験した子達が多く集まる高校が消えてゆく」から、崩壊する日本の公教育 #9
維新が大阪府を中心に進めてきた「私立高校の無償化」は2024年度からは東京都でも実施されるなど全国的に広がりを見せている。一見すると経済格差を是正するための優しい政策だが、そうではない。生徒を獲得するために学校同士の過剰な競争を生みだし、多くの学校が廃校の危機に瀕している。
『崩壊する日本の公教育』の著者でもある鈴木大裕氏はこれまでセーフティネットの役割を果たしてきた学校が淘汰されることに警鐘を鳴らしている。
私立高校無償化の問題点とは
現在進行形で、日本の公教育にはさまざまな動きが起こっています。気になっているトピックがあれば、教えていただけますか? 私立高校の無償化です。一見、経済格差を是正するための良い政策に映るんですが、これを手放しで歓迎することはできません。
私学の存在意義は、公立では抱えきれない様々なニーズを持つ子どもたちの受け皿として、教育の多様性を保障することにあります。 私学には超進学校もあれば、部活を最大の売りにする学校もあり、中にはキリスト教系の学校や、学力的に厳しい子や不登校を経験した子達が多く集まる優しい学校もあります。
あくまでも一部の特別なニーズを抱える子どもたちのオルタナティブとして私立高校を無償化すれば、家庭の経済環境に関係なく、子どもたちがそれぞれの適正に合った高校を選択することが出来るようになる。これが本来の学校選択制の姿です。
しかし、この政策案の旗振り役である日本維新の会がモデルとしているのは、大阪維新の会が大阪府で進めてきた私立高校の無償化政策であり、弱肉強食の厳しい競争の中、各学校が自らの生き残りをかけて生徒を奪い合う、「市場型」学校選択制です。
財政効率化を図りたい財務省の思惑とは
多くの学校が廃校になっていると聞きます。
危険なのは、私立高校の無償化が、公立高校の熾烈な統廃合とセットで行われてきたことです。
実際、大阪府の公立高校は過去20年余りでおよそ40校が廃校となり、2025年4月時点では21校の新たな廃校が決定しています。今後の統廃合の検討対象となっている高校も多く、さらに多くの公立高校が廃校となる見通しです。
そして、危険なのは、このような維新モデルが、少子化を理由に学校統廃合を進め、財政効率化を図りたい財務省の思惑と一致するということです。
大阪府では、大規模な公立高校の統廃合と同時に、学区の撤廃ならびに公立と私立の募集定数比率の撤廃も行われました。つまり、生徒は大阪府内であればどこの学校でも選ぶことができ、3年連続定員割れの公立高校は容赦なく廃校にされ、公立高校と私立高校の生徒数の比率が逆転する可能性もあるのです。
そんな中で私立高校を無償化すれば、学費の面で私立と公立の境界が溶け、一つのきれいな「市場」が出来上がります。
大阪大学の田一宏教授は、2010年に橋下府知事(当時)が発したメッセージ「「教育」への私の思い」に注目しています 。
橋下氏は、私立高校の授業料無償化措置について次のように述べています。
「この制度の導入によって、いよいよ、公私が切磋琢磨するための同一の土俵ができあがる。これからは、公立も私立も、誰が設置者かではなく、学校そのものが生徒や保護者から選択される存在でなければ生き残れない。もはや、「公私7・3枠」で生徒が入学してくるという状況は保障されない。大阪の学校勢力図は大きく塗り替わる。」 実際、制度導入後には公私の比率が6対4と変わっており、田教授は、近い未来に公私の入学者比率の逆転もあり得る、と指摘しています。
また、どれだけ多くの生徒を確保できるかが全てとなるわけですから、私立高校も無償化するのであれば、公立も私立も関係なく、同じ土俵の上で競争し、勝ち残らなければなりません。
そうなれば、今日の厳しい格差社会の縮図のように、「勝ち組」「負け組」の厳しい生存競争となり、私学はしだいに個性を失っていくでしょう。そうして残るのは、教育の多様化などではなく、単なる学校の序列化です。
セーフティーネットの役割を担う高校が消えてゆく
どのような学校が淘汰されていくのでしょうか。
