
高齢者が日本を救うカギになり得るかもしれません[2023年10月31日(Tue)]
婦人公論.jp2023年7月11日付け「和田秀樹 高齢者は衰える一方で社会の負担になるだけ…って本当?「消費者パワー」をもつ現在の高齢者こそ日本を救うカギである」から、現在、日本人の約3割が65歳以上の高齢者です。高齢者は「生産しないしお金も使わない」「社会の負担となる存在」という世間の声を聞くことも少なくありません。そんななか、「元気で自立し消費者としても大きな存在となっているのが今の高齢層です」と語るのは、高齢者専門の精神科医である和田秀樹先生。和田先生いわく「高齢者層こそ低迷する日本の経済や社会を救うカギ」だそうで――。
高齢者は消費者として見捨てられている 世の中では、高齢者は衰える一方の存在であり、お金も使わない、社会の負担になると決めつける傾向が強いようです。
また、運転免許の返納を迫る声なども典型的ですが、「高齢者は遠慮がちに縮こまって暮らすべきだ」という考え方もはびこっています。
現代の日本では、高齢者は敬意を示されるどころか、ひどく粗末に扱われているように私は感じます。
たとえば、お笑い番組の『笑点』(日本テレビ系)は今も高視聴率をキープし、テレビ局にとって高齢層も大事な顧客のはずです。しかし、今は面白くもない「ひな壇芸人」が集う若者向け番組ばかりに力が注がれます。
これは「高齢者はテレビCMを見てもお金を使わない」と指摘されているからです。つまり、高齢者は消費者として見捨てられているのです。
しかし、今の日本では「衰えるばかりで、お金も使わない高齢者」は少数派でしょう。約20年前に聖路加国際病院元理事長・日野原重明さんが、約10年前に作家の五木寛之さんが着目した「旧来とは違う、元気な老人」は、その後も明らかに増えています。
元気な高齢者は立派な消費者である 65歳以上の高齢者で要支援・要介護の人は18%というデータがあります。この18%の人には、きめ細かな福祉の手を差し伸べていく必要があることはあらためて述べるまでもありません。
一方、この数字の裏を返せば、約8割の高齢者は自立して生活しているわけです。ただ現状では、この高齢者も「お金を使わず貯め込むだけ」と思われているのです。
日野原さんや五木さんがそれぞれ提唱した「新老人」の概念を踏まえて、あらためて私が「シン・老人」を定義するなら、「何歳になっても意欲や好奇心をもち、元気に出歩いて消費もする、社会とつながりを保って暮らす老人」となります。
また、「シン」とは単に「新しい」という概念だけにとどまりません。
失敗を恐れず、積極的に進歩的なことに挑む「進」、知識や考え方に深みがあり、洞察力に優れる「深」、意志が強く、信条を守り、生き方に芯がある「芯」、共感力や好感度が高く、誰からも親しまれる「親」、心構えが前向きで意欲や好奇心に満ちている「心」、元気に長生きするための身体ケアを怠らない「身」、品格があり、紳士淑女として立ち振る舞う「紳」など、さまざまな漢字に変換することができるのです。
「シン・老人」の「シン」には高齢者が自分らしく、若々しく生きるために重要なさまざまな漢字をキーワードとしてあてがうことができそうです。
“和田ブーム”でわかった高齢者の実態 自立した生活をしている高齢者はもちろん、周囲の手助けを受けながらにこやかに暮らしている高齢者は、こうした要素がもたらす力を発揮したり、享受したりしながら人生の実りの時期を過ごしています。
これが私のイメージする「シン・老人」像であり、そうした高齢者が発揮したり、もっていたりする力こそが「シン・老人力」です。 昨今、拙著『80歳の壁』『70歳が老化の分かれ道』などが次々とベストセラーになり、時ならぬ“和田ブーム”が起きました。
どの本でも「美味しいものを食べ、好きなことをして暮らすことこそ健康長寿の秘訣」と述べていますが、私が25年以上前から主張し続けてきたことです。
