DIAMOND online2023年6月20日付け「「日本はますます劣化」「先進国の中では二等国」英国在住の作家が語る“失われた30年”」から、ロンドン在住の経済小説家・黒木亮氏(以下敬称略)。バブル期に邦銀金融マンとしてヨーロッパや中東を駆け回り、1988年から30年以上英国で暮らす黒木は、海の向こうから日本の「失われた30年」を見つめてきた。特にこの3年はコロナ禍という世界共通の課題があり、どうしても英国と日本を比較してしまうと話す。今の日本は先進国の中では二等国、と厳しい評価を下す黒木が、祖国に向けるまなざしとは。
大手銀行で国際金融を担当、 30歳でロンドンへ赴任
大学時代はランナーとして箱根駅伝に2回出場、卒業後は日系バンカーを経て作家へ。2000年『トップ・レフト』でデビュー以来、国際金融市場での経験を生かしたリアリティーある作風で熱狂的なファンを持つ経済小説の名手・黒木亮は、自身の“前史”を明かす新刊『メイク・バンカブル!』を手に、新人バンカー時代を振り返った。
「ロンドンに赴任したのは30歳、1988年のことです。新卒で大手銀行へ入行し、カイロ・アメリカン大学への留学から帰国してからも国内支店の営業を経験したけれど、ずっと国際金融畑への憧れがあった。人事部への直談判でもぎ取った金融街・シティでのキャリアは6年。中東とアフリカを担当し、シンジケートローン(国際協調融資)案件をたくさんこなしましたね」
シンジケートローンとは、複数の金融機関が協調融資団を組成し、各金融機関が共通の融資契約書に基づき同一条件で融資を行う、大規模な資金調達の手法だ。
中東とアフリカを任されたのは、黒木がカイロ・アメリカン大学で1年10カ月の留学生活を送り、中東研究の修士号を手にしていたことにもよる。
「僕が銀行に入った1980年っていうのは、オイルマネーが国際金融市場を席巻していた。だから中東関係をやれば一生食いっぱぐれがないかなというのもあったし、ダイナミックにいろんなことが動いていて、面白かったんです。それから、ミミズののたくったようなアラビア文字を読めたら素晴らしいなと、好奇心的な興味があったんですよね。そう真面目に考えて志望したんだけど、当時はやっぱり変わったヤツだと思われたようです(笑)」
紳士然とした黒木はそう言ってほほ笑んだ。
カイロ・アメリカン大学へ留学し 中東・アフリカを担当
当時はニッチに映ったかもしれないが、中東を専門にするという戦略は実に正しかったとしか言いようがない。黒木はバブル絶頂期の日系銀行のプレーヤーとして、目覚めつつあった中東とアフリカへ投資マネーが注ぎ込まれるユーロ市場のダイナミズムの中へ、飛び込んでいく。
「あの頃、中東アフリカを専門に、真面目にファイナンスに取り組む人は少なかったから、僕のキャリアは日本人としては若干特殊かもしれないですね。中東は当時から製油所、発電所、淡水化プラントなどのプロジェクトファイナンスが盛んだったから、やることはいっぱいあった。だけど当時でも大きくて数億ドル規模。今じゃ10倍のサイズでしょう、ゼロが一つ少ない時代です」
『メイク・バンカブル!』にも、黒木が融資団の主幹事役を務めた航空機ファイナンスの顛末(てんまつ)が収められているが、宗教的な事情や国民性の違いなど、読み手もしびれるようなリアルさ、臨場感だ。
サウジアラビア航空が1億500万ドルの貨物用ジェット機を1機調達するシンジケートローンに、邦銀6行、中東の銀行が4行参加。仕事の話しかできないアジア人を見下すような教養主義の英国人、野心家で戦略に長けた米国人、国内のポジションもプライドも高いアラブ人の間を縫うように、邦銀バンカーが奔走する。のみ込みが早く、シンジケートローン案件のマンデートを次々と取りにいくヤングバンカー・黒木の姿は、時代と才覚の追い風を受けた小気味よい疾走感で描かれている。
アラブ人、トルコ人、インド人…… 優れたバンカーに出会う
