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「教員が尊敬される世の中にならなければ、真の教育改革はできない」[2025年06月30日(Mon)]
 東洋経済education×ICT2025年4月11日付け「教育研究者が懸念「アメリカの失敗を後追いする日本」、"公教育"どうあるべき?教育省廃止に脱DEI…トランプ政権の影響は?」から、公教育の市場化と民営化が進み「教育格差」が拡大
アメリカのトランプ大統領が教育省廃止を目指す大統領令に署名するなど、教育現場が大きく揺れ動いているアメリカ。そんな同国で高校時代から学び、子育てもしてきた教育研究者・土佐町議会議員の鈴木大裕氏は、「新自由主義がアメリカの公教育の崩壊を招いた。日本の教育はそんなアメリカを後追いし、危機的状況に陥っている」と警鐘を鳴らす。鈴木氏が見てきたアメリカの公教育の実態や、今後の日本の公教育のあるべき姿について、話を聞いた。
教育研究者の鈴木大裕氏は、16歳で単身、アメリカの全寮制高校に留学。当時のアメリカの教育に衝撃と感銘を受け、そのまま現地で大学・大学院を修了し、日本に帰国して公立中学の英語教員となった。その後、アメリカの教育改革について学ぶため家族と共に再渡米し、教育哲学者・故マキシン・グリーン女史の助手や講師を務めるほか、東日本大震災の復興支援団体や教育アクティビストネットワークを立ち上げてきた。2016年から高知県の土佐町に移住、現在は教育を通した町おこしに、土佐町議の立場から取り組んでいる。
アメリカの教育改革に憧れて再渡米までした鈴木氏だが、「新自由主義がアメリカの公教育の崩壊を招いた」と指摘する。
「アメリカで教育を受けてその教育を批判する人は珍しいとよく言われますが、アメリカへの愛があるからこそ。再渡米して教育改革の実態を知り、2人の子どもを現地の公立校に通わせる中、今のアメリカの教育は本来の姿ではないと感じるようになりました」
では、新自由主義的教育改革によって、アメリカの公教育はどう変わってしまったのか。
「公教育の市場化と民営化が進みました。教育改革を市場原理に委ねてビジネスのように学校を競争させるようになり、教育の序列化と貧弱化が起こったのです。すばらしい施設や教員を揃えているような私学顔負けの公立校があれば、教科書や備品もままならないような公立校もある。そんな公教育の二極化を引き起こしました。本来なら経済格差を是正すべき公教育が、逆に経済格差を再生産するエンジンと化してしまったのです」
公教育の市場化が本格化したきっかけは、2002年に制定された「落ちこぼれ防止法(No Child Left Behind=NCLB)」だという。「学力標準テスト」と「結果責任」という2つを軸にしたこの改革により、教育格差は拡大した。
「それまでは富裕層と貧困層の『教育機会の格差』の是正が課題だったのに、同法によっていかに『学習到達度の格差』を解消するかが問われるようになり、テストの成績が悪い学校は次々と閉鎖されていきました。そうした学校の多くは、貧困の問題を抱える家庭が多い地域にあります。教育的ニーズの高い子どもたちが廃校によって学校をたらい回しにされるようになってしまったのです」
教員ランキングという格付けが、ロサンゼルス・タイムズやニューヨーク・タイムズなどの主要紙で始まった影響も大きい。テストの点数をいかに上げるかが教員の指導力の指標となり、「何を教えるのか、どのように学ぶのかというカリキュラムの基準も学習到達度の基準にすり替わってしまった」と鈴木氏は話す。
「そうなると、貧困地域の成績がふるわない子どもを教えることが教員にとってリスクになります。本来なら教育的ニーズの高い子どもを任されるのは力量がある証しですが、そのような子どもが多いほど自分の給料が下がったり廃校になって働く場を失ったりするリスクは上がるため、ベテラン教員ほど郊外の裕福な地域に逃げるようになったのです。その結果、貧困地域では、踏みとどまって頑張ったものの教員ランキングの低下を受け自死を選ぶベテラン先生が出てくるほか、非正規免許しか持たない経験の浅い教員ばかりになってしまいました」
「学習スタンダード」が拡大、教員の労働環境格差も顕著に
教育的ニーズの高い地域の学校ほど、学校側は廃校や解雇を回避しようと、子どもたちの学力を上げるため、テスト対策に必死になる。政府と教育産業の癒着も相まってテスト至上主義は加速し、テストの数も雪だるま式に増えていったという。
「私はアメリカ在住時、ニューヨークの貧困地域であるハーレムの公立小学校に2人の子どもを通わせていたのでその様子を目の当たりにしましたが、テスト重視で部活動や課外活動も縮小の一途でした。一方、裕福な地域ではテスト至上主義とは無縁の充実した全人教育を行っていました。両親も教養があり、家庭での学習サポートが十分できるため子どもたちの成績はいい。つまり、テスト対策をする必要がないから、感性や批判的思考力、リーダーシップを養って文武両道を目指すような教育や課外活動ができるのです。このように教育は二極化してしまいました」
新自由主義の影響によって、「教育が商品になってしまった」と鈴木氏は嘆く。
「教育はお金を出せば買うことのできる商品に、学校と教員は教育という商品のサービス提供者に、子どもと保護者は消費者になってしまいました。教育委員会はお客様(消費者)のクレーム受付係です。結果として、アメリカの公立校はサービスに徹し、授業と生徒指導のマニュアル化によってクレームのリスクを減らすという対応が広がりました」
マニュアル化とは、いわゆる「学習スタンダード」や「ゼロトレランス※」と呼ばれるものだ。例えば挙手の角度やうなずき方なども細かくルール化されており、それが守れない子どもたちは、停学や退学を余儀なくされることになった。 ※秩序の乱れが起きないよう、学校規律の逸脱を許さない厳格な生徒指導方針
「些細な規律も守れないと教育を受ける権利がはく奪されるため、子どもたちはいつ自分がそうなるかと恐れながら学校に通うようになりました。貧困地域の公立学校は、ファストフード店のように学校を増やす『マックチャーター』と呼ばれる公設民営学校チェーンにどんどん置き換わりましたが、とくにそうしたチェーンは効率化を図るため、学習スタンダードやゼロトレランスを採用しています。裕福な地域では教員もゆとりと裁量のある豊かな教育ができる一方、貧困地域ではマニュアル化で裁量もなくテスト対策で多忙化するという、教員の労働環境の格差も顕著になっていきました」
トランプ政権でどうなるアメリカ、日本が目指すべき教育は?
日本の公教育も、そんなアメリカの失敗を後追いし、危機的状況に陥っていると鈴木氏は指摘する。
「2007年から43年ぶりに『全国学力・学習状況調査』が復活しましたが、本来なら抽出式でいいはずなのに、全小中学校を対象とした悉皆調査(全数調査)が採用されました。その後、自治体別、学校別の成績も開示できるようになりました。結果、日本でも東京や大阪の都市部を中心に市場型の学校選択制が拡大しました。各公立校が生き残りを懸けて生徒を奪い合う市場的な状況が生まれてしまったのです。現行の学習指導要領でも、『何ができるようになるか』という学習到達度が重視されるようになったほか、テスト対策に明け暮れるような学校の『塾化』も進んでいて、日本もアメリカと似たような状況になっていると思います」
確かに、主体的・対話的で深い学びが推進されている一方で、テスト至上主義の教育観から抜け出せない、学習スタンダードで厳しく子どもたちを管理しているなどの現場はあり、アメリカの状況が他人事とは思えないところがある。
そんな中、アメリカでは自国第一主義を掲げる第2次トランプ政権の誕生によって、新たな混乱が生じている。教育省廃止や脱DEIなどが推進され、教育現場にもすでに大きな影響が出始めている。今後、アメリカの教育現場はどうなっていくのだろうか。
「落ちこぼれ防止法からの一連の流れを受け、各州の教職員組合は危機感を抱いてストライキを始め、それを保護者や生徒も支える形で2018年頃には全米へと新自由主義教育への反発が波及していきました。いわば民主主義の再生が進み、子どもや教員の権利の保障につながっていったのですが、トランプ大統領の再登場によってその流れはまた逆戻りとなるでしょう。保守派は自己責任を求めます。私がいただいたフルブライト奨学金もなくなると聞いていますが、構造的な不平等や格差が無視される社会になっていくのではないでしょうか。ただ、そうした抑圧に立ち向かうエネルギーがあるのも、アメリカの面白いところだと思います」
今後アメリカの変化がどのような形で日本の教育に影響を及ぼすのかはわからないが、日本でも今、教育格差は広がっている。さらに、教育改革や働き方改革が推進されているものの、不登校やいじめは増え続け、教員の精神疾患の増加や教員不足も深刻化しており課題が山積している。
鈴木氏は、大前提として「教員が尊敬される世の中にならなければ、真の教育改革はできない」と語る。そのうえで、現在検討が始まっている次期学習指導要領について、こう述べる。
「今の教員や子どもたちは忙しすぎます。教員が勤務時間内に翌日の授業準備ができ、休憩もしっかり取れるよう標準授業時数はもっと削減すべきでしょう。また、そもそも文科省が学習指導要領を法規のように扱ってきたことも、問題だと思います。学習指導要領には法的拘束力はなく、大綱的な基準でしかないはず。文科省が『絶対に守らなければいけないものではなく、あくまで基準』という認識を示すことで、現場は目の前の子どもたちに必要だと思われるものについて柔軟に対応できる裁量が生まれるのではないでしょうか。学びのスタイルも、教育現場の課題を踏まえれば、授業は午前中だけにして午後は1人ひとりの興味・関心に寄り添うなど、柔軟に変えたほうがよいと思います」
社会が目まぐるしく変わっていく中、日本はどのような公教育を目指すべきか。鈴木氏は次のように語る。
「私の原点となった母校のアメリカの高校では、あえて危険の中に放り込まれサバイブするキャンプなどもあって、人間らしい感性を育んでもらいました。卒業生には、スポーツ選手や軍人、政治家、アーティスト、コメディアンなどもいますが、学校が生徒1人ひとりのやりたいことや強みをとことん伸ばしてくれたからこその活躍だと思います。そうした教育は、公教育でもできるはず。AIの時代が到来するからこそ、自分の考えを人前で話す力、スポーツなどを通じたリーダーシップなど、人間らしい感性を大切にした教育が必要だと考えています。ICTについても、あくまでツールと捉えたうえで、単なるテスト対策ではない、豊かな学力観、教育観を持って活用すべきです」DSC00096.JPG