今になって急に売れ始めたことに私自身、驚きながらも「読みは当たった」と総括しています。「寝たきりでもいいから長生きしたい」という人はほとんどいません。「人生を楽しみたいから長生きしたい」という“実需”がはっきりしたのです。
しかし、出版社や編集者からはずっと「高齢者向けの本は売れにくい」と言われ続け、タイトルに「70歳」「80歳」と入れるのはもってのほかとされてきました。
ところが、コロナ禍に入った3年ほど前から、「70歳」「80歳」と入れた本が非常に好評で、よく売れるようになりました。
郊外型の書店や、アマゾンで1位になるなどネット書店でも好調です。つまり、70代、80代が車を運転して私の本を買いに行ってくれたり、ネット通販も使いこなして手に入れてくれたりしているわけです。
高齢者はお金を使わない=消費者として見られていない、という傾向が強い世の中ですが、実態は違うのではないでしょうか。欲しいと思うモノがあればアクティブに行動してすぐに買うし、世間が思う以上にITリテラシーも高いのです。
高齢者は、行動的で知的な「立派な消費者」だと世間に認めさせなくてはいけません。
高齢者こそ低迷する日本を救うカギ 80歳を対象にした本がネット書店でここまで売れるとは、私も想像していませんでした。
ただ考えてみると、さすがにこの年齢になると、書店に出かけるよりアマゾンなどで注文するほうが楽なのかもしれません。スマホをもつ高齢者も多いし、現役時代からパソコンに触れていたという人も多いのでしょう。
この“和田ブーム”で、出版社からは新刊の依頼が次々と来ましたが、テレビ局から「高齢者向けの番組を企画したい」というオファーは皆無、企業からも「高齢者向けに開発している製品やサービスへの意見が欲しい」という声はまったくかかりません。 あらためて「高齢者は消費者として忘れ去られている」と悟りました。
高齢者は、消費者として忘れ去られているどころか、医療費や介護費などで社会に負担をかける存在として、厄介者扱いされる風潮さえあります。
2025年には、いわゆる「団塊の世代」が全員75歳以上となり、日本の人口の2割近くを後期高齢者が占める見込みです。これが「2025年問題」として、日本の危機であるかのようにも言われています。
しかし私は、こうした高齢者層こそ低迷する日本の経済や社会を救うカギになると考えます。
「消費上手」な世代 高度経済成長期を過ごし、バブル期も体験しているので、買い物をするにも目が肥えています。
いわば消費上手な世代ゆえ、モノが売れなくて閉塞感が漂う日本社会の空気を変える存在になると思うのです。
元気だからお金を使う高齢者の「消費する力」。好きなことをした結果、元気になり、健康長寿につながる「消費がもたらす力」。
後者は、医療費や介護費など社会保障費の抑制にも直結します。
元気な期間が長ければ長いほど、消費者としてお金も使います。両者は相互に関連して、日本社会の構造を大きく変える影響力を発揮すると思います。
すでに、今の高齢者の多くが、家に引きこもって孫の世話をしながら“お迎えを待つ”という時代ではありません。
今後さらに、歳を重ねても元気で活動的な人が増加すれば、さまざまな場面で社会と関わりをもつ人が今以上に増えていくことは間違いないでしょう。
日本では1990年代の半ばから、消費不況が続いています。消費は落ち込み、生産はだぶついた状態から抜け出すことができません。
需要が低迷し供給が過剰となっている状況ですから、単純に生産性を上げれば上げるほど、需給ギャップは広がり、景気は落ち込んでいくのが道理なのです。
お金を使ってくれる高齢者を大切に それなのに、世の中ではいまだに「生産性神話」が大手を振って語られています。効率や成果を競い合ってきた社会から、少しも変わっていないのが実情です。