もちろん、底辺からです。先述の田教授は、超進学校が高倍率を維持する一方、中学校までの学習内容の学び直しに重点を置く高校や、外国籍で日本語の指導を要する子たちの受け皿となるはずの高校など、「セーフティーネットの役割を担う高校」と位置付けられた学校の存続が危ぶまれていると指摘し、子どもたちの「進路保障の危機」であると言います。
子どもたちの「選択肢」を増やすために、彼らが高校で学ぶ「権利」が犠牲になるならば、それは本末転倒と言わざるを得ません。
また、地域唯一の府立高校が廃校になるケースも多く見受けられます。もちろんそうなれば、交通費や通学時間の増加により、高校に通えない子たちが出てきます。
私が住む、土佐町(高知県)のような中山間地域に住んでいると、私立高校の無償化が実現すれば、郡部の高校はどんどん淘汰されていくという現実が見えてきます。
地域で唯一の高校がつぶれると、学齢期の子どもは都市部の学校に通うことになります。親にとってみれば、子ども2人を都市部の高校に通学させるくらいなら、引っ越したほうが安上がりになります。
そうなると、まずは子どもがいなくなる。子育て世代がいなくなる。そして移住の候補地としても人気が無くなり、やがて地域そのものが無くなるでしょう。だから、維新モデルの私立高校の無償化は、都会への一極集中をさらに加速させる可能性が高いと考えます。
そうかといって、私立高校の無償化が全てダメというわけではありません。愛知県私立学校教職員組合連合のように、高校の統廃合や経営陣による授業料の値上げに反対し、公立と私立の募集定数比率をしっかりと守った上で、私学助成の拡充を独自で勝ち取ってきたケースもあります。
他の先進国並みに教育予算を拡充し、少子化を逆手に取って少人数学級制を進め、純粋な「学校選択制」を進める。私立高校無償化に関する議論が、そんな方向に向かったら良いと思います。DSC00538.JPG

 維新が大阪府を中心に進めてきた「私立高校の無償化」は2024年度からは東京都でも実施されるなど全国的に広がりを見せている。一見すると経済格差を是正するための優しい政策だが、そうではない。生徒を獲得するために学校同士の過剰な競争を生みだし、多くの学校が廃校の危機に瀕している。維新の会が進める政策は新自由主義的であり、比較的豊かな高学歴の中間層に支持を得たいと考えているのかもしれません。私学の存在意義は、公立では抱えきれない様々なニーズを持つ子どもたちの受け皿として、教育の多様性を保障することにあります。 私学には超進学校もあれば、部活を最大の売りにする学校もあり、中にはキリスト教系の学校や、学力的に厳しい子や不登校を経験した子達が多く集まる優しい学校もあります。あくまでも一部の特別なニーズを抱える子どもたちのオルタナティブとして私立高校を無償化すれば、家庭の経済環境に関係なく、子どもたちがそれぞれの適正に合った高校を選択することが出来るようになる。これが本来の学校選択制の姿です。しかし、この政策案の旗振り役である日本維新の会がモデルとしているのは、大阪維新の会が大阪府で進めてきた私立高校の無償化政策であり、弱肉強食の厳しい競争の中、各学校が自らの生き残りをかけて生徒を奪い合う、「市場型」学校選択制です。新自由主義的な自助、自己責任という考え方が基本にあるでしょう。私立高校の無償化が、公立高校の熾烈な統廃合とセットで行われてきたことです。実際、大阪府の公立高校は過去20年余りでおよそ40校が廃校となり、2025年4月時点では21校の新たな廃校が決定しています。今後の統廃合の検討対象となっている高校も多く、さらに多くの公立高校が廃校となる見通しです。そして、危険なのは、このような維新モデルが、少子化を理由に学校統廃合を進め、財政効率化を図りたい財務省の思惑と一致するということです。大阪府では、大規模な公立高校の統廃合と同時に、学区の撤廃ならびに公立と私立の募集定数比率の撤廃も行われました。つまり、生徒は大阪府内であればどこの学校でも選ぶことができ、3年連続定員割れの公立高校は容赦なく廃校にされ、公立高校と私立高校の生徒数の比率が逆転する可能性もあるのです。人口減少、少子化の影響である程度は公立高校の統廃合はあり得るでしょうが、加速化されれば家庭経済状況の悪い子どもたちへの影響は大きいでしょう。教育に関しても格差がますます拡大することにならないでしょうか。