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高齢者が日本を救うカギになり得るかもしれません[2023年10月31日(Tue)]
 婦人公論.jp2023年7月11日付け「和田秀樹 高齢者は衰える一方で社会の負担になるだけ…って本当?「消費者パワー」をもつ現在の高齢者こそ日本を救うカギである」から、現在、日本人の約3割が65歳以上の高齢者です。高齢者は「生産しないしお金も使わない」「社会の負担となる存在」という世間の声を聞くことも少なくありません。そんななか、「元気で自立し消費者としても大きな存在となっているのが今の高齢層です」と語るのは、高齢者専門の精神科医である和田秀樹先生。和田先生いわく「高齢者層こそ低迷する日本の経済や社会を救うカギ」だそうで――。
高齢者は消費者として見捨てられている 世の中では、高齢者は衰える一方の存在であり、お金も使わない、社会の負担になると決めつける傾向が強いようです。
また、運転免許の返納を迫る声なども典型的ですが、「高齢者は遠慮がちに縮こまって暮らすべきだ」という考え方もはびこっています。
現代の日本では、高齢者は敬意を示されるどころか、ひどく粗末に扱われているように私は感じます。
たとえば、お笑い番組の『笑点』(日本テレビ系)は今も高視聴率をキープし、テレビ局にとって高齢層も大事な顧客のはずです。しかし、今は面白くもない「ひな壇芸人」が集う若者向け番組ばかりに力が注がれます。
これは「高齢者はテレビCMを見てもお金を使わない」と指摘されているからです。つまり、高齢者は消費者として見捨てられているのです。
しかし、今の日本では「衰えるばかりで、お金も使わない高齢者」は少数派でしょう。約20年前に聖路加国際病院元理事長・日野原重明さんが、約10年前に作家の五木寛之さんが着目した「旧来とは違う、元気な老人」は、その後も明らかに増えています。
元気な高齢者は立派な消費者である 65歳以上の高齢者で要支援・要介護の人は18%というデータがあります。この18%の人には、きめ細かな福祉の手を差し伸べていく必要があることはあらためて述べるまでもありません。
一方、この数字の裏を返せば、約8割の高齢者は自立して生活しているわけです。ただ現状では、この高齢者も「お金を使わず貯め込むだけ」と思われているのです。
日野原さんや五木さんがそれぞれ提唱した「新老人」の概念を踏まえて、あらためて私が「シン・老人」を定義するなら、「何歳になっても意欲や好奇心をもち、元気に出歩いて消費もする、社会とつながりを保って暮らす老人」となります。
また、「シン」とは単に「新しい」という概念だけにとどまりません。
失敗を恐れず、積極的に進歩的なことに挑む「進」、知識や考え方に深みがあり、洞察力に優れる「深」、意志が強く、信条を守り、生き方に芯がある「芯」、共感力や好感度が高く、誰からも親しまれる「親」、心構えが前向きで意欲や好奇心に満ちている「心」、元気に長生きするための身体ケアを怠らない「身」、品格があり、紳士淑女として立ち振る舞う「紳」など、さまざまな漢字に変換することができるのです。
「シン・老人」の「シン」には高齢者が自分らしく、若々しく生きるために重要なさまざまな漢字をキーワードとしてあてがうことができそうです。
“和田ブーム”でわかった高齢者の実態 自立した生活をしている高齢者はもちろん、周囲の手助けを受けながらにこやかに暮らしている高齢者は、こうした要素がもたらす力を発揮したり、享受したりしながら人生の実りの時期を過ごしています。
これが私のイメージする「シン・老人」像であり、そうした高齢者が発揮したり、もっていたりする力こそが「シン・老人力」です。 昨今、拙著『80歳の壁』『70歳が老化の分かれ道』などが次々とベストセラーになり、時ならぬ“和田ブーム”が起きました。
どの本でも「美味しいものを食べ、好きなことをして暮らすことこそ健康長寿の秘訣」と述べていますが、私が25年以上前から主張し続けてきたことです。
今になって急に売れ始めたことに私自身、驚きながらも「読みは当たった」と総括しています。「寝たきりでもいいから長生きしたい」という人はほとんどいません。「人生を楽しみたいから長生きしたい」という“実需”がはっきりしたのです。
しかし、出版社や編集者からはずっと「高齢者向けの本は売れにくい」と言われ続け、タイトルに「70歳」「80歳」と入れるのはもってのほかとされてきました。
ところが、コロナ禍に入った3年ほど前から、「70歳」「80歳」と入れた本が非常に好評で、よく売れるようになりました。
郊外型の書店や、アマゾンで1位になるなどネット書店でも好調です。つまり、70代、80代が車を運転して私の本を買いに行ってくれたり、ネット通販も使いこなして手に入れてくれたりしているわけです。
高齢者はお金を使わない=消費者として見られていない、という傾向が強い世の中ですが、実態は違うのではないでしょうか。欲しいと思うモノがあればアクティブに行動してすぐに買うし、世間が思う以上にITリテラシーも高いのです。
高齢者は、行動的で知的な「立派な消費者」だと世間に認めさせなくてはいけません。
高齢者こそ低迷する日本を救うカギ 80歳を対象にした本がネット書店でここまで売れるとは、私も想像していませんでした。
ただ考えてみると、さすがにこの年齢になると、書店に出かけるよりアマゾンなどで注文するほうが楽なのかもしれません。スマホをもつ高齢者も多いし、現役時代からパソコンに触れていたという人も多いのでしょう。
この“和田ブーム”で、出版社からは新刊の依頼が次々と来ましたが、テレビ局から「高齢者向けの番組を企画したい」というオファーは皆無、企業からも「高齢者向けに開発している製品やサービスへの意見が欲しい」という声はまったくかかりません。 あらためて「高齢者は消費者として忘れ去られている」と悟りました。
高齢者は、消費者として忘れ去られているどころか、医療費や介護費などで社会に負担をかける存在として、厄介者扱いされる風潮さえあります。
2025年には、いわゆる「団塊の世代」が全員75歳以上となり、日本の人口の2割近くを後期高齢者が占める見込みです。これが「2025年問題」として、日本の危機であるかのようにも言われています。
しかし私は、こうした高齢者層こそ低迷する日本の経済や社会を救うカギになると考えます。
「消費上手」な世代 高度経済成長期を過ごし、バブル期も体験しているので、買い物をするにも目が肥えています。
いわば消費上手な世代ゆえ、モノが売れなくて閉塞感が漂う日本社会の空気を変える存在になると思うのです。
元気だからお金を使う高齢者の「消費する力」。好きなことをした結果、元気になり、健康長寿につながる「消費がもたらす力」。
後者は、医療費や介護費など社会保障費の抑制にも直結します。
元気な期間が長ければ長いほど、消費者としてお金も使います。両者は相互に関連して、日本社会の構造を大きく変える影響力を発揮すると思います。
すでに、今の高齢者の多くが、家に引きこもって孫の世話をしながら“お迎えを待つ”という時代ではありません。
今後さらに、歳を重ねても元気で活動的な人が増加すれば、さまざまな場面で社会と関わりをもつ人が今以上に増えていくことは間違いないでしょう。
日本では1990年代の半ばから、消費不況が続いています。消費は落ち込み、生産はだぶついた状態から抜け出すことができません。
需要が低迷し供給が過剰となっている状況ですから、単純に生産性を上げれば上げるほど、需給ギャップは広がり、景気は落ち込んでいくのが道理なのです。
お金を使ってくれる高齢者を大切に それなのに、世の中ではいまだに「生産性神話」が大手を振って語られています。効率や成果を競い合ってきた社会から、少しも変わっていないのが実情です。
需要(消費)が伸びず供給(生産)が過剰となっているのですから、生産性は多少低くても、消費を増やすほうが重要であるにもかかわらず。
極論すれば、こうした状況では「真面目にコツコツ働くばかりで、節約してお金を使わない人」よりも「ぶらぶらしていてお金を使ってくれる人」を大切にしたほうがいいわけです。
私が高齢者たちこそ日本を救うと考える理由のひとつは、消費者としてのパワーです。 何はともあれ、個人金融資産のうちの7割、約1400兆円は60歳以上の人がもっているわけですから。
また、高齢者の8割が元気で自立しているとも先述しました。
すべての高齢者に経済的な余裕があるわけではないのですが、お金を貯め込んで爪に火を点(とも)すようにして生活している人ばかりでもありません。
大企業に定年まで勤めて企業年金に恵まれ、住宅ローンも払い終え、退職金ももっている人が大勢いるのです。
豊かな日本という国をつくり上げた立役者なわけですから、これから好きなようにお金を使うことに遠慮する必要はありません。
シン・老人は「お金を使ってくれる人」として、経済的な観点からも大切に扱われるべき存在なのです。DSC01851.JPG

 高齢者は消費者として見捨てられている 世の中では、高齢者は衰える一方の存在であり、お金も使わない、社会の負担になると決めつける傾向が強いようです。また、運転免許の返納を迫る声なども典型的ですが、「高齢者は遠慮がちに縮こまって暮らすべきだ」という考え方もはびこっています。現代の日本では、高齢者は敬意を示されるどころか、ひどく粗末に扱われているように私は感じます。高齢者が邪魔者扱いされ疎外される社会になってしまっていないでしょうか。戦後からの復興を支え現在の日本を築き上げてきたのは高齢者ではないでしょうか。社会保障費の負担が増えるのは高齢者が多いからだと言っているようですが、少子高齢化が進めばどのような社会になるか予測して制度設計をするのが政府であり省庁ではないでしょうか。支える立場の働く人たちは減少し続けて高齢者が増えることは予測されていたのではないでしょうか。中長期的な視点で税金を有効に効果的に使うことを考えていなかったのでしょうか。国会議員というか政権与党の議員が選挙で当選できるように目先の政策に公金を使ってこのような状況に陥っている可能性はないのでしょうか。「元気で自立し消費者としても大きな存在となっているのが今の高齢層です」今の日本では「衰えるばかりで、お金も使わない高齢者」は少数派でしょう。約20年前に聖路加国際病院元理事長・日野原重明さんが、約10年前に作家の五木寛之さんが着目した「旧来とは違う、元気な老人」は、その後も明らかに増えています。確かに元気な高齢者は継続を動かす力になっているでしょう。日野原さんや五木さんがそれぞれ提唱した「新老人」。失敗を恐れず、積極的に進歩的なことに挑む「進」、知識や考え方に深みがあり、洞察力に優れる「深」、意志が強く、信条を守り、生き方に芯がある「芯」、共感力や好感度が高く、誰からも親しまれる「親」、心構えが前向きで意欲や好奇心に満ちている「心」、元気に長生きするための身体ケアを怠らない「身」、品格があり、紳士淑女として立ち振る舞う「紳」など、さまざまな漢字に変換することができるのです。高齢者は、行動的で知的な「立派な消費者」だと世間に認めさせなくてはいけません。高齢者こそ低迷する日本を救うカギ 80歳を対象にした本がネット書店でここまで売れるとは、私も想像していませんでした。すべての高齢者に経済的な余裕があるわけではないのですが、お金を貯め込んで爪に火を点(とも)すようにして生活している人ばかりでもありません。大企業に定年まで勤めて企業年金に恵まれ、住宅ローンも払い終え、退職金ももっている人が大勢いるのです。豊かな日本という国をつくり上げた立役者なわけですから、これから好きなようにお金を使うことに遠慮する必要はありません。シン・老人は「お金を使ってくれる人」として、経済的な観点からも大切に扱われるべき存在なのです。高齢者を始め障害を持っている人、貧困、格差に苦しんでいる人たち一人ひとりを大事にしない国はどうなるのでしょうか。誰もが取り残されずに安心して生活できる社会を築き上げる必要があるのではないでしょうか。政治家に頼るだけでなく国民が立ち上がって声を上げてより良い社会にしていかなければならないでしょう。DSC00096.JPG
貧困化していく日本人はどうなるのでしょうか[2023年10月30日(Mon)]