需要(消費)が伸びず供給(生産)が過剰となっているのですから、生産性は多少低くても、消費を増やすほうが重要であるにもかかわらず。
極論すれば、こうした状況では「真面目にコツコツ働くばかりで、節約してお金を使わない人」よりも「ぶらぶらしていてお金を使ってくれる人」を大切にしたほうがいいわけです。
私が高齢者たちこそ日本を救うと考える理由のひとつは、消費者としてのパワーです。 何はともあれ、個人金融資産のうちの7割、約1400兆円は60歳以上の人がもっているわけですから。
また、高齢者の8割が元気で自立しているとも先述しました。
すべての高齢者に経済的な余裕があるわけではないのですが、お金を貯め込んで爪に火を点(とも)すようにして生活している人ばかりでもありません。
大企業に定年まで勤めて企業年金に恵まれ、住宅ローンも払い終え、退職金ももっている人が大勢いるのです。
豊かな日本という国をつくり上げた立役者なわけですから、これから好きなようにお金を使うことに遠慮する必要はありません。
シン・老人は「お金を使ってくれる人」として、経済的な観点からも大切に扱われるべき存在なのです。
高齢者は消費者として見捨てられている 世の中では、高齢者は衰える一方の存在であり、お金も使わない、社会の負担になると決めつける傾向が強いようです。また、運転免許の返納を迫る声なども典型的ですが、「高齢者は遠慮がちに縮こまって暮らすべきだ」という考え方もはびこっています。現代の日本では、高齢者は敬意を示されるどころか、ひどく粗末に扱われているように私は感じます。高齢者が邪魔者扱いされ疎外される社会になってしまっていないでしょうか。戦後からの復興を支え現在の日本を築き上げてきたのは高齢者ではないでしょうか。社会保障費の負担が増えるのは高齢者が多いからだと言っているようですが、少子高齢化が進めばどのような社会になるか予測して制度設計をするのが政府であり省庁ではないでしょうか。支える立場の働く人たちは減少し続けて高齢者が増えることは予測されていたのではないでしょうか。中長期的な視点で税金を有効に効果的に使うことを考えていなかったのでしょうか。国会議員というか政権与党の議員が選挙で当選できるように目先の政策に公金を使ってこのような状況に陥っている可能性はないのでしょうか。「元気で自立し消費者としても大きな存在となっているのが今の高齢層です」今の日本では「衰えるばかりで、お金も使わない高齢者」は少数派でしょう。約20年前に聖路加国際病院元理事長・日野原重明さんが、約10年前に作家の五木寛之さんが着目した「旧来とは違う、元気な老人」は、その後も明らかに増えています。確かに元気な高齢者は継続を動かす力になっているでしょう。日野原さんや五木さんがそれぞれ提唱した「新老人」。失敗を恐れず、積極的に進歩的なことに挑む「進」、知識や考え方に深みがあり、洞察力に優れる「深」、意志が強く、信条を守り、生き方に芯がある「芯」、共感力や好感度が高く、誰からも親しまれる「親」、心構えが前向きで意欲や好奇心に満ちている「心」、元気に長生きするための身体ケアを怠らない「身」、品格があり、紳士淑女として立ち振る舞う「紳」など、さまざまな漢字に変換することができるのです。高齢者は、行動的で知的な「立派な消費者」だと世間に認めさせなくてはいけません。高齢者こそ低迷する日本を救うカギ 80歳を対象にした本がネット書店でここまで売れるとは、私も想像していませんでした。すべての高齢者に経済的な余裕があるわけではないのですが、お金を貯め込んで爪に火を点(とも)すようにして生活している人ばかりでもありません。大企業に定年まで勤めて企業年金に恵まれ、住宅ローンも払い終え、退職金ももっている人が大勢いるのです。豊かな日本という国をつくり上げた立役者なわけですから、これから好きなようにお金を使うことに遠慮する必要はありません。シン・老人は「お金を使ってくれる人」として、経済的な観点からも大切に扱われるべき存在なのです。高齢者を始め障害を持っている人、貧困、格差に苦しんでいる人たち一人ひとりを大事にしない国はどうなるのでしょうか。誰もが取り残されずに安心して生活できる社会を築き上げる必要があるのではないでしょうか。政治家に頼るだけでなく国民が立ち上がって声を上げてより良い社会にしていかなければならないでしょう。
