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服役者の社会復帰、更生を進める対応策が必要なのでは[2023年04月30日(Sun)]
 文春オンライン2023年3月19日付け「「あんた、過去がひどすぎるよ」10代で暴走族総長、薬物売買で2度服役したことも…社会復帰した女性を苦しめた「日本の不寛容」」から、前科や前歴がある人を従業員として雇い入れるため、「協力雇用主」に登録しようとした経営者の廣瀬伸恵(ひろせ・のぶえ)さん。ところが、いざ地元の就労支援担当者を訪問すると、暴走族総長、売人で2度の服役、ヤクザとの付き合いなど“過去の自分”が大きな壁として立ちはだかる……。  
この新しい試練を、彼女はどう乗り越えたのか? 北尾トロ氏による新刊『 人生上等! 未来なら変えられる 』より一部抜粋して紹介する。(全2回の2回目/ 前編 を読む)
「過去がひどすぎるよ」
 正規のルートで出所者を雇い入れることができ、国から支援まで受けられるなんて、まさに廣瀬のためにあるような仕組みではないか。  
が、登録すれば自動的に人が来るわけではない。協力雇用主になった当初、廣瀬は地元の就労支援担当者にこう言われた。
「オレは悪いけど、廣瀬さんのこと、半分しか信用してないかんな。過去がひどすぎるよ。どこにいっても、あんたのことは悪い話しか聞かないんだよ」  
また新しい試練だ。廣瀬は裏で暴力団とつながっている、あいつは女ヤクザだという風評。何かしようとすると必ず過去を云々されて“とおせんぼう”され、起業してからやってきたことは評価されない。あまりの悔しさに感情的になり、泣いて抗議したが相手にされなかった。結果はやはり、待てど暮らせど応募者ゼロ。  
それでも廣瀬はあきらめず、誰かの知り合いが刑務所にいると聞けば手紙を書き、そこを出たら働かないかと呼びかけたりしていた。
出所後、社会にはじかれて挫折を経験
「だって私は本当にそういう人が欲しいと思ってる。私は自分が出所者だし、そういう友だちや知人がたくさんいるじゃない。いい会社だという評価を得たいがために形だけ登録している会社とは違うんだよ」  
協力雇用主には数万社が登録しているものの、実際に受け入れ実績のある会社は1割に満たないのが現状だ。
「今度こそちゃんとやろうと意気込んで出所しても、社会全体がそういう人をはじく傾向があるじゃないですか。私もそれで挫折してきました。だからこそ受け入れたい。
うちの従業員は過去のある人ばかりだから大丈夫だよ、隠し事なしのオープンでいいんだよ。そういう環境で、毎日おいしいご飯が出てくるとなったら、きっと違うんじゃないかなと思う。それに、私自身にもそういう人に囲まれていることで自分らしくいられる実感があった」  
冷たくあしらわれても、協力雇用主としての活動が自分と会社の将来を照らす光になるという確信は揺らがなかった。
受け入れ開始
 怒ったり笑ったり、くるくる表情を変えつつ喋る廣瀬を前に、僕とカンゴローは感慨深い気分になっていた。この人はついに、困っている人を助けることが自分を助けることにもなる、という境地に達したのだ。
「考え方の問題かもしれないけど、自分にフィットすることをしようとするとき、何かが逆転して、過去が生かされる感じがします。私は昔ヤンチャをしていた。捕まって刑務所に入った。獄中出産で我が子と数分しか一緒にいられなかった。みんな事実で、取り返しがつかない。曲がりなりにもそこから立ち上がっても、あんたは信用できないと言われる。だけど、過去が全部無駄で無意味かといえば、そんなことはないと思う。  
協力雇用主になったら、いいも悪いも含めた経験を生かして、私にしかできない更生のお手伝いができるんじゃないかと思ったの。こっちは真剣なんだよ。くそー、なんとかならねえかなと悶々としてました」  
いい意味であきらめの悪い廣瀬に耳寄りな話が舞い込んだのは2018年の春。地元の暴走族からヤクザになり覚せい剤で逮捕され、現在は薬物依存者のサポートに人生を捧げている先輩の遊佐学(ゆさ・まなぶ)から、刑務所や少年院などにいる受刑者のための就職雑誌を作った人がいると聞かされたのだ。
「学とは売人時代に、どっちがいいブツを扱っているとか競ったりしてたんですが、いまでは『オレはまじめに生きてるから』『私も更生保護とかやってるんだよ』みたいな関係になっています。彼の紹介なら間違いないとお会いしたのが『Chance!!』を創刊したばかりの、私の人生を決定的に変えてくれた三宅晶子さんだったんです」
マイナーな求人雑誌に可能性を感じ、求人掲載を申し出る
 廣瀬には出所後、建設業との出合いや会社の分裂騒動など何度かの節目があるが、最重要人物は誰かと問われたら、この人以外にはいないという。『Chance!!』創刊号を見た廣瀬は衝撃を受け、初対面で意気投合。すぐに募集広告掲載を申し出た。  
募集方法に飢えていたとはいえ、金を払って広告を出すのは冒険だ。創刊されたばかりで海のものとも山のものともつかない『Chance!!』には“「絶対にやり直す」という覚悟のある人と、それを応援する企業のための求人誌”というキャッチフレーズがついていた。  いまでこそ季刊誌として号を重ね、募集企業も増えて知名度も上がってきた同誌だが、創刊号は薄く、情報量も少なかった。少年院や刑務所にいて出所後の仕事を探したい受刑者に向けて、協力雇用主が人材募集広告を出す無料の雑誌で、発行部数はわずか150部。一般の目には触れないマイナー雑誌のどこに、廣瀬は可能性を感じたのだろう。
「発想もいいと思ったけど、三宅さん自身かな。商売人の匂いがしなかった。かといって、自己犠牲の精神で作っているわけではなく、ビジネスとして考えている。ニーズがあるのに、出所者が仕事を探せる媒体がない。だったら私が作ってみようと思うのは簡単でも、実際にやるのがいかに大変かは想像できました。でも、やったでしょ。この女はガッツがある、大したもんだと思って」
大伸ワークサポートの募集広告が掲載された第2号が発刊されると、ポツポツと反響が届き始めた。僕はこの雑誌を実質的にひとりで作っている三宅に会ったとき、当時の印象を尋ねてみた。
「わずか2ページの募集広告なのに、大伸ワークサポートの魅力が伝わってくる内容で、応募者たちへの熱意を感じました。たとえば写真にしても、現場で働いているところと併せて社員旅行やバーベキューなど楽しそうな場面が載せられている。その後わかってくるのですが、出所後の職を探そうとする受刑者たちは、給与や仕事内容だけではなく、職場の雰囲気を気にしているんです。とくに家庭的な温かさに飢えていますから効果絶大だったと思います。もうひとつは廣瀬さんからのメッセージですよね。あれは素晴らしかった」
「私は決して見捨てたり見放したりしません!」
 そこには、社長自身が元暴走族総長で逮捕歴、刑務所の入所歴があることが記され、文末は出所後の生活に不安を抱く受刑者たちが「ほぉ」と感嘆の息を漏らしてしまいそうな一節で締めくくられていた。
〈私は決して見捨てたり見放したりしません! 私自身もやり直すことができたのだから、人は誰かの支えで必ずやり直すことができるのです。その支えになることができたら、こんなに嬉しいことはありません〉  
つたないなりに雇用主としての覚悟と気合を伝えたかったと廣瀬は照れるが、僕が受刑者としてこの文章に触れたら信じてみたいと思うだろう。
「三宅さんからもいいと言われて、その後もずっと使っているんですが、受刑者から届く手紙にも『この文章で社長の人柄がわかりました』とか『ここに行こうと思いました』と書かれていることが多いですね」  
見下されても警戒されても、へこたれずにやってきた。大きな家族みたいな小さな会社を作り、男たちの胃袋をがっちりつかんで、みんなの母ちゃんになろうとしてきた。敷地にプレハブを建て、新しい仲間を受け入れる準備をしてきた。
「彼女に会わなかったら、いまの私には絶対なれてない」
 足りないのは、「私があなたを待っている」と呼びかけるツールだけだった。過去は変えることができないけれど、未来は変えられる。その手伝いをしたいと伝える手段がなかった。  
そんなとき、困っている廣瀬に手を差し伸べるように『Chance!!』が創刊された。これは運命だ。チャンス到来だ。  
ほしくてたまらなかったのに、手に入れることが叶わなかった最後のピースが、カチッと音を立てて埋まり、パズルが完成した。
「たくさんの反響をいただいて、軸足が定まったというのかな。私は見捨てませんと宣言したんだから、あとはやるだけでした。三宅さんには感謝しかありません。奇跡が起きたんだと思う。彼女に会わなかったら、いまの私には絶対なれてない」  絶妙のタイミングで出会ったふたりの友情は雑誌編集長とクライアントの垣根を超えて深まっていった。僕が「親友ですね」と言ったら「そうじゃなくて戦友」と訂正されるくらいに。
やられたらやり返すのではなく、いずれ来る別れをどう迎えるか
『Chance!!』の評判は協力雇用主と受刑者に口コミで広がり、最新号が出るたびに厚みを増しながら継続。編集未経験でおぼつかなかった技術も向上し、エンタメ要素まで備えた雑誌になった。媒体としてのユニークさもさることながら、公的機関がなしえなかった方法で受刑者の社会復帰を支援する三宅自身も注目の存在となっている。
「私ね、どうしたらいいかわからなくなると相談するんですよ。夜中に電話して泣きながら愚痴ったり、迷惑かけてばかりなの。でも、彼女は私が喋り疲れるまで、納得するまで、電話を切らずに何時間でも聞いてくれる」  
廣瀬は、よほどのことがないかぎりは社員の前で涙を見せないようにしている。でも、タフな社長にも泣きたい夜はある。弱い部分をさらけ出し、救いを求めたいときがある。 「たとえばね……、私は社員に期待しすぎて、一緒にずっと会社を盛り上げていけるんじゃないかと錯覚を起こしがちだった。それで急にやめたり、裏切られたりすると、心が病んでしまう。そういう話をしたときに、なぐさめてくれるだけでも嬉しいですよね。
でも、三宅さんは『がんばって』なんて言わないのよ。それは違う、やられたらやり返すんじゃなくて、いずれはくる別れをどう迎えるかが問題だよと言うのよ。
『別れるとき、どんなに理不尽なことをされても、笑顔で見送ることを私は徹底している。それがカッコいい女だ』と。実際、見てると実践しているからね。そういうひと言が胸に響くことが多くて真似させてもらってます」
包丁振りまわしたら、私は刃を握る
『Chance!!』の応募者には、廣瀬が自ら面会に出向き、問題がないと思えれば出所後の雇用について仮契約を結ぶ。出所のタイミングは受刑者ごとに違うので、いつからでも受け入れられるのが、建設業などかぎられた業種に協力雇用主が集中する理由だ。  
しかし当初は、出所者雇い入れ実績がない大伸には、保護観察所などから待ったがかかった。ちゃんと面倒を見られるのか、身元引受人として適切なのか。会社の状況をチェックするためにきた保護観察官にダメ出しをされ、採用不可にされてしまったのである。
保護観察所は、犯罪をした人や非行のある少年が社会の中で更生するように、指導(指導監督)と支援(補導援護)を行う機関。地方裁判所の管轄区域ごとに置かれ、全国に50カ所(各都府県一カ所・北海道は4カ所)ある。  
保護観察官は全国に約1000人いるが、それだけでは間に合わないので、民間ボランティアである全国約4万8000人の保護司と協働して、少年院仮出所者と成人の仮釈放者の立ち直りを助けるのだ。雇い入れる企業が、仮出所者や仮釈放者にふさわしいところかどうかを見極めることも彼らの役割のひとつである。  
採用不可にされたときは、どういうことかと尋ねても教えてもらえずいら立ったが、いまとなっては実績のない会社に慎重な対応をするのはいいことだと考え方が変わった。甘い考えで協力雇用主となり、すぐ解雇してしまうなど責任を放棄する企業が後を絶たないからである。  
ようやく受け入れることを許されたのは、乳児院と養護施設で育つ間に数多くの問題を起こし、出所しても、どこの更生保護施設からも受け入れ拒否され、行く当てのない高野(仮名)という10代の男性。応募を受けて受け入れの意思を示すと、保護観察所の係員は廣瀬が女だからか、やや見下した態度で皮肉を言った。 「廣瀬さん、あの子は今回、包丁を振りまわして捕まっているんだけど、そういうことをしたらあなたはどうしますか」
係員は、目の前にいるのがどんな女かわかっていなかったのだ。
「こういうことをしてはいけない」というのを教えていきたい
「包丁ですか、私、そんなの(刃を)握っちゃいますよ。ケガしてもいいんで、振りまわすと危ないんだとわからせないと。私が握って血が出れば『ね、痛そうでしょ』と言えるじゃないですか」 「え? じゃあ大丈夫……なんですね」  
これで係員を突破し、2度の面接を経て雇い入れにこぎつけた。面接でも、高野に告げたそうだ。
「あんたがもし包丁振りまわしたら、私は握るからね。私はその包丁を握って、人を傷つけたら痛いこと、手から血が出ることを証明する。私はあんたのことを自分の子どもみたいに思って受け入れるつもりだ。警察呼ぶとかじゃなくて、こういうことをしてはいけないというのを教えていきたいんだ」  