 ビジネス+IT2023年7月10日付け「「円安地獄」でも政府が何もできない理由、“貧困化する日本人”は見捨てられたか?」から、ドル円相場が再び円安に向けて動き出すなど、日銀の金融政策が実体経済に大きな影響を及ぼしている。今のところ日銀は大規模緩和策を維持する方針だが、このままマネーの供給を続ければ、必然的に円安は進行しやすくなる。景気を犠牲にしてでも緩和策から脱却するのか、インフレによる貧困化を受け入れて緩和策を継続するのか、政府・日銀はそろそろ覚悟を決める必要があるだろう。
植田総裁は政策変更をほのめかしたが…
 為替相場はさまざまな要因で動くものだが、昨年以来、続く円安の主な要因が日銀の金融政策にあることはほぼ明白と言って良い。アベノミクスの中核的な政策である大規模緩和策によって日銀は大量のマネーを市場に供給する一方、米国や欧州の中央銀行は、金利を引き上げてマネーを回収するモードに入っている。  
日本はひたすらマネーの提供を続け、円の価値を低下させる一方、米国はマネーを回収しドルの価値を上げる政策を実施しているので、当然の結果として円安ドル高が進みやすくなる。  
筆者は、円安が進み始めた2022年当初から、日本の金融政策が大きく変更されない限り、基本的な流れとして円安が続く可能性が高いと繰り返し述べてきた。かつての日本では、円安は輸出産業に有利とされ、歓迎するムードだったが、今回の円安は輸入価格の上昇をもたらし、国民生活に大きな悪影響を及ぼしている。  
日本の製造業はすでに国際競争力を失っており、円安による売上拡大よりも、仕入れコスト増加に悩まされており、企業業績は改善していない。円安になれば、見かけ上の売上高と利益は増大するため、新聞には「過去最高益」などという文字が踊るものの、製造業の営業利益率はむしろマイナスとなっており、円安で儲からない体質になっている。円安で企業が儲からず、経済が実質的に成長できない状況では、物価を上回る賃金上昇を実現するのは困難である。  
金融政策の変更は、過度な円安を回避する有力な方策となり得るが、その選択肢も難しいと言わざるを得ない。  
日銀の植田和夫総裁は、ECB(欧州中央銀行)主催の国際会議に出席し、「2024年もインフレが続くと確信できれば政策変更に十分な理由になる」と発言し、金融政策転換の可能性について言及した。植田新体制の発足後、市場の一部からは金融政策の早期転換を期待する声が上がっており、今回の発言はそれを仄めかしたとも解釈できるが、現実的に日本で金利を引き上げるのは極めて難しい。
 賃金が上がらないと金融政策を変更しないという奇妙なロジック
 今の日本経済は低金利にどっぷりと浸かった状況であり、ここで金利を上げてしまうと、企業の倒産が続出するほか、住宅ローン破産者を増やしてしまうリスクがある(変動金利の場合、金利が上がると返済額が増える)。何より金利が上がると政府の利払い費が急増するため、増税が不可避になることから、政府は金利を上げたくても上げられないのが実状だ。  
植田氏は、総裁に就任すると、まずは大規模緩和策の継続を表明した。永田町では解散が取り沙汰されており、通常国会での解散は回避されたものの、引き続き、いつ解散があるのかわからない状況が続く。岸田文雄首相の政権基盤が十分に確立しない中で大幅な政策変更に踏み切れば、場合によっては政局に発展する可能性があり、慎重にならざるを得ないという事情もある。  
今回、植田氏が少し踏み込んだ発言を行ったことで、場合によっては政策変更が行われる可能性が出てきたと解釈できるが、一方で植田氏は、(2024年以降もインフレが続くことについて)「あまり自信が持てない」と述べている。さらに植田氏は、2%という物価目標を達成するには「2%を上回る賃金上昇が必要」という発言も行っている。  
本来、物価目標は単純な物価目標だったはずだが、大規模緩和策が効果を発揮しないことが明らかになるにつれて、黒田東彦前総裁は物価ではなく賃金に言及することが多くなった。いつのまにか物価目標は事実上、賃金目標を意味するようになり、賃金が上がらない限り、緩和を続けるというロジックになっている。今回の植田氏の発言もその延長線上に位置していると考えて良いだろう。  
これは、賃金が上がらない限り、現在の大規模緩和策を継続するという文脈にも読める。  
冒頭に述べたように、日本企業は国際的な競争力を低下させており、円安によってむしろ儲かりにくい体質になっている。日銀の金融政策が円安を引き起こす原因である以上、企業の経営モデルを抜本的に変革しない限り、円安下においてインフレ率を超える賃金上昇を実現することは難しい。そうなると日銀の金融政策はいつまでたっても変更されないという事態が十分にあり得ることになる。
 「低賃金」が続く最悪のシナリオとは
 もっとも日銀は立場上、半永久的に緩和策を続けるとは言いにくいので、現実にはイールドカーブ・コントロール(YCC)の見直しなど、テクニカルな修正を行い、これをもってして金融政策を変更したというロジックを組み立てることだろう。ここまで来るともはや言葉遊びでしかないが、実質的な緩和は今後も長期にわたって継続する流れになる可能性が高い。  
このシナリオで進んだ場合、当然の帰結として円安とインフレ、そして低賃金が継続しやすい経済環境が続くことになる。そうなると、賃金上昇がインフレにいつまでも追い付かず、輸入物価が上昇することで国民の購買力はさらに低下するだろう。
このまま円安とインフレを継続させるのか、それとも…
 一方で、インフレが進むことで政府の実質的な債務は削減され、財政問題は改善に向かう。  
言い換えれば、国民の預金がインフレによって実質的価値を減らし、その分が、事実上の税金として政府の債務返済に充てられるとも解釈できる。  
一部の専門家は大量に国債を発行しても問題ないと主張しているが、それは明確な誤りである。国債を過剰に発行すればインフレが進み、それによって国民の預金が実質的に目減りし、事実上の税金として政府の借金返済に充当されてしまう。消費税などの税金として直接的に徴収するのか、預金の実質的目減りという形で徴収するかの違いでしかなく、国民が負担することに変わりはない。  
筆者は、上記の緩和継続シナリオ(つまりインフレ進行シナリオ)が濃厚だと考えているが、本当にこの選択肢で良いのか決めるのは国民である。  
今のまま何もしなければ、漠然と緩和策が続き、賃金が物価上昇に追いつかないことが常態化していく可能性が高い。大きな犠牲を払っても金融政策を転換し、金融を正常化すべきなのか、インフレと低賃金が続く、緩慢な貧困化を選択するのか、日本人は腰を据えて判断する必要があるだろう。DSC01860.JPG

 日銀の金融政策が実体経済に大きな影響を及ぼしている。今のところ日銀は大規模緩和策を維持する方針だが、このままマネーの供給を続ければ、必然的に円安は進行しやすくなる。景気を犠牲にしてでも緩和策から脱却するのか、インフレによる貧困化を受け入れて緩和策を継続するのか、政府・日銀はそろそろ覚悟を決める必要があるだろう。なぜ国民の生活を犠牲にするような政策を継続するのでしょうか。アベノミクスの中核的な政策である大規模緩和策によって日銀は大量のマネーを市場に供給する。いつまでアベノミクスに縛られるのでしょうか。アベノミクスを検証したのでしょうか。今回の円安は輸入価格の上昇をもたらし、国民生活に大きな悪影響を及ぼしている。日本の製造業はすでに国際競争力を失っており、円安による売上拡大よりも、仕入れコスト増加に悩まされており、企業業績は改善していない。円安になれば、見かけ上の売上高と利益は増大するため、新聞には「過去最高益」などという文字が踊るものの、製造業の営業利益率はむしろマイナスとなっており、円安で儲からない体質になっている。円安で企業が儲からず、経済が実質的に成長できない状況では、物価を上回る賃金上昇を実現するのは困難である。円安による弊害が出ているのに対処できない理由は何なのでしょうか。今の日本経済は低金利にどっぷりと浸かった状況であり、ここで金利を上げてしまうと、企業の倒産が続出するほか、住宅ローン破産者を増やしてしまうリスクがある(変動金利の場合、金利が上がると返済額が増える)。何より金利が上がると政府の利払い費が急増するため、増税が不可避になることから、政府は金利を上げたくても上げられないのが実状だ。企業倒産、住宅ローン破産者などが増え、政府の利払い費が増えないようにするために緩和を続けなければならないのでしょうか。しかしそれでいいのでしょうか。本来、物価目標は単純な物価目標だったはずだが、大規模緩和策が効果を発揮しないことが明らかになるにつれて、黒田東彦前総裁は物価ではなく賃金に言及することが多くなった。いつのまにか物価目標は事実上、賃金目標を意味するようになり、賃金が上がらない限り、緩和を続けるというロジックになっている。今回の植田氏の発言もその延長線上に位置していると考えて良いだろう。これは、賃金が上がらない限り、現在の大規模緩和策を継続するという文脈にも読める。日本企業は国際的な競争力を低下させており、円安によってむしろ儲かりにくい体質になっている。日銀の金融政策が円安を引き起こす原因である以上、企業の経営モデルを抜本的に変革しない限り、円安下においてインフレ率を超える賃金上昇を実現することは難しい。そうなると日銀の金融政策はいつまでたっても変更されないという事態が十分にあり得ることになる。日本の賃金は今後も上がる保障はないでしょう。そうすればいつまでの緩和政策が続くということでしょうか。日銀の政策を検証することはできないのでしょうか。国民の預金がインフレによって実質的価値を減らし、その分が、事実上の税金として政府の債務返済に充てられるとも解釈できる。一部の専門家は大量に国債を発行しても問題ないと主張しているが、それは明確な誤りである。国債を過剰に発行すればインフレが進み、それによって国民の預金が実質的に目減りし、事実上の税金として政府の借金返済に充当されてしまう。消費税などの税金として直接的に徴収するのか、預金の実質的目減りという形で徴収するかの違いでしかなく、国民が負担することに変わりはない。いい加減に間違っていると思われる政策を正して国民のためになるような政策を推進しなければならないでしょう。今のまま何もしなければ、漠然と緩和策が続き、賃金が物価上昇に追いつかないことが常態化していく可能性が高い。大きな犠牲を払っても金融政策を転換し、金融を正常化すべきなのか、インフレと低賃金が続く、緩慢な貧困化を選択するのか、日本人は腰を据えて判断する必要があるだろう。このままでよいと思わないのであれば、国民にできることは選挙の際に国民のために一生懸命になってくれるような人たちを選ぶことでしょう。DSC01853.JPG
子どもたちのために常識にとらわれない学校づくりを推進すべきでは[2023年10月29日(Sun)]
 現代ビジネス2023年7月8日付け「「子どもたちのためなら常識にとらわれない」狛江第三小学校が挑むインクルーシブへの道」から、国連から日本へ「障害のある子どもにインクルーシブ教育の権利を」と勧告が行われたのは2022年9月。日本の教育のあり方、学校の在り方が世界から問われている。東京都内にある狛江市立狛江第三小学校では、その勧告を先取りするかのように、2022年度のはじめから学校全体でインクルーシブ研修が行われていた。
 不登校の子どもたちや障害のある子どもたちについて理解が必要なのは、直接その子どもに関わる先生だけではない。学校全体のそのほかの先生たちが理解を深めているかどうかで、環境は大きく変わる。そして、環境が変わることでその子どもたちの困りごとは軽くなり、ほかの子どもたちも過ごしやすくなっていく。  
連載第1回「責任は僕が取るから…小学校校長が選んだ不登校の新たな選択肢『アバターロボット』」の不登校の子どもたちへのアバターロボットの導入や、連載第2回「小1から小5まで不登校だった女の子が小学校最後の1年間で得たもの」で紹介した6年生の女の子の修学旅行参加など、これまでの学校の常識では実現が難しかったことが、なぜ実現できたのか。連載第3回、最終回となる今回は、狛江第三小学校の学校全体でのインクルーシブ研修と先生たちの意識の変化を紹介する。
合言葉は「チームKOMA3」 学校全体で改革に挑む
 「社会はマジョリティを中心に作られています。私たちはたまたま目が見える。たまたま足が不自由ではない。たまたまじっと座っていられます。その人たちに合わせて社会は作られています。そして、今の学校もマジョリティに合わせて作られています。  
