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女性、若者に厳しいと思われる選挙制度を変えなければならないのでは[2023年07月31日(Mon)]
 All About2023年5月17日付け「“26歳芦屋市長”は何がすごい? 欧米諸国より圧倒的に「女性と若者が弱い」日本の選挙における課題」から、4月に行われた統一地方選挙で注目されたことの1つに、芦屋市長選で、無所属新人でNPO法人理事長の高島崚輔氏(26)が当選したことが挙げられます。異例の若さで自治体の長になった高島氏に期待が集まっていますが、それが大きなニュースになること自体、日本で若者が政治家になることがいかに難しいかの裏返しともとれました。
日本ではなぜ若者の政治家が少ないのでしょうか。その理由はどこにあるのでしょうか。また、若者の政治家が少ないことで、国や社会にはどんな問題が起きるのでしょうか。それらについて今回は考えていきます。
「中高年の男性」が大半の日本の政治家 
まず日本の政治における残念な点について触れておきます。
日本の選挙では、政策や人物で判断されることは少なく、政党に支援(所属または公認)された候補が、圧倒的に有利な条件で戦います。「地盤(組織)・看板(知名度)・鞄(資金)」という、選挙で勝つために必要なものを与えられるからです。その多くは中高年の男性となっています。
今回改選を迎えた6つの政令指定都市の首長選も、当選者6人は全て男性で、70代が1人、60代が2人、50代が2人、40代が1人でした。
芦屋市ではなぜ「20代の市長」が誕生した?
そんな日本において、芦屋市ではなぜ26歳の高島氏が市長に当選できたのでしょうか。もちろん高島氏本人に魅力があったことは最も大きな理由ですが、少し視野を広げることで見えてくるものがあります。
過去3代の芦屋市長は、順に62歳女性、56歳男性、49歳女性というように、3人中2人が女性でした。若者が市長になった理由を考える中でなぜ女性に注目するかというと、日本において「女性」は「若者」と並んで「政治的弱者」という共通点があるからです。 芦屋市ではそんな政治的弱者が直近の4回の市長選で3回当選していることから、政策や人物で判断をする素地のある地域であると見ることができます。このような自治体はレアケースで、日本の大多数の地域では若者や女性が苦戦するのが常です。
若者が出馬できない日本の選挙制度
日本で若者が政治家になるのが難しい理由には、日本の選挙制度の問題もあります。
日本では選挙権こそ18歳に引き下げられましたが、出馬資格を得る年齢(被選挙権)は衆議院議員と市区町村長、地方議員は25歳、参議院議員と都道府県知事は30歳です。諸外国では、選挙権が18歳の国の大部分は、被選挙権も18歳となっています。
各国議会に関する情報を調査しているIPU(列国議会同盟: Inter-Parliamentary Union)のデータによると、「30歳以下の国会議員の割合」は、ノルウェーで13.61%、ドイツで8.83%、スウェーデンで6.59%、フランスで4.85%、イギリスで3.69%と、数%から十数%を占める国もありますが、アメリカでは0.46%、日本は0.22%、韓国は0%と、1%にも満たない数字となっています。
前者の国々の被選挙権年齢が18歳であるのに対して、後者の「30歳以下の国会議員の割合」が1%に満たないアメリカ、日本、韓国では、被選挙権年齢が25歳と、若者の出馬に他国よりも高い制限を設けているのです。
さらに、ここに「女性議員割合」も加えて比較してみると違いがより明確になります。 「女性議員割合」が欧米は軒並み30〜40%台であるのに対し、韓国は19%、日本はたった10%。この2カ国が現在、深刻な少子化に襲われているのはご存じの通りです。
「若者」や「女性」が政治に参画できない国は、人口が減り、やがて滅びゆく運命にあるとも見えてきてしまいます。
若者と女性の政治家割合は国家存亡のバロメーター
少子化は、簡単に言えば子どもが生まれなくなることです。子どもが生まれなければ人口は減り、産業、文化など、あらゆるものが衰退します。つまり少子化とは国家の存亡を計るバロメーターといえます。
そもそも少子化とは、単に子どもが生まれないという現象を指すだけではありません。この国で生まれた人が成長し、学び、社会に出て働き、結婚するという、人生そのものに困難が生じていることを意味しています。
少子化の原因には、「生き方の多様化」や「困難」などがありますが、「困難」に焦点をあてると、若者や女性が困難に直面すればするほど少子化は進みます。
その「困難」について、最も身近で深く理解しているのは当事者である若者や女性です。当事者である若者や女性こそが、問題解決のために自ら取り組む権利があることは言うまでもありませんが、日本でその決定権を握っているのは、子育てや家事への理解に乏しい中高年の男性政治家となっています。
「無党派層」と「支持政党あり」で分断される投票行動
では国民の側が、こうした問題についてしっかりと考え、改善するための合理的な行動を取っているかといえば、理想とはほど遠いのが実情です。特に無党派層と支持政党を持つ人の間で分断が起きています。
最近の選挙において、無所属であったり、実績がまだなかったりする若者や女性の候補が無党派層から支持を集めることについて、あたかも無党派層が何も考えずに投票しているかのような意見が散見されます。
でも、筆者にはそれが正しい意見だとは思えません。無党派層は考えていないのではなく、考えているからこそ、中高年の男性政治家に見切りをつけ、別の人たちに託そうとしている、そのような考えの表れなのではないでしょうか。 たとえば現在の岸田政権でも、選挙前は「再分配」や「若者や子育てへの支援」を打ち出しながら、選挙が終わればそのような弱者へのサポートは「財源がない」として先送りにしています。
このようなことを目の当たりにすると、これまでずっと政権を握ってきた中高年の男性政治家に今後も同じように期待を寄せていくよりも、「弱者のために働いてくれるポテンシャルを持った若者や女性の政治家」に期待したくもなるのではないでしょうか。
そんな無党派層の投票行動に対し、何も考えていないと批判するのは一定の支持政党を持つ人たちですが、支持政党を持っているからこそ、どんなに公約が破られても、どんなにスキャンダルを起こしても同じ党に投票、政策や人物ではなく支持政党だけで判断しているようにも見え、真に国のことを思っているのはどちらだろうかと考えてしまいます。 以上のような意味で、歴代の市長選から見ていくと、芦屋市は単に支持政党だからというだけでなく、政策や人物で判断する素地がある地域だといえるかもしれません。それは、日本を持続可能な社会にしていくための希望的地域であると見ることもできるでしょう。 芦屋市の市長選が、日本全国の選挙に良い影響を波及してくれることに期待します。012.JPG

 中高年男性中心の多様性に欠ける政治はいつまで続くのでしょうか。日本で若者が政治家になることがいかに難しいか。日本ではなぜ若者の政治家が少ないのでしょうか。若者の政治家が少ないことで、国や社会にはどんな問題が起きるのでしょうか。将来のことを考えれば国や社会に悪い影響が大きいでしょう。日本の選挙では、政策や人物で判断されることは少なく、政党に支援(所属または公認)された候補が、圧倒的に有利な条件で戦います。「地盤(組織)・看板(知名度)・鞄(資金)」という、選挙で勝つために必要なものを与えられるからです。その多くは中高年の男性となっています。お金がかからないことも含めて若者や女性が選挙に立候補し易い制度に変えることはできないでしょうか。過去3代の芦屋市長は、順に62歳女性、56歳男性、49歳女性というように、3人中2人が女性でした。若者が市長になった理由を考える中でなぜ女性に注目するかというと、日本において「女性」は「若者」と並んで「政治的弱者」という共通点があるからです。 芦屋市ではそんな政治的弱者が直近の4回の市長選で3回当選していることから、政策や人物で判断をする素地のある地域であると見ることができます。このような自治体はレアケースで、日本の大多数の地域では若者や女性が苦戦するのが常です。女性が首長になっている風土だったからこそ若者が当選できたということもあるでしょう。日本で若者が政治家になるのが難しい理由には、日本の選挙制度の問題もあります。日本では選挙権こそ18歳に引き下げられましたが、出馬資格を得る年齢(被選挙権)は衆議院議員と市区町村長、地方議員は25歳、参議院議員と都道府県知事は30歳です。諸外国では、選挙権が18歳の国の大部分は、被選挙権も18歳となっています。年齢に関しては民意の支持があれば変えることができるでしょう。「女性議員割合」も加えて比較してみると違いがより明確になります。「女性議員割合」が欧米は軒並み30〜40%台であるのに対し、韓国は19%、日本はたった10%。この2カ国が現在、深刻な少子化に襲われているのはご存じの通りです。「若者」や「女性」が政治に参画できない国は、人口が減り、やがて滅びゆく運命にあるとも見えてきてしまいます。人口が減り、若者、女性が政治に参加できない国は滅びる運命になってしまう可能性はあるでしょう。国民には危機感があるでしょうか。特に中高年男性政治家には若者、女性が政治に進出してくることを快く思わないでしょう。なぜなら当選できなくなるからです。少子化の原因には、「生き方の多様化」や「困難」などがありますが、「困難」に焦点をあてると、若者や女性が困難に直面すればするほど少子化は進みます。その「困難」について、最も身近で深く理解しているのは当事者である若者や女性です。当事者である若者や女性こそが、問題解決のために自ら取り組む権利があることは言うまでもありませんが、日本でその決定権を握っているのは、子育てや家事への理解に乏しい中高年の男性政治家となっています。1日でも早く日本の政治のあり方を変革しなければ世界の中で取り残されてしまうのではないでしょうか。これまでずっと政権を握ってきた中高年の男性政治家に今後も同じように期待を寄せていくよりも、「弱者のために働いてくれるポテンシャルを持った若者や女性の政治家」に期待したくもなるのではないでしょうか。前提をして国民が投票に出かけ意思表示をすることでしょう。無党派層の投票行動に対し、何も考えていないと批判するのは一定の支持政党を持つ人たちですが、支持政党を持っているからこそ、どんなに公約が破られても、どんなにスキャンダルを起こしても同じ党に投票、政策や人物ではなく支持政党だけで判断しているようにも見え、真に国のことを思っているのはどちらだろうかと考えてしまいます。 歴代の市長選から見ていくと、芦屋市は単に支持政党だからというだけでなく、政策や人物で判断する素地がある地域だといえるかもしれません。それは、日本を持続可能な社会にしていくための希望的地域であると見ることもできるでしょう。 芦屋市の市長選が、日本全国の選挙に良い影響を波及してくれることに期待します。芦屋市のような選挙が国内に広まってほしいと思います。地方では政治に関心が無く中高年男性しか立候補しないので旧態依然の政治が続くことになるのでしょう。このようなことが続く限り社会はより良い方向に変わっていくことはないのでしょう。011.JPG
リベラルは必要なのでは[2023年07月30日(Sun)]
 東洋経済ONLINE2023年5月17日付け「リベラルな社会にこそ「保守の価値観」が必要な訳 多様性が「対立」ではなく「共存」するための条件」から、グローバル化の問題点は「新しい階級闘争」を生み出した。新自由主義改革がもたらした経済格差の拡大、政治的な国民の分断、ポリティカル・コレクトネスやキャンセルカルチャーの暴走である。
アメリカの政治学者マイケル・リンド氏は、このたび邦訳された『新しい階級闘争:大都市エリートから民主主義を守る』で、各国でグローバル企業や投資家(オーバークラス)と庶民層の間で政治的影響力の差が生じてしまったことがその要因だと指摘している。
中野剛志(評論家)、佐藤健志(評論家・作家)、施光恒(九州大学大学院教授)、古川雄嗣(北海道教育大学旭川校准教授)など、気鋭の論客の各氏が読み解き、議論する「令和の新教養」シリーズに、今回は井上弘貴氏(神戸大学大学院教授)も参加し、同書をめぐって徹底討議する。今回はその後編をお届けする(前編はこちら)。
民主主義が機能するための条件  
古川:民主主義が機能するためには、多様な集団が意見を主張し合う多元主義が必要で、そのためには中間団体の再生こそが不可欠だというのがリンドの主張です。中間団体とは、国家と個人との中間に存在するさまざまな共同体のことで、地域のコミュニティや労働組合、農協や漁協などの職業団体、教会などの宗教団体がそれに当たります。
 リベラルな社会、つまり自由で民主的な社会が成り立つためには、その条件として、自律的な中間団体が多様に存在することこそが必要だ、という主張は最近よく見られます。それだけ危機感が高まっているのでしょう。たとえば、パトリック・J・デニーンの『リベラリズムはなぜ失敗したのか』(2018年、邦訳2019年)もそうです。  
デニーンは、リベラリズムというイデオロギーこそが、むしろリベラルな社会の前提条件を切り崩してきたのだと批判していますが、その最たるものが中間団体です。中間団体は本来、国家と個人との間に挟み込まれたクッションのようなもので、それによって、個人は国家の専制的な権力から守られますし、自分の意見を政治に反映することもできます。
それがなくなってしまうと、個人は寄る辺を失って国家に依存し、従属するほかなくなります。そこに到来するのが全体主義です。  