高野からは、そんなことを言う人には会ったことがないと驚かれたらしい。廣瀬の強みはマニュアルには載っていない自分のことばを相手にぶつけられることだと僕は思う。その方法は、目ヂカラに物を言わせ心と心をぶつけ合う正攻法。何かのはずみで自分が包丁を手にしたら本当に握る人だ、と感じたから高野は信用したのだ。
あの高野を立ち直らせた社長なら…
 入社した高野は周囲の心配をよそに、包丁を振りまわすことなくまじめに働き始めた。高野の抱えている闇が孤独であることをいち早く見極めた廣瀬が、社員たちになじませることに力を注いだことが功を奏したのだ。すると、高野の行いが品行方正とまではいかなかったが許容範囲に収まっていたことで、保護観察所の廣瀬を見る目が変わってくる。
「保護観察所の地区担当者から信用されたことが大きかった。“あの高野を立ち直らせた社長”ってことになってスムーズに受け入れができるようになりました」
『Chance!!』が発行されるたびに応募者がたくさん現れ、2年もすると毎月のように出所者を迎えに行くようになってきた。長続きしない人もいるけれど、大伸は地元を代表する協力雇用主になっていく。実績ができてくると、あれほど冷たくされたハローワークまで「なんとかそちらで引き受けてもらえないか」とていねいに頼んでくるようになった。 「ほかでは受け入れてもらえそうにない人も、大伸なら雇ってくれるだろう、みたいになっていきました。ダメな子はどこへ行ってもダメなんで、過大評価されても困るんだけどね」  
そう言いつつも、頼まれると断れない姉御肌。2020年代に入ると、採用内定者の出所ラッシュも起きてきて、号によっては『Chance!!』への広告掲載を見合わせなければならないほどの人気企業になっている。
「いまでは(採用の)一般募集はしなくなり、社員の出所者率が高いことが会社の特色になっちゃいましたね。そうそう、うちの社員旅行っておもしろくて、必ずホテルを借り切りにするんです。なぜかわかります?」  
酔っぱらってケンカが起きるからだろうか。
「そんなの、うちでは日常です。そうじゃなくて入れ墨やタトゥーが入った従業員がたくさんいるから、宿ごと借り切らないと温泉に入れないの」IMG_1783.JPG

 10代で暴走族総長、薬物売買で2度服役したことも…社会復帰した女性を苦しめた「日本の不寛容」」から、前科や前歴がある人を従業員として雇い入れるため、「協力雇用主」に登録しようとした経営者の廣瀬伸恵(ひろせ・のぶえ)さん。ところが、いざ地元の就労支援担当者を訪問すると、暴走族総長、売人で2度の服役、ヤクザとの付き合いなど“過去の自分”が大きな壁として立ちはだかる。服役した人たちにとって更生できる社会にしなければならないでしょう。協力雇用主には数万社が登録しているものの、実際に受け入れ実績のある会社は1割に満たないのが現状だ。 更生を進める上で高い壁がありますね。「今度こそちゃんとやろうと意気込んで出所しても、社会全体がそういう人をはじく傾向があるじゃないですか。私もそれで挫折してきました。だからこそ受け入れたい。うちの従業員は過去のある人ばかりだから大丈夫だよ、隠し事なしのオープンでいいんだよ。そういう環境で、毎日おいしいご飯が出てくるとなったら、きっと違うんじゃないかなと思う。それに、私自身にもそういう人に囲まれていることで自分らしくいられる実感があった」受け入れに理解を示す人がいなければ更生できないでしょう。罰則だけは強調されて更生して社会復帰することができなければ息苦しいだけでしょう。〈私は決して見捨てたり見放したりしません! 私自身もやり直すことができたのだから、人は誰かの支えで必ずやり直すことができるのです。その支えになることができたら、こんなに嬉しいことはありません〉更生を助ける企業や人が増えなければ、服役後に社会復帰をしようと努力してもできないでしょう。社会、国民の理解が必要でしょう。保護観察官は全国に約1000人いるが、それだけでは間に合わないので、民間ボランティアである全国約4万8000人の保護司と協働して、少年院仮出所者と成人の仮釈放者の立ち直りを助けるのだ。雇い入れる企業が、仮出所者や仮釈放者にふさわしいところかどうかを見極めることも彼らの役割のひとつである。採用不可にされたときは、どういうことかと尋ねても教えてもらえずいら立ったが、いまとなっては実績のない会社に慎重な対応をするのはいいことだと考え方が変わった。甘い考えで協力雇用主となり、すぐ解雇してしまうなど責任を放棄する企業が後を絶たないからである。責任を持って雇用主になる覚悟が必要ですが、国の政策や更生を促進するシステムが機能するようにすべきではないでしょうか。実績ができてくると、あれほど冷たくされたハローワークまで「なんとかそちらで引き受けてもらえないか」とていねいに頼んでくるようになった。「ほかでは受け入れてもらえそうにない人も、大伸なら雇ってくれるだろう、みたいになっていきました。ダメな子はどこへ行ってもダメなんで、過大評価されても困るんだけどね」そう言いつつも、頼まれると断れない姉御肌。2020年代に入ると、採用内定者の出所ラッシュも起きてきて、号によって『Chance!!』への広告掲載を見合わせなければならないほどの人気企業になっている。更生する人たちを受け入れ成功する企業が増えればそのような企業が増えてプラスの循環が生まれ社会になることを期待します。IMG_4013.JPG
裁判官は優秀だけでなく多様な人材が必要なのでは[2023年04月29日(Sat)]
 videonews.com2023年3月18日付け「日本の裁判官はなぜ無罪判決を書けないのか/木谷明氏(弁護士・元裁判官)」から、今週の月曜日(3月13日)、57年前に逮捕され43年前に死刑が確定していた袴田巌氏の再審決定が下された。まだ高検が最高裁に特別抗告を行う可能性は残っているが、再審そして無罪は確定的と見ていいだろう。確定死刑囚の再審無罪となると島田事件(1989年に再審無罪が確定)以来戦後5件目となる。  
袴田氏は1966年に静岡県清水市で発生した強盗殺人放火事件の犯人とされ、1966年から2014年までの48年間、東京拘置所に収監されていた。そのうち1980年に死刑が確定して以降の34年間は確定死刑囚としてもっぱら刑の執行を待つ身だった。再審開始、そして再審無罪がほぼ確定的になったとはいえ、1966年に30歳で逮捕された袴田さんにとって失われた時は取り戻せない。起きてはならないことが、また起きたのだ。  
この事件では他の冤罪事件と同様に、もっぱら被疑者の自白に頼った犯罪立証が行われた。捜査段階では真夏の苛酷な環境の下、来る日も来る日も10時間を超える取り調べが行われ、当初否認していた袴田氏は勾留19日目に自白に転じている。  
ところが、取り調べ段階で一度は自白した袴田氏が公判段階で否認に転じたため、慌てた捜査当局は袴田氏が働いていた味噌製造工場の味噌樽の中に血染めの洋服を隠し、事件から1年以上が経ってから袴田氏が犯行時に着ていた服が見つかったとして追加で証拠提出してきた。しかし、逆に今回、東京高裁はその洋服は捜査員が捏造した証拠である疑いが濃いとして、再審を決定していた。その事実関係が再審公判で認定されれば、有罪をでっち上げるために捏造した証拠が逆に墓穴を掘る形となったわけだが、それにしても決定的とされた証拠が捏造だったことが認められるまでにあまりにも時間がかかりすぎた。  
それにしてもだ、事件直後に逮捕された袴田氏に対して、警察と検察は来る日も来る日も長時間の厳しい取り調べを行い、袴田氏はまともにトイレにも行かせてもらえなかったという。日本の刑事裁判でそのような拷問同然の環境下に3週間も置かれた末の自白に基づいて有罪が確定してしまうのは、裁判所がそれを有効な証拠として認めているからだ。逆に欧米諸国の刑事事件で被疑者の起訴前勾留期間が最長でも2〜3日と短いのは、それ以上勾留した後で得られた自白は被疑者側から「拷問があった」と主張され、裁判所もそれを認めるため証拠として使えないからに他ならない。袴田氏の裁判で末席の裁判官を務めた熊本典道氏(故人)は晩年、袴田さんは無罪であるとの心証を得ていたが他の裁判官の意見に抗えずに有罪判決に迎合してしまったことを悔やみ、謝罪している。  
裁判官時代に日本の裁判官としては異例中の異例とも言うべき30件以上の無罪判決を出したことで知られる木谷明弁護士は、日本の裁判官が無罪判決を出したがらない理由として、まず第一に無罪判決を書くのが大変だからだと証言する。裁判というのは検察の犯罪立証に対して「合理的な疑いを差し挟む余地」があれば無罪とするのが近代裁判の要諦だ。そのため裁判官が無罪判決を出すためには、検察の犯罪立証のどこに「合理的な疑いを差し挟む余地」があるかを明確に書かなければならない。その論拠が甘ければ、仮に一審で無罪となっても、検察に控訴され、二審では確実に逆転有罪となってしまう。有罪判決は容易だが無罪判決は裁判官の能力が試されるのだという。  
誰しも楽をしたいと考えるのが人情だ。裁判官にとっては検察の言い分をそのまま受け入れ有罪としてしまった方が、仕事が遙かに楽になるというのが、多くの裁判官の本音なのではないかと木谷氏は言う。  
また、木谷氏は検察の権限が強すぎることも、裁判官が検察の主張に引きずられやすいと同時に、冤罪を生む温床となっていると指摘する。  
日本では2021年には、裁判が確定した21万3,315人のうち、無罪判決を受けたのは94人のみで、割合にして0.04%だ。つまり1万件につき4件しか無罪にはならないのが日本の刑事裁判なのだ。確かに99.9%以上の有罪率というのは異常としかいいようがないが、実はこの数字には隠されたマジックがある。  
確かに日本では起訴されたら99.9%の可能性で有罪となるが、実は警察から送検されてきた事件のうち3分の2(64.2%)は検察によって不起訴や起訴猶予処分にされ、実際は裁判にはなっていない。つまり、検察は警察から送られてきた事件のうちほぼ確実に有罪にできる全体の3分の1ほどの事件だけを起訴し、それがほぼ100%に近い確率で有罪となっているということなのだ。このように公訴権を独占していることも検察の権限が強すぎる一つの要素となっている。  
しかし、このことが逆に検察にとっては大きなプレッシャーともなり得る。なぜならば、検察は事件を厳選し有罪にできる事件しか起訴していないのだから、いざ起訴した事件は必ず有罪にしなければならないことになる。しかし、人間なので必ずミスは起きる。最初の見立てが間違っていたことに後で気づくこともあるだろう。しかし、一度起訴してしまった以上、何が何でも有罪にしなければならない。刑事事件、とりわけ社会から注目される刑事事件で起訴をしておきながら無罪になどなってしまえば検察の信用はまる潰れだ。担当検事やその上司の経歴にも大きな傷を付けることになる。そうした中で冤罪が起きる。酷いケースでは自白の強要が行われ、時として証拠の捏造まで起きていたことが、近年明らかになっている。  
検察が圧倒的に優位な司法制度と、本来であればその司法をチェックするはずのメディアが、逆にその制度の走狗となって世論を誘導する中、仮に検察立証に疑いがあったとしても、裁判官にとって無罪判決を書くことには計り知れない勇気と能力と責任感、そして使命感が求められる。そもそも裁判官が有罪判決は気楽に書けるが、無罪判決を書くには覚悟が必要な制度自体が倒錯した制度と言わなければならないが、それ自体が日本の司法制度の異常さと歪みを象徴していると言っていいだろう。  
伝説の無罪裁判官として法曹界の尊敬を一手に集める木谷明氏と、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