教室を飛び出してしまうAさんがいたとしましょう。困難さの原因を個人の障害にあると考える『個人モデル』のアプローチでは、Aさんが飛び出さないようにするための訓練や練習をします。一方で、多様な人がいることを前提に社会がつくられていないことに問題があるとする『社会モデル』では、Aさんのような特徴のある人がいることを前提として学校や学級の環境づくりをします」(野口さん)  
東京都内にある狛江市立狛江第三小学校では、2022年度から学校全体でインクルーシブ研修が行われていた。講師はインクルージョン研究者の野口晃菜さん(一般社団法人UNIVA)。全校の先生が、特別支援学級の一室に集まり、子どもたちが使うさまざまな形の椅子やバランスボール、畳のリラックススペースなどに座りながら真剣に話を聞いていた。  「本校では、『令和3年度 特別支援教育に関する実践研究』において、通級の先生が通常の学級に入り込む『入り込み型』で子どもたちにどのような変化があるかを研究していました。そこに伴走してくださっていた明星大学の星山麻木先生や、インクルージョン研究者の野口晃菜さんのお話がとても参考になるので、ぜひ全ての先生に伝えていただきたいと考え、学校全体の校内研究のテーマにしたのです」(荒川校長先生)  
狛江第三小学校では、『チームKOMA3』を合言葉に、「子どもたちがチャレンジ意欲を高め、創造性を発揮する教育」の実現に向けて校内の先生たちが一つのチームになって取り組むことを目標としている。通常の学級の先生と特別支援の先生は交流がほとんどない学校も多いが、この学校ではクラスでの困りごとを特別支援の先生に相談し、情報交換を進め、さまざまな業務で助け合うことが多い。  
「みんな優秀な先生たちですが、中でも森村美和子先生は非常に専門性が高く、郊外の勉強会や学会にも足を運び、最先端の情報を持っています。それに、特別支援学級の視点は通常の学級経営にも参考になる点がたくさんあります。一律に子どもを見るのではなく、一人一人の違いを前提に子どもたちを見る視点を全ての先生に持ってほしいと願っています」
 いろんな子どもがいることが授業づくりの前提
 インクルーシブ研修では、マジョリティが持つ特権について考えた後、インクルーシブ教育の定義とは何かを考えた。インクルーシブ教育とは、ただ単に、「みんなで一緒に同じ教室で授業を受けること」ではない。「クラスにはいろんな子どもがいることを前提にして授業や学校作りをすること」だと野口さんは定義した。  
学校を一度に変えることは難しい。現行の学校教育の中でできることは限られている。それでも、気づいたところから少しずつ、できるところから少しずつ変えていく。そのプロセスが大事だという。この研修は、参加した先生たちの間でそれぞれにクラスで困っていることを共有する場となり、特別支援学級や通級で行われている工夫を通常の学級に共有する場にもなっていった。  
文部科学省の研究にも深く関わり、インクルーシブ研修にも参加した通常の学級の1年担任(2022年度)だった伊藤先生はその感想を次のように話している。  
「先生同士のコミュニケーションが活発で、普段から通級の先生や支援級の先生とも相談できるのでとても心強いんです。さらに、研修では支援グッズなども紹介してくださったので、貸し出していただき、実際に使ってとても助かりました。  
研修を受けて一番大きな変化があったのは、私自身が子どもたちに向き合う姿勢です。これまでは、できていない子をできるようにしたいという意識でしたが、それだけでなく、一人ひとりの強みをいかしていこうと意識しながら授業ができるようになりました。強みをいかすアプローチのほうが、私も楽しいし、実際に子どもたちもイキイキと学べるようになっていく。  
日々大変なことは山のようにありますが、教員同士でそんなつらさや困りごとも共有しながら話し合える場があることは、本当にありがたいと思っています」
違いや強みを認め合う関係性をつくる
 このような視点を手に入れた先生たちが学校に増えると、子どもたちの関係性も変わっていく。狛江第三小学校では、通級に通う子どもたちに対しても「いってらっしゃい」「おかえり」などと自然に送り出し、迎え入れる。クラスメートのできないことや苦手なことではなく、得意なことや好きなことに注目して「すごいね!」と称賛し合う姿が多く見られる。  
困ったことがあれば気軽に助けを求められ、どうすればできるかを友達や先生が一緒に考えてくれる環境になれば、学校に行きたくない、行けないという子どもたちも少なくなっていくはずだ。  
学校では、インクルーシブ研修が行われる以前から、特別支援学級の子どもたちの得意なことや好きなことを発表する場を多く持ってきた。違いや強みを認め合う先生や子どもたちの関係性ができているからこそ、アバターロボットの使用や修学旅行へのイレギュラーな参加なども違和感なく自然な配慮として受け入れる環境が整っていたといえるだろう。  
狛江市の柏原聖子教育長は、狛江第三小学校の取り組みについてこう評価する。
「アバターロボットによって不登校だったお子さんが信頼できる大人や友達とつながり、世界が広がることは、とてもセンセーショナルで本当に素晴らしい取り組みです。ただ、どんなケースでも機械を導入すればできることではありません。学校全体のインクルーシブ教育システムが確立され、教師が一人ひとりの子どもに対して、細かで粘り強い関わりができているからこそです。  
その子にとってどのような環境が適しているのか、どのような支援が必要なのか。教師にはその視点が不可欠ですし、心を開くのは子どもたち自身です。その視点を忘れずに、このような関わりを狛江市全体でも増やし、広げていきたいと考えています。  
今年度は、狛江市でも不登校等の支援が必要な子どもたちの居場所・学びの場として、東京都のバーチャル・ラーニング・プラットフォーム(メタバースの不登校支援)がスタートする予定です。子どもたちが自分に合った学びのスタイルを選べるように選択肢を増やしながら、その先にある人と人のつながりを大切にしていきたいと思います」
 インクルーシブについて考える有志の会が始動
 新しく迎えた2023年度、狛江第三小学校では、昨年研修を受けた先生たちが、今年度もぜひ続けてほしいと「インクルーシブ有志の会」を立ち上げた。今年度は自分達で何を学びたいか、どんなことを話し合いたいか意見を出し合い、対話し、年間の活動を主体的に進めている。  
「この活動は教員の休み時間を利用して行っていますが、声をかけると学校の半分以上の先生たちが手を上げてくれました。お茶やお菓子も楽しみながら、リラックスして参加できるような雰囲気を作っています」(森村先生)  
一般的にマスコミなどでは「ブラックな職場」と言われることの多い公立学校だが、この有志の会を見ている限りその雰囲気は感じられない。  
先生たちがまず、自身が抱える悩みを共有し、新しいアイデアを気軽に提案しながら対話する。そしてそれを日々の実践に取り入れる。先生が主体的に少しずつ学校を変えることで、子どもたちもいきいきと本来の姿を発揮し始める。手応えを感じた先生たちはさらに動き出す。子どもたちの姿と先生たちのやりがいは、深く関連しているように見えた。桜2.JPG

 国連から日本へ「障害のある子どもにインクルーシブ教育の権利を」と勧告が行われたのは2022年9月。日本の教育のあり方、学校の在り方が世界から問われている。国連から勧告を受けるほど障害のある子どもたちの教育に関して問題が山積していることでしょう。日本の教育のあり方、学校のあり方が問われています。不登校の子どもたちや障害のある子どもたちについて理解が必要なのは、直接その子どもに関わる先生だけではない。学校全体のそのほかの先生たちが理解を深めているかどうかで、環境は大きく変わる。そして、環境が変わることでその子どもたちの困りごとは軽くなり、ほかの子どもたちも過ごしやすくなっていく。まったくその通りではないでしょうか。「社会はマジョリティを中心に作られています。私たちはたまたま目が見える。たまたま足が不自由ではない。たまたまじっと座っていられます。その人たちに合わせて社会は作られています。そして、今の学校もマジョリティに合わせて作られています。障害のある子どもたちを特別支援学級に分けて任せてマジョリティに合わせた教育の方がやりやすいかもしれませんが、それでいいのでしょうか。狛江第三小学校では、『チームKOMA3』を合言葉に、「子どもたちがチャレンジ意欲を高め、創造性を発揮する教育」の実現に向けて校内の先生たちが一つのチームになって取り組むことを目標としている。通常の学級の先生と特別支援の先生は交流がほとんどない学校も多いが、この学校ではクラスでの困りごとを特別支援の先生に相談し、情報交換を進め、さまざまな業務で助け合うことが多い。このような教育のあり方を多くの学校に広げないのでしょうか。狛江第三小学校では、通級に通う子どもたちに対しても「いってらっしゃい」「おかえり」などと自然に送り出し、迎え入れる。クラスメートのできないことや苦手なことではなく、得意なことや好きなことに注目して「すごいね!」と称賛し合う姿が多く見られる。困ったことがあれば気軽に助けを求められ、どうすればできるかを友達や先生が一緒に考えてくれる環境になれば、学校に行きたくない、行けないという子どもたちも少なくなっていくはずだ。学校では、インクルーシブ研修が行われる以前から、特別支援学級の子どもたちの得意なことや好きなことを発表する場を多く持ってきた。違いや強みを認め合う先生や子どもたちの関係性ができているからこそ、アバターロボットの使用や修学旅行へのイレギュラーな参加なども違和感なく自然な配慮として受け入れる環境が整っていたといえるだろう。子どもたちは誰でも一緒に学習することが当たり前の教育が行われるべきでしょう。先生たちがまず、自身が抱える悩みを共有し、新しいアイデアを気軽に提案しながら対話する。そしてそれを日々の実践に取り入れる。先生が主体的に少しずつ学校を変えることで、子どもたちもいきいきと本来の姿を発揮し始める。手応えを感じた先生たちはさらに動き出す。子どもたちの姿と先生たちのやりがいは、深く関連しているように見えた。先生たちがいきいきと活動している学校が増えれば日本の教育もいい意味で変わってくるのでしょう。桜1.jpg
広がる貧富の格差をどうするのでしょうか[2023年10月28日(Sat)]
 文化放送2023年7月7日付け「広がる貧富の格差。青木氏国民生活基礎調査に驚き「ひとり親世帯の半数近くは貧困」」から、7月7日の大竹まことゴールデンラジオでは、様々なニュースを取り上げ、貧富の格差について大竹と青木がコメントした。
5月の実質賃金、1.2%減。物価高で14カ月連続マイナスが続いている。春闘による賃上げが3.58%と30年ぶりの高水準となったが物価高騰には追いついていないのが現状だ。一方、夏休みの旅行者が前年比17.8%増の7370万人であることがJTBの調べで分かっており、国内旅行に関しては、コロナ前を超えたという。1人当たり、旅行費用は4万円という数字も出ている。また、一方で夏休みの食事支援申請世帯に申請理由を聞いたところ、子どもの食料を買うお金がないという意見が7割を超えたというニュースもあり、貧富の格差が広がっている。
これらのニュースを受けて、青木と大竹が次のようにコメントした。
青木「実質賃金が14カ月連続減り続けている一方で、夏休みの旅行の費用が過去最高。これも物価高の影響があると思うんですけれどもまた一方で、食事支援申請世帯のうち、子供に食料を買うお金もない世帯が70%。貧富の格差というか、苦しい人が非常に苦しい。実は今月の4日に厚労省が国民生活基礎調査の結果を発表していて、3年ごとに調査結果を発表しているんですけど、これによると所得水準などに照らして貧困の状態にある18歳未満の子供の相対的貧困率は2021年の段階で11.5%で、3年前に比べて2.5ポイント改善した。ただし1人親世帯の貧困率はかなり深刻で前回から3.8ポイント改善したんだけれども、一人当たりの48.3%から改善したっていうから45%くらいなんですけれど依然として、半数近くが貧困状態にある。で、これを聞くとちょっと驚くんですけれども、OECD経済対策開発協力機構いわゆる先進国クラブのOECD平均でひとり親世帯の子供の貧困率は、31.9%。だから日本は、それよりも大幅に上回ってる。43カ国中で貧困率が最も高いブラジルは、54。%南アフリカ49%なんですけれども、これに次いで日本は、8番目にひとり親世帯の貧困率が高い。賃金が上がらなくてみんな苦しいんだけれども、やっぱり子供の貧困。あるいは、特にひとり親世帯の貧困っていうのは、やっぱり相当深刻だっていうのはもう1回改めて見つめて考え直さなくちゃいけない」