高齢者は消費者として見捨てられている 世の中では、高齢者は衰える一方の存在であり、お金も使わない、社会の負担になると決めつける傾向が強いようです。
また、運転免許の返納を迫る声なども典型的ですが、「高齢者は遠慮がちに縮こまって暮らすべきだ」という考え方もはびこっています。
現代の日本では、高齢者は敬意を示されるどころか、ひどく粗末に扱われているように私は感じます。
たとえば、お笑い番組の『笑点』(日本テレビ系)は今も高視聴率をキープし、テレビ局にとって高齢層も大事な顧客のはずです。しかし、今は面白くもない「ひな壇芸人」が集う若者向け番組ばかりに力が注がれます。
これは「高齢者はテレビCMを見てもお金を使わない」と指摘されているからです。つまり、高齢者は消費者として見捨てられているのです。
しかし、今の日本では「衰えるばかりで、お金も使わない高齢者」は少数派でしょう。約20年前に聖路加国際病院元理事長・日野原重明さんが、約10年前に作家の五木寛之さんが着目した「旧来とは違う、元気な老人」は、その後も明らかに増えています。
元気な高齢者は立派な消費者である 65歳以上の高齢者で要支援・要介護の人は18%というデータがあります。この18%の人には、きめ細かな福祉の手を差し伸べていく必要があることはあらためて述べるまでもありません。
一方、この数字の裏を返せば、約8割の高齢者は自立して生活しているわけです。ただ現状では、この高齢者も「お金を使わず貯め込むだけ」と思われているのです。
日野原さんや五木さんがそれぞれ提唱した「新老人」の概念を踏まえて、あらためて私が「シン・老人」を定義するなら、「何歳になっても意欲や好奇心をもち、元気に出歩いて消費もする、社会とつながりを保って暮らす老人」となります。
また、「シン」とは単に「新しい」という概念だけにとどまりません。
失敗を恐れず、積極的に進歩的なことに挑む「進」、知識や考え方に深みがあり、洞察力に優れる「深」、意志が強く、信条を守り、生き方に芯がある「芯」、共感力や好感度が高く、誰からも親しまれる「親」、心構えが前向きで意欲や好奇心に満ちている「心」、元気に長生きするための身体ケアを怠らない「身」、品格があり、紳士淑女として立ち振る舞う「紳」など、さまざまな漢字に変換することができるのです。
「シン・老人」の「シン」には高齢者が自分らしく、若々しく生きるために重要なさまざまな漢字をキーワードとしてあてがうことができそうです。
“和田ブーム”でわかった高齢者の実態 自立した生活をしている高齢者はもちろん、周囲の手助けを受けながらにこやかに暮らしている高齢者は、こうした要素がもたらす力を発揮したり、享受したりしながら人生の実りの時期を過ごしています。
これが私のイメージする「シン・老人」像であり、そうした高齢者が発揮したり、もっていたりする力こそが「シン・老人力」です。 昨今、拙著『80歳の壁』『70歳が老化の分かれ道』などが次々とベストセラーになり、時ならぬ“和田ブーム”が起きました。
どの本でも「美味しいものを食べ、好きなことをして暮らすことこそ健康長寿の秘訣」と述べていますが、私が25年以上前から主張し続けてきたことです。
今になって急に売れ始めたことに私自身、驚きながらも「読みは当たった」と総括しています。「寝たきりでもいいから長生きしたい」という人はほとんどいません。「人生を楽しみたいから長生きしたい」という“実需”がはっきりしたのです。