世界中の資本と野心が吸い寄せられ、いまや高々とした巨大建設が次々と建ち上がっていく中東。だが80〜90年代の中東は、今以上のハイリスク・ハイリターンを地で行く不安定ぶりでもあった。
バーレーンからオマーンの首都マスカットへ向かうべく乗った、ガルフ・エアー機。ところが着陸まであと10分というところで技術的問題が起き、目的地が急遽アラブ首長国連邦のアブダビへ変更される。胴体着陸を覚悟してアラブ版“水杯”まで交わしたクルーや乗客たちが無事の着陸を喜び合う光景の活写などは、当時の生の息吹を知る黒木ならではだ。 ※水杯(みずさかずき)…二度と会えないかもしれない別れのときなどに、杯に酒の代わりに水をついで飲み交わすこと。
そんな日々の中で、若き日の黒木は優れたバンカーたちに出会い、プライベートでも親交を築いた。
「インド人やトルコ人、アラブ人バンカーは親しみやすかったですね。僕がカイロ・アメリカン大学を出ていることで、クウェートやバーレーンへ出稼ぎしているようなエジプト人も親しみを持ってくれました。エジプト系アメリカ人のバンカー、ムラード・メガッリとはとても仲が良かった。二卵生双生児のモナというシスターがいて、家内を含めて4人とも同い年だから、家族ぐるみの付き合いでした。ムラードは元シティバンク、僕が知り合った頃は金融コンサルのパンゲア・パートナーズ・リミテッドのパートナー、その後はチェース・マンハッタン銀行の中央アジア・トルコ・中東地区のCEOになった」
「彼と話をすると、まるで真空に向かってひとりで話しているように感じるんですよ。電話の向こうで、黙って相手の話を聞いて、明晰な答えを端的に返す。僕のデビュー作『トップ・レフト』がトルコ語に翻訳されて、地元の新聞に2ページのインタビューが掲載されたんだけど、トルコ人の出版エージェントがなかなか掲載紙を送ってこない。ムラードに話したら、なんだそんなことは俺に言えよと。あっという間に入手して、2〜3日後には空輸で数部をロンドンへ送ってくれた。仕事のできるトップクラスのインベストメントバンカーとは、こういう頭の良さと実行力を持つ人なんだと感心しましたね」
ロンドン爆破テロ事件に遭遇、 今も腕には傷痕が残る
金融街シティで過ごした6年の間に、黒木はロンドン爆破テロに遭っている。1992年4月10日、金融街シティの路上でIRAがバンに載せた500kgほどの爆弾を爆発させ、黒木のいた23階建てのビルはその衝撃で倒れかけた。粉々に砕け散った分厚い窓ガラスの破片で数十人が負傷、「しばらく、道にバンが止まっていると怖かった。いまだにそのときの傷痕が右手首や左肘に残っていますよ」と、黒木は傷痕を見せてくれた。
医師が上手に縫ってくれたという左肘の傷に比べ、比較的大きく凹凸が残っている手首の傷を見せながら、「縫合の経験がない医学生の実習台になったんですよ。でもまあ、英国は医療が原則無料(NHSという国民保健サービスによる)だからこんなものかな」と笑う。多数の死傷者を出したテロで、病院も人員が足りず、医学生を投入して対応に当たった。被害規模と混乱の大きさが感じられるエピソードだ。
ふと、黒木は英国の医療制度に触れた。「とはいえ英国の医療は、NHSなんてやってて原則無料でも、結構クオリティーが高いですよ。日本とはだいぶ効率が違うよね」。
コロナ禍によって世界各国は 「同じ課題で力を試された」
コロナ禍の間、英国在住の黒木は日本への帰国もままならなかった。今回の一時帰国(5月上旬)は、コロナ禍明けでは2度目。「去年の10月に帰国したときは、まだ日本はコロナ対応の真っ最中で、空港からのリムジンバスも大幅減便。面食らいました」と、すでに昨年5月にはコロナ規制を全廃し、マスク着用義務などもとうに過去の話である英国暮らしとの違和感を語る。
黒木が海の向こうから見たコロナ禍の日本は、すっかりナンセンスに映ったようだ。 「日本ではみんなマスクをして、満員電車ですし詰めになっている。狭い街のあちらこちらに行列ができて混んでいるし、これは大変なところだなと。今回の帰国で、ようやく日本もマスクを外し始めているけれど、経済を正常化したいと言いながら日本のコロナ対策はもう全て後手後手で、どうしようもないと思いましたけどね。国家のリーダーシップが失われている。コロナ禍というのは世界各国が『同じ課題で力を試された』んだと思います」