大竹「国のやる仕事は多く税金を集めてそれをちゃんと分配するちゃんとうまくねちゃんと所得の多い人から少ない人まで見つめて、そこにしっかり分配するっていうのが国のお仕事の1番ですよね。それがちゃんとできてない感じしませんか?」
室井「なんか今生きてる人に使ってもらいたいと思う」
青木「政治の役割である富の再分配ができてないってことも言えますし、これが示しているのは、困っている人が一層困る状況にある。別に一人親だから不幸だってことは決してないんですけれども、でも多分、多くは女性が一人で子供を育てている家庭に対して、今更言うまでもなく日本は少子高齢化が進む中で、そういう女性がちゃんと生活できる。あるいは、場合によってはちゃんと生活できてもう一人二人子供を産みたいんだったら子供が産めるような状況を作っていくことが社会の少子高齢化にある程度歯止めをかけて、社会保障に関しても、あるいは、医療に関しても持続可能になる。というのはこれその子供たちだけじゃなくて我々のメリットにもなるわけですよね。社会の持続可能になるだから。これは本当に深刻に政治が1番取り組むべき課題」62136863_2208387982611966_8462951530251681792_n.jpg

 夏休みの旅行者が前年比17.8%増の7370万人であることがJTBの調べで分かっており、国内旅行に関しては、コロナ前を超えたという。1人当たり、旅行費用は4万円という数字も出ている。また、一方で夏休みの食事支援申請世帯に申請理由を聞いたところ、子どもの食料を買うお金がないという意見が7割を超えたというニュースもあり、貧富の格差が広がっている。格差が広がっているのでしょう。夏休みなど長期休業中は給食がなくなってしまうので困ってしまう子どもたちが増えるでしょう。食事支援申請世帯のうち、子供に食料を買うお金もない世帯が70%。貧富の格差というか、苦しい人が非常に苦しい。厳しい状況ですね。日本は貧しくなってしまいましたね。所得水準などに照らして貧困の状態にある18歳未満の子供の相対的貧困率は2021年の段階で11.5%で、3年前に比べて2.5ポイント改善した。ただし1人親世帯の貧困率はかなり深刻で前回から3.8ポイント改善したんだけれども、一人当たりの48.3%から改善したっていうから45%くらいなんですけれど依然として、半数近くが貧困状態にある。1人親世帯の貧困率は高いですね。国の対策はないのでしょうか。国民一人ひとりを大事にできない国でいいのでしょうか。「国のやる仕事は多く税金を集めてそれをちゃんと分配するちゃんとうまくねちゃんと所得の多い人から少ない人まで見つめて、そこにしっかり分配するっていうのが国のお仕事の1番ですよね。それがちゃんとできてない感じしませんか?」分配がしっかりできてお互い様、助け合いの精神が必要でしょう。生まれてから格差が固定され貧困の連鎖が続かないようにする政策はないのでしょうか。桜3.JPG
日本も格差解消に努めなければ問題化してくる可能性があるのでは[2023年10月27日(Fri)]
 現代ビジネス2023年7月7日付け「フランスの暴動は「日本の近未来」だ…わが国に広がる「陰湿な階級社会」というリスク」から、3000人以上の市民が逮捕され、マクロン大統領のドイツ訪問が中止になるなど、フランス国内の暴動が収まらない。今回、発生した暴動の中心は、移民出身の若者とされるが、今年の5月には年金制度改革に反対する労働者のデモが発生し、警官隊と激しく衝突している。
デモの暴徒化は移民だけの話ではなく、背景には経済的・社会的な格差による国民の分断がある。数字的にはさらに状況が悪い日本にとって他人事ではない。
エリートがバランスを取る国
 フランスは西側諸国の中では、もっとも社会主義的傾向が強く、所得の再分配など全体のバランスを取るという点では、それなりにうまくやってきた国といえる。同国はミッテラン政権時代、企業の国有化を積極的に進め、多くの大手企業が政府の支配下に入った。  シラク政権以後、再度、民営化が実施された企業も多いが、フランス政府は実質的に企業の経営権を掌握できる特殊な種類株を保有するなど、国家が企業経営に強く介入する政策を続けている。  
人事も同様で、大企業経営者の多くはENA(旧国立行政学院) に代表されるグランゼコール(官僚養成機関)の卒業者で占められており、企業経営は基本的に国家主導で行われる。  
日本とはそもそも学制が異なるため単純比較はできないが、旧帝大や有名私立大学の成績上位者が、官僚や企業経営幹部など社会のあらゆるところでリーダーの地位を独占する図式と捉えて良いだろう。  
フランスでは、エリート教育を受けた人以外には、社会の支配層になる道がほぼ閉ざされているのが現実だが、フランスのエリート層は、自らの支配権を維持するため、社会における富の再分配にはかなり力を入れてきた。  
エリートの特権は手放さないものの、そうではない国民には、不満が蓄積しないようバランスを取るというのが同国のやり方である。
日本よりも圧倒的に豊か?
 フランスでは過去にも暴動が発生しているが、鎮圧に憲兵隊を投入するなど独裁国家を彷彿とさせるような強権措置を発動する一方で、富の分配を積極的に行うという、まさにアメとムチの政策をうまく使い分けてきた。  
こうした国の国民が幸せなのかという問題はとりあえず横に置いておき、フランスにおける一般的な労働者の生活は(少なくとも数字上は)日本よりも圧倒的に豊かである。フランスの労働者の平均年収は約5万3400ドルと、日本と比べて約1万2000ドルも高く、年間の労働時間は逆に約241時間も少ない(2019年)。  
1日8時間労働とすると日本人より30日も休みが多く、しかも1.3倍の年収を稼いでいる計算になる(フランスでは5週間の有給休暇が法律で保証されている)。  
家計に余裕があることに加え、年金制度が手厚いためフランス人の平均的な退職年齢(男性)は60歳と日本よりかなり若い(日本では年金だけでは暮らせない人が大半なので、退職平均年齢は68歳である)。  
フランスの公的年金は賦課方式となっており日本の制度に近く、所得代替率(現役世代の年収に対して、どのくらいの水準の年金が給付されるのかを示す指標)は70%もある(日本は現時点で約60%)。  
フランスでは労働者の保護が徹底されており、一度、雇用した社員を解雇するのは容易ではない。このためフランス企業はなかなか新卒を採用したがらず、若年層の失業率が高いという社会的問題を抱えている。  
こうした不満に対して、政府は経済的な支援を充実させることで対処してきた。  
政府は、国民の不満が高まらないよう、失業保険など手厚い社会保障制度を用意しているほか、最近では出生率を向上させるため、教育の完全無償化や多額の給付金など、日本で言うところの子育て支援策を強化している。減税分も加えた実質的な累積給付額は、子どもが3人いる世帯では2000万円近くになるケースさえあるという。
社会的な格差不満が爆発している
 最近では仕事の多様化が進み、あまり推奨されなくなってきたが、すべての国民がバカンスを楽しめるよう、政府主導で半ば強制的に夏休みを取らせたり、コロナ禍で緩和されたものの、社内のデスクで昼食を取ることを法律で禁止するなど、労働者の権利が保護されるよう社会のあらゆる所に政府が介入してくる。  
良くも悪くも、国家が育成したエリートが中心となって社会全体のバランスを取ってきたのがフランスという国と考えて良いだろう。  
ところがそのフランスで、年金の減額に反対する労働者や、現状に不満を持つ移民、あるいは若年層がたびたび激しい抗議活動を行っている。十分な所得の再配分がある国で、激しいデモや暴動が発生する背景として考えられるのは、社会的な格差ということになるだろう。  
所得が高く、仕事にはゆとりがあり、年金もそこそこもらえるという点で、フランスの労働者はかなり優遇されている。希望の仕事に就くことができなかった場合でも、各種手当が用意されているので、生活に困窮するケースは少ない。  
コロナ禍の際には多額の給付金があっという間に支払われ、日本との違いをまざまざと見せつけた。フランスの相対的貧困率は8.4%とかなり低く、貧困大国である米国や日本の半分以下である。  
だが人間というのは、経済的に余裕があればすべて満足なのかというとそうはいかない。自身のキャリアが社会によって固定化されており、機会が十分に開かれていないと感じる場合、経済的に十分な手当てがあったとしても、満足感を得られないこともある。
フランスでは、バカロレア(高校を修了したことを認定する試験)を受ければ、事実上、無試験で大学に入学できる。教育の無償化が徹底されているので、本人に意思さえあれば、どのような環境の国民であっても大学教育までは確実に受けられる。  
だが、一般大学の卒業生はグランゼコール出身者と比較すると就職には圧倒的に不利であり、ましてや移民出身者となるとさらに厳しい。
陰湿な階級社会が広がる日本
 フランスのエリート主義に対しては国民から反発の声が上がっており、マクロン大統領はENA(国立行政学院)を廃止し、新しい機関を設立した。もっともマクロン大統領自身もENA出身であり、他のグランゼコールはそのままなので、今回の廃止は単なるパフォーマンスとの見方も多い。  
だが、戦後フランス社会で特権的な立場を欲しいままにしてきたグランゼコールのひとつが国民から批判され、廃止に追い込まれたのは大きな変化と言ってよいだろう。  
フランスでは今回の暴動をきっかけに、右派政党を中心に「暴徒を徹底的に鎮圧せよ」という声が高まっている。だが、今回のデモがたまたま移民中心だったに過ぎず、年金デモが激化したことからも分かるように、社会の中核を占める労働者の不満も相当程度、高まっている。移民を排除すれば状況が改善するという単純な図式でないことは明白だ。
もっと年金が欲しいと主張するフランスの労働者や、差別を訴える同国の移民出身者、あるいは自身の処遇に不満を持つ非エリート層の反発が、どの程度、正当性を持つのかともかく、経済的な手当てのみで問題を解決するのが難しいことだけは明らかである。  
日本は明治維新をきっかけに身分制度を完全に廃止しており、階級がほとんどないという点で米国社会に近い。一方、日本は米国ほどの競争社会ではないため、学歴や勤務する企業の規模、あるいは就業形態(正規・非正規)による、新しく陰湿な階級社会が形成されつつある。  
単純に数字だけから比較すると、日本の状況はフランスよりはるかに悪く、(権威や権力に対して異様なまでに従順な日本人の国民性を無視すれば)いつ大規模なデモが発生してもおかしくない。フランスで発生した各種暴動は、今後の日本社会にとって参考になる部分が多いにありそうだ。62259106_2208386349278796_7507543794787549184_n.jpg

 単純に数字だけから比較すると、日本の状況はフランスよりはるかに悪く、(権威や権力に対して異様なまでに従順な日本人の国民性を無視すれば)いつ大規模なデモが発生してもおかしくない。フランスで発生した各種暴動は、今後の日本社会にとって参考になる部分が多いにありそうだ。日本国民は不満があっても我慢して大規模なデモや暴動を起こすことが少ないですが、孤立や格差に苦しんでいる個人が罪を犯して社会問題化しているのではないでしょうか。取り残される人、置き去りにされる人が救いを求めても声が届かないのが現状なのでしょうか。孤立や格差の問題を放置してそのままにしてしまう社会になってしまえば大きな問題になっていく可能性があるのではないでしょうか。デモの暴徒化は移民だけの話ではなく、背景には経済的・社会的な格差による国民の分断がある。数字的にはさらに状況が悪い日本にとって他人事ではない。他人事にしないで自分事としなければならないのでしょう。フランス政府は実質的に企業の経営権を掌握できる特殊な種類株を保有するなど、国家が企業経営に強く介入する政策を続けている。人事も同様で、大企業経営者の多くはENA(旧国立行政学院) に代表されるグランゼコール(官僚養成機関)の卒業者で占められており、企業経営は基本的に国家主導で行われる。日本とはそもそも学制が異なるため単純比較はできないが、旧帝大や有名私立大学の成績上位者が、官僚や企業経営幹部など社会のあらゆるところでリーダーの地位を独占する図式と捉えて良いだろう。フランスでは、エリート教育を受けた人以外には、社会の支配層になる道がほぼ閉ざされているのが現実だが、フランスのエリート層は、自らの支配権を維持するため、社会における富の再分配にはかなり力を入れてきた。エリートの特権は手放さないものの、そうではない国民には、不満が蓄積しないようバランスを取るというのが同国のやり方である。エリートが既得権益を得て特権階級として地位を占めていくことと同じでしょう。エリート教育を受けていない人たちの不満が蓄積されていくのではないでしょうか。日本は一部のエリートが多くの平均的な人たちを教育してしっかり働く人たちを育成してうまくいってきていますが、多様化する時代になって一人ひとりが阻害され、孤立化して取り残されるようになってしまっているかもしれません。一人ひとりを大事にしない社会になってしまえば大規模な暴動にはならなくとも不満が増殖して社会不安につながっていく可能性を否定できないのではないでしょうか。62177896_2208386019278829_7453181517548748800_n.jpg