ところが、リベラリズムは、このリベラルな社会の前提条件であるはずの中間団体を、むしろ破壊してきました。国家から個人を守る中間団体を、むしろ個人を抑圧する圧力団体とみなしたわけです。その結果、リベラリズムこそが全体主義を呼び寄せてしまいました。  
したがってデニーンも、自治的な地域共同体などの中間団体を再活性化する以外に、民主主義の未来はないと考えているようです。中間団体の再生によって、国家の専制的な権力に対する「拮抗力」を取り戻すべきだという、リンドの見方と同じです。
 それはそのとおりだと思うのですが、しかし、国家と中間団体との関係はもう少し複雑で、必ずしも拮抗関係だけではありません。たんに拮抗力としての中間団体を再生して多元主義を実現するだけなら、国家は多様な利益団体に引き裂かれてバラバラになってしまうでしょう。  
つまり、本当に多元主義を実現するためには、多様な中間団体が自律的に存在して国家と拮抗すると同時に、それらが同じ1つの国家の下に統合されていなければならないという、矛盾した両面が必要だと思うのです。その点についてはいかがですか。
 中野:おっしゃるとおりで、よく言われる多元主義の弱点として、中間団体がそんなにいいんだったら、じゃあ、ヤクザはどうだと(笑)。すごく中間団体が結束しているぞ、とかね。  
それこそ、陰謀論者の集まりとか、特にSNS上では、すごく多元になっています。だけど、お互いまったくコミュニケーションが取れなくなっちゃっている。
多元性を「多元主義」に高めるもの  
佐藤:「多元性」と「多元主義」は同じではありません。多元主義というからには、さまざまな意見の対立はあっても、それを最終的には統合して、全体が機能するようになっていなければならない。
まさにアメリカ建国のモットー「多をもって一となす」ですが、今や統合の枠組みが解体された結果、意見がちょっと違っただけでも、不倶戴天の敵だという話になりかねなくなっている。  
リンドは本書で、トランプをヒトラーのごとく見なす傾向を批判していますが、これは確かに正しい。くだんの見解はトランプへの過大評価であり、同時にアメリカが抱える危機への過小評価です。 政治学者バーバラ・ウォルターが『アメリカは内戦に向かうのか』で指摘したとおり、専制的な権威主義体制のもとでも社会の統合は保たれます。トランプが真に独裁者の器で、専制支配を確立できるんだったら、ある意味、まだいいんですよ。真の問題は、民主主義と権威主義の間にあるアノクラシー(不完全民主主義)の状態を回避できるか。
 アノクラシーになった国は、最も内戦に陥りやすい。そして「ポリティ・スコア」という評価基準にしたがえば、トランプ政権末期のアメリカはアノクラシーに陥りました。その後はとりあえず民主主義と認められる域に戻ったものの、デマゴーグとしての彼の存在は引き続き問題視されている。  
ゆえにトランプをヒトラー扱いするのは、アメリカを権威主義体制に移行させるだけの力を持っていると見なす点で過大評価であり、世の中には権威主義より恐ろしい状態があることを見落としている点で過小評価となるわけです。
「多元主義」が成り立つための条件  
井上:これは多元主義を可能にしている制度的な枠組みを破壊することが、多元主義に許されるかという話だと思うんですね。今、トランプの支持者は明らかにその枠組みの破壊にまで至る可能性がある。つまり、多元主義の共通理解を欠いているゆえに、多元主義を超えてしまおうとしている。  
中野:それは非常に大事な論点だと思います。多元主義は、対立せず共存するための共通理解、凝集力が必要となる。典型的には言語や文化がその役割を果たしていますが、エスニックカルチャーといったリベラルが容認できない要素が絡むと問題は難しくなります。
1950〜1960年代のアメリカは白人優位で文化的・人種的・宗教的に一致していた。そのため、多元主義がうまく機能していたけれど、その後、秩序の基盤にあった宗教やエスニックカルチャーが揺らぎ始めてしまった。保守は、秩序の基盤となるカルチャー、歴史、宗教といった、リベラリズムでは説明できないシンボリックな価値を守ります。  
リンドはナショナル・コンサバティズムを提唱し、1950〜1960年代の多元主義を支えたエスニックカルチャーを核とした、アメリカンナショナルカルチャーを重視しています。リンドはこのカルチャーこそ保守したいと考えているのでしょう。
 古川:リベラルな民主的社会の基盤にはナショナルな文化やアイデンティティの共有が必要だというのは、リベラル・ナショナリズムと呼ばれる理論です。これは近年では、むしろカナダやオーストラリアの多文化主義者たちから支持されています。  
多元性を尊重すればするほど、それを1つのネーションを統合する共通文化の必要性が、よりいっそう切実になるわけです。それが自然に存在しないなら、教育を通じて人為的につくり出すしかないとまで彼らは考えています。
 利害や価値観が異なっても、同じ歴史と運命を共有する仲間なのだという同胞意識があってはじめて、対話したりお互いに譲り合ったりしながら利害を調整することが可能になります。そうでなければ、どうして見知らぬ他人のために俺がゆずらなきゃいけねーんだという話にしかならない。見知らぬ他人を我が同胞だと想像する、まさに「想像の共同体」としてのネーションが、リベラルな社会には必要不可欠なのです。  
施:リンドはこの本ではあんまり強調していないですけど、やっぱりリンドはナショナリストなんですよね。
 リンドが90年代に書いた『ネクスト・アメリカン・ネーション』(未邦訳)という本があります。その中で、最初はアングロサクソン的なネーションであったアメリカが、次第にマイノリティや移民を取り込んでいき、人種の坩堝として発展していったことを説明しています。  
アングロサクソン的なエスニックカルチャーが大本であるものの、さまざまなエスニックグループがアメリカのネーション形成に貢献し、多様な人々を取り込む国として進化してきたことが強調されているわけです。
しかし、『新しい階級闘争』では、民主的多元主義が成り立つためには、ネーションという大きな枠があって、そこで得られるナショナルな連帯意識が基盤として必要だということが、あまり触れられていません。  
その連帯意識が、さまざまな利害を表明する中間共同体同士、ともすれば労働者と資本家であったとしても、同じナショナルなカルチャーやネーションを共有する仲間として、相互の調整も可能になるというのが民主的多元主義だと思うんですね。だから民主的多元主義というのは、私は根本的にナショナルなものだと思います。
 中野:多元主義の基礎にある「ナショナルなもの」というのは、何か。一昔前のアメリカではよく、自由や平等といった、リベラル的価値観で集まったネーションだというふうに言われていました。  
けれども、実はかなり西洋由来の、あるいはキリスト教的なエスニックカルチャーが基盤にあってのリベラリズムだったということが、今回、決定的に明らかになってしまった。  
だとすると、エスニックカルチャーをコアにした「ナショナルなもの」が破壊されたんだとしたら、もはやリンドに処方箋が出せるわけがない。そんなもの、人為的につくれないんだから、ということなんじゃないですか。
解決のヒントは「労働者階級の二面性」にある  
佐藤:みなさんが問題にしていることに答えを提示しうるのは、労働者階級が真に抱いている価値観、より正確にはその二面性かもしれない。アメリカ社会が輝いていた1950〜1960年代に、伝統的価値観を擁護する人たちが反発した文化現象の代表例はロックンロールです。  
ところがご存じのとおり、ロックは労働者階級が生み出した音楽。「労働者=地域に根ざした伝統的価値観の担い手」というリンド式の解釈では説明がつきません。
 この点をみごとに説明したのが、労働者階級出身のロック評論家デイヴ・マーシュ。彼はこの時代の若者文化を「パンク(不良)」と「ヒッピー」に分けて論じました。パンクは労働者階級に属し、ヒッピーは中産階級に属します。  
両者は何が違うのか。中産階級のヒッピーには、社会を全否定できるだけのゆとりがあるんですよ。ところがパンクの場合、社会の崩壊はすぐ自分の懐に響いてくる。貧しく抑圧されているのだから、反抗するのは必然としても、社会への尊敬もまた必然だった。リンド風に言えば、まさに「拮抗力」が働いているのです。それも内面で。
ロックはこのような反抗と尊敬の葛藤から生まれたのですが、人気が高まって大金が動くようになると、どうしても中産階級化、つまりヒッピー化が進む。尊敬なしの反抗に走ってしまったものの、これでは長続きしません。  
かくして1970年代前半、ロックは停滞に陥るのです。当の状態に活を入れた「パンク・ロック」が、アメリカ以上に階級格差の際立つイギリスで生まれたのも偶然ではないでしょう。  
その意味でパンクの精神にこそ、対立と葛藤を統合に導く多元主義の基盤が見出せるかもしれない。現にロックンロールは、貧しい白人の音楽であるカントリーと、黒人の音楽であるブルースが融合したもの。エルヴィス・プレスリーが「黒人の音楽性と、黒人の感触を持った白人」と位置づけられたのは有名な話です。つまりエスニックの枠を超えている。
 リンドが満足な処方箋を提示できないのも、労働者階級をロマンティックに美化したあげく、物の見方が一面的になったせいかもしれませんよ。これはエリートが民衆に肩入れする際の通弊です。  
ただしアメリカには、管理者エリートへの抵抗が広まるのを阻害する要因もあります。『怒りの葡萄』で知られるノーベル文学賞作家のジョン・スタインベックいわく。
「なぜアメリカには社会主義が根づかないのか。この国の貧しい人々は、自分たちを搾取に苦しむプロレタリアートではなく、一時的な不運に見舞われた億万長者だと思いたがるのさ」。ボロを着ていても心は管理者というわけながら、これでは階級闘争になりません。
慣習や文化による連帯意識が秩序を安定化させる  
施:中野さんの主張に重ねると、リベラルと保守の連帯意識の違いは、リベラルが政治的原理への同意に基づく連帯を強調する一方、保守は慣習や文化など、半ば無意識なところで培われてきた連帯意識に着目し、それを重視するという点です。保守は、こうした慣習や文化に基づく半ば無意識の連帯意識がなければ、安定した秩序を維持できないと考えます。  
『ナショナリズムの美徳』を書いた保守派のヨラム・ハゾニーが、保守主義は秩序の哲学だといっています。リンドのいう民主的多元主義もネーションの重要性を認識している点で、共通していると考えられます。
大戦時にも、社会主義者は階級闘争がネーションを超えると思っていましたが、結局、階級の絆よりもネーションの絆のほうが強く、ネーションのほうが階級を超えてしまいました。  
そういう意味で、ネーションには階級闘争を緩和する効果があるといえる。だからこそ、ハゾニーやリンドがいうように、多数のネーションが併存・共存する世界を目指すべきであり、グローバリズムによるネーションの境界の取り払いは望ましくないと思うのです。
 中野:最後に、アメリカの保守の政治思想を研究されている井上先生に全体的な総括をいただけますか。  
井上:はい。みなさんがおっしゃるように、アメリカの多元主義は、ドーピングをした多元主義だったと思います。やはり、抜きがたくホワイトネスによってつなぎ留められていた。それ以外のエスニシティは、巧妙に周辺化されていたというのが正直なところです。  もちろんどこまでを白人に含めるのかについて、長い葛藤の歴史がアメリカではありました。アイルランド系も長らく苦労がありましたし、東欧系やイタリア系などもなおさらで。
 中野:俺たちは、入らないんだ(笑)。  
井上:そうしたアメリカですから、アイデンティティ・ポリティクスが出てくるのは、つねにある種必然です。ただ、マジョリティとマイノリティの関係は確かに重要ですけど、階級の問題が見えなくなってしまった。  
したがって、リンドがこの本で階級の問題を再び取り上げ、アメリカに限らず収拾がつかなくなっている現在の社会で、共通の土台を探すために階級的平和の活路を示唆しているのは意義あることだと思います。
大学教員やメディアが改めるべき態度  
私は先ほど中野さんがおっしゃっていた、個別具体的な問題解決に対して非常に共感を持っています。私の政治的本籍地はたぶん左なのかもしれませんけれども、SNSのなかだけで昔の啓蒙知識人のような発言をしている人がもしいたとしたら、それはとんだお門違いだろうと思います。  
右であれ左であれ、個々の問題や課題のなかですり合わせをしていく必要を感じます。特に大学教員とメディアは、いまだに戦後の時代に縛られて、知識人然として人々を先導するというスタイルをとってやしないか、ということなんだと思います。
 だから、大学生が民主主義は嫌いか、好きじゃないか以前に、面と向かっては言わなくても大学の先生に対して冷ややかな気持ちをもっているかもしれない。あるいは、メディアが「マスゴミ」だと言われるのかもしれない。  
われわれは抜きがたくニュークラスであって、その階級意識をきちんと自覚していく必要があると思います。015.JPG