そんな中で私立高校を無償化すれば、学費の面で私立と公立の境界が溶け、一つのきれいな「市場」が出来上がります。「この制度の導入によって、いよいよ、公私が切磋琢磨するための同一の土俵ができあがる。これからは、公立も私立も、誰が設置者かではなく、学校そのものが生徒や保護者から選択される存在でなければ生き残れない。もはや、「公私7・3枠」で生徒が入学してくるという状況は保障されない。大阪の学校勢力図は大きく塗り替わる。」 実際、制度導入後には公私の比率が6対4と変わっており、近い未来に公私の入学者比率の逆転もあり得る。また、どれだけ多くの生徒を確保できるかが全てとなるわけですから、私立高校も無償化するのであれば、公立も私立も関係なく、同じ土俵の上で競争し、勝ち残らなければなりません。教育に激しい競争を持ち込むことはどうでしょうか。超進学校が高倍率を維持する一方、中学校までの学習内容の学び直しに重点を置く高校や、外国籍で日本語の指導を要する子たちの受け皿となるはずの高校など、「セーフティーネットの役割を担う高校」と位置付けられた学校の存続が危ぶまれていると指摘し、子どもたちの「進路保障の危機」である。地域唯一の府立高校が廃校になるケースも多く見受けられます。もちろんそうなれば、交通費や通学時間の増加により、高校に通えない子たちが出てきます。経済効率を優先とした考えによって子どもたちがどんどん切り捨てられるような制度がいいのでしょうか。地域で唯一の高校がつぶれると、学齢期の子どもは都市部の学校に通うことになります。親にとってみれば、子ども2人を都市部の高校に通学させるくらいなら、引っ越したほうが安上がりになります。そうなると、まずは子どもがいなくなる。子育て世代がいなくなる。そして移住の候補地としても人気が無くなり、やがて地域そのものが無くなるでしょう。だから、維新モデルの私立高校の無償化は、都会への一極集中をさらに加速させる可能性が高いと考えます。維新の会の政策は公正、公平の理念で行われているでしょうか。他人事では済まないはずです。国会議員や官僚にばかり任せないで国民は大阪や東京などで行われている政策と片付けずに真剣に考えて必要に応じて声を上げる必要があるのではないでしょうか。DSC00537.JPG
「こんな所に人が来るの?」《小さな自治》精神が集客の秘訣だった![2025年09月11日(Thu)]
 東洋経済オンライン2025年5月14日付け「「こんな所に人が来るの?」と言われたが…。過疎の山奥にある「道の駅」で“バカ売れ”する草だんご。《小さな自治》精神が集客の秘訣だった!」から、山奥で行列ができる草だんご  
人里離れた山あいの道を車で走っていると、ふと現れる飲食店や休憩所には、引き寄せられるような魅力がある。自然に囲まれた中、旅の合間にひと息つけるあの感覚が好きだ。
宮崎県日南市にある「道の駅酒谷(さかたに)」もまさにそんな場所。山奥にひっそりと佇む茅葺き屋根の建物にほっと心が和む。  
この道の駅がある酒谷地区は大部分を深い森林が占め、川沿いのわずかな平地に集落や田畑が点在しているばかり。そんな立地にあるこの道の駅で、驚くほどの人気を集めている商品がある。
 それが「草だんご」だ。地元で採れたヨモギに北海道産の小豆を使用。味付けは砂糖と塩のみというごくシンプルな和菓子だが、この草だんごを求めて連日多くの人が訪れる。
 天気のいい週末には駐車場が満車になり、売り場には行列ができるほど。1日に3000個を売り上げる日もあり、製造が追いつかないこともしばしば。年間で約20万個が売れるという。
山奥で行列ができる名物の草だんごはこんな感じ!  
葉わさびやおにぎり、地元で採れた山菜たっぷりの棚田そば980円なども大人気な道の駅の様子
 草だんごは併設の加工場で作られており、売り場に補充するたびにあっという間に売れていく。その光景は、山奥の静けさとは対照的な賑わいを見せている。  
いったい、なぜこの素朴な草だんごが、これほどまでに人を惹きつけるのか。その味の秘密、そして誕生の背景にあった物語をじっくりと聞きたいと思い道の駅酒谷を訪ねた。  
人が来ないなら「来たくなる理由」を作る  
名物の草だんごはいつからどのような考えで作られたのですか? 
