Yahooニュース2020年8月17日付け「#先生死ぬかも の先につなげたいこと〜長時間労働是正に向けた取組み〜」から、私がこのイベントで繰り返し強調した点は、教員長時間労働が、教員職場だけではなく、社会全体の課題である点だ。
教員の長時間労働による弊害として真っ先に思い浮かぶのは、#先生死ぬかも のハッシュタグが連想させる過労死など教員の命・健康の被害である。
ただ、これにとどまらず、教員から人間らしい生活時間を奪う(教員の子どもを含む家族への負担をも伴う→教員が教師として必要な人間性・創造性を培う機会を奪う)、教員の離職者増加(新規希望者の減少)、家事育児・介護など家庭責任との兼ね合いで長時間労働に耐えられない労働者(しわ寄せは女性に偏りがち)が離職に追い込まれるジェンダー不平等の問題など様々な問題が生じ、意欲と能力ある教員が教育現場を離れざるを得ない状況などもうまれ、複合的な要因の下で教育の質低下を招く。
また、長時間労働(ジェンダー格差助長)の教員職場を子ども達に見せることは、子ども達にとっていわば悪い働き方の見本を示すことにもつながる。
だから、この問題は教員の世界を飛び越えて、教育の質や子ども達への悪影響という、社会全体の課題なのだ。
今回、#先生死ぬかも のハッシュタグ(外部への情報発信)が大きく拡がった要因の一つは、コロナ禍でも改善されず拡がる先生たちの過酷な職場環境について、社会全体の課題であることが共有化されたことも要因の一つではないかと考えている。
重要なのは、この集まった当事者である先生達の声をどのように次につなげるのか、であろう。
私は、まず教員(以下、明記しない限り法令上の問題は公立学校教員を念頭におく。末尾注有り)の皆さんなら誰もができる当面の取り組みは、労働時間の把握や残業時間の上限を定める上限指針の遵守だと考えている。
文科省は、2019年1月に「公立学校の教師の勤務時間の上限に関するガイドライン」を策定し、超勤4項目以外も含めた労働時間を「在校等時間」として労働時間管理の対象とすることを明確にした。
さらに、2019年12月4日の給特法改正(同法7条)で、このガイドラインの実効性を高めるため法的根拠ある「指針」へと格上げされた(2020年4月1日から適用開始)。
具体的に把握される残業時間(正確には「在校等時間」であり概念が異なるし、それ自体問題をはらんでいるが、ここではこの問題に触れない)は、超勤4項目以外の業務も含め教師が校内に在校している時間及び校外での業務の時間を外形的に把握した上で合算し、そこから休憩時間及び業務外の時間を除いたものとされている。
上限時間数は、1ヶ月あたり原則45時間、年間360時間だ。特別の事情により業務を行わざるを得ない場合は延長できるが、1ヶ月100時間未満1年間の時間外在校等時間720時間以内(連続する複数月の平均80時間以内、且つ、45時間超は年6ヶ月が限度)である。
私学や民間企業などで適用される労基法の上限規制とは異なり、休日労働もこれに含まれるという意味では、実は民間より厳しい規制ともいえる。
教員の皆さんには、この上限が設定され、労働時間把握が義務づけられている事実が知られていないという問題がある。
かかる上限規制の遵守には、まずは使用者による労働時間(在校等時間)の把握が必要だ。
この点、指針は、ICTの活用やタイムカード等により客観的に計測し、校外の時間についても、できる限り客観的な方法により計測するとされている。
また、上限時間の遵守を形式的に行うことが目的化し、実際より短い虚偽の時間を記録に残したり、残させたりするようなことがあってはならないともされている。
重要なのは、上限指針が求める客観的な在校等時間把握が決して容易ではないことを強く認識をし、それ自体を重要課題として位置づけることだ。
後述する残業上限規制も、変形労働時間制の条例導入阻止も、労働時間が適切に把握されていなければ機能しない。
この点、公立学校教員は、給特法の下、長年にわたり残業代が払われず労働時間把握がなされない職場実態があった。教員の立場からすれば、記録しても残業代も払われず、自身の業務削減にも直ぐには反映しないのに労働時間把握に協力する動機が見いだし辛いのは間違いはない。かえって、時間把握のため手間もかかると反発もあるだろう。
しかしながら、当たり前だが労働時間把握なしに長時間労働の実態を数値化することはできない。現実を数値化せねば、過重な業務負担の改善や人員増の要求も通るはずがなく、労働時間把握は極めて重要だ。
このような現状を踏まえて、どれだけ客観的な時間把握が現場で徹底できるのかが鍵となる。
指針では、上限時間の遵守を形式的に行うことが目的化し、実際より短い虚偽の時間を記録に残したり、残させたりするようなことがあってはならないともされている。とはいえ、現状は、在校時間削減のみを命じられ、結果として持ち帰り残業が増えているなど、正確な労働時間把握がなされていないという実態も報告されている。
形式的な上限時間遵守を目的化した指導がなされると、偽りの過小な労働時間が記録されてしまう危険がある。
誤魔化しを許さないように、現場での徹底が重要だ。
指針では、業務の持ち帰りは行わないのが原則とされている。上限時間を遵守するため、教員を早く帰宅させ自宅で業務を行わせるようなことはあってはならず、指針でも禁じられている。
とはいえ、先ほども引用した 日本教職員組合の意識調査では、勤務時間を減らすため行ったこととして、「退勤時間を早め仕事を持ち帰った」との回答が20.3%(前年2018年度は16.8%)もあり、前年度から上昇している。
こういった歪んだ運用を阻止する取り組みも重要だ。