 民主主義が機能するためには、多様な集団が意見を主張し合う多元主義が必要で、そのためには中間団体の再生こそが不可欠だというのがリンドの主張です。中間団体とは、国家と個人との中間に存在するさまざまな共同体のことで、地域のコミュニティや労働組合、農協や漁協などの職業団体、教会などの宗教団体がそれに当たります。リベラルな社会、つまり自由で民主的な社会が成り立つためには、その条件として、自律的な中間団体が多様に存在することこそが必要だ、という主張は最近よく見られます。民主主義が衰退していると言われる時代ですが、民主主義な世界を維持するために何とかしなければならないでしょう。多様な集団が意見を主張し合う多元主義が必要であること問う共通認識がなければならないでしょう。自治的な地域共同体などの中間団体を再活性化する以外に、民主主義の未来はないと考えているようです。中間団体の再生によって、国家の専制的な権力に対する「拮抗力」を取り戻すべきだという考え方まったくその通りでしょう。多元主義というからには、さまざまな意見の対立はあっても、それを最終的には統合して、全体が機能するようになっていなければならない。まさにアメリカ建国のモットー「多をもって一となす」ですが、今や統合の枠組みが解体された結果、意見がちょっと違っただけでも、不倶戴天の敵だという話になりかねなくなっている。アメリカの現状を見ていると民主主義が危機に瀕しているように思われて仕方がありません。リベラルな民主的社会の基盤にはナショナルな文化やアイデンティティの共有が必要だというのは、リベラル・ナショナリズムと呼ばれる理論です。これは近年では、むしろカナダやオーストラリアの多文化主義者たちから支持されています。多元性を尊重すればするほど、それを1つのネーションを統合する共通文化の必要性が、よりいっそう切実になるわけです。それが自然に存在しないなら、教育を通じて人為的につくり出すしかないとまで彼らは考えています。利害や価値観が異なっても、同じ歴史と運命を共有する仲間なのだという同胞意識があってはじめて、対話したりお互いに譲り合ったりしながら利害を調整することが可能になります。そうでなければ、どうして見知らぬ他人のために俺がゆずらなきゃいけねーんだという話にしかならない。見知らぬ他人を我が同胞だと想像する、まさに「想像の共同体」としてのネーションが、リベラルな社会には必要不可欠なのです。対話したり、お互いに譲り合うことがなければ利害を調整することができないというのはよくわかります。民主主義国家アメリカというのであればそのような努力が求められるでしょう。右であれ左であれ、個々の問題や課題のなかですり合わせをしていく必要を感じます。特に大学教員とメディアは、いまだに戦後の時代に縛られて、知識人然として人々を先導するというスタイルをとってやしないか、ということなんだと思います。だから、大学生が民主主義は嫌いか、好きじゃないか以前に、面と向かっては言わなくても大学の先生に対して冷ややかな気持ちをもっているかもしれない。あるいは、メディアが「マスゴミ」だと言われるのかもしれない。われわれは抜きがたくニュークラスであって、その階級意識をきちんと自覚していく必要があると思います。右であれ、左であれ話し合うこと、議論することですり合わせていくことが大事なのでしょう。固定観念にとらわれず考え方が違っても対話すること、対話、議論し合うことで共通認識を持つことでしょう。難しいことを言わずまったく違う考えの人でも直接顔を合わせて話し合うことができれば解決の糸口が見えてくるのではないでしょうか。013.JPG
高齢者の働き方をどう考えればいいのでしょうか[2023年07月29日(Sat)]
 文春オンライン2023年5月17日付け「日本の職場の3割以上が55歳の労働者…いまから考えておきたい“シニアの働き方”の“選択肢”とは」から、シニアは働くべきなのか
シニアの働き方思考法について検討する前に、そもそもシニアは働くべきなのか、という問いについて考えてみたい。結論を先取りすれば、もちろんシニアが働くことは義務ではない。本人の自由な意思のもと、こうありたいと思うサードエイジを過ごすことは当然だろう。  
以前『定年後』という書籍がベストセラーになった。定年後にいきいきと暮らすためにはどうするか、定年後の黄金の15年間をどう過ごすか、という点に焦点をあてた書籍である。定年を悠々自適に過ごすことは難しく、社会とつながりながら、何らかの活動をしたほうがいい。仕事、ボランティア、地域活動などのカテゴリーもあるが、それだけにこだわることなく、自らの興味、関心で幅広く考えていけばいい、ということが述べられている。また多様な人々との交流の大切さも指摘している。
活動理論と離脱理論の議論に類似している意見も
 この『定年後』の主張に対し、そうした定年後の姿を目指すべきではないという意見も表れた。定年後は輝かなければならない、充実した生活を送らなければならない、と圧力をかけられること自体が望ましくない。定年後など大げさに考える必要はない。むしろ何もしないほうが幸せではないのか。60年も生きたのなら強い自我のまま周囲に迷惑をかけるのではなく、身を修めて、本人が好きなようにすればいい。要約するとこうした反論である。  
筆者は、これは興味深い議論だと思う。なぜなら、活動理論と離脱理論の議論に類似していると考えるからだ。『定年後』の主張は活動理論にあてはまるだろう。定年後もなるべく活動を維持し社会とつながることで、充実した生活を目指そうとしているからだ。他方、『定年後』に対する反論は、離脱理論にあてはまるだろう。身を修めて、周囲や社会に余計な負担をかけないように離脱していい、何もしなくてもいいと主張するからだ。
シニアの自由な選択を可能とする国や社会のあり方を目指すべき
 これが活動理論と離脱理論の議論だと考えると、どちらが正しいということにはならないだろう。活動理論と離脱理論には、シニアの生き方に関する価値観や信念の側面もある。シニアはこう生きたほうがいい、という価値観や信念だ。その価値観や信念を社会全体に一律に主張されると押し付けになるが、個人がその価値観や信念に従って生きることは、誰からもとやかく言われる筋合いのことではない。各人が自由に選択すれば、それでいいだろう。
『定年後』についても、シニアは働くべきと主張はしていない。社会とつながりを持つことは望ましいが、それは仕事でもいいし、それにこだわらず自らの興味、関心で幅広く考えてもいいということだった。そして『定年後』への反論は、それすらも必要なく、何もしなくてもいいということだった。筆者もシニアが何をしたいかという選択は、個人が自由に行えばいいと考える。国や社会が、シニアはこれをすべきだと押し付けることは、個人の自由な選択を妨げる。むしろ、シニアの自由な選択を可能とする国や社会のあり方を目指すべきだろう。
シニアの定年後の実態
 シニアの自由な選択を前提としたうえで、その定年後の実態を考えてみたい。以下に『令和4年版高齢社会白書』のデータを参照してみたい。  
まず、経済的な暮らし向きについてであるが、65歳以上で心配がないと答えた者は合計で68.5%である。他方、心配であると答えたものは31.2%である。暮らし向きが心配である場合は、生計のために働かざるを得ない状況の人もいると考えられる。  
次に実際に働いている人の割合である。男性が就業している割合は、60〜64歳で82.7%、65〜69歳で60.4%、70〜74歳で41.1%である。女性の場合は、60〜64歳で60.6%、65〜69歳で40.9%、70〜74歳で25.1%である。60歳以降も就業の割合は高く、特に男性の場合が高くなっていることがわかる。また、何歳頃まで働きたいかという質問については、65歳くらいまでが25.6%、70歳くらいまでが21.7%、75歳くらいまでが11.9%、80歳くらいまでが4.8%、働けるうちはいつまでもが20.6%であり、60歳以降も就業を希望する割合も高いことがわかる。
収入のある仕事は生きがいにつながる
 前出の『令和2年版高齢社会白書』では、シニアの経済生活の特集を組み、働き方の実態をより詳細に分析している。60歳以上の男女の収入のある仕事をしている人で、仕事をしている理由は、「収入がほしいから」(45.4%)、「働くのは体によいから、老化を防ぐから」(23.5%)、「仕事そのものが面白いから、自分の知識.能力を生かせるから」(21.9%)、「仕事を通じて友人や仲間を得ることができるから」(4.4%)である。つまり、収入を得る目的は一番比率が高いものの半分以下であり、それ以外は仕事を通じて収入以外の何かを得ることを目的としている。  
さらに、60歳以上の男女で生きがいを感じている比率は全体で79.6%である。このうち、収入のある仕事をしている場合は85.0%、していない場合は76.4%となり、収入のある仕事をしている場合のほうが比率は高い。  
繰り返しになるが、シニアがどう生きるかについては、自由に選択できることは当然だ。ただし高齢社会白書のデータを要約してみると、次のようなことがいえる。シニアで働いている人の比率も、働き続けたいと希望する人の比率も高い。またシニアが働く理由は収入を得る目的が多いものの、それだけではなく多様化している。くわえて、収入のある仕事をしているシニアのほうが、生きがいを感じている比率が高い。データからいえることは、シニアにとって収入のある仕事に従事することは、それを希望する者も多く、収入や生きがいにつながるという点で、重要な選択肢に数えてもいいことだ。
シニアの仕事の内容における選択肢の前提を見直す
 シニアにとって、仕事に従事することを選択肢にくわえることまでは誰にも異論はないだろう。では、その仕事の中には、どんな選択肢があるのだろうか。従来、定年後の仕事の主な選択肢は3種類だと考えられていたと思われる。第1が今の組織での現職継続、第2が転職、第3が起業である。しかし筆者はこの3種類の分け方は従来の考え方の延長線であって、柔軟性を欠いていると考える。なぜそう考えるのかについて、以降説明したい。
『ほんとうの定年後』という書籍がベストセラーになっている。定年後の仕事の実態をデータに基づき、つまびらかにした内容だ。定年後の実態を一言でいえば、「小さな仕事」が中心であり、それで暮らしも成り立つし、幸福感を得ることもできるという。それはなぜか。まず総務省の家計調査を分析し、世帯の支出と収入の差を分析し、年金等による収入を計算してみると、月に稼がなければならない額は10万円程度になるという。また60代の管理職の比率は少なく、現場の仕事をしている人が多い。しかし仕事の負荷は下がり、ストレスから解放される。このように定年後を総体で捉えると、労働時間は短いが収入も少ないという小さな仕事に従事する人が増える。ところが、定年前より仕事への満足度、幸福感は上昇するのだという。それゆえ、仕事とは競争に勝つこと、高度な専門性を追求することという価値観を、小さな仕事で無理なく働くものへと変えることが重要だという。
小さな仕事であれば柔軟な就業形態が可能
 この『ほんとうの定年後』の主張に対して、読者の反応として多かったものは、ほっとした、安心した、ということのようだ。人生100年時代、長寿化という社会の流れの中で、メディアをはじめとして、とかく定年後の危機感を煽る言説が多い。しかし実態をデータで正確に把握でき、そのうえで小さな仕事で暮らしは大丈夫と告げてもらえると安心できるのだろう。また定年後に仕事への満足度や幸福感が上昇するというデータは、第2章の幸福感のU字型カーブと同じ現象を述べている。小さな仕事で幸福感が得られることに希望を見出して安心できるのかもしれない。  
定年後の仕事のあり方が小さな仕事でも大丈夫となれば、現職継続、転職、起業という3種類の選択肢が多様化する。そもそも現職継続、転職、起業という選択肢を考えた時に、無意識のうちに週5日間で、午前9時から午後5時まで働くようなフルタイムの就業を前提としていないだろうか。しかし小さな仕事であれば、時間や場所に縛られない柔軟な就業形態が可能であろう。そこで、本書ではフリーランスという第4の選択肢を付け加えたい。
「フリーランス」は多様性に富んでいる
 ここで読者には疑問が湧くだろう。起業とフリーランスは何が違うのか。そもそも、起業とフリーランスは、厳密には比較できるものではない。起業とは新しく事業を起こすという意味であって、就業形態を説明する概念ではない。それに対してフリーランスは就業形態のひとつである。この点を明らかにするために、以下の図表をご覧いただきたい。
 この図表では、筆者がアドバイザリーボードに所属しているプロフェッショナル&パラレルキャリア.フリーランス協会(以下、フリーランス協会)が作成したものを、抜粋して簡易的に示している。まず働き方、つまり就業形態は大きく労働者と事業者に二分される。左側の労働者とは、雇用による働き方である。いわゆる正社員、派遣社員、契約社員、パート.アルバイト等が該当する。現職継続、転職という2つの選択肢を検討する時は、その前提としては雇用による働き方が中心になるだろう。  
これに対し右側の事業者とは雇用によらない働き方を意味し、全般的にフリーランスという呼称にあてはまる。図表を見てわかるとおり、フリーランスと呼ばれる就業形態の中が多様性に富んでいることがわかる。起業とは何か事業を起こすことであるから、事業を起こした後にはこの図表の中では自営に分類されるだろう。つまり、起業をあえて分類するなら、フリーランスの種類のひとつということになる。
シニアの働き方にとって身近になるのは…
 ところがシニアにとって起業という言葉は、かなりハードルの高いものに感じられるのではないだろうか。すぐに思い浮かぶのは、高い専門性、優れたアイディア、豊富な資金、綿密な事業計画が必要だというイメージだろう。実際に成功するのは「身の丈起業」と呼ばれる資金などを最低限に抑えリスクをなるべく減らした起業だといわれるが、初めて起業するシニアが多いと思われるので、いずれにせよハードルが高く感じられてしまうだろう。  