「イギリスは見事でしたよ。ワクチンがまだ開発されないうちに、『マイルストーン・ペイメント』などベンチャーキャピタルの手法で開発費を支援して、完成したらワクチンを優先的にもらうという戦略を取った。開発と同時並行で接種計画を策定して、ロジスティクスも全て整え、注射打ちのボランティアも1万人ぐらい養成しました。医療資格のない18〜69歳の素人を訓練して注射打ちにしたのは、救命救急のNPOに所属する16歳の若者でした。そして先進国で一番早く、2020年の12月からワクチンの接種を始めた。片や日本は、接種は自治体と職域に丸投げ。マスクだけ一生懸命して、いくらか感染は抑えられたのかもしれないけれども、それほど素晴らしい結果を出したとも思えない」
黒木は、日本がリーダーシップを失ったと繰り返した。
「ウクライナ支援でも同じことです。ボリス・ジョンソンがウクライナに特殊部隊を派遣し、イギリスが最初に動いた。日本は政治家が萎縮しています。マスコミにばかにされたたかれたくないから、決断せずに選挙だけやり過ごす。すると現場が頑張るしかないから、日本は現場の仕事熱心さはピカイチ。でもリーダーシップがない。昔は、日本は金権政治であったとはいえ、リーダーシップはそれなりにあったんでしょうね。けれど政治家の資質が下がって、小泉・安倍政権で官僚の力もそがれてしまった。国家財政も借金を膨らませ、どうしようもないところまで来てしまった」
その理由は、人材の劣化だという。
「日本の政治家が劣化したから、その相手をする官僚も劣化した。今、優秀な人材は官僚にはならないでしょう。メディアがしっかりして、日本の問題点をきちんと指摘しなきゃいけないのに、その役割を放棄している」
「政治の劣化は国民の責任でもありますよ。選挙が人気投票になってしまうのは自然の成り行きなので、イギリスでは各政党が候補者選抜をしっかりやって、おかしな人が出てこないようにしている。しかし日本では、自民も維新もタレント候補を連れてきて、有権者をばかにしているでしょう。なのにそれを選んでしまう有権者も愚かです。タレント候補に頼っているような政党はろくなことがない。トランプが大統領に選ばれたとき、パトリック・ハーランさんが『恥ずかしくてアメリカ国民をやめようと思った』と発言していたけれど、僕も今の日本の政治家を見ていて日本国民をやめたくなりますね」
「今の日本は、 先進国の中では二等国です」
日本の「劣化」は、英国在住の黒木にとって肌で感じるものだという。
「国民年金なんて、日本の支給額は年間せいぜい70万円ですが、イギリスは年間180万円が支給されます。今回の帰国フライトでも、欧州からの便に乗っている客は95%欧米人。インバウンドが復活しているのは、日本の物価が異様に安いからで、例えば欧州でもギリシャやポルトガルを見ても分かるように、世界的に物価が安いのは“貧しい国”である証しです」 黒木が海外へ出た1988年、日本はバブル経済の絶頂期だった。
「当時、日本はエコノミックアニマルなんて呼ばれていたけれど、その後、日本文化や観光資源の豊かさ、日本人のきれい好きや治安の良さというのは世界に広く知られてきて、リスペクトを受けるようになったのはすごくいいことだったと思います。外銀のバンカーが東京駐在の辞令をもらったりすると、昔は『なんで日本なんか行くんだ?』なんて言われたのが、2000年代になるとうらやましがられたという話もあるくらいです」
そして黒木は、厳しいひと言を発した。「でも、今の日本は先進国の中では二等国ですよ。清潔で勤勉な国民性ではある。でも円が弱くなり、国力としてはすごく衰えて、インバウンドの隆盛以外、いいことは何にもないような気がします」。
それは、ロンドンで邦銀金融マンをやめて専業作家になると決め、ロンドンに不動産を購入して以来29年、海の向こうから作家として故郷日本を、日本の「失われた30年」を見つめてきた、黒木ならではの重い言葉だった。