 57年前に逮捕され43年前に死刑が確定していた袴田巌氏の再審決定が下された。まだ高検が最高裁に特別抗告を行う可能性は残っているが、再審そして無罪は確定的と見ていいだろう。確定死刑囚の再審無罪となると島田事件(1989年に再審無罪が確定)以来戦後5件目となる。この事件では他の冤罪事件と同様に、もっぱら被疑者の自白に頼った犯罪立証が行われた。捜査段階では真夏の苛酷な環境の下、来る日も来る日も10時間を超える取り調べが行われ、当初否認していた袴田氏は勾留19日目に自白に転じている。ところが、取り調べ段階で一度は自白した袴田氏が公判段階で否認に転じたため、慌てた捜査当局は袴田氏が働いていた味噌製造工場の味噌樽の中に血染めの洋服を隠し、事件から1年以上が経ってから袴田氏が犯行時に着ていた服が見つかったとして追加で証拠提出してきた。しかし、逆に今回、東京高裁はその洋服は捜査員が捏造した証拠である疑いが濃いとして、再審を決定していた。その事実関係が再審公判で認定されれば、有罪をでっち上げるために捏造した証拠が逆に墓穴を掘る形となったわけだが、それにしても決定的とされた証拠が捏造だったことが認められるまでにあまりにも時間がかかりすぎた。事件直後に逮捕された袴田氏に対して、警察と検察は来る日も来る日も長時間の厳しい取り調べを行い、袴田氏はまともにトイレにも行かせてもらえなかったという。日本の刑事裁判でそのような拷問同然の環境下に3週間も置かれた末の自白に基づいて有罪が確定してしまうのは、裁判所がそれを有効な証拠として認めているからだ。自白を証拠とする取り調べのあり方はどうなのでしょうか。透明化、見る化を進めて自白に頼らない司法の在り方にする必要があるでしょう。欧米諸国の刑事事件で被疑者の起訴前勾留期間が最長でも2〜3日と短いのは、それ以上勾留した後で得られた自白は被疑者側から「拷問があった」と主張され、裁判所もそれを認めるため証拠として使えないからに他ならない。袴田氏の裁判で末席の裁判官を務めた熊本典道氏(故人)は晩年、袴田さんは無罪であるとの心証を得ていたが他の裁判官の意見に抗えずに有罪判決に迎合してしまったことを悔やみ、謝罪している。海外のあり方を参考にすべきではないでしょうか。日本の裁判官が無罪判決を出したがらない理由として、まず第一に無罪判決を書くのが大変だからだと証言する。裁判というのは検察の犯罪立証に対して「合理的な疑いを差し挟む余地」があれば無罪とするのが近代裁判の要諦だ。そのため裁判官が無罪判決を出すためには、検察の犯罪立証のどこに「合理的な疑いを差し挟む余地」があるかを明確に書かなければならない。その論拠が甘ければ、仮に一審で無罪となっても、検察に控訴され、二審では確実に逆転有罪となってしまう。有罪判決は容易だが無罪判決は裁判官の能力が試されるのだという。裁判官が大変な仕事であることは多くの国民が理化しているでしょうが、日本の裁判官も多様な人材を投与王する仕組みができないものでしょうか。多様な裁判官がいれば司法的に間違いのない判断でも多様な決定が下さる可能性があるのではないでしょうか。日本では起訴されたら99.9%の可能性で有罪となるが、実は警察から送検されてきた事件のうち3分の2(64.2%)は検察によって不起訴や起訴猶予処分にされ、実際は裁判にはなっていない。つまり、検察は警察から送られてきた事件のうちほぼ確実に有罪にできる全体の3分の1ほどの事件だけを起訴し、それがほぼ100%に近い確率で有罪となっているということなのだ。このように公訴権を独占していることも検察の権限が強すぎる一つの要素となっている。検察の判断がそのまま裁判所でも同じ判断になることはどうでしょうか。検察が圧倒的に優位な司法制度と、本来であればその司法をチェックするはずのメディアが、逆にその制度の走狗となって世論を誘導する中、仮に検察立証に疑いがあったとしても、裁判官にとって無罪判決を書くことには計り知れない勇気と能力と責任感、そして使命感が求められる。そもそも裁判官が有罪判決は気楽に書けるが、無罪判決を書くには覚悟が必要な制度自体が倒錯した制度と言わなければならないが、それ自体が日本の司法制度の異常さと歪みを象徴していると言っていいだろう。区民にとっては難しい問題ですが、国見的な議論をして共通理解が必要なのではないでしょうか。IMG_1790.JPG
将棋界の藤井聡太さんは日本人の誇りでしょう[2023年04月28日(Fri)]
 ABEMA TIMES2023年3月12日付け「藤井聡太王将が初防衛 羽生善治九段の挑戦を4勝2敗で退け“世紀の一戦”決着 タイトル獲得数は12期に/将棋・王将戦七番勝負」から、将棋の藤井聡太竜王(王位、叡王、王将、棋聖、20)が、3月11・12日の両日に行われた囲碁将棋チャンネル 第72期ALSOK杯王将戦七番勝負第6局で挑戦者の羽生善治九段(52)に88手で勝利し、王将位の初防衛を決めた。“世紀の一戦”と将棋界内外から大注目を集めたシリーズ成績は4勝2敗で決着。藤井王将はタイトル戦敗退なしで通算獲得数を12期に伸ばし、永世名人資格保持者の森内俊之九段(52)に並ぶ歴代8位へとまたひとつ階段を上った。
 藤井王将が、将棋界のスーパースター同士が激突した“世紀の一戦”を制し、王将位初防衛に成功した。本シリーズは前人未踏のタイトル通算99期を保持するレジェンド羽生九段を挑戦者に迎え、32歳差対決が実現。2023年1月の開幕から本局までの約2カ月で全国を遠征、大激戦を繰り広げた。  
「令和の天才VS平成の天才の激突」と将棋界内外から大注目を集めた七番勝負は、開幕局から一手損角換わり、相掛かり、雁木、角換わり、横歩取りと様々な戦型が志向され、互いに先手番で白星を奪い合うシーソーゲームに。前局では羽生九段が後手番でのブレイクを狙い若き王者を追い詰めたが、棋界トップの終盤力を誇る藤井王将が圧巻の際回しで勝利。初防衛に王手をかけた。  
決着か、フルセットか。運命の第6局は羽生九段の先手で「角換わり相早繰り銀」に。にらみ合いから、藤井王将が局面を落ち着かせて力を溜めたのち攻勢に出た。後手ペースで進行する中で羽生九段も陣形を整備し、いよいよ本格的な戦いへ。数々の難所をくぐり抜けてきた百戦錬磨の羽生九段も技を繰り出して絶妙にバランスを保ったが、防衛への意志を示すように藤井王将が強く踏み込みぐいぐいリードを拡大。圧倒的な指し回しを見せた藤井王将が、羽生九段の挑戦を退け初防衛を決めた。  
藤井王将は、羽生九段との初めての番勝負について「8時間という長い持ち時間で6局指すことができて、羽生先生の強さだったり自分の課題を感じたところがあった」と振り返り、「自分にとって得るものの多いシリーズだった。今後に活かしていけたらと思います」と語った。また、初防衛については「挑戦か防衛かというのは、(対局が)始まってしまえばそんなに関係がなく、その点は意識はしていなかった。非常に難解な将棋が多く、大変なシリーズだった。その中で良い結果を出せたかなという感じです」と喜びを語った。  
猛者ぞろいの挑戦者決定リーグを全勝で駆け抜け、20歳の王者に挑戦した羽生九段は、「いろいろな変化や読み筋がたくさん出てくるので対局していて大変なところでもあったが、勉強になったところもあったシリーズだった」と総括。タイトル通算100期はおあずけとなったが、「いろいろやってみたが、もうちょっと全体的に指し手の性格さや精度を上げないといけないなということを感じたシリーズだった。自分自身の至らないところや足りないところを改善して、また次に臨めたらいいなと思います」と未踏の地へと視線を向けた。  
この結果、藤井王将はタイトル戦敗退なしで通算獲得数を12期に伸ばし、歴代8位の森内九段の記録に並んだ。五冠を堅守したばかりの若き絶対王者だが、休まる間はない。現在は、平行して挑戦している棋王戦コナミグループ杯五番勝負に2勝1敗で初奪取に王手をかけており、3月19日には栃木県日光市で第4局が予定されている。さらに、順位戦A級を制し名人初挑戦を決めており、4月5日に開幕する名人戦七番勝負もカウントダウンが始まっている。日に日に柔らかくなる春の風を背に、次の戦いの場所へ。藤井王将の飛躍は止まらない。  こどもたちの
藤井 聡太(ふじい・そうた) 
2002年7月19日、愛知県瀬戸市出身。中学2年生時の2016年10月に史上最年少で四段昇段、史上5人目の中学生棋士となる。2020年度の第91期棋聖戦でタイトル初挑戦。渡辺明棋聖(当時)を破り、17歳11カ月で最年少タイトルホルダーとなった。以降獲得と防衛を重ねて、竜王2期、王位3期、叡王2期、王将2期、棋聖3期の通算12期。棋戦優勝は8回。通算成績は315勝63敗、勝率は0.8333。趣味は鉄道、チェス。IMG_6046.jpeg

 “世紀の一戦”と将棋界内外から大注目を集めたシリーズ成績は4勝2敗で決着。藤井王将はタイトル戦敗退なしで通算獲得数を12期に伸ばし、永世名人資格保持者の森内俊之九段(52)に並ぶ歴代8位へとまたひとつ階段を上った。五冠を堅守したばかりの若き絶対王者だが、休まる間はない。現在は、平行して挑戦している棋王戦コナミグループ杯五番勝負に2勝1敗で初奪取に王手をかけており、3月19日には栃木県日光市で第4局が予定されている。さらに、順位戦A級を制し名人初挑戦を決めており、4月5日に開幕する名人戦七番勝負もカウントダウンが始まっている。日に日に柔らかくなる春の風を背に、次の戦いの場所へ。藤井王将の飛躍は止まらない。将棋界には才能を持っている人が多い中で棋王、名人を含めて7冠を保持するのは時間の問題でしょうか。日本が誇る天才将棋棋士なのでしょう。子どもたちにとっては将棋を志す人に限らず目指すべき人でしょう。藤井五冠のようにタイトル奪取するのは誰でもできることではありませんが、好きなことをやる気を持ってやり続ければ道が拓ける可能性が出てくるかもしれません。藤井さんのような偉業を成し遂げなくても努力し続けることで得ることがあるでしょう。子どもたちにとって手本になるような人が増えてくることはいいことでしょう。IMG_6035.JPG
日本の財政は最悪の事態を考えなくてもいいのか[2023年04月27日(Thu)]
 幻冬舎GOLD ONLINE2023年3月12日付け「「日本の借金」は1,000兆円超(世界2位)・GDP比256.9%(G7トップ)…でも日本が「財政破綻」しないと断言できるワケ」から、
気になる日本の借金事情
日本は世界でもトップクラスの借金大国だという報道を耳にしたことがある人も多いのではないでしょうか。
実は、日本政府は1,000兆円を超える借金を抱えています。
「これほど多額の借金を背負ったら国が破綻してしまうのでは?」と心配する人もいるかもしれませんが、その心配はありません。
なぜ日本は多額の借金があっても財政破綻しないのか。日本の借金事情について説明していきましょう。
TOPICS どんどん増えていく日本の借金 国の借金である政府の債務は、2022年3月末時点で1,241兆円3,074億円と過去最大を更新しました。2021年3月末と比べると、24兆8,441億円増加。債務総額は、6年連続で“過去最大”を更新しました。
日本の借金の裏側にある「少子高齢化問題」
国が借り入れをするために発行する借用証書ともいえる、国債。
日本国債の発行残高は、現在約1,000兆円。日本のGDPがおよそ500〜550兆円ですので、日本全体で2年間かけて稼ぎ出す金額の借り入れがあることがわかります。
また、GDP比で見た債務残高の割合は世界トップです。
さらに、債務残高は年々増加しています。
なぜここまで日本の借金が膨れ上がったかというと、社会保障費の増加が大きく関係しています。社会保障費とは、年金や医療、介護、子ども・子育てなどの分野に給付されているお金のことです。
日本の社会保障費は、この30年ほどで10兆円から30兆円台後半まで膨れ上がっています。1960年代までさかのぼると、社会保障費は歳出の10%ほどでした。それがいまでは、全体の約34%にまで増加。
なんと国家予算の3分の1が、年金や介護、医療といった社会保障の分野にあてられているのです。
ここまで社会保障費が増加した背景にあるのは、少子高齢化。1960年代といまでは、人口構成が大きく異なります。当時は若い世代が多く、歳出の多くは教育費や医療費に費やされていました。
しかし、現在は高齢層の割合が増え、それに伴って年金や医療費に社会保障費を費やす割合が増加しています。年金制度や医療費制度の改定は度々行われてきていますが、福祉を支えるはずの現役世代の減少が想定以上のスピードで進んでいると言えます。
日本の歳出、約2割が国債費!?
国の歳出のうち、国債費が占める割合は約24兆円。1990年と比べると、約1.5倍になっています。
1960年は、歳出のうち国債費にかける割合は1.5%ほどでした。それが現在は22.3%にまで膨らんでいます。社会保障費と国債費を合わせて実に歳出の半分を超えているのです。
さらにこの状況で金利が上がると国債費もどんどん膨らみ、国の財政が締め付けられることになります。
内閣府の試算では、経済成長に伴う金利上昇であれば国債費の増加以上に税収が増え、それによって財政赤字が縮小するとされています。ただ、現在起こっていることは経済成長に伴う金利上昇ではなく、現実は厳しいと言えそうです。
世界借金ランキングから見る日本
GDPに対する比率で見た世界の借金ランキングを見ると、日本は第2位。先進国ではアメリカにおよそ2倍の差をつけて圧倒的第1位となります。 借金の少ない国には2種類あります。1つは明確な基幹産業がある国。豊富な資源などの安定した収入要因があったり、基幹産業が金融業であったりと、産業構成に偏りのある国ほど借金が少ない傾向があります。もう1つは、国の規模が小さくあまり経済発展していないこと。そもそも借金ができないのです。
Nobby‘s point 日本の危機的状況は、財務省公認? 借金ができるということは、信頼されているということでもあります。国債残高が1,000兆円もあるということは、ある意味“日本には1,000兆円の借金を支える国民がいる”ということ。それだけ、国民がちゃんとお金を持っているのです。 ただこのまま国債発行が増え続けると、どうしても「税金が上がる」という方向に行ってしまいます。
財務省が作っている「これからの日本のために財政を考える」というHPには、どれだけ日本が危機的状況かということが詳しく記載されています。おそらくIMF(国際通貨基金)からの圧力もあり、とにかく債務を圧縮したいのでしょう。
一方で日本の金利は未だに過去最低水準に抑えられています。金利が低いということはそれだけ信用力があるということですが、どこまでこの状態を保てるかは未知数です。このまま無尽蔵に国債を刷り続けることには大きなリスクが伴うことを理解すべきです。
国家の経済破綻! 日本がデフォルトする可能性は?