他方、フリーランスの区分を眺めてみると、実はシニアにとってより身近な働き方が存在することがわかる。ちなみに偽装フリーランスは、本来は雇用として契約すべきところ業務委託契約を結んでいるものであり、是正すべき区分だ。常駐フリーはある特定の職場に常駐して働いているので、時間や場所の制約があり、労働者性も一部存在する。そうなるとシニアの働き方にとって身近になるのは、ギグワーカーと請負・委託の2区分なのだ。
定年前から副業フリーランスとして業務委託契約に慣れておく
 ギグワーカーというとウーバーイーツを思い浮かべる読者も多いだろう。しかしそれは、ギグワーカーのほんの一部にすぎない。シニアの働き方にふさわしいギグワーカーの種類は多様に存在するのだが、この点については後に詳しく述べる。そして請負.委託こそが、シニアの働き方にとっては現実的で身近な選択肢だと筆者は考える。  
請負.委託という言葉も、慣れていなければハードルが高く感じられてしまうかもしれない。しかし、要するにプロジェクト単位の仕事を業務委託契約で行うことにすぎない。副業についての詳細は後に述べるが、多くは請負・委託で行われることが多い。本業と同じく、副業の就業形態も雇用であると読者は思われるかもしれない。ところが副業の場合、プロジェクトベースであり、遂行すべき業務の詳細が明確であることが多いため、業務委託契約がふさわしいことが多いのだ。つまりシニアにとっては、定年前から副業を行い、副業フリーランスとして業務委託契約に慣れておけば、定年後の選択肢としてのハードルは下がるのではないだろうか。さらに請負・委託を中心にフリーランスを行う場合、必要な手続きは主に個人事業主になるための開業届ということになるが、一定の手続きさえ踏めば、届自体は難しいものではない。雇用によらない働き方の選択肢は起業しかないと考えるのではなく、フリーランス全体を視野に含めることは現実的な対応ではないだろうか。005.JPG

 定年を悠々自適に過ごすことは難しく、社会とつながりながら、何らかの活動をしたほうがいい。仕事、ボランティア、地域活動などのカテゴリーもあるが、それだけにこだわることなく、自らの興味、関心で幅広く考えていけばいい、ということが述べられている。また多様な人々との交流の大切さも指摘している。高齢者の老後は人それぞれで多様な生き方になるでしょうが、最近年金は減っていくし、物価は上がって生活するのが大変になってきて働かなければならないと考える人が増えているかもしれません。『定年後』についても、シニアは働くべきと主張はしていない。社会とつながりを持つことは望ましいが、それは仕事でもいいし、それにこだわらず自らの興味、関心で幅広く考えてもいいということだった。そして『定年後』への反論は、それすらも必要なく、何もしなくてもいいということだった。シニアが何をしたいかという選択は、個人が自由に行えばいいと考える。国や社会が、シニアはこれをすべきだと押し付けることは、個人の自由な選択を妨げる。むしろ、シニアの自由な選択を可能とする国や社会のあり方を目指すべきだろう。個人の選択で判断させることでしょうが、洗濯できるような社会になっているでしょうか。年金改革を進める立場から年金受給をしないで年金を収めてもらい働いてほしいということが本音なのでしょうか。人口減少、少子高齢化がどんどん進み将来の年金制度がどうなるかわからない日本では都合が良すぎるのではないでしょうか。定年後を総体で捉えると、労働時間は短いが収入も少ないという小さな仕事に従事する人が増える。ところが、定年前より仕事への満足度、幸福感は上昇するのだという。それゆえ、仕事とは競争に勝つこと、高度な専門性を追求することという価値観を、小さな仕事で無理なく働くものへと変えることが重要だという。働くという選択肢を選ぶ人にとっては、無理をしないで満足度、幸福感が高まることが望ましいですね。そのような働き方なら望んで働く人が増えるかもしれません。労働者不足に陥っていく可能性がある日本では高齢者も女性も働いてもらわないと経済を維持していくことができないかもしれませんが、負担のかかる働き方は継続できないでしょう。能力を十分に活用して無理をしないで働く続けることができるような環境が整っていれば高齢者でも女性でも働きたいと思う人が増えるのではないでしょうか。海外からの移住者も含めてそれこそ総合的に働く人が増える政策を進め経済的にも安定した社会を構築することが大事でしょう。RIMG0266.JPG
障害のある子どもたちも自由に遊び学べる場づくりを[2023年07月28日(Fri)]
 AERAdot.2023年5月17日付け「田原総一朗「共生社会の具現化。山形市が取り組む児童施設に大興奮」」から、ジャーナリストの田原総一朗さんは、山形市の児童遊戯施設に「ものすごく興奮した」という。
5月8日に山形市副市長の井上貴至氏と阪急交通社の室田伸一氏に案内されて山形市に行った。山形にインクルーシブを具現化した面白い施設がある、と見学を提案されたのである。  
インクルーシブとは包摂という意味で、性別や国籍の違い、障害の有無など、異なる特性を持つ人々が互いに認め合って、ともに生きることを指す。それを具現化するとはどういうことなのか。非常に興味があり、ぜひ行って見てみたいと思ったのである。  
そして、実際に見た施設「シェルターインクルーシブプレイス コパル」にものすごく興奮した。  
実は、山形市には雨天時や冬期間に子どもたちがのびのびと遊べる施設が少なく、子育て中の保護者たちから、乳幼児や小学生までの子どもとその保護者が安全にのびのびと遊べる屋内型の児童遊戯施設について多くの要望があった。  
こうした要望を受けて、市内北部の樋越に児童遊戯施設「べにっこひろば」がつくられた。当初の計画では年間18万人の利用者を想定していたが、2014年12月のオープンから1年間で来場者は30万人を超え、現在でも年間に25万人以上が来場しているという。  
だが、休日を中心に非常に混雑するので、さらに市南部に新たな施設をつくることになった。それが「シェルターインクルーシブプレイス コパル」である。  
建築物すべてが公園を思わせるつくりになっていて、障害の有無に関わらず、誰もが一緒に遊べるように、車椅子でも滑れる幅広のスロープや、触覚を頼りに進むトンネルなど、それぞれの特性を生かして遊ぶことができる。また、様々な発見がある野山での遊びのように、段差や坂、洞窟など、わくわくするような気持ちが自然に生まれる、多様な遊びを触発する空間となっている。  
そうした仕掛けが屋外から建物の中まで自然とつながることで、すべての場所が公園のような、遊びと学びの場になるのだという。
言ってみれば、ふらりと公園を訪れるように、日常的に誰もが気軽に来られる、明るく開かれた場所なのである。  
さらに、にぎやかなだけではなく、不安なときや誰かと相談したいときにも訪れたくなる、静かでゆったり過ごせる場所にしたいとも強調しているようだ。  
私はこれまでにも、インクルーシブという言葉は何度か目にしたことがあり、その意味もわかっているつもりでいた。だが、インクルーシブを具現化した施設を実際に見たのは初めてであった。  
いろんな障害のある子どもたちも自由にのびのびと遊び、あるいは学べる場。まさに見事にインクルーシブが具現化されていて、私は心底感動した。いつまでもこの場にいたいという気持ちが強く芽生え、去るのがつらかったほどである。  
その後、私は山形市長の佐藤孝弘氏と会って、いろいろ尋ねた。佐藤市長は47歳の若さで、しかも2期8年目だという。どうすれば25万人の山形市民が前向きで張りのある生活を送れるのか。それを実現するために奮闘し、それこそ張りのある毎日を送る佐藤市長の話は、私までいや応なく前向きにし、気持ちに張りを持たせてくれた。ともかく、とても印象的な一日であったのである。IMG_0840.JPG

 インクルーシブとは包摂という意味で、性別や国籍の違い、障害の有無など、異なる特性を持つ人々が互いに認め合って、ともに生きることを指す。日本ではまだ浸透しているとは言えないのではないでしょうか。山形市には雨天時や冬期間に子どもたちがのびのびと遊べる施設が少なく、子育て中の保護者たちから、乳幼児や小学生までの子どもとその保護者が安全にのびのびと遊べる屋内型の児童遊戯施設について多くの要望があった。こうした要望を受けて、市内北部の樋越に児童遊戯施設「べにっこひろば」がつくられた。当初の計画では年間18万人の利用者を想定していたが、2014年12月のオープンから1年間で来場者は30万人を超え、現在でも年間に25万人以上が来場しているという。だが、休日を中心に非常に混雑するので、さらに市南部に新たな施設をつくることになった。それが「シェルターインクルーシブプレイス コパル」である。建築物すべてが公園を思わせるつくりになっていて、障害の有無に関わらず、誰もが一緒に遊べるように、車椅子でも滑れる幅広のスロープや、触覚を頼りに進むトンネルなど、それぞれの特性を生かして遊ぶことができる。また、様々な発見がある野山での遊びのように、段差や坂、洞窟など、わくわくするような気持ちが自然に生まれる、多様な遊びを触発する空間となっている。そうした仕掛けが屋外から建物の中まで自然とつながることで、すべての場所が公園のような、遊びと学びの場になるのだという。言ってみれば、ふらりと公園を訪れるように、日常的に誰もが気軽に来られる、明るく開かれた場所なのである。何がどんな人たちに必要なのかということを自治体として真剣に考え要望に応え実現しているプロセスも素晴らしいですね。首長は選挙のことばかり考えて八方美人のように政策を行うことが多いかもしれませんが、本当に何が必要なのかということを考えて実現する手腕が大事なのでしょう。首長の考え方、実行力次第で住民が住み易い地域になるとすれば、そのような首長を住民は選ぶようにする方がいいでしょう。007.JPG
挑戦することに意味があり、社会を変える力になるかもしれない[2023年07月27日(Thu)]
 高校生新聞2023年5月14日付け「15歳で起業、いきなり売上3000万 「子どもの笑顔を」利益の1割は寄付」から、大阪の府立高校に通う高校3年の想空(そそら)さんは、15歳のときに「株式会社SOS」を起業。子どものおもちゃなどに広告を掲載するビジネスを展開している。「子どもたちの笑顔をつくりたい」。その真摯(しんし)な思いは多くの人の共感を呼び、1年目から約3000万円の売り上げを達成した。起業から3年目を迎えた想空さんに、これまでの歩みと今後の目標を話してもらった。
「子どもの声が届いてない」もどかしさ募り
起業したきっかけを教えてください。
私が10歳の時、フェイスブックのマーク・ザッカーバーグCEOが娘さんの誕生とともに、子どものための慈善団体へ多額の寄付を行うというニュースをみて、「私もいつか子どものためになることをやりたい!」と強く思ったんです。それが再び沸き起こったのが中学3年の進路面談で、自分がやりたいことは何かを真剣に考えたときでした。「10歳から抱いていた夢をかなえるためには起業しかない」と決断しました。
なぜ「子どものため」だったのでしょうか。
一人の中学生として、「子どもの声が大人に届いてない」ともどかしく感じることが多くありました。例えば、経済的な事情や体調の問題で十分に勉強ができない子に対して、「成績が悪い」としかる、禁止する必要がないことなのに校則で縛る、もめ事が起きても当事者全員から話を聞かずに正しいかどうかを判断する、など。高校生になった今、TikTokやメールを通じてみなさんからの相談を受けていますが、私と同じように感じている子は多いと思います。 私自身が5人きょうだいの長女なので、自然と子どもに目が向くというのもあるかも知れません。末の弟は年少で歳は離れていますが、きょうだいみんな仲良しなんですよ。
両親に「やるから!」起業の決意表明
起業するにあたり、どなたに相談されましたか。 両親に、相談というよりも「やるから!」と決意表明をしたので(笑)、「やるなら頑張ってね」と応援してくれました。ただし、本名の「想空」は公表しても良いけど、名字は成人まで伏せることを約束。中学3年の11月に起業したので、高校は、社長業を伸び伸び続けられる校風の学校を受験しました。
改めて、「株式会社SOS」はどのような会社ですか。
「すべてのコドモのために」をコンセプトに、「使用型配布広告」をしています。子どもが普段使う文房具やおもちゃに、取引先様のロゴ、QRコード、社名、URLなどを印字。テレビなどのメディアよりも、長い時間、子どもや保護者の目に触れるので、継続的な宣伝効果が期待できます。
子どもが使うものであればどんなアイテムでも構いません。幼稚園や保育園、児童施設など、子どもがいる場所ならどこにでも無償で送らせていただきます。
1年目で3000万売り上げ達成
どうやって売り上げを生み出しているのでしょうか。
SNSやホームページを通じて弊社を知ってくださった方からメールをいただき、共感してくださった取引先様とやりとりが始まります。配布物100個から受け付けており、「何を、どこに、どのくらい配布するか」によって売り上げが決まります。1年目から約3000万の売上を達成したときは驚きましたが、私の思いを一生懸命伝えてきただけなので、「これをやったから」ということはありません。
取引先のみなさんが本当に良い方ばかりで、人に恵まれていると思います。最初の2年でビジネスモデルを作りたいと思っていたので、それは順調に進んでいますね。利益の1割は児童養護施設などに寄付させていただいています。
今年で3年目を迎えますね。
おかげさまで、多くの取引先様とのつながりができました。3年目を迎え、新たな取り組みも始めています。2023年2月には、茨木市でSDGsをテーマにした越前和紙のワークショップを実施しました。ヘリコプターの乗車体験などの「体験型広告」にも力を入れ始めています。
大変だったことはありますか?