国力が明らかに衰えている、その中で若い世代にできることはなんだろう。
「日本はまだ国際的に学力は高くて、今はむしろ若者にとってチャンス。本人次第かな。やっぱり自分がその仕事の場で可能な限りの、一番大きくて自分好みの絵を描くように努力したらいくらでもチャンスはありますよ。やっぱり、夢がない仕事って面白くないですね。夢は自分で持つものだと思うし」
「今、日本は子どもを競争させないような教育をしているでしょう。順位を付けないなんて、おかしいですよ。競争に耐え得る人間にしないと、生き残れない。生きるって、競争ですよ。動物だって、懸命に自分を魅力的にして異性を引きつけて、自分の遺伝子を残そうとするでしょう。本来の動物のあり方を否定するような教育、おかしいんじゃないかな。子どもの能力をそぐような結果になっています。それは教育といえるんですかね」
書き続ける元学生駅伝走者 「長くずっと努力するのは得意なんです」
黒木だからこそ見えるものがある。伝えられるものがある。
「欧米メディアは政治家に対して追及が厳しいですよ。特に新聞は『社会の木鐸たれ』と言われるのに、日本のメディアは記者クラブによってがんじがらめにされていて、政治家に対して弱腰。政治家に敢然と物を言うのはフリーのジャーナリストたちで、既存の大手マスコミはメディアとしての役割を放棄している。財務相の次官の女性記者に対するセクハラ疑惑みたいなものには妙に厳しいけれど、そんなものは多少極論すればどうでもいい問題であって、もっと大きな問題はたくさんあるでしょう」
「海外にいると、日本で起こっていることが客観的に見えるんです。日本にいると日本のことしか見えないから当たり前と思ってしまって、批判的な目線で見られない。コロナ対策にしても、感染拡大当時から日本のウェブメディアに寄稿し、僕の考えを発信してきました。それが僕の役目だと思ったので」
かつては箱根駅伝を走った長距離ランナーだったが、その頃の経験は作家としての執筆活動にも大きな影響を与えているという。「どんな書き手もみんな同じように努力してるし、やっぱり並の努力じゃ抜きん出ることはできないです。自分よりも工夫や努力をしている選手に勝てなかった、と長距離でちょっと後悔した部分もあって、だから作家になってからはそういう後悔がないようにしたいと思ってきました」
専業作家としてのキャリアは20年だが、黒木亮といえば多作な作家とのイメージがある。「長距離ランナーとしてもそうだったのですが、爆発的な瞬発力はないんですけれども、集中力を持続して力を抜かずにずっと長くやっていくことができるので、そういうスタイルで今もやってますね。力を抜いたら終わりだ、と自分では思ってるんで」。学生時代の長距離走とヤングバンカー時代の粘りと機転、それら全てが黒木亮という作家をこの場所まで連れてきたのだろう。

コロナ禍の日本は、すっかりナンセンスに映ったようだ。「日本ではみんなマスクをして、満員電車ですし詰めになっている。狭い街のあちらこちらに行列ができて混んでいるし、これは大変なところだなと。今回の帰国で、ようやく日本もマスクを外し始めているけれど、経済を正常化したいと言いながら日本のコロナ対策はもう全て後手後手で、どうしようもないと思いましたけどね。国家のリーダーシップが失われている。コロナ禍というのは世界各国が『同じ課題で力を試された』んだと思います」海外から第3者として見る日本はそのように映るのでしょう。「イギリスは見事でしたよ。ワクチンがまだ開発されないうちに、『マイルストーン・ペイメント』などベンチャーキャピタルの手法で開発費を支援して、完成したらワクチンを優先的にもらうという戦略を取った。開発と同時並行で接種計画を策定して、ロジスティクスも全て整え、注射打ちのボランティアも1万人ぐらい養成しました。医療資格のない18〜69歳の素人を訓練して注射打ちにしたのは、救命救急のNPOに所属する16歳の若者でした。