2009年10月、ギリシャ危機が起きました。ギリシャ政府が借金を返せない「デフォルト」という状態に陥ってしまったのです。2000年以降だと、ギリシャ以外にもドミニカやエクアドル、コートジボワールなどもデフォルトを起こしています。
理由や状況は国によって異なりますが、デフォルトが起きる一番の原因は「見通しの甘さ」。経済成長率を甘く見積もってしまったために経済成長による税収増が果たせず、借り過ぎたお金を返せなくなってしまったのです。 ここで気になるのが「日本もいつか借金を返せない状態になり、デフォルトに陥るのでは?」ということ。
日本の国債発行残高は、現在1,000兆円ほど。ギリシャがデフォルトを起こしたときの債務が43兆円ほどなので、日本のほうが桁違いに多いことになります。
またGDP比も、ギリシャは170%ほどだったのに対し、日本は200%超え。明らかに日本の状況のほうが悪そうです。
ですが結論から言うと、理論上日本がデフォルトに陥ることはありません。なぜなら、これまでにデフォルトを起こした国と日本とは大きな違いがあるからです。ここではギリシャと比較しながら考えてみましょう。
日本は自国の通貨を持っている ギリシャはユーロ圏のため、ユーロ建てで債券を発行しています。そのため、“お金が足りない分、自国で勝手にユーロを刷る”ということができません。対して日本は日本円という通貨を持っているので、借り入れが日本円で行われている限り、日本銀行がお金を刷ることができるのです。
日本の国債を買っているのは日本人 ギリシャの国債を買っていたのは、多くが海外投資家や海外の政府・金融機関でした。対して日本国債は、国内勢がその約96%を買っています。
日本政府の借り入れは、ほぼ国内で完結しているのです。
Nobby‘s point 日本人は間接的に国債を買っている 皆さんは「国債なんて買った覚えないよ!」と思うでしょう。多くの方は銀行に預金をしていますよね。その預金をもとに銀行が国債を買っているので、私たちは“間接的に”国債を買っていることになるのです。
今後さらに借金が膨れ上がり、日本政府が破綻危機に陥ることはあるかもしれません。でも日本の国債発行残高1,000兆円に対し、国民の総家計資産は2,000兆円を超えています。そう考えると、プライマリーバランス(歳出と歳入のバランス)の改善は必要ですが、いますぐデフォルトに陥るという状態ではないと言えます。IMG_7789.JPG

 日本の財政に対して楽観視していていいのでしょうか。TOPICS どんどん増えていく日本の借金 国の借金である政府の債務は、2022年3月末時点で1,241兆円3,074億円と過去最大を更新しました。2021年3月末と比べると、24兆8,441億円増加。債務総額は、6年連続で“過去最大”を更新しました。日本の借金の裏側にある「少子高齢化問題」国が借り入れをするために発行する借用証書ともいえる、国債。日本国債の発行残高は、現在約1,000兆円。日本のGDPがおよそ500〜550兆円ですので、日本全体で2年間かけて稼ぎ出す金額の借り入れがあることがわかります。また、GDP比で見た債務残高の割合は世界トップです。このような厳しい状況なのになぜ危機感を抱かないのでしょうか。ここまで日本の借金が膨れ上がったかというと、社会保障費の増加が大きく関係しています。社会保障費とは、年金や医療、介護、子ども・子育てなどの分野に給付されているお金のことです。日本の社会保障費は、この30年ほどで10兆円から30兆円台後半まで膨れ上がっています。1960年代までさかのぼると、社会保障費は歳出の10%ほどでした。それがいまでは、全体の約34%にまで増加。なんと国家予算の3分の1が、年金や介護、医療といった社会保障の分野にあてられているのです。人口減少、少子高齢化が進んでいる日本は課題を解決して明るい未来を展望できるのでしょうか。国の歳出のうち、国債費が占める割合は約24兆円。1990年と比べると、約1.5倍になっています。1960年は、歳出のうち国債費にかける割合は1.5%ほどでした。それが現在は22.3%にまで膨らんでいます。社会保障費と国債費を合わせて実に歳出の半分を超えているのです。さらにこの状況で金利が上がると国債費もどんどん膨らみ、国の財政が締め付けられることになります。借金を先送りすれば次世代の人たちはどのような生活を送ることになるでしょう。想像力を働かせて考える必要があるのではないでしょうか。日本の金利は未だに過去最低水準に抑えられています。金利が低いということはそれだけ信用力があるということですが、どこまでこの状態を保てるかは未知数です。このまま無尽蔵に国債を刷り続けることには大きなリスクが伴うことを理解すべきです。このような考え方に安住していていいのでしょうか。日本は自国の通貨を持っている ギリシャはユーロ圏のため、ユーロ建てで債券を発行しています。そのため、“お金が足りない分、自国で勝手にユーロを刷る”ということができません。対して日本は日本円という通貨を持っているので、借り入れが日本円で行われている限り、日本銀行がお金を刷ることができるのです。日本の国債を買っているのは日本人 ギリシャの国債を買っていたのは、多くが海外投資家や海外の政府・金融機関でした。対して日本国債は、国内勢がその約96%を買っています。このような楽観的な見方で大丈夫でしょうか。最悪の事態を想定して対策を講じなければならないのではないでしょうか。日本人は間接的に国債を買っている 皆さんは「国債なんて買った覚えないよ!」と思うでしょう。多くの方は銀行に預金をしていますよね。その預金をもとに銀行が国債を買っているので、私たちは“間接的に”国債を買っていることになるのです。今後さらに借金が膨れ上がり、日本政府が破綻危機に陥ることはあるかもしれません。でも日本の国債発行残高1,000兆円に対し、国民の総家計資産は2,000兆円を超えています。そう考えると、プライマリーバランス(歳出と歳入のバランス)の改善は必要ですが、いますぐデフォルトに陥るという状態ではないと言えます。本当にそうでしょうか。首都圏直下型地震、南海トラフ、北海道太平洋側の大地震など甚大な被害を及ぼすような事態になってしまっても大丈夫だというシナリオが成立するでしょうか。危機感を持って最悪の事態を想定した政策を準備していく必要はないのでしょうか。山上パノラマ後ろ姿.JPG
誰でも望む教育を受けることができる社会にすべきでは[2023年04月26日(Wed)]
 集英社オンライン2023年3月12日付け「「大学は贅沢品」「貧しいなら進学は諦めるべき」という世間の風潮に、虐待のトラウマを抱えながらも児童養護施設から医学部に進学した女子大生が思うこと」から、幼い頃から養父に虐待され、児童養護施設に暮らしていたリナさん(仮名・21歳)は、県下有数の進学高校から大学の医学部へ現役合格を果たした。勉強することを望みながらも、様々な事情で大学に進学できないという人は少なくないが、「大学は贅沢品」「貧しいなら進学は諦めるべき」と一蹴してしまうことは、社会の損失になるのではないかと彼女は語る。
児童養護施設の職員は「高卒で就職」を勧めるも
2年ほど前、ある学生から「自分を取材してほしい」と連絡がきた。児童養護施設から大学へ進学したというリナさん(仮名・21歳)は、自身が生活した児童養護施設内で感じた、「大学進学はせずに就職」という風潮に違和感を覚えていた。
自身の体験を話すことで、経済的に頼る親がいない子どもたちが進学を諦めてしまう流れを変えたい、という強い思いに触れ、彼女を取材した。
リナさんは小学5年生の時に母親が他界。母親の再婚相手である養父と2人暮らしとなったが、そこで日常的に虐待を受けるようになる。
中学生の時、養父の元を離れ、その後は児童養護施設等での生活を送るようになった。虐待される環境から離れられた後も、食事がとれない、夜眠れないなどの症状が続いたという。
そんな彼女にとって、勉強している時が、つらい過去を忘れ、現実逃避できる貴重な時間だった。勉強に打ち込んだおかげで、次第に安定した成績を残すようになる。
興味本位で主治医の先生に、「楽しい高校ってどこ?」と聞いたところ、返ってきた答えが、その主治医の先生の出身校の名前だった。そこは県下有数の進学校だったのだが、そんなことは知る由もなく、漠然とその学校を目指すようになる。
そしてその進学校に合格。彼女が育った施設には大卒者の前例がなく、職員からも高卒で就職を勧められる環境だった。しかし、リナさんの高校3年次の成績は担任から「医学部は合格圏内」と言われるほど優秀だった。そして猛勉強の末、医学部に現役合格を果たした。 そんなリナさんに現状を聞くと、「とにかく勉強が楽しい」のだという。学年が上がるにつれ、大学での勉強がますます楽しくなっているともいう。
「実習や日常の中で学びが活かされたなと思う瞬間にやりがいや楽しさを感じます。それと、今まで言葉を持っていなかった自分の中のモヤモヤや問題にしっくりくる言葉や分野に出会ったときに喜びを感じますね。やっぱり私、勉強が好きなんだなって思います」 実習も始まったという大学生活は充実したものだというが、虐待の後遺症は高校生の時より悪化しているという。後遺症は決まったトリガーがあるわけではなく、予期せぬ時に起きる。
今でも布団で寝ることができない理由
「PTSDなどを薬で抑えているので日常生活を送れています。ただ薬は自分でも恐ろしくなる量で。常に多量の薬を服用している状況です」 さらに、虐待は就寝時に行われることが多かったため、現在も布団で眠ることができない。
布団と虐待の記憶が結びついているからだ。
「机に突っ伏して寝ます。休まっているかはわかりませんが、考え得る中では一番休まる方法なので。睡眠はいつも2〜5時間ほどです。」 後遺症には波がある。悪化したときは、失声症を発症したこともあったという。
「ある日急に声が出なくなって。しばらく全く声が出ませんでした」 普通では考えられないような症状に悩まされているものの、穏やかに淡々と語る姿からは、もうそれが日常で、本人にとってはそれが「当たり前」なのだということが伝わってくる。
そんな中でも学生生活を送れるのは、勉強が楽しい、ということ以外にも理由がある。 「頼れる親類もいない状況で、もう後に引けないっていうのが大きいですね。私には休学という選択肢もないし、帰る家もないので。でも、本来ならば体調が優れない中、無理に大学で学ぶ必要もないと思っていて。高校を出て、一旦おやすみの時間が取れて、治療を受けたりして、準備ができてから大学に通うことが許容されるような、誰もが勉強したいと思ったときに勉強がしやすい環境になるといいのかなと思っています」
大学では特定の分野ではなくまずは様々な分野を学ぶ。そのため、リナさんは大学以外で行われている学会にも積極的に参加している。関心を持っているのが、心理学、その中でもトラウマの領域。
「性暴力被害の対応に関心があります。被害を受けた直後に適切なケアを受けられるかでその後のトラウマの出方が変わってきます。初期段階での対応ができるようになりたいなと思っています。医学部に進んだのは、成績が安全圏といわれたのが大きかったのですが、今は医師になりたいと明確に思うようになりました」
「大学は贅沢品」という世間の風潮に思うこと
虐待を受けていた過去を知る人から、「自分と同じ境遇の人を助けたいんだよね」と言われることがあるという。そんなとき、「すぐには言葉にできないけれど、モヤモヤしました」という。
「私は、精神医学や心理学を学ぶことにやりがいを感じています。確かに興味を持ったきっかけは自分の背景かもしれません。ですが少なくとも現在の私は、自分の境遇抜きにして、純粋にこの分野を学ぶことを楽しんでいます。 それに、自分と同じ境遇の人を救いたいという動機では、相手にも良い影響を与えないと思っています。周囲の決めつけがあると、“被害者”という立ち位置から抜け出せなくなるんですよね。私も一生『施設出身の人』として生きていく必要はない。
一見、手を差し伸べようとしたりしている人たちも、『可哀そうだね』と言いながらも、“被害者”としてしか接しないことで、サバイバーがそれ以外のアイデンティティを確立する機会や幸せになる道を阻害していると感じることもあります」
2年ぶりに会ったリナさんからは、学問に打ち込み、探求できる充足感と、将来の明確な目標や理想への熱がひしひしと伝わってきた。
「親に頼れない中、医学部に現役で合格するのは、やっぱりすごいと思いますよ」と伝えると「でも自分が特殊なケースにはなってほしくないですよね」という答えがすかさず返ってきた。生い立ちゆえに進学を諦める子どもたちがいることへの危機感は、2年前から変わらず抱き続けている。