起業後すぐに大学生に混ざって起業のプレゼンテーションをしたときは、まだ中学3年だったので本当に緊張しました。起業当初は敬語の使い方やメールの文面でビジネスマナーが足りないと注意されることもありましたが、その都度教わりながら正しいやり方を身につけていきました。
完全無料の小売店を作りたい
学生生活と社長業はどのように両立していますか?
平日は学校生活、社長業は土日祝日と分けています。取引先様も理解してくださるのでありがたいです。平日は軽音楽部で部活動もやっていますし、友だちとプリクラを取ったり、ボーリングに行ったりもしています。普通の高校生です。
やりがいを教えてください。
「想空さんに話を聞いてもらえてよかった」と言ってもらえることや、子どもや保護者が笑顔になってくれることです。それが私にとっての何よりのやりがいです。
高校3年生ですね。大学進学など、進路についてはいかがですか。
会社を続けていくのは変わらないので、それも含めて、これから、具体的な進路を考えたいと思います。
社長として、夢を教えてください。
完全無料の小売店を作ることです。
読者に向けてメッセージをお願いします。
みなさんも、やりたいことがあったら、ぜひ、挑戦してみてください。そして、もし、悩んでいることがあれば、info★sos.jpn.com(★を@に変える)まで何でもメールをください。私でよければ相談に乗らせていただきます。IMG_0859.JPG

 大阪の府立高校に通う高校3年の想空(そそら)さんは、15歳のときに「株式会社SOS」を起業。子どものおもちゃなどに広告を掲載するビジネスを展開している。「子どもたちの笑顔をつくりたい」。その真摯(しんし)な思いは多くの人の共感を呼び、1年目から約3000万円の売り上げを達成した。起業から3年目を迎えた。自分の信念というか想いに多くの人たちの共感を得ているのですね。「私もいつか子どものためになることをやりたい!」と強く思ったんです。それが再び沸き起こったのが中学3年の進路面談で、自分がやりたいことは何かを真剣に考えたときでした。「10歳から抱いていた夢をかなえるためには起業しかない」と決断しました。起業することへの壁を意識しないで夢をかなえるために起業したのですね。SNSやホームページを通じて弊社を知ってくださった方からメールをいただき、共感してくださった取引先様とやりとりが始まります。配布物100個から受け付けており、「何を、どこに、どのくらい配布するか」によって売り上げが決まります。1年目から約3000万の売上を達成したときは驚きましたが、私の思いを一生懸命伝えてきただけなので、「これをやったから」ということはありません。1年目の売上が3,000万円というのは凄いですね。起業後すぐに大学生に混ざって起業のプレゼンテーションをしたときは、まだ中学3年だったので本当に緊張しました。起業当初は敬語の使い方やメールの文面でビジネスマナーが足りないと注意されることもありましたが、その都度教わりながら正しいやり方を身につけていきました。柔軟に学ぶ姿勢があるからこそ成功につながるのでしょう。子どもや保護者が笑顔になってくれることです。それが私にとっての何よりのやりがいです。 完全無料の小売店を作ることです。完全無料の小売店を実現させることができれば社会を何らかの形で変える力になるかもしれません。中高生でも強い想いがあれば起業して社会を変えることができるのではないでしょうか。IMG_0842.JPG
内部分裂状態と感じてしまうのではないか[2023年07月26日(Wed)]
 FLASH2023年5月15日付け「蓮舫議員が泉代表に「弁明はどうなの」と吊し上げ…立憲民主党にもはや「学級崩壊レベル」との声」から、《なぜ同じ党の仲間であり、幹部経験者でもあるのに、こんな投稿をツイッターでされるのですか?やめませんか》
この “訴え” は、立憲民主党の泉健太代表が、5月13日、同党の蓮舫議員に宛ててツイートしたもの。この投稿は同日中に削除されているが、改めて立憲が “内紛” 状態にあることが明らかになった――。  
発端は、5月12日、泉代表が記者会見で、次の衆院選挙で獲得議席が150を下回った場合、責任を取り、代表を辞任するとの考えを示したこと。  
泉代表は同日、《出來なかったら辞任。という発想ではなく、立憲民主党の議席を伸ばすという決意と覚悟を示しました。》と軌道修正とも思われるツイートをしたが、これに噛みついたのが蓮舫氏だ。
《その場に伝わったとは思えないですが、こういう弁明はどうなのか。》と苦言を呈すと、泉代表は《弁明? 弁明などしていません》と反論。冒頭のツイートへと続く。
「もう十分に発信したとして泉代表は当該ツイートを削除しましたが、蓮舫さんのツイートは残ったまま。蓮舫さんは今年に入って、泉代表への批判を強めています。  
1月には講演で『泉代表の発信力がダメなのではないか。経験が浅く、知名度がない人をトップに立てると、まっとうな政策を言っても国民に届かない』と話しています。  
4月には、衆参5補選全敗について、『悔しさがまったく見えない。いちばん変えなければいけないのは、代表の認識じゃないですか』と両院議員懇談会で泉代表に強く迫りました。  まるで吊し上げのような事態になっていますが、この対立は衆院選まで続きそうな気配です」(政治担当記者)  
いっぽうで、SNSではこんな指摘も。
《解散風の暴風雨の中で、必死でサバイバルを考える泉健太に、解散のない参議員議員が足を引っ張りまくる。挙句の果てに内ゲバをツイッターで仕掛けて来る蓮舫、どうしようもないなぁ》 「確かに立憲の参院議員には、このところ “後ろ向き” な報道が続いています。  たとえば、小西洋之議員は、衆院憲法審のことを『サルのやること』などと発言し、更迭されました。小西議員が務めていた野党筆頭幹事の後任となった杉尾秀哉議員は、高市早苗経済安保担当大臣に『私が信用できない、答弁が信用できないんだったら、もう質問なさらないでください』と切り返され、言葉を失う場面がありました。  
石垣のりこ議員は、《公文書を疎かにすることは民主主義を毀損するのと同じこと。主権者たる人民を蔑ろにする行為に対して、怒って然るべしです》と5月2日にツイート。“人民” という表現に違和感を覚える声が殺到し、炎上する事態となりました」  
蓮舫氏と泉代表のやり取りも、Twitter上で展開されることに《学級崩壊」レベルの立憲民主党》などと苦言を呈する声が多くみられる。選挙を前に、結束することはできるのだろうか。002.JPG

 同じ政党内でも考え方の相違があることは仕方ないでしょう。しかし、冷静になって議論して結論を得る努力をすべきでしょう。SNSを使って強い論調で相手を問い詰めるのはどうでしょうか。国民の中には強い口調で追及することを好ましく思っていないかもしれません。立憲民主党の議員は上から目線で追及することが多いかもしれません。不正や疑惑などを追及するのは問題ないと思いますが、テレビも放送する目立つ予算委員会で行うのではなく、正々堂々と特別委員会で追及することがいいでしょう。実際は自民党が反対するので特別委員会を開催されない状況なのでそれをどのようにすれば開催できるか知恵を出すべきでしょう。同じ政党内で反発し続けて分裂状態になっているように思われれば国民は立憲民主党を支持しようと考えるでしょうか。主張は主張として正々堂々と議論し合うべきですが、一致団結して勢力を拡大しようと頑張っている党所属の議員はどう思うのでしょうか。女性や若い人たちが支持してくれるような政党にならなければ、日本維新の会の勢いに押されて議席を失って厳しい状況が訪れるのではないでしょうか。地道に地方の支持者を増やして地方自治体の首長、議員を増やす努力をしなければ存在感を失ってしまう可能性があるかもしれません。議員は危機感を持っているのでしょうか。厳しい状況で正念場を迎えているかもしれません。001.JPG
日本維新の会は一気に政権を取るようになるのか[2023年07月25日(Tue)]
 カンテレ2023年5月14日付け「「維新一強」の行方 背景に大阪自民の衰退 「民主党政権ができた時と似ている」と大物議員維新vs反維新の構図では勝てない」と政治学者自民大阪府連の解体論も」から、【大阪維新の会 吉村洋文代表】(5月9日の会見)
「大阪府、大阪市一体で成長戦略を実行する。府民の皆様と約束したことを必ず実行していく」 4月に行われた統一地方選挙。維新は、創設以来党の顔でありかじ取り役だった橋下さんに続き、松井さんが引退。しかし、大阪市議会で初めて過半数を獲得するなどこれまでにない圧倒的な強さを見せつけました。
つまり、裏を返せばそこには敗者の存在も…
【自民党・原田亮前大阪府議団幹事長】 「全然支持されてないし(自民党大阪府連を)解体するしかないって思っている議員は、たくさんいらっしゃると思います」
大阪で大敗した自民党では、大阪府連の「解体論」も浮上!?