 道の駅酒谷ができたのが1997(平成9)年でした。  
山奥の何もないところで交通量も多くないので、当初「こんなところに人が来るの?」と心配されていました。だからこそなにか名物ができればお客様がここに足を運んでくださるのではと考え、地元酒谷地区の人が作っていた草だんごを出すことにしたようです。
すぐに人気商品になり、原料や製法の進化を重ねながらやってきてもう30年近くになります。  
草だんごの味の秘訣は? 
ヨモギの質です。使用するのは地元産のヨモギ、それも「早春から5月中旬まで」のものに限っています。その時期のヨモギは柔らかくて香りが良く、草だんごにしたときの口当たりが全然違います。このわずかな期間で収穫したヨモギを、仕込みをして一年かけて使います。  
ヨモギは年中生えていますが5月中旬以降になると虫がつきやすいですし、硬くて繊維が残りやすく、お団子にしたときに口当たりが悪くなります。
生産者に教わった“風味立つ”あん、炊き方の極意
 あんの風味もいいですよね。小豆はどんなものを使っているんですか?   
6〜7年前くらいからは十勝の豊頃町産の「えりも小豆(しょうず)」を使っています。北海道では「あずき」とは言わずに「しょうず」と呼んでいるようです。  
「えりも小豆」は、和菓子屋さんなどが好んで使う品種で、皮が柔らかくてあんにしたときに口当たりも柔らかく風味がいいんです。  
炊き方のコツはあるんですか?   
実は、豊頃町の生産者の元を訪ねて交流を重ねる中で「あんたたちの小豆は甘いだけで風味が出ていないよ」とご忠告を受けまして。温度管理から洗い方、炊き方、砂糖や塩を入れるタイミングまで細かく教えていただきました。
 ちなみに、塩はあんだけでなく、だんごの生地にも少し入れています。塩があることで甘さがより引き立つんですよ。  
調味料は塩と砂糖だけ。シンプルだからこそヨモギと小豆の質がとても重要なんです。
素材にこだわるからこそ、保存や流通にも工夫が必要そうですね。賞味期限はその日中なんですね。  
そうなんです。実は、冷凍の草だんごも商品開発してあって、保健所に届けも提出済みなのですが、作る余裕と売る準備がまだできていなくて。
 冷凍でどう味を保つかはかなり試行錯誤しまして、特に急速冷凍をどういう形でやるのか。中に蒸気が入れないようにするにはどうしたらいいかの検討を重ねました。というのも、水分が入ると表面にまぶしてある粉が濡れたようになってぐちゃっとしてしまうので。  
常温の草だんごを作るだけでも追い付かないのですが、冷凍も近い将来に出したいですね。
ヨモギの講習会は生産者の安否確認も兼ねて  
それにしても、これだけたくさん売れていると大量のヨモギが必要ですよね? 
どう用意していますか? 
今は地元の生産者15人ほどに協力していただいています。  
ヨモギ自体はどこにでも生えていますが、人の口に入るものですから、衛生面を考えて収穫場所にはきちんとルールを設けています。その基準をクリアしたものを受け入れる体制にしていて、生産者向けには毎年講習会を開いています。  
あと、生産者の方は高齢になっているので、私としては皆さんが元気にされているかの安否確認という気持ちもありまして。  
安否確認!  
確かに大事ですね。
 長年支えてくださっている方々ばかりなので、顔を見てお元気かどうかを確かめる大切な場です。ただ、道の駅が始まって30年近くたちましたので、生産者の方もだいぶ高齢になられて、また車を返納したりしてヨモギの収穫が困難になったりしています。  
お願いする分だけではとても追いつかず、自社で栽培をしようと今準備を進めているところです。  
今年はヨモギペーストを約1.4トン分仕込む予定です。もし倍作ったら倍売れると思うんですけど、ヨモギの生産だけでなく、お団子を作る手も追い付かなくて。現状の体制ではこれが限界ですね。
「地元ならではのもの」こそが価値  
ヨモギを使っただんごは、生のヨモギに加えて粉末を使っているところもありますよね。粉末も使おうと考えたことは?   