多くの教員は、使用者から法が要求する適切な休憩(6時間〜8時間以下:45分以上、8時間超:1時間以上)を確保されていないが、休憩をとれたことにされている(実際に休憩できていないのに所定の休憩取得がカウントされてしまう労働時間記録のシステムが構築されてしまっている地域もあるようだ)。トイレにいく時間もないため膀胱炎が職業病とさえいわれる教員の多くは、所定の休憩を取れておらず重大な法令違反であるが、これが見逃されるだけではなく、労働時間のカウントからも除外されてしまっている。
休憩60分がとれていないとすれば、月20日勤務でも単純に20時間がカウントされるので、労働時間把握の上でも重大な問題である。
指針では、土日・祝日などの校務として行う業務も労働時間(在校等時間)に含まれるとされている。
しかし、法的知識の欠如、管理職からの圧力や忖度から、部活指導などでも多い休日労働が適切に把握されていないという声も届いている。
この点についても、職場での徹底が必要だ。
1年単位の変形労働時間制は、2019年12月にこれを可能とする休特法が改正されて導入可能が状況になってしまった。
実は、この変形労働時間制導入の阻止のためにも、労働時間把握の徹底が重要となる。
というのは、上限指針の遵守は、変形労働時間制導入の前提条件(これを遵守できなければ導入不可)ということが、指針に明示されたからだ。
適切に労働時間を把握すれば、自ずから上限時間(原則月45時間)を超過した教員の長時間労働の実態は明らかになるはずだ。そうすると、これにより各地域で変形労働時間制が導入できる状況にはないとして、条例による導入を阻止できるのだ。
こういった知識を周知徹底することで、教員の皆さんの労働時間把握へのモチベーションを持たせることともできるだろう。
員の皆さんの具体的な取り組みとして、まずは定められた指針を活用し正確な労働時間把握の徹底をお願いしたい。
そのためには、労働時間把握の意義を職場で周知徹底し、校長・教育委員会等の不当な圧力や忖度を排除するため、職場での集団的な取り組み(労働組合など)も不可欠だろう。
そうすれば、正確な労働時間の実態が把握されて、上限指針が遵守されない、いわば違法状態を校長・教育委員会に突きつけて、無駄な業務削減、教員の本来業務ではないものを外注化する、人員増など、具体的な長時間労働削減の動きにもつなげていける。労働組合〔職員団体〕を通じて改善に向けた交渉も可能だし、やるべきだろう。
教員の長時間労働の弊害は、教員職場だけではなく、教育の質に直結する社会全体の課題だ。教員の皆さんが、現場の実態を社会に向けて発信し、職場環境の改善を求める取り組みを行うのも、社会の将来を担う子ども達のためになる。
自分や家族はもちろん、同僚や社会のため、皆さんが職場で抗う姿は、子ども達が社会に出てからも必ず何かの役に立つ。
学校の外に多くの応援団(私もその一人)もいるのだから、自信をもって、学校を変える取り組みへとつなげて欲しい。

第1次安倍政権で教育基本法の改定を行われ、それ以来教育現場は自由が失われて来ているのではないでしょうか。自由と言えば教員を対象にした自由と勘違いする人がいるかもしれませんが、1980年代は中学校を中心に学校が荒れに荒れて大変でしたが、子どもたちの教員も自由が保障され苦労しながら充実感を覚えていました。教員は立派な労働者ですが、政治家の中には労働者でないと考え僅かの手当てで時間外労働を強いるなど負担を与えてきていなかったでしょうか。過労死、心の病になり健康を害して療養休暇を申請する人が増えていないでしょうか。教員採用試験は倍率が高く人気の就職先でしたが、最近は離職者が増え、新採用が減少しているでしょう。魅力を感じない職業になってしまっているのでしょう。上限時間数は、1ヶ月あたり原則45時間、年間360時間だ。特別の事情により業務を行わざるを得ない場合は延長できるが、1ヶ月100時間未満1年間の時間外在校等時間720時間以内(連続する複数月の平均80時間以内、且つ、45時間超は年6ヶ月が限度)である。私学や民間企業などで適用される労基法の上限規制とは異なり、休日労働もこれに含まれるという意味では、実は民間より厳しい規制ともいえる。このような勤務状況は国内で最も厳しい職業の1つと言えるのではないでしょうか。多くの教員は、使用者から法が要求する適切な休憩(6時間〜8時間以下:45分以上、8時間超:1時間以上)を確保されていないが、休憩をとれたことにされている(実際に休憩できていないのに所定の休憩取得がカウントされてしまう労働時間記録のシステムが構築されてしまっている地域もあるようだ)。トイレにいく時間もないため膀胱炎が職業病とさえいわれる教員の多くは、所定の休憩を取れておらず重大な法令違反であるが、これが見逃されるだけではなく、労働時間のカウントからも除外されてしまっている。確かに上記のようなことが当たり前になっています。子どもたちを相手にしている以上はいつどのような対応をしなければわからず休憩時間を取ることができません。法律的に不備な状態で教育のためにということで犠牲を払って成立しているのが教員の職場なのです。しかし、そのまま放置していいはずがありません。収入を増やすことも必要でしょうが、健康を害したり、過労死で亡くなってしまったら問題です。教員も労働者であることを確認して国民も教員の労働条件、働き方を理解して当たり前の教育が成り立つために学校を変えていく必要があるでしょう。夢を持ったやる気のある教員が子どもたちの持っている才能を十分に伸ばして将来を担ってくれる人を育てる教育が行われることを期待したいです。