【関西学院大学法学部 善教将大教授】 「維新VS反維新みたいな対立軸だと勝てないんですよ、絶対。絶対勝てない」
維新一強となった大阪。その先にあるものとは…
統一地方選で維新圧勝 議会でも過半数獲得 自民は完敗
4月行われた統一地方選挙で、維新は、大阪府知事と市長の「ダブル選」に加え、奈良県知事選や衆議院和歌山1区の補欠選挙でも勝利。さらに…
【維新大阪府議団 久谷眞敬代表(当時)】(4月25日) 「55名の大所帯となった。維新のパワーがあって当選された」 大阪府議会では、改選前から10議席増やし、79議席のうち55議席を獲得。
【大阪維新の会 吉村洋文代表】(2022年12月20日全体会議) 「政策を実現する上でも過半数を目指すのは、当たり前だと思っています」 吉村代表が進退をかけて挑んだ大阪市議会選挙でも、定数3から6の選挙区では、2人から3人の当選者を出し81議席中46議席と、過半数を獲得しました。
その裏で大敗したのが、大阪の自民党です。大阪府連が自主支援した大阪府知事選と大阪市長選の候補者が大差で落選したほか、府議会で9議席、市議会で3議席を失い、大阪府連・大阪府議団そして、大阪市議団の3人の幹事長も落選しました。
中でも、府議団の幹事長だった原田亮さんは、維新が掲げる「都構想」に賛成したり、議員特権を廃止する条例改正案を提出したりするなど、維新と是々非々で議論してきた若手エースです。
戦う相手は“維新ブランド”と“吉村人気” 大阪自民は成す術なし
原田さんは、3期目を目指して、箕面市・豊能郡選挙区から大阪府議選に挑みましたが、自民への逆風は想像以上でした。
【自民党・原田亮前大阪府議団幹事長】 「『維新は改革してきたやんか。大阪自民党なんかあかんぞ』みたいなことは本当によく言われます。大阪の自民党も人気ないし、維新の人気はすごくあって、吉村知事の人気もすごくある」
戦う相手は候補者本人ではなく、「維新のブランド」と「吉村人気」でした。吉村代表が応援に行けば、維新は無名の新人の候補であっても地域を問わず多くの人が演説に耳を傾けました。
【有権者たち】 「維新の人気?そりゃあ吉村さんの人気でしょ。吉村さん見に来ているんちゃいますか」 「コロナ問題の吉村さんの対応、全国にアピールする。ああいうのが上手いこといったんちゃうかな。だからカジノとかなんやかんや反対していても(維新に)やっぱり入れるでしょ」
強烈な「維新の風」を前に、原田さんはSNSでも「政党ではなく人で選んでほしい」と訴えました。しかし、維新の新人候補に113票の僅差で涙を飲みました。
「地域の声を議会に届けたい」という思いから、これまでに受けた相談は1800件。落選しても、住民が市ともめていた桜並木の伐採現場に足を運びました。
【箕面市民】 「ここの桜通りは昔から非常にきれいで、箕面で一番景観いい桜並木。一部残っていますけどね、破壊されてしまった」
【自民党・原田亮前大阪府議団幹事長】 「説明会、本当に開催してほしいということを相談受けて、私からも何度も言ったものの…」
【箕面市民】 (--Q:原田さんは地元の声を聞く議員という認識がある?) 「はい、そうです。今の市議会議員はほとんど聞いてくれない」
永田町や菅元首相も危機感あらわ 民主党政権交代時の前夜に似ている
維新は、今回の選挙で全国に469人いた地方議員を、600人以上に増やす目標を掲げていましたが、蓋を開けてみれば775人に。次の衆院選では、野党第一党を目指します。 「維新の風」は、永田町でも脅威となり始め…
【伊吹文明元衆議院議長】 「『身を切る改革』『教育無償化』『私、維新です』と言う人が日常活動を何もしていなくても次々当選した。我々が政権を失ったとき、民主党の鳩山政権ができたときの前夜と非常によく似ていましたね」
伊吹文明元衆議院議長は、維新に対する有権者の期待の高まりを、2009年に政権交代した時の民主党への期待に重ね合わせました。
そして、いち早く維新の存在を危惧していたのが、奇しくも、その民主党政権で2010年に首相を務めたこの人でした…
【立憲民主党大阪特命担当 菅直人元首相】 「カジノは失敗することが見え見えでもやる。維新が野党第一党になったら歯止めは効かないんですよ」
2年前の衆院選、大阪の選挙区で立憲民主党が全敗したことを受け、2022年の参院選で「大阪特命担当」として維新の本拠地に乗り込んだ菅直人元首相。
菅さんは、統合型リゾート=IRや、維新が議論の開始を訴える「核共有」などに異を唱え、自ら冊子まで発行。
今回の統一地方選でも立憲民主党の候補者の応援に駆け付け、「維新一強」の大阪の政治体制を批判。しかし、立憲民主党の府議会での議席はわずか2議席。市議会にいたっては0です。大阪の状態が国政にも波及することに危機感をあらわにします。
【立憲民主党大阪特命担当 菅直人元首相】 「(議会の)議席数に占める維新の割合を、5割6割7割としたら、今、現実そうなっているが、事実上議会が完全に維新の知事や市長の言うがままですから、議会が議会として機能してない。機能してないことを良しとしているのが維新なんです。維新という政党がそういう非常に特殊なやり方をしているのに対し、実は立憲民主党だけじゃく、自民党も戦っていない。もし維新が国会でも同じような行動がとれるになったら日本という国は独裁国家ですよ」
維新一強の背景に“大阪自民の衰退” 府連が党本部と連携し立て直しを
有権者の政治に対する考え方や行動について研究している関西学院大学の善教将大教授は、大阪での自民党の衰退が、維新一強を生み出していると分析します。
【関西学院大学法学部 善教将大教授】 「一番ダメなのが対抗勢力っていうのが消失してしまっている状態。何かしらの問題が維新の側に生じたときに、その人たち(対抗勢力)にすぐ票が移動したり勢力がひっくりかえったりする。これであれば問題がないんですよ。交代するので。これが非常に起きづらい状態になっているっていうのがむしろ根本的な問題であって、要は維新が何か問題を起こしても交代する不確実性っていうのが極端に低いので好き勝手する。自民党の足腰が弱っているからこそ問題なんです」
4月、統一地方選での大敗を受け、自民党大阪府連の宗清会長ら幹部は府連の立て直しに向けた協力を党本部に依頼しました。
【自民党大阪府連 宗清皇一会長】 「有能でやる気のある人が今回議席を得ることができなかった。自力で今までのような形で再建をしていくっていうのは非常に難しい」
【自民党・世耕弘成参議院幹事長】 「まず府連を抜本的に立て直していく、刷新をしていく。そのことに関して党本部にも組織を作って府連と連携をしていく」
自民党本部は5月11日、大阪府連の再生に向け、茂木敏充幹事長や世耕弘成参議院幹事長、森山裕選対委員長らで構成する「大阪自民党刷新本部」を立ちあげました。
「刷新プロジェクト」を策定して大阪での党勢拡大を図ります。
本部長に就いた茂木幹事長は、次期衆院選のほか、4年後の統一地方選をにらんだ年単位での取り組みが必要との考えを示し、近く森山裕選対委員長とともに大阪を訪れ、支部長ら関係者の意見を聞きながら必要な対策を検討するとしています。
選挙で敗れた元議員からは…
【自民党・原田亮前大阪府議団幹事長】 「(大阪自民が)支持されてない結果が今回、如実に出て、この間(府連の)ガバナンス(内部統制)も効いてないのは明らかですから、リセットした方がいい。(府連は)解体するしかないって思っている方(議員)はたくさんいらっしゃると思います」
【自民党大阪府連 宗清皇一会長】 「『大阪府連変わらなあかんよ』と言うなら自分自身変わらないと。じゃあ、あなたはどのぐらい努力したんです、組織のために。誰が会長でも党本部と一体になってやっていく。それから誰がなっても支えないとね。どんなにすばらしい人がなっても支えないとだめですよ」 (--Q:今はそうなっていない?) 「なってないね、はっきり言うと」
今回の選挙で相当な痛手を負った大阪自民。党勢立て直しが急がれます。
こうした中、大阪市議会で過半数の議席を占め、単独で議案を通すことが可能となった維新。早速、5月18日開会の議会に議員定数を10前後削減する条例改正案を提出する方針です。
民意により、数の力を手に入れ「一強」となった維新。今、大阪自民に求められることは…
【関西学院大学法学部 善教将大教授】 「アカウンタビリティという言い方をするんですけども、市民に対して維新が応答しようとする責任を持つかどうかは、結局自民党が強いかどうかに一番依存するんです。維新以外の勢力が、維新に勝てないというのを彼ら(維新)がもし認識していたら、それはとんでもないことになりますよ。だからこそ、この状態を早く脱することが一番大事。
維新VS反維新みたいな対立軸だともう勝てないんですよ、絶対。批判するのはいいが、『あなたたち、大阪府市政を運営できるんですか』って言ったときに『それはよく分からんけど』と言うようなのはだめで、あれは『できます』と言わないといけないんですよ。それができて次に、維新に代わるより良いビジョンを示す。これが十分条件になってきます」
維新一強のカギを握る大阪自民の再生。維新に対抗する新たなビジョンを示すことができるのでしょうか。018.JPG

 自民党の政権が長々と続いていくよりは、変化が伴う政権交代が可能な政治を国民は望んでいるでしょう。国民が納得できるような政策を推進できる政党であれば政権が変わっても大丈夫でしょう。「全然支持されてないし(自民党大阪府連を)解体するしかないって思っている議員は、たくさんいらっしゃると思います」大阪で大敗した自民党では、大阪府連の「解体論」が出てくるのも仕方ないでしょう。ただし、「維新VS反維新みたいな対立軸だと勝てないんですよ、絶対。絶対勝てない」というのもわかるような気がします。「政策を実現する上でも過半数を目指すのは、当たり前だと思っています」 大阪市議会選挙でも、定数3から6の選挙区では、2人から3人の当選者を出し81議席中46議席と、過半数を獲得しました。政策を実現するためにはそれだけの議員数が必要になり、それを獲得するために一生懸命努力するのも当たり前でしょう。「『維新は改革してきたやんか。大阪自民党なんかあかんぞ』みたいなことは本当によく言われます。大阪の自民党も人気ないし、維新の人気はすごくあって、吉村知事の人気もすごくある」戦う相手は候補者本人ではなく、「維新のブランド」と「吉村人気」でした。吉村代表が応援に行けば、維新は無名の新人の候補であっても地域を問わず多くの人が演説に耳を傾けました。政権を握る政党には多くの人たちから支持を得るリーダーが生まれるのでしょう。維新は、今回の選挙で全国に469人いた地方議員を、600人以上に増やす目標を掲げていましたが、蓋を開けてみれば775人に。次の衆院選では、野党第一党を目指します。「維新の風」は、永田町でも脅威となり始めているでしょう。一時的な現象として片付けることができない状況になっているのではないでしょうか。民意により、数の力を手に入れ「一強」となった維新。今、大阪自民に求められることは、「アカウンタビリティという言い方をするんですけども、市民に対して維新が応答しようとする責任を持つかどうかは、結局自民党が強いかどうかに一番依存するんです。維新以外の勢力が、維新に勝てないというのを彼ら(維新)がもし認識していたら、それはとんでもないことになりますよ。だからこそ、この状態を早く脱することが一番大事。維新VS反維新みたいな対立軸だともう勝てないんですよ、絶対。批判するのはいいが、『あなたたち、大阪府市政を運営できるんですか』って言ったときに『それはよく分からんけど』と言うようなのはだめで、あれは『できます』と言わないといけないんですよ。それができて次に、維新に代わるより良いビジョンを示す。これが十分条件になってきます」維新一強のカギを握る大阪自民の再生。維新に対抗する新たなビジョンを示すことができるのでしょうか。住民が共感できるようなビジョン、政策を示して実現できれば理解と支持を得ることができるようになるかもしれませんが、不正、市政とも過半数を得ている政党が勝っていることは間違いないでしょう。このような勢いが広まっていく可能性は否定できないでしょう。政権交代が起きるかどうかはわかりませんが、国民は政権交代が可能な政治を望んでいるでしょう。維新以外の野党は国民のために政策を実現できるようになるためには日本維新の会のように地方自治体の首長、過半数の議員を握って勢力を拡大しようと努力しなければ、埋没してしまう可能性があるのではないでしょうか。002.JPG
子どもたちが知りたいことは何でも知ることができるようにすべきでは[2023年07月24日(Mon)]
 文春オンライン2023年5月13日付け「「勉強したい!」15基もの原発が稼働する「原発立地県」福井の元不登校女子高生が「原発ゴミ問題」に目覚めた理由」から、3月13日からの3日間、東京・駒場にある東京大学駒場キャンパスでは「日本原子力学会」の春の年会が開催されていた。「原子力発電部会」「核融合工学部会」「バックエンド部会」など各部会での発表や議論の場が持たれた。原子力に係る研究者や官僚、企業などが一堂に会する場でもあった。
 今年の年会で目を引いたのが福井県にある私立・福井南高校の生徒らによる発表だった。そもそも、原子力の専門家らが集うこの場で高校生が発表の場を持つのも初めてでは無いにしろ、異例のことでもあった。 
10代の少女が原子力発電所に向かい合うことになったきっかけ
 13日の福井南高校の生徒らの発表「『福井県 高校生の原子力に関する意識調査2022』から見えてくるもの」に先だち、「日本原子力学会」の「環境・社会部会」は高校生らの功績を讃え「奨励賞」を授与していた。  
この日、福井南高校の教員であり、生徒たちと“社会”とを結び続けている浅井佑記範に引率されて2年生の森夕乃、卒業式を終えたばかりの今泉友里が駒場キャンパスにやってきていた。  
今泉は日本で最多の原子力発電所を抱える“原発県”である福井に生まれながら、原発を意識したことはなかった。電力、エネルギー、原子力――スマホの向こう側にある問題を考えたことがないのは10代の少女であれば当然だろうか。だが、今泉はある映画をきっかけとして原子力発電所という存在に向かい合うことになる。
映画でも取り上げられていた『地層処分』に関心を持つ
 転機が訪れたのは2020年11月、今泉が1年生の時だった。当時、写真部に所属していた今泉は、顧問の浅井に連れられて鯖江市に行った。東京の高校生たちが制作したドキュメンタリー映画『日本一大きいやかんの話』を観るためだった。  
高校生の目線から考える原発という意味では出色の映画だった。制作した高校生らは「原発の賛成派と反対派との橋渡しをしたい。一人でも多くの人にこの問題について知ってもらいたい、考えてもらいたい、話し合うベースを作りたい」という目標を掲げていた。彼らは原子力科学者、東京電力、また原子力に積極的なフランス政府の関係者などへのインタビューを重ねていく。自問自答しながら、証言を積み上げ、原子力問題とはなにか、本質的な問題はどこにあるのかを問う姿勢は国内外から称賛され、高く評価された映画だった。  