 「公教育の市場化と民営化が進みました。教育改革を市場原理に委ねてビジネスのように学校を競争させるようになり、教育の序列化と貧弱化が起こったのです。すばらしい施設や教員を揃えているような私学顔負けの公立校があれば、教科書や備品もままならないような公立校もある。そんな公教育の二極化を引き起こしました。本来なら経済格差を是正すべき公教育が、逆に経済格差を再生産するエンジンと化してしまったのです」日本も高校無償化の影響で公立高校が生徒が集まらず定員割れになり、私立高校へ流れてしまうのでしょうか。公教育の市場化が本格化したきっかけは、2002年に制定された「落ちこぼれ防止法(No Child Left Behind=NCLB)」だという。「学力標準テスト」と「結果責任」という2つを軸にしたこの改革により、教育格差は拡大した。「それまでは富裕層と貧困層の『教育機会の格差』の是正が課題だったのに、同法によっていかに『学習到達度の格差』を解消するかが問われるようになり、テストの成績が悪い学校は次々と閉鎖されていきました。そうした学校の多くは、貧困の問題を抱える家庭が多い地域にあります。教育的ニーズの高い子どもたちが廃校によって学校をたらい回しにされるようになってしまったのです」教員ランキングという格付けが、ロサンゼルス・タイムズやニューヨーク・タイムズなどの主要紙で始まった影響も大きい。テストの点数をいかに上げるかが教員の指導力の指標となり、「何を教えるのか、どのように学ぶのかというカリキュラムの基準も学習到達度の基準にすり替わってしまった」「そうなると、貧困地域の成績がふるわない子どもを教えることが教員にとってリスクになります。本来なら教育的ニーズの高い子どもを任されるのは力量がある証しですが、そのような子どもが多いほど自分の給料が下がったり廃校になって働く場を失ったりするリスクは上がるため、ベテラン教員ほど郊外の裕福な地域に逃げるようになったのです。その結果、貧困地域では、踏みとどまって頑張ったものの教員ランキングの低下を受け自死を選ぶベテラン先生が出てくるほか、非正規免許しか持たない経験の浅い教員ばかりになってしまいました」教育的ニーズの高い地域の学校ほど、学校側は廃校や解雇を回避しようと、子どもたちの学力を上げるため、テスト対策に必死になる。政府と教育産業の癒着も相まってテスト至上主義は加速し、テストの数も雪だるま式に増えていったという。日本も大阪をはじめとして同じ道を辿っていないでしょうか。日本の公教育も、そんなアメリカの失敗を後追いし、危機的状況に陥っている。「2007年から43年ぶりに『全国学力・学習状況調査』が復活しましたが、本来なら抽出式でいいはずなのに、全小中学校を対象とした悉皆調査(全数調査)が採用されました。その後、自治体別、学校別の成績も開示できるようになりました。結果、日本でも東京や大阪の都市部を中心に市場型の学校選択制が拡大しました。各公立校が生き残りを懸けて生徒を奪い合う市場的な状況が生まれてしまったのです。現行の学習指導要領でも、『何ができるようになるか』という学習到達度が重視されるようになったほか、テスト対策に明け暮れるような学校の『塾化』も進んでいて、日本もアメリカと似たような状況になっていると思います」 確かに、主体的・対話的で深い学びが推進されている一方で、テスト至上主義の教育観から抜け出せない、学習スタンダードで厳しく子どもたちを管理しているなどの現場はあり、アメリカの状況が他人事とは思えないところがある。日本でも今、教育格差は広がっている。さらに、教育改革や働き方改革が推進されているものの、不登校やいじめは増え続け、教員の精神疾患の増加や教員不足も深刻化しており課題が山積している。「教員が尊敬される世の中にならなければ、真の教育改革はできない」「今の教員や子どもたちは忙しすぎます。教員が勤務時間内に翌日の授業準備ができ、休憩もしっかり取れるよう標準授業時数はもっと削減すべきでしょう。また、そもそも文科省が学習指導要領を法規のように扱ってきたことも、問題だと思います。学習指導要領には法的拘束力はなく、大綱的な基準でしかないはず。文科省が『絶対に守らなければいけないものではなく、あくまで基準』という認識を示すことで、現場は目の前の子どもたちに必要だと思われるものについて柔軟に対応できる裁量が生まれるのではないでしょうか。学びのスタイルも、教育現場の課題を踏まえれば、授業は午前中だけにして午後は1人ひとりの興味・関心に寄り添うなど、柔軟に変えたほうがよいと思います」その通りですね。納得できます。「私の原点となった母校のアメリカの高校では、あえて危険の中に放り込まれサバイブするキャンプなどもあって、人間らしい感性を育んでもらいました。卒業生には、スポーツ選手や軍人、政治家、アーティスト、コメディアンなどもいますが、学校が生徒1人ひとりのやりたいことや強みをとことん伸ばしてくれたからこその活躍だと思います。そうした教育は、公教育でもできるはず。AIの時代が到来するからこそ、自分の考えを人前で話す力、スポーツなどを通じたリーダーシップなど、人間らしい感性を大切にした教育が必要だと考えています。ICTについても、あくまでツールと捉えたうえで、単なるテスト対策ではない、豊かな学力観、教育観を持って活用すべきです」DSC00100.JPG
選挙前と言えば現金給付を繰り返すこの国の政治はどうなのでしょうか[2025年06月29日(Sun)]
 日刊スポーツ2025年4月10日付け「「また選挙前にばらまき案件かと」与党の一律現金給付案に「モーニングショー」識者が相次ぎ指摘」から、テレビ朝日系「羽鳥慎一モーニングショー」(月〜金曜午前8時)は10日の放送で、「トランプ関税」や折からの物価高対策として、国民に対して一律3万円以上の現金を給付する案が与党内で浮上しているとの報道をめぐり、コメンテーターたちが一様に疑問を呈した。
関係者によると、給付の金額としては一律で3万円〜5万円程度の案が出ているという。
財源は明らかになっていない。この案が初めて報じられた9日には、SNS上で批判の声が相次ぎ、一時的な給付よりも減税による対応を求める声が多い。今夏の参院選を控えているタイミングでもあり、「選挙対策」ではないのかという見方も根強い。  
番組では、自民党内でも「給付をして効果があるのか。選挙対策と見透かされる」「補正予算を(編成して)通すのはかなりハードルが高い。選挙対策(の政策)に野党は乗れないだろう」などの声があることや、与党内には消費税減税を求める声があるものの、自民党の鈴木俊一総務会長は否定的な見解を示していることなども伝えた。  
MCを務めるフリーアナウンサー羽鳥慎一から「このタイミングでの給付案ということで、選挙対策という指摘があります」と水を向けられた木曜コメンテーターで社会起業家の石山アンジュ氏は「選挙対策にしか見えないですよね。また選挙前にばらまき案件かと思う」と指摘。「自民党の姿勢に対しては、去年の選挙で厳しい判断が下されたんじゃないかなと思う。そこに火に油を注ぐようなものなんじゃないかなと感じてしまう」と述べ、国民1人当たり3万円とした場合でも、単純計算で数兆円が必要になることに触れ「それだけの規模の財源はどこにあるんですか。まず、今の関税対策に関しては、優先するのは事業者の支援ではないか」と苦言を呈した。  
弁護士の結城東輝氏は「選挙対策だとたぶん有権者はみんな分かっている。だからこそ去年の衆院選で自民党は少数野党になっていて、こういうやり方は認められないという前提で、野党が多数派なので(財源を確保するための)補正予算をこのまま通すのは、相当ハードルが高いと思う」と指摘。現金給付について「当然ですが、選挙対策でのばらまきなんてあってはならない」とクギを刺した上で、「関税対策でいうと、アメリカという最大の貿易国の1つが、恒久的、抜本的に保護主義的に変わっていくという時に、今年、一律数万円支給したからといって、何か変わるという話ではない。焼け石に水のようなことを考えるのではなく、抜本的にどうすれば関税主義みたいなところを日本が乗り越えていけるのか、引き続き経済成長できるのかというところを考えないといけないと感じる」と述べ、一律の現金給付案に懐疑的な見方を示した。DSC01853.JPG

 給付の金額としては一律で3万円〜5万円程度の案が出ているという。財源は明らかになっていない。この案が初めて報じられた9日には、SNS上で批判の声が相次ぎ、一時的な給付よりも減税による対応を求める声が多い。今夏の参院選を控えているタイミングでもあり、「選挙対策」ではないのかという見方も根強い。国政選挙前になると給付金をバラまく手法が繰り返されるのはどうでしょうか。自民党、公明党は公金を使って選挙で勝利を収めたいというのでしょうか。年金暮らしの高齢者の投票行動につながると考えているのかもしれませんが、そうなのでしょうか。「このタイミングでの給付案ということで、選挙対策という指摘があります」「選挙対策にしか見えないですよね。また選挙前にばらまき案件かと思う」「自民党の姿勢に対しては、去年の選挙で厳しい判断が下されたんじゃないかなと思う。そこに火に油を注ぐようなものなんじゃないかなと感じてしまう」それだけの規模の財源はどこにあるんですか。まず、今の関税対策に関しては、優先するのは事業者の支援ではないか」「選挙対策だとたぶん有権者はみんな分かっている。だからこそ去年の衆院選で自民党は少数野党になっていて、こういうやり方は認められないという前提で、野党が多数派なので(財源を確保するための)補正予算をこのまま通すのは、相当ハードルが高いと思う」現金給付について「当然ですが、選挙対策でのばらまきなんてあってはならない」とクギを刺した上で、「関税対策でいうと、アメリカという最大の貿易国の1つが、恒久的、抜本的に保護主義的に変わっていくという時に、今年、一律数万円支給したからといって、何か変わるという話ではない。焼け石に水のようなことを考えるのではなく、抜本的にどうすれば関税主義みたいなところを日本が乗り越えていけるのか、引き続き経済成長できるのかというところを考えないといけないと感じる」国会議員は選挙で当選しなければ議員になることができないのでなりふり構わずにいろいろなことを考えるのでしょうか。国民は政治家の言動をしっかり受け止め判断する必要があるでしょう。今のような状況では自民党も公明党も先の衆院選同様に厳しい裁きを受ける可能性があるのではないでしょうか。国民のために汗水流して働いてくれる国会議員を求めてなければならないのでしょう。DSC01851.JPG
厳しい未来予想にどのように対処するのでしょうか[2025年06月28日(Sat)]
 Newsweek2025年4月9日付け「まもなく日本を襲う「身寄りのない高齢者」の爆発的増加」から、<2050年には後期高齢者の5人に1人が、配偶者も子もいない人になる>
厚生労働省は、身寄りのない高齢者への支援を拡充する方針を明らかにした。身寄りのない高齢者の入院時の身元保証や、死後の財産整理といった業務を、各地の社会福祉協議会等が行う、というものだ。これまでは民間任せだったが、今後は「公」も参入することとなる。
日本では高齢化と同時に未婚化も進んでいて、これから先、身寄りのない高齢者が増えてくるのは間違いない。75歳以上の未婚者は、2000年では18万人だったが2020年では63万人(総務省『国勢調査』)。結婚したことがなく、配偶者も子もいない後期高齢者だが、20年間で3倍以上に増えている。今では団塊世代も入っているため、数はもっと膨れ上がっているはずだ。
あまり考えたくはないが、2050年ではどうなっているか。この年の75歳以上人口の推計値は2433万人。このうち未婚者がどれほどかは、2020年時点の同一コーホート(集団)の未婚率から推し量れる。
2050年の75〜79歳は、2020年時点では45〜49歳。この年齢以降、結婚する人はほとんどいないので、この時点の未婚率を生涯未婚率とみなし、30年後にスライドしてもいいだろう。このやり方で2050年の各年齢層の未婚率を仮定し、未婚者の実数を見積もると表の右端のようになる。
5つの年齢層の未婚者を合算すると、2050年の75歳以上の未婚者は434万人ほどと推計される。2020年の63万人の7倍以上だ。75歳以上人口全体に占める割合も、3.5%から17.8%へと爆上がりする。近未来では、後期高齢者の5人に1人が身寄りのない人となる。
入院時に身元保証人を立てられず、民間の高額な代行サービスを利用できない人も多くなるだろう。冒頭で述べたような、公的な支援の拡充が求められる所以だ。
同じやり方で、後期高齢者のうち(身寄りがない)未婚者が何%かを都道府県別に出すと、2050年の最高値は東京で21.0%にもなる。都内のエリアごとの違いもあり、23区の地図を5%区分で塗分ける。