厳しい状況の日本は未来をどのようにして切り拓くのか[2023年10月26日(Thu)]
 no+e2023年7月4日付け「「世界最低水準な日本の男女平等指数」と「無理のない改革」の結果にある未来とは?」から、過去最低を更新した日本の「ジェンダー・ギャップ指数」
今年も世界経済フォーラム(WEF)が、男女平等がどれだけ実現できているかを数値で評価する「ジェンダー・ギャップ指数」が発表された。調査対象国は146ヶ国で、「経済」「教育」「健康」「政治」の4分野で男女平等の現状を指数化している。
日本は、毎年、「ジェンダー・ギャップ指数」で厳しい評価が下されている。主要7か国はおろか、調査対象国の中でも最底辺が定位置となっている。そして、この残念な結果は好ましくないほうで更新されることになった。昨年の116位に対して、125位という過去最低の順位となった。124位はモルディブで、126位はヨルダンだ。
【日本の男女平等指数125位に低下、「政治」など低水準】
日本の順位を下げている最大の要因は「政治」と「経済」におけるスコアの低さだ。特に、ジェンダー・ギャップ指数はこの2つのスコアによる影響力が大きい。というのも、各国の平均をみると「教育」と「健康」は非常に高い水準で安定しているためだ。誰もが高得点をとるテストのようなもので、ここで差が付きにくい。
差が付きやすいのが、「政治」と「経済」だ。日本はこの2つの項目で両方とも平均よりも低いスコアとなっている。
「経済」に関しては平均よりもわずかに低く、順位は123位だ。平均から大きく差をつけられているのが「政治」の項目で、こちらは138位となっている。
「経済」で平均を下回るのは、企業における重要なポジションに女性が就いている割合が低いことと、男女の所得格差の大きさが主な理由だ。この2つに関しては、ここ20年ほどで日本以上に世界各国が大きく変わった。日本政策投資銀行の大分事務所長に生え抜きの女性職員が就任した(※ここに貼られていた記事のURLは【関連記事】に記載しています)とメディアに取り上げられるような日本の現状は、まだまだ平成はおろか、昭和の感覚が抜け切れていない。
なお、大分事務所長についた佐野氏のような生え抜き人材が地域拠点のトップを務めるのは同行では初めてのケースだという。このような変化は好ましいが、如何せん、スピードが遅く、変化の幅も緩やかだ。
「政治」に関しては、日本は海外諸国と比べるとなさけないほど、女性の議員数と閣僚数が少ない。また、こちらも首相などの重要なポジションに女性がついていないことが低評価につながっている。今年の統一地方選挙でも女性議員が増えるかは注目の1つでもあり、過去最多の当選数を見せ、女性の当選率も1983年以来、右肩上がりの傾向にある。
それでも、当選率を比べると、男性の73・4%に対し女性は64・6%と大きな差がある。特に、与党の自民党が女性候補の擁立に積極的とは言えず、自民党の当選者に占める女性の割合は5.9%しかない。
「男性ポストの女性置き換え」から「女性による新陳代謝」という選択肢
このように、「ジェンダー・ギャップ指数」では日本は非常に低評価を受けているわけだが、かといって何も日本企業や政府がしてこなかったわけではない。確実に、数十年前と比べて女性の活躍の場は広がり、社会が変化しているという実感も得やすい。ただ、世界と比べたときに、変化のスピードが遅く、緩やかだ。
その理由として、日本企業や政治家にとって、ジェンダー・ギャップ指数を向上させるインセンティブが弱いという点があげられる。多民族国家であり、そもそも多様性が社会問題として見過ごすことができない欧米を中心として、ダイバーシティは避けられないのだから、うまく付き合っていくしかない。そのために受け入れるための組織作りや制度の整備、マネジメント方法の確立が進んだ。しかし、戦後、国を揺るがすような大きな危機を迎えてこなかった日本は、男性中心の社会構造を自ら積極的に変化させるインセンティブが働きにくい。変化しなくても大きな問題が即座に起こるわけでもなく、逆に急な変化は混乱を招くと、できる範囲で無理なく変化してきた。その結果、海外諸国と比べて、何週も周回遅れというのが現状だ。
そうはいっても、「経済」と「政治」以外では、日本のジェンダー問題における評価はそこまで低くはない。ジェンダーの国際比較調査はいくつかある。例えば、国連開発計画(UNDP)による「ジェンダー開発指数(2021年)」では、日本は191ヶ国中76位だ。この順位は、イタリアとリトアニア、セントビンセント・グレナディーンと同じだ。この調査では、健康、知識、生活水準における女性と男性の格差を測定している。
また、国連開発計画(UNDP)による別の指標「ジェンダー不平等指数」(2022年)では、191ヶ国中22位だ。同率にいるのは、イスラエルとフランスである。この指標では、性と生殖に関する健康(妊産婦死亡率、15〜19歳の女性1000人当たりの出産数)、エンパワーメント(両性が立法府の議席に占める割合、両性の中等・高等教育の達成度)、労働市場への参加(女性の就労率)の3つの側面でスコアが算出されている。ここでは、「両性が立法府の議席に占める割合」以外の指標では日本は世界最高水準のスコアを出している。
つまり、日本のジェンダーの問題は「政治・経済における重要なポジションに女性の割合が低い」「男女の所得格差が大きい」という2つが重大事象といえる。そうはいっても、先述したように、これら2つの重大事象を解決するインセンティブが既存ポストを占める男性にとって弱い。加えて、このようなポストを占めている男性は、年功序列の文化が強い日本では年齢も高く、いわゆる上がりのポジションでもある。そのため、同じようなポジションに就いている他国の若いリーダーたちと比べて変革の意識も弱い。そうすると、インセンティブもないのに、既存のポストを占めている高齢のリーダーが、若い女性リーダーに席を積極的に明け渡すというストーリーは現実味が薄い。
古今東西の過去の歴史を紐解くと、既存のポストがあかないときに変革を進めてきたのは、新陳代謝の考え方だ。つまり、ポストではなく、主導的な立場を占める組織が取って代わるのだ。例えば、アメリカのFortune500 に選出される企業は10年で半数が消滅するという。その代わり、新しい産業の担い手となるベンチャーが新たな旗手として出てくる。これが社会の新陳代謝になる。
そう考えると、政治と経済の分野で、女性が活躍できる伸びしろは非常に大きい。既存の高齢男性に占められたポジションを奪うことに労力を使うのではなく、自分たちが活躍できる新しい領域を創り、業界の新陳代謝を促すことで社会のアップデートを狙う。このアプローチが良く用いられるのはイスラム圏の国家だ。イスラム圏では、宗教上の理由で女性の権利が制限を受けやすい。そのため、欧米で高等教育を受けた両家の子女が帰国して、新しい組織を立ち上げるケースを多く見かける。
長いこと低迷し、変化が起きにくいと言われている日本社会を変えるのは、女性リーダーによる、既存の文脈とは切り離した全く新しい組織かもしれない。そのような新陳代謝を促す新たなリーダーと組織の登場を期待し、応援したい。1561372634498.jpg

 日本は、毎年、「ジェンダー・ギャップ指数」で厳しい評価が下されている。主要7か国はおろか、調査対象国の中でも最底辺が定位置となっている。そして、この残念な結果は好ましくないほうで更新されることになった。昨年の116位に対して、125位という過去最低の順位となった。124位はモルディブで、126位はヨルダンだ。【日本の男女平等指数125位に低下、「政治」など低水準】日本の順位を下げている最大の要因は「政治」と「経済」におけるスコアの低さだ。特に、ジェンダー・ギャップ指数はこの2つのスコアによる影響力が大きい。このような調査で国すべてを評価するわけではないでしょうが、それにしてもジェンダー・ギャップ指数の低さは真剣に受け止めなければならないでしょう。この状況でいいという訳ではないでしょう。「経済」で平均を下回るのは、企業における重要なポジションに女性が就いている割合が低いことと、男女の所得格差の大きさが主な理由だ。男女の所得格差は政治と財界が真剣に受け止め対策を講じればある程度は解消するでしょうが、抜本的な改革をしたくないのでしょうか。「政治」に関しては、日本は海外諸国と比べるとなさけないほど、女性の議員数と閣僚数が少ない。また、こちらも首相などの重要なポジションに女性がついていないことが低評価につながっている。今年の統一地方選挙でも女性議員が増えるかは注目の1つでもあり、過去最多の当選数を見せ、女性の当選率も1983年以来、右肩上がりの傾向にある。それでも、当選率を比べると、男性の73・4%に対し女性は64・6%と大きな差がある。特に、与党の自民党が女性候補の擁立に積極的とは言えず、自民党の当選者に占める女性の割合は5.9%しかない。残念ながら肝心の政権与党の自民党は本気になって取り組もうという気持ちがあまりないのでしょう。日本企業や政治家にとって、ジェンダー・ギャップ指数を向上させるインセンティブが弱いという点があげられる。多民族国家であり、そもそも多様性が社会問題として見過ごすことができない欧米を中心として、ダイバーシティは避けられないのだから、うまく付き合っていくしかない。そのために受け入れるための組織作りや制度の整備、マネジメント方法の確立が進んだ。しかし、戦後、国を揺るがすような大きな危機を迎えてこなかった日本は、男性中心の社会構造を自ら積極的に変化させるインセンティブが働きにくい。変化しなくても大きな問題が即座に起こるわけでもなく、逆に急な変化は混乱を招くと、できる範囲で無理なく変化してきた。その結果、海外諸国と比べて、何週も周回遅れというのが現状だ。いろいろな理由を挙げても結局日本は政治家の考えでしょうが、変革というか、特に急激な変化を望まないのでしょう。長いこと低迷し、変化が起きにくいと言われている日本社会を変えるのは、女性リーダーによる、既存の文脈とは切り離した全く新しい組織かもしれない。そのような新陳代謝を促す新たなリーダーと組織の登場を期待し、応援したい。その通りでしょう。女性のリーダーが求められ新しい組織が必要なのでしょう。変化を求めている国民は少なくないのではないでしょうか。1561372627424.jpg
非正規、貧困氷河期世代の問題が解決できない日本はどうなるのか[2023年10月25日(Wed)]
 幻冬舎GOLD ONLINE2023年7月4日付け「月収16万円・40代非正規社員の悲鳴「もう、どうにもならない」…20万人の「貧困・氷河期世代」が再び忘却の危機」から、終わりがみえない「値上げラッシュ」。ため息をつきつつも、どこか「値上げ」に慣れてきた感もあります。一方で低収入であえぐ人たちにとっては、わずかな値上げも死活問題。たとえば正社員に比べて低収入の傾向にある非正規社員。特にキャリアを十分に積むことができず正社員になりたくてもなれないという40〜50代は、貧困状態から抜け出せずにいる人が多くいます。みていきましょう。
50代手前で非正規…低収入で生活保護の申請も目前に