映画を観終わった今泉が職員室に浅井を訪ねたのはその翌週のことだった。
 「私もみんなと考えたい」 
『日本一大きいやかんの話』との出会いは今泉にとって大きなショックだった。福井という原発立地県に住んでいる自分は原子力は難しいものと決めつけ、これまで考えることすらしてこなかった。  
それなのに原発から遠く離れた地に住む東京の、自分と同じ高校生たちがあれほどまでに原発について考え、行動し、向かい合い、その過程を映画にまで昇華した姿勢に感銘を受けた。とりわけ映画の中でも取り上げられていた「地層処分」に今泉の関心は向いた。
「地層処分の勉強会をぜひやりたい」今泉の思いに応えた浅井
 地層処分――。原発で使われた「使用済み核燃料」、つまり原発から出される“ゴミ”は、高レベルの放射性物質を出す廃棄物のため特殊な方法で処理される。最終的に処理された“ゴミ”は地中深く埋設される。放射能が人体に影響がないレベルまで低下するのにはおよそ10万年かかるとされている。  
日本にはまだ「高レベル放射性廃棄物」の埋蔵を受け入れる自治体はない。現在は青森県六ケ所村にある「高レベル放射性廃棄物貯蔵管理センター」にあくまで一時的に管理を委託しているのが現状である。
「原発から“ゴミ”がでることさえも知らなかった」という今泉は、「地層処分の勉強会をぜひやりたい」と訴えた。今泉のこうした思いに応えたのが教員の浅井だった。  
今泉を始め、原発に向き合う福井南高校の生徒らの物語を紡ぐ時、高校の存在はもちろんだが、それ以上に生徒にとって大きな存在だったのが浅井である。浅井の存在無くして、生徒らの物語は存在しなかったとさえいえる。浅井のストーリーは、また別の項で詳細に記していきたい。
中学時代は不登校でまったく学校に行っていなかった今泉
 昭和37年に「福井きもの学院」として花嫁修業の場として開校された同校が「福井南高校」として生まれ変わったのは平成7年のことだった。全日制の高校としては、校庭が十分な広さを確保できなかったことなどから、定時制の高校としてスタートした。とはいえ、問題になったのは校庭の広さだけで、カリキュラムなどは一般の高校と変わることはなかった。  
ここ数年の同校に特徴的な取り組みが、中学時代に“不登校”だった生徒の受験、入学である。取り立ててそれを謳い文句にしたわけではなかったが、そうした生徒らが多く在校するのも福井南高校の特色でもある。卒業生のうち半数以上が就職する福井南高校では、生徒の自発性、思いの具現化を最優先するような校風が培われていた。
 今泉自身も「中学時代は1年生の冬から3年生になる直前までまったく学校に行っていなかった」という。中学3年生の時は、“特別授業”という他の生徒とは別の教室で1人だけでの授業を受け、卒業した。  
不登校の時は何をしていたのかを聞くと、「ほとんど外にでることもなくて、ずっと家の中にいました」とはにかむ。今の彼女には、かつて不登校だったとは信じられないほどの明るさがある。元気で、よく喋る。
入学当初は比較的おとなしい生徒だった
 高校進学を希望していた今泉が母とともに福井南高校のオープンキャンパスに訪れたのは中学3年生の冬だった。1学年が80名、1クラスは30名未満。学年すべての生徒の顔と名前を覚えることができる生徒数の少なさが今泉を安心させた。教師との距離感の近さも気に入った。また、自分と同じような不登校の生徒が少なくないことも福井南高校を選んだ理由でもあった。  
中学時代の不登校が嘘のように、今泉は高校へ通った。それでも、入学当初は周囲と気軽に打ち解けるようなタイプではなく、比較的おとなしい生徒だった。  
そんな生徒が職員室に入って来るなり、「(原子力について)自分たちも皆と一緒に考えていきたい」と言って来た。浅井は、内心、非常に驚いた。自ら積極的に話すような子ではなかった今泉が、前向きに人と関わろうとしていることが嬉しくもあった。
今泉の動きに教師らも応える
 今泉の相談を受けた浅井は思案する。自らが受け持つ「現代社会」の授業で今泉に発表させるという方法も考えた。しかし、福井県は15基もの原発を抱える原発立地県であること、それに教え子が初めて目を向けようとしていることを考え、一教科を越えて広く知らしめ訴えた方がいいと考えるようになった。そこで、浅井が今泉に提案したのは、教員も巻き込んだ「教科横断型」の授業での発表だった。
「お前からまず理科の先生とかに頼んでみたらどうか」これは浅井が今泉に授けた秘策だった。浅井は、教員が生徒に頼まれると動かざるを得ないことをよく理解していた。今泉の動きに教師らも応える。最後には校長までが参加しての授業となる。  
まず今泉が取り上げたテーマは先にも触れた「地層処分」だった。映画『日本一大きいやかんの話』では「地層処分」について製作者である高校生らと専門家との間のこんなやり取りが行われている。
「原発の問題として使用済燃料の保管の問題があります」
 こう問う高校生にその処分の方法はある、としてその保管方法について原子力の専門家は白板を使い、図のようなものを示しながら「ガラスによる固体化」、それを鉄製の容器で覆い、さらに粘土で覆った容器に収め地中深くの岩盤に埋め込む、つまり「地層処分」を説明していく。それを聞いた高校生らは、現在、「地層処分」の実験が行われている北海道・幌延町にある「幌延深地層研究センター」を訪ね、実際に実験が行われている地中350メートルまで潜り、実験現場を体験するのだった。
生徒だけでなく教員も巻き込んだ「教科横断型授業」
 現在、使用済み核燃料の処理方法はあるものの、保管場所が無いのが日本の現状。日本の原発からでる「使用済み核燃料」は青森県六ケ所村にある「六ケ所再処理工場」内にある貯蔵プールに保管されている。貯蔵容量およそ2万4千トンのうち、現在貯蔵されている量はその75%にあたる約1万8千トンである。しかし、最終処分となると「地層処分」を受け入れる自治体の目処はまったく立っていない。それがゆえに、日本の原発は“トイレ”のない家に例えられるのである。  
こうした原発稼働以来、日本が抱え続けている「使用済み核燃料」の保管、処理の問題について今泉は強い興味を引かれ、その結果、生徒だけでなく教員も巻き込み、最終的には校長先生も参加した「教科横断型」の授業が出来上がったのだった。「教科横断型」授業でここまで大々的に、しかも原発を正面から扱うことも同校始まって以来のことだった。  
多くの生徒、教員らを前にして“教壇”に立つのは1年生、今泉だった。
原子力問題が抱える難しさが、人々たちから原子力を遠ざけている
 教壇に立つ前、今泉は徹底して原子力について学んだ。しかし、学ぼうとした途端にその語句の難解さに立ち止まらされる。何度も立ち止まっては頭を抱えた。それは当然だろう。難解さはそれだけで原発問題を生活圏から排除させてしまう。多くの日本人が原発について感情的な感覚しか持たず、初歩的な知識さえも持とうとしないのは、その“難解さ”がためだ。  
今泉もその“難解”という蟻地獄に嵌りそうになる。たとえ高校生の立場である自分が教壇に立って教えたとしても、聞く側の高校生たちが“難しい”“難解だ”と思った瞬間に気持ちが原発から離れてしまうだろうと今泉は直感的に思っていた。
「原子力発電って何なのかというそもそもの部分から始めたんですが、それが本当に難しくて……。改めて原子力問題が抱える難しさそのものが、私たち高校生や一般の人たちから原子力を遠ざけてしまっているということがはっきりと分かりました」
 母と娘との会話に新しく加わった「原発」の話題
 わかりやすく伝えたい、知らない子たちが興味を持てるような言い方はないか――模索し続けていた今泉にとって、もっとも勉強になり、参考になったのが母との会話だった。  高校に通うようになった我が子が原発に興味を持ち、積極的に社会に関わろうとしている姿が、今泉の母はただ嬉しかった。自分も福井で生まれ、福井で育ったが、原発はすでにあるもので、取り立てて興味を惹かれるものではなかった。自分にとっては遠い存在だった原発に娘が正面から取り組んでいる。それだけでも母は嬉しかった。  
母と娘との会話に新しい話題が加わった。原発である。同じ学校の仲間に、自分が教師役になって原発の授業をすると娘が言う。母は、原発の仕組みはこうなってる、原発からは“ゴミ”が出てその処理をしなくてはいけない、そしてそれを“地層処分”というんだと説明受ける。  
その度に母は娘に言う。「そこはどうなってるの?」「そこがよくわからない」「ちょっと難しいかな、おかあさんには」……。母のこんな言葉に、娘は立ち止まり、悩み、そして調べては、再び母に問う。「これならばどう?」  
こんな会話が今泉の家で繰り返された。母と子が同じ風景を見ている。同じ風景を共有している。母はこれだけでも嬉しかった。中学時代、背中を丸めていた娘の背中が伸びていった。娘の視線が外に向かっていった。16歳にして今泉は今までとはまったく違う人生を歩き始めていた。まったく違う風景を自分の手で見つけ出そうとしていた。
“高校”とは別の世界へ踏み出したいと思うように
 今泉が“教壇”に立ってからおよそ2年。3年生になっていた今泉に当時のことを聞いた。
「やはり難しいっていう声がありました。私自身が、今でも原発は仕組みや語句を理解するのは大変です。でも……」  
こう区切った今泉は言葉を続けた。
「でも……私の発表を聞いてくれた中から『わたしもやりたい』って言ってくれる子が何人かでてきてくれて……」  
今泉は仲間を得た。そして、仲間とともに今までとは違う世界に手を触れるようになっていた。高校生になった時、今泉はこう思っていた。高校生の生活は、高校の中ですべて完結してしまうのだろう、と。  
ところが、原発に向かい合うようになった今、自分の心の中を覗いてみると、心は違う風景を欲していた。“幌延”に行ってみたい。“原子力発電所”を自分の目で観たい。“高校”とは別の風景、その外の世界へと踏み出したいと思うようになっていた。  
そして、今泉がその一歩を踏み出すきっかけがやって来る。それは恐竜だった。今や福井県の顔ともなった“恐竜”だった。JR福井駅西口の正面にある恐竜の巨大モニュメントが今泉に向けて世界を用意してくれていた。020.JPG

 今泉は日本で最多の原子力発電所を抱える“原発県”である福井に生まれながら、原発を意識したことはなかった。電力、エネルギー、原子力――スマホの向こう側にある問題を考えたことがないのは10代の少女であれば当然だろうか。だが、今泉はある映画をきっかけとして原子力発電所という存在に向かい合うことになる。好奇心を持って探求することは大事ですね。原発から遠く離れた地に住む東京の、自分と同じ高校生たちがあれほどまでに原発について考え、行動し、向かい合い、その過程を映画にまで昇華した姿勢に感銘を受けた。とりわけ映画の中でも取り上げられていた「地層処分」に今泉の関心は向いた。まずは自分事、身近なこととして受け止めることが大事でしょう。地層処分――。原発で使われた「使用済み核燃料」、つまり原発から出される“ゴミ”は、高レベルの放射性物質を出す廃棄物のため特殊な方法で処理される。最終的に処理された“ゴミ”は地中深く埋設される。放射能が人体に影響がないレベルまで低下するのにはおよそ10万年かかるとされている。日本にはまだ「高レベル放射性廃棄物」の埋蔵を受け入れる自治体はない。現在は青森県六ケ所村にある「高レベル放射性廃棄物貯蔵管理センター」にあくまで一時的に管理を委託しているのが現状である。「原発から“ゴミ”がでることさえも知らなかった」という今泉は、「地層処分の勉強会をぜひやりたい」と訴えた。向学心を持って勉強していくことは大事ですね。現在、使用済み核燃料の処理方法はあるものの、保管場所が無いのが日本の現状。日本の原発からでる「使用済み核燃料」は青森県六ケ所村にある「六ケ所再処理工場」内にある貯蔵プールに保管されている。貯蔵容量およそ2万4千トンのうち、現在貯蔵されている量はその75%にあたる約1万8千トンである。しかし、最終処分となると「地層処分」を受け入れる自治体の目処はまったく立っていない。それがゆえに、日本の原発は“トイレ”のない家に例えられるのである。日本現状を知らいない多くに人たちに知ってもらうことが大事ですね。原子力問題が抱える難しさが、人々たちから原子力を遠ざけている教壇に立つ前、今泉は徹底して原子力について学んだ。しかし、学ぼうとした途端にその語句の難解さに立ち止まらされる。何度も立ち止まっては頭を抱えた。それは当然だろう。難解さはそれだけで原発問題を生活圏から排除させてしまう。多くの日本人が原発について感情的な感覚しか持たず、初歩的な知識さえも持とうとしないのは、その“難解さ”がためだ。難解さゆえに遠ざかったしまうのは当たり前の心理かもしれませんが、それを分かりやすく説明できれば理解してくれる人も増えてくるのでしょう。原発に向かい合うようになった今、自分の心の中を覗いてみると、心は違う風景を欲していた。“幌延”に行ってみたい。“原子力発電所”を自分の目で観たい。“高校”とは別の風景、その外の世界へと踏み出したいと思うようになっていた。さらに前を見据えて理解を深めようとする姿勢は多くに人たちが学ぶべきかもしれません。019.JPG
空き家改修、再生、利活用のアイデアをビジネス化できないか[2023年07月23日(Sun)]
 Hint Pot2023年5月13日付け「地方が抱える問題に「協力隊」が挑む 「空き家はあるのに住む家がない」 元記者の奮闘」から、長野県立科町へ移住した元新聞記者の芳賀宏さん。現在は、「地域おこし協力隊」の産業振興担当としてリンゴ農家のお手伝いや立科町のPR活動を行っています。連載第7回のテーマは、地方で矛盾する問題のひとつ「空き家はたくさんあるのに、住む家はない」についてです。この問題の解決のために芳賀さんたち「協力隊」が行ったのは、「空き家改修DIY ワークショップ」でした。
 地方地域が抱える課題のひとつが「住む家がない」空き家問題
 長野県立科町では現在、5人の「地域おこし協力隊」が活動しています。その一員、永田賢一郎さんと秋山晃士さんには「建築家」という肩書きがあり、それぞれ自身の建築事務所を運営しながら町の活性化に取り組んでいます。  
昨年9月から12月にかけ、2人が主催する「空き家改修DIY ワークショップ」が行われました。
「空き家の解体」「断熱材の敷き込み」「左官」「外構」「インテリア」の計5回で募集を行ったところ、毎回約20人、高校生から70代まで多くの方が参加。地元の方や移住を検討している他県在住者のほか、興味を持ってくれた別の地区の「地域おこし協力隊」も集まってくれました。  
DIYを楽しみながら古い家を移住者向け賃貸住宅に改修するのが本ワークショップの主な目的ですが、実はもうひとつの目的もありました。それは「空き家があるのに住む家がない」という、一見すると矛盾した問題への取り組みです。町内には、確認されているだけで300軒近くの空き家がありながら、住居用に供給される物件が少ないのはなぜでしょうか?