これから先の変化が一目瞭然だ。2050年ではほとんどの区で20%を超え、最も高い北区では31.4%にもなる。後期高齢者の3人に1人が、身寄りのない未婚者ということだ。入院はもちろん、賃貸住宅を借りるのも容易でない。都市部では特に、身寄りのない高齢者の問題が深刻化する。
日本では長らく、高齢者の生活保障(福祉)は家族に委ねられてきたが、今後は家族依存の福祉は成り立たなくなる。儒教意識が急速に薄れている韓国も過渡期にあるが、韓国では年金等の社会保障が十分でないため、高齢者の自殺率が極めて高くなっている。社会全体での「包摂」を進めないと、近未来の日本も同じ状況になるだろう。桜1.jpg

 日本では高齢化と同時に未婚化も進んでいて、これから先、身寄りのない高齢者が増えてくるのは間違いない。75歳以上の未婚者は、2000年では18万人だったが2020年では63万人。結婚したことがなく、配偶者も子もいない後期高齢者だが、20年間で3倍以上に増えている。今では団塊世代も入っているため、数はもっと膨れ上がっているはずだ。あまり考えたくはないが、2050年ではどうなっているか。この年の75歳以上人口の推計値は2433万人。このうち未婚者がどれほどかは、2020年時点の同一コーホート(集団)の未婚率から推し量れる。2050年の75歳以上の未婚者は434万人ほどと推計される。2020年の63万人の7倍以上だ。75歳以上人口全体に占める割合も、3.5%から17.8%へと爆上がりする。近未来では、後期高齢者の5人に1人が身寄りのない人となる。入院時に身元保証人を立てられず、民間の高額な代行サービスを利用できない人も多くなるだろう。冒頭で述べたような、公的な支援の拡充が求められる所以だ。同じやり方で、後期高齢者のうち(身寄りがない)未婚者が何%かを都道府県別に出すと、2050年の最高値は東京で21.0%にもなる。これから先の変化が一目瞭然だ。2050年ではほとんどの区で20%を超え、最も高い北区では31.4%にもなる。後期高齢者の3人に1人が、身寄りのない未婚者ということだ。入院はもちろん、賃貸住宅を借りるのも容易でない。都市部では特に、身寄りのない高齢者の問題が深刻化する。日本では長らく、高齢者の生活保障(福祉)は家族に委ねられてきたが、今後は家族依存の福祉は成り立たなくなる。儒教意識が急速に薄れている韓国も過渡期にあるが、韓国では年金等の社会保障が十分でないため、高齢者の自殺率が極めて高くなっている。社会全体での「包摂」を進めないと、近未来の日本も同じ状況になるだろう。大変厳しい未来予測ですが、安心して安全に暮らすことができるのでしょうか。支える人がいなくなる可能性が高いですね。公的支援は大丈夫でしょうか。公助は無理だと言われ自助とか自己責任と言って片づける冷たい社会になっていないことを願いたいものです。DSC01860.JPG
「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目となる」ではダメでしょう[2025年06月27日(Fri)]
 PRESIDENT Online2025年4月9日付け「原発事故が起きたのは「民主党政権だったから」ではない…「国民の安全よりも経済最優先」で原発を動かす黒幕」から、福島第一原子力発電所の事故から14年がたった。いまだ日本は「原発推進」と「脱原発」で揺れている。東京新聞元編集局長の菅沼堅吾さんは「2023年、再稼働に慎重だった原発政策を180度転換する法案が成立した。そのウラには一人の大臣の存在があった」という。
福島第一原発事故で官邸から漏れた本音  
2011年3月11日に起きた東日本大震災と東電福島第一原発事故は「国難」と言われ、誰もが原発に「絶対安全」はないことを知りました。では、これからどうするのか。  
東京新聞は「脱原発」の旗を掲げましたが、安倍晋三首相の下で国は「原発回帰」にかじを切り、事故から14年後の今年、原発の「最大限活用」を“宣言”しました。「老朽原発」の延命などで、「脱原発」の未来を封印したのです。事故の恐怖を、「原発安全神話」に対する反省と教訓を忘れたとしか思えません。  
原発事故の当時、私は編集局次長として東京本社で指揮を執る立場でしたが、それでも事故の影響による「死」を漠然と意識しました。3月16日の朝刊1面トップの見出しは「福島第一制御困難」。官邸内の情報源から政治部の記者が聞かされたのは、原発は「制御不能」であり、「家族だけでも東京から避難させた方がいい」という助言でした。  
事故現場で指揮を執った福島第一原発の吉田昌郎所長(故人)は「東日本壊滅」をイメージしたと証言しています。東京新聞の原発事故取材班によれば、回避できたのは津波の海水が敷地内の立て坑に残り、冷却水として使えたなどの偶然、幸運が重なったからです。一度暴走を始めた原発を止めることは誰もできませんでした。  
東京新聞は「原爆忌」の8月6日朝刊1面に「原発に頼らない国へ」と見出しを付けた論説を掲載し、「脱原発」の姿勢を明確にしました。国難の時ほど、立ち位置を明確にすることが読者の信頼につながると判断したのです。
なぜ「脱原発」は難しいのか  
私も議論に参加しましたが、「人の命と安全は経済性に優先する」という普通の人が当たり前に思うこと、常識を「脱原発」論の根幹に据えました。原発が稼働していなければ事故は起きません。  
日本が4枚のプレート上にある世界有数の地震大国であることや、使用済み核燃料、いわゆる核のゴミの行き場がないこと(原発は「トイレのないマンション」に例えられています)、実効性が保証されていない避難計画も「脱原発」を掲げた理由です。「原発安全神話」作りに東京新聞も大なり小なり加担しており、その後悔も「脱原発」につながっています。
「脱原発」が険しい道であることは分かっていました。原発は単なる発電所ではありません。経済産業省など国の各省庁、付随する天下り団体、電力会社、原発メーカー、ゼネコン、立地の自治体、研究機関、政治家などで構成される原発推進勢力による「国策プロジェクト」であり、兆単位のお金や万単位の人が絡んでいます。  
論説では「日本は持ち前の技術と結束力で、原発がなくとも豊かな社会が築けるというモデルを世界に示すべき」と主張。別の紙面では各省庁の自然エネルギーの関係部門を集めた「自然エネルギー庁」を新設するなど、「脱原発」という新たな「国策プロジェクト」に挑戦することを提案しました。「原発推進」の旗を降ろすことで、代替エネルギーの技術開発が加速することを期待したのです。
事故後も続く安全軽視  
同時に原発推進勢力という「権力」に対する監視を強めました。「原子力予算10年で4.5兆円 4割が地元対策に」「交付金で原発後押し 経産・文科省 レベル7翌日『新設は増額』」「保安院院長歴代5人、エネ庁在籍 原発『推進』『規制』行き来」「天下り法人に半額超支出 エネ特会の原発予算 原資は電気代月110円」「東芝・日立などOBが“自社”原発検査」「原発関連から出向延べ20人 原子力委 事務局推進派で構成」。  
当時の紙面の見出しをたどるだけで、癒着や利権の構図、閉鎖性が浮かび上がってきます。原発推進勢力が「原子力ムラ」と呼ばれるゆえんです。  
原子力安全委員会の事務局を務める科学技術庁原子力安全調査室が、安全設計の審査で電力会社側に対し、短時間の電源喪失を考えるだけでかまわない理由を「作文」するよう求めていたことを東京新聞はスクープしました。事故から1年3カ月ほど後のことです。  
原発事故は「考慮する必要はない」とされた長時間の電源喪失によって起きており、「原子力ムラ」の安全を軽視する風土が事故につながっています。  
「脱原発」は12年5月5日、北海道電力泊原発3号機が定期検査のために運転が止まったことにより実現しました。途中で一度途切れるものの、通算して2年1カ月、日本は原発稼働ゼロを経験しており、「脱原発」は夢物語ではありません。
原発の運転期間を40年に制限したが  
原発事故に直面した民主党を中心とした政権の菅直人首相は「日本の技術なら大丈夫との考えが変わった」として、「脱原発依存」を宣言しました。  
後を継いだ野田佳彦首相は原発再稼働に踏み切ったものの、12年9月14日に2030年代の原発稼働ゼロという「ゴール」を明記した「革新的エネルギー・環境戦略」を決定しました。原発の運転期間も40年に制限しています。  
この決定を伝えた東京新聞の朝刊1面トップの見出しは「脱原発 国民意思から後退」と厳しいものでした。当時の世論が早期の「脱原発」を求めていたことを踏まえており、社説も「もっと早く原発ゼロへ」と訴えました。  
経済界と電力会社などの原発推進勢力は「日本の経済に壊滅的影響を与える」「日本脱出を考える企業が出る」「現実的政策を」などと野田政権を厳しく批判。「原発回帰」へと、国にかじを切らせる意図を明確にしています。  
それから3カ月後に野田首相が支持率低迷の中で衆院を解散。案の定、自民党と公明党が衆院選に勝利し、安倍首相が返り咲きました。野田政権の原発稼働ゼロの目標を撤廃し、原発の活用を安倍首相が表明したのはそれから2カ月後のことです。  
あれよあれよという間に、「原発回帰」が始まったのです。
原発政策が180度転換した  
安倍首相の懐刀と言われた秘書官は経産省出身で、原発推進の旗振り役である経産省の資源エネルギー庁次長も務めていました。経済界や電力会社と首相官邸が一体であることは自明の理でした。  
それでも事故から3年後の14年に策定された第4次エネルギー基本計画には、事故の反省と教訓が残っています。  
前文には「震災前に描いてきたエネルギー戦略は白紙から見直し、原発依存度を可能な限り低減する。ここが、エネルギー政策を再構築するための出発点であることは言を俟たない」とあります。18年の第5次、21年の第6次も「可能な限り低減する」との文言は維持されています。  
原発政策が180度転換したのは、東京新聞の社説が「フクシマ忘却法」と名付けた「GX(グリーントランスフォーメーション)脱炭素電源法」が岸田政権下で成立した23年5月31日のことです。経産大臣兼「GX実行推進担当」は安倍氏の側近の一人で、通産省(後の経産省)出身の西村康稔氏でした。  
原発活用を「国の責務」として掲げ、当時は「原則40年、最長60年」になっていた原発運転期間の規定を、原子力規制委員会が管轄する原子炉等規制法から削除し、経産省所管の電気事業法に移しました。60年超の「老朽原発」の運転を、経産大臣が国策として認可できる仕組みにしたのです。
石破総理のウソ  
原発に対する規制は「3・11」前、原発推進の経産省・資源エネルギー庁が所管する原子力安全・保安院が担っていました。事故の反省と教訓から「規制と推進の分離」が叫ばれ、原発推進のブレーキ役として誕生したのが原子力規制委員会です。政府や電力会社は事故後、「安全を最優先」を決まり文句にしていますが、これでは「経済性を最優先」が本音だと言っているようなものです。  
石破政権下で25年2月に策定された第7次エネルギー基本計画は、ついに「原発依存度を可能な限り低減する」との文言を消去し、「最大限活用」という言葉を代わりに使いました。石破茂首相は自民党総裁選の最中は原発について「ゼロに近づけていく努力を最大限する」と訴えていましたが、指導力を発揮することはありませんでした。  
経産省や経済界は「最大限活用」の根拠として人工知能(AI)の急拡大に伴って電力需要の増加が見込まれるなどと主張していますが、具体的な数字の根拠があるわけではありません。  