帝国データバンクによると、この7月、価格を変えずに内容量を減らす「実質値上げ」も含めて3,566品目もの商品が値上げとなるそうです。たとえばパン。昨年の夏前、食パン1kgあたり450円程度から480円程度へと10%近くも値上げ。その後、一定の価格水準を保ってきましたが、大手パンメーカーは2〜12%程度の値上げを発表しています。
外食では、日本マクドナルドが都心の一部の店舗で値上げを発表。さらに全国2,000以上の店舗で展開するデリバリーサービスでも、ハンバーガーが220円から240円に、チーズバーガーが250円から280円にと、大半の商品を値上げするとしています。
来月以降も乳製品、酒類など、3,000以上の商品の値上げが示唆されており、今年1年間の食品・飲料の値上げは3.5万品目程度です。昨年1年間の品目数を上回るという試算もあります。
一方で、大手企業を中心に賃金が上昇していることもあるのでしょうか。最近は「値上げ慣れ」が広がり、以前ほど騒がれなくなりました。その影響もあり価格転嫁が加速。値上げ品目が昨年以上という結果につながっています。
しかし世間がどんなに値上げに慣れたとしても、低収入の人には死活問題。
月収16万円、もうどうにもならない。生活保護を申請するしかない そう呟くのは、40代も後半、非正規社員だという男性。一部、今回の賃上げブームはパートやアルバイトなどの非正規社員にも波及したという報道もありましたが、それはほんの一部。賃上げのニュースをどこか遠い外国の話のように聞いていたと話します。
先日も、大手企業の夏のボーナスが1人従業員アタリ95万6,027円と前年から3.91%増え、2年連続の増加となったことがニュースになりましたが、遠い世界の話過ぎて、もはや羨ましいと思うこともなくなったとか。男性に限らず、苦しい台所事情を嘆く声は巷に溢れています。
月収16万円ということは、手取りは13万円程度になると考えられます。仮に東京都23区に住んでいるとしたら、生活保護の基準となる「最低生活費」は13万0,940円(生活扶助基準額:7万7,240円、住宅扶助基準額:5万3,700円)。文字通り最低限度の生活を送る為の最低限の生活費である「最低生活費」。男性は、まさにその間にいます。
政府は30万人の非正規・氷河期世代の正社員化を掲げているが…
厚生労働省『令和4年賃金構造基本統計調査』によると、男性正社員(雇用期間の定めなし/平均年齢43.2歳)の平均給与は39.1万円、賞与も含めた年収は583.9万円です。一方で、男性非正規社員(雇用期間の定めなし/平均年齢50.5歳)の平均給与は23.5万円、平均年収は328.7万円。非正規社員は正社員の56%の給与に留まっています。
20代。非正規社員の給与は正社員の7〜8割程度でしたが、年齢を重ねるごとにその差は拡大。50代前半では47.3%と半数を下回ります。さらに給与分布をみていくと、非正規社員の月収の中央値は21.5万円。上位25%で26.2万円、上位10%で33.3万円、下位25%で18.万円、下位10%で15.8%万円。男性は非正規社員の中でも下の下という給与水準です。
男性が自発的に非正規社員なのか、それともやむを得ず非正規社員なのか分かりませんが、給与水準としてはかなり悲惨なポジションにいることが分かります。
40代後半、非正規社員といえば、世代としては氷河期世代。学卒時の求人が少なく、特に酷かった2000年ごろには、大学卒の有効求人倍率でさえ1.0を下回りました。仕方なくパートやアルバイトなど、非正規として社会に出る大卒者たち。雇用環境がよくなったタイミングで正社員になれた人もいれば、その波に乗れずに現在に至る人も珍しくありません。十分なキャリア形成ができずにいるため、正社員になることが困難な状態が続いています。
内閣府『就職氷河期世代支援プログラム関連参考資料』によると、氷河期世代のうち、非正規社員は約371万人。そのうち正社員を希望している人の数は約50万人だといいます。一方で同プログラムでは30万人の正規社員化を目指していました。そこにはすでに20万人の乖離が生じています。
最近は、異次元の少子化対策がクローズアップされ、一時、よく耳にした氷河期世代・非正規社員の問題は、影をひそめている様子。現役世代の貧困問題。数としてはかなりの少数派のため、再び忘れさられる危機にあるといえます。DSC_6287.JPG

 経済格差が存在しない社会はないでしょうが、格差を解消するために有効な対策を講じて改善されないとすれば政権を担っている政治家の責任は大きいのではないでしょうか。低収入であえぐ人たちにとっては、わずかな値上げも死活問題。たとえば正社員に比べて低収入の傾向にある非正規社員。特にキャリアを十分に積むことができず正社員になりたくてもなれないという40〜50代は、貧困状態から抜け出せずにいる人が多くいます。みていきましょう。大企業や公務員は多少の値上げによる影響は少ないでしょうが、非正規の低収入の人たちにとっては死活問題でしょう。大手企業を中心に賃金が上昇していることもあるのでしょうか。最近は「値上げ慣れ」が広がり、以前ほど騒がれなくなりました。その影響もあり価格転嫁が加速。値上げ品目が昨年以上という結果につながっています。月収16万円、もうどうにもならない。生活保護を申請するしかない そう呟くのは、40代も後半、非正規社員だという男性。一部、今回の賃上げブームはパートやアルバイトなどの非正規社員にも波及したという報道もありましたが、それはほんの一部。賃上げのニュースをどこか遠い外国の話のように聞いていたと話します。大手企業の夏のボーナスが1人従業員アタリ95万6,027円と前年から3.91%増え、2年連続の増加となったことがニュースになりましたが、遠い世界の話過ぎて、もはや羨ましいと思うこともなくなったとか。男性に限らず、苦しい台所事情を嘆く声は巷に溢れています。日本人の悪いところなのでしょうか。慣れてしまって騒がない。政権の不祥事があれば世論調査で下がりますが、すぐに忘れてしまうのかすぐに回復してしまいます。何か怒っても大きな声を上げ続けることができない国民性なのでしょうか。我慢強いというのでしょうか。諦めやすいというのでしょうか。自分に降りかかってこないとか、自分事として考える想像力が足りないのでしょうか。40代後半、非正規社員といえば、世代としては氷河期世代。学卒時の求人が少なく、特に酷かった2000年ごろには、大学卒の有効求人倍率でさえ1.0を下回りました。仕方なくパートやアルバイトなど、非正規として社会に出る大卒者たち。雇用環境がよくなったタイミングで正社員になれた人もいれば、その波に乗れずに現在に至る人も珍しくありません。十分なキャリア形成ができずにいるため、正社員になることが困難な状態が続いています。氷河期世代のうち、非正規社員は約371万人。そのうち正社員を希望している人の数は約50万人だといいます。一方で同プログラムでは30万人の正規社員化を目指していました。そこにはすでに20万人の乖離が生じています。最近は、異次元の少子化対策がクローズアップされ、一時、よく耳にした氷河期世代・非正規社員の問題は、影をひそめている様子。現役世代の貧困問題。数としてはかなりの少数派のため、再び忘れさられる危機にあるといえます。残念ながら国は真剣に対策を考えているとは言えないでしょう。効果が現れる可能性があるのでしょうか。忘れ去られて終わりというのはあまりにも理不尽ではないでしょうか。DBC330C3-164D-468F-9231-9ECC71AE7BCE.jpeg
国民が声を上げられない社会は息苦しいのでは[2023年10月24日(Tue)]
 福島民報2023年7月3日付け「【考 処理水放出】作家 中村文則さん 政府への不信が風評に 国民の半分、民主主義放棄」から、前提として、今の政府に信用がない。処理水は科学的に安全と言っても信じてもらえない状況がある。政府への不信感が風評につながっているのではないか。 
なぜこうなったか。例えば安倍政権の時の「モリカケ問題」がある。安倍晋三元首相には「関係がない」という結論が死守されてきた。与党支持者でも100%うなずける人はそう多くはないのではないか。処理水の問題も放出というゴールに合わせて現実がゆがめられているのではないか。信頼感の欠如が根底にあるので議論がおかしくなる。そこが一番の問題だろう。
本来なら政権交代がある緊張感の中で政治は行われないといけない。そうなればごまかしをしたり、うそをついたりしにくくなる。政権に問題があれば批判し政治を育てていく。国民は任せるだけでなく関わっていかなくてはならない。 
だが国民の半分は自ら民主主義を放棄している。不景気で忙しくなり、生活に追われゆとりがない。考えるのがストレスになっていて、大丈夫と思いたい、という心理がまん延している。例えば「福島の原発は大丈夫」と思えば、考える必要がなく楽になれる。小説「R帝国」(2017年刊)で「人々が欲しいのは、真実ではなく半径5bの幸福なのだ」と書いた。日本社会のこの傾向は、書いた時よりさらに進んでいる。今後も流れは加速していくだろう。
 さらにこの10年ほど、社会の問題に声を上げることが「和」を乱しているという捉え方をする人が増えている。「和」とは科学的な真実でなく、自らが思いたい願望にすぎない。政権に問題があると声を上げる人に対して「和」を乱すなと攻撃するようにもなる。こうなると国は衰退する。  
この原因の一つは、マスコミが考えるきっかけを提示できていないことにある。マスコミが政権に忖度(そんたく)し日和見になったのがこの10年のポイント。考えるというのは誰かに自分の結論を委ねないということ。福島や沖縄の現状を見せられれば心ある人は考える。  
処理水の放出以前に、原発がそもそも必要なのか議論されていない。使い続けるという出口が決まっている。「歴史は繰り返す、一度目は悲劇として、二度目は茶番として」という言葉がある。最初の原発事故は世界が同情したが、もう一度起こると地震が頻発する国で何をしているのかと言われるのだろう。多くの人々が考えるのをやめ、未来を決められない日本に残されているのは運だけ。これから長い時間の中で大地震が起きた時、原発から震源がどれだけ離れているかに賭けている運のゲームになってしまっている。
社会への発言を続けてきたが、「日本は大丈夫」と思っている人にとってはストレスになっているだろう。発言する側にとってろくなことがない。でも僕は福島で過ごした4年間で人生がいい方へ変わった。福島の今の状況は非常に悔しい。作家という立場にあり、発言に何かしらの影響がある以上、黙るわけにはいかない。
なかむら・ふみのり 1977(昭和52)年、愛知県生まれ。福島大卒。2002(平成14)年「銃」で新潮新人賞を受けデビュー。2004年「遮光」で野間文芸新人賞、2005年「土の中の子供」で芥川賞、2010年「掏摸(スリ)」で大江健三郎賞、2014年に米国のデイビッド・グディス賞、2016年「私の消滅」でドゥマゴ文学賞。著書は「教団X」「R帝国」「カード師」など多数。45歳。DSC_0349.JPG