最後に「大学は贅沢品」という世間の風潮に対して、率直に思うところを話してくれた。
「本来大学というのは、学問が好きな人たちが、学問を深めるために集う場だと思います。ただそんな中で、学問が好きで、勉強することを望んでいて、そして学んだことを社会に還元したいと思いつつ、さまざまな事情で大学に進学できないという人たちもいます。
その人たちに対して『大学は贅沢品、貧しいなら進学は諦めるべき』と一蹴してしまうのは、大きな社会損失だと思います。その人たちが学ぶことで、よりよい社会になるかもしれませんし、その人たちの存在に誰かが救われるかもしれません。お金がないなら大学は諦めろ、という言葉は、貴重な人材をドブに捨てているようなものかもしれません。
論点はずれてしまうかもしれませんが、社会は学びを求める人たちに対してもっとやさしくあるべきだし、学生は学生で、社会から“お金を投資する価値がある、この人には学んでもらいたい”と思わせるような、学問に対する誠実さが必要なのかもしれませんね」IMG_7778.JPG

 誰でも望む教育を受けることができる社会にするには大学教育まで無償にすべきでしょう。これからの日本社会を担う子どもは社会の宝でしょう。そのような子どもたちの教育に投資しない国は滅びてしまうかもしれません。勉強することを望みながらも、様々な事情で大学に進学できないという人は少なくないが、「大学は贅沢品」「貧しいなら進学は諦めるべき」と一蹴してしまうことは、社会の損失になるのではないかと彼女は語る。その通りではないでしょうか。勉強している時が、つらい過去を忘れ、現実逃避できる貴重な時間だった。勉強に打ち込んだおかげで、次第に安定した成績を残すようになる。興味本位で主治医の先生に、「楽しい高校ってどこ?」と聞いたところ、返ってきた答えが、その主治医の先生の出身校の名前だった。そこは県下有数の進学校だったのだが、そんなことは知る由もなく、漠然とその学校を目指すようになる。そしてその進学校に合格。彼女が育った施設には大卒者の前例がなく、職員からも高卒で就職を勧められる環境だった。しかし、リナさんの高校3年次の成績は担任から「医学部は合格圏内」と言われるほど優秀だった。そして猛勉強の末、医学部に現役合格を果たした。 そんなリナさんに現状を聞くと、「とにかく勉強が楽しい」のだという。学年が上がるにつれ、大学での勉強がますます楽しくなっているともいう。勉強が楽しいという子どもを増やすことは日本にとっていいことでしょう。誰でも望むのであれば好きなだけ勉強できるような制度づくりが大事でしょう。「頼れる親類もいない状況で、もう後に引けないっていうのが大きいですね。私には休学という選択肢もないし、帰る家もないので。でも、本来ならば体調が優れない中、無理に大学で学ぶ必要もないと思っていて。高校を出て、一旦おやすみの時間が取れて、治療を受けたりして、準備ができてから大学に通うことが許容されるような、誰もが勉強したいと思ったときに勉強がしやすい環境になるといいのかなと思っています」貧しい生活でも厳しい状況でも勉強ができる環境づくりが大事でしょう。国が最も力を入れるべきなのは子どもたちの教育ではないでしょうか。「本来大学というのは、学問が好きな人たちが、学問を深めるために集う場だと思います。ただそんな中で、学問が好きで、勉強することを望んでいて、そして学んだことを社会に還元したいと思いつつ、さまざまな事情で大学に進学できないという人たちもいます。その人たちに対して『大学は贅沢品、貧しいなら進学は諦めるべき』と一蹴してしまうのは、大きな社会損失だと思います。その人たちが学ぶことで、よりよい社会になるかもしれませんし、その人たちの存在に誰かが救われるかもしれません。お金がないなら大学は諦めろ、という言葉は、貴重な人材をドブに捨てているようなものかもしれません。社会は学びを求める人たちに対してもっとやさしくあるべきだし、学生は学生で、社会から“お金を投資する価値がある、この人には学んでもらいたい”と思わせるような、学問に対する誠実さが必要なのかもしれませんね」まったくその通りですね。誰でも望む教育を受けることができる社会になれば日本は世界で輝ける国になるのではないでしょうか。IMG_7768.JPG
日本はこれからも危機的な状況が続くのでしょうか[2023年04月25日(Tue)]
 現代ビジネス2023年3月12日付け「もはや「絶滅危惧種」の日本人…経済も人口も危機に陥る「絶望的な日本」がとるべき「納得すぎる生存戦略」」から、出生数が急減している人口減少日本で各業種・職種に何が起こるのか?   
ベストセラー『未来の年表 業界大変化 瀬戸際の日本で起きること』は、製造・金融・自動車・物流・医療などの各業界で起きることを可視化し、人口減少を克服するための方策を明確に示した「いま必読の1冊」だ。
日本を襲う「ダブルの縮小」
 〈人口減少がビジネスに与える影響で即座に思いつくことといえば、マーケットの縮小や人手不足だ。日本は国内需要依存型の企業が多いだけに、とりわけマーケットの縮小は死活問題である。  
しかも、マーケットの縮小とは単に総人口が減るだけの話ではない。若い頃のようには消費しなくなる高齢消費者の割合が年々大きくなっているのである。今後の日本は、実人数が減る以上に消費量が落ち込む「ダブルの縮小」に見舞われるということだ。〉(『未来の年表 業界大変化』より)  
『未来の年表 業界大変化』が危機迫って描くのは、想像以上のスピードでこの国を襲う「人口減少問題」がビジネスの世界に与える影響である。  
2022年の出生数が初の「80万人割れ」で過去最少となった。  
国立社会保障・人口問題研究所は、80万人を割るのは2030年と推計していたが、想定より8年早いペースで少子化が進んでおり、あらためて「危機的状況」が浮き彫りになった。  
今後、日本の人口減少が続くことは誰の目にも明らかで、「縮小」を前提に国家や企業、生活をどうしていくかが問われている。  
『未来の年表 業界大変化』が提示するのは、「戦略的に縮む」という戦略である。  〈各企業・行政機関が事業をスリム化し得意分野に資本や人材などを集中投入することである。消費者数も勤労世代も減っていくのだから、すべてを人口が増えていた時代のようにやろうとすることには無理がある。とりわけ各企業は得意分野に磨きをかけ、これまで以上に競争力をつけていかなければならない。そうすることで、自ずと海外でも道が開ける。  
もう1つは、従業員・職員個々のスキルアップを図り、労働生産性を向上させることだ。人手が減っていく分は、一人一人が“稼ぐ力”を強化し、労働時間を充実させることでカバーするしかない。同時に働き手の貴重な時間を奪う“無駄な会議”などを無くす必要もある。〉(『未来の年表 業界大変化』より)
人口減少問題を克服するには
ベストセラー『未来の年表』では、〈40年後には9000万人を下回り、100年も経たぬうちに5000万人ほどに減る…200年後におよそ1380万人、300年後には約450万人にまで減る…西暦2900年の日本列島に住む人はわずか6000人、西暦3000年にはなんと2000人にまで減る〉という絶望の予測が紹介されていた。  
人口減少問題を克服するには、一体どうすればいいのか。  
シリーズ最新作『未来の年表 業界大変化』では、「量的拡大モデルと決別する」「製品・サービスの付加価値を高める」「年功序列の人事制度をやめる」など10のステップを提言している。  
〈マーケットが縮小する以上、GDPや売上高が減るのは仕方ない。それをカバーするには、製品やサービス1つあたりの収益性を高めることだ。「薄利多売」から「厚利少売」(販売する商品数を少なく抑える分、利益率を大きくして利益を増やすビジネスモデル)へのシフトである。〉(『未来の年表 業界大変化』より)  
〈国内マーケットの縮小が止まらない以上、数量を稼がないと利益が上がらないというビジネスは続かない。「よりよいものを、より安く」という美徳は素晴らしいが、人口減少社会には合わないのである。消費者も含めて「よりよいものは、それ相応の価格で」と意識を変えていかなければならない。〉(『未来の年表 業界大変化』より)  
日本企業は、日本の消費者は、「よりよいものを、より安く」「薄利多売」から卒業できるだろうか。  
常識や既存の価値観を捨てられるかどうかが、日本の未来を大きく左右している。IMG_1402[1].JPG

 〈人口減少がビジネスに与える影響で即座に思いつくことといえば、マーケットの縮小や人手不足だ。日本は国内需要依存型の企業が多いだけに、とりわけマーケットの縮小は死活問題である。しかも、マーケットの縮小とは単に総人口が減るだけの話ではない。若い頃のようには消費しなくなる高齢消費者の割合が年々大きくなっているのである。今後の日本は、実人数が減る以上に消費量が落ち込む「ダブルの縮小」に見舞われるということだ。〉人口減少、少子高齢化の状況では明るい展望を描くのが容易でないでしょう。国立社会保障・人口問題研究所は、80万人を割るのは2030年と推計していたが、想定より8年早いペースで少子化が進んでおり、あらためて「危機的状況」が浮き彫りになった。  今後、日本の人口減少が続くことは誰の目にも明らかで、「縮小」を前提に国家や企業、生活をどうしていくかが問われている。大変なことですね。予想よりも8年早く厳しい状況が明らかになってきたことにどのように対処するのでしょうか。従業員・職員個々のスキルアップを図り、労働生産性を向上させることだ。人手が減っていく分は、一人一人が“稼ぐ力”を強化し、労働時間を充実させることでカバーするしかない。同時に働き手の貴重な時間を奪う“無駄な会議”などを無くす必要もある。従業員雄くるアップだけで対応できる話ではないでしょう。海外からの移住者を増やすことを真剣に考えるべきでしょう。ただ増やそうとしても移住者は来てくれないでしょう。日本語研修の充実と共生社会の実現の政策が必要でしょう。〈国内マーケットの縮小が止まらない以上、数量を稼がないと利益が上がらないというビジネスは続かない。「よりよいものを、より安く」という美徳は素晴らしいが、人口減少社会には合わないのである。消費者も含めて「よりよいものは、それ相応の価格で」と意識を変えていかなければならない。〉日本企業は、日本の消費者は、「よりよいものを、より安く」「薄利多売」から卒業できるだろうか。常識や既存の価値観を捨てられるかどうかが、日本の未来を大きく左右している。斬新的な発想の転換を図る必要に迫られているのでしょう。企業と消費者だけの問題ではありません。政治が機能しなければ実現できないでしょう。中高年男性中心の偏った政治から脱却して女性、若者を含めた多様な人材が活躍でいる社会構造にしなければならないでしょう。IMG_1401[1].JPG

これからの厳しいと予想される日本経済の責任は誰が取るのか[2023年04月24日(Mon)]
 MINKABU2023年3月11日付け「さわかみ投信の澤上「どうあがいても日本の金利は上昇せざるを得ない。国民生活は当然苦しくなっていく」」から、植田和男新総裁の誕生について、各方面での評価が高い。とは言え、いわゆる「金融緩和の出口」へ向けて、数多くの難問を抱えていることも事実だ。みんかぶプレミアム特集「植田和男研究」第7回では、わが国長期投資の第一人者であり、カリスマでもある澤上篤人さんに、今後の日銀の課題を語ってもらった。
「八方ふさがり」の日銀‥総裁を引き受けた植田氏は「勇気がある」
 日銀総裁に、経済学者出身の植田和男さんが就任する。植田さんはこの状況で「よく引き受けたものだ」というのが正直な感想だ。かねてより伝えている通り、今の日銀は八方ふさがりで打つ手がほとんど残っていない。ある意味、「もの凄い勇気があるな」と思う。  
まず、日銀が現在のような状況になってしまったのは、黒田東彦・現総裁が政府、つまり安倍首相に忖度し続けてきた結果だと思っている。植田さんが初の学者出身だということで注目されているが、黒田さんは旧大蔵省の官僚、つまり行政官の出身だ。政治家の指示通りに動くのは当たり前で、10年間、アベノミクスという政策を遂行することだけが仕事だった。10年もの間、官僚に中銀総裁をやらせた日本がおかしいのではないかと思うが、この間、本来の中央銀行の役割である「通貨の番人」を放棄してしまっていた。
とは言え、この10年間は、FRBにしろECBにしろ、「金利を下げろ」「株価を上げろ」という政治の圧力を受け続けてきたことに変わりない。だが、アメリカでは2021年夏ごろからインフレが進行し始めて初めて、ようやくFRBが本来の役割を果たせるようになってきた。政治圧力が「株価を上げろ」から「インフレを抑えろ」に一転したためだ。物価の安定へ向けて、ようやく本来の中銀の役割と政府の思惑が一致するようになってきた。  