政府は「水銀に関する水俣条約」の締約国会議での合意を踏まえ、一般照明用蛍光灯の製造と輸出入を27年末で禁止する政令改正を24年12月24日に閣議決定しました。それでも急速に進む見込みの発光ダイオード(LED)照明による省エネ効果を、基本計画に見込んでいません。専門家によっては原発10基分の省エネになる試算があります。
「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目となる」  
原子力規制委員会の委員を10年間務めた石渡明氏は、60年超の「老朽原発」の運転について「科学的、技術的な新知見に基づくものではない。安全側への改変とはいえない」と批判していますが、これも一顧だにされていません。  
第7次エネルギー基本計画に対するパブリックコメント(意見公募)には過去最多となる4万1421件が集まり、経産省も原発の「最大限活用」に対して否定的な意見が多かったことを認めています。事故の後、原発再稼働に反対し、「脱原発」を求める集会やデモに参加した人たちを思うと、反対する「声なき声」の数は計り知れません。  
東京新聞は25年3月11日朝刊に「『原発回帰』を回避せよ」との見出しを付けた社説を掲載しました。「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目となる」。統一ドイツの初代大統領であるワイツゼッカー氏の金言を紹介し、「過去の教訓を顧みなくなった時、人は過ちを繰り返します」と警鐘を鳴らしました。これからも「脱原発」の旗を掲げ、「原子力ムラ」を監視していく決意表明でもあります。桜3.JPG

 2011年3月11日に起きた東日本大震災と東電福島第一原発事故は「国難」と言われ、誰もが原発に「絶対安全」はないことを知りました。事故から14年後の今年、原発の「最大限活用」を“宣言”しました。「老朽原発」の延命などで、「脱原発」の未来を封印したのです。事故の恐怖を、「原発安全神話」に対する反省と教訓を忘れたとしか思えません。何が最も危惧されることかといったら、南海トラフをはじめ首都圏直下型地震と津波、富士山をはじめとする活火山の噴火などいつ起きても不思議ではないような甚大な災害が発生した場合に原発が大丈夫と言えるのでしょうか。もし福島第一原子力発電所の大惨事のような状況に陥った場合、壊滅的な状況になってしまった国土をどのように再建できるのでしょうか。「人の命と安全は経済性に優先する」という普通の人が当たり前に思うこと、常識を「脱原発」論の根幹に据えました。原発が稼働していなければ事故は起きません。日本が4枚のプレート上にある世界有数の地震大国であることや、使用済み核燃料、いわゆる核のゴミの行き場がないこと(原発は「トイレのないマンション」に例えられています)、実効性が保証されていない避難計画も「脱原発」を掲げた理由です。「原発安全神話」作りに東京新聞も大なり小なり加担しており、その後悔も「脱原発」につながっています。「脱原発」が険しい道であることは分かっていました。原発は単なる発電所ではありません。経済産業省など国の各省庁、付随する天下り団体、電力会社、原発メーカー、ゼネコン、立地の自治体、研究機関、政治家などで構成される原発推進勢力による「国策プロジェクト」であり、兆単位のお金や万単位の人が絡んでいます。論説では「日本は持ち前の技術と結束力で、原発がなくとも豊かな社会が築けるというモデルを世界に示すべき」と主張。別の紙面では各省庁の自然エネルギーの関係部門を集めた「自然エネルギー庁」を新設するなど、「脱原発」という新たな「国策プロジェクト」に挑戦することを提案しました。「原発推進」の旗を降ろすことで、代替エネルギーの技術開発が加速することを期待したのです。少なくとも原発推進に不信感を抱いている人たちは納得できるのではないでしょうか。経済界と電力会社などの原発推進勢力は「日本の経済に壊滅的影響を与える」「日本脱出を考える企業が出る」「現実的政策を」などと野田政権を厳しく批判。「原発回帰」へと、国にかじを切らせる意図を明確にしています。それから3カ月後に野田首相が支持率低迷の中で衆院を解散。案の定、自民党と公明党が衆院選に勝利し、安倍首相が返り咲きました。野田政権の原発稼働ゼロの目標を撤廃し、原発の活用を安倍首相が表明したのはそれから2カ月後のことです。原発活用を「国の責務」として掲げ、当時は「原則40年、最長60年」になっていた原発運転期間の規定を、原子力規制委員会が管轄する原子炉等規制法から削除し、経産省所管の電気事業法に移しました。60年超の「老朽原発」の運転を、経産大臣が国策として認可できる仕組みにしたのです。原子力規制委員会の委員を10年間務めた石渡明氏は、60年超の「老朽原発」の運転について「科学的、技術的な新知見に基づくものではない。安全側への改変とはいえない」と批判していますが、これも一顧だにされていません。「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目となる」。統一ドイツの初代大統領であるワイツゼッカー氏の金言を紹介し、「過去の教訓を顧みなくなった時、人は過ちを繰り返します」と警鐘を鳴らしました。これからも「脱原発」の旗を掲げ、「原子力ムラ」を監視していく決意表明でもあります。原発推進をして甚大な原発事故が起きた場合は誰が責任を取るのでしょうか。推進に舵を切った政権でしょうか。日本ではだれも責任を取らずに回避することが当たり前のようになっていますが、いいのでしょうか。地震、火山大国で想定外の災害が発生する可能性がある日本の国民を誰が守るのでしょうか。桜2.JPG
75歳以上の女性に収入と生きがいを与えるビジネスはいいですね[2025年06月26日(Thu)]
 マネーポストWEB2025年4月8日付け「従業員は75歳以上の女性ばかりの「ばあちゃんビジネス」経営者が「ボランティアはやらない」と考えるワケ 「好意に甘えて成り立っているビジネスは基盤が弱い」」から、高齢化が加速度的に進行する中、福岡県うきは市に、2019年に設立された会社が今、国内外から注目を集めている。会社の名前は「うきはの宝」、従業員は75歳以上のおばあちゃん。目的は、地域のおばあちゃんに「収入」と「生きがい」を提供すること。
うきはの宝は、ばあちゃんたちの智恵を活かして「ばあちゃん飯」に「ばあちゃん食堂」「ばあちゃん新聞」「ユーチュー婆」など、「ばあちゃん」をキーワードにした商品を次々とヒットさせている。高齢者の仕事といえばボランティア的なものも少なくないが、うきはの宝はボランティアとは一線を画すビジネスを続けている。なぜこうした取り組みが重要なのか? 
同社を創業した地元出身の大熊充氏の著書『年商1億円!(目標)ばあちゃんビジネス』より一部抜粋して紹介する。
ボランティアの依頼は引き受けない
 ボランティアはやらない。  
これも、うきはの宝の信念のひとつ。ばあちゃんと関わって得た教訓でもあります。僕にしても、ばあちゃんたちにしても、何かを依頼されてお引き受けする以上は、必ず報酬をともなった契約をしていただいています。  
収入が欲しい、誰かの役に立ちたい……と、働く目的はみんなそれぞれ違うけど、一年、二年とひとつの会社に所属していると、多少はいやな場面にもぶち当たります。誰かに叱られてムッとしたり、お客さんとのトラブルにシュンとしたり。思うようにならない日もあるものです。  
これが仕事なら「そういうこともある」「またがんばろう」と、気持ちを切り替えられる。現場にもメリハリがつきます。  
でも、これがボランティアになると「お金ももらってないのに、やってられない」「どうして私ばかりこんないやな気持ちにならないといけないの?」となってしまう。お金が目的で働いているわけではないと考えていても、です。  
最初はいいんです。私も手伝いたい、無償でいいと言うけど、一カ月でしんどくなって抜けていく。「ボランティアって気分じゃない」と、約束を平気で破ってしまう。そういう人は世代を問わず少なくありません。  
でも、僕はそういう人を一方的に責めることはできません。人間ってそんなにきれいにできてないんですよね。お金は労働に対する正当な対価だから、それがゼロって耐えられないのが当然です。
高齢者に限らず、ボランティアには限界があります。よほどの情熱と目標、そして覚悟がなければ続けられません。  
だから、うきはの宝では無責任にボランティアの依頼を引き受けません。また、『ばあちゃん新聞』に無償で記事を提供してくれている記者の皆さんには、本当に無償で構わないのか、どのくらいの仕事なら無償で構わないのかを、念入りに確認します。無償では無理だと感じたら休んでもらって構わないし、それでも制作を回せていけるような仕組み作りも考えてきました。  
ボランティアはありがたいマンパワーだけれど、ボランティアの好意に甘えて成り立っているビジネスは基盤が弱い。ただより高いものはないと言うけれど、いつ崩れてもおかしくありません。  
今、無償で働いてくれている人にも、たとえば一年後には報酬を払えるように準備をするとか、報酬を払えないとしたら別の形で還元するとか、戦略を立てて実践する。それが会社を守る経営者の責任だと思います。  
今、世の中ではボランティアを志望する人が減っているそうです。福祉の現場は特に人員不足に悩んでいます。おそらく誰もが自分の生活をどうするかで必死な時代だからでしょう。
「世の中のため」と言ってボランティアを始めても、時間的な拘束はあるし、有償ボランティアと提示されていたとしても報酬は雀の涙。世のために働きたいという気持ちはあっても、自分自身の暮らしがままならないのですから、ボランティア活動が行き詰まっても仕方がありません。
「様々な業界の中間に立てているからこそ言えることもある」
 ボランティアを集める側もそんな世の中を変えたいという願いを持っていて、僕のもとにも社会福祉協議会とかコミュニティから講演の依頼が寄せられます。  
ビジネスとボランティア、ビジネスと地域、ビジネスと福祉、ビジネスと医療……僕らはその中間にいるので、そこから何かを学びたいと言われているんだと思います。  
うきはの宝は、非合理的なことをやっている会社だけれど売上は上がっていて、利益も出ています。  
さらに、高齢者が元気になる仕組みを考えるうちの取り組みには、社会保障費の高騰などを少しでも抑えたいという社会貢献の一面もあります。このバランスがなかなか珍しいらしいんです。  
これまでのビジネスでは利益を上げることだけがメインストリームだったけれど、われわれの目的はそこではない。まだまだ規模は小さいし利益率は低いけれど、国の負担を削減しようとか、高齢者の孤立や貧困の問題を解決しようとか、地域社会に必要なビジネスだから、様々な業界の中間に立てている。そういう自負がありますし、中間に立てている僕らだから言えることもある。  
本当に世の中のためだと思うなら、ボランティアに頼るだけではどうしたって限界があります。「世の中のため」というお題目以外の何か──本人のやる気だとかモチベーションを高められる人と人とのつながり方に、医療や福祉の現場が抱える問題を解決するヒントがあるのかもしれません。62177896_2208386019278829_7453181517548748800_n.jpg