「片づけるのが面倒」 「知らない人に貸すのは抵抗がある」 「自分の代で売りに出すのは気が引ける」  
大きな理由はこの3つです。  
いまや多くの市町村が掲げる「移住促進」は、立科町においても重要施策とされています。移住には、当然ながら住む場所が必要不可欠。自治体などが移住希望者に情報を提供する「空き家バンク」はマッチングの有益な手段のひとつですが、登録物件は増えていないのが実状です。
 「空き家改修DIY ワークショップ」 
専門家とともに楽しく「解体」や「左官」作業
 そこで考えたのが、リノベーションのプロセスをオープンにし、空き家改修の一例を示すこと。また、「うちも空き家を提供してもいい」という市民の方々のマインドチェンジにつながってくれることへの期待もあります。「地域おこし協力隊」での私の担当任務は産業振興ですが、移住も地域振興も連動して考えるべきというのが持論です。個人的にDIYが好きだったこともあり、ワークショップには微力ながら協力させてもらいました。  こうした活動は、知ってもらわないことには伝わりません。自分なりのスキルをいかし、関心の高そうな「左官」の回の前にはプレスリリースを出してメディアに取材してもらうほか、町の公式SNSでも積極的な発信を試みました。  
ワークショップの舞台は、町が所有する教職員用住宅。2021年5月に着任した際、私が最初に約2か月住んだ物件です。5月なのに夜は震えるほど寒かった記憶がありますが、その理由はワークショップ第1回の「解体」ですぐに判明しました。  
畳を上げ床板をはずしてみると、断熱材などが一切なく、むき出しの地面が丸見え。冬にはマイナス10度を下回ることもあるというのに、これでは寒いのも当然でした。築年数が約37年ということで、聞けば昔の建物は同じような構造だったそうです。まずは床板をはずし、下地にスタイロフォームというスチロール樹脂の断熱材を組み込んでいきました。  
参加者の多くが、本格的なDIYは初めての経験。ビス(小さいネジのようなもの)を打ち込むためのインパクトドライバーなど、電動工具を手にするのももちろん初めてですから、最初はコツがなかなか掴めません。
「ゆっくり、まっすぐに」などと教えていくと、参加者も徐々に慣れていくのが見て取れます。永田さんと秋山さんのプランや専門的な知識、建物の構造、防寒対策に必要な処置などに耳を傾け自ら実行する参加者の姿は、実に楽しそうでした。
 「左官」の回では県内の職人さんをお招きして、実際に壁の塗り方を教えていただきました。DIYですからホームセンターで買えてすぐに塗れる材料を使用しましたが、見るとやるとでは大違い。参加者はコテ使いに悪戦苦闘しつつ、修正してくれるプロの技術を目の当たりにして感嘆の声を漏らします。一方で「自分たちも初めての経験でした」と、職人さんにもワークショップを楽しんでもらえたようです。
 初心者や女性の参加者から大好評 
「家はこうして生まれ変われる」を体現した企画に
 最初は見ず知らずだった参加者たちが、不慣れな道具を手に作業し、協力しながら形にしていく。和気あいあいとした雰囲気で会話し、意見を交わすことで距離がぐっと近づきます。別れ際には連絡先を交換するなど交流の場にもなったことは、ワークショップのうれしい“副産物”です。また、移住者を歓迎する町の方々からお菓子の差し入れをいただいたり、名産のリンゴをみんなでつまんだり、町や人を知ってもらうこともできた素敵なイベントだったと思います。  
もちろん、キッチンやトイレの交換など、どうしても業者に頼まなければいけないパートもありますが、初心者でもDIYできることはたくさんあります。参加者のなかには「気になっていた工具を使ってみたり、断熱材を自分でも敷き込んだりする作業は参考になりました」と、実際に古民家のリノベーションに挑み始めた方も。また、思っていた以上に女性の方々がDIYに強い関心を持っていることもわかりました。改修された家の入居者募集は6月を予定していますが、住む方以外にも「家はこうして生まれ変われる」ということを多くの方に知ってもらいたいと考えています。
自治体だけでの解決は困難な空き家問題 
町内外の人々によるアイデアや企画で活性化を
 ここ数年で、空き家に関する法律が次々に改正されています。都会や人口の多い地域では、倒壊の危険性や火災が起きた際の延焼の心配、治安の悪化、景観などが問題の中心です。一方、人口減少が続く地方では倒壊の危険性などのほか、移住希望者がいるのに供給につながらないという側面もあり、どちらも問題解決は急務と言えるでしょう。  
固定資産税の軽減措置をなくすことや特定空き家の認定など、制度上は自治体レベルで進められこともあるとはいえ、実際の適用が難しいことは過疎地域に住んでみるとよくわかります。  
今回の参加型空き家改修ワークショップのように、最初の動き出しが大変でも、動き始めれば物事にはやがて遠心力が働き、大きな力を生みます。  
専門家としてワークショップを開催した若き建築家の2人は、日頃から改修以外でも忙しく活躍しています。任期を1年延長した永田さんは横浜市で建築事務所を運営しながら、立科町の一角に「町かどオフィス」を開設。住民の改築や空き家の相談に乗るほか、自ら借りた空き家をリノベーションしてカフェを開店予定です。  
また、昨年8月に着任した秋山さんは、静岡県沼津市で同じ建築家でもある配偶者さんと建築事務所を開設する一方で、まずは空き家を供出してもらう入り口として「空き家、倉庫の片づけをお手伝いします」という活動を始めたところです。  
行政が民間と提携して空き家対策に乗り出した例など、さまざまなニュースを目にするようになりましたが、やはり自治体だけで解決するには限界があります。立科町「地域おこし協力隊」は、移住促進のきっかけを生み出せるよう、町内外の人々を巻き込みながら奮闘中です。009.JPG

 「空き家の解体」「断熱材の敷き込み」「左官」「外構」「インテリア」の計5回で募集を行ったところ、毎回約20人、高校生から70代まで多くの方が参加。地元の方や移住を検討している他県在住者のほか、興味を持ってくれた別の地区の「地域おこし協力隊」も集まってくれました。多様な人たちが興味を持って関わり合ってもらう必要があるでしょう。DIYを楽しみながら古い家を移住者向け賃貸住宅に改修するのが本ワークショップの主な目的ですが、実はもうひとつの目的もありました。それは「空き家があるのに住む家がない」という、一見すると矛盾した問題への取り組みです。町内には、確認されているだけで300軒近くの空き家がありながら、住居用に供給される物件が少ないのはなぜでしょうか?「片づけるのが面倒」「知らない人に貸すのは抵抗がある」「自分の代で売りに出すのは気が引ける」確かに抱える問題は結構多いでしょうが、チームを組んで一つひとつ解決していこうとすればできないことはないでしょう。営利目的の業者を非営利の団体に加わってもらい一緒に作業を進めることができれば比較的スムーズに進むかもしれません。なぜ非営利団体かと言うと、儲けが少ないことが大きいでしょう。しかし、アイデアを出し合うことで収益を上げる仕組みづくりを構築できるようになる可能性はあるでしょう。リノベーションのプロセスをオープンにし、空き家改修の一例を示すこと。また、「うちも空き家を提供してもいい」という市民の方々のマインドチェンジにつながってくれることへの期待もあります。「地域おこし協力隊」での私の担当任務は産業振興ですが、移住も地域振興も連動して考えるべきというのが持論です。個人的にDIYが好きだったこともあり、ワークショップには微力ながら協力させてもらいました。こうした活動は、知ってもらわないことには伝わりません。自分なりのスキルをいかし、関心の高そうな「左官」の回の前にはプレスリリースを出してメディアに取材してもらうほか、町の公式SNSでも積極的な発信を試みました。多くの人たちに周知してもらうことは大事でしょう。自治体だけでの解決は困難でしょう。町内外の人々によるアイデアや企画で活性化する方法を模索することが大事でしょう。行政が民間と提携して空き家対策に乗り出した例など、さまざまなニュースを目にするようになりましたが、やはり自治体だけで解決するには限界があります。立科町「地域おこし協力隊」は、移住促進のきっかけを生み出せるよう、町内外の人々を巻き込みながら奮闘中です。収益性が高いとは言えませんが、空き家の利活用をビジネス化ことは大事でしょう。ビジネスが成功して広がっていけば空き家は負の遺産ではなくなり、活用され喜ぶ人たちが増える可能性があるでしょう。横に連携して新たなビジネスが創造されることを期待します。021.JPG
柔軟な発想で可能性を信じて働き方を模索することが求められているのでは[2023年07月22日(Sat)]
 テレ朝POST2023年5月11日付け「定年退職した元サラリーマンが保育園で子育て支援!「我々シニアでも役割はある」」から、2030年までに、持続可能でよりよい世界を目指す国際目標「SDGs」。
テレ朝POSTでは、さまざまな課題に取り組み、くらしを未来へ紡ぐ“はじめの一歩”を実践する人たちを紹介している。 今回取り上げるのは、大手企業の人事部を勤め上げたのち、認定グランドシッターして活動する加藤真さん。
加藤さん:「保育士さんのサポートの仕事をしています。今日は6歳の子どもたちと園庭で遊んでいます」
保育の現場で保育士の補助を行うのがグランドシッターの仕事。加藤さんは週3日神奈川県の「テンダーラビング保育園綱島東」に通い、園児が安全に過ごせるようサポートしている。
保育士の遠藤弓月さん:「子どもたちは若い先生としか関わる機会がないので、そういった世代の人と関わることで子どもたちにもいい経験になっていると思います」
「異質な経験者が保育の世界に」
現在、全国で約1500人が資格を取得し、活動しているグランドシッター。
加藤さんが保育の世界に飛び込んだのは、自らのキャリアとはまったく異なる世界を見てみたいという気持ちからだった。
加藤さん:「会社のOB会のイベントにグラウンドシッターの理事長が講演に来られて、やろうとしていることがとてもいいなと思いました。全然経験はないことですけど、やってみようかなと思いました」
はじめは恥ずかしかったエプロン姿での散歩も、今では抵抗なくできるように。園児と一緒に歌って踊るのも仕事のうちだという。
「異質な経験者が保育の世界に入ることで新しい風を起こしたい」と語る加藤さんが未来に叶えたい夢は?
加藤さん:「人事という仕事をしていたので、いろいろな方と接する機会は多くありました。全然職種は違いますけど、当然お子さんもいろいろな方がいるので、我々シニアでも役割はあるのではないかとみんなに言って、関心を持った時点で(保育に)ちょっと触れてみるのはいいことではないかなと思います」016.JPG

「保育士さんのサポートの仕事をしています。今日は6歳の子どもたちと園庭で遊んでいます」保育の現場で保育士の補助を行うのがグランドシッターの仕事。加藤さんは週3日神奈川県の「テンダーラビング保育園綱島東」に通い、園児が安全に過ごせるようサポートしている。「子どもたちは若い先生としか関わる機会がないので、そういった世代の人と関わることで子どもたちにもいい経験になっていると思います」異なる世代の人たちが一緒に仕事をすることはお互いに勉強になり意味があるし、確かに子どもたちにもいい影響を与えるでしょう。「異質な経験者が保育の世界に入ることで新しい風を起こしたい」「人事という仕事をしていたので、いろいろな方と接する機会は多くありました。全然職種は違いますけど、当然お子さんもいろいろな方がいるので、我々シニアでも役割はあるのではないかとみんなに言って、関心を持った時点で(保育に)ちょっと触れてみるのはいいことではないかなと思います」人手不足が深刻化してきていますが、その中でも介護、保育などは待遇面でも条件が悪くなり手が不足しているようですが、退職した高齢者がいきいきと役割を担って評価されるようになることは素晴らしいと思います。誰でも働きやすく、安心して生活できる社会になることが望ましいのではないでしょうか。010.JPG
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