ところが日本の場合はどうだろう。年末に、黒田総裁が一部政策を変更して、YCC(イールドカーブ・コントロール)の上限金利を0.25%から0.5%に引き上げたが、途端に10年物長期金利は0.5%のラインを超えてしまった。以前から伝えている通り、海外の機関投資家が、猛烈な勢いで売り浴びせているからだ。それに対して、日銀は依然として国債を買い続けて金利上昇を抑えてきたが、そろそろ限界だろう。保有国債の含み損は昨年後半の3カ月で10倍の8兆円超となり、今でも増え続けている。  
どうあがいても、日本の金利は上昇せざるを得ない。日銀がいくら原価法を取っているから問題が無いと言っても、世界のマーケットはそうは見ていない。しかも、現実問題として、金利が上がれば利払い費が増加していく。現在、日銀は当座預金に500兆円超の残高があるが、金利が1%上昇すれば、5兆円の利払い増になる。純資産が11兆円に過ぎない日銀が、金利支払いの原資をどこから捻出するというのだろうか。その金利負担を政府が金融機関に押し付けるなんてことになったら、まさしく「モラルハザート」の極みだ。  日銀の動きはともかくとして、今の状況が続くと、物価は上昇し続け、円安もあって、インフレがさらに進行する。当然、国民生活は苦しくなっていく。それに対し、政府はエネルギー補助金などでそれを抑えようとしている。それはそれで大事なことなのだが、本来はインフレが続けば、国民は節約して消費を抑え、企業は省エネに全力を挙げるしかない。自助の対応努力、これが経済の自然な流れだ。ところが、なんでも国頼みの日本では対策のばらまきを続けるから、消費は減らず、さらにインフレ圧力が掛かる。インフレを抑えるどころか助長しかねないし、もちろん、財政もますます悪化していく。20220208_093203.jpg
 植田和男新総裁の誕生について、各方面での評価が高い。とは言え、いわゆる「金融緩和の出口」へ向けて、数多くの難問を抱えていることも事実だ。日銀総裁に、経済学者出身の植田和男さんが就任する。植田さんはこの状況で「よく引き受けたものだ」というのが正直な感想だ。かねてより伝えている通り、今の日銀は八方ふさがりで打つ手がほとんど残っていない。ある意味、「もの凄い勇気があるな」と思う。まず、日銀が現在のような状況になってしまったのは、黒田東彦・現総裁が政府、つまり安倍首相に忖度し続けてきた結果だと思っている。植田さんが初の学者出身だということで注目されているが、黒田さんは旧大蔵省の官僚、つまり行政官の出身だ。政治家の指示通りに動くのは当たり前で、10年間、アベノミクスという政策を遂行することだけが仕事だった。10年もの間、官僚に中銀総裁をやらせた日本がおかしいのではないかと思うが、この間、本来の中央銀行の役割である「通貨の番人」を放棄してしまっていた。前日銀総裁の政策に対する検証をして問題があれば、その責任の所在をはっきりさせる必要はないのでしょうか。年末に、黒田総裁が一部政策を変更して、YCC(イールドカーブ・コントロール)の上限金利を0.25%から0.5%に引き上げたが、途端に10年物長期金利は0.5%のラインを超えてしまった。以前から伝えている通り、海外の機関投資家が、猛烈な勢いで売り浴びせているからだ。それに対して、日銀は依然として国債を買い続けて金利上昇を抑えてきたが、そろそろ限界だろう。保有国債の含み損は昨年後半の3カ月で10倍の8兆円超となり、今でも増え続けている。どうあがいても、日本の金利は上昇せざるを得ない。日銀がいくら原価法を取っているから問題が無いと言っても、世界のマーケットはそうは見ていない。しかも、現実問題として、金利が上がれば利払い費が増加していく。現在、日銀は当座預金に500兆円超の残高があるが、金利が1%上昇すれば、5兆円の利払い増になる。純資産が11兆円に過ぎない日銀が、金利支払いの原資をどこから捻出するというのだろうか。その金利負担を政府が金融機関に押し付けるなんてことになったら、まさしく「モラルハザート」の極みだ。日銀の動きはともかくとして、今の状況が続くと、物価は上昇し続け、円安もあって、インフレがさらに進行する。当然、国民生活は苦しくなっていく。国民の生活のことを真剣に考えているのでしょうか。本来はインフレが続けば、国民は節約して消費を抑え、企業は省エネに全力を挙げるしかない。自助の対応努力、これが経済の自然な流れだ。ところが、なんでも国頼みの日本では対策のばらまきを続けるから、消費は減らず、さらにインフレ圧力が掛かる。インフレを抑えるどころか助長しかねないし、もちろん、財政もますます悪化していく。政府はどのような展望を抱いているのでしょうか。インフレが抑制できなくなれば国民の生活が厳しい状況に陥り、財政状況も悪化することが予想されないでしょうか。悪い状況を考えてこれからのことを真剣に受け止めて対策を考えているのでしょうか。20220117_153620.jpg
多様な考え方を受け止めることは大事では[2023年04月23日(Sun)]
 現代ビジネス2023年3月11日付け「「資本主義はあと2年でダメになる」「東京を捨てて逃げたほうがいい」…森永卓郎が本気でそう考える理由」から、出生数80万人割れ、物価高・低賃金、増負担時代……人口激減&家計大苦難時代に私たちはどう生き延びることができるのか、日本の企業はどうすべきか?   
話題の新刊『増税地獄 増負担時代を生き抜く経済学』(角川新書)の上梓した経済アナリスト・森永卓郎さんと、累計100万部突破シリーズの最新刊『未来の年表 業界大変化』(講談社現代新書)著者のジャーナリスト・河合雅司さんが、日本の大問題と厳しい現実について語り合った。
森永:河合さんの新刊『未来の年表 業界大変化』を読んで思ったのですが、この『未来の年表』シリーズは、すごく誠実にデータと向き合い、きちんと当たると思わせる予測を提示されていて、いつも感心するのです。  
河合:ありがとうございます。森永さんの新刊『増税地獄 増負担時代を生き抜く経済学』も、タイトルで少しギョッとしましたが、現下の厳しい状況をベースに、個人レベルでどうやって生き抜いていけばいいのかを教えてくれる本だと思いました。  
森永:今回の『増税地獄』は、これまで『相続地獄』(光文社新書)、『長生き地獄』(角川新書)と出してきた『〇〇地獄』シリーズという位置づけなのですが、私は河合さんとは性格がたぶん逆なので、どうしてもセンセーショナルな方向にいってしまいます。競馬でいうと、河合さんの『未来の年表』シリーズが本命なのに対して、私の『〇〇地獄』シリーズは万馬券狙いみたいな感じでしょうか(笑)  
河合:じゃあ森永さんは一発当たると大きいのですね(笑)  
さて森永さんは、いまの日本が直面している最大の問題はどこにあるとお考えなのでしょうか?   
森永:またセンセーショナルなことを言うと思われそうですが、私はいまの資本主義が維持できるのはあと2年程度だと思っています。それに伴って、東京という大都市が続けてきた繫栄もあと2年ほどで終わりを告げるでしょう。だから「みんなで東京を捨てて逃げたほうがいい」と言っているのです。  
河合:著書のなかでも、ご自身で自給自足に近い生活を実践されていることが書かれていましたね。  
森永:究極的なことを言えば、首都直下型地震が発生するリスクが大きいと思っているんです。1923年に起きた関東大震災からちょうど100年の周期を迎えた今年か来年あたりに地震が来る確率はかなり高いはずなのですが、この話をしてもあまりウケない(笑)  
河合:地震がいつ起きるのかについては、さすがに私も予測できません(笑)  
森永:それはそれとして、私はいまの世界経済は1929年10月24日「暗黒の木曜日」に始まった世界恐慌の状況に似てきていると思っています。岸田政権が増税による財政健全化や金融引き締めなどを過剰に進めると、当時の大恐慌ほどではないにしても、小さな恐慌程度はいつ起きてもおかしくないでしょう。  
河合:なるほど。私の場合は森永さんほどにドラスティックな変化は想定しておらず、人口動態から「将来こういう社会になる」という予測可能性の高いシナリオを書いてきました。ご存じのとおり、人口の未来は「予測」ではなく、過去の出生状況の「結果」です。今年生まれた子どもの数が、20年後の20歳人口になるわけですから、人口の未来はほぼ外れることがありません。  
森永:おっしゃる通りです。だからこそ河合さんの『未来の年表』シリーズの内容は本命なのですね。
 河合:そのうえで森永さんにお聞きしたいのは、大地震などのような突発的な自然災害が起きなかったとして、それでも資本主義があと2年ほどでダメになると考える理由は何でしょうか?   
森永:理由としては3つあります。  
まず1つ目に、所得格差がとてつもないレベルまで拡大してしまったことです。国際NGOが2019年に発表したデータが話題になりましたが、世界人口のうち所得の低い半数の38億人の総資産と、最も裕福な26人の富豪が同額の資産をもっているというのです。コロナ禍を経て、所得格差はさらに拡大していることでしょう。  
河合:日本でも格差が拡大していることを森永さんはご指摘されていますね。  
森永:はい。日本では、所得に対して税金や社会保障費をどれだけ支払っているかを示す「国民負担率」がジリジリと上昇しており、2021年度では48%にまで増えているのです。働いて10万円稼いでも、税金と社会保険料で4万8000円が徴収され、手取りはたった5万2000円しかないというのが庶民の現実です。  
一方で、年間所得が1億円を超えるような富裕層は、株式等の譲渡所得の割合が増えるため、相対的に税負担が減るのです。お金持ちほど税負担が小さいという日本のシステムでは、格差はさらに拡大するでしょう。  
河合:上場株式の売却益などにかかる税率は一律20%ですからね。所得税よりもはるかに安い税率となります。  
続いて2つ目の理由はなんでしょう?   
森永:2つ目には環境問題があります。グローバル資本主義の進展により世界中で工業化が進んだ結果、温室効果ガス排出による地球温暖化の問題が顕在化しているのです。人類への深刻な影響が出るかどうかの境目は「産業革命前からの気温上昇を1.5度」のラインだと言われていますが、私はそれを超えてしまうのも時間の問題ではないかと思っています。マルクスも、資本主義が環境を破壊することを予見していました。  
最後に3つ目の理由として、若い人たちの考え方の変化を挙げたいと思います。いわゆるブラック企業や、ブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)に嫌気がさして、都会での労働を捨てて田舎で暮らそうとする若者が出てきました。  
河合:私も日本企業に蔓延るブルシット・ジョブには批判的な立場です。労働生産性を下げる要因となっているだけでなく、人の働く意欲を削ぎますからね。  
森永:もちろんまだ少数です。しかし一つの兆候として、ふるさと回帰支援センターの相談件数がコロナ前から急増していて、今では年間5万件程度にまでなっていることが挙げられます。都会で暮らすには生活コストが高いので、資本の奴隷にならざるを得ません。であれば、田舎で自由に暮らしたほうがいいと考える若者が増えてきているのです。  
これらの動きからも、資本主義という仕組み自体をひっくり返す大きな転換期が近づいていると感じるのです。
 河合:特に3つ目のご指摘は興味深いところですね。ただ、地方移住はよいのですが、それぞれが思い思いの場所に移り住むと人口減少社会においては問題が生じます。  
今後の日本は、人口減少によって労働者も消費者も減っていきます。人口減少による国内需要の縮小と、高齢化に伴う消費量の縮小、さらに冒頭で森永さんがご指摘されたような可処分所得の縮小まで重なる、「トリプルでの国内マーケット縮小」が日本を襲うのです。  こうした状況下で、人々が分散して住んでいたのでは商圏がより速く縮小し、立地できない企業や商店が増えます。それでは生活もビジネスが成り立たなくなるので、私は「多極分散」ではなく「多極集中」で商圏を少しでも維持していく必要性を『未来の年表』シリーズでも訴えてきました。  
森永:移住するにしても個々人が思い思いに田舎に住むのではなく、全国各地の「極」となる都市に、なるべく集中して住んでもらおうという考え方ですね。それらの都市はどのくらいの規模をイメージされているのでしょうか?   