 会社の名前は「うきはの宝」、従業員は75歳以上のおばあちゃん。目的は、地域のおばあちゃんに「収入」と「生きがい」を提供すること。うきはの宝は、ばあちゃんたちの智恵を活かして「ばあちゃん飯」に「ばあちゃん食堂」「ばあちゃん新聞」「ユーチュー婆」など、「ばあちゃん」をキーワードにした商品を次々とヒットさせている。高齢者の仕事といえばボランティア的なものも少なくないが、うきはの宝はボランティアとは一線を画すビジネスを続けている。高齢者に限らず、ボランティアには限界があります。よほどの情熱と目標、そして覚悟がなければ続けられません。だから、うきはの宝では無責任にボランティアの依頼を引き受けません。また、『ばあちゃん新聞』に無償で記事を提供してくれている記者の皆さんには、本当に無償で構わないのか、どのくらいの仕事なら無償で構わないのかを、念入りに確認します。無償では無理だと感じたら休んでもらって構わないし、それでも制作を回せていけるような仕組み作りも考えてきました。無償で働いてくれている人にも、たとえば一年後には報酬を払えるように準備をするとか、報酬を払えないとしたら別の形で還元するとか、戦略を立てて実践する。それが会社を守る経営者の責任だと思います。うきはの宝は、非合理的なことをやっている会社だけれど売上は上がっていて、利益も出ています。さらに、高齢者が元気になる仕組みを考えるうちの取り組みには、社会保障費の高騰などを少しでも抑えたいという社会貢献の一面もあります。このバランスがなかなか珍しいらしいんです。まだまだ規模は小さいし利益率は低いけれど、国の負担を削減しようとか、高齢者の孤立や貧困の問題を解決しようとか、地域社会に必要なビジネスだから、様々な業界の中間に立てている。そういう自負がありますし、中間に立てている僕らだから言えることもある。本当に世の中のためだと思うなら、ボランティアに頼るだけではどうしたって限界があります。「世の中のため」というお題目以外の何か──本人のやる気だとかモチベーションを高められる人と人とのつながり方に、医療や福祉の現場が抱える問題を解決するヒントがあるのかもしれません。持続できるようなビジネスを展開して中高年の女性に収入と生きがいを与えていることは大変評価できるのではないでしょうか。このようなビジネスをする人が増えればいいですね。62136863_2208387982611966_8462951530251681792_n.jpg
無理をしない生き方[2025年06月25日(Wed)]
 婦人公論.jp2025年4月8日付け「90歳団地ひとり暮らしの多良美智子〈お金がないのはきつい、余裕がないとダメ〉夫の勤務先が2回も倒産。貯金はあっても決して家を買わなかった理由は」から、85歳で孫と一緒に始めた、古い団地でのひとり暮らしを紹介するYouTubeチャンネル『Earthおばあちゃんねる』が人気となり、著書も累計18万部の大ヒット。それでも、毎日の暮らしは変わらないと話す多良美智子さん。90歳を迎え、体の衰えはあっても「無理をしない」生き方で、日々機嫌よく暮らしています。そんな美智子さんの90年の人生を振り返った著書『90年、無理をしない生き方』から、いくつになっても機嫌よく過ごす秘訣を紹介します。
節約してお金をためるのは
「使いたいとき迷わず使う」ため 実家の商売は、しっかり者の母が生きていた頃はうまくいっていましたが、戦後に母が亡くなってからはどんどん悪くなりました。高校生の頃は「うちはお金がないんだな」と感じていました。
忘れられない出来事があります。夏休みに、仲のよかった先生が、私たち仲良しグループとの日帰り小旅行を計画してくれたのです。
私は「うわあ、いいな。だけど、うちにそんなお金あるのかな?」と考えてしまって。もちろん、そんなに高いお金ではなかったので、父に頼めば出してくれたはずです。でも、苦しい事情をわかっていたから、父には言い出せませんでした。
友達にも本当のことは言えないから、他の理由で断りました。今でも、「あのときは寂しかったな」と忘れられないのです。
やはり高校生のときに、服を作るための生地がほしかったから、繁華街の紳士服売り場で友達とアルバイトをしたことがありました。
1ヵ月働いてもらったお金を持って、「どんな生地を買おうかな?」とウキウキしながら家に帰ったら、子どもを連れて帰省していた1番上の姉が、「そろそろ家に帰らないといけないけど、電車賃がないの。美智子、悪いけれどお金を貸して」と……。私の給料日だとわかっていて、頼んできたのでしょう。
1ヵ月のアルバイト代は3000円ほどでした。ブラウスとスカートを作るくらいの布は買えるかなと思っていたけれど、一瞬で夢が消えました。給料袋のままそっくり姉に渡しました。姉も生活に困っており、貸したお金が返ってくることはありませんでした。
きっと姉も、父には言えなかったのでしょう。姉の気持ちがわかるから、断ることはできませんでした。
こうした経験から、「お金がないのはきつい、余裕がないとダメだな」と思うようになりました。そして、楽しむためにはお金が必要だとわかり、しっかりお金をためるようになりました。
高校を卒業後、実家から独立して、大阪にある叔父の会社で働いてひとり暮らしをしました。少ないお給料をやりくりして、家賃、食費などを払いながらしっかり貯金をしていました。
貯金自体が目的ではなく、使いたいときに迷いなく使えるように、お金をためていたのです。
だから、社内で「コンサートに行きたい人は?」とか「スキーに行くけど、一緒に行かない?」など遊びのお誘いがあったときは、真っ先に手をあげて参加していました。そのための貯金でもあったのです。 ためたお金でミシンを買い、洋服や旅行用のかばんを作ったり、早朝に映画を見に行ったり楽しんでいました。
念願のひとり暮らしだったから、がんばって働きました。自分の稼いだお金でやりくりする生活は、とても充実していました。
お金がなかったことで、親を恨んだことはありません。「じゃあ、どうすれば自分のやりたいことができるのかな」と頭を切り替えていきました。
今の状況を受け入れて、自分で決めたことをやってきたなと思います。大きな夢はないけれど、歩きやすいように石ころをよけて、自分で歩いてきました。
いつでも現金主義。
ほしいものは貯金してから買ってきました 結婚してからも、お金はしっかりためていました。でも、予想外のことが起こるもの。夫の勤めていた会社が2回も倒産したのです。1回目は長崎に住んでいたときでした。その後、福岡で転職した先も1年で倒産。
夫は経理も営業もできる人だったので、どこかの会社には受かるだろうと信じていました。でも、子どもたちもまだ小さく、お給料の入ってこない日々は心細いものでした。この経験からも、お金は大事、持っておかなければという気持ちを強くしたのです。
家を買わなかったのは、大きな借金を背負うことをしたくなかったからです。同じお金をかけるなら、子どもたちの教育にかけたいと思っていました。子どもたちの行いつでも現金主義。ほしいものは貯金してから買ってきました。いきたい学校に行かせてあげたい。サラリーマンだから収入が多いわけではないので、優先順位を考えました。
夫は5人きょうだいの3番目で、他のきょうだいたちが言うには、「勉強ができたのに、大学に行かずに、家族のために働いてくれた」と。戦争から帰ってきて銀行で働き、その後、実家の農地を継ぐために、農作業をしたりしていました。
勉強をしたくてもできない状況だったので、夫も「子どもたちには好きなだけ学ばせてあげたい」という気持ちだったと思います。「子どもたちの勉強は僕がみるよ」と言うほど、教育熱心でした。
それに、お金の面だけでなく、私は家族の顔がいつでも見られる団地の狭さも気に入っていたから、あえて引っ越したいとは思いませんでした。夫からは「一戸建てに引っ越そうか」と言われたこともありましたが、「ここがいいの」と断ったのです。
今でも基本は、現金主義です。九州に行くときに飛行機に乗るので、そのときにクレジットカードが便利なので持っていますが、他では使いません。カードの分割で買うということはしないです。
貯金は子どもの頃から好きでした。借金して後からお金を払うよりも、先にためてから買うほうが、私には合っているのです。ほしいもののために、少しずつお金がたまっていくのもうれしいですね。先々への楽しみができます。
でも、爪に火をともすような節約生活で貯金をしたわけではありません。夫の給料はそれほど多くはなかったけれど、年々景気がよくなる時代だったので、給料は毎年上がりました。それを全部貯金に回すと家族がつまらないだろうから、3分の1くらいは生活費にプラスし、3分の2は貯金しようなどと工夫をしました。
家計をやりくりする中で、毎月余ったお金をデパート積立していました。1年間続けると1ヵ月分を追加してくれるものです。
そのデパートで、素敵なカゴバッグが売られていました。でも、職人さん手作りのもので値段が高く、とても買えません。いいなぁと眺めるだけでした。
あきらめかけていたときに、1年分の積立が終了し、ギフトカードを受け取ることに。あ、これで買えるかも……!と売り場に行くと、あのカゴがまだ置かれていました。少し足りなかったので、手持ちの小遣いを足し、迷わず購入しました。
購入資金がたまるまで待っていたら、売り切れてしまうこともあるかもしれません。でも、それは縁がなかったということ。私はあきらめがいいので、そこはスパッと割り切ります。売り切れていなかったのは縁があったということでしょう。
このカゴバッグは、40年ほど経った今でも使っています。材料は山ぶどうの蔓つるで、経年変化で飴色になり、いい雰囲気です。買ったとき、職人さんから「壊れたら、いつでも直しますよ」とお店のカードをもらいましたが、しっかりした作りで壊れたことがありません。 娘がほしがっているので、受け継がれれば40年どころかもっと長もちしそうです。決して高い買い物ではありませんでした。1561372627424.jpg

 「お金がないのはきつい、余裕がないとダメだな」と思うようになりました。そして、楽しむためにはお金が必要だとわかり、しっかりお金をためるようになりました。高校を卒業後、実家から独立して、大阪にある叔父の会社で働いてひとり暮らしをしました。少ないお給料をやりくりして、家賃、食費などを払いながらしっかり貯金をしていました。貯金自体が目的ではなく、使いたいときに迷いなく使えるように、お金をためていたのです。確かに貯えがあれば心に余裕ができますね。お金がなかったことで、親を恨んだことはありません。「じゃあ、どうすれば自分のやりたいことができるのかな」と頭を切り替えていきました。 今の状況を受け入れて、自分で決めたことをやってきたなと思います。大きな夢はないけれど、歩きやすいように石ころをよけて、自分で歩いてきました。家を買わなかったのは、大きな借金を背負うことをしたくなかったからです。同じお金をかけるなら、子どもたちの教育にかけたいと思っていました。「子どもたちには好きなだけ学ばせてあげたい」という気持ちだったと思います。今でも基本は、現金主義です。九州に行くときに飛行機に乗るので、そのときにクレジットカードが便利なので持っていますが、他では使いません。カードの分割で買うということはしないです。貯金は子どもの頃から好きでした。借金して後からお金を払うよりも、先にためてから買うほうが、私には合っているのです。ほしいもののために、少しずつお金がたまっていくのもうれしいですね。先々への楽しみができます。このカゴバッグは、40年ほど経った今でも使っています。材料は山ぶどうの蔓つるで、経年変化で飴色になり、いい雰囲気です。買ったとき、職人さんから「壊れたら、いつでも直しますよ」とお店のカードをもらいましたが、しっかりした作りで壊れたことがありません。 娘がほしがっているので、受け継がれれば40年どころかもっと長もちしそうです。決して高い買い物ではありませんでした。堅実で無理のない生活を送っているからこそ楽しむことができているのでしょう。このような生き方を参考にできればいいですね。62259106_2208386349278796_7507543794787549184_n.jpg
世界の市民に向けてトランプ流とは異なる、もう一つの発展のかたちを示す[2025年06月24日(Tue)]