そして先進国で一番早く、2020年の12月からワクチンの接種を始めた。片や日本は、接種は自治体と職域に丸投げ。マスクだけ一生懸命して、いくらか感染は抑えられたのかもしれないけれども、それほど素晴らしい結果を出したとも思えない」素早く判断をして何をどのように行うのかはっきりさせているのですね。日本が判断、決定、実行に時間がかかり過ぎるのは責任問題が絡んでいるかもしれません。責任問題を回避したいのが日本でしょう。要するには責任を負いたくないということでしょうか。「ウクライナ支援でも同じことです。ボリス・ジョンソンがウクライナに特殊部隊を派遣し、イギリスが最初に動いた。日本は政治家が萎縮しています。マスコミにばかにされたたかれたくないから、決断せずに選挙だけやり過ごす。すると現場が頑張るしかないから、日本は現場の仕事熱心さはピカイチ。でもリーダーシップがない。昔は、日本は金権政治であったとはいえ、リーダーシップはそれなりにあったんでしょうね。けれど政治家の資質が下がって、小泉・安倍政権で官僚の力もそがれてしまった。国家財政も借金を膨らませ、どうしようもないところまで来てしまった」「日本の政治家が劣化したから、その相手をする官僚も劣化した。今、優秀な人材は官僚にはならないでしょう。メディアがしっかりして、日本の問題点をきちんと指摘しなきゃいけないのに、その役割を放棄している」政治家、官僚ともに思い切った判断ができないのでしょうか。しないようにしているのでしょう。責任問題になるからでしょうか。「政治の劣化は国民の責任でもありますよ。選挙が人気投票になってしまうのは自然の成り行きなので、イギリスでは各政党が候補者選抜をしっかりやって、おかしな人が出てこないようにしている。しかし日本では、自民も維新もタレント候補を連れてきて、有権者をばかにしているでしょう。なのにそれを選んでしまう有権者も愚かです。タレント候補に頼っているような政党はろくなことがない。トランプが大統領に選ばれたとき、パトリック・ハーランさんが『恥ずかしくてアメリカ国民をやめようと思った』と発言していたけれど、僕も今の日本の政治家を見ていて日本国民をやめたくなりますね」そうですね。確かに国民の責任も大きいでしょう。政治家を選んでいるのが国民である以上は国民に相当の責任があるということになるでしょう。「国民年金なんて、日本の支給額は年間せいぜい70万円ですが、イギリスは年間180万円が支給されます。今回の帰国フライトでも、欧州からの便に乗っている客は95%欧米人。インバウンドが復活しているのは、日本の物価が異様に安いからで、例えば欧州でもギリシャやポルトガルを見ても分かるように、世界的に物価が安いのは“貧しい国”である証しです」 1988年、日本はバブル経済の絶頂期だった。「でも、今の日本は先進国の中では二等国ですよ。清潔で勤勉な国民性ではある。でも円が弱くなり、国力としてはすごく衰えて、インバウンドの隆盛以外、いいことは何にもないような気がします」「日本はまだ国際的に学力は高くて、今はむしろ若者にとってチャンス。本人次第かな。やっぱり自分がその仕事の場で可能な限りの、一番大きくて自分好みの絵を描くように努力したらいくらでもチャンスはありますよ。やっぱり、夢がない仕事って面白くないですね。夢は自分で持つものだと思うし」「今、日本は子どもを競争させないような教育をしているでしょう。順位を付けないなんて、おかしいですよ。競争に耐え得る人間にしないと、生き残れない。生きるって、競争ですよ。動物だって、懸命に自分を魅力的にして異性を引きつけて、自分の遺伝子を残そうとするでしょう。本来の動物のあり方を否定するような教育、おかしいんじゃないかな。子どもの能力をそぐような結果になっています。それは教育といえるんですかね」次世代の子どもたちに投資しない日本は劣化していく可能性があるでしょう。今こそ教育に最大限の投資をすべきでしょう。そのようなリーダーが生まれなければ厳しい状況に陥るかもしれません。