河合:国交省は、人口10万人程度の商圏であれば大半の業種が存続可能だとしています。10万人都市をつくれということではなく、複数の自治体でこれぐらいの商圏規模を維持できれば生活に不可欠なサービスを概ね維持し得るとのシミュレーションです。全国で道路網が整備されましたし、デジタル技術も使えばかなり多くの地域で10万人商圏を形成することはできると思います。  
ところで、人口が急激に減少していく中で「地方」に移住していくというのは、まさに森永さんが実践されているような自給自足的なライフスタイルへと転換していくことでもありますよね。果たして多くの人にとって、そうした暮らし方は実践可能なのでしょうか?20220322_143714.jpg 

 多様な人たちが多様な考えを述べますが、簡単に切り捨てるのではなく受け止める姿勢が大事なのではないでしょうか。私はいまの資本主義が維持できるのはあと2年程度だと思っています。それに伴って、東京という大都市が続けてきた繫栄もあと2年ほどで終わりを告げるでしょう。だから「みんなで東京を捨てて逃げたほうがいい」と言っているのです。究極的なことを言えば、首都直下型地震が発生するリスクが大きいと思っているんです。1923年に起きた関東大震災からちょうど100年の周期を迎えた今年か来年あたりに地震が来る確率はかなり高いはずなのですが、この話をしてもあまりウケない(笑)もし直下型地震が発生したらどのような状況に陥るのか想像することは大変重要だと思います。私はいまの世界経済は1929年10月24日「暗黒の木曜日」に始まった世界恐慌の状況に似てきていると思っています。岸田政権が増税による財政健全化や金融引き締めなどを過剰に進めると、当時の大恐慌ほどではないにしても、小さな恐慌程度はいつ起きてもおかしくないでしょう。このような見方もあるのですね。所得格差がとてつもないレベルまで拡大してしまったことです。国際NGOが2019年に発表したデータが話題になりましたが、世界人口のうち所得の低い半数の38億人の総資産と、最も裕福な26人の富豪が同額の資産をもっているというのです。コロナ禍を経て、所得格差はさらに拡大していることでしょう。日本では、所得に対して税金や社会保障費をどれだけ支払っているかを示す「国民負担率」がジリジリと上昇しており、2021年度では48%にまで増えているのです。働いて10万円稼いでも、税金と社会保険料で4万8000円が徴収され、手取りはたった5万2000円しかないというのが庶民の現実です。一方で、年間所得が1億円を超えるような富裕層は、株式等の譲渡所得の割合が増えるため、相対的に税負担が減るのです。お金持ちほど税負担が小さいという日本のシステムでは、格差はさらに拡大するでしょう。上場株式の売却益などにかかる税率は一律20%ですからね。所得税よりもはるかに安い税率となります。確かに格差が拡大していく可能性はあるのでしょう。2つ目には環境問題があります。グローバル資本主義の進展により世界中で工業化が進んだ結果、温室効果ガス排出による地球温暖化の問題が顕在化しているのです。人類への深刻な影響が出るかどうかの境目は「産業革命前からの気温上昇を1.5度」のラインだと言われていますが、私はそれを超えてしまうのも時間の問題ではないかと思っています。マルクスも、資本主義が環境を破壊することを予見していました。最後に3つ目の理由として、若い人たちの考え方の変化を挙げたいと思います。いわゆるブラック企業や、ブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)に嫌気がさして、都会での労働を捨てて田舎で暮らそうとする若者が出てきました。私も日本企業に蔓延るブルシット・ジョブには批判的な立場です。労働生産性を下げる要因となっているだけでなく、人の働く意欲を削ぎますからね。もちろんまだ少数です。しかし一つの兆候として、ふるさと回帰支援センターの相談件数がコロナ前から急増していて、今では年間5万件程度にまでなっていることが挙げられます。都会で暮らすには生活コストが高いので、資本の奴隷にならざるを得ません。であれば、田舎で自由に暮らしたほうがいいと考える若者が増えてきているのです。しかし、単純に地方移住が一気に進むかと言えばそう簡単ではないでしょう。特に女性は田舎暮らしに対していいイメージを持っているでしょうか。古い考え方が支配的な田舎が嫌だから首都圏に出て来ているかもしれません。地方がデジタル化に対応して変化を遂げても少子化の中では地方の中で奪い合いが起こり厳しい状況になって勝ち組と負け組がはっきりしてしまう可能性もあるかもしれません。IMG_0156.jpg
日本だけが世界の中で特別なのでは[2023年04月22日(Sat)]
 デイリー新潮2023年3月11日付け「【放送法問題】先進国で政府がテレビを監視しているのは日本だけ…本来論じられるべき3つの問題」から、放送法に定められた政治的公平性をめぐる、安倍政権下の官邸と総務省のやりとりの文書に関し、与野党の攻防が続いている。放送法の政治的公平に関する問題は20年以上にわたって繰り返し浮上するが、何一つ解決していない。報道機関であるテレビ局が政府である総務省に監督される仕組み自体、そもそもおかしな話なのだ。こんな先進国はほかにない。
 放送法に関して本当に論じられるべき問題は次の3つだ。  
第1にテレビ局が、政府である総務省に監督される仕組みを続けていていいのか。報道機関であるテレビ局は本来、政府を監視する立場なのだ。  
政府がテレビ局を監督している先進国は日本以外にない。海外先進国には政権党をはじめとする政治から独立した放送規制機関がある。米国はFCC(連邦通信委員会)、英国はOfcom(放送通信庁)、フランスはCSA(視聴覚高等評議会)、ドイツはBNetzA(連邦ネットワーク庁)である。  
これらの組織はテレビ局と番組を厳格にチェックする一方で、政治がテレビ局に介入することを許さない。だから海外先進国のテレビ各局の独立性は守られ、厳しい政権批判も行えている。  
象徴的なのは英国の公共放送であるBBCの報道。例えば1982年、時のサッチャー政権がアルゼンチンを相手にフォークランド紛争に臨もうとしていた矢先、「紛争は回避できるか」と非戦の可能性を探る番組を放送した。戦意の昂揚に努めていたサッチャー氏は激怒した。  
さらにサッチャー氏はBBCに「英軍」を「わが軍」と呼ばせたがったが、BBCは最後まで「英軍」で通した。過激な愛国主義が台頭するのを恐れたからだ。日本のNHKと民放だったら、どうするだろう。
「政府がテレビ局を監督する」という歪んだ仕組み
 放送法をめぐる与野党の議論はほかの先進国からすると、完全に周回遅れの話なのだ。野党は「総務省がテレビ局を監督する奇怪さ」を真っ先に問題視すべきなのである。新聞報道もそうだ。  
ただし、その声を上げにくい事情が新聞と民放にはある。海外先進国には独立放送規制機関がある一方で、新聞とテレビ局が同一資本で結びつくクロスオーナーシップを禁止または制限している。朝日新聞とテレビ朝日、読売新聞と日本テレビのような関係はあり得ないのだ。  
独立放送規制機関はテレビ局への政治の介入を許さぬだけでなく、ほかの報道機関がテレビ局に影響力をおよぼすことも認めない。テレビ局の独立性が損なわれるからである。独立放送規制機関が生まれたら、現状のクロスオーナーシップ制度は許されない。  
そもそもクロスオーナーシップは視聴者に不利益をもたらす。報道や言論の多様化の妨げになるからだ。事実、在京キー局5局と系列新聞は論調がほぼ一緒で、グループのマイナスになることはまず報じない。これでは報道や言論の幅が狭まる。また新聞は系列民放の不利益に繋がるNHKの業務拡大には猛反対する。
「政府がテレビ局を監督する」という歪んだ仕組みが許され続けた責任の一端は、新聞と民放にある。クロスオーナーシップに踏み込まれることを好まない新聞と民放は、独立放送規制機関の必要性を強く訴えなかった。海外先進国の実情を報じることすら少ない。  一方で、テレビ局の監督を続けたいであろう政府が、独立放送規制機関の設立を呼び掛けるはずがない。これでは独立放送規制機関を望む世論は生まれない。その存在すら、あまり知られていない。
 政府が経営委員を選ぶ…NHKと政権の奇怪な関係
 第2に、放送法で規定されたNHKの統治システムが今のままで良いのかという問題である。  
放送法の「日本放送協会」についての定めにより、NHKは政権党にとって極めてキ合の良い存在になっている。受信料を支払っている視聴者がオーナーであることが忘れられている。  
NHKの基本方針を決める12人の経営委員は政府が選び、それを国会が同意することになっている。しかし、政権党が国会の過半数を握っている限り、不同意はあり得ない。すんなり政府案で決まる。さらに会長は経営委員会が選ぶから、政権党は容易にNHKをコントロールできる。  
こんな公共放送が存在する先進国も存在しない。ちなみにBBCの場合、組織の方向性を決める理事会(14人)のうち、理事長と4人の地域担当理事は公平性を確保した上で、受信許可料を支払った市民の目に見える形で決められ、最終的には政府が任命する。  
トップの理事長は公募制だ。残り9人の理事はBBCが任命する。会長はBBCが任命した理事から選ぶ。この仕組みは理想が追求され続けており、定期的に見直されている。
 一方、政権党に首根っこを押さえられているNHKは、政権党内の権力者が交代すると、同局内も変わってしまう。  
デイリー新潮が3月7日に報じた通り、今年1月に就任した日銀元理事でNHK新会長の稲葉延雄氏(72)は、元みずほフィナンシャルグループ会長の前田晃伸前会長(78)による改革を見直す方針である。全職員に対し、前田改革についての意見を募り始めた。
トップが交代した途端、前任者の改革が見直されるのは前代未聞のことだ。株式会社だって極めて珍しい。背景にはNHKに最も強い影響力を持っていた安倍晋三元首相の死がある。  
安倍氏には経済人による応援団的組織「四季の会」が存在した。前田氏は同会のメンバーだった。会の中心人物は故葛西敬之・JR東海名誉会長で、「NHKのキングメーカー」とも呼ばれていた。安倍氏に会長人事を進言する立場にあったからである。
 NHKトップ交代でも政府との関係は続く
 前田氏も安倍氏と葛西氏の眼鏡にかなったから会長に就任したとされている。強大な力を持つ2人が後ろ盾になっていたから、大胆な人事改革、賃金カット、NHKの歴史と伝統を否定するような組織改革が断行できた。  
ところが、昨年5月に葛西氏が他界。安倍氏も同7月に逝去した。2020年1月の前田氏の会長就任時とは状況が全く変わってしまった。後任の稲葉氏は安倍氏、葛西氏とはほとんど関係がない。それもあって、前田改革の見直しに躊躇しないのだろう。  
前田氏は現職会長だった昨年2月の定例会見で「(改革の)成果は時間が経たないと見えてこない」と語っていた。だが、その成果が出ず、職員から怨嗟の声ばかりが聞こえてくる段階改革は修正されることになる。後ろ盾だった安倍氏、葛西氏が存命だったら、こんなことはなかったはずだ。  
前田氏はさぞ悔しいだろうが、2人がいたからこそ会長になれたのだから、仕方がない。視聴者や職員たちの信任を受けての就任ではなかった。  
ただし、これで政治とNHKの関係が切れたわけではない。稲葉氏は岸田文雄首相(65)と近い。岸田氏が会長を務める派閥「宏池会」の先輩・故宮沢喜一元首相が、敏腕日銀マンだった当時の稲葉氏を高く買っていたことが発端だ。  
また、稲葉氏は宮沢氏の甥の宮沢洋一・自民党税制調査会長(72)と東京教育大(現筑波大)付属中高の同級生で、気脈が通じている。これも岸田氏を安心させる材料になっているようだ。  
NHK会長の任命権者が「清和会」(旧安倍派)から「宏池会」に移っただけとも言える。これではNHKが視聴者のものであるはずがない。放送法「日本放送協会」の下りは改定されるべきだ。海外の公共放送にならえば、そう難しいことではないはず。問題は政府がそれを許すかどうかのみだ。  
政権とも戦うBBCへの高い支持は世論調査でも裏付けられている。
「オレたちの公共放送」である。一方のNHKは今のままでは受信料をどれだけ下げても視聴者の不満は収まらないだろう。政権と近い分、視聴者との距離があり過ぎる。
 放送法に政治的公平なんて必要なのか? 