粉を使うなんて頭のすみにもないです。やはり「地元で取れたもので、地元で手作りして、地元で売る」ところに価値があるのだと思いこだわってきましたよね。  
それは草だんごだけでなく、ここで扱っているもの全部に関してもそうです。だからこそ、野菜や果物、山菜は酒谷地区を中心に日南市のものを揃えており、市場からの仕入れはやっていません。これは道の駅が始まってからずっとそうしてきました。
 確かに道の駅を訪れる人って「そこならではのもの」が欲しいですよね。草だんごはまさにぴったりですね。  
青果や加工品だけでなく、併設のレストラン「せせらぎの里」で使う食材もそうです。
名物は「棚田そば・うどん」で、毎日トッピングが違うんですけど、春はわらびとかタケノコ、山菜など、地元で取れた山菜がたっぷり使われています。  
冷凍ではない、その時期の旬の山菜がたっぷりな蕎麦とはなんともぜいたくですね!
そもそも、道の駅酒谷は、地域の活性化の拠点として誕生しました。  
交流拠点としてはもちろん、地域の人の所得の向上や雇用も目的としていまして、ここで働いている約20名のスタッフもほぼ酒谷地区の住民なんです。そして青果や加工品を届けてくれる酒谷地区の生産者は約100名います。  
酒谷地区は世帯数がもう500を切っているのですが、約135名(スタッフ20名、委託販売100名、よもぎ生産者15名)とかなりの割合の方がこの道の駅と深い関わりを持っています。
 (※日南市住基台帳によると、令和6年1月1日時点での酒谷地区の人口は819人、世帯数は486世帯である)  
地域の方の約16%ですね。  
よく「小さな自治」を形成していると紹介されています。だからこそ、ここに来たら「必ず酒谷のものがある」ことが大事だと思っています。
あくまきに田舎漬け……郷土の味をつなぐには?   
この道の駅の運営において、売上はどの部門が多いのでしょうか?   
1位 草だんごをはじめとした加工品の製造販売 2位 物販(地元生産者の委託販売など)  3位 レストランの売上  
です。売上自体は物販の方が大きいですが、こちらは手数料だけ頂いているので利益としてはさほど大きくなくて。自社の加工販売の利益率が高くて、中でもダントツは草だんごの販売ですね。  
ただ先ほどもヨモギの生産者の方が高齢化しているとお話ししましたが、それは野菜や加工品の生産者の方も同様で、地元のものも少なくなってきました。30年経つと60歳だった方が90歳なんですよ。
 これからは、生産者の確保と技術の継承が大きな課題だなと思っています。  
例えば今、あくまき(鹿児島や南部宮崎で作られている餅菓子)を作ってくださっているおばあちゃんが90歳くらいです。それ以外にも、田舎漬けなど昔ながらの加工技術をどうやって繋いでいくか、何かやらないとなくなってしまうと思っています。  
また、生産者の高齢化もですが、気象条件が以前と変わってきて、今まで取れていたものが取れなくなったり、そういった影響も今後出てくるのではと危惧しています。
今年は梅が不作なので、梅干しがあまり作れません。梅は去年も不作で、不作の翌年は収穫できるのが今までのパターンでしたが、不作が2年連続になってしまいました。また、今年の冬は柑橘類も不作で、これは私が道の駅に勤めるようになった24年間でも初めてのことでしたね。  
農業にも漁業にも、気象条件の影響がじわじわ出てきているお話しをいろんなところで伺いますね。
花を植えて、人を呼ぶ  
それにしても、ご高齢の生産者の方が多く活躍していらっしゃるのですね。
 何かを作ったりしている人たちはご高齢になっても元気ですね。楽しそうで、生き生きしています。  
いつも地域の方と一緒に道の駅周辺の景観形成で花を植えたりしているのですが、90歳ぐらいのおじいちゃんが体力は私たちよりあるんじゃないかってくらいお元気で。  
今景観形成とお話しされましたが、酒谷地区は四季折々の花や棚田など、風景の美しい土地ですよね。地域の人の地道な努力あっての美しさなんですね。  
酒谷地区では昔から沿道沿いに花を植えたりする地域美化の取り組みをしていました。約20キロの街道沿いには四季折々の花を植えていて一年を通して花が絶えません。春は桜に梅、ツツジ、夏はアジサイ、ひまわり、秋は彼岸花、コスモス、蕎麦の花を楽しめます。秋には紅葉も美しいですよ。
 特に桜の季節は人気で、1月末の早咲きの桜から4月のソメイヨシノまで長い期間桜が楽しめるんです。  
季節の風景があることで、お客様は特別なイベントがなくてもこの道の駅を訪れてくれます。そばを食べて、地元の野菜や草だんごを買って、棚田を歩いたりして、ゆったり楽しんで帰られる方が多いですね。  
地元の方たちが取り組んできた地域美化活動が、道の駅の集客にもつながっているんですね。  
私たちはずっとここに住んでいるので、外の人から「わざわざ来てもらえる魅力」が何なのか時にはわからなくなることもありますが、来てもらうためのこの土地の良さをどう生かしたらいいのかは常に意識しています。
道の駅の建物もこの山間の風景に調和するように茅葺き屋根にしました。ここに来て楽しんでもらえたらうれしいですね。
山奥で行列ができる名物の草だんごはこんな感じ!  