 COURRiER2025年4月8日付け「トマ・ピケティ「トランプ流の政治という大波が押し寄せるいま、欧州が早急にやるべきこと」」から、この記事は、世界的なベストセラーとなった『21世紀の資本』の著者で、フランスの経済学者であるトマ・ピケティによる連載「新しい“眼”で世界を見よう」の最新回です。
欧州の「自虐的な思考」
トランプ流の政治という大波が押し寄せるいま、欧州が早急になすべきは、自信を取り戻し、欧州域内はもとより、世界の市民に向けてトランプ流とは異なる、もう一つの発展のかたちを示すことだ。
そのためには、まず欧州大陸についての政治議論で毎度必ずと言っていいほど出てくるあの自虐的な思考から抜け出さなければならない。
欧州の指導者たちの間では、「欧州は分不相応の生活を続けてきたから、これからは生活を切り詰めていかなければならない」という思いこみが根を張っているのだ。
この論法の最新版は、「トランプとプーチンが繰り広げる軍事費支出の競争についていくためにも、欧州の社会保障の支出を削って、最優先すべき軍事費を増やさなければならない」というものだ。
この見方は、何から何まで間違っている。経済に関していえば、欧州は、そこまで生活を切り詰めなくても、複数の目標を同時に追うことくらいのゆとりなら充分にあるのだ(ただし、掲げる目標は、本当に役立つものでなければならない)。
とくにEUの国際収支は、何年も前から安定して黒字を保ってきた。大きな赤字を抱える米国とは対照的だ。言い換えるなら、自国内で生産するよりも多く消費をしてきたのが米国である。EUは、その逆であり、世界、とりわけ米国に対して貯金を積み重ねてきた。
この15年間、欧州の国際収支の黒字は毎年、GDP比で2%だ。この100年来、見たことのない水準の高さだ。これは南欧、ドイツ、北欧のいずれにも共通している。一部には黒字がGDPの5%になっている国すらある。
対照的に、米国は2010年以降、毎年、平均するとGDPの4%ほどの赤字が続いてきた。
フランスは、欧州全体と米国のちょうど中間に位置し、収支がほぼ均衡している(GDP比で1%以下の赤字)。真実を言うなら、欧州のほうが、経済と金融の両面で、米国よりもファンダメンタルズは健全なのだ。
必要なのは緊縮財政より投資
むしろ、ファンダメンタルズがここまで健全だと、欧州にとっての真のリスクは、ずいぶん前から、充分に支出できていないことのほうにあると言えるだろう。欧州が長い緩慢な苦しみを避けたいなら、必要とされる薬は、緊縮財政ではなく投資なのだ。
そのことをはっきりと示したのが、ドラギ報告書だった。
ただし、投資をすると言っても、その投資は欧州流でなければならない。重視すべきは、人々の生活を心身ともに充実させ、開発を持続可能なものにすることだ。教育、医療、交通、エネルギー、気候など、みんなで利用するインフラに集中投資すべきだ。
医療に関して言えば、欧州は、すでに米国の上を行く。平均寿命を見れば、欧州は米国にどんどん差をつけている状況なのだ(2022年のEUの平均寿命が80・6歳であるのに対し、米国は77・4歳)。
しかも、EUの医療費は、GDPの10%をわずかに上回る程度なのに、米国は18%もある。イーロン・マスクを筆頭に徒党を組む者たちは、認めたくないかもしれないが、これは民間セクターが非効率であり、費用がかえって膨らんでしまう証左なのだ。
欧州が医療の向上を維持したいのであれば、これからも医療従事者を支え続ける必要があるだろう。また、欧州は、必要な公共投資ができれば、交通、気候、教育、生産性の面でも、米国を追い越すことができるだろう。
欧州は、必要ならば、軍事費も増やすこともできる。ただ、軍事費を増やすのであれば、それが本当に必要だと示す論拠が必要だ。たしかに軍隊に数十億ユーロも費やせば、ロシアという脅威に対策を打ったというアピールにはなるかもしれない。
だが、軍事費を増やすことが、ロシア対策で最も効果的な手段であることを示す論拠は、現時点ではない。欧州諸国の軍事予算を合算すれば、現時点ですでにロシアの軍事予算を大幅に上回っているのだ。
真の課題は、欧州諸国がその軍事予算を共同で使うことだ。とりわけ集合的な意思決定の仕組みを整えて、ウクライナ領を効果的に守ることが重要になる。
ウクライナの復興を資金面で支えるために、欧州は、単にロシアの公的資産(3000億ユーロあるうちの2100億ユーロが欧州内にある)を差し押さえるだけでなく、そろそろ約1兆ユーロあると推計されるロシアの民間資産も差し押さえるべきだ。
そのほとんどが欧州内にあり、現時点で差し押さえられているのは、ほんのごく一部でしかない。それを実現するには、欧州金融資産台帳なるものを作り、欧州大陸において誰が何を所有しているのかがわかるように登録させるのだ。これは大規模金融犯罪と闘い、公正な社会や公正な課税を実現するために欠かせないツールにもなるだろう。
欧州の投資不足の解決策
とはいえ、まだ本質的な問いが一つ残る。欧州はこれほどまで貯蓄を増やして、事実上、経済力と金融力で世界一になっているのに、なぜもっとお金を投資に向けていなかったのか。この問いに対する定番の答えは、人口動態を指摘するものだ。
高齢化が進む欧州諸国は、老後に備えて世界各地で貯蓄を増やしているというわけだ。
だが、本当にそうなら、そのお金を欧州のために使い、欧州の若者たちが未来を思い描けるようにしたほうが、よほどいいのではないだろうか。
もう一つの答え方に、ナショナリズムを引き合いに出すものがある。それによると、欧州各国は、自分たちが仕事で生産した富を、隣国が使いこもうとしているのではないかと疑心暗鬼になっているという。隣国に使いこまれるくらいなら、鍵をかけてしまい込んだほうがマシだという考え方である。
貿易と金融のグローバル化が進むとともに、欧州では、グローバル化に対する不安も大きなものになってきた。スウェーデンでは1992年の銀行危機の後に、ドイツでは再統一後の1998‐99年の経済危機の後にその不安が増大した。
こうした不安が原因で、欧州では貯蓄に励む傾向や、「いざというときに頼れるのは自分だけ」という心構えが強まってきた。その傾向は2008年の危機の後、さらに悪化したといえる。
しかし、欧州で投資が不充分だった主要な要因は、何といっても政治と制度にある。欧州市民が産み出した富を、どうすれば最良の形で使えるのか。それを集団として決める民主的な仕組みがこれまで欠けていたのである。
現状では、そういった決定は、いくつかの大きなグループや、企業の経営者と株主という一部の社会層に事実上、委ねられてきた。
投資不足という問題を解決するやり方はいくつかある。EUの中核国が「欧州議会同盟」という意思決定機関を設立するのも解決法の一つだろう。はっきりしているのは、欧州の需要が、かつてないほど大きくなっていることだ。
欧州の指導者は、この需要の高まりに対し、大胆さと想像力を持って向き合うべきだ。
これまでのやり方や誤った思い込みを乗り越えて、前へ踏み出して行く必要がある。DBC330C3-164D-468F-9231-9ECC71AE7BCE.jpeg
 トランプ流の政治という大波が押し寄せるいま、欧州が早急になすべきは、自信を取り戻し、欧州域内はもとより、世界の市民に向けてトランプ流とは異なる、もう一つの発展のかたちを示すことだ。EUの国際収支は、何年も前から安定して黒字を保ってきた。大きな赤字を抱える米国とは対照的だ。言い換えるなら、自国内で生産するよりも多く消費をしてきたのが米国である。EUは、その逆であり、世界、とりわけ米国に対して貯金を積み重ねてきた。この15年間、欧州の国際収支の黒字は毎年、GDP比で2%だ。この100年来、見たことのない水準の高さだ。これは南欧、ドイツ、北欧のいずれにも共通している。一部には黒字がGDPの5%になっている国すらある。対照的に、米国は2010年以降、毎年、平均するとGDPの4%ほどの赤字が続いてきた。フランスは、欧州全体と米国のちょうど中間に位置し、収支がほぼ均衡している(GDP比で1%以下の赤字)。真実を言うなら、欧州のほうが、経済と金融の両面で、米国よりもファンダメンタルズは健全なのだ。重視すべきは、人々の生活を心身ともに充実させ、開発を持続可能なものにすることだ。教育、医療、交通、エネルギー、気候など、みんなで利用するインフラに集中投資すべきだ。医療に関して言えば、欧州は、すでに米国の上を行く。平均寿命を見れば、欧州は米国にどんどん差をつけている状況なのだ。しかも、EUの医療費は、GDPの10%をわずかに上回る程度なのに、米国は18%もある。イーロン・マスクを筆頭に徒党を組む者たちは、認めたくないかもしれないが、これは民間セクターが非効率であり、費用がかえって膨らんでしまう証左なのだ。軍事費を増やすことが、ロシア対策で最も効果的な手段であることを示す論拠は、現時点ではない。欧州諸国の軍事予算を合算すれば、現時点ですでにロシアの軍事予算を大幅に上回っているのだ。真の課題は、欧州諸国がその軍事予算を共同で使うことだ。とりわけ集合的な意思決定の仕組みを整えて、ウクライナ領を効果的に守ることが重要になる。ウクライナの復興を資金面で支えるために、欧州は、単にロシアの公的資産(3000億ユーロあるうちの2100億ユーロが欧州内にある)を差し押さえるだけでなく、そろそろ約1兆ユーロあると推計されるロシアの民間資産も差し押さえるべきだ。そのほとんどが欧州内にあり、現時点で差し押さえられているのは、ほんのごく一部でしかない。それを実現するには、欧州金融資産台帳なるものを作り、欧州大陸において誰が何を所有しているのかがわかるように登録させるのだ。これは大規模金融犯罪と闘い、公正な社会や公正な課税を実現するために欠かせないツールにもなるだろう。確かにEU全体でウクライナを支えなければならないのでしょう。欧州で投資が不充分だった主要な要因は、何といっても政治と制度にある。欧州市民が産み出した富を、どうすれば最良の形で使えるのか。それを集団として決める民主的な仕組みがこれまで欠けていたのである。現状では、そういった決定は、いくつかの大きなグループや、企業の経営者と株主という一部の社会層に事実上、委ねられてきた。投資不足という問題を解決するやり方はいくつかある。EUの中核国が「欧州議会同盟」という意思決定機関を設立するのも解決法の一つだろう。はっきりしているのは、欧州の需要が、かつてないほど大きくなっていることだ。欧州の指導者は、この需要の高まりに対し、大胆さと想像力を持って向き合うべきだ。これまでのやり方や誤った思い込みを乗り越えて、前へ踏み出して行く必要がある。欧州には課題もあるかもしれませんが、世界平和を考えるとアメリカ、ロシア、中国とは違う極になる必要があるのでしょう。日本も欧州と一緒になって担うことができれば世界の勢力図が大きく変わってくるのではないでしょうか。1561372634498.jpg
災害復興が進まないのはなぜでしょうか[2025年06月23日(Mon)]
 PRESIDENT Online2025年4月8日付け「能登の復興が進まないのは政府に「復興させる気」がないから…地方を見捨てる日本人に伝えたい"歴史的事実"」から、首都圏では過密化が進行し、地方では過疎化が進んでいる。神戸女学院大学名誉教授の内田樹さんは「能登半島で復興が進まないのは、政府に復興させる気がないからだ。だが、過疎地にはコストをかけないというのは、合理的な判断とはいえない」という。
急速に進む地方の過疎化問題  
首都圏に人が集まって過密化が進行し、他方地方では過疎化が急速に進んでいます。先日、能登半島で地震がありましたが、復興が進んでいません。なぜ、こんなに復興作業が遅れているのか。それは政府に「復興させる気がない」からです。  