 今の政府に信用がない。処理水は科学的に安全と言っても信じてもらえない状況がある。政府への不信感が風評につながっているのではないか。残念ながら国民は政府を信用していなくても大きな声を上げることを良しとしない風潮があるでしょう。政府批判をすればSNSで攻撃されるのはなぜでしょうか。それだけSNSの社会は政府寄りの考え方をする人たちが圧倒的なのでしょうか。声を上げづらい社会になっていることは風通しが悪く、息苦しくなってしまうのではないでしょうか。安倍政権の時の「モリカケ問題」がある。安倍晋三元首相には「関係がない」という結論が死守されてきた。与党支持者でも100%うなずける人はそう多くはないのではないか。処理水の問題も放出というゴールに合わせて現実がゆがめられているのではないか。信頼感の欠如が根底にあるので議論がおかしくなる。そこが一番の問題だろう。政府によってゴールが先に決められていてそれに対して何ともできないのでしょうか。沖縄の問題も決めたことはどんなことがあっても変えないという姿勢が強すぎるでしょう。本来なら政権交代がある緊張感の中で政治は行われないといけない。そうなればごまかしをしたり、うそをついたりしにくくなる。政権に問題があれば批判し政治を育てていく。国民は任せるだけでなく関わっていかなくてはならない。だが国民の半分は自ら民主主義を放棄している。不景気で忙しくなり、生活に追われゆとりがない。考えるのがストレスになっていて、大丈夫と思いたい、という心理がまん延している。例えば「福島の原発は大丈夫」と思えば、考える必要がなく楽になれる。国民が関わらなくなればなる程どんどん政治がどんどん強権的になってしまうのではないでしょうか。社会の問題に声を上げることが「和」を乱しているという捉え方をする人が増えている。「和」とは科学的な真実でなく、自らが思いたい願望にすぎない。政権に問題があると声を上げる人に対して「和」を乱すなと攻撃するようにもなる。こうなると国は衰退する。この原因の一つは、マスコミが考えるきっかけを提示できていないことにある。マスコミが政権に忖度(そんたく)し日和見になったのがこの10年のポイント。考えるというのは誰かに自分の結論を委ねないということ。福島や沖縄の現状を見せられれば心ある人は考える。処理水の放出以前に、原発がそもそも必要なのか議論されていない。使い続けるという出口が決まっている。「歴史は繰り返す、一度目は悲劇として、二度目は茶番として」という言葉がある。最初の原発事故は世界が同情したが、もう一度起こると地震が頻発する国で何をしているのかと言われるのだろう。多くの人々が考えるのをやめ、未来を決められない日本に残されているのは運だけ。これから長い時間の中で大地震が起きた時、原発から震源がどれだけ離れているかに賭けている運のゲームになってしまっている。確かにマスコミは忖度し過ぎているかもしれません。国民も声を上げるのは批判されて嫌かもしれませんが、声を上げなければますます窮屈で息苦しい社会になっていってしまうのではないでしょうか。沖縄も福島の原発と処理水の問題もそこに住んでいる人たちだけが犠牲になる社会はどうなのでしょうか。国民が自分事と考えて住み易い社会になるように努力しなければならないでしょう。DSC_0299.JPG
日本が自然災害で最悪の事態に陥った時にどこに頼るのか[2023年10月23日(Mon)]
 日刊ゲンダイ2023年7月3日付け「「南海トラフ」地震後の復興でカネを出すのは米国か、中国か…養老孟司×名越康文が考える」から、日本は明治維新、敗戦、そして近い将来に訪れる「南海トラフ地震」と3度目の大きな転換期を目前に今は備えているときだ。日本の未来を憂う心配性のドクター二人、解剖学者の養老孟司さんと精神科医の名越康文さんが日本、そして日本人を診察しアドバイスを処方した書籍「二ホンという病」(発行・日刊現代/発売・講談社)から、気になる問題を一部抜粋し紹介する。
気象庁は南海トラフでの巨大地震発生の可能性を評価する検討会を実施。5月1日から今月5日に想定震源域とその周辺にマグニチュード3.5以上の地震が4回発生したことを報告したが、「特に目立った地震活動ではない」と評価している。  
だが、今後30年以内での発生確率は70%から80%とされ、必ず起こる地震だ。かつて、地震学の権威、尾池和夫元京大総長が著書「2038年南海トラフの巨大地震」を出している。予測研究によってその前後で、巨大地震が起こる可能性を秘めているからだという。ドクター2人は南海トラフの巨大地震後の復興やお金の問題を懸念する。
養老 実際、2038年に何が起こるか分かりませんけどもね、南海トラフ地震はかなり確実に来るでしょう。その後、どうなるかですよ。地震の規模にもよるんでしょうけども、一番問題なのは復興のカネをだれが出すか、どこから調達するかです。
名越 世界中にカネがあると言ったら、アメリカと中国しかありません。
養老 背に腹は代えられないから、目先のカネにつられる可能性は十分ありますよ。その時に将来のビジョンができていないと、大変なことになりますよ。カネで返せるか。新幹線に投資するような形になりかねない。元の木阿弥になってしまいますよ。
名越 日本は日露戦争の借金を戦後まで払っていたという話を聞いたことがありますけどね。イギリスにね。そこをもう少し共有したいですよね。日露戦争の時に国家予算の数年分とかという戦費をイギリスなどの巨大資本から借りているんですよ。ずっと返し続けてきたのは事実なんで、それを大河ドラマなんかにしてやってほしい気がするんです。そうした事実を国民に知ってもらえば、南海トラフの復興が考えやすくなりますよ。
養老 こういう災害は規模によって何が起こるか分からないから最悪のシナリオを考えるしかないですね。南海トラフだけでなく、東南海に首都直下型地震が連動する可能性もある。それから火山活動の活発化という事態も考えておかなければいけません。噴火もね。全部が一緒に来るということは、まあないと思うんですけど、東南海が連動してくることは間違いない。1年ぐらいのずれがないとは言えないんですけど。  
どうせ、その頃も今みたいな(日本が衰退局面にある)状況になっているはずですから、これを元に戻すっていう時に、この国は何かあると以前の日常に戻すという傾向があるんだけども、それを上手にやめられるかどうかがポイントです。  
具体的には、地域的に小さな単位で自給していくことができるかどうか。(東京一極集中から脱却して)そういう小さな社会構造に国をつくり直せるかどうかが重要になります。災害があって、いろんな意味で不幸が起こったあとに、いったいどういう社会をつくるのかがいちばん大事なポイントだということです。  
小さな単位で地域的にやっていけるように、当然、災害のあったところとなかったところで、ある種の不公平が生じてきます。それはしょうがないとして、いちばんの問題は東京ですね。大都会の復興、再建をどういう形で落ち着かせたらいいのか。  
これは我々が考えることではなくて、実際には官庁なりシンクタンクが、今の人口、多少減るかもしれませんけど、これをどう分散して、どう移したらいいか。今から手を打っていくべきでしょう。それが進めば、環境問題も一気に片付く。そういう未来像を今から考えていくべきでしょうね。
「第二の田舎」をつくっておく
南海トラフに備えて、個人レベルで何をやっておくべきだろうか。
名越 すごいシンプルに言うと、「自分の田舎」をつくっておくということが大事ではないでしょうか。僕は月に2回、レコーディングのために清川村(神奈川県)に行くんですけども、そこは6000年に1回大きく揺れるらしいんです。つまり比較的安定している。そこに親しい友人がいるので拠点をつくりたいなと。  
もう一つは福岡です。津波の来ないところに何カ所か親しい人をつくっておくことは大事ですよ。いざとなったら帰れる「第二の田舎」をつくっておくことです。生まれ故郷の奈良にはもう実家はないから、田舎と言えなくなりました。田舎に投資しろ。どうですかね。逃げ場を確保するというだけの話ではなく、人間関係を築いておくということです。  
付き合いがおっくうでも、例えば一緒に森を歩いたり、飯を食ったり、子どもの話やふるさとの話をしたりしてゆくうちに培われてしまうものが、気心の知れた関係です。人間関係とその背後にある自然との関係性が絶対に大事で、田舎の人の多くは今でもその土地の風土という背景を持っている。気軽に、でも年数をかけて通うことが全てです。これがうまく行けばそれなりに経済も回ります。  
最後に助けになるのは人間関係の構築なのだ。DSC_0299.JPG

 日本は明治維新、敗戦、そして近い将来に訪れる「南海トラフ地震」と3度目の大きな転換期を目前に今は備えているときだ。地震火山大国日本である以上は仕方がないことですが、真剣に受け止めて考えなければならないでしょう。気象庁は南海トラフでの巨大地震発生の可能性を評価する検討会を実施。5月1日から今月5日に想定震源域とその周辺にマグニチュード3.5以上の地震が4回発生したことを報告したが、「特に目立った地震活動ではない」と評価している。だが、今後30年以内での発生確率は70%から80%とされ、必ず起こる地震だ。かつて、地震学の権威、尾池和夫元京大総長が著書「2038年南海トラフの巨大地震」を出している。予測研究によってその前後で、巨大地震が起こる可能性を秘めているからだという。ドクター2人は南海トラフの巨大地震後の復興やお金の問題を懸念する。実際、2038年に何が起こるか分かりませんけどもね、南海トラフ地震はかなり確実に来るでしょう。その後、どうなるかですよ。地震の規模にもよるんでしょうけども、一番問題なのは復興のカネをだれが出すか、どこから調達するかです。巨大地震の復興は大変困難が伴うでしょう。資金が足りなくなることは間違いないでしょうが、アメリカに頼るのでしょうか。それとも近隣国の中国に頼るのでしょうか。それなりの関係性を築いておかないと助けてくれないかもしれません。平和外交の力が必要になるのでしょう。こういう災害は規模によって何が起こるか分からないから最悪のシナリオを考えるしかないですね。南海トラフだけでなく、東南海に首都直下型地震が連動する可能性もある。それから火山活動の活発化という事態も考えておかなければいけません。噴火もね。全部が一緒に来るということは、まあないと思うんですけど、東南海が連動してくることは間違いない。1年ぐらいのずれがないとは言えないんですけど。どうせ、その頃も今みたいな(日本が衰退局面にある)状況になっているはずですから、これを元に戻すっていう時に、この国は何かあると以前の日常に戻すという傾向があるんだけども、それを上手にやめられるかどうかがポイントです。国レベルの話しだけではなく、国内の個人レベルことも真剣に考えなければならないでしょう。「自分の田舎」をつくっておくということが大事ではないでしょうか。いざとなったら帰れる「第二の田舎」をつくっておくことです。田舎に投資しろ。どうですかね。逃げ場を確保するというだけの話ではなく、人間関係を築いておくということです。人間関係とその背後にある自然との関係性が絶対に大事で、田舎の人の多くは今でもその土地の風土という背景を持っている。気軽に、でも年数をかけて通うことが全てです。これがうまく行けばそれなりに経済も回ります。最後に助けになるのは人間関係の構築なのだ。まったくその通りではないでしょうか。しっかり受け止め教訓にすべきかもしれません。DSC_6287.JPG
介護施設の運営のあり方を考え直す必要があるのでは[2023年10月22日(Sun)]
 Wedge2023年7月2日付け「日本と雲泥の差、ニュージーランドの老人介護が先進国標準なのか」から、シェアハウスの大学院女子は老人ホームでアルバイト
2月10日。クライストチャーチ近郊のサムナービーチ。氷雨を避けるべくビーチ沿いの一軒家で雨宿り。この古びた一軒家は9人の学生たちのシェアハウス。その1人が大学院で先住民の文化と言語を研究しているジュリア。  
ジュリアが「家主は家賃の督促はしつこいけど窓ガラスやドアの不具合にクレームしても言を左右して応じない吝嗇家なの」と嘆いた。放浪ジジイが「ディケンズの小説『クリスマス・キャロル』に登場するスクルージ老人のようだね」と感想を述べると我が意を得たと大爆笑。そのやりとりを聞いていた日本大好き青年のディーンは「この家は隙間風や雨漏りなど日本のワビ・サビの精神を体現している。ワビサビ・シェアハウスと命名しよう」と応じた。  
ジュリアは学費の足しに近くの老人ホームで週2回パートタイムのバイトをしている。老人ホームで実際に老人の介護をしているのはフィリピンやインドネシアなど全員アジア系女子とのこと。  
放浪ジジイは2022年にフィリピンとバリ島を徘徊した。両国の若者の先進国への介護職出稼ぎについて当事者から少なからず話を聴いていたのでNZの老人介護がどうなっているのか俄然興味を持った。  
ジュリアによると介護の資格も経験もゼロのアジア女性たちの初年度の時給は凡そ22ドル(当時のレートで約1900円)でNZの法定最低賃金に近いと。資格・経験があれば時給28ドル(=約2400円)という。帰国後実母が入居している老人ホームのサブマネージャーに話したら日本の介護職員と比べて2倍以上も高いと驚いた。
勝ち組の楽園、港町のリタイアメント・ビレッジ
4月12日。ニュージーランド(NZ)南島北端の港町ピクトンは人口4千数百人。北島の首都ウェリントンと南島を結ぶフェリーボートが発着する。入り江のヨットやボートが係留されているマリーナに面した丘に瀟洒なコテージが並んでいる。    
マリーン・リゾートの別荘地かと思って冷やかしに管理事務所を訪問した。事務所のある建物は居住者の共有スペースになっており、事務所の隣のマリーナを見渡すサンルームは広々とした快適空間。  