葉わさびやおにぎり、地元で採れた山菜たっぷりの棚田そば980円なども大人気な道の駅の様子  
山奥の道の駅で丁寧に作られる草だんご、その人気の裏には、地域の資源に根ざした知恵と工夫、そして「ここにしかないものを届けたい」という真摯な思いがある。
 派手さはなくとも、人の手で丁寧に作られたものが、遠くから人を引き寄せる。酒谷の草だんごは、そんな地域の静かな底力を教えてくれる。DSC00540.JPG

 道の駅がある酒谷地区は大部分を深い森林が占め、川沿いのわずかな平地に集落や田畑が点在しているばかり。そんな立地にあるこの道の駅で、驚くほどの人気を集めている商品がある。それが「草だんご」だ。地元で採れたヨモギに北海道産の小豆を使用。味付けは砂糖と塩のみというごくシンプルな和菓子だが、この草だんごを求めて連日多くの人が訪れる。天気のいい週末には駐車場が満車になり、売り場には行列ができるほど。1日に3000個を売り上げる日もあり、製造が追いつかないこともしばしば。年間で約20万個が売れるという。山奥の何もないところで交通量も多くないので、当初「こんなところに人が来るの?」と心配されていました。だからこそなにか名物ができればお客様がここに足を運んでくださるのではと考え、地元酒谷地区の人が作っていた草だんごを出すことにしたようです。すぐに人気商品になり、原料や製法の進化を重ねながらやってきてもう30年近くになります。今は地元の生産者15人ほどに協力していただいています。草だんごだけでなく、ここで扱っているもの全部に関してもそうです。だからこそ、野菜や果物、山菜は酒谷地区を中心に日南市のものを揃えており、市場からの仕入れはやっていません。これは道の駅が始まってからずっとそうしてきました。確かに道の駅を訪れる人って「そこならではのもの」が欲しいですよね。草だんごはまさにぴったりですね。道の駅酒谷は、地域の活性化の拠点として誕生しました。交流拠点としてはもちろん、地域の人の所得の向上や雇用も目的としていまして、ここで働いている約20名のスタッフもほぼ酒谷地区の住民なんです。そして青果や加工品を届けてくれる酒谷地区の生産者は約100名います。酒谷地区は世帯数がもう500を切っているのですが、約135名(スタッフ20名、委託販売100名、よもぎ生産者15名)とかなりの割合の方がこの道の駅と深い関わりを持っています。雇用を生み出し、所得を向上させているのは素晴らしいですね。ご高齢の生産者の方が多く活躍していらっしゃるのですね。何かを作ったりしている人たちはご高齢になっても元気ですね。楽しそうで、生き生きしています。いつも地域の方と一緒に道の駅周辺の景観形成で花を植えたりしているのですが、90歳ぐらいのおじいちゃんが体力は私たちよりあるんじゃないかってくらいお元気で。今景観形成とお話しされましたが、酒谷地区は四季折々の花や棚田など、風景の美しい土地ですよね。地域の人の地道な努力あっての美しさなんですね。高齢者が元気に生活して地域が一丸となって地道な努力が成果として表れてきているのですね。山奥の道の駅で丁寧に作られる草だんご、その人気の裏には、地域の資源に根ざした知恵と工夫、そして「ここにしかないものを届けたい」という真摯な思いがある。派手さはなくとも、人の手で丁寧に作られたものが、遠くから人を引き寄せる。酒谷の草だんごは、そんな地域の静かな底力を教えてくれる。地方の小さな農山村にとっては大変参考になるのではないでしょうか。このような取り組みが広がっていけば地方も元気になるのではないでしょうか。DSC00539.JPG
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