しかし、出版社や編集者からはずっと「高齢者向けの本は売れにくい」と言われ続け、タイトルに「70歳」「80歳」と入れるのはもってのほかとされてきました。
ところが、コロナ禍に入った3年ほど前から、「70歳」「80歳」と入れた本が非常に好評で、よく売れるようになりました。
郊外型の書店や、アマゾンで1位になるなどネット書店でも好調です。つまり、70代、80代が車を運転して私の本を買いに行ってくれたり、ネット通販も使いこなして手に入れてくれたりしているわけです。
高齢者はお金を使わない=消費者として見られていない、という傾向が強い世の中ですが、実態は違うのではないでしょうか。欲しいと思うモノがあればアクティブに行動してすぐに買うし、世間が思う以上にITリテラシーも高いのです。
高齢者は、行動的で知的な「立派な消費者」だと世間に認めさせなくてはいけません。
高齢者こそ低迷する日本を救うカギ 80歳を対象にした本がネット書店でここまで売れるとは、私も想像していませんでした。
ただ考えてみると、さすがにこの年齢になると、書店に出かけるよりアマゾンなどで注文するほうが楽なのかもしれません。スマホをもつ高齢者も多いし、現役時代からパソコンに触れていたという人も多いのでしょう。
この“和田ブーム”で、出版社からは新刊の依頼が次々と来ましたが、テレビ局から「高齢者向けの番組を企画したい」というオファーは皆無、企業からも「高齢者向けに開発している製品やサービスへの意見が欲しい」という声はまったくかかりません。 あらためて「高齢者は消費者として忘れ去られている」と悟りました。
高齢者は、消費者として忘れ去られているどころか、医療費や介護費などで社会に負担をかける存在として、厄介者扱いされる風潮さえあります。
2025年には、いわゆる「団塊の世代」が全員75歳以上となり、日本の人口の2割近くを後期高齢者が占める見込みです。これが「2025年問題」として、日本の危機であるかのようにも言われています。
しかし私は、こうした高齢者層こそ低迷する日本の経済や社会を救うカギになると考えます。
「消費上手」な世代 高度経済成長期を過ごし、バブル期も体験しているので、買い物をするにも目が肥えています。
いわば消費上手な世代ゆえ、モノが売れなくて閉塞感が漂う日本社会の空気を変える存在になると思うのです。
元気だからお金を使う高齢者の「消費する力」。好きなことをした結果、元気になり、健康長寿につながる「消費がもたらす力」。
後者は、医療費や介護費など社会保障費の抑制にも直結します。
元気な期間が長ければ長いほど、消費者としてお金も使います。両者は相互に関連して、日本社会の構造を大きく変える影響力を発揮すると思います。
すでに、今の高齢者の多くが、家に引きこもって孫の世話をしながら“お迎えを待つ”という時代ではありません。
今後さらに、歳を重ねても元気で活動的な人が増加すれば、さまざまな場面で社会と関わりをもつ人が今以上に増えていくことは間違いないでしょう。
日本では1990年代の半ばから、消費不況が続いています。消費は落ち込み、生産はだぶついた状態から抜け出すことができません。
需要が低迷し供給が過剰となっている状況ですから、単純に生産性を上げれば上げるほど、需給ギャップは広がり、景気は落ち込んでいくのが道理なのです。
お金を使ってくれる高齢者を大切に それなのに、世の中ではいまだに「生産性神話」が大手を振って語られています。効率や成果を競い合ってきた社会から、少しも変わっていないのが実情です。
需要(消費)が伸びず供給(生産)が過剰となっているのですから、生産性は多少低くても、消費を増やすほうが重要であるにもかかわらず。
極論すれば、こうした状況では「真面目にコツコツ働くばかりで、節約してお金を使わない人」よりも「ぶらぶらしていてお金を使ってくれる人」を大切にしたほうがいいわけです。