今回の激甚災害の被害は、少子高齢化で人口が減っている過疎地に集中しています。そのような過疎地に復興コストをかけるのは無駄だと考える人が政策決定にかかわっている。だから復興を意図的に遅らせている。  
「高齢者は故郷に戻って、家を建て直し、生業を再開するだけの気力も体力もないから、遠からず仮設住宅にいるまま鬼籍に入る。そうなると、住民がほとんどいないような集落へ続く道を修復したり、そのためのライフラインを補修したりする必要はない」そういう考え方をしているのです。「健康で文化的な生活がしたかったら、都市部に引っ越せばいい。山の中の過疎の集落のために道路を通す、橋をかける、トンネルを通すとか、そんなところに予算を投じることはできない。行政コストの無駄遣いだ」、そういうことを公然と語る人もいます。
江戸時代の人口は今よりはるかに少ない3000万人前後  
多くの人がそれに反論できずにいる。コストとベネフィットというふうなビジネスの用語で語ると、「過疎地にはコストをかけない」ということは合理的な判断のように思えます。でも、これは明らかに言っていることがおかしい。「人口減」と言われますが、今でも日本列島には1億2500万人いるのです。  
江戸時代の人口はだいたい3000万人前後で推移していました。276の藩があり、これらの藩は原理原則としてエネルギーと食料に関しては自給自足でした。それぞれの藩ごとに特産品があり、固有の文化があり、固有の技術があり、人々は伝統的な祭祀儀礼芸能を守っていた。人口3000万人の時に、全国津々浦々に人が暮らし、生業を営むことができたのです。それが人口1億2500万人では「人が少なすぎて」不可能になったと言われも、僕は納得できません。
適切に資源を分散すれば人口5000万人でも暮らせる  
でも、江戸時代より1億近く人口が多いのに、もはや地方には生業の拠点や固有の文化を発信する拠点など作れるはずがないと、多くの人が公言している。これはおかしくありませんか。江戸時代は3000万人、明治末でも5000万人です。その時代に「人口が足りないので、もう地方は棄てて、東京に集まるしかない」というようなことを言った政治家は一人もおりません。適切に資源を分散すれば人口5000万人まで減っても暮らせる。それは歴史的事実として検証済みなのです。  
21世紀末に日本の人口は5000万人と予測されています。だったら、日本の人口が5000万人の時に、どういうふうな人口分布であったのか、それを参考にして制度設計は行われるべきだと僕は思いますが、なぜか、誰もそう言わない。ほとんどの人が首都圏に人が集まっていくのは自然過程であるかのように語る。まるで人口減は台風や地震のような災害で、人間にはコントロールできないものであるかのように。でも、違います。これは100%政治の問題です。人間の力で、人口の偏りは補正できます。現に前例があります。
明治政府が行った「教育資源」の分散  
明治政府が行ったことの中で、確実に評価していいことの一つは、高等教育の拠点を全国につくったことです。教育資源を東京に一極集中させないで、地方に分散した。これは明らかに政策的なものです。  
帝国大学は、東京、京都、大阪、名古屋、仙台、札幌、福岡、台北、京城の9つがあります。見ればわかる通り全国に分散されています。旧制高校もそうです。旧制高校の配置を見ていると、明治政府の意図がだいたいわかります。  
一高は東京です。でも次につくられた二高は仙台です。仙台は、戊辰(ぼしん)戦争のときの奥羽(おうう)越(えつ)列藩同盟の拠点です。明治政府に抗った賊軍の本拠地です。そこに2つ目の旧制高校を三高は京都、四高は前田藩ゆかりの金沢。五高は熊本、六高は岡山、七高造士館は鹿児島でした。西南戦争の逆賊の拠点です。八高が名古屋。そこで「ナンバースクール」は終わり、そのあとは弘前、松江、静岡、水戸、山形、高知などいわゆる「ネームスクール」19校ができます。
教育拠点と医療拠点を全国に均等に設置  
この教育資源の分散はあきらかに意図的なものです。逆賊の拠点だった仙台と鹿児島に高校をつくったことも、金沢、水戸、岡山といったかつての大藩に高校をつくったことも政治的配慮です。周知のように、公共事業の資源分散については、戊辰戦争の賊軍の藩に対して、明治政府はきわめて冷淡でした。東北新幹線が開通したのは、東海道新幹線開通の半世紀後であることからそれは知れます。でも、教育拠点と医療拠点については、全国に均等に設置するという明確な意志を感じます。これを僕は高く評価します。  
今進められている教育拠点の一極集中政策は明治政府の政策とは正反対です。政府が教育資源の一極集中を主導しているとまでは言いませんが、放置していることは事実です。それを防ぐための手立てを何も講じていない。これを放置しておけば、韓国と同じように、若い人たちは首都圏にどんどん集まってきます。
教育の拠点と医療の拠点があれば人は集まる  
若い人が都市に惹きつけられるのは当たり前のことです。先端的な文化に触れられるし、経済活動も活発だし、雇用機会も多いし、競争が激しい。どの業種でも自分が「どれくらいにランクされるか」がわかる。都市は査定が正確なのです。だから、才能のある若い人が都市に引き寄せられるのは仕方がないことです。  
そうであるならば政治にできるのは、人口の都市一極集中を抑制することです。資源を地方に分配することです。  
明治政府がしたように、まず教育資源と医療資源の地方分散を進める。そして、「日本中どこに住んでも、医療と教育については心配する必要がない」という体制を整備する。地方にいても、十分質の高い高等教育が受けられる。しっかりした医療機関で受診できる。そういう環境をつくることは市場に丸投げしていては不可能ですけれども、政策的に進めることは可能です。そして、教育の拠点と医療の拠点をつくっておけば、人はそこに住み始める。DSC_0299.JPG

 「能登半島で復興が進まないのは、政府に復興させる気がないからだ。だが、過疎地にはコストをかけないというのは、合理的な判断とはいえない」このように考えて政策を進めているとすれば大きな問題ではないでしょうか。首都圏に人が集まって過密化が進行し、他方地方では過疎化が急速に進んでいます。先日、能登半島で地震がありましたが、復興が進んでいません。なぜ、こんなに復興作業が遅れているのか。それは政府に「復興させる気がない」からです。今回の激甚災害の被害は、少子高齢化で人口が減っている過疎地に集中しています。そのような過疎地に復興コストをかけるのは無駄だと考える人が政策決定にかかわっている。だから復興を意図的に遅らせている。「高齢者は故郷に戻って、家を建て直し、生業を再開するだけの気力も体力もないから、遠からず仮設住宅にいるまま鬼籍に入る。そうなると、住民がほとんどいないような集落へ続く道を修復したり、そのためのライフラインを補修したりする必要はない」そういう考え方をしているのです。「健康で文化的な生活がしたかったら、都市部に引っ越せばいい。山の中の過疎の集落のために道路を通す、橋をかける、トンネルを通すとか、そんなところに予算を投じることはできない。行政コストの無駄遣いだ」、そういうことを公然と語る人もいます。社会的弱者の多い地方の過疎地で甚大な災害が起きても行政コストの無駄遣いだと考え見捨てられるような社会になっているのでしょうか。江戸時代より1億近く人口が多いのに、もはや地方には生業の拠点や固有の文化を発信する拠点など作れるはずがないと、多くの人が公言している。これはおかしくありませんか。江戸時代は3000万人、明治末でも5000万人です。その時代に「人口が足りないので、もう地方は棄てて、東京に集まるしかない」というようなことを言った政治家は一人もおりません。適切に資源を分散すれば人口5000万人まで減っても暮らせる。それは歴史的事実として検証済みなのです。今進められている教育拠点の一極集中政策は明治政府の政策とは正反対です。政府が教育資源の一極集中を主導しているとまでは言いませんが、放置していることは事実です。それを防ぐための手立てを何も講じていない。これを放置しておけば、韓国と同じように、若い人たちは首都圏にどんどん集まってきます。若い人が都市に惹きつけられるのは当たり前のことです。先端的な文化に触れられるし、経済活動も活発だし、雇用機会も多いし、競争が激しい。どの業種でも自分が「どれくらいにランクされるか」がわかる。都市は査定が正確なのです。だから、才能のある若い人が都市に引き寄せられるのは仕方がないことです。そうであるならば政治にできるのは、人口の都市一極集中を抑制することです。資源を地方に分配することです。まず教育資源と医療資源の地方分散を進める。そして、「日本中どこに住んでも、医療と教育については心配する必要がない」という体制を整備する。地方にいても、十分質の高い高等教育が受けられる。しっかりした医療機関で受診できる。そういう環境をつくることは市場に丸投げしていては不可能ですけれども、政策的に進めることは可能です。そして、教育の拠点と医療の拠点をつくっておけば、人はそこに住み始める。地方のことを真剣に考えた大胆な政策を進めることができなければ国の明るい未来を展望できなくなるのはないでしょうか。DSC_6287.JPG
日本ではジェンダー平等政策を進めるべきでは[2025年06月22日(Sun)]
 47NEWS2025年4月8日付け「ジェンダー平等「節目の年」、実態は…?女性デー提唱50年、参政権80年」から、今年はジェンダー平等に関する大きな節目が続く年だ。国連が3月8日の「国際女性デー」を提唱して50年。女性に対するあらゆる差別の撤廃をうたう国際条約「女性差別撤廃条約」を日本政府が批准して40年。そして、日本で女性が参政権を得て80年となる。歴史が動いたその時から、私たちを取り巻く状況はどれだけ変わったのか。「わたしたちの今」を探った。
格差大きく、声上げ続け―「女性の憲法」批准から40年  
1979年に国連で採択された女性差別撤廃条約(※)は、女性に対するあらゆる分野の差別をなくすことを求める「世界の女性の憲法」だ。日本も1985年に批准したが、ジェンダー平等を主要課題に据える世界の潮流から日本は取り残されているのが現状だ。条約の履行状況を検討する女性差別撤廃委員会は昨秋、対日審査を実施した。賃金格差、政治参画、夫婦の姓を巡る問題…。委員に実態を伝えようと、さまざまなジェンダー課題に取り組む日本の民間団体のメンバーも、審査が実施されたスイスに現地入りして声を上げた。    
(※)女性差別撤廃条約 
締約国は180以上。日本は1985年の批准に際し、男女雇用機会均等法など国内法を整備した。23人の委員で構成する女性差別撤廃委員会が各国の報告を受け審査を行い、勧告を含む最終見解を出す。
9割が夫の姓を選ぶ実態「社会的圧力がある」
 「私たちの背後には何万人もの女性がいる」。2024年10月、スイスの国連欧州本部。
選択的夫婦別姓制度の実現を目指す当事者団体「あすには」のメンバーが撤廃委の委員との面会でそう訴えた。  
委員会は、夫婦同姓を義務付ける日本の法制度は、女性に夫の姓を選択せざるを得なくしていて差別的だなどとして繰り返し是正を勧告してきたが、いまだ実現していない。膠着状態を打破しようと、「あすには」はクラウドファンディング(CF)などで渡航費を捻出し、初めて現地での日本審査に参加した。  
「私は私の名字、彼は彼の名字で夫婦となりたい」「自分の名前を取り戻したい」「事実婚を選んだ」。CFサイトには当事者から切実なメッセージが寄せられた。「あすには」の井田奈穂代表理事は、賛同者の名前が並んだTシャツを着て面会に臨んだ。面会後には「当事者の声を伝えないと前進しない。気持ちは届いたと思う」と、かみしめるように話した。