お年寄りの女性たちがマージャン・ゲームに興じていた。麻雀牌には漢数字の下にアラビア数字が併記されており、英語版の点数表を見ながら上がりの役の点数を計算していた。彼女たちによるとリタイアメント・ビレッジなのだという。引退後を楽しむ人たちが暮らすコテージらしい。まもなくマネージャーの女性が現れてビレッジを案内してくれた。
大手老人施設管理会社が運営
 マネージャーによるとこの施設には41棟のコテージがある。入居の条件は70歳以上で自立して生活できる健康状態であること。非常に人気があり現在入居希望者のウェイティングリストには40組が待機している。NZでも退職年齢は65歳であるが退職してから申し込んでも間に合わない。  
入居希望者は一時金を支払い居住の権利を買い、週単位で管理費を支払う仕組み。改装中のコテージの内部を見学させてもらった。日本の3LDKのマンションよりもかなり広い。天井が高く天窓がありリビングダイニングとメインベッドルームは南向きで海に面しており床から天井まで全面ガラス。海の碧と空の蒼が溶け合う無限の開放空間。  
運営会社は自立型ビレッジや介護付きホームなど46施設を全国展開する大手。ここは経済面でも健康面でも勝ち組のシニアたちのパラダイスなのだろう。
お金に余裕のない年寄りには“それなりの施設”が
 女性マネージャーに介護が必要な老人はどのような施設で暮らしているのか尋ねたら、「すぐ近くの分譲別荘地の上のほうに政府が補助している介護付き老人ホームがある」と教えてくれた。高台へ向かう急斜面の道路を登りきると南に面した平屋の長い建物があった。築後30年くらいだろうか、建物全体が少し老朽化している。  
大きな出窓があるサンルームには7〜8人くらいの老人が車椅子に座って外を眺めていた。なんとなく生気が乏しく認知機能が低下しているような雰囲気だ。
入居者の3分の1は自己負担ゼロで全額政府負担
 施設の内部も外観同様に古びた感じが漂っている。個室はベッド、テレビ、机、小さなテーブルが置かれ、広さは日本の平均的な有料介護付き老人ホームとほぼ同じだ。マネージャーを呼んでもらったら疲れた容貌の中年のインド系男性が現れ事務所で話を聴いた。  30人が入居しており全員なんらかの介護・介助が必要という。施設の土地・建物は地元のオーナーが所有しており管理会社が運営している。マネージャー以下職員は管理会社と雇用契約を結んでいる。日本の一般的な有料介護付き老人ホームと同様の経営形態である。  入居者は政府の規定に従い所有する資産と年金などの収入に応じて管理費用を負担する。不足分は政府補助金でカバーされる。一定レベル以下の資産・収入の入居者は個人負担ゼロで全額政府が補助金でカバーしている。現在入居者の3分の1は全額政府負担という。  政府補助金を受け取るためにホーム運営管理者は詳細な収支報告を監査機関に定期的に報告する義務がある。書類作成は煩雑であり、しかも抜き打ち検査もあるので書類確認と監査機関対応で忙殺されているとマネージャー氏はぼやいた。
それでも日本とは雲泥の外国人介護職員の待遇
介護職員は入居者2人に対して1人を確保しており実務を担当しているのは全員外国人女性という。内訳はインド人が12人で残りがフィリピン人で全員20代という。ちなみに最低賃金は22ドルだが人手を安定的に確保するために上乗せして契約しているという。
ちなみに管理会社と彼女たち外国人労働者は双方が合意して契約を延長すれば原則として何年でも労働ビザは延長可能という。しかも老人ホームは慢性的に人手不足なので彼女たちが希望すれば無期限に就労可能だ。  
日本では外国人女性介護職員に対しては一定の日本語能力資格が課され、賃金が半分以下の上、転職は禁止され、多額の借金を抱えて来日しても3年で帰国させられる。米国が現代の奴隷制度と批判するのも当然であろう。
「女工哀史」ではないアジア系女性たちの笑顔
 放浪ジジイが見た限り若いアジア系女性が明るく笑顔で働いているのが印象的だった。特に仕事が終わり制服を着替えた数人が年頃の少女らしくお洒落な私服姿でお喋りしながら帰っていく様子になぜか安堵した。  
遠く故郷を離れて老人介護という心身ともにハードな仕事にも関わらず楽しそうに振舞っている彼女たちに救われたような気がした。
先行き不安な日本の“老老介護”
 筆者は学生時代の友人の話を思い出した。彼は訪問介護ステーションを経営しているが「約20人在籍している女性介護スタッフの平均年齢は70歳、最高齢は80歳だよ。介護の現場は老老介護そのものなんだよ」とこぼしていた。  
年金だけでは暮らしていけない高齢女性が支える“日本の老人介護”は果たして持続可能なのか。
閑静な住宅街の高級老人ホーム
 4月20日。クライストチャーチ市内のカンタベリー大学付近の閑静な住宅街。チャリで走っていたら瀟洒なリゾートホテルのような施設を見かけた。入り口には●●Retirement Villageとあった。車寄せを囲む庭には花が咲き乱れ施設のエントランスは吹き抜けになっておりホテルのようだ。  
中に入るとレセプションの美形女性が用件を尋ねたので支配人に会いたい旨を告げるとあいにく外出していると。「看護師長がいるので施設に関する簡単な説明はできます」とのこと。いかにもキーウィ(ニュージーランド人の愛称)的な陽気な女性が出てきて両手を広げ歓迎の挨拶をする。  
看護師の休憩所みたいな雰囲気のサンルームでゆったりとしたソファで看護師長含め三人の艶やかな看護師さんに囲まれてお茶とクッキーのティータイムとなった。
豪華高齢者介護付きホーム、スタッフ数は入居者数の2倍
 この施設は大手高齢者施設運営会社が運営しており全国に36施設を展開しているという。クライストチャーチ市内だけでも6カ所も施設を展開している。  
この施設の現在の入居者は118人、スタッフはフルタイムの職員が合計134人。内訳はマネージャー3人(昼、夕方、夜間で交替勤務)、看護婦11人、介護士60人、キッチン・清掃・ランドリー・庭師・設備メンテナンスという補助スタッフ60人。看護師と介護職員は交替勤務。  
やはり入居者2人に介護職員1人という比率だ。ちなみに日本では法令上3人に1人以上らしいが。  
さらに看護・介護以外の業務に専門スタッフを配置しているところが日本との大きな違いだろう。日本では介護職員が部屋の掃除・片付やシーツ交換、配膳や食器の後片付けなど本来の介護業務以外も担当していることが珍しくない。  
NZでは介護職が介護に専念できる体制が明確なのだ。日本の伝統的職場風土では職務範囲・権限責任範囲が曖昧で臨機応変にチームワークで日常業務を遂行するが、NZなど欧米では職務規定で厳格に仕事の範囲が定められている。
究極の贅沢は自分の時間を生きること
 施設の運営会社の基本理念は“自宅にいるように快適に”。例えば起床時間は各自自由。朝食は6時以降何時でもOK。ディナーもフレキシブルタイム。当然コストはかかるが、入居者が自分の生活パターンで暮らせることでストレスを減らすことを重要と考えている。
 時間を管理して規則正しく生活させるという考え方もあろうが、好きな時に起きて好きな時に食べるというのが人間的な生き方ではないか。実母は「軍隊や刑務所じゃないんだからもう少し自由に暮らしたいよ。起床は7時、朝食は8時、入浴は週2回、なんでもかんでも規則じゃ息苦しいよ」とこぼしているが、費用が平均的なフツウの施設では仕方ない。
介護職は外国人女性が大半だが、なんと日本からも
 60人の介護スタッフの出身国はフィジーとフィリピンが多い。次がインド。  
やはり英語を公用語としている国が多いのは頷ける。さらにNZのマオリ人も数名いると。年齢的にはやはり20代が大半という。  
そして驚いたことに日本人女性も2人いるとのこと。看護師3人が口々に2人のなでしこを称賛。いわく、「いつもキレイにお化粧していて深夜でもお化粧やヘヤースタイルが崩れない」、「いつも洒落た洋服を着ていてファッションセンスがいい」、「態度が控えめでネガティブな感情を表に出さない」。  
看護師たちが2人の勤務表をチェックしたが、残念ながら当日は夕方勤務とのことで面談は断念。代わりに日本人の入居者がいるというので1人の看護師が呼びに行った。まもなく上品な雰囲気の80歳くらいの御婦人が現れた。
「日本の雑誌(記事)に載せるから看護師さんと一緒にハイ、チーズしてください」とお願いしたら「雑誌に載るならちゃんとお化粧してくればよかったわ」とお茶目に微笑んだ。DSC_0358.JPG

 介護の資格も経験もゼロのアジア女性たちの初年度の時給は凡そ22ドル(当時のレートで約1900円)でNZの法定最低賃金に近いと。資格・経験があれば時給28ドル(=約2400円)という。帰国後実母が入居している老人ホームのサブマネージャーに話したら日本の介護職員と比べて2倍以上も高いと驚いた。日本で介護に携わっている人の待遇の悪さが介護人材を確保できない状況でしょう。会議現場に限らず給料が安いことが大きな問題であることは間違いないでしょう。貧しい国になってしまいましたね。マリーン・リゾートの別荘地かと思って冷やかしに管理事務所を訪問した。事務所のある建物は居住者の共有スペースになっており、事務所の隣のマリーナを見渡すサンルームは広々とした快適空間。生活するのが楽しい場所であることは大事な要因ですね。この施設には41棟のコテージがある。入居の条件は70歳以上で自立して生活できる健康状態であること。非常に人気があり現在入居希望者のウェイティングリストには40組が待機している。NZでも退職年齢は65歳であるが退職してから申し込んでも間に合わない。入居希望者は一時金を支払い居住の権利を買い、週単位で管理費を支払う仕組み。改装中のコテージの内部を見学させてもらった。日本の3LDKのマンションよりもかなり広い。天井が高く天窓がありリビングダイニングとメインベッドルームは南向きで海に面しており床から天井まで全面ガラス。海の碧と空の蒼が溶け合う無限の開放空間。お年寄りの女性たちがマージャン・ゲームに興じていた。麻雀牌には漢数字の下にアラビア数字が併記されており、英語版の点数表を見ながら上がりの役の点数を計算していた。彼女たちによるとリタイアメント・ビレッジなのだという。引退後を楽しむ人たちが暮らすコテージらしい。生活するのが楽しい場所であることは大事な要因ですね。住みたくなる人が多いでしょう。日本の介護施設というイメージとは大きく異なりそうですね。入居者は政府の規定に従い所有する資産と年金などの収入に応じて管理費用を負担する。不足分は政府補助金でカバーされる。一定レベル以下の資産・収入の入居者は個人負担ゼロで全額政府が補助金でカバーしている。現在入居者の3分の1は全額政府負担という。政府補助金を受け取るためにホーム運営管理者は詳細な収支報告を監査機関に定期的に報告する義務がある。公的補助も含めて公正公平な制度設計ですね。現在の入居者は118人、スタッフはフルタイムの職員が合計134人。内訳はマネージャー3人(昼、夕方、夜間で交替勤務)、看護婦11人、介護士60人、キッチン・清掃・ランドリー・庭師・設備メンテナンスという補助スタッフ60人。看護師と介護職員は交替勤務。やはり入居者2人に介護職員1人という比率だ。ちなみに日本では法令上3人に1人以上らしいが。さらに看護・介護以外の業務に専門スタッフを配置しているところが日本との大きな違いだろう。日本では介護職員が部屋の掃除・片付やシーツ交換、配膳や食器の後片付けなど本来の介護業務以外も担当していることが珍しくない。運営会社の基本理念は“自宅にいるように快適に”。例えば起床時間は各自自由。朝食は6時以降何時でもOK。ディナーもフレキシブルタイム。当然コストはかかるが、入居者が自分の生活パターンで暮らせることでストレスを減らすことを重要と考えている。時間を管理して規則正しく生活させるという考え方もあろうが、好きな時に起きて好きな時に食べるというのが人間的な生き方ではないか。実母は「軍隊や刑務所じゃないんだからもう少し自由に暮らしたいよ。起床は7時、朝食は8時、入浴は週2回、なんでもかんでも規則じゃ息苦しいよ」とこぼしているが、費用が平均的なフツウの施設では仕方ない。年金だけでは暮らしていけない高齢女性が支える“日本の老人介護”を考えると日本の介護のあり方を海外の例を参考にして見直す必要があるのではないでしょう。DSC_0349.JPG
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