私が高齢者たちこそ日本を救うと考える理由のひとつは、消費者としてのパワーです。 何はともあれ、個人金融資産のうちの7割、約1400兆円は60歳以上の人がもっているわけですから。
また、高齢者の8割が元気で自立しているとも先述しました。
すべての高齢者に経済的な余裕があるわけではないのですが、お金を貯め込んで爪に火を点(とも)すようにして生活している人ばかりでもありません。
大企業に定年まで勤めて企業年金に恵まれ、住宅ローンも払い終え、退職金ももっている人が大勢いるのです。
豊かな日本という国をつくり上げた立役者なわけですから、これから好きなようにお金を使うことに遠慮する必要はありません。
シン・老人は「お金を使ってくれる人」として、経済的な観点からも大切に扱われるべき存在なのです。
高齢者は消費者として見捨てられている 世の中では、高齢者は衰える一方の存在であり、お金も使わない、社会の負担になると決めつける傾向が強いようです。また、運転免許の返納を迫る声なども典型的ですが、「高齢者は遠慮がちに縮こまって暮らすべきだ」という考え方もはびこっています。現代の日本では、高齢者は敬意を示されるどころか、ひどく粗末に扱われているように私は感じます。高齢者が邪魔者扱いされ疎外される社会になってしまっていないでしょうか。戦後からの復興を支え現在の日本を築き上げてきたのは高齢者ではないでしょうか。社会保障費の負担が増えるのは高齢者が多いからだと言っているようですが、少子高齢化が進めばどのような社会になるか予測して制度設計をするのが政府であり省庁ではないでしょうか。支える立場の働く人たちは減少し続けて高齢者が増えることは予測されていたのではないでしょうか。中長期的な視点で税金を有効に効果的に使うことを考えていなかったのでしょうか。国会議員というか政権与党の議員が選挙で当選できるように目先の政策に公金を使ってこのような状況に陥っている可能性はないのでしょうか。「元気で自立し消費者としても大きな存在となっているのが今の高齢層です」今の日本では「衰えるばかりで、お金も使わない高齢者」は少数派でしょう。約20年前に聖路加国際病院元理事長・日野原重明さんが、約10年前に作家の五木寛之さんが着目した「旧来とは違う、元気な老人」は、その後も明らかに増えています。確かに元気な高齢者は継続を動かす力になっているでしょう。日野原さんや五木さんがそれぞれ提唱した「新老人」。失敗を恐れず、積極的に進歩的なことに挑む「進」、知識や考え方に深みがあり、洞察力に優れる「深」、意志が強く、信条を守り、生き方に芯がある「芯」、共感力や好感度が高く、誰からも親しまれる「親」、心構えが前向きで意欲や好奇心に満ちている「心」、元気に長生きするための身体ケアを怠らない「身」、品格があり、紳士淑女として立ち振る舞う「紳」など、さまざまな漢字に変換することができるのです。高齢者は、行動的で知的な「立派な消費者」だと世間に認めさせなくてはいけません。高齢者こそ低迷する日本を救うカギ 80歳を対象にした本がネット書店でここまで売れるとは、私も想像していませんでした。すべての高齢者に経済的な余裕があるわけではないのですが、お金を貯め込んで爪に火を点(とも)すようにして生活している人ばかりでもありません。大企業に定年まで勤めて企業年金に恵まれ、住宅ローンも払い終え、退職金ももっている人が大勢いるのです。豊かな日本という国をつくり上げた立役者なわけですから、これから好きなようにお金を使うことに遠慮する必要はありません。シン・老人は「お金を使ってくれる人」として、経済的な観点からも大切に扱われるべき存在なのです。高齢者を始め障害を持っている人、貧困、格差に苦しんでいる人たち一人ひとりを大事にしない国はどうなるのでしょうか。誰もが取り残されずに安心して生活できる社会を築き上げる必要があるのではないでしょうか。政治家に頼るだけでなく国民が立ち上がって声を上げてより良い社会にしていかなければならないでしょう。