翌日の委員会の審査会合で、委員の1人は、日本政府代表団を前に、結婚したカップルの9割が夫の姓を選ぶ実態に「社会的圧力がある」と指摘した。委員会は審査の2週間後に最終見解を公表。4度目となる選択的夫婦別姓の導入を勧告し、最重要課題として2年以内に進捗報告を求める項目に据えた。今国会で、ようやく議論が活性化し、導入実現は一つの焦点となっている。
進まない格差解消、146か国中118位  過去には、委員会の勧告後、実現した法改正もある。女性だけにあった再婚禁止期間が撤廃されたり、結婚できる年齢が男女で違っていたことが是正されたりした。2002年、委員会に意見を届けるネットワークを結成した文京学院大の山下泰子名誉教授(国際女性法学)は「女性たちが直接訴えたことが糸口になったものも多い」と話す。  
しかし、日本のジェンダー格差解消に向けたスピードは極めて遅く、2006年に始まった世界経済フォーラムのジェンダー・ギャップ報告でも、24年は146か国中118位と世界最低水準だ。変化の遅さに関しては、委員会の最終見解でも多くの点で指摘があった。例えば、条約で保障された権利の侵害を受けた際、委員会に個人通報できる制度を定めた「選択議定書」の批准は「検討中」のまま。「あまりに長い時間をかけていることに遺憾の意を表する」とした。
 政府から独立した立場で人権保障を行う国家機関の設置検討についても、「前回勧告を改めて繰り返す」とした上で、国連人権高等弁務官事務所の助言や援助を求めるよう勧告した。  
山下さんは、「政府は本気で社会を変えようとしていない」と批判する。取り組みの遅れの背景について、「政治分野の男女共同参画推進法」も規制や罰則がない理念法にとどまっているなど「男女平等法制が国際基準に合っていないためだ」と説明。「委員会の勧告を誠実に履行しなければならない」と訴えた。  
参政権80年、問われる与党   
1945年に女性が参政権(※)を獲得して80年、女性の国政進出は道半ばだ。昨年の衆院選では過去最多の女性議員が誕生したものの、比率では2割に満たず「均等」にはほど遠い。世界に立ち遅れる状況に与党の本気度が問われてきた。自民党の現職議員も「女性の経験が政治に反映されていない」と危惧。法整備が進んだ部分もあるが、取り組みの深化は急務だ。
(※)女性参政権 
戦前は女性に参政権はなく、終戦後の1945年12月、衆議院議員選挙法改正で初めて男性と同じ選挙権、被選挙権が規定された。46年4月の衆院選では約1380万人の女性が投票し、39人の女性議員が誕生。当選者に占める割合は8・4%だった。
政治家になってかけられた言葉は「男になれ」、出馬に残る多くの障壁  
「政治は男の仕事。支持者、アンチどちらからも『男になれ、女を捨てろ』と言われた」。現職の女性衆院議員で最多の11回連続当選している野田聖子氏は、1993年の初当選時を振り返る。同じ選挙で当選した女性は14人で、わずか2・7%。「女性の数が少ないと孤立感がある。出馬への心のハードルも高い」と語る。  
14人のうち、自民党公認は野田氏のみで、選挙後に田中真紀子氏が同党に入った。女性は数が少ない上にほとんど野党系議員で、当時、選択的夫婦別姓など男女間の格差を是正しようする政策は「自民党内では『野党の発想だ』として議論が進まなかった」(野田氏)という。  
その後、女性衆院議員はやや増加したが、2000年代になっても10%前後が続く。2018年、政党に候補者数の男女均等を促す「政治分野の男女共同参画推進法」(日本版パリテ法)が成立。2021年の改正では候補者選定方法の改善や人材育成も求めた。ただ努力義務に過ぎず、衆院は小選挙区主体の選挙制度で、主要政党は現職優先の傾向がある。現職は男性が多く、引退などを除くと候補者が入れ替わりにくいことも影響し、効果は限定的だ。
 さらに、男性中心の地元政治の力学が働く選挙区の候補者選び、先輩議員や有権者からのハラスメントなど、女性の出馬には、いくつもの障壁が残る。2024年衆院選は女性73人が当選したが、比率は15・7%。自民党だけで見ると9・9%にとどまる。世界各国の議会による国際機関、列国議会同盟(IPU)によると、今年1月時点の国会議員(下院)の女性割合で日本は142位。ジェンダー・ギャップ報告でも下位の常連国だ。
民主主義の質向上のためには多様性が必要だ  
名古屋大の武田宏子教授(政治学)は「議員の属性が特定の性別や出自に偏ると、法案の議論をするにも経験や考え方が偏る。民主主義の質を高めるには多様性が必要だ」と強調する。  
候補者の女性比率に応じて政党交付金を増減する仕組みや、議席の一定数を女性に割り当てる「クオータ制」が女性候補者、議員の増加につながるとして、導入に向けた議論を求める。海外では既にクオータ制や男女同数を義務付けるパリテ法が実施されている。
 野田氏も、生理の貧困や選択的夫婦別姓、少子化などの問題で、男性とは違う形で人生を経験する女性が政策の議論に加わらないと「リアリティーがない」と話す。一方で、党内では女性向けの政治塾から衆院議員が生まれた。自身は子育ても仕事も楽しんでいる。「政治は生活そのものだから、誰でもできるよと伝えたい」DSC_0358.JPG

 1979年に国連で採択された女性差別撤廃条約は、女性に対するあらゆる分野の差別をなくすことを求める「世界の女性の憲法」だ。日本も1985年に批准したが、ジェンダー平等を主要課題に据える世界の潮流から日本は取り残されているのが現状だ。条約の履行状況を検討する女性差別撤廃委員会は昨秋、対日審査を実施した。賃金格差、政治参画、夫婦の姓を巡る問題。委員に実態を伝えようと、さまざまなジェンダー課題に取り組む日本の民間団体のメンバーも、審査が実施されたスイスに現地入りして声を上げた。女性差別撤廃条約、締約国は180以上。日本は1985年の批准に際し、男女雇用機会均等法など国内法を整備した。23人の委員で構成する女性差別撤廃委員会が各国の報告を受け審査を行い、勧告を含む最終見解を出す。世界的に見れば日本はジェンダーに関する課題を抱えた国ということになるでしょう。夫婦同姓を義務付ける日本の法制度は、女性に夫の姓を選択せざるを得なくしていて差別的だなどとして繰り返し是正を勧告してきたが、いまだ実現していない。委員会の審査会合で、委員の1人は、日本政府代表団を前に、結婚したカップルの9割が夫の姓を選ぶ実態に「社会的圧力がある」と指摘した。委員会は審査の2週間後に最終見解を公表。4度目となる選択的夫婦別姓の導入を勧告し、最重要課題として2年以内に進捗報告を求める項目に据えた。今国会で、ようやく議論が活性化し、導入実現は一つの焦点となっている。日本のジェンダー格差解消に向けたスピードは極めて遅く、2006年に始まった世界経済フォーラムのジェンダー・ギャップ報告でも、24年は146か国中118位と世界最低水準だ。変化の遅さに関しては、委員会の最終見解でも多くの点で指摘があった。例えば、条約で保障された権利の侵害を受けた際、委員会に個人通報できる制度を定めた「選択議定書」の批准は「検討中」のまま。「あまりに長い時間をかけていることに遺憾の意を表する」とした。対応というか結論を導き出すことに時間がかかっているということでしょう。1945年に女性が参政権を獲得して80年、女性の国政進出は道半ばだ。昨年の衆院選では過去最多の女性議員が誕生したものの、比率では2割に満たず「均等」にはほど遠い。世界に立ち遅れる状況に与党の本気度が問われてきた。自民党の現職議員も「女性の経験が政治に反映されていない」と危惧。法整備が進んだ部分もあるが、取り組みの深化は急務だ。「政治は男の仕事。支持者、アンチどちらからも『男になれ、女を捨てろ』と言われた」。現職の女性衆院議員で最多の11回連続当選している野田聖子氏は、1993年の初当選時を振り返る。同じ選挙で当選した女性は14人で、わずか2・7%。「女性の数が少ないと孤立感がある。出馬への心のハードルも高い」男性中心の地元政治の力学が働く選挙区の候補者選び、先輩議員や有権者からのハラスメントなど、女性の出馬には、いくつもの障壁が残る。2024年衆院選は女性73人が当選したが、比率は15・7%。自民党だけで見ると9・9%にとどまる。世界各国の議会による国際機関、列国議会同盟(IPU)によると、今年1月時点の国会議員(下院)の女性割合で日本は142位。ジェンダー・ギャップ報告でも下位の常連国だ。政治の世界での遅れは甚だしいかもしれません。「議員の属性が特定の性別や出自に偏ると、法案の議論をするにも経験や考え方が偏る。民主主義の質を高めるには多様性が必要だ」候補者の女性比率に応じて政党交付金を増減する仕組みや、議席の一定数を女性に割り当てる「クオータ制」が女性候補者、議員の増加につながるとして、導入に向けた議論を求める。海外では既にクオータ制や男女同数を義務付けるパリテ法が実施されている。生理の貧困や選択的夫婦別姓、少子化などの問題で、男性とは違う形で人生を経験する女性が政策の議論に加わらないと「リアリティーがない」一方で、党内では女性向けの政治塾から衆院議員が生まれた。自身は子育ても仕事も楽しんでいる。「政治は生活そのものだから、誰でもできるよと伝えたい」世界で対応に渡り歩くためには日本は大きく変わらないとダメでしょう。DSC_0349.JPG
学びの場と機会は誰にも開かれるべきでしょう[2025年06月21日(Sat)]
 東海テレビ2025年4月8日付け「88歳の新入生も…『夜間中学』が名古屋に開校 義務教育を受けられなかった人や外国籍の人など35人が入学」から、義務教育を受けられなかった人などを対象とした「夜間中学」が2025年4月7日、名古屋市中村区に開校し、新入生が新たな一歩を踏み出しました。
広沢市長: 「生徒一人一人が主役として、生き生きと活躍する学びの場をつくるためなごやか中学校の開校を宣言します」  
開校したのは、中村区の笹島小・中学校内に設置された「名古屋市立なごやか中学校」です。  
義務教育を受けられなかった人や外国籍の人など、15歳から88歳までの新入生合わせて35人が入学し、新たな一歩を踏み出しました。
50歳の男性: 「障害者なので何の目標もなくて。また勉強していれば何か活きてくるだろうなと」
41歳中国籍の女性: 「真面目に頑張りたい。自分の人生豊かになってほしい」
21歳の女性: 「中学校にほとんど行っていなかったので、中学校の勉強をもう一回したいな。数学と英語を頑張りたい」  
学校では、午後5時半から午後9時まで週5日で授業が行われ、全ての課程を修了すれば、中学卒業の資格を得ることができます。Image1578310313057.jpg

 義務教育を受けられなかった人などを対象とした「夜間中学」が2025年4月7日、名古屋市中村区に開校し、新入生が新たな一歩を踏み出しました。義務教育を受けられなかった人や外国籍の人など、15歳から88歳までの新入生合わせて35人が入学し、新たな一歩を踏み出しました。「障害者なので何の目標もなくて。また勉強していれば何か活きてくるだろうなと」「真面目に頑張りたい。自分の人生豊かになってほしい」「中学校にほとんど行っていなかったので、中学校の勉強をもう一回したいな。数学と英語を頑張りたい」誰にも学ぶ場と学ぶ機会が必要でしょう。不登校の子どもたちを含めて夜間中学校を必要としている人たちは少なくないでしょう。首都圏や大都市圏ばかりでなく人数の多少に限らず全国で多様な教育の機会が提供されるべきでしょう。Image1578310282599.jpg
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