 第3に、放送法4条にある政治的公平が必要かどうかである。  
もう、なくしてもいいのではないか。極論ではない。例えば米国にも「フェアネス・ドクトリン(公平原則)」があったが、1987年に撤廃された。日本でも2018年、当時の安倍政権下の政府規制改革推進会議が政治的公平の撤廃を検討している。  
もはやネット配信は当たり前の時代になり、テレビと同様にスポーツ中継が楽しめる。政治を扱う配信チャンネルもある。にもかかわらず、テレビにだけ政治的公平が求められ、それを逸脱したと政府が考えると、停波の可能性まで浮上する。不思議な話だ。新聞、雑誌にも政治的公平の縛りなんて存在しないのは書くまでもない。  
米国の法学者で国連特別報告者のデイヴィッド・ケイ氏は、2017年に提出した訪日報告書で、政治的公平を定めた放送法4条の廃止を勧告した。政治的公平がテレビ局の報道の自由を制限しているという指摘だ。思うような政治報道をやりにくくしているからである。  
一方、政府は政治的公平があると、テレビ局を管理しやすい。政権党が、気にくわない政治報道をするテレビ局に対し、総務相を通じて「公平ではない」とレッテルを貼り、停波を命じることも可能だからである、停波になったら潰れる恐れもあるため、テレビ局は政権に楯を突けない。  
テレビが政治的公平から解放されようが、そう大胆な番組はつくれないから、心配は無用だろう。特定の政党に与する報道をしたら、視聴者から「偏向番組」として糾弾される。偏った新聞や雑誌、動画が広く受け入れられず、時に激しく批判されるのと同じである。  
政治的公平が定められている限り、現在の与野党攻防のような問題は永遠になくならない。公平かどうかなんて、誰にも判断できないのだから。IMG20211002132137.jpg
 報道機関であるテレビ局が政府である総務省に監督される仕組み自体、そもそもおかしな話なのだ。こんな先進国はほかにない。なぜこのようなことが容認されるのでしょうか。自民党が国会で圧倒的に多くの議席を確保しているからでしょうか。第1にテレビ局が、政府である総務省に監督される仕組みを続けていていいのか。報道機関であるテレビ局は本来、政府を監視する立場なのだ。政府がテレビ局を監督している先進国は日本以外にない。海外先進国には政権党をはじめとする政治から独立した放送規制機関がある。米国はFCC(連邦通信委員会)、英国はOfcom(放送通信庁)、フランスはCSA(視聴覚高等評議会)、ドイツはBNetzA(連邦ネットワーク庁)である。これらの組織はテレビ局と番組を厳格にチェックする一方で、政治がテレビ局に介入することを許さない。だから海外先進国のテレビ各局の独立性は守られ、厳しい政権批判も行えている。どうして世界では常識的なあり方が日本ではできないのでしょうか。国民は大いに疑問を持つべきでしょう。放送法をめぐる与野党の議論はほかの先進国からすると、完全に周回遅れの話なのだ。野党は「総務省がテレビ局を監督する奇怪さ」を真っ先に問題視すべきなのである。新聞報道もそうだ。ただし、その声を上げにくい事情が新聞と民放にはある。海外先進国には独立放送規制機関がある一方で、新聞とテレビ局が同一資本で結びつくクロスオーナーシップを禁止または制限している。朝日新聞とテレビ朝日、読売新聞と日本テレビのような関係はあり得ないのだ。独立放送規制機関はテレビ局への政治の介入を許さぬだけでなく、ほかの報道機関がテレビ局に影響力をおよぼすことも認めない。テレビ局の独立性が損なわれるからである。独立放送規制機関が生まれたら、現状のクロスオーナーシップ制度は許されない。テレビ局への政治の会介入を認めないことが大事でしょう。どうしてそれができないのでしょうか。原点はテレビ局の独立性は担保されなければならないということでしょう。放送法で規定されたNHKの統治システムが今のままで良いのかという問題である。放送法の「日本放送協会」についての定めにより、NHKは政権党にとって極めてキ合の良い存在になっている。受信料を支払っている視聴者がオーナーであることが忘れられている。NHKの基本方針を決める12人の経営委員は政府が選び、それを国会が同意することになっている。しかし、政権党が国会の過半数を握っている限り、不同意はあり得ない。すんなり政府案で決まる。さらに会長は経営委員会が選ぶから、政権党は容易にNHKをコントロールできる。こんな公共放送が存在する先進国も存在しない。ダメなことはダメと国民が大きな声を上げて意思表示することが大事でしょう。野党やマスコミだけではチェック機能が働いていない状況でしょう。安倍氏には経済人による応援団的組織「四季の会」が存在した。前田氏は同会のメンバーだった。会の中心人物は故葛西敬之・JR東海名誉会長で、「NHKのキングメーカー」とも呼ばれていた。安倍氏に会長人事を進言する立場にあったからである。前田氏も安倍氏と葛西氏の眼鏡にかなったから会長に就任したとされている。強大な力を持つ2人が後ろ盾になっていたから、大胆な人事改革、賃金カット、NHKの歴史と伝統を否定するような組織改革が断行できた。このように政治に左右されるNHKのあり方が問題なのかもしれません。もはやネット配信は当たり前の時代になり、テレビと同様にスポーツ中継が楽しめる。政治を扱う配信チャンネルもある。にもかかわらず、テレビにだけ政治的公平が求められ、それを逸脱したと政府が考えると、停波の可能性まで浮上する。不思議な話だ。新聞、雑誌にも政治的公平の縛りなんて存在しないのは書くまでもない。テレビが政治的公平から解放されようが、そう大胆な番組はつくれないから、心配は無用だろう。特定の政党に与する報道をしたら、視聴者から「偏向番組」として糾弾される。偏った新聞や雑誌、動画が広く受け入れられず、時に激しく批判されるのと同じである。政治的公平が定められている限り、現在の与野党攻防のような問題は永遠になくならない。公平かどうかなんて、誰にも判断できないのだから。政治的公平性、中立性は当たり前だからそれをとやかく騒ぐのではなく、国民がチェックすればいいことかもしれません。偏った報道すれば激しく批判されれば済むことでしょう。国民がしっかりチェック、批判できるようにすればいいのでしょう。政治家は国民の生活のことをしっかり考えて住み易い社会を構築することに一生懸命になってくれればいいのでしょう。20220323_110745.jpg

身の丈に合わせた生活を送っていると言ってもいいのでしょうか[2023年04月21日(Fri)]
 婦人公論.jp2023年3月10日付け「年金月5万円71歳の紫苑 家を買ったのを後悔するほど我が家の「難所」だった階段。区に手すりの設置を相談してみたら、意外な結末が待っていた」から、
母子家庭で、二人の子どもを育てながらフリーランスで仕事をしてきた71歳のひとりシニア・紫苑さん。そのため年金の額は月に5万円ですが、お金を遣わなくても安心して暮らすための工夫の数々をブログに記すと話題となり、楽しい毎日の様子は新聞やテレビなどでも紹介されるようになりました。その紫苑さんの節約術を日々の暮らしとともに紹介していくのが当連載。第9回のテーマは「公的制度について」です。
我が家の難所“階段” わが家は築48年の中古住宅です。
数年前に買ったときには台所、風呂、トイレ、畳を板張りになどリフォームしてありましたので、そのまま使えましたが、ただ一つ心配な場所がありました。それが階段です。 角度があるうえ、途中には急カーブも。訪れた人から「ここ危ないね」「上がるの怖い」と決まって言われるほどの「難所」です。
近くの公団からこの家に引っ越してきたときは、狭い、寒い、と購入を後悔したことも。
でも“後悔”の一番の原因はこの階段でした。
最近では、知人が階段から落ちて怪我をしたこともあり、「ああ、私もいつかこの階段から落ちて怪我をするんだろうか……」と思い悩んだりしていました。
思いついたのが“シルバー人材センター” 今考えれば、そんなに悩むくらいなら、手すりを付けるなりの対処をすればいいものを、まだ上り下りがとりあえずできていた当時の私はそんな簡単なことさえ思いつきませんでした。
月日は経ち、上り下りにも慣れ、ついそのままになっていましたが、コロナ禍も一段落した今、人が来ると相変わらず「危ない」「怖い」との感想が頻発。引っ越し当時はまだ64歳と若かった(?)私も、今では72歳に。
そこで、じゃあ、いよいよ手すりを付けるか! と思ったものの、どこにどう依頼したらいいのかわかりません。時折ポストに投函されているチラシの業者に頼むのもなんだか不安。
私は自己流ではありますが、少々DIYをたしなんでいます。電動のこぎりもねじ回しも持っているし、では自分で付けようか、と書籍などに目を通してみました。しかし、素人仕事で万が一外れてしまったら、元も子もありません。 そこで思いついたのが、住んでいる区のシルバー人材センター。センターから技術を持つ方を派遣していただき、手すりを付けてもらえれば、と考えて電話してみましたが、あいにく大工さんの技術を持つ方の登録はないとのこと。うーん。
区に「住宅補助」制度があることを思い出して そんなとき、住んでいる区に「住宅補助」制度があることを思い出しました。
お住いの自治体によって条件は変わると思いますが、私の区では、65歳以上になると、階段やトイレ、風呂場の手すりなどの手すりや改修などには補助が出る、という制度があったのです。
そこで区のホームページから、資料を読んでみると、制度の対象になるのは(1)65歳以上(2)要介護、要支援 という二つの条件を満たす方、ということがわかりました。
私は、65歳という条件を満たしていますが、要介護ではありません。
でも、制度そのものの対象にならなくとも、補助制度を通じて、区が依頼している業者に相談できれば、作業も費用も安心できそう、などと思いました。
そこで担当の「地域包括センター」、私の区での別名“おとしよりセンター”へ連絡。「やりとりをされている業者さんを紹介していただけませんか」と電話で尋ねてみることにしました。
住宅補助制度の対象に 電話をすると、対応窓口の方は「確認して折り返します」とのこと。
しばらくすると、「御者さんをご紹介できそうです」と嬉しい連絡が入りました。 私が一安心していると、続けてセンターの方は「制度の適用もできるかもしれません。併せて調べてみましょう」とおっしゃるではないですか。
それから数日後、実際に、包括センターの方と業者がわが家へ訪れることに。
お二人で階段の下見をされたあと、チェックシートに従い、私の「心身老い度」についてのチェックをしていただくことになりました。
それを通じて、過去に乳がんを患い、歯周病や白内障を治療中。さらに気管支炎が弱い……といった私の心身についての状況を確認。すると「要支援の対象として、補助が受けられるかもしれません」と嬉しいような、それでいて悲しいようなことを告げられ、その日は終わりました。
こうして、家と私について状況を確認いただいた数日後、「住宅補助制度の対象になるとの認定が下りました」との知らせが我が家に届いたのです。
なお、細かく記せば、私の場合は「介護予防」として、要支援扱いになったそうです。 これは文字通りですが、「要介護にならないための予防・対策」ということ。順調(?)に年を重ね、見た目では元気なようでも、すでにあちこちガタはきています。当然ですが、これから「予防」がますます大切になってくるので、その対策として、ということになるでしょうか。
その後、業者さんから連絡が入り、見積もりなどのやり取りが始まりました。工事もさすが区の選定業者さんということもあって、細かい箇所まで行き届いて、安心してお任せすることができました。 結論を言えば、区へ相談をして本当に正解でした。
公的な施設・制度へ定期的に関心を寄せよう 今の65歳や70歳は、気持ちもそうですが、実際に心身もまだ若い。「お年寄りセンター」と聞いて、「自分はまだ……」と抵抗を感じる人がいて当然だと思います。
私自身、シングルマザーとして二人の子どもを育ててきたので、ときに自治体の力を借りて、ここまでなんとかやってきました。その私でも、子どものことはともかく、自分ごととしてセンターに連絡するのは抵抗を覚えたのは事実です。
でもやっぱり、このタイミングで連絡してよかったと感じています。
それは安心できた、補助を受けられた、といったことだけでなく、今の身体の状態も客観的にチェックしてもらい、この先何かあった場合、相談できる「道」ができたからです。
公的な制度との距離感をどう考えるかは、非常に重要だと思います。
私の場合、家の近くには図書館はもちろん「シニアの家」など、冷暖房が効いているうえ、お茶などもいただける場所があります。区の運営するリサイクルセンターにいけば、良質な家具や洋服を、驚くほど安く手に入れることもできるし、区の広報誌を読めば、シニア向けに仕事を募集していたり、制度の紹介をしていたりと役に立つ情報が満載です。
ちなみに今回の手すり設置、かかった費用はおよそ7万円でしたが、実際に私が負担したのは6800円でした。 特に、ある程度歳を重ねたなら、公的な施設・制度については定期的に関心を寄せることをお勧めします。20221019_094218.jpg

 母子家庭で、二人の子どもを育てながらフリーランスで仕事をしてきた71歳のひとりシニア・紫苑さん。そのため年金の額は月に5万円ですが、お金を遣わなくても安心して暮らすための工夫の数々をブログに記すと話題となり、楽しい毎日の様子は新聞やテレビなどでも紹介されるようになりました。思いついたのが“シルバー人材センター” 今考えれば、そんなに悩むくらいなら、手すりを付けるなりの対処をすればいいものを、まだ上り下りがとりあえずできていた当時の私はそんな簡単なことさえ思いつきませんでした。区に「住宅補助」制度があることを思い出して そんなとき、住んでいる区に「住宅補助」制度があることを思い出しました。お住いの自治体によって条件は変わると思いますが、私の区では、65歳以上になると、階段やトイレ、風呂場の手すりなどの手すりや改修などには補助が出る、という制度があったのです。上手に公的補助を活用することがいいですね。制度そのものの対象にならなくとも、補助制度を通じて、区が依頼している業者に相談できれば、作業も費用も安心できそう、などと思いました。そこで担当の「地域包括センター」、私の区での別名“おとしよりセンター”へ連絡。「やりとりをされている業者さんを紹介していただけませんか」と電話で尋ねてみることにしました。住宅補助制度の対象に 電話をすると、対応窓口の方は「確認して折り返します」とのこと。しばらくすると、「御者さんをご紹介できそうです」と嬉しい連絡が入りました。私が一安心していると、続けてセンターの方は「制度の適用もできるかもしれません。併せて調べてみましょう」とおっしゃるではないですか。それから数日後、実際に、包括センターの方と業者がわが家へ訪れることに。行政の紹介から安心できますね。私自身、シングルマザーとして二人の子どもを育ててきたので、ときに自治体の力を借りて、ここまでなんとかやってきました。その私でも、子どものことはともかく、自分ごととしてセンターに連絡するのは抵抗を覚えたのは事実です。それは安心できた、補助を受けられた、といったことだけでなく、今の身体の状態も客観的にチェックしてもらい、この先何かあった場合、相談できる「道」ができたからです。公的な制度との距離感をどう考えるかは、非常に重要だと思います。上手に公的な支援を活用することで身の丈に合わせて生活ができるかもしれませんね。20220510_185915.jpg
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